ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

面倒臭いを乗り越えて

2024-05-11 08:52:00 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「さじ加減」5月3日
 論説委員小倉孝保氏が、『喫煙と自由の関係』という表題でコラムを書かれていました。その中で小倉氏は、英下院が、『2009年以降に生まれた人に対し、生涯にわたって電子も含め、販売を禁止する』たばこ販売禁止法案を可決したことを取り上げています。
 小倉氏は、同法案についての政治家の様々な意見を紹介なさっていました。前首相リズ・トラス氏『若者の保護は大切だが、大人の選択に政府が関与すべきでない』、元議長ジェイク・ベリー氏『悪い判断でも、自分で選択できる自由な社会に住みたい』ビクトリア・アトキンス保健相『依存症に自由はない。ニコチンはむしろ選択の自由を奪う』など。
 私は、酒もたばこもギャンブルも趣味としての自動車の運転も、いずれも社会にとって望ましくない行為だと考える石頭です。でも、法で禁止することには賛成しません。禁酒法時代の米国で密造酒が横行し、ギャングの資金源になったことからも明らかなように、ある行為を禁止することでより大きな悪を現出させてしまうことがあるからです。
  私は、学校における生活指導も、禁止事項を増やすというやり方だけでは限界があると考えます。禁止事項が増えれば、その抜け穴を考えたり、解釈を変えて取り締まりを逃れようとしたりする行為が頻発するのは人間というものの性だと考えるからです。それは子供でも変わりはありません。そしてそうしたある意味「卑怯な」行為を考えさせ、実行させるという経験を重ねさせることは、卑しい人間を創り出してしまうことにつながるように思うのです。それは、教育の場である学校にとって相応しい振る舞いではありません。
 もちろん、望ましくない行為を放置してもよい、というのではありません。禁止という規則を押し付けるのではなく、なぜその行為が問題なのかということについて考えさせることを重視し、押し付けではなく教員と子供が議論し合うという形の中で、子供自身が納得して「そんなこと止めた」となることを目指すべきだということです。
 実際には難しいことは分かっています。中学生に飲酒や喫煙を認めることはできません。ただ、禁止という形を取らざるを得ない場合でも、その前段に議論があるべきだと思うのです。
 大人は飲酒喫煙しているのになぜ中学生はダメなのか、校長先生は白髪染めをしているのに生徒が髪を染めてはいけないのはなぜか、授業中のおしゃべりが他人の邪魔になるのは分かるが静かに漫画を読んでいるのがなぜいけないのか、中学生らしい服装をしろというなら好きな私立中学校の制服に似た服装でもいいじゃないか、女性の先生が化粧しているのに女生徒が化粧してはいけないのはなぜ?大人は好きな人とセックスしているのに中学生がダメという理由は?。
 面倒臭いですね。でも、こうした話題について考えることは、教員自身の教育観や子供冠を磨き上げることにもなると考えます。

 

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