フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

10月30日(日) 曇り、夕方から小雨

2011-10-31 00:59:23 | Weblog

  8時、起床。バタートースト、牛乳の朝食。

  午前中は教務的仕事。昼から息子と大井町のヤマダ電機へ。パソコンの新作を見て回る。しかし、何も買わず、蒲田に戻ってくる。息子は床屋へ、私は「テラス・ドルチェ」で昼食(ハンバーグセットとコーヒー)。

  昨日購入した沢木耕太郎『ポーカー・フェース』を読む。彼の作品は、ノンフィクションが一番、エッセイが二番、小説が三番だ。エッセイの中では人物を描いたものがいい。たとえば本書の二編目、「どこかでだれかが」の書き出しはこんなふうだ。

  「山梨の、中央本線が通っている小さな駅の近くに、一軒のレストランがある。
   レストランというより食堂と言った方がいいような外観だが、出すものは由緒正しい「洋食」だ。
   その店は老人がひとりだけでやっている。」

  書き出してわずかに4行。もうこれだで、よい作品であるという確かな予感がする。

  あるいは四編目、「マリーとメアリー」の書き出しはこんなふうだ。

  「それは私がまだ二十代の頃のことだった。
   夜、銀座のはずれの小さな酒場に立ち寄ると、吉行淳之介がその店での定位置である右奥の席に座って呑んでいた。雨が降っているせいか吉行さん以外に客は誰もいない。私は少し離れた席に座ったが、客は二人だけである。吉行さんが声を掛けてくれたことをきっかけにして一緒に呑むことになった。」

  これもまた書き出して4行だが、よい作品であるという手ごたえを感じる。

  片や「山梨の中央線の小さな駅」の近くの「洋食屋」の「店主の老人」。片や「銀座のはずれの小さな酒場」の「定位置である右奥の席」に座って呑んでいる「吉行淳之介」。舞台装置が整って、登場人物にスポットライトが当たっている感じ。さあ、いい芝居が始まるぞ、という期待感。

  これは志賀直哉の短篇小説にも通じるもので、たとえば、必修基礎演習のガイドブックで堀江敏幸先生が取り上げた「真鶴」がそうだ。

  「伊豆半島の年の暮れだ。日が入って風物総てが青みを帯びて見られる頃だ。十二三になる男の児が小さな弟の手を引き、物思わし気な顔付をして、深い海を見下ろす海岸の高い道を歩いていた。弟は疲れ切って居た。子供ながらに不機嫌な皺を眉間に作って、さも厭々に歩みを運んで居た。然し兄の方は独り物思いに沈んで居る。彼は恋と云う言葉を知らなかったが、今、其恋に思い悩んで居るのであった。」

  あっという間に、場所と季節と時刻が特定され、登場人物の輪郭があざやかに描かれる。至芸というほかない。

  学生が読むとドキリとすると思うが、学生の書くレポートも最初の数行でだいたい出来不出来がわかる。めったに外れることはない。理由は簡単で、文章に締まりがあるかどうかである。

  「テラスドルチェ」を出たのが2時。蒲田宝塚で3時5分から『ステキな金縛り』がかかるので、それまでの1時間を「シャノアール」で日誌を書く。途中で、娘からメールが入る。件名が「霊感、」。本文が「ある?」。「ない、と思うが、なぜ?」と返したが、続きのメールが来ない。娘にはこういう気まぐれなところがある。そろそろ映画館に入る時刻なので、ケータイは切らねばならない。その前に電話をすると、芝居の稽古でもやっているのか、ざわざわした雰囲気が伝わってくる。「どうしたの?」と聞いてきたから、「それはこっちの質問だよ」と答える。「ああ、メールね。とくに意味はないから。ちょっと聞いてみただけ」と明るい声で娘。私がデュルケームであれば、「この世界に意味(機能)のない現象や事物というものはない」と答えるところだが、映画の時刻が迫っていたので、「そうか。じゃあ」と電話を切る。

  『ステキな金縛り』は、まあ面白かった。彼の監督作品は全部観ているが、デビュー作の『ラヂオの時間』はとても面白かったが、『みんなのいえ』も『THE有頂天ホテル』も『ザ・マジックアワー』も、まあ面白かったというレベルで、それは今回も同じだった。拍手はするが、スタンディング・オベーションまではいかない。なぜだろう、と考える。理由の1つは、編集がいまひとつだからではないかと思う。私の感覚では、もっとカットすべき箇所がある。今回の作品は2時間20分ほどだったが、長いと感じた。部分的に面白いシーンはたくさんある。でも、もっとカットすべきだったと思う。三谷はアイデアの人だから、面白いシーンをどんどん思いついて、実際に、役者に演技をさせているのだろう。しかし、編集の段階でそれらの多くはカットになる。しかし、まだ不十分だ。せっかく演じてくれた役者への遠慮なのか、あるいは自分のアイデア(才能)への執着なのか、たぶん後者ではないかと思うが、それが作品を少しばかり冗長にしている。惜しいことだ。

  次回、ここに映画を観に来るのは、1月下旬になるだろう。

  映画館を出て、時刻は5時半。夕食までまだ時間があるので、床屋に寄ってから帰る。