フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

12月24日(日) 曇り

2006-12-25 03:17:06 | Weblog
  9時起床。身支度をして、自転車で蒲田郵便局(本局)まで速達を出しに行く。4年生のMさんから頼まれている推薦状である。帰宅して、朝食をとり、それから『社会学年誌』に載せる論文の校正(初校)作業に取りかかる。誤字脱字の修正以外に、文章自体を手直しするところが何ヵ所かあって、思いのほか時間がかかった。昼食を間に挟んで、作業が終わったのが午後3時ごろ。再び自転車に乗って蒲田郵便局まで速達を出しに行く。まさに師走である。帰りにくまざわ書店に寄って、しかし、本は購入せず、隣のレコード店で、以下のCDを購入。

  モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466/ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503(グルダのピアノ、アバド指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)UCCG-5016
  モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537/ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488(グルダのピアノ、アーノンクール指揮のロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)WPCS-21048
  モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466/ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467(アンダのピアノ、アンダ指揮ウィーン交響楽団)COCO-70779

  最初の1枚はすでにLPで持っているもののCD版だが、1000円だったので迷わず購入。LPプレーヤーは居間にあるので、聴きたいときに聴けないのだ。さっそく聴いてみたが、やはり第20番はいい。協奏曲というのは独奏者のテクニックを披露する楽曲だと思うが、同時にたくさんの音の出せるピアノが独奏楽器としては最強だと思う。オーケストラを相手にして一歩も引かないところがいい。丁々発止の緊張感が漂っている。しかも第20番は短調の曲だから、その緊張感は悲壮感と隣り合わせである。つまりはドラマチックなのだ。
  2枚目のCDは、今夜の「NHK音楽祭2006ハイライト」(後編)で取り上げられていたアーノンクール(26年ぶりの日本公演)の指揮。グルダは亡くなってしまったが、アーノンクールは今も健在である。「戴冠式」というタイトルの付いている第26番よりも第23番の方に惹かれた。
  3枚目のCDは、映画『みじかくも美しく燃え』の中で使われたピアノ協奏曲第21番の第2楽章を弾いていたアンダが、晩年(死の3年前)、第21番を再録音したものである。グルダの第21番と聴き比べてみたが、清廉という言葉がピッタリの演奏だった。これはこれで素晴らしい。

  夜、M-1グランプリを観た。去年優勝したブラックマヨネーズには驚いたが(彼らの漫才を観たのはそのときが初めてだったのでなおさらだった)、今年のチュートリアルにも、「爆笑オンエアバトル」等でお馴染みのグループであるにもかかわらず、本当に驚いた。『エンタの神様』などに出ている、その場しのぎの、くすぐり笑いとは根本的に違う、確かな話芸と緻密に練られたストーリー(構成)でグングン観客を引き込んでいく展開は見事というほかはない。フィニッシュの瞬間に、おもわず「ブラボー!」と喝采をあげたくなった(まるでクラシックの演奏会のように!)。いつの間に彼らはこんなに腕を上げたのだろう。不思議に思って、去年の大会の録画を見直してみたが(チュートリアルは去年も決勝を戦った)、徳井が福田にシュールに(偏執病的に)絡んでいく展開自体は去年と同じだったが、その絡み方がより一層おかしみをかもしだすようになっていた。「冷蔵庫を購入する」「自転車のチリンチリンを盗まれる」という日常的な出来事を素材にして、これだけ笑わせてくれるとは、いや、ほんと、驚いた。彼らの漫才を社会学の教材に使えそうな気がしてきた。