「ダメ母、では教員は?」5月25日
読者投稿欄に、南相馬氏の主婦W氏の『本当に楽しい?』と題された投稿が掲載されました。『子どものころ、休みになると母は父をせき立て、どこかへ出かけた。たいていはハイキングをして(略)運動が嫌いな私にとって、山歩きはほんとうにつらいものだった。疲れ果てて帰りの車で具合が悪くなり、車を止めて休ませてもらうと家に着くのが遅くなってしまう。私が一番つらいのに、起こられるなんて本当に悲しかった』というW氏。
『私のように無理に連れ歩かれて、心が疲れてしまう子どももいるはずだ。皆本当に楽しめているのだろうか』と、現代の子供たちの中にも、かつての自分と同じ思いを抱いている子供がいるのではないか、と心配なさっているのです。
実は、私もW氏のような子供でした。W氏は、家庭でのこと、母親のこととして、善意で楽しくないことを強制される不幸を嘆いていらっしゃいますが、私は、学校において同じ構造があるのでは、と考えてしまいました。
W氏の母親も、そして世間の多くの大人も、大人の一員である教員も、子供というものは外に出掛けて体を動かして遊ぶことを好むと考えています。確かに割合から見れば、そうした子供の方が多いと思います。しかし、一方でW氏や私のような子供がいるのも事実なのです。
W氏は、『「まったく、もう連れてこないから」。そういう母に対し「私は頼んでない。もう行かない」』と宣言し、休日に家族が出掛けた後、一人で家にいる幸せをつかむことができたそうです。しかし、学校ではそうは行きません。「遠足に行きたいなんて言ったことはありません。もう行かない」と宣言しても、受け入れられることはないのです。
W氏の母について言えば、今の時代ならば、いくら善意からであっても、親の価値観を子供に押し付けるのではなく、子供の考えをきちんと聞いて話し合うことが必要、と諭されることでしょう。しかし、教員がそう言われることはありません。学校の教育活動は、学習指導要領に沿って展開され、遠足でも、移動教室でも、社会科見学でも、全て教育的価値が想定されているものです。
また、子供のゲーム脳、ゲーム依存症が心配される現在、外で実際に体を動かして体感する活動の必要性が、以前よりも強く意識されるようになってきています。今後、コロナ禍が収まっていけば、自粛中の分を取り戻すかのように、校外活動が活発化する可能性が高いでしょう。
つまり、学校の外に出掛けていくのではなく、教室で授業を受け、図書室で本を読んでいたいという子供の思いは無視されていくのです。正直、仕方がないことだと思います。でも、子どもの権利条約の趣旨を厳格に適用していくことが求められるようになった将来、遠足拒否宣言は認められるようになるかもしれません。その時代の学校教育はどうなっているのか、老兵には想像もつきません。