ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

信教の自由と性教育

2020-11-17 08:19:09 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「宗教の視点からの要求には」11月12日
 『フランス「処女証明書」禁止に波紋』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『「処女証明書」は、結婚前の女性に性交渉の経験がないことを重視する仏国内のイスラム教徒や少数民族ロマが利用している』とのことで、仏政府は『フランス社会や文化への同化を拒否する「分離主義」がイスラム過激派を助長しているとみており、「処女証明書」もこうした「分離主義」に含まれる』と考えているということです。
 過激派対策という点については、こじつけという印象をもちますが、よく分かりません。私が気になったのは、処女と宗教の関係です。我が国では、かつて純潔教育が行われていました。女性は結婚するまで男性と性交渉をもつべきではないという考えで行われてきたものです。近年は、科学的な知識に裏付けられた性の自己決定権に基づく性教育が行われるようになってきていますが、今でもいわゆる保守派とされる人たちから、行き過ぎた性教育批判がなされ、その根底には「純潔教育」への郷愁があると思われます。
 保守派の「純潔教育」は、女性差別の側面もあり、声高に主張されることは稀になってきていますが、もし仮に、イスラム教徒などから、信仰の自由という大義を掲げて、婚前の性交渉を認めるような教育を学校で行うべきではない、少なくともイスラム教徒の子供にはそうした性教育を拒否する権利を認めるべきだ、というような要求が出されたとしたら、学校や教委はどのような対応をすべきか、という問題意識をもったのです。
 我が国は無宗教を自認する人が多く、学校も教委も宗教絡みの問題に対応した経験が乏しいのが実情です。多くの学校が及び腰になり、明確な基準を方針を示すことなく、「妥協策」としてイスラム教徒の子供は性教育の授業中に、他の教室で別の学習をしていてもよい、というような対応策を選ぶような気がします。
 一度そうした対応をすれば、次に保守的な考えをもつ保護者が、「うちは○○教の信者なのですが、○○教では婚前の性交渉を認めていないので~」と申し出てきたときに、拒むことができなくなります。この場合「○○教」はなんでもよいのです。「鰯の頭も信心から」です。極端なことを言えば、その保護者が勝手に○○教を名乗っても、「そんな宗教聞いたことがありません」とは言えないのです。
 こうした動きが拡大すれば、計画された教育課程の実施は難しくなります。信教の自由と学校教育の在り方について、教育行政は内部の検討を進めておくべきだと思います。

 

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