森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「幸せだったね。」と語り合う夜

2013-12-26 01:21:47 | 家族スナップ
 
煌く街を過ぎる
トップの画像は、秋葉原のホームから写したものです。昨日は有楽町まで出かけて来ました。その街も低い街路樹にピンクなどのイルミネーションが煌めいていて、とっても綺麗でした。秋葉...
 

 

上の画像と文章は、gooさんがメールで送ってくれる昨年の記事。

それを読むと、どうもこの時期私は似たような状況に陥っているようで、なんとなくあまり体調も良くないようです。それでもそんな12月、ささやかな生活の切り取りを大切にしているので、毎年想い出を少しずつ増やしていけているようにも思うのです。

今年も我が家にやってきている小学生との会話がとっても面白かったのですが、昨年同様時間押せ押せで落ち着いて書いている暇もなければ気分にもなれず、来年持ち越しのようです。

 

それでお気楽我が家の家族スナップです。

先週、ちょっと熱などを出してしまった私は、この三連休は完全なひきこもり状態でした。熱はとうに下がっても一歩も外に出たくないのです。家でのんびりしていました。それでそのつけを火曜日にお支払いしなければならない状況になり、家事家事家事&仕事とあっという間に一日が過ぎて行きました。

ダイニングテーブルは、食事が終わると私の机に変わります。そこでいつものようにパソコン相手に遊んでいますと、ルートくんがやって来て冷蔵庫を開けました。本来はダイニングテーブルなのでキッチンの傍にあるのです。お茶を飲みに来たのかと思って、

「お水しか無いよ。」と言いました。

ちょうどお茶が切れてしまった所だったのです。なんたって引きこもっていますから、買い物になんか行っていないのです。

「お水しか無いのか。」と彼の声に残念さが滲みます。

「そんなにお茶が飲みたかったわけなの。」と聞くと

「いや、冷蔵庫を開けたらケーキがあるかなと思ってさ。」

「ああ、ケーキは明日なのよ。」とすました顔で言いながら、実はその瞬間、「明日、ケーキを買うこと。」というスケジュールを脳内にインプットさせた私なのでした。

 

お仕事過酷なルートくん。

 

もうなかなかみんなでお食事をというわけには行かなくなってしまいました。それも昨年書いたことと一緒。でも、一緒じゃなくて同じものを楽しみにしながら食べるって大切な家族の食卓なのだと思います。

 

今夜〈もう昨日になってしまいました。〉は、夫と二人でお食事タイムでした。

彼が

「こんなものでも、昔はご馳走だったな。」と言いました。
こんなものとは、鳥のもも肉を指しているのです。

「うん、こんなのは一年に一度しか食べることの出来ないご馳走だったね。」と私。

今だってあの骨付きのももなんかこのクリスマスの時にしか食べないけれど、それはイベントにつきものの料理というだけで、食べられないわけじゃないのですよね。

だからもうご馳走には感じられないと思うのです。

「豊かゆえの貧しさかな。」と私が言うと

「そうだな。」と彼も言いました。

 

―ふとそんなお肉にぱくついている子供の頃の食卓風景が記憶の底から蘇ってきました。

不在がちの父のいない食卓。だけど母と姉妹たち賑やかな食卓。

そこに「遅くなりました~。」と近所のお菓子屋から配達されるヤマザキのケーキ。―

 

「ヤマザキのバターケーキは、本当は美味しかったわ。」

この「本当は」というのは、ケーキを横浜駅周辺の地下街やデパート等に買いに行かずにパン屋メイドのケーキを注文するのはオシャレではないと、子供の頃は思っていたからなのでした。

「うん。バターケーキは意外と美味い。」と夫。

「小さい時は大きくて、いつも翌日に残していたんだけれど、それがすっごく美味しいの。あれ、なんでだろうね。」

「子供の頃、ケーキは買った奴と貰ったやつで、二個あって、つまり一人で半分食べたんだ。」

「何、それ、めちゃくちゃ羨ましい。」

バターケーキは日持ちがするから3日かけて食べても問題ないのです。

 

「サンタは絵本の中の登場人物に過ぎなかったけれど、それで何にも問題がなかったな。」と私。

「プレゼントなんか俺の家にはなかったよ。」

「うちにはあったけれど。でもプレゼントって、あれだよ、ブーツのお菓子。しかも誰がくれたのかしっかり知っていたし。でもそれでも朝目が覚めるとそれが枕元にあると嬉しかった~!」

「それは俺も買ってもらった。枕元と云うのはなかったけれど、『はい。』って買ったものを渡された時嬉しかったな。」

 

貧しさゆえの豊かさが、そこにはあったのかも知れません。

 

「私、幸せだった。」

「俺も、幸せだった。」

 

私達は同じ食卓に座りながら、記憶の中の違う風景を見ていたのかもしれません。
でも二人は幸せな子供でした。

 そして幸せだった二人の子供は大人になりました。

 

そんな二人の子どもたち、ラッタ君とルート君もそして多くの子供達もまた、大人になった時に「幸せだった。」と言えるような12月の日々でありますように・・・・

 

 

 

 

 

 


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東京ステーションギャラリーにて「生誕100年!植田正治のつくりかた」

2013-12-23 17:12:23 | お出掛け日記

多分今年最後のお出かけ日記になると思います。

「ターナー展」にちょっとしたアクシデントで行けなかった私は、なんとなく心にひとつ借りができた気分になってしまいました。何かそれを埋め合わせたいような。横浜から帰ってくるときは、時間がかかっても楽なので京浜東北を利用することが多いのですが、その日は実家から何気なく東海道線を使って東京駅に降り立ちました。

その時ふと閃いたのです。

前に、お友達のブログで知った東京駅のギャラリーに行ってみようと。

イベントは何をやっているのかも知らなかった私です。

でも東京駅内に出来たギャラリーに行ってみたいと思いませんか。そのギャラリーの壁はあの歴史あるレンガなんですよ。それだけでテンションがあがるってもんでしょう。

トップの画像は、ギャラリー内のではありません。ギャラリーから売店に向かう階段通路のものです。もちろんギャラリー内は撮影禁止ですから。

 

でも、その時やっていたのが「生誕100年!植田正治のつくりかた」だったのです。

写真展って、あまり行ったことがありません。あまりというかほとんど記憶に無いくらい。

でも素晴らしかった~。

 

下のはチラシです。

 

例のごとく、買ってきた絵葉書。

モード誌用のだったと思います。

家族の写真。

 

チラシや絵葉書にするものって、誰もが目を引くような物が選ばれがちだけれど、私は彼の普通の被写体を撮ったものにぐぐっと心が惹かれました。村の風景や素朴な少年、お祭りの風景・・・
でもそれらはネットで画像検索しても出てきません。やはりネットに出回るというのは、上のようにブログやHPにアップされるからで、そうでないものは写真集を買うか、やはりこのような場所に足を運ばないとならないということなのですね。

入口辺りの所に「生涯アマチュア写真家」というようなことが書いてあったように思います。

それはここに書いてあることと一緒だったような・・・→「パラドックスを抱えた植田正治の写真の魅力とは

 

「アマチュア精神」というのは大切なことなんですね。

だから彼の言葉の中には、「アマチュアゆえにこれはという技法などがあったらどんどん真似してみる。」というのもあったように思います。言葉が不正確なので「ように」という言葉を使わせて頂いています。

そうだよなあって、私、凄く思いました。

技法は、私などは論外なのですが美しい構図など同じように撮ってみるというのもものすごい練習なんですよね。

模倣のヤスリでゴシゴシと磨かれる感性だってあるというものですよね。

 

このイベントは1月5日までやっています。

 

 

 

 

 通路の壁をもう一枚。

 

 窓から見た風景。

 

回廊から見下ろした所です。

 

 床。

 

ちなみにその床から見上げた写真は

東京駅夜景」を御覧ください。

 

 

コメント (2)
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貴婦人と一角獣展〈2013年振り返り日記〉

2013-12-22 08:09:12 | お出掛け日記

 

残り10日になってしまった今年も、あっという間に過ぎていった時間の集合体ように思いますが、アレヤコレヤとあったことを思うと、それなりに長い時間でもありました。

書ききれなかった分のお出かけの記録記事、書いています。

※             ※             ※

絵画展の予定はたいてい一年の始めの新聞か、一年の最初に見た絵画展でのチラシで決めることが多い私です。後はお友達のブログとか。

今年はいろいろとあったので予定を立てるのは無理だなと思っていました。

それでもなんとなく行きたいなと「エル・グレコ展」会場から貰ってきたチラシで思っていたのは、3月から6月に国立西洋美術館であった「ラファエロ展」、4月24日から7月14日まで国立新美術館であった「貴婦人と一角獣展」、それからつい最近終わってしまった「ターナー展」でした。「ラファエロ展」は一番大変な時期だったようにも思うのだけれど、多分行こうと思えば横浜往復回数も多く一番行きやすかったかもしれません。ただ絵なんか見ている気分ではなかったのだけは確かで、行かなかったのです。悔しかったのは「ターナー展」。行く予定であったのに・・・・。とにかくこれはポシャりました。自分のせいで。

 

でも、この「貴婦人と一角獣展」には7月3日に行ったのです。

一年に、もしくは二年に一度会うブログのお友達とご一緒しました。

このイベントには、チラシを手にとった時から絶対に行きたいなと思っていました。

タイトルから魅せられませんか。

「貴婦人」そして「一角獣」なんですよ。

自分がそうだからって押し付けるのはどうかと思うのですが、女性って「一角獣」って好きじゃないですか。

見た目も可愛いけれど、その性格はツンデレでプライドも高くて、だけどこれはと認めた女性にだけは従順。
あっ、つまらない事を思い出しちゃった。その女性には条件があるんでしたね。ってイイや、思い出さなかったことにしよう、この際。

この絵の女性たちだって、そんな感じじゃなかったし・・・・・・・^^;

あっ、いや、これって問題発言かも。

古き時代は、女性の処女性と言うのは大きな問題でもあったわけだから、女性の横に一角獣を侍らせたのは、そういった意味合いもあったのかなと、たった今思いました。

そう思って見るという視点に今気が付きましたが、でも私はその時、感じたままのことを書きますね。

描かれていたのは少女たちではなく、大人の女性たち。私の目から見たら、結婚もしているかもしれないし、恋人も入るかもしれない、そんな彼女たち。

これは絵ではなくタペストリーなので、そうなってしまったのかもしれませんが、みんながみんな美人というわけでもないんです。

だけど、みんながみんなものすごくお洒落なんです。

このタペストリーの詳しい解説は、またもwikipediaさんにお願いしようと思います。→「貴婦人と一角獣/wikipedia」

 

私、思いました。
私が時々、マイテーマに思っている「優雅に生きる」のヒントはこのタペストリーの中にあるなと。

「味覚」「聴覚」「視覚」「臭覚」「触覚」のテーマがあるとされる5枚。

それからこの6枚の連作に心惹かれるのは、ラストだけに、しっかりと言葉でメッセージが残されているのですよね。

A mon seul désir」、かっこいいね、フランス語。
「我が唯一の望み」

あなたのそれは何ですか。

以下は買ってきた絵葉書の羅列です。

 

 

 

 

 

 

美術館の音声解説では、この絵には言葉以外にも、この宝石を出そうとしているのか仕舞おうとしているのかという謎があると言っていました。

でも私はこの連作には一番大きな謎があると思います。それはこの小間使いは、いったい何歳ぐらいなのかということです。大きさから見れば、まるで8歳から10歳ぐらいと思うのが妥当だと思うのですが、服や顔を見ていると16歳位にしか見えないと思うのです。

このタペストリーが作られたのは15世紀位だと推定されていますから、世は貴族の時代です。

要するに権力あるものは大きく描かれ、そうでないものは小さく描かれたと言うことなのかもしれません。
ちょっとそういう解釈は悲しいですか。

では単純に、メインの主役の女性は大きく、そうでない者は小さく動物と同じ大きさに描いて分かりやすく表現したと考えることも出来るかと思います。

もしくは、あふれんばかりの花々と植物、集い合う動物たち。それらは現実味のない夢の世界のようなもので、この女性の美しい背景に過ぎないわけで、この少女もその一部。そう書いたら上に書いたことと一緒になって、何やら物悲しいので、きっと夢の世界の妖精なんだということにでもしておきましょうか。

 

絵画の一部がアップにされているものも4枚買ってきました。

毎日眺めて影響されたいなと思ってパソコン横に置いています。〈トップ画像〉

 

 ←チケット

 ←その日の国立新美術館

 ←その時見た雀。  

 ←緑に心惹かれて

 ←人が建てた物にも心惹かれます。

 ← そして、美味しいものにもね。美術館のレストランにて。

 

※ 今自分のアップした記事でしみじみと絵葉書を見なおしたら、ライオンが一角獣と全く同じに活躍していることに気が付きました、しかもよっぽどユーモラス。可哀想なライオン。「貴婦人とライオン展」じゃ、ちょっとワイワイ女性は行かないよなって、私も思いました。だからここだけのタイトルですが「貴婦人と一角獣、そしてライオン」と書き込んでおいてあげましょう。

どうも私、脇の人とか日陰のものに弱いんだよね。自分がそういうポジションになりがちな所があるからかもなあって、ちょっと悲しいことを感じてしまった今です。


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「いつの日も花は咲く」八重の桜/最終回

2013-12-17 12:01:02 | ドラマ (大河)

最終回のタイトルがテレビ画面の真ん中に現れた時、その言葉に胸がきゅーんとしました。

「花は咲く」

この言葉に、あの歌を連想した方も多いのではないでしょうか。

このドラマは「あまちゃん」のようにははっきりとはしていたとは思えませんが、やっぱり被災地応援のドラマだったことを思い出されるようなタイトルでした。

ラストの方で西田敏行さんの頼母がまるで仙人のようなヒゲを携えて登場してきました。

そして彼は言いました。

「花は散っても、また時が経てばまた咲く。何度でも。」

 

夫殿が
「良かったな、西田敏行。最後に良い登場の仕方で。幽霊じゃないし。」と言いました。

私は思わず勘違いして、劇場には行かなかったものの、先日wowowで見た「ステキな金縛り」の役のことかと思ってしまいました。でもそれは違いました。

NHK大河はお約束のように幽霊が一度は出てきたりしますでしょ。そのことを言っていたのです。

そう言えば、今回、そのお約束の幽霊が出てこなかったような気がします。言われてみると物足りない。

だからこの頼母さん、幽霊でも良かったな。

八重がふと横を見ると、そこに居たはずの頼母がいなくて、桜の花がさっと風に舞って散るとか・・・・

 

って、こんな八重と頼母の良いシーンでも、そんな事を考えていた邪道な私・・・・・・・^^;

でも、このシーンに感動していたのは本当です。

いやいや、アチラコチラで感動していました。

頑張って生きていこう。

そう思えるステキな最終回でした。

 

夫殿がまたこうも言いました。

「会津は本当に名誉を回復できたのかな。」

だから私は言いました。

「出来たと思うよ。だってさあ、だから私達は子供の頃から会津に偏見なんか持ってなかったじゃん。」と。

 

だけどそう言ってから、少し考えてしまいました。

子供の頃私は、明治維新の時の正義は薩摩や長州にあったと思っていなかっただろうかと。そしてその後「勝てば官軍」という言葉を知りそれに頷いたのは、それ以前の自分の気持があったからじゃないのかと。いつの間にか無意識に刷り込まれてしまうイメージは確かにあったのではなかったかと。

そう思うと会津の人たちの無念さは如何許のものだったか計り知れないと思うのでした。

私はその後考える所思う所がいろいろあって、もしもタイムスリップして自由にどちらかにつくことが出来るとしたらでどちらで戦うだろうかと考えた場合・・・って、いつもこのようなしょうもないことを考えて私という人間は成り立っているようです・・・・実は私は幕府側なんです。

今でこそ結末は見えてしまっているわけですが、もしもその結末が見えなかったらという場合の話です。

なぜかというのを書こうとしたら、頭の中で考えてきたことも含めて果てしなく広がっていってしまいました。それで感想アップも遅れてしまったのです。〈さり気なく言い訳です。)

ただ一言だけ書くと、開国は必定でも徳川政権でもありだったし、文明開化&尊王もやっぱり徳川でもありだった・・・・

確かに行き詰まっている政権ではあったかもしれませんが、「正義の御幡」は単に勝った者が振ったに過ぎなくて、まさに勝てば官軍だったと思います。あの革命は、時代を味方につけた「国盗り物語」だったと、私は思います。〈二言になっちゃったかな。〉

二言でもうまく言葉は纏まったなと、自己満足して読み返してみると、結構きつい言い方でした。思っていることがそのまま言葉に出たという感じですが、じゃあ松蔭の鋭い発想や龍馬の志はどうなんだと何方かに叱られそうです。なので付け加えて言うと、彼らなどの志高かった人たちは、まさに「時代」の化身だったかと思います。

 

ドラマの感想からどんどん外れて行きそうですが、「八重の桜」の中にもお互いの義みたいな発言があって、そこを彼女が悟っていく所に、次への道が開かれるんですよね。

でも常にこういうドラマでは「義」ばかりが描かれていて「利」の部分は、少々綺麗に隠されてしまっているように思うのです。ちょっと萎えて見ている回も結構ありました。

 

大河のシナリオって、本当に大変なんだなあとシミジミと思いました。

だけどこのシナリオのあり方は、凄く好きです。決してあり得ないような社会的中心人物と不容易に絡まないところなどは好感度が多大です。

違うライターさんだったら、容保臨終の時などに「あの少女は・・・」みたいな感じでラストドリームに現れそうで想像しただけでも震えが来てしまいます。そんなバカバカしいシーンが皆無だったゆえに、会津の人たちはみな離れ離れになっていても、心の中心には会津の殿様を大切に想っていた心が伝わってきたりもするのですよね。

ただ、逆に時にはお話はジミに感じてしまったりもしたのです。特に後半京都編ではキリスト教布教ドラマのようで、同志社が建っていく経過が面白いという反面、もうちょっとドラマチックであって欲しかったなと思ってもしまったのでした。

 

八重さんは女傑。もとより勤勉で優秀。

ひとりでも多く敵を倒して、違う言い方をすれば殺すために戦ったイクサの時代から、新島襄と歩んだ道、あまりにも180度違うその道に感じた矛盾や苦悩はなかったわけではないと思います。物語の中にも、父を会津に殺された少女のエピソードが出てきました。

八重さんはサメザメとも泣かず、のたうち回って苦しみを表現はしません。

ひたすら一途なイメージの綾瀬さんが演じても、強さが前面に出て、そして不思議なことに綾瀬さんが回を重ねるごとに、写真で見た本当の新島八重さんに見えてきてしまったのでした。それだけ綾瀬さんは頑張ったのですよね。

だけど私は自分が弱い人間ゆえに、ヒロインから心が離れていってしまったと言うのは確かにありました。

 

ただその分、周りの男性陣がそれを補ってあまりあるくらいでしたね。本当にイケメンパラダイスだったと思います♡

 

今回の私のイチオシは、会津の殿様容保でしたが、西島さんの覚馬、長谷川さんの尚之助、玉鉄の山川・・・・って、他の脇を固めた人も、みな味があって書ききれません。

もちろん女性陣も。

会津で戦ってそして散っていった女性たち、また覚馬の二人の妻も心に残るエピソードでした。あの二人は晩年はどうしていたんでしょうねって気にもなるところでした。

 

ところで八重さんは昭和7年まで生きていたのです。凄いなと思って検索すると、86歳。長生きではあるけれど、チョ~がつく程の長生きではありませんよね。要するに「遠い遠い昔」と思っていた明治維新という革命は、少し昔の出来事だったのですね。

っていうか、この時代、八重さんとごちそうさんのめ以子さんが同時期に存在していた〈片方は実際の人ではないから実際にという意味ではないですよ〉、なんか不思議な感じがします。

 

だんだん話題が細切れになってきましたので、もう終わりですが、後ひとつだけ書かせてください。

それはラストシーンです。

最初、私は感動してウルウルしながらも、やっぱりラストは鉄砲を持って戦うシーンを持ってくるのかと、「仕方がないなあ」と思って見ていました。彼女の一番の見せ所でもあるわけですから。でも本当は違うんじゃないかなと、全編を見ていて思っていたのです。年月や彼女の中の歴史が銃を包帯に変えて戦い、皇族以外の女性で初の叙勲を受け、会津の人たちに誇りを与えたのですよね。

でも最後に彼女は、その銃を水平から天に向かって打つのです。

水平の向こうには、敵がいる・・・。

でも天に向かって「私は諦めない。」と言い、銃が雲を蹴散らすと、そこからオープニングでお馴染みのきれいな傘の花が咲くのでした。

ひとつ、ふたつ・・・と。

 

「花は散っても、時が経てば花は咲く、何度でも。」

 

思わずううっっと泣きました。

という訳で、なんだか頑張って生きていこう、そんな気持ちになったのでした。

 

 


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笑うことは薬

2013-12-14 22:09:04 | 梢は歌う(日記)

先日、時々大きく肩で息を吸う事数回。

別の言い方をすると、大きなため息を何回もついていました。

それを見ていた我が家にやってきている小学生が、
「やっぱり病気なんじゃないかな。」と言ったのです。

何かを嘆いてのため息ではありません。

半端のない疲れを息で整える時に、大きなため息をつきませんか。

そう。その日はちょっと体調が悪かったのです。

疲れちゃって疲れちゃって、夜まで持つのかなと言う感じでした。

でも、不思議とその仕事の時間が来ると意外と元気になってしまうのですよね。

 

やっぱり好きな事をしているというのは、心にも体にも良いことなのかもしれません。

それとよく言われている「笑うこと」。

それは本当に、体直結で効果がありますよね。いつも実感しています。

 

そんな疲れが抜けなくてため息ばかりついていた翌日、妹達がやって来ました。妹の一人は仕事がらみでやって来たのでしたが、来るということでは同じです。だからもう一人も呼びました。本当は姉も呼びたかったのですが、と言うより、招待はしたのですが、タイミング悪く体調が優れなかったので今回はパスでした。

でももし体調が悪くなくても、昼間マタメイ〈姉からしてみれば孫〉の面倒を見ているので、来るとなったらそれなりの大冒険だったと思います。

4人揃ってワイワイとはいきませんでしたが、三人でもかなりの賑。

なんて言うか笑いっぱなしでした。

 

私達が年頃だった頃、私達のワイワイとしたおしゃべりを父がこっそり録音していたことがあって、なんて悪趣味なんだと思ったけれど、今度その悪趣味なことをこっそりやってみたいなと、ちょっと思ってしまったりもしたのでした。

だってその辺のコントよりも面白いのですもの。

あとで聞いてもう1回笑ったり、何かの勉強になりそうな気がするのですよね。

 

何かの勉強って、一体何だという感じですが、まあいろいろいつも思っていたり考えていたりしているのです。
って、何も考えていない時も多いけれどね。〈ほとんどか〉

 

「ああ、今日は笑ったね。」と言う日の会話って、意外と綺麗なショボン玉のようで、何を喋ったっけみたいに記憶が泡のように消えていくことが多いのですよね。この日のおしゃべりも、今は覚えているけれど、「笑ったね」と言う記憶だけが残っていきそうです。

 

この日は夕食も一緒にしたので、それなりに疲れたはずなのにすこぶる元気になった私でした。

 

トップ画像は、外食のランチ。こんな風にちょっとずつって、ご馳走に感じますよね。

 実際に鶏鍋や牡蠣ご飯もついているご馳走でした。牡蠣ご飯の中のごぼうは硬すぎ。そこだけは残念だったのですが、ご飯の上に大きな牡蠣が乗ってるのって、とっても美味しそう。盛り付けのヒントになるなと思いました。

 

 夜ご飯。ちらし寿司と豚しゃぶ&サラダ。

まあ、はっきり言って食べ過ぎです。

ダイエットは明日から。

って、今コロンコロン。きっと坂道転がれます。(/_;)

 

 


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錦 & 日々の徒然

2013-12-10 15:16:30 | 梢は歌う(日記)

 秋の日の風景―

、真っ青な高い空が素敵。

そしてちょっと水温も下がっていそうな水の流れも。

 

―水の底にも都はあったのでしょうか・・・・。

想像すると数秒で泣ける壇ノ浦合戦のクライマックスシーン・・・。

 

だけどここの水の底に紅葉の秋が沈んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、日常日記、昨日の続きですが、その前に昨日の記事で書ききれなかった内容を先ほど追記しましたのでよろしくお願い致します。

 

今朝は天候も悪く上空では雷も長く大きく鳴っていたので、ゴミ捨ての時怖かったです。だけど、その中で三往復頑張りました。と言うのも、

5日6日は仕事の日でしたが、午前中は整理に頑張ったのです。なのでゴミもたくさん出たのでした。と言っても夏以降サボりにサボってきたので・・・

ああ、なんだか終わりなき戦いのような気がしてきます。でも頑張るのだ!!

あの・・・ちょっと・・大げさなようですが、死ぬことを意識して生活を組み立てることって大切なことだと思うのですね。

このままじゃ死ねないというような家に住んでいちゃいけないと思うわけですよ。

いや、夫なんかはどうでもいいわけですよ、その辺は。

だけど家の主〈ヌシ〉はやっぱり主婦だと思うので、いざとなったらどうでもいいやというのはよっぽどの状況だと思うのです。

 

7日。
病院の定期健診。半日潰れましたが読書も進み返信したかったメールも送れて意外と充実の時間を過ごしていました。
その後は夫と丸亀製麺に言っておうどんを頂いて、お買い物。

何もしていないといえばしてないし、何かちゃんとやってるといえばやってるよと答えられる、そんな一日でした。

 

8日。

いつも行っている近所の大型ショッピングモールでお買い物。25リットルのゴミ箱を2つ買いました。

代わりのものがあれば良いという発想だったので、今までは段ボール箱をゴミ箱の代わりに使っていたのですが、どんなに管理をやっても、汚くなるのが早いし、どんなに綺麗に片付けても〈って、あまり最近無い事ですが〉、そこだけ残念な感じになってしまうので諦めて買うことにしたのです。大きさも小さくないのですこぶる使い勝手が良くて、さっさと買えばよかったと思いました。

うーん。

なんかお片づけブログとかでどっかに登録しちゃおうかな。

夜はツイッターでも呟きましたが、WOWOWで「みなさん、さようなら」を見ました。
本当に良い映画でした。

すべての行動には意味があるのですよね。

 

9日・・・って、あっ、昨日のことか。

昨日のことは何気なく書き込んでいたのだけれど、補足すると、昨日のピアノ、めちゃくちゃ酷かったのです。日頃のお稽古がナッシングというのも理由なのですが、練習の直前に聞いたお話が、非常に引き込まれるような内容で、気持ちを持って行かれたような気がしたのです。そのお話はいつか絶対にブログに書こうと思います。

一人でモスバーガーで食事していた時、気になっていたことをメールしようとスマホを取り出したら充電しなければいけないことに気が付きました。買い物に行くお店の近所の家にお友達の家があったので、チャイムを鳴らしたというわけだったのです。

気になっていたことも一応解決したし、来年の約束を2つして帰ってきました。予定外の行動でしたが、楽しい時間を持てました。

夜は「刑事のまなざし」、最終回一歩前。かなり気になる展開です。来週は見逃せませんね。

 

という訳で、今日はこれから仕事です。

超気合を入れて頑張ります!!

このコーヒーを飲んでからね・・・って、こりゃー!

 

 

 


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金色 & 日々の徒然

2013-12-10 01:35:23 | 梢は歌う(日記)

今日、街の中を自転車で走ったら、街路樹はすっかり冬の景色に様変わりしていました。

公園で金色に輝いていたこの銀杏の木も今頃はすっかり葉を落としてしまっているかもしれません。

 

 

私の幸せはささやかな日常のパーツを組み合わせて出来ているのです。

昨日という日今日という日、そして明日という日をそのような毎日で組み合わせていけば、ささやかな人生にはそれなりの平穏で幸せな人生を過ごしていけるのかもしれません。

慌ただしい12月の生活。

ささやかな確認のメモを綴ります。

 

本日三回目の更新ですが、「本日」では終わらないかもしれません。

 

12月1日は映画の日。夫婦のどちらかが50歳の人が夫婦で行かなくてもシルバーでなくても、または高校生でなくても、1000円で映画を見ることが出来る日です。それとは全く関係がなく夫殿と一緒に「SPEC」を見に行きました。この1年映画ブログは停止中です。でも映画はちょっとずつですが見続けています。最近は彼と一緒にいくことも多くなってきています。

あっ、だから彼って夫殿のことですよ。

2日。

11月に一回お休みしたので、その振替でピアノのお稽古。こんなふうに書くと、かなり熱心な人でさぞかし上達したのに違いないという感じですが、・・・お稽古の日にしかピアノに触らないというテイタラクで猛反省中でもあります・・・って、誰ですか。そんなこったろうと思ってたと今思った人は!?

その後地元の商店街で、お友達とランチをしました。結婚してこの街に来た頃は活気があって素敵だなと思った商店街ですが、時代の流れでここも御多分にもれず静かな通りになってしまいました。だけどそれでも頑張っている商店街でシャッター通りにはなっていないのです。確かに無くなってしまったお店もあるにはあるのですが、その後にちゃんと新しいお店が出来ていて、たまに行くと冒険少女・・・おっと冒険ウーマンになることが出来るのです。

この日も一度も入ったことのない喫茶店にチャレンジしました。私が頼んだのはオムライス。いわゆる「喫茶店の」という味がして、とっても美味しかったです。

 

3日。

火曜日はお仕事の日です。いろいろ反省点があります。

4日。

月一回の公民館でみんなで歌うボランティアの日です。←これ、変な日本語ですが、ここに正式なイベント名を入れたくないので、こんな感じに書いています。だけど今年最後のその日は、半分は声楽家の方を招いてのミニコンサートでした。短い時間でしたが、素晴らしくて充実の時間が持てました。

その時聴いたカッチーニ―の「アベマリア」は本当に心に響いてきました。

本当のことを言うと、私はクリスチャンではないので、いつもならこういう歌にはほとんど感情移入出来ません。はっきり言ってそのポジションがよく分からないからです。もちろんキリストの母なんてことを言っているのではありません。この部分はデリケートな部分でもあって半端にいじるところでないと思うのでこれ以上はナシですが、ここで「いつもなら」と書いたのは、この歌を聴いて、私の脳内ではすべての母というイメージが沸き起こってきたのでした。

母よ母
あなたはなんて偉大なんだろう
生み落とし、そして慈しむ
波のように繰り返しそして繰り返し
すべての生きとし生きるものは、ここまで命をつないできたのだ
ひれ伏して あなたを讃えたい

そんなイメージ。

 

この日は心がたくさん動いた日でした。

ああ、だけどもうこんな時間になってしまいました。

それではまた、明日。

   ※     ※

ちょっと昨晩、書ききれなかった分の追記です。

「アベマリア」の歌を聴いていて、上に書いたようなイメージで聞き惚れていたら、ずっと昔の小学校の頃、同級生の少年が言ってくれた言葉を思い出しました。

小学校の頃、紙粘土で何かを作るというテーマがあると、私の作るものはいつも決まっていました。女の人が首をちょっとかしいで、そして赤ちゃんを抱いているというモチーフのみ。ある学年の時、それがいつになくうまく出来上がったのです。女の人は優しげでしかもどっしりと安定していて赤ちゃんはスヤスヤ寝てるのが伝わってきました。

だからといって誰にも褒めては貰えなかったのですが、自己満足で自分の作品を見ていたら、そこにクラスの天才少年がやって来ました。

そうです。思い出しました。4年生の時です。その学年の時、母と担任の先生の間でちょっとした確執が生まれ、私は何をやっても無視されていたように思います。あの中学年の時代は自信喪失の時代でもありました。

その時少年が私の作品を見て
「この女の人はマリアのように優しい顔をしているね。それを見ていたら『エリーゼのために』という曲を思い出したぜ。」

ここで「『アベマリア』という曲を思い出したぜ。」と書いたら丸く収まりそうですが、それ、出来すぎ。リアルはそうはいかないのです。

そして私はこの時、その少年にそのように言ってもらったので、心が満足してそのモチーフを卒業したのではなかったかと思います。

大人になってからも美術館の絵画で山のように見た、同じモチーフ―

マリアが幼子を抱く構図は、多くの人がずっと心の中に抱えている大切な心の風景なのではないでしょうか

この日は前述の「アベマリア」も素晴らしかったのですが、たった一人の方のリクエストにあった「茶目子の一日」というオペレッタも素晴らしかったのです。かなり昔の曲で、ピアノを弾かれた先生も緊張したと言っていましたが、その流れるようなピアノ伴奏の調べに聴き惚れました。やっぱり頑張ったことは結果が現れることが多いのかもしれません。

 

頑張らなくっちゃ、ワタクシも。

 

 


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秋の日の詩のある風景その3 & 日々の徒然日記

2013-12-09 17:40:49 | 梢は歌う(日記)

 

あかしやの金と赤とがちるぞえな。
かはたれの秋の光にちるぞえな。
片恋の薄着のねるのわがうれひ
「曳舟」の水のほとりをゆくころを。
やはらかな君が吐息のちるぞえな。

あかしやの金と赤とがちるぞえな。

 

北原白秋の「片恋」

 

 

 

 

今、帰宅しました。

オイオイ、何時間ピアノのお稽古をしてるんだって!

いえいえ、違います。

ピアノ→一人モス〈お一人様はお久しぶり。それはそれで楽しいのだ。〉→友人宅〈アポなし訪問をしてしまいました。(^_^;)→買い物→おやつ

今日はたくさん更新したいと言っていたのに、これではそうはいかないかもしれません。まあ、出来るところまでです。

 

秋の風景が美しいのは、紅葉ばかりではなく、その空の青さと散りゆく前の樹木のコントラストがいいからかもしれませんね。

今までの秋の画像は同じ公園で撮ったものですが、上のは違います。

11月30日。つまり11月の最後の日ですが、師走前に、私、走ってしまいました。

訪れた先の小学校で避難訓練を子どもたちと一緒に経験してきました。〈こっそりいろいろ始めたのです。〉

 

そうか、走るのか・・・・

あ、足が・・・・

でも、この場のことだけ考えて明日は明日の風が吹く方式で行くわとのっしのっしと走ったわけですが、翌日にもなんの障害も現れず助かりました。

この日は、そのこっそり始めたと書いたそのことがすこぶるうまく言って充実の一日でした。

だけど運動不足は否めない。足がどんなに悪くなっても、出来ることをコツコツやりたいなと反省です。

 

早くも12月も9日経ってしまいました。

続けて書き進めていきたいところですが、今日はトイレ掃除を念入りにやろうと決めていました。

今から洗濯を片付けたり、その今日のミッションを果たしてきます。

 

 


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秋の日の詩のある風景その2

2013-12-09 10:52:02 | お散歩&写真日記

 

「シモン  シモン

枯れ葉がシャベルでかき集められているよ

・・・・・・・」

 

先日から、この詩は誰が書いたのか気になって仕方がない。

ボードレールだと思い込んでいた。

でもなんか違うみたい。

詩の一節からの逆引き検索って難しいね。

 

この先をほとんど覚えていない。

「僕らの暮らしたアパルトマンで

・・・・」なんて言葉が続いたかなあ。

12月になって、もう秋とは言わないと思うけれど、冬枯れの前の風景の画像、ちょっと載せていきます。

そして、続けて近頃の出来事をメモ的日記で書き込む予定です。

 

それは日々の確認。

今年の締めの12月の日々。

手にとってしっかりと見つめながら過ごして行きたい気分です。

かと言って、そんなに大切に時間を過ごしてきたわけじゃないんだけれどね。

 

 今日もこれからバタバタいろいろなことを遣る予定です。そのスキマ時間に書き留めていけたらと思います。近頃更新は滞りがちですが、今日はたくさん更新したいなと思っています。

一般的にはそのようなアンバランスを嫌われるものかもしれませんが、今は出来る時にまとめてという感じもひとつのやり方でしょうか。

 

 やっぱり今年は赤が綺麗じゃないような気がします。

 

でも、まあいいじゃない。

それでも秋の日の風景は素敵です。

 

という訳で、大人のためのピアノレッスンのお稽古の日なので、ちょっと行ってきまーす。

 

 


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秋の日の詩のある風景

2013-12-03 13:23:29 | お散歩&写真日記

 

 「 からまつの林を過ぎて、
    からまつをしみじみと見き。
    からまつはさびしかりけり。
      たびゆくはさびしかりけり。 」

って、これ北原白秋の「落葉松」。

ちょっと長い詩なんだけれど、私が覚えていたのは次の一節。

 「 からまつの林を出でて、
   からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、
    また細く道はつづけり。 」


森に憧れるものには、その詩の言葉は、森の中を延々と歩く旅人のようで凄く素敵に感じてしまう。

以下の画像は毎年おなじみ、もしくは代わり映えのないもののようだけれど、

変わりのないような風景を見ている私の心だけは、

もしくは私の体さえもかも、変化しているのだ。

本当は、なんら変わりの無いように見えるどっしりとした森の木々たちにも、

実は静かな変化があるのだろう。

例えば今年の紅葉は、「真っ赤」とは程遠いとか。

         

         

 

 

 

 

 

12月になってしまいました。

最近毎日がささやかな幸せで過ぎていくように思います。

そのささやかな幸せとは、

「今日は仕事が充実していた。」

「今日は映画に行ったよ。」

「今日のお稽古がうまくいったな。」

「買い物が楽しかったね。」

「おしゃべりが楽しかったな。」

「ご飯が美味しいと言われたよ。」

そんな程度。

 

でもそんな毎日の繰り返しが、実は幸せな人生のひとつのパーツになるんだよね。

 

秋の風景は「真っ赤」じゃなくても、本当に心惹かれるものがある。

 

画像はアップ、ちょっと続けようかな。


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