つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

顛倒してしまっている・・・

2006-03-28 | Weblog
 英語を分からない人に、英語で語りかけても何を言っているのか分からない。
同じように、経を分からない人に、経を唱えても分かるはずはない。
もし、あなたが死んだとして、偉いお坊さんに成仏できるようにと、お経を
唱えられても、あなたはわかるだろうか?
たとえその声を聞き取れたとしても、果たして何を言っているのか理解できるだろうか?それでどうして成仏していけるのだろう。

死人にくちなしというけれど、はたして本当だろうか?
だとすれば、啓示とされるものはないはずなのに・・・

人は、死んだら何もなくなるとしていながら、今度生まれてくるときには、幸せになろうね、などと言う。矛盾。
或いは、あの世なんて無いといいながら、天国へ行きますようにとか、地獄に堕ちろとか言う。何にもなくなるのなら、天国も地獄も無いものを。矛盾。矛盾。矛盾。
神も仏もいるはずは無いよ、と思っていながら、神様仏様と祈りすがる。

悟りとは何を悟ることなのか、知らないで修行をしている。
知らないために修行しているんだというかもしれないが、目的が分からず、
あるいは、目的とすることが見つけられず、どのように修行すればいいのだろう?
目的がわからなければ、何を悟ったといえるのだろう。

今いる自分がどこからきて、どこへいくのか。
なぜ?と気をつけ、そこから入っていけば、やがて縁起を見る。
法を見る。目的が見える。行為が見える。

亦この世に生まれてきたいと思うならば、苦しみにがんじがらめになっていて、
幸せを苦と思い、苦を幸せと思っている顛倒したなかにある。
救われない世を輪廻する。

苦しいことを乗り越えてこそ幸せにたどり着くとする世である。
そのために、あえて苦しいこと、辛いことに身を置いて耐える。
それがあたりまえとなって、幸せであると考えてしまう。
幸せの道であると・・・。


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