目覚めたのは午前8時半。
いつものように森下がパソコンを叩いている。
21日に京都から戻ってきてからずっと規則正しい生活。
真夜中に論文を書く。
日中に塾の片隅で捨てられた犬のように仮眠を貪る。
電信柱みたいな森下ゆえに場所は取るのだが・・・。
その森下、ここ数日はとみに緊張感に溢れている。
論文作成が佳境に入っているのかもしれない。
論文とは別に森下が懸念している問題・・・大西君。
大西君と連絡が取れないこと。
森下と大西君は部屋をシェアしている。
京都と離れた久居からの連絡方法は大西君の携帯かシェアしている部屋の電話。
これが繋がらない。
両方とも繋がらない。
朝も昼も晩も繋がらない。
真夜中も繋がらない・・・。
大西君は抑鬱剤と眠薬を併行して飲んでいる。
その大西君、出版予定が決まっている書籍に掲載する論文の締め切りを越えている。
その締め切りは2日前だった。
大西君の論文が出ないと出版社に持ち込めない。
全ての原稿が出揃い、あとは大西君の原稿を待つ状態。
頭を下げて出版社に待ってもらっている状態なのだ。
皆が必死に大西君に連絡を取ろうとしている。
行きつけの『あげたて』のマスターは先週の土曜日に店に来たと森下に証言。
昨夜、森下が俺に言う・・・「3日前って微妙やな」
「なんで」
「人は3日では死なへん。その意味では安心、でも微妙なとこや。飲まず食わずで寝てるんとちがうかな」
「たしかにな」
「予定では日曜日あたりに京都に帰るつもりやったんやけど、論文の仕上がり次第やけど、明日あたり帰ることになるかな」
起きぬけの冬眠から覚めた俺に森下がボソッと言う。
「大西さん、つかまったよ」
「何しとったんや。やっぱ部屋で寝てたんか」
「病院・・・入院しとった」
「そうか、今までもやっと連絡とれたら入院してたってことあったよな」
「うん・・・2日前にまさかと思ってその病院に直接連絡したんやけど」
「その時はおらんかったんか」
「うん・・・」
「で、原稿は」
「できあがってるって」
「そりゃ良かった」
俺の安堵に森下が緩慢な笑みを返してくれる。
まだまだお楽しみはこれからだ・・・そんないたずらっ子の笑み。
とまれ8月31日・・・やっと終わった。
夏休み・・・も終わった。
しかし、それよりも俺のダイアリーがとりあえずは終わった。
去年の9月から「せめて今年一杯は毎日書こう」と心に決め・・・。
年が明け、受験真っ只中の硝煙の匂いを残しておこうと、「3月末まで書こう」と。
そして4月に入り・・・行きがかり、それでも「1年間続けてみようか」との目標を掲げて・・・。
やっと今日で1年・・・。
毎日日記を書く行為、とことん俺にはむいてへんわ。
午前9時半、郁が登場。
当たり前だ。
試験まで1週間切っているのだ。
森下が格闘しているテーマはアメリカ初期の環境問題。
高校生の教室の一角にベースキャンプを設けている。
その位置からよく見えるところにホワイトボードがある。
ここに環境問題に関する難解なタームが書き連ねている。
門外漢の俺には全く分からない。
まず、字が下手やしな・・・。
その森下、いつものようにボソッと言う。
「論文エントリィに投稿したんさ」
「今書いてるやつか」
「いや、今書いている内容の概要を400字で書いただけなんやけど。先輩からは採用されるのはコネが多いって聞いてたから期待もしてへんかったんや」
「で、どやった」
「受かった」
「そりゃ、すごい。何人くらい採用されるねん」
「はっきりとは・・・4、5人かな」
「全国で!」
「うん」
「そりゃ、ホンマすごい!」
「でさ、締め切りが4日なんや。てっきり落ちると思ってたからもう一本発表予定の論文もあってさ」
「その締め切りは」
「11日・・・」
「めちゃくちゃ大変やん」
「まあ・・・」
素直に喜びゃいいのにマージャンで2600和ったような顔をしやがって・・・。
森下もそうだが、大西君も、前田も・・・みんなみんな学士さんは身体を削って論文書いてまっせ。
好きやなきゃできへん仕事やな。
その森下のベースキャンプ、昼過ぎから無人・・・。
書きかけの論文がそのまま、ノートパソコンもほったらかし・・・。
午後8時になっても無人のまま。
この緊急時、これだけのエスケープはない。
異常事態勃発?
大西君の様子を見に京都までひとっ走り・・・その線はある。
午後8時半、森下登場。
「どこへ行ってたんや」
「うん?・・・家」
「あ・・・そう。俺はてっきり京都まで大西見舞いショートサーキットかって」
「いやあ、・・・生きてるってのが分かったんやから、そこまでしなくっていいでしょ」
学士さんの生活・・・わき目もふらず我が道を行く・・・厳しい道でんな。