『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

『コクア』VS『シックス・ディグリーズ』

2012年07月31日 22時33分46秒 | 卒業生

昨日、鳥羽の爽風塾頭に失くしてしまった三重県統一テスト平成20年度の答案をコピーしてもらった。さっそく今日の午後から5教科の試験。アトランダムではない、流れは作っているつもり。一昨日の試験の直線の長さを媒介変数で求める問題、それが今日は三角形の面積に変っている。この問題について来れたかどうかが焦点となる。

 

今日1階のマッツンとこで会った美容室『コクア』の大将のヤンマン(7期生)、今日は東京からの日帰り。夏休みの子供たちを日帰りで実家に預けに来たわけだ。来週再び帰省、子どもたちを連れて帰るそうな・・・父親を頑張ってるやん。

そのヤンマンの髭、ブログではかなりのプーぶりだったがすっきりしている。「これね、マッツンに剃ってもらったんですよ」とヤンマン。「でさ、先生、俺はヤンマンに頭をカットしてもらってさ」とマッツン。つまりは美容室のオーナー同士でお互いの顔でお互いの腕を競い合ったわけだ。

思えばともに7期生、俺が一番激しかった時代の中3をウチの古い塾で過ごした。ブログの下にあるケーキ投げ大会の映像は7期生が中3だった頃の秘蔵のビデオだ。あれから20年・・・ケーキ投げのビデオのなかの俺は35歳、そしてマッツンもヤンマンも当時の俺と同じく35歳。そろそろ自営業者の悲哀も分かる頃だ、そのあたりをテーマに飲み会でもしようか。

 

中2の密航者が8月からもウチの塾を続けることになった・・・これで10人。中2の募集をやめなくっちゃ。

そして今夜、笑顔がきれいな兄ちゃんの密航者が登場・・・三重大学医学部を目指す高3だとか。ウチの塾の内容はよく知っているよう・・・玄太や昴洋(ともに津高3年)から聞いているようだ。塾の説明に加え医学部希望者ともなると裏の説明も・・・。裏の説明、つまりは医学部出身の塾関係者が多くて医学部希望だなんて言うと、それも三重大医学部なんて言えば、やたらしつこくて厳しいアプローチが呉のほうからニューヨークのほうから投げつけられること・・・暑苦しい長老たちがたくさんいることを告げる。

俺もまた暑苦しい説明、それを終えてからさつき(21期生・名城大学人間学科3年)に高校生の部屋に案内させる。そこで宇宙人の百恵ちゃん(三重大学医学部4年)と初遭遇。

「どこの大学を志望してるの?」と百恵ちゃん。「三重大学医学部です」と兄ちゃん。「ふ~ん、私の後輩になるつもりなん・・・」と百恵ちゃん。・・・ここまではさつきからの伝聞、せやけど百恵ちゃんも長老連中と同じ穴の中のムジナや・・・きっと舌なめずりをしたはずや、賭けてもいい。

 

今しがたヤンマンのブログを覗くと今日のことが書いてある。東京へ帰る新幹線からの更新。何が残念って、二人の美容師が覇を競ったお互いの顔を写真に撮れなかったことやな。俺の携帯、たまたま電源が切れていた・・・ったく。

 

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めっちゃ浮いとる

2012年07月31日 18時13分26秒 | 塾の風景

四日市市文化会館・・・だった。ここは以前に塾の集まりに顔を出した場所・・・三泗地区の先生方、とくに環先生にお世話になった。あの時は啓介(拓殖大学3年)を朝明高校になんとか入れようと考えていた頃で、ウチの塾では未知の世界・朝明高校の情報が欲しかったのだ。

啓介は無事に朝明に進学、高校から始めたレスリングだが頭角を現し、国体での活躍に加えて高3時にはアントニアオ猪木主催のIGFに特別参加するなど派手な経歴を引っさげて拓殖大学に進学。大学進学後は須藤元気にシゴかれるという羨ましい日々を送り、日米レスリング対抗戦の代表に選ばれるまでになった。・・・ところが最近、気配がないんやけどな。

閑話休題・・・四日市市文化会館である。

ロックのライヴならぐちゃぐちゃとツッコミも入れるところだが、吹奏楽ではねえ・・・でも、久居中の選曲は難しい曲やったんと思うけど、そんなところやね。まあ、ソロのパートも無難にこなしたしね。久居中の演奏が終わったあと会場に出る時に目立つ目立つ? 芽生のお母さんにすぐに発見されちまう。外では演奏を終えた中学生が記念写真を撮ってもらっている。芽生たちもまたお母さんたちに記念写真を撮ってもらってた。それを後ろからパチリ。

近鉄に乗って塾に戻る。1階でマッツン(7期生・1階の美容室経営)が手を振る。振りかえすとマッツンの後ろから顔を出す・・・えっ、ヤンマン(7期生・美容室コクア経営)やん!

 

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慣れない

2012年07月31日 13時52分15秒 | Weblog


近鉄に乗るのも慣れないが、吹奏楽鑑賞も慣れない。四日市市市民会館にやっと到着。
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今度は明石で飲めるらしい

2012年07月31日 01時36分31秒 | 塾長の友人

少しだけ呉旅行の思い出を・・・。

午前5時前には久居を出たはずが西宮名塩で渋滞、・・・渋滞は想定内だったがこの日は夏休み、さらに連休ともあり想定外の渋滞、高速道路の渋滞表示の距離が延びる伸びる。そんな流れで呉への到着は1時前。診療中の橋本ドクターに連絡すると会場のほうへ直行してくれとのこと。それを伝える橋本ドクターの声からは喜びがこぼれ出る。さて会場、呉港の築地町にある橋本ドクターと付き合いのある医薬品卸の会社・・・

こんな感じのところに『ふじわら』の大将、これまた午前4時に三重県を出発とのこと。京都で森下とサッチャン(ともに研究者)を回収してきた俺たちとは違い、すでに到着して準備に入っている。大将とは大晦日のウチの塾の飲み会以来、その時に忘れていった水筒を手渡す儀式からスタート。

「橋本君が、どうしてもオムライスを作ってくれって言うんでな、今年はこの時間からや。でも先生、今日の暑さは格別や、大変やな」と大将、すでに汗がしたたり落ちている。それでもまずは設営に汗するスタッフの食事が最優先ということで、ホルモンうどん・・・慌ててうどんを買って戻って来たスタッフ、申し訳なさそうに「安物のうどんですが・・・」 「心配せんでええ、どんなうどんでも俺の腕でうまいもんにしたる」 ピリリと唐辛子が効いた甘だれがうどんにからみつく・・・絶品である。

手伝うのは里恵(7期生)。『ふじわら』の大将から直々のリクエストだ。大将は極めつけのヘンコだが、里恵もまた同種なのか、この類の人物には異常に愛される傾向がある。三重中央の整形外科のゴッドハンドと言われるドクターもまたしかり。そして、橋本ドクターも・・・ごにょごにょごにょ。

そして夕方になり、今年の主役といっても過言ではない人物、去年開業したばかりの中西ドクター、明石から新幹線に乗って呉へ見参。

2年前の年の暮れ、12月30日に塾に来たときの中西ドクター、開業か否かで悩んでいた。疲弊する三重県の最前線のドクターたち、その事情は重々承知ながら当時の松阪中央病院の小児科の最前線に立つ中西ドクターの離脱は地元民としては悩ましいところだった。しかしウチの塾の講師をしていた頃とは一変、・・・中西君のやつれきった顔を見てしまっては何も言えなかった。そして去年の秋、西明石に「なかにしこどもクリニック」を開業、俺たちは花束持参で駆けつけた。さてこの日の中西君、「いや先生、今まで経営なんて考えたことなかったから毎日分からないことだらけですよ」 「心配せんでええよ、俺なんかでもなんとかやっている」

午後5時、まずは主催者の橋本ドクターの乾杯でスタート。

出し物には橋本ドクターが某保育園のPTA会長を務め培った、あるいは培われたノウハウで彩られて大盛況。子供たちが安心して楽しんでくれる空間を・・・そのスローガン、裏返せば大人たちが安心して飲める空間をと同義でもある。

中西ドクターは森下(8期生・研究者)を捕まえて、「オマエ、俺を覚えてるか」 「覚えてますよ」 「ほんとか、オマエは今何をやってるねん」 「研究を」 「研究? えらっそうに、オマエが何の研究しとんねん!」 さっきまで経営者然だった中西君、どうやら昔のノリが戻ってきたようだ。

そして橋本ドクターの弟(広島大学病院整形外科)も参戦、中西節がヒートアップしていく。

 

思えば呉旅行、あの頃の俺たちに戻る旅だ。30台後半だった俺、俺を助けてくれた決して優等生ではなかった医学部生の橋本ドクターや中西ドクターたち、そして俺たちの極め付けの思い出は『ふじわら』の大将が焼いてくれる焼鳥・・・あの頃の俺たちは毎晩のように津の場末にあった『ふじわら』で飲んだくれていた。生徒の成績が上がっては祝い酒、下がっては恨み酒。女にふられた仲間を笑い飛ばし、ふられては笑い飛ばされた。いつだって夜が明ける頃、俺たちは別れた。「あの頃って・・・今となっては考えられない時代でしたよね」と中西ドクター、ポツリとつぶやく。

その考えられなかった時代の残り香をかぐために俺は450kmを疾走する。そして『ふじわら』の大将もまた、橋本ドクターの要請に応じて1年に2度だけ、普段の衣を脱ぎ捨てて、あの頃の時代を身に纏ってあの頃と同様、絶品の焼鳥を焼いてくれる。これまた450kmを疾走してだ。

来年のゲストは・・・そりゃ、それまでには凱旋帰国の北野君(ニューヨーク在住)で決まりやろな。さらには、近くにいてもなかなか会えない田丸ドクター(三重大学病院)にも会いたねえ。

その夜の延長戦は『魚民』、橋本ドクター酩酊状態で何度もつぶやく・・・「橋本クリニックがある限り、この会は続けますから・・・本当に僕の道楽ともいえるイベントに遠くから来ていただいて、みんなに感謝してます」 いやいや、俺たちのほうこそホンマに感謝やで。・・・でもな橋本ドクター、お酒のほうは弱くなりはりましたな。 なにせ、『魚民』ではこのセリフばっかやったもん。

この稿、続く。

 

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あれから1年だ

2012年07月30日 21時25分11秒 | 塾の風景

貴裕の最後の試合は準決勝だった。

1年前のことを思い出す・・・川越の体育館、試合を終えた貴裕は塾に密航してきたばかりだった。その貴裕をエスティマに乗せて鈴鹿市体育館へ移動する。あの時に話した内容を俺は今でも覚えている。・・・貴裕は覚えているのだろうか、そんなことを考えながら試合を眺めていた。

試合の合間を縫うように鳥羽の爽風塾までエスティマを飛ばす。呉まで往復、翌日は伊勢、たぶん明日は四日市・・・走行距離は15万kmを突破している、なでてやりたい。

爽風塾頭から過去の三重県統一模試の答を貰い、再び体育館へ取って返す。準決勝が始まる。

いらちやな・・・そう思ってたら隣の奥さんのつぶやいた、「貴裕君ってああ見えてもいらちなんかな」 無駄なミスが立て続けに起こる、一つのミスが次のミスを誘発する。リセットしなくっちゃ、そう思うが貴裕は中学のクラブとして参加していない。他のクラブとして参加している選手たちは顧問の先生やコーチが脇に陣取り、拍手やアドバイスを送る。貴裕はたった一人だ・・・。

 

少しばかり切ない気分で23号線を北上する。塾に戻ると中3担当の高校生は優香(高田文理2年)から結女(日生第一5年)にバトンタッチだ。今日は今までの三重県統一模試の見直しだ。さっそく望美と幸佑と喬之に7番の長文の解説を始める。

夜になり晶穂に芽生に沙耶がやって来る。平成22年度の三重県統一模試、昨日実施の試験が始まる。足並みは揃わない・・・例年のことだ。それをどのように調整していくかが俺の腕・・・しかし今年の中3は例年に比べて多い。一人ひとりの気配に耳をそばだてる。

 

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1992.10.27ケーキ投げ大会!

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