『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

お知らせ

津・松阪地区で高校入試における内申でお悩みの方は、無料相談承ります。
メール(reimei.nakayama@gmail.com)またはお電話(059-255-1123)で、れいめい塾まで『内申の件で』とご連絡ください。

駐車場で腹筋・・・さぞや巷じゃ噂されてるやろな

2013年08月06日 22時24分26秒 | 塾の風景

中2が駐車場で腹筋・・・宿題を今日までに終えるべし!との通達が出ていた。・・・俺からではない、さつき(21期生・名城大学人間学科4年)からだ。

さつきが中2の宿題を一人ひとり刺殺・・・じゃない、視察。それもあって人也と智照が夕方から腹筋30回である。教室からバスマット持参で階段を降りていくのを俺は塾生のお母さんと話ながら一瞥・・・大変やな。

中3の馨五と丈一郎が足を抱えているわけで・・・懐かしい風景ではある。

昔は上体を起こす速度が緩むと3階からバケツ一杯の水が注ぎ落ちた。それに比べると牧歌的な風景・・・思わず和んでしまう。

 

中3には8月テスト対策の門d内周を配った。予定では盆までにやりたい。

明日は久しぶりの里恵(7期生・国語講師)降臨・・・というか、今もいて真ん中の部屋で歯痛の薬の解説をしてくれた。さすがに整形外科のゴッドハンドの施設秘書だけあり、薬のことはよく知っている。何せ、谷君の奥さんから貰った薬がいろんな薬と混ざって分からなくなってしまった・・・経営と同じく、管理能力のなさを露見した。

とりあえずはアイスクリームをかじりながらロキソニンを放り込む。

 

里恵の中3の授業は明日の午後4時半あたりから。

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ドラマのない時代やな

2013年08月06日 20時25分44秒 | 塾の風景

午前3時に起きて寝つかれない。結局は英単語のプリントを打ちながら朝を迎える。奥さんは大阪だ、そういや昨日から何も食べてない。

昨日の兄チャンに言ったっけ、「俺は何も食べなくとも与えられた仕事はする、約束は守る。ところがオマエは約束を守らないことに何ら頓着しない。不思議やな。例えばサッカーの試合でコテコテに負けたとする。課題満載、皆で相談して明日から練習を始め、課題克服に努めようと決まった。翌日は午前9時に練習開始、そう言いあって別れた。ところが一人の選手が来ない。聞けば友達と遊んでいたと言う。オマエなら、この選手どうする?」 「怒ります」 「じゃあ、最長学年なのに練習を途中でやめて帰っていく、説明なしだ。下級生の視線も冷たい。そんな時にオマエが指揮官だったらどうする?」 「怒ります」 「立派な指揮官や・・・ところが、その選手が今のオマエだ」 「・・・」 「一度も練習に来いという約束は守っていないし、ふらりと来ては好きな時間に帰っていく。中1よりも早くだ」 「・・・」 「で、明日はどうする? 練習開始は朝の9時だ」

 

午前9時・・・兄チャンは来なかった。

午前中に茉穂に「今日の英文法はどこがいい?」と聞くと「不定詞」と答える。じゃあと不定詞のプリントを準備したつもりが、なぜか5文型のプリント。皆が解き終わってから解説、やっとその時になり気づく。「これって5文型やん!」 2文型動詞の問題や授与動詞の問題が並ぶ。せっかく茉穂からの初めてのリクエストだったが仕方ない。粛々と解説する。

不定詞は明日やな。茉穂、ゴメンな。

丈太郎が塾を続けるというので手続き書類をと急かす。ご両親充てに送る手紙だが、内容を丈太郎に読ませる。志望高校を***にすると書いてある・・・意志の確認。「最後に決めるのはオマエだ、でも俺はその覚悟で行く。俺がその覚悟でいる以上はオマエにもそうであってほしい」 「はい」 「で、どうする」 「いいです」

「ところで先生」と丈太郎。「なんや」と俺。丈太郎の口からは件の生徒の名前が出る。練習嫌いの選手だ。「塾に来るって言ってましたよ」 ・・・そういや同じ中学か、「そりゃない、もうゲームセットだ」

 

午後からは去年の三重県統一模試に入る。まずは第一回・・・今日は数学と理科と社会の3教科。途中で塾生のお母さんがいらっしゃって中断。まあ、中3には宿題が捗っていない生徒も多く、タイミングが良かったみたい。

まあ、いろんな話がある。そこそこのことでは動じない自信があった俺だが、いやあこればかりはね。57歳・・・馬鹿だよな。

 

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サプライズ、響きはいいが、所詮サマ師

2013年08月06日 00時10分41秒 | 塾の風景

橋本ドクターがウチの塾の講師におさまるまでにはいろんなことがあった。あの頃は携帯がない時代だ・・・俺はいろんな講師&家庭教師募集の広告を塾のホワイトボードに貼っては毎日眺めていた。本屋で本を探すときと似ていた。何度も何度も行きつ戻りつしていると、本が語りかけてくれ・・・おいおいおい、俺様を買え!ってね。

そして何がしかのインスピレーション・・・としか言えないが、俺は連絡をして、ウチの塾がどんな塾か、当時の広告と希望事項を送る。津の田舎のほうの一軒家に住んでいた橋本君にだ。牧歌的な時代・・・そしていざ橋本君、当時三重大学1回生だったか、塾に来る日時を決めての初訪問。ところが俺はいない。そのあたりの詳細は俺には分からない。ただ、その話を塾関係者に心底嬉しそうにする橋本君の言葉を借りると、以下の感じだ。

「俺が初めて、れいめい塾に来たわけさ。塾頭と連絡取り合って、日時を決めてさ・・・ドアを開けると生徒が勉強している。先生は?って聞くと、入院してます。俺、慌てて聞き返したもん、塾頭は?って・・・じゃあ、同じ答えが返ってきてさ、で・・・なんで塾頭は入院したの?って・・・するとさ、2階から酔っぱらって飛び降りましたって、意味が分からなくって聞き返したよ。なんで塾頭は入院したの?って・・・やはり答えは同じ、酔っぱらって2階から飛び降りましたって・・・心底、呆れた。でも、他の生徒たちは何事もなく勉強してるしさ。2階に上がっていくと、大学生らしき奴がいてさ、詳細を説明すると・・・ああ、先生から聞いてた、医学部やんって・・・同じ三重大生だと聞いて少し安心、で俺は何をすればいいのって聞くと、そこらへんに座って質問があったら教えてやったらいいって・・・いやあ、呆れた・・・面談にやってきたら塾頭が不在、それも入院。その原因が酔っぱらって2階から飛び降りた・・・その時の俺の気分、分かるか?」

思えば、あれがサプライズ第一弾だったのかもしれない。

ほぼ塾にも慣れた1年後、橋本君は塾生からの電話・・・どうしても分からない問題があって、橋本先輩教えてくれませんか・・・こんなSOSにほだされて塾に登場、あの時は紫色のマツダの車。俺はほくそ笑んで見ていると、車から出てきた橋本君に塾生がビールをかける! やった・・・哄笑。思えば、あれが第二弾だっけ。

 

橋本ドクターにサプライズの楽しさを教えたのが俺の唯一の功績と言えるかもしれない。

呉の花火大会に北野君(築地の大きな病院)が間に合わないと聞いたのは到着すぐのこと。それも『ふじわら』の大将からだ。「あいつに食わせるには冷えた鶏ではかわいそうやしな、なんとか時間の調整して、目の前で焼いてやりたいんや」

『ふじわら』・・・阿漕駅近くのヤーサン御用達のような佇まい。決して医学部生が来ないような場所、そんな場所に飲み屋を探していた橋本君と北野君、提灯に明かりが点いていたことで偶然乗り込む。決して愛想のよいマスターじゃない、むしろ不愛想。話題をふっても無視、話もはずまず焼きあがった鶏を置く。ところがその鶏の美味いこと・・・絶品という評価が二人のなかに出来上がる。それ以降は頻繁に、そしてその輪の中に俺も誘われて入り込む・・・阿漕駅の近くに滅法鶏がうまい店がありましてね、大将はやからの法被を着たような人で不愛想この上ない。ところがここの鶏がめちゃくちゃ美味い。特に皮、それと手羽、あれは絶品です。塾長、是非!・・・てな流れで俺も毎日のように医学部生たちと未明まで飲み明かす日々。

北野君が大将の焼く鶏皮と手羽に最後にありついたのは留学前のことだ。今から5年ほど前の初夏、確か橋本君が呉に「橋本クリニック」を開業した年だったと思う。そしてその年の秋、北野君はアメリカへ留学。奥さんと二人、サプライズとばかりにセントレアで待ち伏せ。驚愕する北野君をスカイデッキで見送った。あの日から5年だ・・・。

阿漕駅近くの『ふじわら』は今はない。しかし、橋本ドクターの尽力で『ふじわら』の大将に無理を言って、1年に2度だけ開業してもらう。夏の呉の花火大会、そして大晦日のウチの塾での飲み会だ。その都度、橋本ドクターは北野君がこよなく愛した『ふじわら』の大将の焼いてくれる鶏皮と手羽、さらに裏メニューだったハンバーグを face book 越しにアメリカへと送る・・・最低な友人っぷりを素で演じてみせる。

今年の呉の花火大会、やはり多忙ゆえに大将が焼鳥を提供する時刻には間に合わない。橋本ドクター、あいさつでうまいことを言った・・・この会はいわば、ゆる~い飲み会です。しかし津市の朝日屋から送らせた大量の松阪肉、橋本ドクターごひいきのコストコからこれまた大量のズワイ蟹、そして『ふじわら』の大将の焼く絶品の焼鳥・・・途方もない贅沢なアテが並んだ、ゆる~い飲み会である。

この会も5回目を迎えた。年々、子どもたちのイベントも充実、割り箸鉄砲や流し素麺、ヨーヨーすくいにスイカ割り、そして最後のオリエンテーションまで・・・完成度が高く、準備に手間暇をかけた様子が窺えた。『ふじわら』の大将の焼鳥も認知度抜群であり、焼きあがると皆が並んだ。

橋本ドクターがマイクを握る。ちなみにこのカラオケセットも、このためだけに買ったらしい。「ふじわらの大将の屋台に行列ができるという異常な事態になってます。客がたくさん待っていると切れてしまう大将を知ってるだけに、いつ切れるのかとドキドキものですが・・・」 笑いが上がり、並んでいた人波が引く。「いやいや、突然客がいなくなるとそれでも大将、また切れるんですが・・・」 爆笑・・・いやはや、いつのまにかMCうまくならはって、やっぱ幼稚園の役員で鍛えられたのが大きい(笑)。

「実は今日は僕にとって1年で一番長い一日になるわけです。今はいませんが、この時間に東京から新幹線に乗り込んでここに向かっている友人がいます。その友人は最終で呉に0時前に到着します。彼を迎えることができて、やっと僕の長い一日が終わります」

150人前後の人たちが花火大会のもう一つのイベントとして、ゆる~い飲み会を満喫する。開業医のドクターに勤務医のドクター、MRや広告会社の方々、幼稚園で知り合った人たち・・・。去年までとは違って楽しみ方に余裕がある、居心地良さそうに行きつ戻りつ、いい気分の大人たち。そしてBGMは子供たちの歓声・・・呉の地に居を定めて10年あまり、よくもこんな暖かい空間を作り上げた・・・橋本ドクター、グッジャブやで。

 

呉駅で北野君を待つ間、橋本ドクター俺にささやく・・・「塾頭、実は北野には明日ふじわらの大将の焼鳥を食べさせる計画を練ってます。さっき、大将には承諾を得ました。場所は今日の会場です。大将は明日の朝から準備に入ってもらいます。だから塾頭、絶対にこのこと北野に言っちゃダメですよ」 満面の笑み・・・いたずらっ子の笑み。

100m先からでも分かる三重大学医学部ラグビー部、さらにパワーアップしての登場・・・午後11時50分。改札口から出てきた北野君に大将、「なんや、北野! われ、えらい太ったんとちがうか」 「いやあ、・・・太りました」 「俺の焼鳥ないのに、よう来たな」 「それですよ、ほんま泣きたいですわ。どうしても仕事が詰まってて・・・ニューヨークにいた時から夢にまで出てきましたよ。そんな僕に橋本の奴が、大将の焼いた鶏皮や手羽やって、写真を送りつけてくるんですよ」 「そうかそうか、そりゃ残念やったな・・・まあ、こればかりは仕方がない。またの機会やな」 「ほんま、・・・ほんま残念ですよ」

みんなで今の時間でも営業している『和民』に向かう。 北野君は橋本ドクターと並んで歩いている。思えば、北野君に留学することを強く勧めたのが橋本ドクターだった。そして、ニューヨークでの留学生活の兵站の一部まで担った。

かつて『ふじわら』のすすけた座敷で輪になって飲んだくれていた二人、医療の限界と可能性から好みの女の子の話まで、青春の真っただ中にいた二人・・・その後、一人は勤務医生活を送り、上司への確執から開業を果たした。そして残りの一人は追われるようにアメリカに旅立ち、研鑽を積み、望まれて今、日本の癌治療の最前線へと第一歩を踏み出す。

俺は阿漕駅の雑踏のなかにひっそりと建つ『ふじわら』の頼りない明かりを思い浮かべ、万感の想いを込めてシャッターを切る。

 

 

この稿続く。

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