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変なタイトルでありますが、曲名ではなくこの二つの話であります。
というか、これは自分のお勉強でし。
一応、前回の続きから入ります。
J.Brahms - Symphony No.4 mov.4 - Sabata BPO
ロドリーゴがまねしたこの曲のこの部分は、「パッサカリア」なんですが、
短いフレーズを繰り返しながら少しずつ変化させているという感じですね。
ただ、普通の(?)変奏曲とも違う感じです。変奏曲ていうと、もっと長い、こうフレーズというよりはパラグラフかそれ以上の繰り返しって感じですし。(あくまでも感覚的なものですから・・)

J.S.Bach - Catata BWV.150
(バッハのカンタータ150番)
2分半ぐらいしたところからの部分(第7曲)が、パッサカリアということなんです。
ブラームスはこれをいただいたらしい。でも、そんなにピンとこないよね。
(ちょと、演奏とか厳しいんですが、ほかにないのだ)
まあ、とにかくブラームスがすばらしい作業をしていることがわかます。

それでですね、
とりあえず、パッサカリアの代表。
J.S.Bach - Passacaglia in C Minor BWV.582
J.S.Bach - Passacaglia in C Minor - Fugue
パッサカリアとフーガでつ。

続いて、シャコンヌの代表。
J.S.Bach - Chaconne from BWV.1004 - H.Hahn 1/2
J.S.Bach - Chaconne from BWV.1004 - H.Hahn 2/2
シャコンヌ。(そのまんまやん)

と、これらを踏まえて進むであります。

wikipedia - chaconne
うぃきのシャコンヌがわかりやすいのでリンクするです。

あんまりシャコンヌはパッサカリアと区別がついてないようだ。オスティナート・バスというのを用いたという点で同じっぽい。
しかも、どちらもスペインあたりが始まりっぽい。どちらももそもそもは舞曲っぽい。
↓こんなん書いてますね。
【このころ、チャッコーナといえば次のような定型のオスティナート・バスを持っていた。】
たたー たたー たたー たたー って感じ。
ま、バッハのシャコンヌの最初が、ゆっくりだけど、たたーたたー♪ ってなってますね。
おそらく昔は、だいたい同じリズムを繰り返していたんでしょう。
わりと元気に踊るような曲だったんじゃないかと。
短いフレーズがどんどん移り変わっていく、かなり活発な曲であったかも知れないわけです。
それを、バッハが重々しくしてしまったのかなあ。

下のやつなんかがそのイメージにぴったりかもです。
Handel-Halvorsen - Passacaglia
ヘンデルの鍵盤用の曲をハルヴォルセンという人が二つの弦楽器用に編曲したものですが、まさに、短いフレーズを少しずつ変化させながら繰り返している、元気な(体を動かしたくなるような)曲であります。これだと曲の雰囲気も造りも非常にわかりやすいです。
(まあ、それでも踊るには無理があるけど。ショパンのワルツと同じですね)
ちなみに、始まりのリズムは、たたー たたー たたー ってシャコンヌと同じだなあ。

一方、バッハと同じ時期の作曲家のパッサカリアがあるです。
Weiss Passacaglia type A
Weiss Passacaglia type B
どっちも同じなんですけど、下のほうがビジュアル重視。わら
ヴァイスという作曲家のパッサカリアです。
バッハのシャコンヌの途中ちょと明るめのところと似てますね。部分的に雰囲気はそっくり。
まあ、元気に踊るというのではなく、非常に趣のある曲、という感じです。
これはリュート(昔のギター)の曲のようですが、バッハのシャコンヌもよくギターで演奏されますね。

J.S.Bach - Chaconne - Andres Segovia 1/2
J.S.Bach - Chaconne - Andres Segovia 2/2
そういうわけで、セゴビアの演奏です。

結局、この二つがどう違うのかわからないのであった。
【どちらもスペインあたりが始まりっぽい 】と書いてみたものの、シャコンヌは中南米が発祥という話も。
パッサカリアはオスティナート・バスがきっちりしているが、シャコンヌは、旋律を繰り返すのではなく、和音進行の「形」を繰り返すなどという話も。しかし、それだと中南米が発祥といのは無理があるなあ。
それじゃあ、シャコンヌは、もともと(17世紀あたりまで?)は快活な舞曲であったが、その後バロックのおじさんたちによって、2拍目が強い(あのバッハのシャコンヌの始まりように、チャチャー チャチャー って感じの)重い変奏曲の一種となった。
こういうのでどうだろ。。。。

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結局、やや続いてます。
それで、「巧言令色鮮し仁」なんて言葉があるぐらいだし、口八丁な人について胡散臭いと感じる感覚というのはあるわけで、こういうのは日本人のいいところかな?と思わないでもない。

しかし、日本人はうそ臭い話にだまされないかというと、まったくそんなことは無いですね。
まことに不思議というか、いかにもインチキくさい話にだまされるっていうのがずいぶんあるわけですね。
いかにもおかしな宗教、明らかに詐欺っぽい詐欺、そういうのにはまる人というのは後を絶たない。
もちろん、そういうことをやる人も後を絶たない。両方いないと成立しないし。。。
あるいは、なんで郵政民営化の選挙だっていったらそれに乗っちゃうんだろ、という疑問のタネは尽きないわけですが、
要するに騙されたいのではないだろうかね。
いつもどんなものにでも哲学してたら疲れるわけですね。何でも懐疑的になっていたら肩がこるわけですね。
自分で考える、自分で判断してその自分の行動に責任を持つのが面倒になるのだ。
思考停止は楽なのよ。
「一年で元金が二倍になります。私を信じなさい。」って言ったって、普通、信じるわけないんだけど、もう、判断を放棄してしまうのではないかと。
嘘であっても、責任は自分にはないとか、そういう世界に入っているのではないだろうかねえ。

たとえばでつよ、無重力の空間にポンと放り出されたとするでつ。一応空気はあるでつ。
ミニミニロケットみたいなのが背中とかあちこちについていて、ブシュッと噴射すれば動く、つまり姿勢の制御や移動などは可能だとするでつ。しかし、かなりそれは難しい、そんな状況だとします。
まあ、これが自由な状態ってとこですかね。

実際のところ、これは非常に不安定なわけでつ。というか非常に不安を感じるだろね。
そこに、「このロープで体を縛れ。安心できるところに連れて行ってあげるよ。私を信じなさい。」ってなことを言うやつが現れたら、やっぱ信じる人間が多いかもね。
楽だもんね。依存したくなるよなあ。変なとこに連れてかれたら、連れてったやつのせいにすればいいんだしね。まあ、もちろんそいつが悪いということについては間違いはないんだけどね。

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では、今日の一曲。
20世紀の作曲家・ロドリーゴ(J.Rodrigo)の「ある貴紳のための幻想曲」。
セゴビアのために書かれた曲であります。
Fantasia para un Gentilhombre (2) - Narciso Yepes
第2楽章。演奏はイエペスだぜ、イェ~。
それはともかく、スタート後、1分10秒ぐらいから良く聴いてくらはい。
これを踏まえて、
Brahms - Symphony No.4 mov.4 - C.Kleiber
ブラームスの交響曲第4番の第4楽章であります。
0分32秒からよく聴いてくらはい。

続きまして再び「ある貴紳のための幻想曲」。
Fantasia para un Gentilhombre (4) - Narciso Yepes
第4楽章であります。
これを踏まえて、
Gaspar Sanz - Canarios - Angel Romero
そのまんまですが、これはもちろんわざとです。
しかしですね、アンヘル・ロメロのこの演奏、ええでんなあ。

追記
ああ、リンク2つもミスってました。それで見ちゃった人、ごめんなさい。(4時27分)

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