数いるタレントの中で、私は矢沢永吉が、どうも好きになれないでいる。
単純な理由から、こうなってしまったのだが、熱狂的なファンも多いと言うようなのだから、だれか私の偏見を取っ払ってはくれまいか。
好きでない理由は1つだけ。
「ロック歌手」「父親が広島で被爆した父親がいる」ということからして、彼は反体制で、既成のものを打ち砕く情熱をもってミュージシャンとしての活動を行っているものだとばかり思っていた。キャロル時代は、すこしばかり記憶はあるが、よくは覚えていない。
そんな「はず」の彼が、ふんぞり返ったような「感じ」で新車に乗って、「やっちゃえ、日産」と言っているのをテレビで見、またビールやらなにやらと、CMに出続けている。それが疑問の主たる理由だ。「金儲け」至上だとも思える彼の生き様に、思い描いていた「ロック歌手」が色あせてしまったということだ。なんだ、ふつうの強欲なおっさんなんだと。(失礼)
ウィキベキアで調べてみると、生い立ちには、
「母親は永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発。広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされその後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め、更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる。なお矢沢自身後に郷里広島について「広島はいい街だが俺にとっては捨てた街。」と度々発言しており、反体制を気取りながらも郷土愛を前面に出す他のミュージシャンとは一線を画す所を見せている。」
とある。
これだけから彼の性格の形成を解明しきれるものではないだろう。
「1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した」
といった記事もあるから、まんざら私の偏見も、遠からず・・・なのかもしれない。
この記事も、多分に誇張もあるのだと思う。
ファンの方は、その音楽性に惹かれているのだろうと思うが、私はそんな器用ではない。
石原慎太郎が、どんなにすぐれた文学作品を書こうとも読む意欲が少しも湧いてこないのと同じ発想だ。
誤解を解いてくださる方、求む。
単純な理由から、こうなってしまったのだが、熱狂的なファンも多いと言うようなのだから、だれか私の偏見を取っ払ってはくれまいか。
好きでない理由は1つだけ。
「ロック歌手」「父親が広島で被爆した父親がいる」ということからして、彼は反体制で、既成のものを打ち砕く情熱をもってミュージシャンとしての活動を行っているものだとばかり思っていた。キャロル時代は、すこしばかり記憶はあるが、よくは覚えていない。
そんな「はず」の彼が、ふんぞり返ったような「感じ」で新車に乗って、「やっちゃえ、日産」と言っているのをテレビで見、またビールやらなにやらと、CMに出続けている。それが疑問の主たる理由だ。「金儲け」至上だとも思える彼の生き様に、思い描いていた「ロック歌手」が色あせてしまったということだ。なんだ、ふつうの強欲なおっさんなんだと。(失礼)
ウィキベキアで調べてみると、生い立ちには、
「母親は永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発。広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされその後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め、更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる。なお矢沢自身後に郷里広島について「広島はいい街だが俺にとっては捨てた街。」と度々発言しており、反体制を気取りながらも郷土愛を前面に出す他のミュージシャンとは一線を画す所を見せている。」
とある。
これだけから彼の性格の形成を解明しきれるものではないだろう。
「1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した」
といった記事もあるから、まんざら私の偏見も、遠からず・・・なのかもしれない。
この記事も、多分に誇張もあるのだと思う。
ファンの方は、その音楽性に惹かれているのだろうと思うが、私はそんな器用ではない。
石原慎太郎が、どんなにすぐれた文学作品を書こうとも読む意欲が少しも湧いてこないのと同じ発想だ。
誤解を解いてくださる方、求む。