結局、やや続いてます。
それで、「巧言令色鮮し仁」なんて言葉があるぐらいだし、口八丁な人について胡散臭いと感じる感覚というのはあるわけで、こういうのは日本人のいいところかな?と思わないでもない。
しかし、日本人はうそ臭い話にだまされないかというと、まったくそんなことは無いですね。
まことに不思議というか、いかにもインチキくさい話にだまされるっていうのがずいぶんあるわけですね。
いかにもおかしな宗教、明らかに詐欺っぽい詐欺、そういうのにはまる人というのは後を絶たない。
もちろん、そういうことをやる人も後を絶たない。両方いないと成立しないし。。。
あるいは、なんで郵政民営化の選挙だっていったらそれに乗っちゃうんだろ、という疑問のタネは尽きないわけですが、
要するに騙されたいのではないだろうかね。
いつもどんなものにでも哲学してたら疲れるわけですね。何でも懐疑的になっていたら肩がこるわけですね。
自分で考える、自分で判断してその自分の行動に責任を持つのが面倒になるのだ。
思考停止は楽なのよ。
「一年で元金が二倍になります。私を信じなさい。」って言ったって、普通、信じるわけないんだけど、もう、判断を放棄してしまうのではないかと。
嘘であっても、責任は自分にはないとか、そういう世界に入っているのではないだろうかねえ。
たとえばでつよ、無重力の空間にポンと放り出されたとするでつ。一応空気はあるでつ。
ミニミニロケットみたいなのが背中とかあちこちについていて、ブシュッと噴射すれば動く、つまり姿勢の制御や移動などは可能だとするでつ。しかし、かなりそれは難しい、そんな状況だとします。
まあ、これが自由な状態ってとこですかね。
実際のところ、これは非常に不安定なわけでつ。というか非常に不安を感じるだろね。
そこに、「このロープで体を縛れ。安心できるところに連れて行ってあげるよ。私を信じなさい。」ってなことを言うやつが現れたら、やっぱ信じる人間が多いかもね。
楽だもんね。依存したくなるよなあ。変なとこに連れてかれたら、連れてったやつのせいにすればいいんだしね。まあ、もちろんそいつが悪いということについては間違いはないんだけどね。
*************************************************
では、今日の一曲。
20世紀の作曲家・ロドリーゴ(J.Rodrigo)の「ある貴紳のための幻想曲」。
セゴビアのために書かれた曲であります。
Fantasia para un Gentilhombre (2) - Narciso Yepes
第2楽章。演奏はイエペスだぜ、イェ~。
それはともかく、スタート後、1分10秒ぐらいから良く聴いてくらはい。
これを踏まえて、
Brahms - Symphony No.4 mov.4 - C.Kleiber
ブラームスの交響曲第4番の第4楽章であります。
0分32秒からよく聴いてくらはい。
続きまして再び「ある貴紳のための幻想曲」。
Fantasia para un Gentilhombre (4) - Narciso Yepes
第4楽章であります。
これを踏まえて、
Gaspar Sanz - Canarios - Angel Romero
そのまんまですが、これはもちろんわざとです。
しかしですね、アンヘル・ロメロのこの演奏、ええでんなあ。
追記
ああ、リンク2つもミスってました。それで見ちゃった人、ごめんなさい。(4時27分)
| Trackback ( 0 )
|