息苦しい世の中で 自由に語り合える空間を

自由でも民主でもない この日本を もっともっとよりよく変えていくことができるように たくさんの知恵を語りましょう。

矢沢永吉に対する思いは偏見か

2017年10月08日 12時47分27秒 | わたしごと
 数いるタレントの中で、私は矢沢永吉が、どうも好きになれないでいる。
 単純な理由から、こうなってしまったのだが、熱狂的なファンも多いと言うようなのだから、だれか私の偏見を取っ払ってはくれまいか。

 好きでない理由は1つだけ。
 「ロック歌手」「父親が広島で被爆した父親がいる」ということからして、彼は反体制で、既成のものを打ち砕く情熱をもってミュージシャンとしての活動を行っているものだとばかり思っていた。キャロル時代は、すこしばかり記憶はあるが、よくは覚えていない。
 そんな「はず」の彼が、ふんぞり返ったような「感じ」で新車に乗って、「やっちゃえ、日産」と言っているのをテレビで見、またビールやらなにやらと、CMに出続けている。それが疑問の主たる理由だ。「金儲け」至上だとも思える彼の生き様に、思い描いていた「ロック歌手」が色あせてしまったということだ。なんだ、ふつうの強欲なおっさんなんだと。(失礼)

 ウィキベキアで調べてみると、生い立ちには、
「母親は永吉が3歳の時、夫と息子を捨てて蒸発。広島で被爆した父親とは小学校2年生の時に死別。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされその後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め、更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで感化され、スターになることを夢見るようになる。なお矢沢自身後に郷里広島について「広島はいい街だが俺にとっては捨てた街。」と度々発言しており、反体制を気取りながらも郷土愛を前面に出す他のミュージシャンとは一線を画す所を見せている。」

 とある。

 これだけから彼の性格の形成を解明しきれるものではないだろう。

 「1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した」
 といった記事もあるから、まんざら私の偏見も、遠からず・・・なのかもしれない。

 この記事も、多分に誇張もあるのだと思う。

 ファンの方は、その音楽性に惹かれているのだろうと思うが、私はそんな器用ではない。

 石原慎太郎が、どんなにすぐれた文学作品を書こうとも読む意欲が少しも湧いてこないのと同じ発想だ。

 誤解を解いてくださる方、求む。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学芸会のエンディングは 映画「同胞」から「ふるさと」

2017年10月08日 11時11分37秒 | 教育を考える
 私たちの学年は、自分たちの町の歴史を劇化してのぞんだ。

 東京の多摩、江戸の初期までは水の少ない不毛の地。玉川上水ができ、枝のように分水ができてから村が活気づいてきたこと。
 それまでの村人の苦労、工夫。水車で小麦や米を擂る。防風のための庭木。お手玉、ぽっくり、独楽、竹とんぼ。
 7つの村が統合し、原型ができた明治初期。鉄道の開設。電化。
 先人の苦難のあとを辿りながら、子ども達は一生懸命に伝わる工夫を考え、表現していたと思う。
 練習の途中で郷土資料館にも行って、本物の家や水車を見てくることもおこなった。

 その様子は、舞台の上にスクリーンを設けて、進行と同時にスライドショーで披露した。
 小さい子達ながらも、照明も子どもが担当。ズーム、パンなども1人でできるようになった。
 「学んだ」「表現した」「伝えようとがんばった」25分だったと自負している。

 最後の歌は「ふるさと」
 知っている方は、ほんの一握りだろう。

 ふるさと

【作詞】石塚克彦
【作曲】岡田京子


1.ふるさと ふるさと
  ふるさと ふるさと
  けや木の梢としじゅうがら
  庭の日だまり 水たまり
  帰ってこない渡り鳥
  ふるさと ふるさと

2.ふるさと ふるさと
  ふるさと ふるさと
  送電線と麦畑
  朝に吹く風 たつみ風
  どこまで続く白い道
  ふるさと ふるさと

 これは映画「同胞(はらから)」のテーマソングだ。

 1975年の映画だから、42年前のものだ。脚本を作る際に、はじめからこの曲だと決めていたものだ。

 ※同胞(はらから)は、1975年に松竹が制作、同年10月25日に公開した山田洋次監督の映画。岩手県の過疎の村で、青年会が劇団公演を計画し成功させるまでを描く青春映画。実際に起きた話を基にしており、モデルとなった劇団「統一劇場」が公演シーンを演じている。

 ※岩手県の小さな村の青年会会長高志の許を、統一劇場の職員の秀子が訪れ、劇団の公演を提案する。高額な費用が問題となり、青年会の議論は紛糾するが、高志の熱意に押され、公演の実施が決まる。青年会員の頑張りでチケットも完売するが、公演の直前になって有料の催しには会場は貸せないと中学校から断られる。公演を楽しみにしている人たちのために中止にはできないと秀子は無料にすることを決断する。公演は大成功する。

 ※キャスト 
斉藤高志:寺尾聰
河野秀子:倍賞千恵子
松尾中学校校長:大滝秀治
柳田進:下條アトム
木村茂:土谷亨
渡辺純一郎:河合進
福田愛子:岡本茉莉
斉藤忠治:赤塚真人
小野佳代子:市毛良枝
菊地健一:笠井一彦
斉藤博志:井川比佐志
斉藤富美:杉山とく子
斉藤晴美:木村晃子
小柳文治:下條正巳
小野きぬ:三崎千恵子
消防団団長:渥美清
小野精一郎:今福正雄


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小言てんこ盛り 学芸会

2017年10月08日 10時38分49秒 | 教育を考える
 私の教員生活で、1番質の低い学芸会を見てしまい、讃辞の一言も出せないで職場を離れた。
 口ごもってしまうのは、職場にとって悪いと思うので、「反省」にしっかりと書くつもり。

 ①「創造」「表現の楽しさ」を追求していないこと
  目の前の子どもに依拠した台本を書こうとしていない。つまり苦労して作り上げていない。どこかからもらってきたものか、劇団四季の焼き直し。
  とくに後者は、長い劇を30分に短くする必要があるのだが、物語として無理に無理を重ねていく。だからストーリーに整合性を欠き、感動を伝えら
  れないものとなっていく。数校異動して、学芸会を経験しているが、必ずといっていいほど、5,6年生で四季の劇を行う。「またかよ」と思うが
  いっこうにその傾向は下火にならない。衣装も貸し借りでき、台本も一応ある。なんと簡便な方法だと思うが、やはり寂しい光景だ。

 ②学校全体で、劇指導を共有していない
  学年の力量だけが頼り。若い教員が多いために、表現の楽しさや指導法が未熟なまま練習に入る。かつては研修会を開いて、みんなで学んだものだ
  が、忙しさにかまけてそんなことを考える余裕がない。前回書いた「あてぶり」氾濫の劇となってしまう。

 ③学校文化の消滅 テレビのバラエティ番組の僕
  今回、ダチョウ倶楽部のギャグ、あきらかにテレビのコマーシャルやコントを模したギャグがあった。笑いはとれるが、そんなパクリで受ける姿勢に
  辟易する。クラスのお楽しみ会の延長と思えるような安直さに、親も受け、笑い、教員も満足する。

 ④準備の時間をとらない愚
  学芸会の本番2日前、水曜日の午後に、常置の部会が行われ、夕方にはOJTとして「勉強会」が行われた。いずれも学芸会とは関係ない内容で。さ
  らにその日は「ノー残業デー」、早く退勤しなさいと言う。結局、会場などの設営での作業日は設定されたものの、学年で準備する時間は設定される
  ことはなかった。舞台装置、大道具、小道具、衣装作りは時間がかかるものである。
  結果、前回のものを廃品利用するしかない。同じ草のセットが複数の学年で使われたり、幹の上に丸い葉っぱの木が無理矢理「いちょう」と張り紙を
  して使われたりと、貧弱なセットでの舞台となってしまった。

 校長は「学芸会ではなく、日頃の学習の延長上にある学習発表会にしていきたい」と言ったが、それも吹き飛んでしまうくらいの「合意」のなさが感じ
られたものだった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「一見民主党」 なんというセンスの無さ 下品な人格を感じる

2017年10月08日 09時00分02秒 | 言葉の勘違い
「公明党の山口那津男代表が7日、埼玉県のJR大宮駅前で街頭演説し、この地域が選挙区の枝野幸男元官房長官が代表を務める「立憲民主党」を、「政権運営に失敗した民主党の人たちばかりだ。『一見民主党』と言った方がいいんじゃないか」と痛烈に皮肉った。」(朝日)

 センスのない駄洒落だ。

 私のよく使っている、公明党=混迷党 とさして変わらない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創価学会インタナショナルを調べてみた

2017年10月08日 08時07分59秒 | あれこれと
ホームページに「憲章」が掲載されている。

<我ら創価学会インタナショナルのすべての構成団体および構成員は、仏法を基調とする、平和・文化・教育への貢献をめざしてゆく。
 20世紀を生きた人類は、「戦争と平和」「差別と平等」そして「貧困と豊かさ」という対極にある状態を、過去のどの世紀の人類よりも激しい振幅の中で経験した。
 核兵器をはじめとする軍事技術の革新は人類絶滅の危機的状況をもたらしており、民族や宗教による激しい差別の現実は今なお紛争を絶やさない。そして、人類のエゴと放漫は、南北問題や地球環境の深刻な悪化などの「地球的問題群」を引き起こし、人類の存亡の危機をもたらしている。
 日蓮大聖人の仏法は、人間生命の限りなき尊厳性を説き、すべての人を包含する慈悲といかなる困難をも克服する智慧をもたらす法である。そして、この智慧は人間精神の創造性を拓き、人類社会の直面するいかなる危機をも克服し、平和で豊かな共生の人類社会を実現できることを説く「人間主義」の法である。
 我らSGIは、この「人間主義」に基づく「世界市民の理念」「寛容の精神」「人権の尊重」を高く掲げ、非暴力と対話により、こうした人類的課題に挑み、人類社会に貢献することを深く決意して、ここに以下の目的および原則を確認し、このSGI憲章を制定する。>

 さらに「目的と原則」では、
1.SGIは生命尊厳の仏法を基調に、全人類の平和・文化・教育に貢献する。
2.SGIは「世界市民」の理念に基づき、いかなる人間も差別することなく基本的人権を守る。
3.SGIは「信教の自由」を尊重し、これを守り抜く。
4.SGIは人間の交流を基調として、日蓮大聖人の仏法の理解を広げ、各人の幸福の達成に寄与していく。
5.SGIは各加盟団体のメンバーが、それぞれの国・社会のよき市民として、社会の繁栄に貢献することをめざす。
6.SGIはそれぞれの国の実情をふまえて、各加盟団体の自立性と主体性を尊重する。
7.SGIは仏法の寛容の精神を根本に、他の宗教を尊重して、人類の基本的問題について対話し、その解決のために協力していく。
8.SGIはそれぞれの文化の多様性を尊重し、文化交流を推進し、相互理解と協調の国際社会の構築をめざす。
9.SGIは仏法の「共生」の思想に立ち、自然保護・環境保護を推進する。
10.SGIは真理の探求と学問の発展のため、またあらゆる人々が人格を陶冶し、豊かで幸福な人生を享受するための教育の興隆に貢献する。

 とある。

 無宗教である私には、仏法については詳しく分からないが、読んでいるかぎり崇高な理想であると思う。
 
 前回「奇妙」としたが、この理念をぜひとも公明党(混迷党)や創価学会の組織改革を働きかけてもらいたい。
 
 なぜそれができていないのか、「ねじれ」が修復されないのかは、よく分からない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする