まりっぺのお気楽読書

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プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世妃 エリーザベト

2009-11-13 01:19:38 | ドイツ系王妃
双子姉妹の王妃
フリードリヒ・ヴィルヘルム4世妃 エリーザベト・ルドヴィカ
                       フォン・バイエルン


1801~1873/在位 1840~1861

エリーザベトはバイエルン王マクシミリアン1世王女で
ヴィッテルスバハ=ツヴァイブリュッケン家出身、こちらも名家です。

       

双子の妹がおりまして、ザクセン王ヨーハン1世妃になっています。
ちなみにザクセン王家もヴィッテルスバハ家の家系です。

              
                こちら双子の姉妹アマーリエ
                一卵性だそうですが、画家によってちがうものですね…


小さくなってしまうので家系図からは省きましたが
エリーザベトの姉妹のうち、ゾフィーはオーストリア大公フランツ・カールに、
ルドヴィカはバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフにそれぞれ嫁いで
その子供同士、すなわち皇帝フランツ・ヨーゼフとエリーザベト(シシィ)が
後に結婚することになりました。
ホントに入り組んでて素敵な家系図が書けますね!

エリーザベトは22歳の時にフリードリヒと結婚しました。
当時の王女としては晩婚なのではないかしら?

エリーザベトは、フリードリヒの知的趣味や芸術活動の良き理解者でしたが
1840年に夫が即位して王妃になると、政治的なことにも関わるようになります。
特に、オーストリアとの間に友好関係を築こうと精力的に活動しました。

ドイツは父王の時代にウィーン会議で連邦国家になっていましたが
まだ統一されていたわけではありません。
これは、大国を作るまいとするオーストリアの意向で
これに対してドイツ連邦では統一運動がおこりつつありました。

フリードリヒは、小ドイツ主義による国家統一を目指している最中の
1857年に脳卒中で倒れます。
エリーザベトは王弟ヴィルヘルム(後の1世)に政治を任せ
献身的な看護で夫の世話をしました。

1816年、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世が亡くなると表舞台からは身を引き
慈善に奉仕しながら静かに暮らしました。
ヴィルヘルム1世は義姉を真の友人として尊重していたそうです。

1873年12月、エリーザベトはドレスデンの妹アマーリエを訪問中に亡くなりました。
アマーリエは10月に夫のヨーハン1世を亡くしているので
慰めに行ってあげたんじゃないかしら?
ふたりとも未亡人になったし、これからは気兼ね無しで会えるわね!って
募る話しをしていたんでしょうに…

プロイセンに運ばれ、夫の側に葬られました。

              
                 こちらの肖像画もどうぞ
                「お前に食わせるタンメンは…」に似てる気が…


(参考文献 坂井榮八郎氏『ドイツ史10講』 Wikipedia英語版)

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