「判断が難しい」5月24日
論点欄では、『悩む新人の皆さんへ』というテーマで、五月病に悩む若者へのメッセージが特集されました。3人の識者の中の1人、東京音楽大指揮専攻教授広上淳一氏の書かれていることに目がとまりました。
広上氏は、『若者に「傷つくのを恐れるな」と思う一方、「致命傷を負わないで」と願います』と書かれています。テーマが5月病ですから、仕事が嫌になったとき、職場で辛いことがあったときに退職せずに2年間は頑張れ、という話の流れで出てきた表現ですが、私はもっと深い意味で受け取ってしまったのです。
いじめ問題に代表されるように、近年は辛い状況の中にある子供に対して、頑張れと言わずに逃げていいんだよ、という態度で接するのが正しいとされてきています。それでよいのです。無理したあげくポッキリと折れるように自死を選んでしまうという悲劇は絶対に防がなければなりませんから。
しかし、その一方で、生きていくということ、人間社会は嫌なこと、辛いことが満ち溢れているというのも間違いのない真実です。そうしたことに直面したとき、いつも逃げていたのでは、充実した人生を送ることはできないというのもまた紛れもない事実です。
学校教育は、辛さを乗り越え、逆境を跳ね返し、困難な壁を乗り越えていくことができる「生きる力」を育むことも大切な使命です。そう考えたとき、広上氏の言葉が重い意味をもってくるのです。
教員は、今目の前にいる子供が抱えている辛さや苦しさが、致命的なものなのか、傷つくことを恐れずに戦いを挑むべきものなのかと判断し、その判断に基づいて、「もういいよ。十分がんばってきたよ。ここで休むことは負けじゃないよ」と肩に手を置いて優しく語りかけるのか、「大丈夫、君ならやれる。先生も力を貸すよ。一緒に頑張ろう」と力づけるのか、決めなくてはならないのです。
でもそれは難しいことです。明確な基準があるわけではありませんし、同じ状況でもその子供の能力や資質によって判断は異なります。さらに、一人の子供に限って考えても、子供の心身の状況は常に変化していますから、かつてのアドバイスが今日も有効な助言になるとも言えないのです。
さらに、一般的に言って、古い教員は激励型を好み、若い教員は逃避型に抵抗感がないという特徴がありそうです。そうした教員自身の偏りも自覚しておく必要がありそうです。
特効薬はありません。教員は自分の判断の重さを自覚したうえで、子供と自身を見つめ続けるという地味な努力を続けるしかないのかもしれません。