フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月25日(金) 雨

2007-05-26 02:51:31 | Weblog
  久しぶりの雨である。高原のような晴天が毎日続いていたので、朝起きて、雨が降っているのが意外だった。でも、なんだかホッと一息つく感じがした。雨を唄った歌はたくさんあるが、今日は六文銭というフォークグループが唄った「雨が空から降れば」(作詞:別役実、作曲:小室等)の気分だ。

  雨が空から降れば
  オモイデは地面にしみこむ
  雨がシトシト降れば
  オモイデはシトシトにじむ
  黒いコーモリ傘をさして 街を歩けば
  あの街は雨の中
  この街は雨の中
  電信柱もポストも
  フルサトも雨の中
  しょうがない 雨の日はしょうがない
  公演のベンチでひとり おさかなをつれば
  おさかなもまた 雨の中
  しょうがない 雨の日はしょうがない
  しょうがない 雨の日はしょうがない
  しょうがない 雨の日はしょうがない

           

  黒いコーモリ傘を差して郵便局に古本の代金を振り込みに行く。帰宅して母にソース焼そばをリクエストする。私が昼食をリクエストすることは珍しいので、母が張り切って具だくさんのソース焼そばを作ろうとしたので、具は控えめにしてほしいと注文する。具だくさんのソース焼そばというのは存外美味しくなくのだ。シンプルにキャベツと小さめに切った豚肉、そして桜エビくらいでいい。ソース焼そばはあくまでも甘辛のソースのからんだ麺が主役である。ソース焼そばの御礼に、母が使っている留守電の応答の声を私が吹き込む。年寄りを狙った電話セールスがかかってきたとき、男の声の方がガードマンの代わりになる。
  夜、山田太一脚本のスペシャルドラマ「星ひとつの夜」を観る。無実の殺人罪で11年間の刑務所生活を送り、3ヵ月前に仮出所してコンサートホールの清掃員をしている中年男(渡辺謙)と、終日自宅でインターネットによる株取引をしている青年(玉木宏)がある日ふとしたきっっかで出会う。そして他人との関係を結ぶのが下手なこの2人の男が、相手のために何かをしたいと思うようになっていく。外国映画であればホモセクシャルな関係を漂わせる展開だが(実際、2人の関係に焼き餅を焼いた清掃員仲間が男の過去を青年に告げ口したりする)、しかし日本のTVドラマではまずそういう方向には展開しない。男は浮気相手の女性を殺した罪で服役していたのであり、青年には彼女がいる。そういう歯止めをかけた上で、なぜ山田太一があえて中年男と青年の心の交流をテーマにしたのかといえば、私が思うに、昨今のTVドラマは恋人同士、夫婦、親子、教師と生徒、そうした類型的な人間関係における絆ばかりをテーマにしていて、われわれがさまざまな場所で日々擦れ違う名も知らぬ他者との交流というものを考えようとしていないからではないか。都市生活という砂漠の中でのオアシス(あるいは反オアシス)ばかりに目が行って、砂漠そのものを緑化する可能性を最初から捨てているからではないか。中年男と青年の会話は、さすがに山田太一、きっちりと作り込まれたものである。こういう抑制の利いた直球でキャッチボールができたらどんなにいいだろう。私もそれなりに日々心掛けてはいるのだが、なかなか上手くいかない。「ごく普通の中年男が山田太一のドラマの登場人物のような会話ができるようになるには相当の稽古をつまなくてはならないのだ!」(帰って来た時効警察風)よろしくお願いします。
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