今日はSさんの結婚式。場所は大江戸線の若松河田駅そばの小笠原伯爵邸(という名前のレストラン)。受付は10時半からで、11時から挙式。10時半に着くように家を出るつもりが、出がけにバタバタして、挙式にギリギリで間に合うかぐらいの時間になってしまった。
京浜東北線の車内で考えた。東京駅前からタクシーに乗れば、東京駅から大手町駅(東西線)まで歩く時間と、飯田橋駅で東西線から大江戸線に乗り換える時間が節約できるなと。そうしようと思った途端、財布がないことに気が付いた。書斎の机の上に忘れてきてしまったのだ。し、しまった。タクシー代がない(JRの定期とパスネットしかない)。しかたがない、ぎりぎりになるが、やはり地下鉄で行くしかないか…。
いや、待て。祝儀袋の中には一万円札が数枚入っている。これを使うという手があるじゃないか。いや、それはだめだ。一枚抜き取ると、お札の枚数が偶数になってしまう。二で割れる数は縁起が悪い。かといって二枚抜き取ると、今度は、金額がみすぼらしくなる。一応、今回は新婦側の主賓である。それに、内袋には金額が記してある。それと中身が合っていないとおかしいだろう。かといって記してある数字を線で消して、それより小さい数字に書き直したら何だと思われるだろう。そういう思考回路を瞬時に経て、うん、やはり地下鉄でいくしかないと腹を決める。祝儀袋の中のお金に手をつけるなんて、親が子供の学資保険を解約して借金の返済に充てるようなものだと、前々回の『Dr.コトー診療所』で時任三郎が演じた原剛利の苦悩を思ったりした。
小笠原伯爵邸には11時5分前に到着。ギリギリでセーフ。中庭で挙式が始まる。純白のウェディングドレスに身を包んだ新婦がお父様と一緒にバージンロードを歩いてくる。実に美しい。これほど美しい花嫁を見たのは、23年前の自分の結婚式以来である。
11時半から披露宴。新郎の会社の上司の方の音頭で乾杯。前菜とスープの後に新郎の大学時代の恩師(早稲田大学政経学部の大学院のA教授)のスピーチ。見ると、しっかりと原稿を用意されている。私もそうすべきだったか(私のスピーチ原稿は頭の中にしかなく、それも大雑把な流れが書いてあるだけ)。A教授のスピーチは驚くべき事実の開示から始まった。新郎は学部(人間科学部)を首席で卒業したのだという。ひゃー、知らなかった。それはすごい。以下、A教授のスピーチは新郎がいかに優秀な人物であるかを語って倦むことがなかった。
その後に私のスピーチ。新婦は成績は首席ではなかったと思うが、その知的な美しさにおいて首席クラスでありました、と話を切り出す(この部分はアドリブ)。そして、例のメガネのエピソードを紹介し(ただし「メガネをかけてみて下さい」という注文はせず)、家族社会学的見地から新郎新婦の相性が非常に良いことを検証し、最後にジョン・ラスキンの「雲」という詩を朗読して二人に捧げる。
スピーチを終えて席に戻ると、同じテーブルのKさん(Sさんと同じく私の教え子の一人)が、「私も先生にスピーチをお願いすればよかった…」と言ったので、「わかった。じゃあ、君の二回目の結婚式のときにね」と返答すると、すでに二児の母であるKさんは、「な、なんてことを仰るんですか、先生!」と真面目にあわてふためいていた。彼女のそのあわてふためきかたは、学生の頃とまったく同じで、それが可笑しかった。
京浜東北線の車内で考えた。東京駅前からタクシーに乗れば、東京駅から大手町駅(東西線)まで歩く時間と、飯田橋駅で東西線から大江戸線に乗り換える時間が節約できるなと。そうしようと思った途端、財布がないことに気が付いた。書斎の机の上に忘れてきてしまったのだ。し、しまった。タクシー代がない(JRの定期とパスネットしかない)。しかたがない、ぎりぎりになるが、やはり地下鉄で行くしかないか…。
いや、待て。祝儀袋の中には一万円札が数枚入っている。これを使うという手があるじゃないか。いや、それはだめだ。一枚抜き取ると、お札の枚数が偶数になってしまう。二で割れる数は縁起が悪い。かといって二枚抜き取ると、今度は、金額がみすぼらしくなる。一応、今回は新婦側の主賓である。それに、内袋には金額が記してある。それと中身が合っていないとおかしいだろう。かといって記してある数字を線で消して、それより小さい数字に書き直したら何だと思われるだろう。そういう思考回路を瞬時に経て、うん、やはり地下鉄でいくしかないと腹を決める。祝儀袋の中のお金に手をつけるなんて、親が子供の学資保険を解約して借金の返済に充てるようなものだと、前々回の『Dr.コトー診療所』で時任三郎が演じた原剛利の苦悩を思ったりした。
小笠原伯爵邸には11時5分前に到着。ギリギリでセーフ。中庭で挙式が始まる。純白のウェディングドレスに身を包んだ新婦がお父様と一緒にバージンロードを歩いてくる。実に美しい。これほど美しい花嫁を見たのは、23年前の自分の結婚式以来である。
11時半から披露宴。新郎の会社の上司の方の音頭で乾杯。前菜とスープの後に新郎の大学時代の恩師(早稲田大学政経学部の大学院のA教授)のスピーチ。見ると、しっかりと原稿を用意されている。私もそうすべきだったか(私のスピーチ原稿は頭の中にしかなく、それも大雑把な流れが書いてあるだけ)。A教授のスピーチは驚くべき事実の開示から始まった。新郎は学部(人間科学部)を首席で卒業したのだという。ひゃー、知らなかった。それはすごい。以下、A教授のスピーチは新郎がいかに優秀な人物であるかを語って倦むことがなかった。
その後に私のスピーチ。新婦は成績は首席ではなかったと思うが、その知的な美しさにおいて首席クラスでありました、と話を切り出す(この部分はアドリブ)。そして、例のメガネのエピソードを紹介し(ただし「メガネをかけてみて下さい」という注文はせず)、家族社会学的見地から新郎新婦の相性が非常に良いことを検証し、最後にジョン・ラスキンの「雲」という詩を朗読して二人に捧げる。
スピーチを終えて席に戻ると、同じテーブルのKさん(Sさんと同じく私の教え子の一人)が、「私も先生にスピーチをお願いすればよかった…」と言ったので、「わかった。じゃあ、君の二回目の結婚式のときにね」と返答すると、すでに二児の母であるKさんは、「な、なんてことを仰るんですか、先生!」と真面目にあわてふためいていた。彼女のそのあわてふためきかたは、学生の頃とまったく同じで、それが可笑しかった。