マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

市民運動・・・『敷地周辺の清掃実施』 そして 『聖グレゴリオ一世教皇教会博士 記念日』・・・『花婿が奪い取られる時、彼らは断食することになる。』

2021-09-03 05:30:00 | 日々のこと。 世界のこと。
9月3日。金曜日。雨。

                 『夏の名残』
 

         『最後の朝顔』 が美しい。

     ご近所の『朝顔』地点までウォーキングから戻ってきたとき、
          雨が降り出しました。
         雨も、すでに『秋雨』です。


ウォーキング途中・・・
こちらもご近所。

             『新築建設中』      
     

      建築会社の大きな『のぼり』が立っています。

          『10分間清掃運動実施
            13時~13時10分
         毎週金曜日 敷地周辺の清掃実施』

         今日は金曜日。
         午後・13時に雨が止んでいたら
        私も周辺清掃に参加しましょうかしら?


       『のぼり』 を見ながら、思い出しました。

     あれは、学生時代だったかしら? 新婚時代だったかしら? 
          もう50年ほども前でしょうか?
     当時の東大総長が『草の根運動』(記憶が不確かです)を始めました。
       自分の家の周りの掃除や道路のゴミ拾いなど。
     そこから全てが始まるとか何とか、言われていたように思い出します。
       市民活動や住民運動の始まりだったでしょうか。


          なんでも一緒に! 
     というのは、今風でなく、最近では困りものでもあったりするようです。
        でも、自宅玄関前を掃除のついでに、周辺道路も掃除。
           心遣いは、尊いことであり、美しい。


         今日も、温かい心遣いと協力で、
      素敵なご近所、日本、世界、を造っていきたいものです。


そして。

今日は9月3日。年間第二十二金曜日。

      『聖グレゴリオ一世教皇教会博士 記念日』
               

        西方教会博士の中の一人。
 
 540年。 ローマにまれる。
       母シルヴィアは、聖女の列に加えられており、
       又 貴族であり、ローマ市長官であった父は、
        グレゴリオの誕生後は、一介の聖職者となった。
       二人の血を承けたグレゴリオは、信心に厚く聖徳に秀でていました。

 570年。30歳。ユスチノ皇帝の信任を受けて、ローマ市長に任命される。

        父が没してその全財産を相続したグレゴリオは、
        これを社会の為最も有効に使用すべく思い立ち、
        貧者等を賑わした外、シシリー島に六つの修道院を設け、
        またローマ市の邸を改築し、ベネディクト会修道院とした。

     やがて。 市長の職を退いて、修道生活に入る。
     数年後。 教皇ペラギウス2世のもとで助祭となり、
          コンスタンティノープルに教皇特使として派遣された。
     その後。 そこで6年間の任務を果たしつつ、ベネディクト会の修道士として生活した。

 590年。50歳。 ローマ教皇に選ばれる。 
          優れた牧者として、公務に励み、貧しい人々を助け、
          キリスト教信仰はぐくみ、広めるために力を注いだ。

 596年。56歳。 ベネディクト会のカンタベリーのアウグスチヌスと40名の宣教師を、
         イギリスに派遣し、このため多くのアングロ・サクソン人がキリスト教徒となった。

     典礼と教会音楽の刷新にも取り組んだ。
     このときに作った聖歌の基礎が、「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる。
     道徳と神学に関する多くの著作を残した。
 
 604年。64歳。 死去。
            『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

  『いつくしみをもって民を治められる神よ、
 教皇グレゴリオ一世の祈りを顧み、教会の指導者に英知のたまものをお与えください。
 良い牧者の指導者のもとに、神の民が力強く成長することができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   そのとき、ファリサイ派の人々や律法学者たちは
        イエスに言った。
     
     「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、
    ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。
  しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」

       そこで、イエスは言われた。
       「花婿が一緒にいるのに、
   
    『婚礼の宴会』  『天の国』にたとえられます。
                それは、イエスキリスト・神の御子・救い主と共にいることなのです。
 
    婚礼の客に断食させることがあなたがたにできようか。
      しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
      その時には、彼らは断食することになる。」

       そして、イエスはたとえを話された。
     「だれも、新しい服から布切れを破り取って、
       古い服に継ぎを当てたりはしない。
      そんなことをすれば、新しい服も破れるし、
    新しい服から取った継ぎ切れも古いものには合わないだろう。

   また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
   そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、
          革袋もだめになる。

     新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れねばならない。
     また、
    古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。
     『古いものの方がよい』と言うのである。」』
          ルカによる福音書 5章33-39節

『今日の御言葉』はどういう意味でしょうか?
私なりに考えてみました。

     イエス様は、今日も、
     ファリサイ派の人々や律法学者たちの『質問』
       『たとえ話』※ でお答えになります。

   一つ目の『たとえ話』は、『婚姻の宴会』です。

    旧約時代に勧められていた『断食』は、
        民が『救い主と神の国』を待つ『しるし』でした。
    新約時代になって、
        『救い主・イエス』が来られて、『神の国』が到来したのです。

      『イエスの到来』は、
       『救い主と神の国』の実現の時であり、
         ※それらを待つ『しるし』である『断食』は必要なくなったのです。
          『救い主である花婿』を迎えて喜ぶ時で、
         ※『婚姻の宴会』のような喜びの時なのです。

      更に、
       せっかく到来してくださったイエス様はおっしゃるのです。
         しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
         その時には、彼らは断食することになる。』 と。
      それは、
         『花婿・救い主が取り去られる時』
               
              『イエスの受難』
        その時から、再び、『主の再臨』を待って、
         弟子たちや初代教会の信者は
          『断食』を始めたのです。  
  

   二つ目の『たとえ話』は、『新しい葡萄酒と古い葡萄酒』です。

        イエスの『福音』は、『新しい精神』です。

      イエスの『新しい精神』と 律法第一の『古い精神』は
         『新しい葡萄酒』 と 『古い葡萄酒』
              のようなもので、
          合わせることは、無理なことです。

      両方のぶどう酒を一つの『ぶどう酒革袋』にいれれば、
   『新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、革袋もだめになる。』
                          のです。

     イエス様の『精神』は、『新しいぶどう酒』です。
      しかし、
      イエス様は、
  『古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。
     『古いものの方がよい』と言うのである。』 
                ともおっしゃいます。
 
      実は、
      『イエス様の新しさ』とは、
 『古い規則』の代わりに『新しい規則』が生まれるということではないのです。
     旧約時代から、神様は、人が改心をして、
        『新しい精神』に生きるように望んでおられたのです。


    馴染んだ『古いぶどう酒・古い考え方』にこだわるのではなく、
        永遠の昔から神と共におられる『古いイエス様』
    そのイエス様のもたらした『新しいぶどう酒・新しい価値』を見出し、
      このイエスさまと共に生きる時、
  私たちは、すでに『婚姻の席・神の国』に新しく生きることができるのです。
    『新しい精神』で、より充実した信仰生活を送ることが大切なのです。


『今日のアレルヤ唱』

 アレルヤ、アレルヤ。
 『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』
       ヨハネによる福音書 8章12節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
変化の大きい世の中で、変わることのない『善意』を見つめて過ごしましょう。 お元気で!