「出せばいい訳ではない」6月24日
『規制委メール増やし不評』という見出しの記事が掲載されました。記事によると、『災害時に原発が安全かどうかを知らせる原子力規制委員会の緊急情報メールについて、規制委が熊本地震を機に配信を増やしたところ、逆に登録者数が減少に転じた』とのことです。
その理由として記事では、『繰り返し「安全」と強調されても、情報としては意味がない』という登録者の声を紹介しています。その上で、『異常がなくても1日2回の定時配信をする態勢に切り替えたのが裏目に出た形』と結論しています。まあ、当然だと思います。しかし、このことから学ぶことができる教訓は、誰もが肝に銘じるべきです。
それは、相手が知りたいことを知らせるのが、望ましい情報提供であるということです。今、学校教育では、子供が主体的に学ぶとか、アクティブラーニングといったことが推奨されています。そのこと自体は間違っていませんし、私も賛成ですが、教員を含め関係者の中に誤解があるように思えます。それは、教えることの否定です。
授業がどのように変わろうとも、教員が子供に教えるという行為が教室からなくなることはありません。問題とされているのは、教えることの質なのです。質の悪い「教える」を排し、高品質の「教える」を用意し提供することが求められているのです。
そして「教える=情報提供」ということができます。ノートの取り方や辞書の使い方といった学習方法や台形の面積の求め方といった知識も情報です。そうした情報をいかに効果的に伝達するかというのが、授業を左右するのです。
そこで大切になるのが、辞書の使い方や台形求積公式といった情報に対して子供の必要感、砕いて言えば「知りたい」という気持ち、「教えて」という切実感をいかに起こさせるかということなのです。授業が巧みで質の高い学びを展開することができる教員は、学習指導要領等に示された狙いと内容を分解し、子供の言葉に代え、それを一つを知ると次にまた知りたいことが出てくるように構成し、知りたい→教えて→分かった→でもこの場合は?→知りたいというサイクルを成立させる教員のことなのです。
一方、規制委のメールのように『原発の安全性をアピールしたい首相官邸の指示を受け異常がなくても1日2回の定時配信』という知らせたい側の都合を優先させた情報提供はそっぽを向かれてしまうのです。教員は、規制委のようになってはいけません。