森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2009年4月1日の記事「偉大なるミステリー作家『エドガー・アラン・ポー200年目の疑惑』」

2016-08-31 10:55:18 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

 

8月30日の50番目の記事は、またも藤原竜也さん絡みの番組の感想で、2009年4月1日の投稿した

「偉大なるミステリー作家「エドガー・アラン・ポー 200年目の疑惑」」

でした。

 

この番組は本当に面白かったですね。

私はこの番組を見て、藤原君の探偵の物語が観たいなと本当に思いました。ハードボイルドな感じのではなくて、ちょっとサイコ的な本格的な推理もの。ぞくぞくするようなそんな物語の探偵役って、皆さんも見てみたいと思いませんか。

そう言えば彼は以前、「八墓村」にも出ていたことがあったじゃないですか。金田一の役ではありませんでしたが、日本的なドロドロなドラマも似合いますよね、彼。

 

ところで私、本当にポーが好きなんです。

だって彼の名前ったら、「エドガー」「アラン」「ポー」なんですよ。名前で好きになっちゃうでしょ、普通。「ポーの一族」のファンだったら。

だから高校の時だったか、彼の「アナベル・リー」と言う詩も、理由なく好きでした。だって、この名前脳内で「メリー・ベル」に変換されてしまったのですもの。

なんだ。本の話は無視かって思われましたか。

いやいや。彼の作品は中学の時に読み、かなりの衝撃を受けました。彼の作品は読むべき古典だと思います。なぜなら多くの作家さんが彼の影響を受けていると思われるからです。

例えばと言って羅列できるほどの知識はありませんが、手塚治虫氏の「ブラック・ジャック」の中にも「アッシャー家の崩壊」を思わせるシーンなどが出て来ていましたよね。石ノ森章太郎の漫画にも。

漫画家さんばっかし・・・・と言う感じですが、影響を受けなければ江戸川乱歩が、自分の名前をそれにするわけがないのですから。

 

私自信は、この番組にかなり引き込まれ影響を受けました。

その翌日の4月2日には、その頃参加していた「題詠ブログ」にこんな句を作りました。

021:くちばし(吉里)

大鴉 ポーの詩を読み くちばしに 不吉感じつ 引き込まれる

 

※ 大鴉については→こちら

 

ああ、そう言えば、「モルグ街の殺人」を読んで犯人が分かった時、
「それって反則じゃね?」って言う印象を受けましたよ。
「それ、ありか~!?」ってね。

 

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)
小川 高義
光文社

 

 

【アナベル・リー】

 

IT was many and many a year ago,
In a kingdom by the sea,
That a maiden there lived whom you may know
By the name of ANNABEL LEE;
And this maiden she lived with no other thought
Than to love and be loved by me.
I was a child and she was a child .
In this kingdom by the sea:
But we loved with a love that was more than love --
I and my ANNABEL LEE;
With a love that the winged seraphs of heaven
Coveted her and me.
And this was the reason that, long ago,
In this kingdom by the sea,
A wind blew out of a cloud,chilling
My beautiful ANNABEL LEE;
So that her high-born kinsman came
And bore her away from me,
To shut her up in a sepulchre
In this kingdom by the sea.
The angels, not half so happy in heaven,
Went envying her and me -
Yes! - that was the reason (as all men know,
In this kingdom by the sea)
That the wind came out of the cloud by night,
Chilling and killing my Annabel Lee.
But our love it was stronger by far than the love
Of those who were older than we—
Of many far wiser than we—
And neither the angels in Heaven above
Nor the demons down under the sea,
Can ever dissever my soul from the soul
Of the beautiful Annabel Lee
For the moon never beams, without bringing me dreams
Of the beautiful Annabel Lee;
And the stars never rise, but I feel the bright eyes
Of the beautiful Annabel Lee
And so, all the night-tide, I lie down by the side
Of my darling - my darling, - my life and my bride,
In the sepulchre there by the sea,
In her tomb by the side of the sea



訳はこちらで→こちら



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ずれちょる

2016-08-30 14:15:18 | 梢は歌う(日記)

土曜日からちょっと実家に帰りました。

その翌日に母と姉と近所の人とでちょっと出かけたのですが、その時に母と私はバスで隣あって座りました。

ある山道をバスが走って行くと、畑の真ん中に蓮の花がたくさん植えられているのが見えました。

「あっ、見て~ !!」と私が言うと、母は

「あれは蓮の花だ。」と言いました。

「・・・・・・ !?  えっ !?」と、思わず、私は母を見て、

「知ってます !!!」と言ってしまいました。

 

「花の名前は何かなんて言っているのではなくて、綺麗だなと思ったから『見て』と言ったのです。」と、説明する私。

 

母と私の会話はだいたいこんな感じで成り立っています。

 

先日あった時には、その母が同じ話を繰り返すようになったなと特に感じました。

母が同じ話を何回もするのは、前からです。でもそれは歳を取ってボケが始まったからとか認知症の症状が出たからというのとはちょっと違って、話したい話を気の向くままにするからなんです。要するに話した事を忘れたと言うよりもまたその話をしたくなったのですると言うことなんですね。だけどどんなに面白い話でも数回聞かされたら、うんざりです。父がいた頃には気を付けていた事を、誰にも制止されずに歯止めなし。そして頻度が、加齢が加わったからなのか、行くたびに同じ話をするなと言う段階から、同じ話を数時間後にまたするにレベルが上がっていました。

この症状を世間ではボケの始まりというのでしょうか。

だけど子の欲目か、母は若く見え、かなりしっかりしているようにも思えとてもそうは思えません。

きっと歳を取ってくるとそう言うことが、誰にでも起こることなのかなと思い、自分は気を付けたいなと思ったりもするのです。

本当に認知症などで、同じ話を繰り返す人には

「それは今聞きました。」のように指摘してはいけないのだと、どこかで聞いたような気がします。

でも私は母はまだ平気だと思っているので、やっぱり言ってしまうのですよね。

「その話は、2時間前に聞いたよん。」って。

 

すると母は、

「何度でも聞かせてヤルから。」と言ったのですよ。

ムカッとするでしょ。ムカッとしましたよ。何言ってるんだ、こやつはって。

「何が『やるから』よ。『聞いていただく』でしょ。いやいや、娘に「いただく」はないけれどさ、そのぐらいの気持ちで「聞いてもらう。」と言うべきよ。」と言い返す私・・・・。

相手が年寄りでも容赦しないー。

すると母はいきなりしおらしくなって

「はい。分かりました。じゃあ、これからは聞いてもらうね。」

「うん。そうよ。聞いてあげますよ、いくらでも」

・・・・、あれ?

同じ話を何回でも聞いてあげる事になっちゃった。これって、どっちの勝ちなわけ?

 

そんな様子を見ていた近所の人が

「娘さんは良いわよねえ。楽しそうで。」と言いました。すると母は

「いいえ、娘には叱られっぱなしで。」などと申します。

 

まったくなんてことを言うのじゃ。
それじゃ、まるで私が怖い娘みたいじゃないのよー!

 

家に帰る道すがら、

「夕食は何にしようかしらね。」と言う話題になって、母が家にあるものでと言うので

「何があるの?」と聞くと

「ご飯ならいっぱいある。」などと言います。

「・・・・・・?」

ご飯がいっぱいあってもなあと思い悩んでいると、またそこで

「塩パンが買ってある。」と母が言いました。

私は短気なので、またもイラッとして

「なんでさ、夕飯に塩パンを食べなくちゃいけないわけ!?」と言うと、姉が

「美味しい塩パンがあるから、昨日わざわざ私に買って来てとお母さんが言って買ってきたのよ。花ちゃんに食べさせたくってさ。夕飯に食べると言うわけじゃなくて、『あるよ。』って言っただけよ。」

ー あっ、そうなのか。ジーン。

いやいや、「ジーン」じゃない。なんでそれを夕飯はどうしようかと話している間に言うのじゃよ、我が母上殿は。

 

と言うわけで、夜は昨晩の天ぷらの残りを姉に貰って天丼を作りました。

そして翌朝

 

 塩パンは美味しかったです。二個も食べちゃった。

別に見た目は綺麗ではありませんが、母の作る朝食はゴージャス。いつもはこれに寒天が付いたりヨーグルトが付いたりするのです。フルーツをいろいろつけてくれたから今回はそれが無かったのね。毎朝ゆでている卵も、その日の朝は卵焼き。甘い。近頃甘い卵焼きを食べていなかったので嬉しかったです。サラダにかまぼこ。個性的だけれどマヨネーズで食べると美味しいです。

 

実家に帰ると、母とはちょっときつめの漫才をしているみたいになってしまいますが、帰る時にはいつも途中まで送ってくれるのが母の習慣です。途中で知り合いに会うと必ず
「二番目の娘が泊まりに来ていたの。今から千葉に帰る所なんです。」言うのです。

そしてその人が

「娘は良いよねえ。仲が良くて。」と言うのを聞くと、母はいつもちょっと得意そうな顔になるのでした。

「今度は11月に来るでしょう。お父さんの誕生日にね。」と別れ際に母が言いました。

「うん。もちろん来るよ。」

「お墓参りの後に、またあそこの温泉に行こうね。」と約束し合って別れました。

ふと振り返ってみた母の顔は、やっぱり子の欲目バリバリで若く見えました。

 

それでも翌日の姉との電話で、母も老いたよねなどと二人で言い合ったのです。

やはりそれは母との会話で感じたことだったのですが、姉と話しながら、ふと母が若かった頃の母と自分との会話のあれこれを思い出し

「いや、お母さんってさ、若い時からあんな感じじゃなかったかしら。別に歳を取ったからじゃないよね。」と言う結論に。

 

そして姉と私で、何でかホッと安心したのでした。

 

 

「子供叱るな、いつか来た道。年寄り笑うな、いつか行く道。」

私はこの言葉が好き。

なるほどなあと思うからです。

でも昨日ふと

「子供叱るな、いつか来た道。年寄り叱るな、いつか行く道。」

と言う風に言葉が浮かんできました。

そしていつか来た道だろうがいつか行く道だろうが、言うべき時には言わなくちゃだめだよねって思いました。守るためにです。

だけど双方とも侮ってはダメですよね。それはやはり自分の過去であり未来の姿。

自分の未来の姿と思うゆえに、親と言うものにはまだまだ元気だと過信し、時には厳しい会話もしてしまうと言うものなのかも知れません。

 

 

 

 

 

 

 

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2011年9月21日の記事「ピースボート最終回」

2016-08-29 21:18:42 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

 

8月28日は実家にいたので記事の更新はしなかったのですが、更新のない時は逆にいろいろな記事を読んでくださる方が多いので、嬉しく思います。昨日のNO.50の記事は、本当は「その他」になっていました。その「その他」を開くと、様々な記事が出てくるので、お一人の方がいろいろと読んでくださったのかと思います。ではNO.49はと言うと、「詩と小説のカテゴリー」でした。

ずっと更新していないそのカテゴリー、最近ちょっと気にしています。

 

一応この「NO.50の記事」のカテゴリーは一つの記事で書いていきたいので、今日はNO.48の記事です。

と、言うわけで8月28日のNO.48の記事は、2011年9月21日に投稿した

「ピースボート最終回」 でした。

 

実はこの記事、今もなぜなのかけっこう読まれているんですよ。

DVDなどを視聴した方が、読みに来てくださっているのかもしれませんね。

 

ピースボート-Piece Vote- DVD-BOX
濱田岳,平愛梨,金子ノブアキ,関めぐみ
バップ

 

キャスト

「濱田岳 平愛梨
金子ノブアキ 関めぐみ ムロツヨシ 細田よしひこ 高山侑子 柿澤勇人
藤原竜也(特別出演) 陣内孝則」

もちろん主演の濱田君を応援しつつ竜也さん目当てで見ていたのですが、今思うと、結構キャストさんが豪華です。

 

でもこの最終回の感想は相当辛口です。

「このドラマ、凄く面白かった。大好き~!!」と思って、この記事にいらしてくださった方には申し訳ないかなと思いますが、最終回はなかなか良かったのに、さながら時間切れのように終わってしまったラストのラストにモヤッとしていらした方には共鳴していただけると思います。

 

昨日の「そして誰もいなくなった」もそうですが、謎が謎を呼ぶような物語は、その最終回は一番の要ですよね。

ああ、そう思うと、「そし誰」、ドキドキしちゃいますよね。

ラストまでこのままの面白さが続きますように・・・・・。

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2010年11月29日の記事「龍馬伝最終回『龍の魂』」

2016-08-27 09:13:57 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

※ 今朝、この記事の少し前にアップした「「ジャングルブック」を観てきました。」も読んでくださいね。

 

8月26日の50番目の記事は

『龍馬伝最終回「龍の魂」

今日は冒頭のシーンから、涙がジワっと来てしまいました。
海辺の訓練のシーン、海援隊がいるのかなと思ったら、そこに龍馬がやってくると、なんと向かえたのは武市さんに以蔵にそして長次郎までいるではありませんか。
そしてみな嬉しそうに「もうすぐじゃ、もうすぐじゃ。」と言っているのです。もちろんそれは、夢が叶うのは、新しい時代がやってくるのは「もうすぐ じゃ。」と言っているのでしょう。でも、過去の未来を知っている者にとっては、それは「もうすぐ会える。」と言う風にも聞こえてきてしまったのでし た。・・・・・使命を終えてもうすぐ会える。

それは龍馬の見た夢のシーン。
・・・・・・・・・・・』

でした。

大好きだった「龍馬伝」。その記事を掘り起こしてくださって、ありがとうございます。

 

「龍馬伝」は最終回まで失速ナシで素晴らしい作品でしたね。

龍馬と弥太郎の二人の主役が良かったことは最終回の記事でも書きました。

他の方々の想い出を語れば・・・・・。

この時人切り以蔵を演じた佐藤健さんは、この時の演技が認められて、後の「るろうに」に繋がったのではないかと、私は思っているのです。顔の腫れも引かずにボコボコのままで斬首と言う演出も素晴らしかったです。

武市半平太役の大森さんもはまり役で凄く良かったです。

土佐藩主の山内容堂公の近藤さんも大好きだったし、今ウィキ様で「龍馬伝」のページでキャストを眺めてみたら、それだけで幸せな気持ちになってくるのです。本当に毎週楽しみにしていたんだなと思います。

そしてこのドラマを毎週楽しみなものにしたのは、やっぱり後藤象二郎役の青木崇高さんの存在だったと思います。

その頃は朝ドラを観ていなかったので、この役者さんを知らず、そしてこの役の為に15キロも体重を増やしていたので、決してハンサムにも思えず、役柄も結構アクの強いモノでした。最初はその癖のある役に嫌悪を覚えたほどだったのに、どんどんと好きになっていき、最後は役名の前にとうとう「私の」と言う冠まで付く始末です。

「私の後藤様」と感想を書いていた一年は、本当に楽しかったです。

 

「真田丸」だって、相当気に入っていて楽しみに毎週見ているのですが、こんな風に「私の」まで付けて感情移入できる人がいないから感想を書く気がしないのかなととちょっと思ってしまったりもします。

武将として最近ちょっと好き度が上がってるのは、大谷刑部(おおたに ぎょうぶ)こと大谷吉継。

「関ヶ原」も近いですよね。

 

ちょっと実家に帰ります。

明日はブログはお休みします。

 



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「ジャングルブック」を観てきました。

2016-08-27 08:25:58 | 映画

 

以前は頻繁に一緒に映画を見に行っていた友達たちが、夫のリタイアと同時に一緒には行けなくなって、
本当に久しぶりに行った映画が「アリス・イン・ワンダーランド 時間の旅」でした。

その時にすごく友達たちは喜んで、また一緒に行こうと言うので、

「じゃあ、予告編でやっていた『ジャングルブック』を見ない?」とお誘いしたのに・・・・・・

速攻で
「あっ、それはいいや。」と言われてしまいました。

オバさん好みじゃないのか~、これは、と思いましたが、私と言うおばさんは、この映画の予告編にワクワクしたのです。ジャングルの緑の濃淡や走る動物たちの描写に。この時はまだ少年以外が皆CGだなんて知りもしなかったのですが、それでも8月になったらこれは絶対に見たいと思ったのでした。

だけど友人たちが速攻で「NO」と言った気持も、実はわからないでもないのです。

 

子供の時にはこの「ジャングルブック」と言う物語が好きではありませんでした。

動物たちとの交流が、幼稚な子供だった私には「幼稚」だと感じさせたのではないかと思います。それはすなわち今の友人たちのこの物語への印象そのものなのかも知れません。

「子供向きなんだ。」と言う印象。

確かに私はこの映画を見ながら、私に孫と言う存在がいたら良かったのにと思いました。一緒に見る事が出来たならどんなに幸せに感じた事でしょう。この映画は子供と一緒に難しい事を考えずに見る事が出来る映画です。でももちろん大人のお一人様だってOKです。

 

予告編で感じた通り、ジャングルの美しさや少年と動物たちの生き生きとした表情に引き込まれました。

お話も結構面白いのですよ。

 

だけどこの映画を見て、一番心に響いたものは「人間とは」と言う自分自身の問いかけでした。

 

中学の社会科の授業で習った、人間はなぜ進化して他の動物たちとは違うものになったのか。

それは二足歩行で歩く、言葉を持つ、そして道具を使うではなかったでしょうか。もしくは火を使う者だったかしら。

 

この映画はファンタジーですので、動物たちはほとんど話しますから、「言葉を持つ」はここでは当てはまらないかもしれません。

だけど・・・・

あっ、それはたいしたことはないのですが、この感想にネタバレはないつもりでしたが、その「だけど」の続きはほんのちょっとだけネタバレになってしまうので下の方に書きますね。

狼に育てられても、それがしっかり歩くようになってからの事だったからが幸いしたのか、モーグリ―は二足歩行です。この何気ない設定が人間社会に返すと言う選択が出来る幅を生んでいるのだと思いました。

 

そして、人間とはイコール道具を使う者の事を言うのかなと言うことを強く感じたのでした。。

人間の中にあっては「人間とは」などと考えることなどあまりない事だと思います。

だけれど動物たちの中のたった一人の人間であればこそ、「人間とは」と強く感じるたのかも知れません。

 

人間とは道具を使う者である。火も然り。

だけど今はその道具が私たちの生活の中で溢れ、不要になった溢れかえった道具を捨てるにも「技術」を要するような時代になってしまいました。だけれどそれは人間の世界すべてに起きている事でもないし、愚かにも道具で埋もれてしまったと言うのなら、時間と労力を費やして解決をしていけば良い事だと思います。恐ろしいのは、この物語の動物たちも言っている赤い花、すなわち火の扱いなんですよね。触れればすべてを焼き尽くす赤い花。

本当に恐ろしいのは、すべてを、道具で構築した人間の文明も、何の罪もなくジャングルで平和に生きている動物たちも、焼き尽くしてしまう赤い花の進化なのかも知れません。

 

だけどこの物語の中の唯一の人間であるモーグリ―はまた、私たちに「人間には知恵があるのだ。」と教えてくれるのです。

 

狼に育てられたモーグリ―の、人間としてのジャングルでの物語は、楽しくて美しくて夏休みの終わりの日々の想い出にお勧めできる作品だと思います。

 

 

 

 だけど…の続き。

この物語の中の動物たちは皆ほとんど話します。

でもたくさん出てくる猿たちは言葉を持っていません。(本当に大したネタバレじゃなかったですね。('◇')ゞ)

セリフが必要ないから?

声優が足りなくなるから?

私の勝手な推理ですが(正解と言うわけではありません。)、彼らは命令されて動いていたりして「個」の存在として描かれていないのですよね。ゆえに自分の言葉を持っていないものなんじゃないかなどと感じたのでした。

 

 

 

 

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6回 !?

2016-08-26 13:09:38 | テレビ・ラジオ

なんか

「6かい !?」

と言うと、あの

「私は好きなんだけれどね、君の車のワイパーが動いている動画。」っていうCMを思わず思い出してしまいます。

 

そしてあの人は

「呪われてる~!!!!」と叫んだに違いないとも思いました。

 

あの人って・・・・

そう。

「女たちの特捜最前線」のスタッフのプロデューサーとか。

 

昨日、私が

「この番組は大変だな。関係者の人は思わず宮崎さんのお宅は大丈夫ですよねなんて言いたくなっちゃったんじゃないの。」

〈失礼な事を言ってすみません。おうちトークですので。)

と、言いましたら、夫が

「ちょうど、今日が最終回だ。」と言いました。

「えー!! 打ち切りか!?」って言ったら

「そうじゃなくて、最初からこの回数だったみたいだ。繋だったんじゃないか。」と申します。

 

いやいやいや、そんな事はないだろうと疑う私。このようなお気楽番組で6回で終わる番組なんか聞いた事がないですよね。

「ああ、じゃあ、この回数は高島元夫の影響でそうなっちゃっていたんだね。」と我が家的推理に至り納得しました。

 

もちろん、本当の事は分かりません。

 

この番組は、凄く面白かったと言うわけではないのですが、8時台に見るドラマとしてはお気楽な感じで良かったと思います。それにいろんなおばさんが出て来てん、そしてみんな悲しい女の犯罪を犯していく…そんな物語。

いろんなおばさんなんて言ったら、最終回の大地真央さんには叱られてしまいそうですがー。

でもそのような所が見所だったと思います。

そんなにいつもちゃんと見ていたと言うわけではなかったのですが、高島礼子さんへの応援の気持ちもあって、我が家では見ていました。

 

ドラマの中では女三人が明るく世間話をしながらも、その裏では女の悲しみが見え隠れしているわけですが、なんだかそれがリアルとリンクしてしまったように思います。

高畑さんの会見もちらっと見ましたが、ちゃんとすべてを受け止めようと言う姿勢に好感が持てました。女優としてこれからも頑張ってもらいたい人だと、心の底から思います。応援もしています。

ただ、この事件は本当に酷い目に遭った被害者がいる事なので、成人である子供がしたことと親とは関係ないとは一概には言えないものを、私は感じました。

加害者家族がにこやかにテレビの画面に映っていたら、やはり被害者関係者はそれだけで傷つく事もあるかと思います。

いつか「時」が被害者の方の心の傷を癒し、そして加害者家族である高畑さんにも合図の鐘を鳴らしてくれるのではないでしょうか。

 

〈舞台、頑張ってくださいね。エールです。)

 

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2008年8月12日の記事「ウィキッド」

2016-08-26 08:46:28 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

 

8月25日のランク50番目の記事は、2008年8月12日に投稿した

【ウィキッド

8月10日、劇団四季の「ウィキッド」を観て参りました。
「ウィキッド」公演が決まった時から、「誰も知らない、もうひとつのオズの物語」と言う言葉に魅かれて、いつかは行きたいと思っていました。

誰もが知っている「オズの魔法使い」は大好きな物語です。
そ こに出てくる悪い東の魔女と西の魔女、そしてドロシーを助ける良い魔女とオズ の魔法使いの真実が描かれています。ドロシーを助けるライオン、ブリキのロボット、案山子もどう絡んでくるのかと言う所も見所です。ドロシーが履いていた 魔法の靴もどんな風に生まれたのかも納得です。】 

でした。

今、現在の劇団四季の「ウィキッド」は北海道札幌の四季劇場で公演中です。

詳しくはこちらです。→HP

11月6日が千秋楽です。

「ウィキッド」の記事はネタバレはしていないはずなので、興味のある方はぜひ続きも読んでくださると嬉しく思います。



ある人がある物語を書く。

生まれ出た物語は、世界と言う産湯に浸かって成長をし続け、そして新たなる感動を産むのです。


私は、昨日行きたかった「ジャングル・ブック」の映画をやっと見に行く事が出来ました。感想は、また別に書く予定です。

でもあの素晴らしい映像も、まずはここから生まれたのですよね。


ジャングル・ブック (新潮文庫)
Rudyard Kipling,田口 俊樹
新潮社

↓ Kindle 無料アプリがあるみたいですよ。

 

ジャングル・ブック (ディズニーゴールド絵本)
斎藤 妙子
講談社


・・・





 

 

 


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2007年1月8日の記事「『白虎隊』を見て」

2016-08-25 08:22:43 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

※ 真夜中に書いた「懐かしいドラマ「タイムトラベラー」」も読んでね~♪

 

8月24日の、このブログ内のランク50番目の記事は

「「白虎隊」を見て」 でした。

 

この記事は、タイトル通り2007年の1月8日に投稿したものです。

この時我が家のルート君は大学進学のための受験生で、やっぱり受験生だった中学三年生の時に行った飯盛山の話で盛り上がりました。

 

その時我が家の子供たちと大差ない年齢の子供たちで結成され、ほとんど無駄死にであった悲劇の白虎隊に思いを馳せました。

 

山Pが主役のそのドラマも、なかなか見ごたえのある良いドラマだったと思います。

 

でも今でも覚えているのは、「立派に死んだ。」と言う言葉。

 

誰もが立派に死にたいと思っているのです。でもそんな言葉で扇動し多くの人を死に導いた会津の悲劇を感じてしまいました。

もちろん会津の悲劇の本質はそんなところにあるのではありません。あくまでもドラマの印象です。

 

それは今の世にもある言葉巧みに扇動される恐怖を示唆しているのだと思うのです。

 

何か大きく物事が動くとき、風になびいてはいけないのです。まずは立ち止まり自分の頭で考えるのです。

私たちは考える事が出来る葦なのですから。

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懐かしいドラマ「タイムトラベラー」

2016-08-25 00:47:58 | テレビ・ラジオ

ワタクシも少々運も良くここまで生きてきましたので、好きだったものの想い出が蓄積されて私の人生を煌めいたものにしてくれているのだと思うのですが、残念な事なのか素晴らしい事なのか人には忘却と言う機能が備わっているので、相当の量のその煌めき素材を忘却の彼方に捨て去っているのだと思います。

それでもその中で手のひらに落ちた水滴のように思い出が残っていくものは、凄く大好きだったかよほどの印象があったかだと思います。

 

少し前の記事の「黒の放射線」は中学時代に読んだ本の想い出です。その本の事を書いたのでついでながら、その繋がりで好きだったドラマの「タイムトラベラー」の想い出を語ってみたいと思います。

この「タイムトラベラー」と言うタイトルを聞いて、懐かしく思う方は私ぐらいの年代の方には多いのではないでしょうか。

その方々にはご存知の通り筒井康隆氏の「時をかける少女」が、このドラマの原作です。

その「時をかける少女」は「黒の放射線」と同じく、「鶴書房盛光社  (SFベストセラーズ)」の中の一冊です。

 

そしてその「タイムトラベラーズ」はNHKの「少年ドラマシリーズ」の1作目の作品でした。←「少女」はないのか?

実は中学生のその頃、「時かけ」は読むのをなんとなく避けていた作品でした。それはタイトルで中身が読めると言うか、それで面白いのか疑問に感じていたからです。でもドラマを見て考えが変わり、ドラマの後に読んだのではないかと記憶しています。

それはまったく壮大じゃない、身近なタイムトラベラーの物語でした。ヒロインの少女の芳山和子が中三だったと言うのも感情移入しやすかったのですよね。まだ身近な花ではなかったラベンダーと言う花にも憧れました。そしてケン・ソゴルと言う未来人の少年にも。

だけど、一番心惹かれたのは、ヒロインでした。この時ヒロインを演じたのは島田淳子と言う少女で、のちに浅野真弓という芸名にかえて、更にその後には柳ジョージさんの奥さんになられて女優を引退したのでした。

私は彼女の事が、この作品からずっと好きでファンでした。

今では天と地の差が付いてしまったと思いますが、そのドラマが放送されていた頃、ちょっとだけ似ていると言われたこともあるんですよ。

でもたぶん似ていたのは、髪の長さだけだったのかもしれませんが・・・(^_^;)

とにかくその頃の彼女は、本当に光り輝いていました。

 

「時をかける少女」を今も色褪せない名作にしたのは、映画版の原田知世とこの「タイムトラベラー」の島田淳子(浅野真弓)の二人の少女の力によるものではないかと、私は思うのです。

と言っても、その後、「時をかける少女」はドカドカと映画化・ドラマ化されているんですよね、実は・・・・・。

あまり興味もなかったのか、私は知らないのです。

 

と言うのも「タイムトラベラー」がかなりの人気を博したので、その後ライターさんのオリジナルで続編も作られたのです。その時の最終回で、ケン・ソゴルのセリフにもあった事なのですが、この物語がとても素敵で甘酸っぱい青春物語とは言えない残酷なものであると気が付いてしまったからなんです。

すべての事件を解決して、その出来事に和子をどんなに巻き込んでも、最後はその記憶をすべて奪って去って行く未来人。

人の記憶を奪うことの残酷さに、本当に虚しさを通り越したものを感じたのです。

 

だけど、今でも耳鳴りなんかが「キーン」とした時には、

「あっ、耳鳴り・・・」とか言った後、それが納まると

「今私は、遠い過去に行って大冒険をしてきて、そして戻って来たところかもしれない。」と必ず思うようになりました。

ただ大冒険の記憶は、未来人によって奪われてしまったと言うわけです。

このように、未だに「『タイムトラベラー』後遺症」は続いているのです。

 

 

※ 「時かけ」は他の映画などに興味はないと言いましたが、実はアニメ版は見たのです。

あれは元気が出ると言う感じがしてイイナと思いました。

それで面白い記事を見つけました。

「時をかける少女」ドラマ化で露わになった「世代断絶」 筒井康隆も、原田知世も知らない?

 

 

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)
貞本 義行
角川書店

 

時をかける少女 角川映画 THE BEST [DVD]
原田知世,高柳良一,尾美としのり
KADOKAWA / 角川書店

・・・・

アニメ版 時をかける少女
筒井 康隆,「時をかける少女」製作委員会
金の星社

 ・・・・・

時をかける少女 [Blu-ray]
仲里依紗,石田卓也,板倉光隆,原沙知絵,谷村美月
角川エンタテインメント

・・・・・


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昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ

2016-08-24 16:40:05 | NO.50の記事

7月の終わりと8月の初め

 

上にリンクした記事は、昨日のこのブログの記事ランク50番のものです。

ブログを始めて意外と早くからアドバンスに入っています。なぜそのような物に入ったかと言う話は今は置いとくとして、今ではgoo様も「リアルタイム解析」とか、「このブログの人気記事」などと普通に付けてくださるので、このサービスはそんなにはメリットがなくなってきたように思うのです。それでも「まっ、いいか。」と止めないのは、アドバンスのアクセス解析がそこそこ面白いからなんだと思います。と言いましても、じぃいいいっと見る事もないのですが。

そこそこ面白く感じるのは、「読まれたページ」などで思いがけない記事を、皆様に読んでいただけることが時々わかるからなんです。

 

自分でさえも忘れてしまった古い記事とか。

これは「リアルタイム解析」でも同じように感じる事がありませんか。

どなた様がどのような需要で読んでくださっているのかしら・・・・・。

見知らぬ誰かだけど親しみを感じる誰かとすれ違った、そんな気持ちになったりしませんか。

 

それで時々、毎朝、この50番目の記事を、私は読んでみたりするのです。

あの時ね、そうそう、あの時・・・・・

埋もれてしまった過去が、誰かの手で掘り起こしていただけるのも嬉しい限りです。

 

それで今日から、出来る範囲ではありますが、毎朝50番の記事をリンクさせていただく事にしました。

いつも古い記事と言うわけではありません。

今日などは今年の8月の初めに書いたものなんですから。

 

8月もあと1週間で終わりです。でもすでに頭の中は9月になっちゃっているような、そんな気分の私です。

それなのに、夏の飾りを今頃作ってみたりして・・・・。

ちょっとだけその50番目の記事「7月の終わりと8月の初め」に影響されたような気がします。

 

先日、キッチンの片づけをした時に出てきたプラスチックの容器で作ってみました。

ダイソーで買ったインテリアストーンと貝殻で。

 

 これはたっぷりサイズで使い出があります。このままボトルに入れて飾ったままでも綺麗で気に入っていました。

 

で、トップ画像のようなものを作ってみたのです。

  玄関に飾ってみました。ああ、下に敷いたものがよれている・・・・。

だってさ、

 ゴジラ襲来  !!

仕方がないよね。

 

もう一個、作ってみようっと・・・・。

 

 またも・・・・ !

 

一応できたよ~!!

 

 

あっ、なんかイマイチ。一輪だけ花とかが良いかもと思ったけれど、遊びのお時間は今日は終了ね。

猫どもよ、お母さんは働くよ !

 

って、もうこんな時間でした。

一日って早いですよね。

 

だらだらすんなよ、自分 !

 


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