『 HARD & LOOSE 』 れいめい塾 津市久居

塾頭の『れいめい塾発 25時』
三重県津市久居にある学習塾『れいめい塾』の塾頭のブログです。

『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.5.28 その2

2000年05月28日 16時25分43秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 20日、海津のお母さんに電話する。お母さんは赤福の先代の社長の娘である。直接的には経営にタッチしていないものの、赤福が何か新規事業を始める際には現経営陣がお伺いをたてるような怖い存在。何事にも好奇心旺盛、社会人入試を受け合格。今春から60歳を目前にして立命館大学に進学。毎日のように3時間半かけ京都まで通学している。専攻は中世史学という「歩く生涯学習」みたいな人である。お母さん、俺の話を聞くと宣う。「先生、そのお嬢ちゃんが大学で学んだ品質管理を入社して生かしたいのなら赤福はダメですよ」 「なんでですか?」 「赤福は伝統を守る会社です。新製品を開発することは決してありません。つまり今までの伝統をどう守るか? 当然マニュアルなんて気のきいたものは御座いませんから職人の経験と勘で伝統を伝えていきます。だからせっかく大学で培った品質管理の技術を使う場所がないんですよ」 「となると井村屋ですか」 「井村屋なら新製品の開発が企業の命運を握ってるんじゃありませんか」 「確かに・・・」 「でもね先生、赤福がタウタウという中華料理店を経営しているのはご存じ?」 「ええ、知ってますよ」 「それに加えて郷土料理の店もやってんですよ」 「どこでですか」 「赤福本店横の道から五十鈴川に架かる橋を渡った向こう側ですよ」 「いやあ、あの橋は今まで渡ったことがない」 「旧家をどうしても!って言われて買い取ったんですよ。そしてね、今年11月のオープンに向けて準備をしているのが、お酒のアテを中心にしたお店。この店も橋向こうに建築中ですよ」 「つまり赤福はお家芸の和菓子部門では伝統をストイックに受け継ぐだけ、ディフェンスオンリーで、その他のジャンルには果敢に進出するわけですね」 「闇雲にじゃないわよ。赤福らしく、文化に貢献するというスタンスでね」 「難しいですね」 「今ね、11月オープン目指してスタッフをしごいているところなの」 「え! 海津のお母さんがですか?」 「ええ、今の社長がね。遅々としてプロジェクトが進まないことに頭に来て私んところへスタッフをよこしたのよ。それで5月の連休も2日、伊勢まで行って講習したのよ。先生、ひどいと思わない? 私は学生なんですよ。レポート提出の期限が迫ってるの。日本の中世史をやってるのにヨーロッパの歴史から始めろって教授が言うのよ。そんな私が伊勢まで行って講習しろですって」 「学生やったらバイト料出ますけど、お母さんは講義料出るんですか?」 「それが聞いてよ、先生。報酬はなし! ボランティアですって」 「そりゃ大変ですね。もしウチのお嬢ちゃんが赤福の異業種戦略に興味を持つようでしたら、また連絡します」 「いいわよ。いつでも赤福の経営理念めいたものなら説明するわよ。でも、先生、そのお嬢ちゃんに井村屋の肉マン毎日食え!っていう提案、先生らしいわ。教育なんてジャンルに置いとくのはもったいないわよ。就職学生相手のセミナーでも開校したら?」

 夜になり修学旅行を終えた中3が姿を見せる。土産は今年もディズニーランドブランドの高そうなお菓子。小学生や中学生に配っていく。「高校生に持ってけ!」と中3に指示。戻って来た中3に「高校生の先輩、何か言ってただろ?」と聞くと「去年と同じやな・・・って」 斬新な土産ってないの? 最近の修学旅行はせいぜい国会議事堂を見学するくらいで、後はディズニーランドか1日自由見学が多い。修学旅行じゃなくて観光旅行と名称を変えたほうがいい。一部の中学では「東京オペラシティ」などで合唱し、それを録音してCDを制作している。「こんなんもいいよな?」と紘に聞くと「そんなんイヤや。練習せなアカン」

 21日、俺は長野に再び電話。「先生、まだ通知来ないんです」 「だってオマエ、22日までには出るって」 「そうなんですけど・・・。まあ、どちらの結果でも知らせてもらえるそうですから」 「待つって辛いよな」 「でも僕のなかではキユーピー1本で勝負してますから」 「えらい自信やな」 「それは受験のなかで教えてくれたのは先生ですよ」 「へえへえ・・・。結果待ちのオマエはともかく、残る危険牌は越山やな・・・」 「コッシーですか。どうしてるんかなあ・・・」

 越山はウチの塾では珍しく久居高校に入学してから入ってきた。普段は口数が少なく少々暗い雰囲気だが、2人だけになるなどのきっかけさえあればジックリと話し出すタイプだった。大学は一浪して東洋大学へ。残念ながら志望大学ではなく、仮面浪人を試みた。俺や前田が反対するものの押し切った。しかし6月になり電話が入る。「先生無理やわ! サークルなんかに顔を出すようになって、到底こんな調子じゃ仮面はできません! すいません、仮面はやめます」 悲痛な叫びだった。「いいじゃない。どんな大学にもイイとこあればアカンとこある。オマエさんが東洋大学の中で自分の居場所を見つけれたらいいんや」 「ほんとうにすいません」 「謝る必要はないよ。後は東洋大学でがんばれ」 それ以来、今まで越山から連絡はなかった。仮面を断念したことを気にしているのか・・・。そんな越山から23日午前2時、突然に電話。

 「先生、今ちょっといいですか?」 「かまへんよ」 「実は就職のことなんですが・・・」 「オマエ、ちゃんと就職できるだけの単位取れたんや」 「1年生の時は仮面やってたこともあって20単位しか取れなかったんですけど。2年生はフルタン(全単位修得)、3年生も1単位落としただけで来ましたから卒業はできます」 「ウチの生徒さんからフルタンなんて言葉聞いたことねえや!」 「はは、まあ優は少ないんですけど。相談なんですけど、実は証券業務に興味を持って証券会社にターゲットを絞って活動してたんですよ。そしてマルサン証券という会社から内定が出たんです。先生、知ってますか?」 「マルサン証券・・・知らんわ」 「そうですか・・・。まあ、財務体質は日本でナンバー3なんですよ。ノルマもないんです」 「ちょっとちょっと、そんな証券会社あるんかな。ノルマがないなんて・・・」 「ええ、そういうふうに聞いてますけど」 「それってさ、会社側からの情報じゃないの?」 「それもありますけど、店頭へ訪問して社員の方から聞き出した情報でもあります」 「店頭か? 訪問大学生に対するマニュアルくらいどこでも作ってるで」 「・・・」 「OB訪問は?」 「学校の資料ではいるようですが、連絡がつきませんでした」 「やっぱさ、単なる店頭訪問より親身になってるれるOBのほうが確率高いよな。ともかくや・・・、マルサン証券に内定が出た。そして?」 「親父が反対しまして・・・」 「そりゃそるやろな、今の時勢を考えりゃ」 「でも僕としてはどうしても証券業務をやりたいんです。そんな時に親父から連絡があって第三銀行の面接を受けるようにと・・・」 「銀行と証券か、まあ親父さんはオマエに安定した生活を送ってほしいんだろ? それに家のこともある。田や土地あるんだろ?」 「ええ」 「まあ家を継ぐ問題もあるよな」 「長男って損ですね」 「仕方ねえじゃん。俺だって長男、あげく一人っ子さ」 「やっぱり家を継ぐって考えてましたか?」 「考えてたよ。ただ30歳くらいまでは好きなことやって、それから三重に帰ってこようってね。よく言っただろ? 金があったら塾なんてやってへんよ。喫茶店がしたかった。もっと金があったらライブハウスしてたよ」 「僕もできれば2,3年証券業務に携わって、それから第三銀行なら第三銀行へと、でも無理ですよね?」 「無理やな」 「親父は知人に今回の面接を頼んだようですから・・・」 「まあコネなんてどこの家でも探しゃ、未使用のテレフォンカードくらいはあるからな。絶対的な拘束力を持つだけの強烈なコネかどうかは知らんけど」 「ただ、第三銀行に内定が出たら断れないですよね?」 「そりゃアカン。親父の立場がないだろ」 「それが辛いんです。僕は高校受験も大学受験も志望校には入れなかった。今回、やっと自分の志望の会社に内定が出たんです。正直うれしかった。どうしてもマルサン証券へ行きたい」 「オマエもさ、一月前に連絡してくれたら俺なりにマルサン証券って会社を調べたよ。でも急ぐんだろ?」 「実はあさって、時刻的には明日が第三銀行の面接なんです」 「なに! というと親父と話し合うのは明日しかないやん!」 「ええ、始発で帰ろうかなと」 「親父に電話して今日は会社へ行くのやめてもらえ。そして自分の意見を言ってみろ」 「はい」 「ただな、俺はマルサン証券って分からんわ。ノルマがないなんて理解できないし、オマエの持ってる情報も会社側のものばかりや。そんなとこと勝負できへんわ、危険牌ふれるかい! あ、ゴメン。マージャンできへんだよな」 「いえ、やっと覚えました。先生しましょうよ」 「してやる!してやる! 就職が決まったらな」 「じゃあ、今日帰ります。また連絡しますから」  

 23日、昼過ぎから生徒が姿を見せ始める。南郊中の小林(中2)や白山中の愛ちゃんと由子(中1)や直矢(中2)が黙々と勉強を始める。そんな時に電話、長野のつんざくような声が聞こえる。「先生、吉報です!。キユーピーに内定が出ました!」 長野は津高の頃バンドを組んでいた。担当はボーカル、ウチの塾のカラオケ大会ではイエローモンキーの「BURN」を十八番にしていた。しかし長野の場合、燃えるのBURNの発音じゃなく納屋のBARNの発音になっちまう。つまりは雄叫び系、そんな長野の絶叫だった。「彼女はどうすんねん? 連れていくんか」 「ええ、そのつもりです」 「生意気やりやがってこの野郎! お母さんはええってか」 「ここまで来たらもう誰にも僕を止めることはできないっすよ」 「はいはいはい・・・、ところで越山なんやけど電話あったで」 「え、そうなんですか! で、就職はどうなってます?」 「マルサン証券って会社から内定が出たらしい」 「証券会社なら出すでしょう」 「それがさ、ノルマはない。財務体質は日本で第三位、去年は100名入社して今年は業績も上向きで120名募集らしいで」 「オイシイ話ばっかしですね」 「ああ・・・、オマエんとこの会社ってどんなふうに自社の内容を話してた?」 「キユーピーの説明会では自社をボロボロに言ってましたよ」 「たとえば?」 「ウチの会社の最大の問題点は体質の悪さだと。上下関係にシガラミがあり、学閥もある。女性に関してはやっと3年前に総合職の管理職が1人誕生した状況で、女性にとってはまだまだ働きにくい側面はある・・・そんなとこですね。ああ、反社会行為をしでかした場合は厳重に処罰するとも言ってました」 「なるほどね、エントリーシートみたいやな。自分の悪いとこ40%にイイとこ60%のさじ加減ってか」 「僕はそんなとこが気に入ったってのもありますね」 「確かにウマイよな。でもそれって部長クラスが言ったのか?」 「いえ、最初の面接ですね。確か課長だったと思います」 「まあどうあれ、正直で釣ったってのもあるやろ」 「でも、その説明を聞いて何人かは退出しましたよ」 「いい奴、覚悟してる奴が残ればいいわけさ。さすがに老舗やな」 「その点ではマルサン証券の説明、僕は怖いですけどね」 「俺もさ。ただ、親父さんが反対してるらしくて越山は今日東京から帰ってきてるはず。多分、今頃は2人で話し合ってるんじゃないか? なにしろ第三銀行の面接は明日や」 「え! そりゃキツイっすね」 「まあね、はたしてどちらに転ぶやら・・・。ただ、証券なら西村に聞きたいんやが、朝から携帯かけっぱなしやけど話し中、捕まらへん」

 23日夜、やっと西村の携帯に呼び出し音が響く。くぐもった声・・・。「実は6月で会社をやめるんです」 「え!」 「昨日、辞表を出しました。一応係長という役職を頂いてはいたんですが、部長も僕の性格を知っていますからなんとか受理してもらいました」 「そっか。えらい時に電話しちゃったな」 「そんなことはないですよ」 「健ボーとはたまに飲むんかいな?」 「ええ、月に1度くらいの割で」 「じゃあ、次の飲み会の時に連絡くれよ。なんとか行くからさ」 「分かりました。ところで先生、何か?」 「・・・こんな時に悪いけどさ、オマエが昔英語を教えた越山な?」 「東洋大学でしたね」 「ああ、あ奴がマルサン証券から内定が出たんや。しかし親父さんが反対して第三銀行の面接を段取りしたらしい。越山は証券業務がしたくってマルサン証券を志望してるんだが・・・。どんな会社だ?」 「いや、普通の証券会社ですよ。確かに業績は良かったと思いますが・・・」 「ノルマがないと・・・」 「それはギャグでしょ」 「そうだろうな」 「どうしてもしたいのなら止めはしませんが、よっぽど覚悟してこの業界に入らないとキツイですよ」 「確かにキツそうやな」 「ええ・・・フフフ」 「もし、自分の子供が越山と同じ状況にあったらどないする?」 「第三に行け・・・と」 「分かった・・・ありがとう」 「いえ・・・、近々挨拶に出向きます」

 深夜2時、越山から電話。「今日は父親と母親と8時間も話をしました。両親はやはり僕には東京に住まわせたくはないということ、そして証券会社には行かせたくはないということ。これだけは断固として、という感じでした。しかし僕は大学受験で志望大学に合格できなかった。だから今度の就職ではやっと自分の力で内定をつかみ取った。本当にうれしかった・・・。そのことはハッキリと言いました」 「なるほどね・・・。で、どうするの? 明日の面接は」 「僕は今までお金の面では苦労したことがなかった。両親には本当に感謝してます。だから明日は面接を受けるつもりです」 「そうか、じゃあマルサン証券についての情報はもう用済みだな?」 「え? 先生、何か調べてくれたんですか?」 「ちょっとね」 「・・・すいませんでした」 「とにかく遅い、もう2時やで。はよ寝よや」 「はい、じゃあ失礼します」 塾内には中3の大森・直嗣・紘の3人が残っていた。ジャンケンで勝った大森から順に車で送っていく。こ奴らの中間試験まで1週間を切った。

 24日、明日から付属中学が試験に入る。昼過ぎに秋田真歩が姿を見せる。真歩はコツコツ勉強するタイプ、激戦付属の中でも常に5番以内をキープ、前回の3学期期末試験は2番だった。夜逃げ同然のギッシリつまったナップサックを背中から重そうに下ろして勉強を始める。そんなところへ越山が姿を見せる。「先生、第三銀行の面接に行ってきました」 「どやった?」 「今までで一番キツイ面接でしたね」

 越山と話している時、ふと思い出した。岡三証券の高校時代のダチ、玉田がいたっけ! さっそく電話。「マルサン証券って知ってる?」 「ああ、知ってるよ。どないした?」 「ウチの生徒さんさ、内定が出たんやけどな。どんな会社か、会社側の資料しか知らへんからさ」 「まあ、証券会社としてはイイほうだろ。安定してるよ」 「でさ、会社の説明ではノルマはないと言ってるんやけどな」 「それはないわ。まあ、ノルマはなくっとも目標はあるだろ」 「なるほどね」 「ノルマとは言わないものの言葉を変えただけの話やな、フフフ」 「この業界はどうでっか?」 「各社3月を境に厳しくなったからな。どちらにしてもタフな精神力が必要やな」 「自分の子供がもしマルサン証券か第三銀行で迷ったら、どないする?」 「子供次第やな・・・。ただ、どちらか?と言われりゃ第三へ行けと言うかな」 越山は俺たちのやりとりを黙って聞いていた。越山に向かって言った。「以上の通りやな」 沈黙が続いた。そこへ電話。「7期生の長野ですけど先生はいらっしゃいますか」 「俺、俺・・・」 「ああ、先生。ところで越山の面接はどうなったんですか?」 「ちょっと待っててや」と言いつつ、俺は受話器を越山に渡す。怪訝そうな越山、「もしもし・・・ええ! 長ちゃん、久しぶり! うん、元気。・・・うん、行ったよ。どうやろ? でももし内定が出たら第三に行くよ。あんなに親に反対されたら、やっぱりね、親孝行かな・・・でも、内定が出るかどうかやけどね。長ちゃん、俺さ、やっとマージャン覚えたから、・・・うんうんうん、夏休みにでも。うん、塾先と・・・」

 越山にとり、就職活動の大きな局面は越えたようだった。後の問題は6月10日にマルサン証券に内定の承諾をするかどうか? それまでに第三銀行が内定を出してくれるかどうか?

 24日、試験が終わって試験休みに入っていた皇学館中学の面々が姿を見せる。久居中を除く公立中学が試験まで1週間を切った。試験が終わった者、これから試験が始まる者、そんな雑多な雰囲気の塾を伊藤友紀に任せて俺は薬剤師の世界のレクチャーを受けに車を飛ばす。

 女の子からの質問、「高校の進学指導で成績がいいから看護より薬学に進んだら・・・と言われたんやけど」 薬学部・・・俺にとっては未知の世界だった。薬剤師の国家試験を取ってそれからどうするんだろう? 何年か前、調剤薬局を開く人に自分の名前だけ、つまりは薬剤師の資格を貸す。それだけで月に20万程度になるから、子育てしながらも働ける・・・そんなことくらいしか頭にはなかった。医学部の生徒はたくさんいた。そしてご父兄の中にもドクターがいて相談相手には困らなかった。しかし薬剤師の知り合いはいなかった。その関連に勤めているご父兄も皆無だった。そんな時、この4月から塾に入った小学生のお父さんが薬剤師の免許を持って働いていると聞いた。失礼を顧みず俺は薬剤業界&薬剤師のことについて話を聞きたいとせがんだ。そして快諾、この日が約束した日だった。

 南郊地区、サンバレーの近く『養老の滝』の隣、1階の『団子坂』という蕎麦屋の2階に『イジリンマ』というワケ分かんない不気味な店がある。一現さんなら「ボラれるんちゃうかなー」と二の足を踏む風情の店。マスターは中野秀夫、5月17日号で紹介した中野重夫の弟が経営するバーである。チャージは付くが良心的な値段設定、俺は去年より進学相談めいた話はここでこなしている(当然のごとく生徒には酒を飲ませない)。大学生を連れてくが、皆「先生にしてはオシャレな店ですね」となる。失礼な! 薬剤師の資格を持つご父兄とはここで軽く飲みながら話を聞くことにした。

 この夜、俺は多くのことを教わった。国公立薬学部の場合、薬剤師国家試験を受ける人もいれば受けないで大学院に進学する人もいる。免許があってもなくっても研究を続ける人が多い。それに対して私立大学の場合は薬剤師の資格を取ることが目的となる。また俺がかつて耳にした名前だけを貸すということは現状では全くないということ。そして一人前となるのが30歳すぎてからだとのこと。「確かに資格さえあれ食うには困りませんけどね・・・でも試験勉強はハンパじゃない。僕なんか18時間勉強しましたよ」 「もし娘さんが薬剤師の資格を取ったらどうしろと言いますか?」 「大学病院で働けと言いますね。カルテや症例などで勉強してほしいし、ドクターや看護婦ともうまく付き合う術を身につけてほしい。結局、資格を取っただけではダメなんです。そこからがスタート、まだまだ勉強が続いていきます」

 インターネットを使用するようになって、男親からのメッセージが多く寄せられるようになった。これが心地よい。久しぶりの現場の空気を吸わせてもらってる。何かの趣味で話し合うのもいいだろう。しかし残念ながら俺にはそんな時間がない。やはり教育、それは小学生から中学生というスパンではなく就職試験までを視野に入れた広大なエリア。俺の器ではシンクタンクなんかになれない。ただ、男親のご協力があれば、あるエリアのシンクタンクを担当してもらえる。このホームページを制作する際もしそうだった。俺一人では何もできない。幾多の協力がありここまできた。就職の分野に関してはさらにさらに裾野を広げねばならない。男親のご協力を仰ぐ次第です。子供たちには、大人ってまっとうに働いてるんやで・・・というところを見せてあげたい。まともな大人、これが我々にできる「今」を生きる子供たちへの一番の処方箋じゃないか?と思っている。新聞やテレビを賑わすやっかいな大人たちもいる。でもそんな大人だけじゃない。生き生きして仕事に没頭する大人たちもいる、新聞が取り上げなくても厳然と「今」を生きている。そんな大人たちを子供たちに知ってほしいのだ。 

 この日、俺はイイ気分で塾に戻った。ご父兄からの話をまとめておこうと思った。BBSを見ると吉田先生の気迫溢れる意見が出ている。この流れは5月15日号に引き続きBBS特集を組もう。そんなところへ西村登場! 「どないした?」 「今日は仕事を早く切り上げて、会社をやめる報告に実家まで・・・」 「なるほどね。とりあえず飲もか」 「ええ」 俺たちは最も手軽な飲み屋、俺の家のテラス(家の中ではタバコが吸えない)で飲み始めた。正知の親父さんからもらった「越の寒酒」の封を切った。一口ゴクリと飲み干す。「やっぱ、うまい・・・か?」 「ハハハ」 西村が今日初めて笑った。「俺にとっちゃ、高い酒も安い酒も同じやな。で、6月で会社辞めて何をするねん?」 「それがですね・・・」 この内容は時期尚早だと思われるため、「25時」には記さないことにした。昼間はともかく、夜中はまだまだ寒い。手早く酔っぱらおうと酒をコップになみなみと注いだ。

 以上がここ1週間に塾内で起こった出来事。なんとまあ、いろんな事が・・・と思われるかもしれないが、れいめい塾はいつだってこんなリズムで1年間を駆け抜けていく。日本各地の塾の先生からメールが入る。「これまで広告しか見てなかったけど、塾内『25時』が読めて楽しいよ」なんぞと言われるものの、就職関係のネタが多いのには驚いたという感想もまた多かった。子供から大人へ・・・この流れを辿るツアーを『25時』でやっていると理解して頂ければ幸いである。

 25日深夜、越山からメールが入った。埼玉の下宿に戻ってインターネットでウチのホームページを見たようだ。以下・・・。

 「少々暗い」越山です。25時には山を越えた、とありましたが、まだまだ霧の中のようです

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.5.28 その1

2000年05月28日 16時24分07秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集
16日から19日にかけて中3が修学旅行で出はらっている。取り残されたのは久居東の岡田拓也だけ。久居東は中2の冬に長野県へスキー、二泊三日の旅行が修学旅行。拓也は大の苦手教科である英語の復習に一人いそしむ。中1や中2は試験勉強に入っている。各自が「今、自分は何をやるべきなのか?」を考えつつ中間テストまでの日々を過ごす。自分の好きな勉強だけではダメ。かと言って苦手教科ばかりでは総合点は伸びない。今回の塾内平均点の目標は430点。果たしてどんなふうに仕上げてくるか。こんな日々は、俺の仕事といえば生徒たちの背中を眺めるだけ。つまりは暇なのだ。暇にまかせて前から気になっていた長野に電話する。

 7期生、長野泰紀。久居西中から津高へ進学。古い塾で田丸・兄(伊勢市民病院勤務)の指導のもと滋賀大学経済学部に合格。性格は年上に律儀でなおかつラテン系、高校・大学とバンド活動にいそしむ。突然のドラマは留年決定後の大学3年生の時にこ奴を襲う。バイト先のかわいい彼女、いつか交際を申し込もうと決意するものの彼女が婚約中、あげく直前に結婚式を控えていることを知り断念。しかし親しくなるうちに2人で食事をするような関係に・・・。彼女が結婚相手に対するグチめいたものを度々口にするのを聞き長野は叫ぶ。「そんな人だったら結婚する必要なんてないじゃないですか!」 彼女は4歳年上の26歳、マリッジブルーだったんだろうか? この長野の発言が引き金となり、間近に控えた結婚式を中止。クソ!「卒業」を観たこともねえ世代がダスティン・ホスマンを演じやがって(嫉妬)。ともあれ彼女に対し責任を感じた長野、健気にも大学をやめ就職、彼女と2人で暮らすことを夢見る。すんでのところで思いとどまったのは自分を大学に合格させるため自分の私生活を犠牲にしてまで勉強を教えてくれた田丸・兄への感謝の念。このあたりの描写は去年の「25時」を参照されたい。長野は彼女から、2人で暮らすのは卒業後という受諾を受け大学卒業に向けて勉強を開始した。これ以後の長野の動向、俺の耳には入ってこなかった。しかし順当に4年となっていれば、当然にして就職活動が始まっているはず。連休前の正知からの情報で俺はBBSに「長野はキユーピーに内定しつつある」と記した次第だ。

 「どないや?就職のほう」 「とりあえずキユーピーに絞って動いてます」 「それやったら正知から聞いたよ。内定が出たらしいやん」 「いや、まだ内定は出ていないんです。最終面接がこの14日に行われて、その結果待ちです」 「そうなんか・・・。そりゃBBSのほう書き直さんとな」 「いえ、ケッコウですよ。僕のなかでは内定が出ると確信してますから」 「えらい自信やな」 「その自信を僕に教えてくれたの、先生ですよ」 「まあ、オマエのキャラならウチの塾の代表作としてどこでも勝負できると思うけどな。でも学校推薦もらったらしいやん?」 「ええ」 「それが分からんわ。キャラならともかく、留年はするし結婚式を無理矢理潰して自分のものにした将来の嫁さんはおるし、学業ボロボロのオマエがなんで滋賀大学の学校推薦もらえるねん?」 「メチャクチャ言うなあ。結婚式は僕が無理強いしてやめさせたんじゃないでしょ」 「いや、話としてはそれの方が面白いやん?」 「やっかいな人やなあ。でも僕も推薦を頂けるとは思ってませんでした、正直。先輩に言われたんすよ、『ウチの大学の学長は義に感じる人だから、直接会って頼み込め』って。で、学長室に行ったんです。すると僕と同じように、成績は悪いけどどうしても学校推薦が欲しいって生徒だけで面接があったんです。それでどうしてもキユーピーに入りたい!って言ったら『君が一番気迫があって良かった』と・・・」 「たったそんだけで学校推薦でたの?」 「やっぱ背負う者がありますから人に負ける気はしませんよ」 「でもさ、滋賀大学ってそんなアナログでエエカゲンな大学なんか? 真面目に勉強してきた奴って泣きやん」 「でも、その学長面接で受かったんは僕だけですから・・・」 「はいはいはい、そりゃ立派なこって・・・。それでキユーピーの最終面接はどうやった?」 「やる以上は負ける気はないですから・・・これも先生から伝授してもらった」 「分かった分かった、で発表は?」 「今週中の予定です。受かっても落ちても知らせは来ますから・・・」 「じゃあ、さっそく『25時』でリアルタイムで勝負しよや」 「いやそれは・・・、内定出ると確信持ってるんですが、今『25時』に書かれるとプレッシャーが・・・」 「なるほどね、じゃあ結果待ちってことで。ところでさ、俺さ、就職面接受けた奴全員に聞いてんだけど、一番印象に残った質問はなんやった?」 「そうですね・・・。『最近でもいいし、これからでもいいが、両親に対してどんな親孝行をしたか?あるいはするつもりか?』という質問ですね」 「へえ、でオマエはなんて言うたんや」 「第一志望のキユーピーの内定を頂いて、その知らせを三重県に住む両親に伝えることが僕の一番の親孝行です・・・と」 「ははは、うまいじゃねえか。で、場の雰囲気は」 「部長クラスにバカ受けでした」 「そういう勝負やったらウチの生徒は負けやんよな。でさ、オマエがキユーピーを選んだ理由って何よ?」 「品質に対するプライドの高さですね。たとえば味の素は異業種に参入していって業績を伸ばしてる。でもキユーピーはマヨネーズというジャンルから出るつもりはないし、他社のマネは一切しない。そしてマヨネーズだけでは絶対他社には負けない・・・そんな社風ですね」 「それは会社側からの資料か?」 「いえ、これは僕が滋賀大学のOBを訪ねて会ってもらい、聞き出した話です」。確かに会社側の説明でもそれらしき点はありましたけど」 「スゴイやん、泰紀。ちゃんとOB訪問やってたんやな」 「先生や橋本先輩(山田日赤病院勤務)が僕に言ってくれたんですよ」 「そんなこと言ったっけ?」 「橋本先輩と先生とで『きじま』(高茶屋にある焼肉屋)に飲みに行った時ですよ。お二人から絶対に先輩を大事にしろって。いつか自分にとって役に立つことや感謝することが出てくる。絶対に先輩をたてて、先輩の言うことをよく聞けって」 「忘れちまったよ」 「なんですか、それ! じゃあ僕は今まで酔っぱらい2人の戯言を信じて生きてきたってわけですか・・・。でも、本当に当たってますよ。今回のことでも学長面接の直談判やら、キユーピーでの就職活動でのOB訪問やら・・・みんな先輩たちが協力してくれたんです」 「やっぱ、俺って酔っぱらっててもイイこと言うよな。ところでさ、正知は各種試験を5月下旬から受けるんやけど、心配なんは越山や。まあ、一番の心配は和司ちゃんやったけど三重銀行で決まったしな。残るは越山や。オマエ、連絡してる?」 「いえ、ここんとこはご無沙汰ですね・・・。あ!そうだ、先生」 「なんや?」 「BBS見たんですけど、キューピーてなってましたけど、あれ間違いです」 「なんで?」 「キューピーじゃなくてキユーピー。ユは小さくなくて大きいユです」 「へえ? そうなん。どうだっていいじゃねえか」 「いやいや、正式名称ですから」 「分かった分かった、内定したら変更しとくよ」

 この時期、18日から三重中が試験に入り、翌19日からは皇学館中も試験に突入。

 19日、岡田さん(三重大学生物資源学部)と就職について話す。彼女の性格は真面目だ。しかし、それだけである。成績はいいけれど・・・魅力がない。「岡田さん、あと1年やで」 「ええ、一応は考えてはいるんですが」 「三重大の生物資源って何するとこなんか分からんしな」 「ジャンル的には水産・食品・薬学・化粧品あたりですね」 「具体的には何するの?」 「品質管理ができれば・・・」 考えててもラチがあかない。インターネットで三重県内の該当企業を検索してみた。水産・・・なし。食料品・・・柿安井村屋、赤福あたりか? そして薬学・・・なし。いや、本社は大阪だが工場が三重にある菱山製薬。最後に化粧品・・・なし。さすがに三重県内に本社を置く企業、それもジャンルを絞ってしまうとお寒い結果になっちまった。2人で溜め息をつくしかなかった。

 岡田さんは深窓の令嬢てな雰囲気がある。セントヨゼフから鈴鹿医療へ入学するものの、第一志望だった三重大学の夢を断ち切れずにウチの塾にやってきた。初対面では「こりゃ上品なお嬢ちゃんや。ウチの塾は続かんやろな」と思った。なにしろ斉藤太郎・紀平香介・村瀬佳代などといったヒトクセもフタクセもある学年だったからだ。英語はセント育ちでもありそこそこ得意、難点は数学と生物だった。俺は条件を出した。「もし三重大学に合格したらウチの塾で生物の講師をしてもらう。その条件を飲んでくれるのならウチの塾は引き受けるよ」 「生物ですか・・・」 岡田さんの顔が曇った。「生物苦手なんでしょ。それじゃ得意にすればいい。大学にも合格するだろうしウチでバイトもできる」 しばらくして岡田さんはうなずいた。黒田君について生物を勉強した。見事に合格し約束通りウチで生物を教えることになった。岡田さんが教えた生徒には古市や杉本などがいる。彼女たちは一様に言った。「岡田さんの生物は高校の先生なんかより遙かに分かりやすい!」 そりゃそうだろ。かつて自分が苦手だった教科だ、一転教える立場になったら、苦手な生徒たちにとりかゆい所に手が届く授業になるはず。ウチの塾になくてはならない講師になってくれた。しかし困ったことに今年生物を取る生徒がいなくなった。ウチの塾をやめようと挨拶に来たのを俺は押しとどめた。別れるのが辛かった。確かにウチの塾にとり10数名からいる講師のバイト代は痛い。しかし別れたくなかった、それだけだ。彼女のこれからが見たかった。なんとか金曜日の中1の数学を担当してもらうことで落ち着いた。

 とりあえず井村屋あたりの研究に入るしかなかった。去年の採用が15人で理系が6人だった。そして今年が10人、理系・文系の内訳はないが4人くらいが順当な線か。過去実績で三重大背物資源から井村屋に就職している。OB訪問をしなくっちゃな。不思議なことは赤福のホームページがなかったことだ。「海津のお母さんの出番やな」と俺。「なぜですか?」 「ああ、海津のお母さん、先代の社長の娘さんなんや」 「へえ・・・、そうそう、私の友達のお父さんが赤福で工場長をやってるんですが・・・」 「それいい。コンタクトつけよや」 「でも・・・」 「あのな岡田さん、女の子やったら自分の一生がかかるんやで。話を聞くだけのことや。厚かましいやろか?なんて余計なこと考えんでもいい。後で後悔せんでええようにできる事はしとかんと」 柿安という名前は初めてだった。内容を見ると津の「朝日屋」みたいな会社やな・・・。となると岡田さんの希望する品質管理じゃない。俺は岡田さんに言った。「とりあえずは明日から井村屋の肉マンを延々と食べるこっちゃ」 「え・・・」 「面接でさ、各社の肉マン並べてもらって『私はこのなかから御社の肉マンを当ててみます』ってさ」 「ホホホ」と岡田さん。俺は髪の毛をむしりながら言う。「あのな、冗談やないねん。岡田さんやったら成績もいいやろ。でも面接なんかのパンチ力がないねん。肉マン当ててみ、井村屋の社員感動するで・・・」 「私はそういう感覚が足りないんでしょうか」 「全然ないわ」

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.5.17

2000年05月17日 15時49分50秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 13日、黒のスーツ姿で中村和司が一升瓶をぶらさげて塾に現れた。「内定がでました!」 クールなこ奴にしては声が高ぶっていた。「どこや?」 「三重銀行です」 「そうか和司ちゃん、竹中の後輩になるんか」

 「三重ケーブルテレビの話では、カウンターを取りつけることはできんらしいよ。今検討中やから認可が下りたらメールで知らせるって」と俺が言うのを聞くや、和司ちゃんパソコンに向かい合った。そしてゴソゴソと何かやっていた。まさかね、と思っていると「先生、できました」 見ればフロントページの一番下にカウンターがついている。「すげえな!オマエ。絶対に進む方向、間違えたよ。それか少々ダサイ三重銀行のホームページをもう少しオシャレにするか?」 「ハハハ」と笑う。こんな笑顔、ここ最近お目にかかれなかった。その日のうちに大阪の下宿に帰る予定はキャンセル。早速竹中を呼び出す。「和司ちゃん、アンタんとこに内定もろたで」 「そうなん、そりゃめでたい! で、これから飲もってか?」 「ご名答! どや?」 「オーケイ、オーケイ。祝い酒はどこへだって行くさ」 

 5月の4日に塾の前にある飲み屋に10期生とともに繰り出し、請求金額が6万なんぼかになり、俺が切れかけ竹中が「なんじゃ、この店!」と言い捨て万札を叩きつけて(2人とも行儀がすこぶる悪いのだが)、あげく気分が悪いわと津の大門の『乃木坂』(三重大医学部、特に酒癖が悪いと噂されるサッカー部&野球部のご用達)にまでベロベロになりながら足を伸ばして以来の飲み会。塾の近場、宮池のそばの『蔵』へ。ビールで乾杯、「和司ちゃん内定おめでとう!」 「ありがとうございます」 さすがに今日は酒が進むようで顔を真っ赤にしながらも奮闘している。ぎこちない酒の注ぎ方、「あれ、和司ちゃんギッチョだっけ?」と俺。「ええ」 「なんか気になるな。やっぱ右手で注いだほうがええで」 しかし、と思う。ほんの前までは人に酒を注ぐことなんぞ思いもよらぬようなタイプだった。いつしかオズオズしながらも他人に酌をするようになった。成長ではある。

 BBS(ホームページの掲示板)ではワクワクするような展開になっている。塾生には緊急発売のノリで「25時」5月15日号を出した。このホームページをごらんの方はBBSのほうへ。一言で言うと『ファイティング志摩』と名乗る塾外者がウチの高校生達に公開質問状を出した。その内容は「こら学生! 最近犯罪を犯している未成年者が多いやろ。同じような年齢で、何か感じるもんはないんか? 奴らは特別やと思うんか? なんか能書き垂れてみ!」 これに対しウチの高3の古西(津高、慶応大学経済学部志望)と波多野(三重高A、明治大学志望)の2人が立ち向かう。しかしファイティング志摩、間髪を入れず反論。そして第三の刺客?山本明徳(久居高2年、早稲田大学志望)が先輩に遅れじと立ち向かっている。あげくアメリカ留学中の森下(8期生)までがその輪の中に参入してくるというバトルロイヤル。後は教育畑を歩む前田(早稲田大学院教育学科)と鈴木克典(東京学芸大)の参戦時期が気になるところ・・・・と思っていたら、教育支援協会理事の吉田先生からメールが届き「近々私も参加します」とのこと。えらいことになってきた。

 15日はBBSにも書いているように5期生の小林のライブを大阪まで観に行く。久居東から津東高に進学、中学時代からの夢だったバンド活動を開始。同時に「ミスター津東」に選ばれるほどの人気者で生徒会会長に当選する。大学は学校推薦で大阪学院大学へ。そこでもロック三昧の生活を送り、大阪市内の広告代理店へ就職する。しかしバンドの練習やライブなどで半年後には有給休暇を使い果たす。「これ以上休めば辞めてもらう」という会社側の通告に、躊躇せずに辞表を出した。友人達がスーツを身にまとい髪を切り社会人になっていくのを眺める日々。鬱々たるものがあったのだろう、小林は今年のウチの年賀状、一人一言集に「社会と自由の狭間」と記した。

 3月、自主製作したCDを塾に持参した小林は俺に言った。「今年のライブのなかで納得できるものを出せなかったら、その時は俺、三重へ帰るわ」

 そんな小林の今年度のライブツアーが15日からスタートする。平均月に一度の割合でライブが続く。そして小林が出す結論は・・・・、俺は人生の岐路に立つ塾生の「今」を見逃すことができない。この1年、こ奴にとっては受験生に等しい1年間となる。BBSに投稿してきたアメリカにいる森下もしかり。人生の目的を探してアメリカにやって来た・・・そんな塾生たちの等身大の姿、年甲斐もなく43歳の俺はなんとか併走しつつ眺めていきたいのだ。

 15日、俺は携帯で連絡を取りながら西九条のプラットホームで渡部裕美(10期生・京都教育大2年)と日比剛(関西大1年)と待ち合わせる。こんな時、携帯って便利だなと思う。改札口を出るとヌウッと中村耕治(近畿大2年)が現れる。こ奴は東大阪からバイクでここまで来やがった。「先輩、バイクはどれ?」という剛に電話ボックス横の緑色のバイクを指さした。派手なバイクだった。「よくあんなん乗ってるね」と剛。「ほっとけ」と中村。小林は一番のダチである菊山善久同志社大学院から今春、松下電器に入社)も呼ぶつもり、と言っていた。しかし店の周辺に菊山の姿はない。今日は平日、奈良の郡山市の工場での研修中ゆえに無理なんだろう。

 『BRAND NEW』は大阪環状線の高架下にある意外に広いスペースを持つライブハウスだった。チケット代1700円とドリンク・フード代1000円で一人2700円、4人で10800円。臆病な塾の先生、「領収書頂戴!」と言うのが恥ずかしく無言。頭の中では「この後、飲みに行くから・・・、明日無事に帰れるかなあ」なんぞと考えている。カウンター横に小林が座っていた。「先生、今日はどうも遠いところを・・・」と、ロッカーらしからぬ律儀な挨拶。「ええとこ見せてや」と俺達はホールのドアを開ける。東京から来たという『SHAPE 2 FUTURE』というバンドが演奏中。また克典にでもどんなバンドか聞いてみようか。

 大阪から三重に戻り、さっそく克典にメールを送る。それに対する返答は以下の通り。「こんばんわ。とりあえず『SHAPE 2 FUTUREを知ってるか?』とのことですが、いやあ全然知らないです。TOを2に変えている所を見ると(基本的にはB系カルチャーですよね、これは)、「この道で飯を食っていこう系PUNKバンド」のような気がしますが、基本的にそういうバンドには追っかけはいません。一部の超メジャーバンドにはいますが。だからそこらへんを考慮すると、『横道坊主』とか『STREET BEATS』とか、あのへんじゃないですかね、所詮ROCK系。それに今流行りのインディーズのノリを加えてみました・・・みたいな。」 さらにBBSに話は移る。「BBSはオモロイことになってますね。毎日見てますよ。俺もいつ参戦しようかと迷ってるんですわ。もうちょい様子をうかがってみたい気もするし。高校生の反撃が見たいんですよ。それからでイイだろうと思っていたので、ついつい乗り遅れちゃいました。・・・古西にはダウン寸前のカウンターを期待してるんですけど、やっぱ受験生は忙しいんでしょうねぇ。それと「僕は未熟です」って作文に書いた彼は参戦しないんでしょうか? 僕的には彼の文が一番好きなんですけど。彼にも参戦して欲しいですねぇ。・・・というか、3日前から原稿を書いてるんですよ。もうすぐ出来あがるんで、それを持ってパワーボムでも食らわしに行くつもりですけど。まあ、さっき見てきたら前田先輩が粉々にされてましたんで・・・(汗)」

 『SHAPE 2 FUTURE』のステージ、程なくして終演。そして10分ほどして小林のバンド『Driving’ Lucks』が登場する。さっきの『SHAPE 2 FUTURE』は、追っかけっぽい女の子が数人いたが、『Driving’ Lucks』にはいないようだ。編成はボーカル(ツインリード)・リードギター・ベースギター・ドラムスと小林が担当するサックスの5人編成。ジャンルは何かな? あえて説明するとセックス・ピストルズ(古いなあ。セックス・ピストルズをクリックすると、パンクのサイトになります。下のほうの the sex pistols の anarchy in the uk をクリックすると曲が流れます)の日本語バージョンあたりか。演奏に入ると観客に緊張が走った。こんな光景をどこかで見たことがある。シゲさんのライブや!と思いあたる。

 シゲオ・ロール・オーバーと言っても、よっぽどのロック・ファンでないと名前を知らないと思う。ジミィ・ヘンドリックスそっくりの容貌で「とんねるず」の『ラスタ・トンネルズ』に出演したこともある。またジミ・ヘンの命日には名古屋のライブハウス『クアトロ』で追悼ライブを行っている。かつて三重テレビの『農協ライブステーション』で審査員を勤めていて口の悪いオッサンと言ったら分かる人もいるかな? あのボーカル&リードギターの中野重夫は俺の久居中時代のダチである。そんなシゲさんのライブにチョクチョク足を運んだ。やはり追っかけは少ない。それよりも観客はバンド活動をしている連中が多く、「何かを盗んでやるぞ」という雰囲気でシゲの演奏、手の動きや指の動きなどを目をこらして見つめていた。

 シゲさんとこほどではないが、小林のバンドは確かにうまかった。難を言えばリードギターが弱い、ボーカルの声の質もサックスとは少し噛み合わない。しかしドラムスもそこそこ。小林のサックスも奇をてらう編成ではあるが、ヒイキでなく良かったと思う。しかしバンドとして色気に欠ける。うまいが魅力に欠ける。観客の多数はバンドメンだったと思う。指やつま先でリズムを取りながら、しかし授業を聞くような雰囲気で息を凝らして眺めていた。完成度は高い、しかし曲と曲の間に何か工夫がほしかった。確かにうまい、しかし何かが足りない・・・・。

 ライブを終えホールから出ると小林が頭を下げた。剛と中村がCDを買った。「これ、祥宜の弟やで」と言うと小林は「へえ」と驚いた。小林は5期生、そして連れていった面々は10期と11期、年齢差を考えると仕方がない。ただ、かつて同じ塾で過ごしたという共通項だけで後輩が先輩のライブを眺めるというシチュエイション、困ったことに俺は好きなのだ。「次はいつや?」と俺。小林は驚いたように口ごもる。「6,6月・・・・23日」 「そうか、じゃあまたな」

 外に出ると雨、俺と裕美ちゃんと剛はタクシーに乗り福島の飲み屋へ向かう。裕美ちゃんがその居酒屋でバイトしているらしい。しかし最近はあまり行ってないそうな。中村はバイクでタクシーの後を追いかける。携帯から宮口・兄(近畿大1年)に電話。クラブ(ラクロス部)からやっと帰ってきたとのこと。福島の駅まできたら迎えに行くという段取り。大阪環状線福島駅のミスタードドーナッツの隣に海鮮料理の飲み屋(店名を忘れた)、明るい雰囲気である。しかし裕美ちゃんの発言では「お客はオヤジばっかし」となるのだが・・・。

 オヤジである俺は、何か落ち着かないそぶりの裕美ちゃんに聞く。「やっぱあんまりバイトに来てへんと居辛い?」 「うん」 「でもいいじゃない、お客さん4人連れてきたんだから」 「うん・・・・そっか」 「ところでさ、ゴールデンウィークの時の飲み会、ひどかった?」 「もう、メチャクチャ」 「俺、なんかした?」 「先生は一軒目で高い!って怒鳴ってるし、でも大門に行ってからは眠ってたけど。竹中先輩はメチャクチャ! 後で合流した美季ちゃんをどっかへ連れていくし、『乃木坂』の玄関に吐きまくるし・・・・」 「えっ! 美季も来たの?」 「え! 先生、覚えてへんの」 「まあな・・・・でも、はっきりしていることはメチャクチャひどかったってことか」 「うん、酔っ払いって最低!」 これで俺は「オヤジ」で「最低」という有難くない評価を裕美ちゃんから頂いたってわけだ。

 塾内でも名うての大食漢、中村と宮口の2人がそろったから大変、みるみる皿がなくなっていく。しめてお勘定は18800円、でも裕美ちゃんのおかげで14000円になる。でも塾の前の店とは違いなっとくできる金額だった。奥さんから4万円もらってきたから、あと1万円あまりある。ヘンに安心する貧乏な塾の先生? 中村のバイクが疾走していくのを見送った後、終電間際の電車に乗りこむ。宮口はクラブの朝練があるからと大阪駅で別れる。剛と東海道線に乗り換え吹田まで。駅裏のアサヒビールの工場横から吹田市民病院へと向かう長い長い坂道を歩く。この坂道は高村薫のデビュー作「黄金を抱いて跳べ」で頻繁に登場した場所。情緒に浸りながら剛と2人で歩いていると塾から電話。「先生、前田先輩がBBSに投稿してきました」 「そうか、そろそろ来ましたか」 「それと・・・・」 「なんかあった?」 「塾の1階のドアが壊れました」 酔いが一挙にまわってきた。足元がふらついた。

 この日、俺が留守の塾を担当してくれたのは伊藤友紀(10期生。皇学館大学教育学部2年)だった。170cmをゆうに越える身長、大学入試の面接でも「バレーやってたの?」といつだって聞かれちまうタイプ。友紀は慣れた感じで「いえ、茶道をやってました」とあしらうのが常。高校1年の数学担当、去年授業中にその当時付き合っていた男の子から携帯に電話。出ると「俺達、もう別れよう」 授業を忘れ外へ飛び出す友紀、塾の外で背中を丸めて号泣する友紀をなぐさめる中井(津東2年)など高1、「先輩、またいい人が出きますよ」 それにも答えず号泣し続ける友紀。そして友紀は翌日すっきりした感じで塾に姿を見せた。「先生、昨日はゴメン」 「落ち着いた?」 「今日さ、私、あいつんとこへ乗りこんでやったわ」 「え!」 「でさ、メチャクチャ文句言ってさ、泣かしたったわ。ああ、せいせいした!」 「泣かしたって、アンタ・・・」 「もうええねん、私は未来を見つめるの」 恐ろしいほどの立ち直りを見せた友紀、傷心旅行としゃれこんだ東京で新しい彼を見つけちまう。しかしこの4月、再び暗雲が垂れ込めたことから東京に乗り込む。帰省して俺に言う。「アイツ、頭に来る! 『ゴメンな、俺だけに春が来て』ですって」

 西九条のプラットホーム、剛がやって来るまで俺は裕美ちゃんと伊藤友紀の話で盛り上がっていた。裕美ちゃんは笑いながらも一瞬表情が翳った。「先生、私もさ・・・友紀ちゃんと同じようなことあったんよ」 「え!」 「実はさ、高校の時から付き合ってた子が去年、名古屋で浪人しててね、別れようっていう電話が入ったの。それでね、私行ったの。東京じゃないけど名古屋まで・・・。先生、この私が行ったのよ、信じれる? 新幹線で1時間もかかって」 「で・・・」 「うん、その時はもう一度やり直そうとなってルンルンで大阪に帰ってきたけど・・・やっぱりダメだった」 「・・・・」 そんな時に剛が登場。少しだけ心残りで、ライブの後の飲み会でもそれ以上のことを聞くキッカケがなかった。

 3期生の中山亜子が5月20日に結婚する。亜子もまた天然が十分に入っているタイプ、つまりは友紀や裕美ちゃんと同系列に属す。ウチの塾に入ったのは中3から。数学以外の教科はそこそこいいものの、数学は思考的な問題に難があった。「まるで歩く公文式やな」と冗談を言うと亜子ちゃん、オズオズと「実は私のお母さんは桜ヶ丘で公文式の教室をやっているんです」 夏休みの夏季講習、小学校レベルにさかのぼり思考力を要する問題を解かせた。弟の智博(当時小学6年)が解けた問題を解けずに落ち込んでもいた。しかし亜子の取り柄は天然ボケとシンプルな粘り、これを武器?に三進連3回で久居東中1位となった。その成績表を俺に見せながら俺達は黙りこくった。沈黙を破るように俺は言った。「亜子ちゃん、君が東中の1番なんて何かの間違いや。これは悪い夢やったってことにしよや」 亜子ちゃん曰く「ええ・・・、私もそう思います」 そして三進連4回もまた亜子ちゃんが1番だった。俺は言った。「マイッタよな」 亜子ちゃんもつぶやいた。「ええ・・・、本当に」 「悪い夢が2度も続いたな・・・」 「ええ・・・」 俺は内心小躍りしたくなる思いだったが、亜子は心底自分が東中で1番だということに疑いを抱いていた。つまりはそんなタイプだったのだ。そして5回の三進連で4番になった時、コロコロ笑いこけながら言った、「もう、これでホッとしました。これで落ち着いて勉強できます」 高校は津西へ進学。塾を続けるなか、コピー機の印刷ボタンを押してボタンを陥没させた経験を持つ。「スゲー力やな!」と唖然とする俺や大学生に顔を真っ赤にして「偶然です!」と抗弁していた。さらに座った途端にイスが壊れた。みな、さもありなんと眺めていた。亜子ちゃんは必死で「違うんです!これも偶然です!」と叫んでいた。ほのぼのとしてイイ女の子だった。俺もまた双子の娘、レイとメイを持つ親として、亜子ちゃんみたいな女の子に育ってほしかった。お母さんの影響が大きかったと思う。ほのぼのとして、太陽みたいなお母さんだった。ウチの娘達をこんなステキな女性と触れ合わせてあげたい・・・その一心で公文嫌いの俺が双子の娘達を中山先生の教室に入れることにした。教育の中核を成すのは「人」である。

 その後、亜子ちゃんは南山大学文学部に進学。就職氷河期ゆえに「1号館」しか内定が出ないという苦しい展開。「さすがにあの時は私、痩せました」という逆境から一転、女子採用枠3人に600人が応募するという大激戦のすえ、なぜかツーカーセルラー東海へ就職が決まった。面接担当者もまた、彼女のほのぼのとした天然ボケに魅入られたのだろう。

 1年に2,3度、亜子ちゃんのお母さんと俺と奥さんとで食事をすることにしている。「一体いつになったら嫁にいくのでしょうね」と言うのがお母さんの常だった。「心配いりません。あの天然ボケを愛してくれる人はいつか絶対に出てきますから」 そう言うのが俺の常。そんな亜子ちゃんの結婚が決まった。今年27になる亜子が「今まで待ってて本当に良かった」と言ったとか(弟の智博発言)。幸せになってほしい、切に願う。

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『れいめい塾』発25時 過去ログ 2000.5.7

2000年05月07日 15時45分54秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集

 北野君(鈴鹿中央病院第2内科勤務)に子供が生まれた。奥さんの名前、美穂からとったのかな?真萌という名前だという。5月3日、塾は俺が大阪にいたことから休み。新米パパの北野君、命名祝いの紅白饅頭を持って家のほうに姿を現した。「娘さん、かわいいでしょ?」というウチの奥さんに元来の童顔をこれ以上もなくほころばせて「ええ。本当にかわいいですね」とうなずいたとのこと。子供が生まれることが分かると、さっそくそのジャンルに詳しい橋本君(山田日赤病院第1外科勤務)の携帯に電話。どのメーカーのデジタルカメラがいいかを尋ねたとのこと。

 北野君は橋本君の紹介で「れいめい塾」に密航。この密航というフレーズはプロレス者なら分かる。遠距離にある会場に深夜列車や夜行バスで乗り込むことをさす。奈良県出身で医者になりたいという真摯な希望を生真面目さだけを武器に1浪の後に合格。得意教科が英語と国語という変り種。4月22日に結婚した公則の姉、山田智子の英語と国語を担当してくれた。翌年は6期生、翌々年は7期生。特に7期生の富永健之(中央大学法学部4年)に与えた影響は大。「僕は中学の時、オール5を取ってやろうと思って必死に勉強したんです。でもどうしても体育と美術はダメだった。放課後校庭で鉄棒の練習を毎日やったんですけどできなかった。美術もそうです。どんなにうまく描こうとしても才能がない。それに対して5教科は努力さえすれば5が取れる。才能は絶対にない。誰だって努力すれば伸びるはずです」 去年、医学部長の珠久教授を仲人に鈴鹿サーキットで結婚式を挙げた。俺と奥さんはそろって招かれた。席次表の俺達の紹介に「恩師」とあった。果たして俺は北野君に何かを教えることができたのだろうか。ウチの塾で教えてくれる医学部の学生はなぜか浪人が多い。現役生から「バイトをさせてほしい」と頼まれて、飲み屋で会ってはみるものの、俺の涙腺を刺激する学生はいなかった。どうしようもないことかもしれない。難関と言われる医学部に現役で入る。才能にも恵まれ、また才能におごることなく努力もしただろう。しかし、他人に対して思いやりに欠ける。たとえば数学が分からない生徒に対して「なぜこれ分からんの?」などと気楽に言う感覚。それが俺には分からない。自分は簡単だから他人もまた簡単だろうという幼い思い込み。人間に対する理解が皮相的すぎる。ついついもてあましてしまうし、酒を飲んでもおもしろくない。結局、ウチの塾でバイトする医学生はいつしか浪人だけになってしまった。それもかなり濃いタイプ、癖があるというか、一筋縄ではいかない面々が集まってくる。この意味で橋本君のカ目ききはズバリだったと思う。つまりはウチの塾の体質に合うかどうかを意識的にか無意識なのか、ともかくも正鵠を射た。橋本君がスカウトしてくれた記念すべき1号が北野君だったわけだ。

 
 以下、工事中。

 長谷川君の披露宴の話題を書く予定です。決してマージャンで負けたスカイバレーの支配人・シューちゃんのことは書きません。宣誓します。安心してや、シューちゃん。(3日午後8時)

 長谷川君の披露宴は明日、5月4日午後6時から。場所は津駅西口から博物館へ歩くと右側にある・・・なんという店か忘れました。明日、橋本君にでも聞こう。ちなみに橋本君が彼女を連れて来るという噂、ホンマかいな?

 5月4日、午前2時からウチの塾はハイ・スパート! 青木の健ボーが塾に姿を見せる。そして日比剛、なぜか甚ちゃんと谷君までが塾に現れる。健ボーがフルボリュームで就職について、結婚式についてまくしたてる。そして甚ちゃんがうなずいている。今度は矛先を変えて俺に尋ねる。「先生、ほんとに公則の結婚式でケーキ投げやったん?」 俺は顛末をしゃべる。「俺さ、兄ちゃんの結婚式に出たんさ。あんな雰囲気の中で絶対にそんなことできんわ」 「ちっとばかし盛り上がりに欠けてたからね。親族の皆さんは富山からわざわざやってきた。『今日の結婚式は大変やったけど楽しかったな』てね感じで帰ってほしかったんや」 「収拾はついたん?」 「すぐに公則には『新婦側の親族にビールをついでまわれ!』ていう指示を出したよ」 「なんで?」 「ケーキまみれの新郎が一人一人ビールをついでいく。『この新郎は優しい人やな。塾の先生はワケの分からん人やけど、この新郎は信じられるなってね。わりと冷静に考えてるやろ?」 「ホームページの25時には記憶がないって書いてたやん」 「まあね」 「アカン! ええかげんな人や」 そんなところへ橋本君から電話。「先生、明日はどうされます?」 「とりあえずはスーツでいこうと思ってんやけど。クリーニングが間に合わへんだんや」 「僕は次の日、多度大社の祭りにバイトで行きますから、津のホテルに泊まります。披露宴が終わったら飲みましょうよ」

 かなり飲んだようだ。朝ベッドで身体を起こすと隣に健ボーが寝ている。二日酔いでフラフラになりながら家に戻ると17歳の少年によってハイジャックされたバスへ警察が突入していた。アナウンサーの絶叫を聞きながら再び眠りに落ちた。

 健ボーの車は白いジープ。塾の前に止まっていたそのジープに気づいたのは竹中。3階に上がりベッドの上で眠りこけている健ボーを起こす。アクビをしながら目を覚ました健ボー、「竹中! なんでオマエがここにおるねん」

 去年の北野君の結婚式の話をしながら奥さんと久居駅まで歩いた。久しぶりに腕を組んでいた。結婚以前も以後も腕を組むなんて動作、のべにしても10回もない。話題が橋本君のスピーチになった時、奥さんあわてて言った。「長谷川君からスピーチを頼まれていたわ」 「まいったな、突然言われたって」 「だって、昨日は私かなり怒っていたから。いったいいつになったら大阪から帰ってくるのか、連絡はないし。本当に男はいつだって待たせるだけだし。それもよりによって5月3日だし・・・」

 5月3日は俺たち夫婦の結婚記念日だった。結婚して12年がたつ。12年前のあの日、ゴールデンウィークの渋滞のなか友人たちは全国から津に集まってきてくれた。友人が中心の結婚式、時間は2時間近く延長となり、俺は『ぐでんぐでん』を歌っては会場の中を走り回り、ケーキを投げまくった。手前味噌ではなく楽しい結婚式だった。

 いつ買ったか思い出せないスーツを身にまとい津駅西口から博物館のほうへ歩く。10分ほどでフェニックスというお店にたどり着く。ドアを開けると満面に笑みをたたえた長谷川君が迎えてくれる。身体が引き締まった? いや痩せたって感じだ。さぞや・・・と思いつつ視線は横に。ボーイッシュでスラリとした女性、これが奥さんか・・・と思いつつ挨拶。「塾の話はよく聞いていますよ」と、泌尿器科の村田先生こと長谷川君の奥さん、にこやかに言う。そして茅野君が現れ、少し遅刻して橋本君もやってきた。茅野君もスピーチを頼まれたとかで落ち着かない様子。橋本君は昼過ぎから津駅前のパチンコ屋にいたそうな。乾杯の音頭は泌尿器科の先輩、そしてさっそくスピーチが開始、俺がトップ。内容はホームページに載せた春についてのネタ、10年かかってドクターになった長谷川君が入局1年にして家庭を持つ人生の魔可不思議。そこそこ受けホッとして席につくと茅野君が赤面している。次は村田先生の友達がスピーチ。茅野君、思わずため息。そして司会者の「お食事が用意してございます。皆様でしばしご歓談を・・・」という挨拶に茅野君再び大きなため息。

 オーベンという言葉が病院関係の言葉にあるらしい。ドイツ語からきたようだが、それに日本語の大小にひっかけてコベンという言葉ができた。オーベンとは入局したての医師の面倒を見る入局して3年ほどのキャリアを持つドクターのことを指す。そしてオーベンに指導されるビギナーのことをコベンというらしい。つまり新郎の長谷川君はコベンで、新婦の村田マリコ先生は長谷川君を指導するオーベンだったわけだ。「そんな2人が結婚するって珍しいパターンじゃないの?」と、長谷川君に聞くと「確かにあんまりないパターンですね。たまにオーベンが男性でコベンが女性というのならあるようですが」 「そやろな。でさ、昨日も健ボーなんかと話していてどうしても聞きたいことがあるって。そんな関係、子弟関係の2人がさ、どんなキッカケで恋愛関係に発展したんかいな?」 このあたりの仔細は橋本君も知らないらしい。「やっぱ長谷川君から言ったんやろ、と健ボーが言うんやけど俺は今イチ、どうにもジグゾーパズルがはまんない。コベンという弟子の身分をついついわきまえてしまいすぎるのが長谷川君やと思うしね」 「僕は彼女が言わせたと思いますが、彼女に聞いたらきっと僕が言ったと言うと思いますよ」 

 お互いどうしがお互いを意識するキッカケとなったこと・・・看護婦がそれなりに2人のことを噂し出した時があったという。特別に意識はしていなかったというものの、すでに親密な雰囲気があったのかもしれない。オーベンとコベンが仕事帰りに食事をすることは珍しくない。そんな食事の時、マリコ先生は切り出したという。「最近、看護婦が私達のことを噂しているけど・・・。実際のところはどうなの」 「そりゃ・・・好きですけど」 「そう・・・」

 これは長谷川君からのネタだが、確かに告白したのは長谷川君だ。しかしマリコ先生の戦略にしてやられたという感もある。マリコ先生の友人、橋本君の先輩となる第一外科の女性の先生が冗談めかして言っていた。「鈴鹿中央病院のほうでは、オーベンがコベンをもてあそんだらしいの風評が立っています」 でもあんなステキな先生ならもてあそばれるのも大歓迎やん、長谷川君。「新婦は家で料理を作ってるんですか?」という質問にはマリコ先生、「週に1度か2度は・・・。後はブロンコ・ビリーかサガミかな」 「新郎は家で何をしてるんですか?」という質問には「ゴミを出してくれてます」 これには店内大爆笑。かなり雰囲気が盛り上がった頃に茅野君のスピーチ。「僕は頭が悪いもんでカンニングペーパーで失礼します」 すかさず橋本君がヤジを飛ばす。「学生の時と同じやん!」  

 仕事場では当然にしてマリコ先生が先輩、長谷川君は敬語を使うそうである。しかし家ではなんとか対等に話そうと思うものの、ついつい仕事場の延長になっていまうそうである。マリコ先生はこれで長谷川性になるわけだから泌尿器科に2人の長谷川先生が誕生することになる。「長谷川先生」と呼ばれて2人が振り向くなんて光景を想像すると微笑んでしまう。

 長谷川夫妻に幸多からんことを祈る。

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れいめい塾25時 2000.5.1

2000年05月01日 20時00分36秒 | れいめい塾発 25時 過去ログ集
4月23日、前日の公則の結婚式の酔いが覚めないまま、4期生辻本光生の結婚披露宴に出席することになる。披露宴といっても趣向を変え、宮川のほとりでバーベキューパーティである。主催は塾の4期生達。中心になったのは岡田聖志こと聖ちゃんと宮崎周司こと宮チンの2人。この2人は朝早くから火を起こしに宮川へ。そして後の面々、4期生の林直樹・奥田孝一・谷本篤・臼井章に新婦の友達、そして今日の主役である辻本と奥さんは10時30分新しい塾を出発。俺も3人の娘達を車に乗せ、何年かぶりの家族サービスもどき。

 辻本は中2年の時に塾に入ってきた。古い塾のドアを開けたのは6歳年上のヤンキー(辻本発言)姉ちゃん。その後ろにオドオドして立っていたのが辻本だった。「先生とこは誰でもはいれるの?」と茶髪の姉ちゃんが尋ねた。「やる気さえあればね」 「そう、光生! やる気あるよね!」 この愛情の押し売りとも言える恫喝に心細げな少年、しおれるような声で「うん」とポツリ。「じゃあ決まった。先生、お願いします」 こんな感じで辻本は塾に1歩を踏み出した。しかし見事なほどに勉強はできなかった。5教科で200点すらなかった。とりあえず難しい問題はさせずに基本的な問題だけに絞った。そして1年の英語の教科書を毎日塾に来ては書かせた。thisは書けるがthatは書けない。boyは書けるがgirlが書けない。そんなレベルからのスタート。始めは1年の教科書を1回書き写すのに5時間かかった。1週間後に3時間、ひと月後には2時間、そして夏休みが終わる頃には1時間を切るようになっていた。正確な英単語が書けるようになったものの文法理論はからっきし。今度は基本文型を延々と覚える毎日が続いた。生半可な理論より身体に英語を覚えさせようとした。効果が出るまでに1年間を要した。中3に進級するころにはやっと人並みの英語となっていた。ボロボロの数学では、中2の3学期から図形を捨てて3年1学期の中間テストに絞って勉強させた。とにかく自信を持たせてやりたかった。おとなしくてからかうとおもしろい、学校のほうではイジメの対象になっていた。そうだろう、何に対しても自信がない。ウザイ、そんな存在だったんだろう。とにかく自信をつけるのが今の状況を変える唯一の方策のように思えた。数式を上げる方法は簡単だ。同じ計算問題を何度もさせる。本質的理解とは程遠いが、どうしても点数を上げるには、繰り返しさせることが最短距離だ。そして平方根の単元テストで辻本は100点を取った。先生から返却される際に点数が告げられた。その一瞬、クラスがざわめいたという。辻本にとり生まれて始めて取った100点だった。小学校でも一度も100点を取ったことがなかったという。おとなしくて勉強もできない、からかうと反応がおもしろい、イジメのかっこうの対象であった。しかし勉強が分かり始めて辻本のなかで何かが変わった。イジメられているばかりでなく、言い返すようになった。点数も300点を超えた。しかしそんな点数を維持するにはハードな勉強を強制せざるをえなかった。深夜遅くまで塾にいて遅刻を繰り返した。点数は上がったものの通知表の成績はスズメの涙ほどしか上がらなかった。20番内の順位にいた英語ですら評価は10段階で4。得意の英語が4では後の教科は押して知るべし。9教科合わせても22しかなかった。行く高校がない、三者懇談で担任は言い放った。「れいめい塾にいるんでしょ。2群でもどこでも受けてもらって結構です。でもはっきり言っときますけど、こんな生活態度の悪い生徒は三重県中捜したって、入れてくれる高校はどこにもありませんよ」 俺は頭に来た。陰湿なイジメをただ我慢するだけで耐えてきた、そんな生徒が勉強を始めて順位が上がるなかで、なんとか言い返せるようなタフさを持ち始めた。しかし生活態度に問題あり、つまりは遅刻・授業中の居眠りなんかをさすんだろう。でも陰湿なイジメを繰り返す奴が無遅刻無欠席なら品行方正となる世界。この時期、東中の文化祭や運動会を見学に行っていた俺に「学校関係者以外の方は来ないでいただきたい」という連絡を親父を通して伝えられた。露骨なパッシングが行われていた。ウチの生徒の内申は軒並み下がった。東中順位1位の臼井ですら内申54、愛嬌だけで売っている邦博はやっとの60、笑顔が愛らしく先生方から愛されている荒川だけが67。その他の面々は惨憺たるもので、横山が51、谷本が46、森下に至っては42。こんな状況では狙う高校は2群しかなかった。内申が多少悪くっとも合格させてくれたからだ。やむをえずウチの塾は2群に絞った指導をしていくことになる。そのあげく「あの塾は津しか受けさせない」との噂が広がっていく。

 辻本が行ける高校を探した。そして久居農林に目を付けた。多少内申が悪くっても当日の成績がトップ3番なら合格すると関係者から聞いたからだ。トップ3番ね、なんとかなるやろ? 「今日からは別に学校へ行かんでいいわ」 もう1人、2群を狙う森下も内申の悪さから「オマエなんかが2群に合格したら2群の恥やわ」と罵倒されていた。この似たもの同士の森下と辻本は、ラスト1ヶ月のほとんどの時間を塾で過ごしていた。ちなみにこの2人以降、「学校へ行かんでいいわ」と、塾で勉強させたのは13期生の飯田隆哉までいない。つまりはこの空白の10年間、俺は品行方正な塾をやってきたってわけだ。

 合格発表の日、俺は生徒達を車に乗せ2群の合格発表会場の津西へ。森下が合格した。塾生たちから胴上げされ地面に放り出されると祝福のキックを雨アラレと食らっていた。これで2群の恥が一人誕生した次第。しかし直彦が落ち、谷本も落ちた。横山と臼井と邦博は合格していた。2群に合格した面々を乗せ本日のメーンエベント会場、久居農林高校へ。人影のない掲示板に俺達は死刑執行囚のように近寄っていった。『辻本光生』の名前を見つけた時、俺は身体から力が抜けその場にへたり込んだ。4期生と過ごした、辻本と過ごした年月を思った。視界が曇るなか、くぐもった声で辻本に怒鳴った。「ホンマに合格してるのか、あそこにいる先生に聞いてこい!」  冗談のつもりで言ったものの辻モン、ホンマに合格書類を渡している先生方にトコトコとロボットのような足取りで近寄っていく。先生方が辻モンに何かささやいていた、微笑みながらだ。辻モンが戻ってきて俺達にご丁寧に報告しやがった。「先生、僕、ほんとうに合格してるって」 「当たり前だろ! このバカ野郎!」 俺は辻モンの身体を抱え上げてパイルドライバーで砂地の上に頭を叩きこんだ。沈黙、俺は一瞬「塾の先生、合格発表会場で生徒をプロレス技で死なす」という笑えないリード文を思い浮かべた。辻モンの顔をのぞきこんだ。嗚咽。顔をクシャクシャにして泣いていた。まわりで2群に合格した邦博や横山や臼井が笑っていた、涙を流しながら笑っていた。

 久居農林に合格した辻本が暗い顔で塾に姿を見せた。「どないした? またイジメられたんか」 「違うよ、先生。実はさ、英語のことなんやけど」 「英語? 英語だったらオマエ、分からへんはずないやん。津高やったらともかく農林やったらオマエがトップだろ」 「英語の本がさ、臼井やヨッコン(横山)の本と違うねん」 俺は辻モンが何を言おうとしているのかを理解した。しかし、それはどうしようもない、そう心の中でつぶやきながら辻モンの話を聞いていた。「農林の英語の本さ、大きいんや。すごく見やすい、でも字も大きい。中学のときの教科書よりも大きい。中1の教科書と同じくらいかな。そして始めのページはアルファベットの練習。昨日第1回目のテストがあって、それがアルファベットの大文字と小文字のテストなんや。そして英作文が、This is a pen.と Is this a pen ? と This isn’t a pen.なんさ。満点やったんさ、僕。でもみんなも満点やろと思ってたらクラスで3人だけ。まわりにいた奴が言うんさ。『おまえ、すごいな』って。僕さ、情けなくてさ、泣けてきたわ。僕もさ、臼井みたいにさ、小さくて字の細かい教科書で勉強したいなって思ってさ」 「じゃあ、高校やめるか?」 「いや、そんなんじゃなくて・・・、先生にちょっと愚痴が言いたかっただけなんさ」 「愚痴ならいつだって聞いてやるよ」 「ありがとう。そうそう、先生」 「なんや」 「俺さ、ボクシング部に入ったんさ」 辻本は照れくさそうに言った。「ボクシング部!」 辻本とボクシング、あまりのミスマッチに俺は言葉を失った。 「うん、ずっと前からやってみたかったんさ。まあ、英語には少々落ち込んだけど、ボクシング部はこのへんじゃ農林しかないしさ。農林に入って良かったと思ってるんさ」 「そりゃいい。俺、格闘技系大好きだから試合が決まったら見に行くよ」 「ホント? ホントに来てくれる?」 「ああ、邦博や臼井も連れていくよ」 「絶対やに。約束やに」 辻モンはいくらか機嫌を良くして帰っていった。英語の話、これはどうしようもなかった。5文型もマスターし、大学受験用参考書のSやらVやらOやらCの意味を理解している辻モンにとり、高校英語のスタートがアルファベットの大文字小文字からとは残酷な話だった。しかし、ボクシングがあって良かった。本当に良かった。あ奴が熱中できるものが農林にはある。でも、ボクシングったって、あ奴の身体じゃ一番軽量のモスキート級ですら減量する必要もねえじゃないか。そして持ち前の優しさ、気の弱さ。相手をドツキ倒す辻本を想像してみた。イメージし辛かった。果たして続くんかいな? 不安に感じながらシャドウボクシングしてるつもりだろうが、タコ踊りにしか見えない辻本の後姿を見送っていた。

 農林の1年時、辻本は3戦して3敗。それでもクラブをやめる気配はなかった。ウチの塾のカラオケ大会で俺は辻本を指名した。「何の曲?」 ノンキにかまえる辻本に俺は言った。「ここでボクシングのエキビションマッチやろや」 「ええ!」 「ルールは3分1ラウンドでどや。顔面ありや」 「先生、アカンて。先生飲んでるし」 「いいじゃねえか、ハンデだ」 強引に引っ張り出し30人ほどが見守るなか、缶チュウハイの空き缶を叩いてゴングが鳴った。嫌がる辻本をコーナーにつめて連打、顔を狙う。辻本はガードだけで打ち返してこない。それじゃあとばかりに攻め込む。すくい上げるようにアッパーが辻本の喉に入った。一瞬、辻本の目が変わる。再び顔面めがけて連打。そこに一発を食らう! 何?ってな感じで俺は尻餅をついた。この時の現場に居合わせた5期生の折笠が言う。「びっくりしました。ボクシングのマンガでよくあるやつ。下からのボデーブロー、いやアッパーかな、ともかくよく相手の身体が浮く描写がありますよね。大げさやな、なんて思ってたら、辻本先輩の一発で先生の身体、浮きましたよ。スゲー!ほんとにこんなことってあるんやって」 この折笠、後に久居中から2群に合格し津西に進学。そして現役で日本大学に進学すると永年の自分の夢、ボクシング部に入る。カラオケ大会で見た辻本の強烈な印象、自分もいつかはボクシングをやりたい!そう、この時に思ったそうな。タイプ的にイジメられっ子で辻本と同様、強さに対する憧れがあったのだろうか。ともかく闇雲に俺は立ち上がった。3分ならテクニックが問題じゃない。気迫勝負だ。再び突進して連打。しかし辻本はスウェーバックしてかわしていく。「チョウのように舞い、ハチのようにさす」ってか、クソッ! 大振りを繰り返す俺の合間を突いてサウスポー辻本の左ストレートが俺の胸へ。長い長い3分が終わった。辻本が俺に言った。「先生、大丈夫?」 「大丈夫だよ、バカ野郎。こんな調子でやりゃ,試合に勝てるだろ」 当惑げな辻本。「でも先生、みんな,先生よりも強いよ」 「悪かったな、この野郎、イテテ・・・」 後で医者に診てもらうとアバラ骨にヒビが入っていた。「とにかく試合に勝ってみろ。気迫勝負だ、オマエ、アホなのに優しいんだから。ワケの分からんこと考えるな。とにかく相手を叩き潰すつもりで行け」 「うん、がんばるわ」 「オマエはサウスポーだ。俺達右利きにすりゃイヤな相手だ。でも気がいいのか、やさしいだけが取り柄なのか、俺に合わせて動こうとする。バカだよ、逆に回れ!逆に! 分かったか」 「すごい戦法やな、先生」 「バカ野郎!そんなこた常識だよ」 「そうか。うん、僕がんばるわ」 

 2年に進学した辻本、なんとボクシング部のキャプテンになった。「なんでオマエなんかがなれるねん」と言う俺に辻本、「監督がな、毎日練習に来るからやて」 そして辻本はインターハイ地区予選に出場することになった。三重県にはボクシング部を擁する高校は数えるほど。辻本のモスキート級も4人で県代表を決めることになった。会場は久居農林高校、俺は4期生の面々と応援にくり出した。相手は三重水産高校の1年だった。スラリとした長身、マスクも相手の方が格段に上だ。試合が始まった。辻本は練習したのだろう、サウスポー特有の右回りで相手をけん制する。相手はやりにくそうな表情を浮かべる。身体を丸め込んで何度も相手の懐に入ろうとする辻本。それを嫌がり離れようとする若きハンサム。決定的なチャンスはなく1ラウンドは終了。観客席のあちこちから「タイソンいいぞ!」と観声が飛ぶ。タイソン、辻本のあだ名だ。いつしか辻本は久居農林で自分の居場所を見つけた。そして2ラウンド、栄養失調気味のマイク・タイソンが前に出て行く。幾度か殴り合うシーンは見られたものの有効打はなし。1ラウンドと同じ展開で試合は進んでいく。辻本は前へ、前へ、前へ・・・、相手がビギナーなのが幸いしたのだろう。何の工夫もなく後退を続ける。2ラウンドが終了し辻本がコーナー引き上げてきた。精も根も尽き果てた、そんな表情でロープに寄りかかった。審判が2人をコーナーから呼んだ。リング中央で審判に手を握られて2人のボクサーが試合結果の発表を待つ。静寂・・・そして審判は辻本の手を上げた。ドッ!と巻き起こる観声。おいおいおい、これって予選の1試合目だろ。まるでお祭り騒ぎやん。辻本が誇らしげにリングを降りた。ビデオカメラのレンズの向こう、辻本の顔がアップになった。「先生、勝ったよ!」 こ奴のこんな晴れやかな表情を見るのは始めてだった。

 あれから9年がたつ。辻本はボクシング部の監督の紹介で県内準大手の建築会社へ就職。そして去年の暮れ、彼女を連れて塾に姿を見せた。「先生、僕な、来年の3月15日に籍を入れるんや」 「式は?」 「式は挙げずに親族だけで写真だけは取るつもりやけど。写真館は塾のそばの・・」 「スタジオ山本か」 「うん、だから先生も見に来てよ」 「ああ、じゃあブラッと見に行くよ」

 3月15日、俺は見学だけのつもりが辻本の母親の「ミッチャンは先生が大好きやから、先生一緒に写真に入ったってください」 俺はGパンに薄汚れたジャンバー。礼服で着飾ったなか、ホームレス風情が辻本の真後ろに立った。バシャ!バシャ! フラッシュのなか、俺の笑顔はぎこちなく、身体の中からこみ上げて来る感情に押しつぶされそうだった。

 4月23日、宮川の河川敷。辻本は出来あがったばかりの写真を広げ、懐かしい仲間達が閉口するまで見せびらかしていた。その笑顔、俺のなかで9年前にリング上で見せた笑顔とダブって見えた。

 今日、5月1日。長谷川君が名古屋のヒルトンホテルで式を挙げる。

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