マリアテレジアの独り言

日々の生活の中で見つける・・
  小さな感動をつづります。

お彼岸中日・・・墓参り そして 『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』・・・『ヨハネなら、わたしが首をはねた。いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。』

2021-09-23 10:30:00 | 聖書。聖書勉強会。教会。日常の信仰生活。
9月23日。木曜日。快晴。

今日はお彼岸の中日です。
今日・「秋分の日」を中日として前後3日間、
計7日間が「お彼岸」です。


          『お彼岸のお墓参り』
    

     コロナ禍のため、東京の墓まで出向くことができません。
       今日も、春のお彼岸や、親兄弟の命日同様に、
           我が教会で、
         お祈りを捧げ、花束を捧げました。


   大好きな両親と兄二人に、
   彼らが可愛がってくれた我が子供達や孫たちの元気な成長の報告をし、
                       感謝の言葉を伝えました。
              引き続き見守ってくれるようにとお願いをしました。
    
   私の目から涙が流れ落ちる。
   両親の子供であり、兄たちの妹であられたことに、感謝をし尽くせない。
   もっともっと話しをすれば良かった、と後悔の念にかられる。

   せめてもと、
   自分の家族と仲良く、又 いっぱいおしゃべりをします、
                       と、両親と兄たちに誓いました。


お彼岸とは? 
『般若心経』にも聞かれる、サンスクリット語の「パーラミター」が語源だそうですね。
「パーラミター」とは「完成する、成就する」という意味だそうです。
欲や煩悩、苦しみに満ちた輪廻の世界から解脱し、
迷いのない『悟りの境地』に達することを表します。

『悟りの境地』:『パーラミター』を、
川を挟んだ「向こう岸」、「彼岸」に例えたのが、
私達日本人独特の伝統行事「お彼岸」です。


       御先祖たちも、父母も兄たちも、
       今は、
       完成した『神の国』:『お彼岸』で、安らいでいることでしょう。

       いつの日か、
       私も、全ての苦しみから解き放たれて、
       『神の国』:『お彼岸』にまいることでしょう。
       御先祖さんたちや、父母兄たちと、あいまみえ、
       尽きぬおしゃべりの時を過ごせることでしょう。


  
   今日の昼食・・・   『おはぎ』
  

      お彼岸といえば・・・
      春のお彼岸は、ぼたんの花の季節で、『ぼたもち』
      秋のお彼岸は、はぎの花の季節で、 『おはぎ』


       母の手作りの『おはぎ』を思い出しながら、
       嬉しく、懐かしく、おいしく、『母の味』を頂きました。
                        感謝!感謝!
  

そして。

今日は9月23日。年間第二十五木曜日。

       『聖ピオ(ピエトレルチーナ)司祭 記念日』
      
   
1887年。 南イタリアのベネベント県のピエトレルチーナにまれる。
      農家の家庭に生まれ、7人兄弟の4番目として育った彼は、
      信心深い母親の影響を受けて育った。

1903年。16歳。 カプチン・フランシスコ会に入会する。ピオという修道名を受けた。
1910年。23歳。 司祭に叙階された。
        
      サン・ジョバンニ・ロトンドの修道院で生涯の大半を過ごした。     
      霊的指導者として信者の告白を聴き、
      病者や貧しい人々の世話に従事して、
      神の民のために祈りと謙遜のうちに献身的に働いた。

1968年。81歳。9月23日。 生涯離さなかったロザリオを手にして、生涯を終えた。

    1999年・没後31年に列福され、2002年・没後34年に列聖された。
           『毎日の読書』より

『今日の集会祈願』

   『全能永遠の神よ、
 あなたは聖なる司祭ピオをキリストの十字架の恵みにあずからせ、
 その奉仕をとおして神のいつくしみの偉大さを表わしてくださいました。
   聖人の取り次ぎによって、
 私たちがキリストの受難に固く結ばれ、復活の栄光へと導かれますように。』


『今日の福音 イエスの御言葉』

      『そのとき、領主ヘロデは、
    
     『ヘロデとイエス』 アルブレヒト・デューラー作品
   
    これらの出来事をすべて聞いて戸惑った。
    というのは、
   イエスについて、
   「ヨハネが死者の中から生き返ったのだ」 と言う人もいれば、
   「エリヤが現れたのだ」 と言う人もいて、
    更に、
   「だれか昔の預言者が生き返ったのだ」 と言う人もいたからである。

     しかし、ヘロデは言った。
       「ヨハネなら、わたしが首をはねた。
   いったい、何者だろう。耳に入ってくるこんなうわさの主は。」

     そして、イエスに会ってみたいと思った。』
          ルカによる福音書 9章7-9節


ヘロデ・アンティパス領主
古代イスラエルの領主(在位 紀元前4年-39年)
新約聖書時代の人物で、
イエスが宣教を始めたガリラヤとヨルダン川をはさんだ斜め向かい側のペレアの領主であった。


     イスラエルの領主・ヘロデ王は、イエスについて戸惑うのです。
     イエスが不思議なことをなさっているという噂を聞いたヘロデ王は、
     イエスはどんな方だろうと思って、会ってみたいと思ったのです。


    人々はイエスを
    ヨハネの生き返りだとか、エリアだとか、昔の預言者の生き返りではないかと、  
                    想像しました。
 
一方。

    ヘロデ王は、
    ヨハネを尊敬していたのですが、ヘロデ王の罪を叱るヨハネの首をはねたのです。
    そこで、イエスはヨハネの生き返りであるはずがないと思い、
    なお一層、人々がヨハネだと噂するイエスに会ってみたいと思ったのでしょうか。
    あるいは、ヘロデは、ヨハネに対して、良心の呵責を感じていたのでしょうか。
       どういう気持ちで、イエスに会いたいのでしょうか?


     人が、イエスに出会うためには、
     イエスに対する興味だけでは、出会うことができないのでしょう。
     人が、イエスを本当に知るためには、
        イエスは人の幸せを望んで働いておられる方だと、
         イエスに『愛』を見出し、
     イエスを信用する気持ちがなければならないでしょう。


『今日のアレルヤ唱』

アレルヤ、アレルヤ。
    『わたしは道であり、真理であり、命である。
  わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』
        ヨハネによる福音書 14章6節  アレルヤ、アレルヤ。


皆様!
御訪問に感謝申しあげます。
今日は、自分が生を受けたルーツの御先祖様たちの冥福を祈る日です。
彼岸と此岸・あの世とこの世・御先祖と私たちとが交流する、お墓参りの日。
穏やかにお過ごしください。  お元気で!