『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

2000.4.25

2000年04月25日 16時45分42秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集
8期生の山田公則が結婚した。去年成人式を迎えたばかりの22歳。相手の梢ちゃんは新潟出身の美人だ。そんな幸せいっぱいの公則だが、公則には申し訳ないことをしたと今になっても悔やむ出来事がある。

 公則が中学2年の時のことだ。その当時ウチの塾では1年先輩の合格発表を中2が見学に行くというのが恒例行事となっていた。「勉強しろ」「勉強しろ」と口をすっぱくして言ったところで、中3にとっちゃ今いちピンとこないはず。何をするにもビジュアル世代、受験の原風景めいたものがあったほうがいい。それまで塾という同じ空間内で過ごしてきた先輩たちの合格発表という風景。歓喜する姿、あってほしくないものの落ちた時の苛立ち、動揺。受験とは何か? そんな問いが空しく響くほどに、あの合格発表の現場には受験のすべてがある。百聞は一見にしかず。しかしながら当然にして合格発表の日も授業がある。つまりはこの恒例行事、ご父兄の承認を得ての参加。しかしこの「密航」、公則の代で終わりとなった。公則のほか、日比均梅村雅洋が見守った7期生の合格発表の会場に公則の中学の先生たちも姿を見せていた。そして学校をサボって合格発表を見にきていた公則たちを発見、翌日職員室に呼び出しを食らうことになる。公則は当時男子バレー部のキャプテンだったが、罰としてキャプテン降格。勉強よりもバレーが大好きで学校へ行ってるような奴がキャプテン降格、消沈して塾に姿を現した公則の表情を俺は今でも忘れることができない。

 公則の成績は2群のボーダーあたり。その気にさえなれば2群が射程距離に入るものの、こ奴はバレーを取った。キャプテンは外されたものの、やはり公則はチームの要。西郊中バレー部は順当に県大会に駒を進める。春の大会で優勝していたものの雪辱に燃える他のチームから徹底マーク。準決勝の上野工業戦で敗れることになる。夏の夏季講習、高校進学の話し合いで高校バレーの伝統校、松阪工業に進学することに決定。塾に来る日を減らし、年末に大阪で開かれる全国大会に向けての練習に集中することになった。三重選抜チームのキャプテンにも選ばれた。公則はオールラウンドプレイヤー。手強いスパイクも打てるし、セッターとしても一流。時折見せるトリッキーなプレーも絶妙だった。ただ惜しむべきは身長のなさ、どうしても175cmから伸びなかった。大阪の街にクリスマスソングが流れるなか、三重選抜は沖縄代表とぶつかった。しかし敗れ、敗者復活をかけた東京代表との戦いにも敗れた。翌春、公則は松阪工業に進学した。試験には落ちるはずがなかった。当然のようにバレー部に入部。公則を熱心に松阪工業に誘った監督のもとで高校バレーの世界に踏み入るものの、やはり公則の身長は伸びなかった。180cmないとレギュラーになれないという不文律が、その当時の松阪工業バレー部にはあったという。ウチの塾は大学受験をする者のみが高校生になっても塾を続けることになっている。公則に大学進学の可能性があるにしてもバレーの推薦と思われた。塾は高校進学時にやめ、俺との関係も途絶えた。俺もまた新しい学年が始まり多忙にまぎれ、公則と顔を合わせる機会もなくなっていた。懸念していた身長のことも忘れていた。高1の暮れ、公則がクラブをやめそうだと姉の智ちゃんが言った。理由はやはり身長、どうしても伸びなかったという。180cmを超え次々と準レギュラーになっていく同級生を横目で見る1年間。そのなかには三重選抜当時の補欠だった面々がいたという。技術が足らないのなら諦めることもできようが、身長という天賦のものが足りない。公則の気持ちは痛いほど分かった。しかし俺は言った。直接にではなく姉の智ちゃんに。公則はとんと塾に寄りつこうとはしなかった。「かつて神戸小学校の時に全国大会に出場した時にも、コートの外から自分達を見つめる補欠の姿があったやろ。中学でもやはり補欠の面々は黙々と練習をし、いつかはレギュラーの座をと夢見ていたはずや。今までいい目ばかりを見てきた。それが一転して補欠落ち、くさるのは分かる。でもな、今までオマエの陰に隠れてレギュラーになれなかった奴らのためにもやめるな。その子たちに失礼だろうが」 しかしその時の俺には説得できるだけの神通力はなかった。その件に対する報告もなく、いつしか公則はクラブをやめた。そして音沙汰もなかった。

 公則にもうひとつ真剣に説得する希薄に欠けていたんじゃないか?幾度となく思い返した。中学時代のクラブの実績で鳴り物入りで推薦なんぞで高校へ進学していく。しかし高校でもスクスクと伸びていくかどうか、バクチのようなものだ。塾生のなかにもクラブ推薦で進学するものの、いつしか期待通りの実績を上げることができず挫折。クラブをやめるだけならまだしも、中退する生徒たちを何人か見てきた。才能というものの危うさ、幾度となく「あの時にこう言ってたら」などと砂を噛むような無力感を感じる夜があった。

 ただ公則は中退することなく高校を卒業した。高3のクリスマス、日比・梅村などと酔っ払って塾に姿を見せた。「先生、久しぶり。陣中見まいや」と言っては、大きなファミリーマートのビニール袋を差し出した。中にはパンやらスナック菓子やらが入っていた。2階から中村祥宜名古屋大学工学部)と清原千周南山大学経営学部情報管理学科)が降りてきた。公則の姿を見とめると微笑んで言った。「久しぶりやん」 「祥宜、勉強のほうどうなん」 「もうダメ、浪人や」 隣にいる均が言った。「なんで大学に行くのか、俺には理解できんよ」 祥宜の視線が公則の隣にいた女の子に移った。そのかわいい彼女、チョコンと頭を下げた。

 そして8期生は卒業した。祥宜と清原は大学に進学し、均は就職、公則と梅村は専門学校へ。公則は高校よりキツイわ!なんぞとブツブツ言いながらも建築関係の専門学校に通い、2年後に卒業。就職も建築会社、ゆくゆくは父親の会社を継ぐ準備に入ったようだった。しかし不景気のこと、突然新潟への出向を命じられたことから両親が硬化。遠くよりは近くで修行をさせようと、久居にある知り合いの建築会社への就職を希望した。問題は公則に付き合っていた女の子がいたこと。しかしその女の子、公則と離れるのは絶対にイヤ!とばかりに2人して帰郷した次第だ。

 4月22日、俺は懐かしい面々と結婚式の会場、東洋軒の2偕のテーブルに座っていた。均は雨の日もバイクで会社に通うほどにバイクにゾッコンだったはずが、いつしか車に変わったそうな。梅村はガソリンスタンドで働いているそうな。来賓は極力控えめで友人中心の公則らしいシンプルな結婚式だった。新郎と新婦が一人一人にケーキを手渡すというので、俺は均と梅村を伴って公則に近よっていった。公則は満面の笑みをたたえていた。俺は尋ねた。「公則、この衣装、貸衣装か?」 「うん」 「そうか、それで安心したよ」 俺達3人はケーキを手に持って公則の顔にぶちまけた。ケーキは顔からスーツへとただれ落ちた。会場内に悲鳴がこだました。そして俺達はカメラマンに注文した。「記念写真を撮ってくれ!」

 このあたりの描写は後から聞いた。いつものように記憶が途切れている。結婚式が終わり公則の家で近所の人達と祝宴が始まった。その時に結婚式での顛末を聞き俺は言った。「でも本当に貸衣装で良かったよな」 ニヤニヤ笑いながら均が言った。「でも先生のは自前やろ」 「当たり前だろ。40過ぎて貸衣装というのもヤバイだろ」 「じゃあそれ、どうするの」 「何が」 「先生の礼服」 俺の礼服にも公則の貸衣装に負けないくらいのケーキのあとがこびりついていた。俺は静かに言った。「あのな、均。40過ぎたら礼服の一着やニ着持ってるのは常識やで」

 翌日、奥さんは一張羅の礼服をクリーニングに出した。果たして5月4日の長谷川君の披露宴までに間に合うのだろうか。

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2000.4.18

2000年04月18日 15時50分50秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集
15日の土曜日、村田君三重大学医学部)が姿を見せた。そして「先生、約束のものです」と渡してくれたのがタイのバンコクの地図2組。

 村田君が深刻な顔をして「先生、どんなバイトでもいいですから仕事をさせてもらえませんか」と頼んできたのは高校入試も終わり一段落ついた頃。新高1の春期講習に入った頃だった。聞けば友人と旅行に行く計画を立てたものの先立つものがない。窮余の果ての直訴となったわけだ。今年は広告をカラーにしたこともあり塾としてもきつい春休みを迎えていたわけだが、村田君の深刻そうな表情に負けてしまつた。ただ、彼が言った「時給千円でもけっこうですから」という発言の重さ、これは吐いた本人にもその重みを感じてほしいことから春休みの新高1の授業を普段の時給三千円を割り引いて二千五百円でしてもらうことにした。3月いっぱいで2次関数と数列までを終え、4月4日にバイト料を渡した。定番の物理の授業は通常の三千円、新高1の数学は二千五百円で複雑な計算となつたが、村田君これでなんとか友人とタイへ旅立つことになつた。

 高1の教室の壁には無数に外国の地図が貼ってある。すべて塾生から土産をねだる形でせしめた数々。酒なんて売るほどある。タバコは国産であろうと外国産であろうと受け付けない。チョコレートなんて甘すぎて糖尿病に悪い? とにかく地図を買ってきてよ!とねだる43歳。ナイル流域の地図は西村が買ってきてくれたもの。東南アジアは邦博。

  海外旅行ネタでクイズを1問。奥田邦博(立命館大学文学部哲学科今春卒業)は、学生時代その当時つきあっていた彼女とある都市でクリスマスを迎えたという。その都市はどこか?

 邦博が大学3年生の冬だったと記憶している。どこから見つけてきたのか、交通量調査のバイトを京都から遙か九州まで徹夜で行って徹夜で帰るという強行軍でこなしていた。何をするのやら?と思っていたら彼女と行く旅行費用を貯めてるんやと、健気な発言。蔵王か富良野あたりでスキーかなと考えていた俺、そんな俺にその年の暮れに姿を見せた邦博はチョコレートをくれた。「先生、おみやげ」 そのチョコレートをひと目見るなり俺は年甲斐もなく叫んだ。「人生舐めやがって!この野郎」 チョコレートはパリの土産だった。こ奴、クリスマスの一週間前に彼女と二人で゜パリに入り準備万端でその日を迎えたという。このクイズ、邦博の派手で女に貢ぐ性格を先刻承知の先輩連中はグァムあたりまでは予想していたものの、まさかのヨーロッパ。それもあまりにも絵になりすぎるパリのクリスマス! 青木の健ボー(れいめい塾初代講師、現在アイホン勤務)なんぞ「パリ!?」と叫ぶや、すかさず邦博の頭をはたきながら大音響で罵った。「誰様やと思とるねん。こいつ、人生なめとる!」

 塾を始めた当初、閑散とした塾のなか、勉強の手を止めては2期生の西村和浩たちによく旅の話をした。俺が高校生だった頃の話だ。暇があれば自転車に乗り全国をまわっていた。風景明媚なんぞ無縁なツアーだった。ただひたすらにペダルをこいだ。そしてただひたすら考えていた、この道を行くとどこに着くんだろうかと。いつも地図を持たずに家を出た。大学生になっても状況は変わらず、暇と金さえあれば夜行バスに飛び乗っては次の朝を目指した。目的地なんてどこでもよかった。しかしそんな自由を渇望する俺の旅も所詮は国内止まり。海の向こう側に目を見据えることなんて頭から抜け落ちていた。西村は名城大学在学中、休学することなく数回に渡りヨーロッパを旅行し、海外を旅する魅力にはまったようだ。そして就職が決まった頃にエジプトに旅立っていった。こ奴なりにアレンジした海外旅行での話、それを目を輝かせて耳を傾けていたのが邦博だった。そして邦博は大学在学中、のべ2年間わ海外で暮らした。今年の正月もクロアチアで迎えた。就職前に挨拶がてら顔を出した邦博は塾のパソコンをいじくり、ヨーロッパのあるホームページを画像に映しだした。そのホームページのフロントページには10人くらいで撮った記念写真らしきスナップがあった。一人の人物を指し示して言った。「先生、これ僕や」 パリのクリスマスをともに過ごした彼女はいつしか旅の途中で、別の小道へと歩みの向きを変えた。そして邦博の弟、章貴東北大学から今春、中部電力に就職)もまた、兄貴に誘われるように海外の埃を身にまとう生活を送ることになる。章貴はヨーロッパを中心にアフリカまで足を伸ばした。そしてスペインなどでボランティア活動にいそしんだ。こ奴もいつしか留年が決まっていた。

 タイの地図をどこに貼ろうかと思案しながら俺が村田君にたずねた。「タイはどうやった。ここ最近はバンコクが東洋のニューヨークだって言われてるらしいけど」 「ええ、これがもうめちゃくちゃ! たまたま僕たちが行った時っていうのがタイのお正月だったんですよ。だから国中がどこもかしこもウチの塾のケーキ投げ大会みたいなんです! いたる所で何かを投げまくり、ドロ水をかけあってる!」 「でどうだった。楽しかった?」 「ええ、すごく楽しかったです」 「そりゃよかった」 タイのケーキ投げ大会、是非一度見てみたい。

 和司ちゃんに「あとどこの会社が残っとるねん」と水を向けると「中部電力が来週の火曜日(18日)に試験です」 「中電か。章貴が入社したてやけどな」 しかし章貴と和司ちゃんの間には直接には付き合いはなく、塾の6期生と8期生。2歳離れた塾の先輩後輩というだけの関係だった。「でも聞かないよりもましか」 俺はさっそく章貴の実家へ電話。邦博がいないのは分かっていた。2年の海外暮らしが応えたのか?邦博と弟の章貴は同時に社会に巣立つ皮肉を兄弟に与えた。邦博の就職先は日立建設機械、今頃は東京で新入社員研修に入っているはず。それに対し章貴は中部電力ゆえに 名古屋あたりにいるんじゃねえか。うまくいけば週末に実家に帰ってくるんじゃないか。たとえ会えないまでも携帯で情報くらいは仕入れられるってね。ラッキー!お母さんに聞くと<明日の夜には帰ってくるとのこと。とりあえずは一安心、俺はお母さんに言う。「でも今年はめでたいですね。2人の息子さんたちが同時に社会に巣立つことになって」 「先生、ほんとに心の底からホッとしましたわ。邦博が1浪して大学に入ったら海外にのべ2年。章貴は現役で合格してホッとしたのもつかの間、ボランティアやなんとか言うて、これまた海外で1年。子供は二人でも、あの二人で普通の大学生なら5人分くらいお金を使わされましたわ!」

 翌日、奥さんがPTA総会に出席した後におち会い、章貴と和司ちゃんで「こんな村」で飲むことになった。章貴の中部電力への就職はいいかげんなものだった。ゼミの教授が電力では権威があるという背景もあったのだろうが、仙台まで出向いたリクルーターを議論でやりこめ名古屋へ帰らしたという。少なくとも電力に関しては勉強していんだろう。それに海外で培ったディベイト能力(昔から鼻っ柱だけは強かったとの噂あり)が加わり、リクルーターを蹴散らしたんだろう。結局、この段階で内定が出たという。そして「形だけ試験を受けてくれ」とのことで4月下旬に名古屋に出向いたという。ちなみに今年の広告「25時」は就職する面々の作文が裏のテーマであつた。受験も就職も俺の頭のなかでは「勝負」というジャンルに収まっている。菊山善久(5期生)・前田崇(6期生)・甚野正和(6期生)・奥田邦博(4期生)・竹中泰(7期生)が最後の作文を「25時」に寄稿した。そのなかに章貴の名前はなかった。これには理由がある。こ奴は学生生活最後の海外旅行にしゃれこみ、なんとカリブ海周辺を探索していたという。

 新入社員研修がようやく終わり、勤務地が岐阜に決まった章貴が横に座る和司ちゃんを眺めて言った。「中村君はどうして中部電力に入社する気になったの? いわゆる入社動機って奴やけど」 「やはり安定しているし・・・」 しばしの沈黙の後に章貴は口を開いた。「中部電力もさ、今年から民営化や。社長が訓示で言ってたけどさ、お客さんのニーズに合わせて会社の方向性も決まっていく。お客さんにサービスしていくんだという自覚がないと会社も生き残れないし、社員もまた生き残れない。中村君、今までの中部電力じゃないんだ。まあ、俺も今までの中電じゃないから就職しようと決心したんやけどな。安定しているからという理由は今のウチの社風に合わないよ」 ここに俺が割り込む。「章貴が内定出たのは試験が終わってからか?」 「いや、先生。僕はリクルーターとの面談段階で、君は内定だからって言われたよ」 「そうか」 和司ちゃんはリクルーターの面談は過ぎて来週の火曜日に試験がある。「実はさ、昨夜、母親が携帯に電話してきてさ、先生が今年、中電を受ける塾生がいるから話を聞きたいと言ってたからさ。俺、同期の連中に聞いたんさ。どんな風に決まったのか?って。ほとんど全員がリクルーター面談で内定を知らされてる。一人だけや、試験の後に内定が出たのわ。そいつはリクルーター面談で落ちたけど試験を受けてきたらしい」 静寂が支配した。「こんな村」は客層が若く騒がしい。そんななかで俺たちのテーブルだけがブラックホールに落ち込んだように静かだった。「中村君」と章貴が口を開いた。「確かに君の状況はよくない。面談で安定しているからとは言っちゃまずかった。しかしまだ分からない。火曜日の試験、がんばれ。高得点を取ったらチャンスはあるよ」

 深夜1時30分、俺は和司ちゃんを送って帰途に着いた。助手席には奥さん、後部座席には章貴が乗っていた。後ろからくぐもった声が漏れた。「何がしたくて中電に入りたいんだろう」 だれも応じなかった。しばし後に声がした。「火曜日か、18日やな」 再び誰も応じなかった。

 現在、その4月18日が終わり日付では19日の午前3時。今夜もまた授業そっちのけでホームページで忙殺された一日だった。そして鵜方の「IZUMI-AMERICAN-SCHOOL」の中里先生から電話。俺の知識のなさ(カタカナに変換できない)を見るに見かねてウインドーズのキーボード操作について延々と1時間以上もレクチャーを受けた。感謝してます。

 そして深夜に竹中泰から電話。酔っぱらっているかどうかをまず確認。大したことはないようだ、これなら正常に話ができる。「先生、勤務地が鈴鹿になりました」 「そうか。おい、ユタカ、三重銀行にシンクタンクあったよな」 「ええ、三重銀総研ですよ」 「和司ちゃん、面接でそこを希望したらしいよ」 「2,3年くらい営業所で勤務してからなら出向できるみたいですよ。なにしろ今日の研修では、その総研の所長がスピーチしてましたから。でも三重銀総研に入る前に大和総研か日本総研に1年ほど行くみたいですけどね」 「そんなんは和司ちゃん、かまへんやろけどな。ところでどうだった、今日は飲み会だろ?」 「ええ、その所長の横に座ったんですけどね。所長から『竹中君、営業所で彼女つくったらダメだよ』なんて言われましたよ。まあ、僕も『とりあえず、自分の不良債権だけは処理しときます』とサクッと言っときました」 「おまえに不良債権なんてあったっけ? いつだってきれいな身体やん」 竹中は気持ちのいい笑い声で笑った。

 深夜、俺はインターネットで大阪大学の本間研究室のホームページにリンクしてみた。そのなかには掲示板があり、もしかしたら和司ちゃんが何か書き込んでるんじゃないか?と思ったのだ。しかし名前はなかった。

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2000.4.14

2000年04月14日 15時48分04秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 中村和司が突然姿を見せた。中村和司、大阪大学経済学部3回生。 就職活動真っ只中、今日も三重銀行の面接の帰りだと言う。

 こ奴に関しては「25時」3月7日号で触れている。 また今年の広告でも作文を掲載している。ウチの塾生には珍しい内容の作文であった。 ドロッとした匂い、暑苦しい勝負論めいた話ではなかった。 かといって爽やかな、涼やかな、とかいう形容詞とも無縁な、つまりは淡々と自分の日々の日常を切り取った、そんな枯れた感じの作文。

 大阪大学のゼミの教授はのたまったそうな、「所詮、君の終着駅は大学院なんだよ」 確かに研究者タイプ。 わざわざ世間の荒波に向かって漕ぎ出さなくてもいいだろうに、俺もまたそう思う。 こ奴の金融ゼミは大阪大学経済学部でもっとも難しい、つまりは成績優秀者のみに門戸が開かれているってわけだ。 当然にして就職先は金融関係が多い。住友系には抜群の実績を誇るそうな。 「金融系ねえ、そんな怖いとこ和司ちゃんに向いているんかいな」と俺は一人ごちる。 和司ちゃんが受けた三重銀行、地方銀行である。地方銀行と都市銀行の違いに社会人になってから気づいた俺に、和司ちゃんこともなげに言う。 「ウチのゼミから地方銀行に就職した先輩は、僕が知る限りいませんね」

 三重銀行ならシンクタンクに滑り込むことを考えているらしい。 面接の相手も「君は一般客相手の営業じゃなくて法人相手かな」との評価を下したとのこと。 和司ちゃんのシンクタンクに出向したいとの希望を聞き、面接担当者さもありなんとの感触だったとのこと。 果たして三重銀行の受け皿はどの程度の奥の深さを持っているのか、興味津々の展開となりつつある。

 ちなみに三重銀行には今年、竹中泰(7期生、中央大学文学部卒)が就職している。 赤色のクライスラージープを購入したばかりのヘビースモーカー、毎朝本社脇の裏道にタバコの吸い差しを捨てては自動ドアをくぐる毎日だとか。なにしろこ奴、面接で「何か得意なことはありますか?」と聞かれて一言。「送りバンドです」  こんな奴でもお堅い銀行業務が勤まると」いうのか? 三重銀行のお歴々、何を期待して採用8人の枠に入れたのか、正直理解に苦しむ。その竹中、久しぶりに姿を見せるや「先生、馳星周の新作読んだ?」と来やがった。「まだだよ」と言うとグアムで焼けた黒人もどき、白い歯を見せて笑った。「満員電車の中は何かなくっちゃね」 「日経新聞読まなくてもいいのか」 「それそれ!俺ってさ、まだ銀行が何をするところか分からなくってさ。この前も簿記の試験があったんだけど、これが頑張ったわりには80点ちょっと」 「いいじゃねえか」 「いやいや、俺の近くの奴の点数のぞいたら半分が満点、残りが96点やら94点。平均が88点とか言ってたから、つまり俺一人で平均点を下げてるんやな、これが」

 このホームページは、うちの塾のなかで最も社会人に向かなくて、それも文系の金融系のゼミに所属している奴が、就職戦線真っ只中でつくった代物。大学で所属しているゼミのホームページを作ったという和司ちゃん、「フロントページのイメージはどうします?」 俺は無造作に言い放つ。「無愛想な奴でいい。読みたい奴は読むなと言っても読む。シンプルでいい。客に媚びない奴をつくってくれ。そして完成したフロントページ。それでもなお和司ちゃん、タイトルには「ようこそ、れいめい塾のホームページへ」となっていた。「ようこそ」なんてノリじゃねえ。この「ようこそ」、なんとか変更しようと四苦八苦したあげく、ようやく今日、4月16日になって削除できたってわけだ。

 れいめい塾のホームページ立ち上げにまつわるネタ、堪能していただけただろうか。なお、和司ちゃんが専門用語と格闘して誰の助けも借りずに制作した大阪大学経済学部本間研究室のホームページは以下をクリックしてください。研究室をクリックし、本間・跡田ゼミのHPに入り込みます。ゼミ生一覧のメニューのなかの一番最後に和司ちゃん自身のホームページもあり、津市のホームページにリンクできるのには笑ってしまいます。

http://www.econ.osaka-u.ac.jp/

  P、S、 出来の悪い生徒に、噛んで含めるようにホームページ制作のイロハを教えてくれた山内宏之。同じく、シンプルなのがいいと言うのに書式を詳細に説明してくれたDEN ちゃん。感謝してます。

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