マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

見えない世界・・・『小さな花の世界』 そして 『聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士 記念日』・・・『イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』

2021-09-13 05:30:00 | 自然・花々・樹木・ガーデニング・畑
9月13日。月曜日。曇り。

 
驚きの花の世界。 
同じ花の色違いです。
直径1,5cmほどの『小さな花』、『小さな世界』です。


            『紫花』
           

        その小さな花の美しさに感嘆していると、
     見える世界から、見えない世界へと、惹きつけられていきます。

            『ピンク花』
   

     人は、自分の言葉で考えるので、限界が見える。その有限さがいとおしい。
     花は、自然・神に全てお任せなので、命そのものです。限りのない美しさです。


         花の命も、人の命も、それぞれが美しい。
    それぞれが、つながりあって、影響しあって、美しいこの世を作っている。


      今朝も、花々と挨拶して、散歩する人たちと挨拶をかわして、
           美しい一日の始まりでした。  
               感謝!感謝!

そして。

今日は9月13日。年間第二十四月曜日。

   『聖ヨハネ・クリゾストモ司教教会博士 記念日』
      

 347年頃。 シリアのアンチオキアにまれる。
 
     有名な学者リバニオスから修辞学を学び、
     また神学やギリシャ哲学も修めた。
     高度な教育を受けた後、禁欲生活を始めた。

 386年。39歳。 司祭に叙階され、説教によって大きな実りをもたらした。

 397年。50歳。  コンスタンチノープルの総大司教に選ばれる。

       聖職者として信者の生活を改める優れた牧者として活躍した。
       一方、皇帝一族やその他の反対者の憎しみをかう。

 403年。56歳。 司教会議によって小アジアに追放された。
 407年。60歳。 9月14日。追放中の虐待の結果、
         トルコのポントス州のコマネ近郊で死去。

     『死は安息であり、労働と世間の悩みからの解放です。
     あなたの家族の1人が亡くなっても絶望してはいけません。』
          聖ヨハネ・クリゾストモの『言葉』
 
    キリスト教を解説し、
    キリスト者としての正しい生活を教えるために多くの説教を行ない、
    多くの著作を著した。
    このことから「クリゾストモ」すなわち「黄金の口」と呼ばれている。
             『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『希望する者の力である神よ、
聖ヨハネ・クリゾストモは、優れた説教者、勇気ある牧者として教会に光をもたらしました。
 わたしたちも聖人の教えに学び、その不屈の忍耐にならうことができますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

   『そのとき、 イエスは、 民衆にこれらの言葉をすべて話し終えてから、
        カファルナウムに入られた。
 ところで、
   ある百人隊長に重んじられている部下が、病気で死にかかっていた。
       イエスのことを聞いた百人隊長は、
       ユダヤ人の長老たちを使いにやって、
     
      部下を助けに来てくださるように頼んだ。

     長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。
   「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。
 わたしたちユダヤ人を愛して、自ら会堂を建ててくれたのです。」


      そこで、イエスは一緒に出かけられた。
  ところが、
      その家からほど遠からぬ所まで来たとき、
      百人隊長は友達を使いにやって言わせた。
      
        主よ、御足労には及びません。
  わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
  ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。
        ひと言おっしゃってください。
     そして、わたしの僕をいやしてください。

     わたしも権威の下に置かれている者ですが、
  わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、
      他の一人に『来い』と言えば来ます。
   また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」

        イエスはこれを聞いて感心し、
     従っていた群衆の方を振り向いて言われた。
        「言っておくが、
 イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

      使いに行った人たちが家に帰ってみると、
        その部下は元気になっていた。』
           ルカによる福音書 7章1-10節


   今日のイエス様は、異邦人の地・カファルナウムに入られ、
   そこで、
   信心深い異邦人の百人隊長の依頼に応じて、その部下を癒します。


  百人隊長は、
  ユダヤ人ではなく、異邦人でした。
  ※しかし、彼はユダヤ人たちの信仰に惹かれ、ユダヤ人の祈りに参加していたのでしょう。
  ユダヤ人のために、『新しい会堂』を建てたのです。

  そして、
  ※自分の大切な部下が病気になったとき、イエスに回復を願いました。

  その時、
  自分は異邦人として、直接にイエスに頼む資格はないと思って、
  ※それにふさわしいであろう、ユダヤ人の長老たちを、イエスのもとに送ったのです。
  更に、百人隊長は考えました。
  長老たちの言葉に従って、百人隊長の家にイエス様がおいでくださり、異邦人の家に入ることになれば、
  イエス様が汚れた人になってしまわれるのではないか? それは申し訳ないことです。

  そこで、今度は、
  ※自宅へおいでになる途中のイエス様のもとに、自分の友人を送って、言わせたのです。
  『あなた様を私の家にお迎えする資格はありません。
   せめて、『一言』ください。 そうすれば、部下は治るでしょう。』 と。


    イエス様は、百人隊長の『言葉』を聞いて、驚かれたのです。
  イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。』  と。


    信仰のあるところでは、『イエスの御言葉』には効果があります。
        イエス様は、百人隊長の信仰を見極めて、
        百人隊長の友人に言ったことでしょう。
  『あなたの友人の部下の病気は治ります。友人の信仰が部下を救いました。
  あなたの友人にこのようにお伝えください。 よろしくおっしゃってください。』
                 と、イエス様はおっしゃったことでしょう。

  使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていたのです。
 

        このように、異邦人の一人の信仰によって、
  異邦人の中に『信仰』が生まれ、異邦人の中にも『救い』が実現していったのです。
        今の時代も、信仰者の信仰によって、
       『福音』が広まっていけば良いですね。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
   『神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。
  独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。』
     ヨハネによる福音書 3章16節    アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申し上げます。
暑さも遠のき、本格的寒さの来る前の、『清涼』が素敵です。
美しく、気持ちの良い季節を楽しみましょう。 お元気で!