つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

終わりなき世のめでたさを・・・

2012-12-30 | Weblog
♪年の初めのためしとて終わりなき世のめでたさを・・・♪このように謳われるように、
確かに世に終わりは無い。
一日が終わりまた一日が始まるように、
昨日が今日につながり今日が明日につながるように、
一つ一つが区切られて新たに繋がっていく。
終わりは始まりでもあり、始まりは常に終わりに繋がっている。
無くなるということが無い。
無くならないという無いである。
これが世の理である。して、人もまた同じである。

昨日が今日になるわけではなく、今日が明日になるわけではない。
昨日は昨日のあり方を示し、今日は今日のあり方を示す。明日は明日のあり方である。
昨日が今日になり、明日になっていくというのではない。
一という数はどこまでも一であり続け、二となり三となっていくのではないように、
それぞれのあり方を妨げるものではない。
一は一であり二は二である。区切られて繋がっているだけである。
新たに新たにと絶えずに。
文字もそうである。互いの文字を妨げることが無いために文章となって意味が伝わる。

互いを妨げることなく繋がっているのである。

私は私として一生涯を終え、新たに繋がって生じてくるのである。
一つの区切りがある程度続き終えるとき、人は厳粛になる。
その区切りが少しでも長ければ長いほど、終焉に近づくほどに厳粛を思い愛しい。
少しの時間よりも一日が、一日よりも一週間が、一週間よりも一月が、一月よりも一年が、一年よりも十年が、
十年よりも一生が・・・と区切りが長くなるほど愛しくなる。
その区切りがあるために感動がある。
古きもの変わり行くものに愛着を示して幸せを思い、新たなるものに希望を抱く。
飽くなきことに喜びを思うのである。本能として。
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