まりっぺのお気楽読書

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スペイン王フェリペ4世妃 マリアナ

2009-05-05 01:37:50 | スペイン王妃・王女
不機嫌な王妃
フェリペ4世妃 マリアナ・デ・アウストリア


1634~1696/在位 1649~1665

マリアナは神聖ローマ皇帝フェルディナント3世の皇女で
幼い頃からフェリペ4世の王太子バルタザール・カルロスと婚約していました。
しかし1646年にバルタザール・カルロスが急死します。

フェリペ4世に遺されたのは王女マリア・テレサ(後のルイ14世妃)だけでした。
彼女が女王になると、配偶者によっては王位を他家へもっていかれてしまいます。
フェリペ4世はイサベルの死後再婚をしないと誓っていましたが、44歳の男盛り
もうひと頑張りしましょうかというわけで、バルタザール・カルロスの婚約者だった
15歳のマリアナと再婚することになりました。

マリアナの母マリア・アンナはフェリペ3世の娘なので
またもや伯父と姪の結婚ということになります。

      
マリアナはそれまで陽気で明るい少女だったらしいのですが
フェリペ4世と結婚してからは、気難しく冷淡な性格になってしまいました。
スペインのしきたりが堅苦しすぎたとも、笑顔が道化師っぽくて注意されたからとも
はたまた王が浮気を繰り返すからとも言われています。

スペインへやってきたマリアナは、11歳の継子マリア・テレサも
好きになれませんでした。
自分が子供を生まなければ女王になるとあって大事にされ、国民にも人気があって
フェリペ3世にも溺愛されているマリア・テレサを見ていると
母親とはいえ4歳しか違わないマリアナは彼女に激しい嫉妬を感じたのです。

憎たらしいマリア・テレサをスペイン女王にしてなるものかと思ったかどうかは別にして
マリアナは16歳で王女を、その後1女3男を生みました。
けれども1665年にフェリペ4世が亡くなった時生きていた王子は末っ子のカルロスだけで
しかも生まれた時から心身ともに未発達でした。
カルロス2世の精神薄弱や成長の遅れは、やはり度重なる血族結婚が原因らしいです。

3歳で王位についたカルロス2世は言葉もうまく話せず、10歳までは物も握れなかったので
摂政となったマリアナはつきっきりでサポートします。

フェリペ4世には女優マリア・カルデロンとの間に庶子ファン・ホセがいましたが
我が子と違って優秀で、フェリペ4世からの信頼があつかった義理の息子に
マリアナは強い敵対心を抱きました。
本来なら良き助言者にするところを彼の政敵ニタルトを重用し、ファン・ホセの反乱を
招くことになってしまいます。
このため1677年から2年間追放されてしまいますが、ファン・ホセの死で帰国して
ほとんど政治が行えない息子の傍らで采配をふるいました。

              
               どの肖像画を見てもこんな顔なの…
                     たしかに不機嫌そうです


カルロス2世が娶った王妃マリア・ルイサが早世して毒殺の疑いをかけられたり
再婚したマリアナとは後継者を巡って激しいバトルを繰り広げるなど
嫁にはめぐまれなかったみたいですけど、最後まで息子を見守りつつ
カルロス2世に先立つこと4年、1696年に乳癌で亡くなりました。

マリアナの死に際しては、葬儀が始まると曇天がにわかに晴れわたったとか
彼女に譲られた衣に横たわったら麻痺が治ったなどの奇跡が記録されていています。

マリアナ(マリア・アンナ)という名の王妃は多々いますが
ミクロネシアのマリアナ諸島は彼女にちなんでつけられたそうです。

婚約者が死んだからってその父親と結婚させられるのって、どう思います?
でも中世では結構多いんですよね。
王はさ、相手がいやでも愛妾つくっちゃえばいいのだけれど
王妃はそうもいかないじゃないですか? 処刑とかされちゃう場合もありますし。
まったくひどい話ですわね!

(参考文献 佐竹謙一氏『浮気な国王フェリペ4世の宮廷生活』
      岩根圀和氏『物語 スペインの歴史』 Wikipedia英語版)

浮気な国王フェリペ四世の宮廷生活 岩波書店


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