フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月4日(水) 曇り

2009-03-05 02:28:25 | Weblog
  昨夜、就寝したのは2時を回っていたが、5時頃目が覚める。旅先で、あるいは学生を引き連れての合宿先で、熟睡できたためしがない。そもそもベッドというものが苦手である。硬いし、軽い。柔らかな敷布団にたっぷりの掛け布団というのが普段のスタイルなのである。部屋が乾燥しているので喉が渇く。水をコップに一杯飲んで再び眠りに就く。心配していた風邪のぶり返しはないようである。9時、起床。今日は曇り日だ。
  喫茶店「Kaga」に朝食をとりに行く。1年ぶりである。老夫婦でやっている店なので、営業していることを確認してほっとする。けれどメニューが変わっていた。オムレツを注文しようとしたらメニューから消えているのだ。去年の6月に火を使う料理はやめたのだという。そうか、残念。ハムトーストと珈琲のセットを注文。デザート(りんごとバナナと生クリーム)が付いて580円。ホテルのお仕着せの朝食は900円である。山の中のホテルとかなら話は別だが、市街地のホテルに泊まるときは朝食は付けないことだ。でも、朝は和食でないと嫌だという人はそれもいいだろう。朝から和食(定食タイプ)を食べられる店は少ないから。

         

  昨日、娘からもらったメールに「お仕事お疲れ様です」と書いてあったが、娘は誤解をしている。今回、私は仕事で金沢に来ているのではない。息抜きである。だからすべて自腹。外的資金の注入はない。娘は「休養」と「急用」を聞き間違えたのかもしれない。息抜きなら普段からしてるじゃないか? はい、してますけど。ワーク・ライフ・バランスは大切ですから。ただね、日常的世界の中での息抜きと、非日常的世界の中での息抜きは別ものなんです。前者は授業、授業の準備、試験の採点、レポートの添削、会議、原稿書きなどの仕事の合間の息抜きのこと。それに対して後者は、日常的な世界から抜け出しての丸々の息抜きのこと。そのためには日常的な世界と空間的な距離を大きくとることが大切なのだ。

         
                      非日常的空間

  今日は石川近代文学館で長い時間を過ごした。旧制四高のレンガ造りの校舎を使った建物で、とても趣がある。一つ一つの展示室をじっくりと時間をかけて見て回った。

         

         

  金沢ゆかりの文学者はたくさんいるが、泉鏡花、徳田秋声、室生犀星の3人は別格のようである。「文学サロン」と名づけられた読書室には3人の全集がそろっていた。鏡花と秋声は共に尾崎紅葉の弟子だが、不和の期間が長かった。秋声が小説「黴」(明治44年)の中で晩年の紅葉を赤裸々に(自然主義!)描いたのがその原因だとされている。大正15年のある日、改造社の「現代日本文学全集」(いわゆる円本)の中に収める紅葉の作品を決める会合の席で、秋声が紅葉の甘いもの好きを茶化すような発言をしたため、それに怒った鏡花が秋声に殴りかかり、秋声が泣きべそをかくという事件もあった。男が甘いものが好きで何が悪い、と私も鏡花の肩を持ちたいところだが、怒鳴るくらいにしておくべきだろう。そういう二人もやがて仲直りをするときがくる。秋声の小説「和解」(昭和8・9年)はそのことを書いたものだ。「和解」といえば志賀直哉、と思ってはいけない。犀星を秋声に引き合わせたのは芥川龍之介であった。当初、犀星は18歳も年上の秋声に窮屈なものを感じていたが、庭造りという共通の趣味が二人を結びつけた。龍之介が自殺をしたとき、犀星は追悼文も書けないほどのショックを受けた。ようやく1年後、犀星は「芥川龍之介君を憶ふ」を書いた。「文学サロン」で犀星の全集から探し出して読む。龍之介に対するコンプレックとようやくそこから抜け出すことのできた自分ついて書いた文章である。胸を打つ文章であった。鏡花と犀星が初めて会ったのは金沢から東京へ向かう夜行列車の中でであった。鏡花はその直前、初恋の女性と金沢で再会を果たしていて、機嫌はすこぶるよかった。以後、毎年、犀星は軽井沢のウドやワラビを鏡花に届け、鏡花はとらやの羊羹を犀星に送った。犀星は甘いもの好きだったようだ。そして、鏡花は甘いものが好きな男に悪い奴はいないと思っていたに違いない。

         

         
                「芥川龍之介君を憶ふ」から