『五輪チケット国会議員枠?ありません』という見出しの記事が掲載されました。『超党派の2020年東京五輪・パラリンピック大会推進議員連盟が、五輪チケットに国会議員向けの特別枠はないと全国会議員に通知した』という記事です。
その中で興味深い記述がありました。『衆院議員の一人は「支援者からの依頼を堂々と断れる」と胸をなで下ろしている』というものです。おそらく、国会議員のもとには、「チケットがなかなか入手できない。先生のお力で開会式のチケットを」というような依頼が舞い込むのでしょう。そういう依頼をしてくる人は、後援会の中でも有力者で、日ごろから地元に帰れば頻繁に顔を合わせている方々だと想像できます。
議員にしてみれば、選挙でお世話になる、怒らせたら次の選挙でしっぺ返しを喰う、というような思いを抱くことでしょう。しかし、いくら政治家といえども、全て損得勘定で動いているわけではないはずです。親しい人だから、よく顔を合わせて交流してきた人だからこそ、何とか役に立ってあげたいという人情もあるはずです。ですから、頼まれれば断れないのです。こうした心の動きは、人間的であり、当たり前です。
要するに人は、初対面の人、赤の他人からの依頼に比べて、面識がある人、何らかの人間関係がある人からの依頼は断りにくい、という性質をもつものなのです。これは、相手への好意とはあまり関係がありません。好ましくない感情を抱いている相手であっても、そのことを表沙汰にはできず隠して関係を保っている場合も、赤の他人の場合と違って、断りにくくなるものなのです。
今年は、児童虐待が社会的な関心を集めました。特に松戸市のケースでは、学校や教委が、虐待の当事者と疑われる父親からの強談判に屈し、被害児童の書いて手紙を見せてしまうという失態を演じ、非難が集中しました。もちろん、学校や教委の対応は許しがたいものですが、学校や教委の担当者だけを責めて済む問題でもありません。
学校と保護者の間には、それまでに何らかの接触や交渉があり、それが今後も一定期間継続するという予想が立つという関係があります。つまり、先ほど述べてきた「断りにくい近しい関係」があることが、毅然と断ることができなかった要因として指摘できるのです。
ですから、脅しに屈して安易に情報提供したり、筋の通らない要求をのんだりしないためには、近しい関係のないものが決定権者として対応するというシステムを確立しておくことが必要なのです。保護者の要求に対しては、普段から接触のある担任ではなく話をしたことがない校長が、校長と関係があるPTAの役員や地域の有力者に対しては、ほぼ初対面である教委の担当者が、そこで納得を得られない場合は首長部局の個人情報開示審査委員会が、というように、遠い人が決定権者であるという形を整えておけば、情に流されて、今後の関係の悪化を懸念して、といった人間の弱さを露呈せずに済むのです。
一連の虐待事件から得る教訓は、人間は近しい人の依頼は断れない、という事実を認識することです。