ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

崩壊しやすい「我が家」

2020-11-16 07:55:30 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「動的なもの」11月11日
 専門編集委員古賀攻氏が、『されどツイッター政治』という表題でコラムを書かれていました。米大統領選について書かれたものです。その中で古賀氏は、『副大統領になるハリスさんの自戒に共感する。「民主主義を当たり前と思ってはいけない」。そう、民主主義の尊さは実践にある』と書かれています。
 私も同感です。そしてこのハリス氏の言葉こそ、我が国の学校教育で欠けていたものだと考えます。もちろん、民主国家である我が国では、民主主義について学校で学びます。憲法の国民主権を敷衍したものとして、自由権や参政権について学び、その具体的な姿として、表現の自由や思想・良心の自由、選挙権や被選挙権、住民投票などについて調べていきます。また、政治にかかわる学習において、三権分立の仕組みや国会・内閣の構成などについて知っていきます。さらに、歴史を学ぶ中で先人が民主主義と出会い獲得していく経過を、自由民権運動や憲法発布、普選運動などを事例に取り上げて学んでいきます。
 これらについて学ぶことは大事なことですし、私自身、社会科を研究教科としてきた者として指導してきました。しかし、自分自身の実践も含めて反省すべきなのは、民主主義について静的なイメージを与えがちであったということです。
 つまり、過去の経緯や理念や仕組みについて学んだ結果、子供の頭の中に、民主主義という立派な建物が厳然と聳え立っているという感覚を与えてしまっているのです。民主主義という建物は、確かに立派で大切なものなのですが、それはその立派さゆえに未来永劫揺るぐことがなく、壊れたり倒れたりすることはないというイメージです。大切に使ったり、常に点検修理が必要なものではなく、放っておいても100年先も1000年先も、今と変わらぬ姿で私たちの前にあり続けると思い込ませるような学習になっているのです。
 しかし実際は、ハリス氏の言葉のように、民主主義は何もしなくても当然のようにそこにあり続けるような堅牢なものではないのです。ヒトラーが民主主義の中から生まれたように、少しでも気を許せば、民主主義という建物は崩れ去り、独裁や全体主義という牢獄が姿を現すのです。一人一人の国民が、民主主義という建物が壊れないように、注意深く民主的社会の形成者としてのふるまいを続けなけらばならないという覚悟が必要なのです。古賀氏はそれを「民主主義の尊さは実践にある」という言葉で表現したのです。
 民主主義を常に揺れ動いている動的なものとして学ばせること、これが必要なのです。

 

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