つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

すぐやる果

2011-06-11 | Weblog
先ずやらねばならぬことを素早くやる。考えることはしなくてよい。
後と先を問答している間に
やるべきことの時期を逃してしまい、元も子もなくなり
良いことも台無しになる。犠牲がつくられてしまう。つくられすぎてもしまう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」なのである。
流れ出る液体を止めるのに、充分な審議をして良案を探り当てても、後の祭りとなるだけである。
今すぐの手当てを今すぐの判断で今すぐ行う、によい結果がついてくる。
道理は、‘助けるものを助ける’である。これは後にあらわれ、後々によくあらわれる。
助けたのに、助けたものが負を負っても、そう見える様だけであって、
真に助けたものの負は無い。真に苦が訪れることも無く、苦となってもいない。
これは智慧の眼でみると知れるものである。この世限りと見る知識の世界では計れないものである。

智慧の判断は即断できる判断で、また、誤りの無い判断である。
なぜなら、道理の判断となる為である。瞬時、寸前のところで忌み嫌うものを避けられてしまうものである。
俗世、世の中というのは、よい人でも、よいことを為していても、よからぬことに出遭うものである。
入り乱れての世であるために、対処しうる術があり、ともあれ、
簡単を持ってことを避け、善処できる間を作る。
知識か智慧かの差が長短の差となって、
思議と不思議の別になり、最悪最善の差となってあらわれていく。
それは、普段から小さくも
自を律し、他を利してを心がけていれば備わってもいく術である。
平生の中にはさほどでもないが、異状の中では特に顕著となる。

怪我をしたものが手を借りて回復を図れば、金がかかる。多額の金が無いからといって放っておけば大事に至る。
死んでしまうことにもなる。
命が金ではかられてしまうのもおかしなものだが、まず、助けることが先決となる。
誰でもわかることである。
助けることに最速であれば、どうあれその果は
よい方向となっていく。やがて、金も心も穏やかになる。
コメント
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