「カネだけではない」8月24日
『ゆとりない家庭 魚や野菜少なめ』という見出しの記事が掲載されました。厚生労働省が行った家庭の経済状況と子どもの食事内容の関連を調べた調査結果を報じる記事です。結果自体は、事前に予想されたものです。ただ、私が注目したのは、新潟県立大教授村山伸子氏のコメントでした。
『ゆとりのない層では大豆製品など安いものも摂取が少なく、お金がなくて買えないだけでなく、健康的な食生活のための知識や意欲、調理技術がないことが影響している』というものです。同感ですそしてこの「知識、意欲、技術」の欠如ということは、子育てにも共通に言えることではないかと感じています。
私はこのブログで、学力テストの結果を公表し、その責任を学校や教員の努力不足に直結させて非難するという姿勢に疑問を呈してきました。私が教委の指導室長をしていたとき、当該市の中学校が主要4教科すべてで全都1位という結果を挙げたことがありました。多くのメディアが取材に訪れましたが、私の回答は「家庭に知的な雰囲気、好学の気風があること」というもので、あっと驚くような特別な施策を期待していた彼らを失望させたものでした。しかし、学力に及ぼす家庭の影響が無視できないほどに大きいというのは当時から変わらぬ考えでした。
漸く最近になって、家庭や地域の影響という視点から学力問題を考える傾向が見られるようになってきましたが、その多くが、貧困=低学力という図式に留まっているのです。しかし、当時私が指摘したように、雰囲気とか気風というような数値化しにくいもの、目に見えにくいもの、口に出して論じることが憚られるようなものの影響も無視すべきではないのです。
保護者の年収や資産だけでなく、保護者がどのような番組を見ているか、ニュースかバラエティーか、新聞を購読しているか、購読しているのはスポーツ新聞か一般紙か、実用書や漫画以外の書籍の数は購入数は、読書に費やす時間は、保護者間で話題になるのは、子育てへの関心は、家庭内にルールがあるか、等々、子供が知的好奇心をもち努力に対する価値を認め学習に正対できる素地を作るのが家庭なのです。
つまり子供の学力問題として家庭に着目するのであれば、経済力だけでなく、家庭が育む空気のようなものを、指標化し、保護者に自覚を促すと同時に支援する仕組みが必要なのです。広義の教育施策といってもよいでしょう。それこそ政治の役割と責任であり、単純な教員批判に費やす時間とエネルギーを、この点に注ぎ込んでほしいものです。
もちろん、学校も教員も、学力問題から責任逃れすることは許されません。家庭の学力育成力は同じレベルなのにどうしてA校の子供の学力は低いのか、と問われれば釈明の余地はなくなるのですから。