フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月21日(日) 小雨

2011-08-22 00:35:16 | Weblog

  9時、起床。朝から小雨が降っている。コンビニにパンを買いに行く。街がしっとりとしている。避暑地のようだ。
  夕食の残りのハッシュドビーフ、リンゴジュース、レタス、パン(2枚)の朝食。

  書斎の掃除をする。あの地震のときに書棚の手前に置いた本がかなり落下して、同じ場所に戻すと余震でまた同じことになると思ったので、床の上に積んでいたのだが、それもそろそろ限界で、最近、「あの本はどこに置いたっけ」と発掘調査みたいなことをくり返している。明日から仕事モードに入るので、今日のうちに机周りだけでも片付けておくことにした。

  午後2時を回った頃、雨が小止みになったので散歩に出る。「喜多方ラーメン」で葱ラーメンを食べる。
  有隣堂で『ほぼ日手帳公式ガイドブック2012』(マガジンハウス)を購入。 

  「甘味あらい」に行く。池上の駅から念のために電話を入れると、奥さんが出て、「今日はもう氷のメニューしか残っていないんです」(あんみつ系は売切れてしまった)とのこと。カキ氷を食べるにはいささか涼しいが、まあ、いいだろうと、暖簾をくぐる。店内はエアコンを切っているせいで、外よりは蒸し暑い感じがする。それがかえってカキ氷を食べるのにはよいコンデションだった。氷あずき(600円)を注文。あずきがたっぷりだ(中にも入っている)。あずきの上品な甘さと清冽な氷の歯ざわりがよくマッチしてとても美味しい。 このあずきは小倉トーストにすると美味しいのではないでしょうかとご主人に言ってみたところ、ご主人も小倉トーストは好物で、店のメニューにすることも考えたのだが、トーストの匂いが店内に広がってしまって違和感があるのだそうだ。なるほど。私が金沢の「漆の実」で食べた小倉トーストは絶品であったが、「漆の実」は店が広くて厨房が奥にあった。「甘味あらい」のようなオープンカウンターの小さな店では、餅を焼く匂いはいいけれども、パンを焼く匂いはNGかもしれない。

 
金沢「漆の実」の小倉トースト(2009年3月13日のブログから)

  「甘味あらい」を出て、池上の駅までの道をゆっくり歩く。炎天下のときとはまた違った表情の街を写真に撮る。

 

  帰宅して、『ほぼ日手帳公式ガイドブック2012』を読む。ほぼ日手帳カズン(A5判) を使い始めて2年目になる。生活の中に定着したとみていいだろう。ブログをやっているのに日誌(日記)が必要なのかと思う人がいるかもしれないが、日誌はプライベートな記録で、たとえば、毎朝の体重などは日誌に記録しておくがブログには書かない。ブログは日誌を公開したものではなく、日誌とは別の種類の文章である。文体も違うし、機能も違うが、一番大きな違いは読者を想定しているかどうかという点である。日誌は自分以外の読者を想定していない。自分のためだけに書いている。永井荷風や高見順は公表することを前提とした日記を書いていたが、あれは一種のブログである。彼らがブログをやらなかったのはブログがまだなかったからである。ブログは自己表現だが、日誌は自己確認である。ブログはめったに休まないが、日誌は書けない日が数日続くことがある。あとから振り返ると、それは精神的なゆとりがなかったことが理由であるとわかる。逆に言えば、日誌を付けることは「日誌を付ける程度の精神的ゆとり」を確保するための方法なのである。ブログは原則として一日の終り(就寝前)か、一日の始まり(朝食前)に書くが、日誌は鞄の中に入れて持ち歩いているので、不定時に、ちょっとした空き時間に書くことが多い。そういうちょっとした空き時間もないような生活は私には耐え難い。だから、ちょっとした空き時間があるから日誌を付けるのではなく、日誌を付ける空き時間もないような生活に陥らないために日誌を付けるのである。本当のことはたいてい逆説的なものである。  


市販の帆布製のカヴァーをかけて使っている。