マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

人の善意の結集・・・『美しい公園』 そして 『聖トマス西と十五殉教者 記念日』・・・『イエスは、天に上げられる時期が近づき、エルサレムに向かう決意を固められた。』

2021-09-28 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月28日。火曜日。曇り。

今朝も人の善意のあふれる・・・

            『美しく大きな公園』
 

         毎朝のウォーキングの最終目的地です。
      真ん中に小山があり、二回上ったり下りたりします。
    鉄棒等のアスレチック器具が沢山用意されており、筋トレをします。
    外周は緑のトンネルを通る舗装道路になっており、ジョグをします。

   等々・・・
   私は、毎朝、公園を、有り難く利用させて頂くばかりです。感謝感謝です。
   
   ところが・・・

   一人の若い女性は、
   毎朝、ポリ袋を手にして、公園全体を歩きながら、
       『ゴミ拾い』をしていらっしゃいます。

   一人の若い男性は、
   週1~2回、自転車に家庭用芝刈り機と自家発電機を乗せてきて、
   公園内の皆がおしゃべりなどを楽しむ東屋あたりの、
        『草刈り』をなさるのです。
     Top の私の写真ように、大木の下あたりの草は丸く美しく、   
       緑のグラデーション状態に草を残して、
   大木の下の散歩を楽しむように草を刈り込み、『散歩道』を作るのです。

        この若い男性は、
     ウォーキングもお人と話すこともなく、
   草刈りが終わると、自転車にご自分の器具を乗せてお帰りになるのです。
   

     このお二人は、私の「ありがとうございます」の言葉に、
        笑顔で、会釈をなさるのみです。
      このお二人の心情はいかなるものでしょう。
    神が送り込んだ高尚な道徳行為の『模範者』でしょうか?
    こういう方は、どこでも、時々、お見受けしますね。
    私も、少しでも、こんな方たちの心情にちかづきたいものです。


      私は、今朝も、
      美しい公園で、一日の英気を充満しました。
      そして、
      美しい人々のすばらしい善意が心にしみて、美しい一日の始まりとなりました。
                           感謝!感謝!


そして。

今日は9月28日。年間第二十六火曜日。

     『聖トマス西と十五殉教者 記念日』
     
   今日記念する聖人は、
    いずれもキリシタンへの迫害が激しかった
     秀吉時代から徳川家光の時代までの、
       1633年~1637年にかけて、
       長崎で殉教した人たちです。

 十六名は、
 ドミニコ会の司祭、修道者、修道女、そして彼らのために働いた信者たちで、
 九名の日本人のほかに、スペイン人、イタリア人、フランス人、フリッピン人が含まれている。

 日本人の司祭の、トマス西、サンタマリアのヤコブ朝長、十字架のビンセンチオ塩塚の3人と、
          女性2人がいた。
     彼らは、日本で列聖された最初の日本人司祭と女性である。
     またフィリピンの最初の聖人であるロレンソ・ルイズなど、
     日本から追放されたが死を覚悟して再び来日した外国人司祭もいた。

1981年。 トマス西と15殉教者は、フィリピンで列福された。
1987年。 バチカンでローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖された。
           『毎日の読書』より
 
『今日の集会祈願』

   『聖なる父よ、
    あなたは聖トマス西と十五人の同志を聖霊によって強め、
 キリストのあかしとして苛酷な迫害に耐え、殉教する力をお与えになりました。
    聖人たちの殉教を記念するわたしたちに、
 信じるために必要な謙虚さと信じたことを宣言する勇気をお与えください。』


『今日の福音 イエスの御言葉』   

   『イエスは、 天に上げられる時期が近づくと、
     エルサレムに向かう決意を固められた。
   
      そして、先に使いの者を出された。

 彼らは行って、
    イエスのために準備しようと、サマリア人の村に入った。
 しかし、
      村人はイエスを歓迎しなかった。
    イエスがエルサレムを目指して進んでおられたからである。

 弟子のヤコブとヨハネはそれを見て、
     「主よ、お望みなら、天から火を降らせて、
      彼らを焼き滅ぼしましょうか」  と言った。

      イエスは振り向いて二人を戒められた。
       そして、一行は別の村に行った。』
          ルカによる福音 9章51-56節


     イエスは、ガリラヤを去り、エルサレムに向かいます。
      ところが、
     その途中のサマリア人は、イエスを歓迎しませんでした。


  イエスがエルサレムで『苦しみ』を受けるとき、が迫ってきました。

  ※イエスに反対する人の多くは、エルサレムに住む偉い人たちでした。
   それでも、
  ※イエスは、固く決心して、エルサレムに向かって行かれるのです。
   ところが、
  ※弟子たちは、イエスから『苦しみ』の話しを聞いても理解できずに、
    イエスが、『偉い人』になるために、エルサレムに向かうと思っていたのです。
    そこで、
    イエスがサマリア人から受け入れられないのを見て、   
    弟子たちは怒って、サマリア人たちに『罰』を下すように、イエスに願ったのです。


      弟子たちの信仰は、
      長年イエスと寝食をともにしていても、イエスの気持ちも分からず、
      浅い信仰でした。
 
      イエスは、弟子たちに、
    ※『本当の弟子』になる意味を、教えなくてはなりません。
    ※『本当の弟子』になるために、何が必要かを、身をもって教えるのです。


     神は、
     悪い人を、すぐに罰するのではなく、忍耐をもって、その人に『改心』を勧められるのです。
     イエスは、
     弟子たちの『改心』を、忍耐強く、待っておられるのです。
     弟子たちも、
     サマリア人をすぐに罰するのではなく、忍耐をもって、
       サマリア人の改心を呼び起こさなければなりません。

        
     弟子たちが、『本当の弟子』になるためには、『忍耐』が必要なのです。
      それは、人を罰することではなく、人を裁くことでもなく、
           人を赦すことです。
         人の『改心』を求めることです。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『人の子は仕えるためではなく仕えるために、また、
  多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。』
       マルコによる福音書 10章45節   アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
今週も、互いの思いやりを大切にしながら、STAY HOMEを乗り越えましょう。
                 お元気で!