森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

2017年冬ドラマは何を見てる ?

2017-01-31 22:44:03 | テレビ・ラジオ

真夜中に「精霊の守り人『悲しき破壊神』第2話罠」 、午後には「おんな城主直虎第4回「女子にこそあれ次郎法師」」

の感想を書いたので、ついでにもう一つドラマの記事を書く事にします。

ドラマ視聴は私の趣味の一つなのです。でも前回の秋ドラマの感想はタイミングを逃して、何にも書いてなかったのです。その事が自分で読み返して寂しく感じたので、今回はこの辺で書いておこうと思います。因みに前シーズンは世間の風の吹くが如く「逃げ恥」に嵌っていましたよ~。もちろんお洒落で見ていて元気が出る「地味に凄い」も好きでした。「ドクターX」は夫は見ていて、チラ見していたけれど、意識しては見ていなかったかも知れません。その時間帯が眠いだけで、本当はああいうお気楽番組は大好きなので、再放送時は楽しめると思います。

 

と言うわけで、前シーズンのドラマの事も無理やりねじ込んでしまいましたが、今シーズンで楽しみに見ているのは火曜日の(今日ですね。)「カルテット」。これ、こんなに豪華で良いのって言うキャスティングだと思いませんか。

時々「映画の神様」って言う言葉を聞く事もあるでしょう。「映画」に神様がいるならば、「ドラマ」にもいるのでしょうか。

だったら、ドラマを褒める時に「まるで映画のようね。」と言うのは、失礼な話ですよね。

でも登場してきた歴史を思うと、やっぱりドラマを褒める時に「まるで映画のようだ。」って言ってしまいますよね。

そのまるで映画の雰囲気を漂わせているのが、その「カルテット」だと思います。

大人のラブサスペンス、そんな感じがしますよね。

火曜日はもう一つ、「嘘の戦争」。これも私はあまり意識して見ていません。ただ「銭の戦争」の時と同じように、ラスト二回ほどは真剣に見ると思います。同じくこの時間帯は眠いんです。じっとドラマを見ていられないので、今もそのドラマをチラ見しながらこの記事書いています。

しかし草薙君は、こういう役が上手いですよねぇ。

時には優しい悪魔。惹きつけられます。

 

水曜日はもちろん「相棒」ですが、その後は「東京タラレバ娘」を見ています。「タラレバ」はどうかなと思ったのだけれど、この番組もお洒落で楽しい。共感できるところもありだけど、何よりタラレバ娘役の三人が好きです。

木曜日は「嫌われる勇気」・・・だけど、これは私は見ていない。始まると寝ちゃって、終わると起きてくるから。たぶん寝ないで見ていたら面白いのかも知れません。でもブスッとキャラはもうイイよって思ってしまう。久しぶりのカリナさんなのに、このキャラは辛くないのかって思ってしまいます。でもちゃんと見てもいない人なので、何言うかって所ですね、すみません。

金曜日は「下剋上受験」。

これ、結構面白いです。鶴と亀は大河にのみ出てくるのじゃないのね。なじみがない人には鶴亀算はけっこう難しく感じるのよね。どうしてかって言うと、大人は方程式を知ってるものだから、同じ問題が出てくると方程式で解いちゃうので、何が難しいかって言うと、それを子供に教える事だと思うのです。折り紙を使った教え方に感心しました。

だけど予告編での会社を子供の受験の為に辞めちゃうのは、なんだか納得できかねぬ展開だと思いました。

えー、どうなっちゃうわけ的な?

 

土曜日は感想も書いている「精霊の守り人」です。

日曜日の「A LIFE〜愛しき人〜」。これも豪華版ですよね。

我が家でかかっているドラマのタイトルを並べましたが、私が本当に見ているのは大河と「精霊・・・」以外は「カルテット」「相棒」「タラレバ」「下剋上・・とキムタクドラマです。

 

と、だんだん雑な書き方になってきたのは、「カルテット」は始まって、今すずめちゃんの過去の出来事の事をネットで書き込まれたところを読まれたところで(文章も訳が分からなくなってきた。)、ちょっと涙ぐんでいるからです。少しずつみんなの過去が暴かれていくのでしょうか。

 

今シーズンもドラマで楽しめそうです。また最終回まで完走出来たらその感想を書きたいと思います。

気もそぞろで雑なまとめの言葉です。m(__)m

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おんな城主直虎第4回「女子にこそあれ次郎法師」

2017-01-31 16:27:47 | ドラマ (大河)

在家に置いたまま出家させることも出来た。だけど南渓和尚はそうはしなかった。それはおとわの資質を見抜いたからだ。

厳しい修業が始まる。だけどたった一日でおとわは逃げ帰る。

それを見た母は、「井伊を潰す気か。」と追い返すのだった。

 

おとわは百獣の王たる資質なのか(気が付かなかったけれど。)

だから谷に突き落とそうとするのか。自力で上がって来いと。

南渓和尚は井伊の一族。(先週気が付いた。)

おとわに井伊の未来を託したいと願う気持ちがあったに違いない。だからこそ、井伊を継ぐ者の幼少名を与えたのだと思う。

 

腹が減ってへこたれるおとわ…いや次郎法師に托鉢を勧める和尚。

「貰っても良いのか。」と喜ぶ次郎だったが、しっしっとまるで野良猫をあしらうような人々の仕草だった。

托鉢もうまくいかず、とうとう畑の株を引き抜いて貪り食う始末だった。

土も落とさずネズミのように喰らう次郎法師。

 

だけど私・・・

ー あの土に見えるモノは何だろう。ココアかしら。苦いからどんなに飢えているシーンでも、一個まるまる食べないのかしらー。それとも土を避けていると言う設定?

と、あのシーンの不自然さが気になってしまったのだ。

どうでも良いようなシーンでこそあれ、なーんにも心に残らない様にちゃんとやって欲しいなと思った次第。

まっ、そんな事はどうでも良い事なんだ。

 

だけどそこに鶴がやって来て、かっぱらいむさぼり喰らうと言うあさましき姿を見ても鶴は責めず、次郎法師の話に耳を傾ける。

そして

「亀の竜宮小僧になれぬ。」と嘆く次郎に、僧として亀を助ければいいのだと優しく諭したのだった。

ふたりの良いシーンだったな。

 

鶴に優しく諭されて、迷いを捨てた次郎法師はいざ修行の道を進みだした。

「私は亀の竜宮小僧になる。それには何をしたら良い?」と和尚に問う次郎。

「ならば竜宮小僧の修行をすればいい。」と和尚は言う。

托鉢はお互いに何も求めないとか言っていたけれど、どうもギブ&テイクのようだった次郎の竜宮小僧の修行と托鉢。だからまっ、いいか、可愛いからってことで・・・^^

 

鶴と次郎のふたりの会話の様子を見ていた直盛は、仇討の者から小野政直を救うのだった。

「なぜ、小野を助けたのですか。」と問う家臣に

鶴の為だったと直盛は言った。

「殿の活ける花は優しい。」とか言ったような(いつもセリフは不正確)。

でも私もそう思ったし、その理由が嬉しかった。

 

そして思わず私は「助くる者を助く」という言葉を思い出してしまったのだった。

人を助けている事は、すなわち自分を助けているのだと思ったのだ。これは言わば自己解釈。

 

本当はこれは「天は自らを助くる者を助く」と言うらしい。

意味も上に書いたことと真逆だ。「天は、他人に頼らずにひとりで努力する者を助けて幸福を与える。」

みずから道を切り開くには努力が必要って事で、それも良い言葉だと思う。

 

そして可愛らしかった子役とはこの週でお別れに。

次週はとうとう亀之丞が帰ってきますね。

 

 

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精霊の守り人『悲しき破壊神』第2話罠

2017-01-31 02:07:53 | テレビ・ラジオ

いつもの事ですが、真夜中でもあり我が家の猫たちが少々まとわりついて煩いので、簡単に一番印象に残った事だけを書きます。

 

チャグム皇太子にとって家臣でもあり祖父でもある、トーサ海軍大提督との別れのシーンは切ないシーンで、胸に迫るものがありました。

「私は私として生きるだけ。

船を取られては私ではない。」

 

船を敵に渡すわけにはいかない。船と共に沈むのは自分の使命の為に生きるため。

大切なのは死に様ではなく生き様。それを彼は自分の信じるように貫いたと言えるのかも知れません。

「人間ほど無駄な血を流すものは無い。」

特に初めて聞くような言葉でなくても、彼の言葉は心に残りました。

 

「最後に一つだけあるまじきことを口にすることをお許しください。」

「たとえ国が滅んでも、我が愛する孫にはどこかで生きていて欲しい。」

「これが私の本心であります。」

「おじいさま。」

家臣でもあり祖父でもあるー。

このシーン、ジーンときました。

 

「たとえ国が滅んでも・・・・」

まさに、そうだと思いました。それが肉親の情と言うものではないのかって。

(帝である父は、いったい何を考えているのだろうか。彼の真意は何なのだろうか。私的見所はその辺も・・・)

 

そして彼は船に火をつけて海の中に沈んでいくのでした。

号泣するチャグム。

そしてその死を決して無駄にはしないと誓うのでした。

すなわちそれは、生きて生きて生き抜くと言う事なのでしょうか。

生き抜き、この状況を必ずや打破していくとチャグムは誓ったのかも知れません。

 

祖父と言う肉親を、裏切りの罠で殺されたようなものだと思います。

「憎い !!」チャグムは言いません。

 

だけどこのシーンと、アスラの心からの叫びのシーンが重なります。

「お母様を殺した者を絶対に許さない。」

 

「無駄じゃない。絶対に無駄にしない。」と泣きながら心に誓うチャグム。

 

愛する者を殺された幼き少女と若き皇太子の次なる道はどう進むのか、次回も凄く楽しみです。

 

 

 


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増上寺でお墓参り

2017-01-30 00:27:16 | お出掛け日記

1月25日、「インドビザ申請センター」に行った時に、その帰りに近くにある「増上寺」に寄ってきました。

このお寺に一度でも来ると、少々時代劇などが楽しくなるかもです。特にお気楽な勧善懲悪物の時代劇とか大奥とかね。この名前は良く出てきますから。今までも近くをバスなどで通る事はあっても立ち寄ったのは初めてでした。

 

古き時代と新しき時代が混在している。

まさに東京はそんな街よね。

 

 

 なんだかこの写真・・・・

 すこぶるフツーって感じ。 むしろちょっと変。

でもこの場所に二か月先と言う時間を足してみて。そうとう美しいって感じになるような気がしました。

春はまだまだ先だけれど、

 

まだまだ咲き切ってない白梅が春の期待を高めてくれたのでした。

 

ところでタイトルにある「お墓参り」と言うのは、公開されている「徳川将軍家墓所」に行ってお参りしてきたからです。

写真はどうかなと思ったのですが、他の方も撮っていらしたので数枚収めてきました。家に帰ってそれを見たら、なんか気持ちが結構ざわざわして、夫殿と姉に叱られてしまいました。

でも小さくしてしまったらザワザワする気分も小さくなったので、二枚だけ載せておきますね。

同じくザワザワ体質の方は、お気を付け下さい。・・・なんちゃって。

この墓所には皇女和宮(静寛院)とその夫の14代家茂公のお墓もあるんですよ。

私の中では、和宮と家茂は堀北さんと松田翔太さんのイメージにしっかりなってしまっていますから、ここかと感慨も深いわけです。

それから二代将軍の秀忠と江のお墓も。

もう今では秀忠公は、私の中では星野源さん(のイメージ)ですから、思わず手を合わせてお参りしてきました。

どんだけ大河ドラマに脳内浸蝕されているんだってとこですね。💦

 

 

 

そしていつでも最後は花より団子ではありませんが、ランチ画像です。

同じ通り沿いにある「ル・パン・コティディアン」で「ブランチ・サーフターフ」を注文しました。

ジャムやナッツクリームなどは自由に持って来ることが出来るシステムでした。

美味しかったです♪

 

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これは黒ではなく夜の空色

2017-01-29 01:45:19 | 梢は歌う(日記)

1月の最後の日々になってくると、例年気が重くなってくる。

なぜかと言うと、姑の誕生日が来るからだ。

姑はセンスも良く、暮らしぶりも良い。あまりつまらないものを差し上げたくはないので、あれやこれやと悩むのだ。

と言っても、私的ルールでは、母の日はブランド物のストッキングやちょっと可愛いエプロン、最近などはウィスキー(飲む方なので)と気軽なものをプレゼントしているのだが、お誕生日となると、もっと気の利いたものは無いかと思ってしまうのだ。

で、悩む。

憂鬱にもなる。

気が重くなってきて、頭も痛くなる。

今年はアクセサリーと思ったのだけれど、あれやこれや見ていた夫のパソコンを覗き見していたら江戸切子のグラスが目に入り、彼と相談してそのグラスに決めたのだった。

はぁ、やれやれ。

 

どうせ差し上げるのだから、もっとワクワクして楽しく買い物を出来ないものかと思われるかもしれない。

相手の事を思って爽やかで美しい心で選ぶのが贈り物と言うべきものじゃないのかねとか。

いや、無理な相談だよ。

だってね、

本当はね、

彼女と私の誕生日は数日しか違わないのだよ、明智君。

 

「で、悩む。

憂鬱にもなる。」と

「気が・・・」の間には、いろいろと葛藤もあると言うものだよ。

 

「私がこんなに悩んでいるのに、あの人は私にも誕生日と言うものがある事に気が付かないのかしら。

そう。長い年月で一度たりとも気にかけて貰ったことなんかないわ。

ああ、なんかモヤモヤする。」と言うような。

 

これは誕生日が近くて、そして悩み憂鬱になったが故の感情なのだ。

若かった時には経済的に無理な時も、気持ちがすれ違っている事に気が付いていてわざと無視することもあったけれど、それも私的ルールで、誕生日はみな平等にあるわけだから、父の日母の日はプレゼントしても誕生日は無理することないんじゃないかと思っていた。

 

でも母が高齢になってくると、私の考えは全く変わってしまったのだった。

縁する時間は延々と続くわけじゃない。

一年一年を大切にするんだ。

元気でいてくれることに感謝しよう。彼女の喜ぶ事をしてあげよう。そう決めたんだ。

そう思うようになってから、毎年この季節には悩みつつ憂鬱になりつつ頭が痛くなっても、贈り物は何が良いかなと考えてきたんだよ。

 

だけど時々思う。

「ばーさん、アチキだって誕生日なんですけれど。」って。

 

時々は黒い私 ?

いやいや、それは「黒」ではないでしょう。

こんなの普通の感情ですよ。

人の気持ちは空色ってなものでしょう。

時には夜の空色だい。

でもね、朝日が昇れば、ほらね、朝の空色だあ。

 

家にグラスが届いたら、出来るだけ早くに持っていこう。

喜んでくれるかなあ♪

 

 

 

 

 

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ポーの一族「春の夢」第2話の ・・

2017-01-28 15:49:43 | 漫画・マンガ・まんが

「ポーの一族/春の夢」の第二話が載っている「月刊flowers(フラワーズ) 2017年 03 月号 」は今日発売。お忘れなく。

買いに行けない方は、下のアマゾンサイトからも買えますよ。

月刊flowers(フラワーズ) 2017年 03 月号 [雑誌]
小学館
小学館

 

今日は月一の朝からお仕事の日で、それが終わったその帰り道、まっすぐ本屋に直行して買い求めてきました。

雑誌なのに「おひとり様一冊でお願いします。」と張り紙が付いていて、なんかチョピッと笑えました。

 

今回は「ポーの一族グッズプレゼント」もあるし、付録はエドガーのチケットホルダーだし、もう心ときめく事がいっぱいなの。

・・・・・って、とてもおばさんの発言には思えん。(自分的に 💦)

 (チケットホルダー 裏表)

 

だけどなんか気持ちが戻っちゃうわ~、40年前に。

ああ、40年前って言うのが悲しすぎるけれどね。

 

内容の感想はと言うと、お好きな方はこれから読むと思うので書くつもりもないのですが、一話でちょっと感じてしまった絵柄と雰囲気の違和感は無くなってました。流石だな、望都さま。

魅力的な新キャラも登場して、やっぱり作品の方にも時めくものがありました。

 

これを読むと、やっぱり胸がいっぱいになるわ~。

それって共に同じ時代を生きてきた歴史って言う重みみたいなものじゃないかと、ちょっとだけ思ってしまう自分がいるんですね。

 

「ポーの一族」は今号から連続掲載です。

 

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春放送の「人間の証明」

2017-01-27 11:51:19 | テレビ・ラジオ

朝、ツイッターに行ってみたら一番に、藤原竜也さんのドラマ情報が目に飛び込んできました。

そのドラマは「人間の証明」。

懐かしいですね。

ー 母さん、僕のあの帽子、どうしたでしょうね。

映画を見たのは相当前でサスペンスですが、大好きだった松田優作さんの映画だったし内容も深かったので、とても印象深い映画です。

要になった西條八十の詩も良くて、今でもなんだかいろんな場面でパロディってしまいます。

昨年暮れも、買ったはずのシールが見つからなくて

「母さん、僕のあのシールは、どうしたでしょうね。」などと言いながら探していたんですよ。

ここで彼の詩をパッと貼りたいところだけれど、その詩を貼るのはドラマを見てからと思うのです。この「人間の証明」と言うサスペンスの内容も知らない方も居るかも知れませんから。

(懐かしいな。全文をまた読みたいなと思う方は「西條八十 僕の帽子」の検索でたどり着けると思います。)

 

今回のドラマは原作に忠実にやると言うのも楽しみです。

テレ朝は今までにも竜也さんを起用して、スペシャルドラマの名作を作り上げてきたので期待しています。

 

テレ朝「人間の証明」の記事は→こちらです。

(竜也さんのコメントがあります。)

 

以前のテレ朝の良いお仕事のドラマ感想は ↓

「遺恨ありー明治十三年最後の仇討ち」 

「いねむり先生」

 

 

 

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旅はここから

2017-01-26 11:15:19 | お出掛け日記

近頃ハイキングなど御一緒させていただいているお仲間の星子さんと愛子さんと、再び外海を渡ってインドに遊びに行く事になりました。

いつもなら旅行記みたいなものは行った後から書く事が多いのですが、今回ばかりはちょっとだけ先に書かせてくださいね。

 

実際に行くのは2月ですが、昨年の11月の終わりだったかに申し込んでもらって日程が決まりましたので、12月にさっさとビザを取に行こうと言う事になりました。

私のイメージでは大使館に行って、そこに置いてある申請用紙に適当に書き込んで、分からない事はそこにいる人に適当に聞いたら「はい、OK。」となるのかと思っていました。それでもどんな感じかなとネットで調べると、それがとんでもない思い違いであることが分かったのです。

 

インドビザは、大使館ではなくビザセンターと言うところで取得することが分かりましたが、それもオンライン申請書でそれを作成したものを持参するか郵送で送るかするのです。

もちろん申請書は日本語で書くのは、パスポートのサインのみを自筆で書くだけで後は英語で打ち込みです。

事務的な事が最近特に苦手になってきている私は、12月に三人で申請書作成日を設け、あれやこれやとワイワイと数時間費やして作成し、12月のある日・・・・、いや、ある日ではありません。その日はそのインドビザセンターに行き、その後西洋美術館にて「クラナッハ展」に行ったのでした。

 

じゃあ、その日にビザの申請は終わったのかと言うと、実は撃沈しました。

実はビザ申請には、パスポートと申請書とEチケットの控えがいたのです。そのEチケットを持っていくと言う事が私の頭に入っていなくて、「さっさとビザを取に行こう。」という考えが間違っていたのです。

「えっ、だって、チケットって意外とギリギリに来るじゃないですか。」とぶつくさ言うと、

「ビザが必要なのは旅行会社も分かっているので急かしてください。」と申請書をチェックしてくれたお姉さんが言いました。

「でも1月で十分間に合いますよ。」と。

 

この申請書チェックのお姉さんと言うのは、箱根のアラタメ婆の如く・・・・おっと失礼、でもそれはいい意味で・・デです^^;

申請の窓口のある部屋に入る前に、申請書に不備がないかチェックしてくれるのです。この時にはEチケットが無い事に加え、実は一か所不備があったのです。インドビザは厳しいと言うのはたぶん本当です。この場合、もちろん全部作成し直しです。でもどっちにしても肝心のチケットがないので、しおしおとその場を離れ、上野に行き遊んで帰ったと言うわけなのです。

 

年が明けて既に1月半ばも過ぎてしまいました。

とにかくこのビザの件が解決するまで落ち着きません。今回はみんなでワイワイと作成すると言うわけにはいかず、一人で頑張る事になりました。一回やったから分かると気持ちの半分では思っていても、半月以上経つと、既に諸々と記憶はあいまいになっていて不安にもなりました。

でもひとりで向き合ってみると、だから分かったみたいなこともあって、なんだかこんな事にもチャレンジ出来て楽しいなと感じたのでした。

 

そして昨日1月25日に再び三人でインドビザセンターに挑みました。

扉の前のアラタメお姉さんに、

「二度目のチャレンジなの。」と言うと

「覚えていますよ。仲良し三人組さんね。そこで写真を撮っていったでしょ。」と言ってくれたのでした。

この写真と言うのは後でも書きますが、記念写真と言うのではありません。

前に来た時は、私たちしかいなくて、後から来た数人は、みな

「見本のような申請書ですね。」などと褒められて、彼女の後ろのドアの向こうに消えて行ったのです。

なんだか凄くその人たちが羨ましかったです。

でもその褒められた人たちも

「ああ、やっとよ~。」とか言いながら入って行った人も居たので、やっぱりここでアラタメお姉さんにダメ出しされたことがあるんだなと思いました。

と言うわけで、その時は人数も少なかったので印象に残ったのかも知れませんが、多くの人が訪れるこの場所で覚えていてくれたなんてと思うと、とても嬉しく感じました。

「今度は大丈夫。良かったですね。いってらっしゃーい。」とお姉さんは言いました。

やったー !!

そして私は申請窓口のある部屋に入って行ったわけですが、ドアをくぐる、そんな事がそんなに嬉しく感じるなんてと、その事自体がとても愉快に感じたのでした。

申請窓口でビザの料金をお支払いした時に感じたのは、「達成感」。

自分たちでやって良かったねと、星子さんと愛子さんとその感情を分かち合いました。

その時に思った事は、「ああ、既に旅は始まってるな。」と言う事だったのです。

 

ドアの前のアラタメお姉さんのお部屋は、チェック待ちの人とダメ出しされて打ち直しの為にパソコンを借りた人で溢れていました。

インドビザは少々厳しいと言われているのたぶん本当ー。

 

以下には、インドビザ取得のおばさん視点の気が付いたことなどをメモ書きにしておきます。この先検索でいらっしゃる方も居るかも知れませんので、ちょっとだけ書いておきますね。

※         ※         ※

もちろん「オンライン申請書の書き方」は検索すると、これでもかと言うくらい丁寧に書かれているところがあるので、そのサイトを参考にすれば間違いなく書けます。(本当は・(^_^;)

☆ 私が参考にし、お世話になった所→「ビザナビ/インドビザ申請書記入案内」

 

初回、みんなでワイワイとビザを作成しようと思った時、かなりの時間を費やしてしまいました。それはこの作成ページは時にはとても不安定なようです。一気に終わらせようと、1ページ目の記入を終わらせて「Seve and Continue」を押すと、全部消えてしまったり、最終ページまで行ったのに、また振出しに戻ったりと、まさに「えらいこった。」でした。

そこで重要な事は

☆ ページの上部に出てくる「Appilcation  ID」を必ずどこかにコピペしておくことだと思います。

 

二回目のひとりで作成した時は、同じような事が起きるのは嫌だったので、イチイチ1ページが記入し終わったら「保存して一時退出する」という「Seve and Temporarily Exit」を選んで、コーヒータイムを持ったりしました。

 

☆ その続きを作成する時は

 このページの左から二番目の牡丹色の所をクリックし、

先ほどの「Appilcation  ID」をそのページに書き込めば(コピペで大丈夫です。)、再開できます。

 

☆ 但し、その「Appilcation  ID」は最終ページで確認し、印刷するまで有効で、印刷した後に間違いに気が付いた場合は、打ち直しになるので最終確認は念入りにと言う所ですね。

 

☆ インドビザは写真も厳しいと言われています。映し方もそうですが、大きさもちょっと規格外と言う所。一番安心なのは、このインドビザ申請センターにあるスピード証明写真機で撮ることかもしれません。(私たちはそこで撮りました。上記の記事内の写真を撮っていたと言うのはこの事だったのです。)

 

問題なく打ち込めれば、1時間以内で終了出来る作業だと思います。

それなのに、何で私たちが1回目で、アラタメお姉さんの部屋を突破できなかったのかと言うと、もちろんEチケットがなかったからなんですが、一か所不備もあったのです。それは夫の職業欄です。

自分の職業を「主婦」とすると、夫か父親の職業を書く事になります。たとえ夫が鬼籍の人であっても、リタイアしていても、失業中であってもです。前の職業を書くのです。この時はちゃんと会社名と住所と電話番号が必須です。私たちは揃ってそこが抜けたんですよね~。

なんかもう辞めた会社を書くのって違和感感じてしまったのか、その無意識の意識が不備を招いてしまったように思います。

☆ 「これって、なんか変じゃね?」のような無意識の意識は捨ててガーっと書き込むことが成功の秘訣かも知れませんね。(( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 まあ、そんな所かな。


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たとえ古い水夫でも

2017-01-24 00:44:01 | 梢は歌う(日記)

あの歌、好きですよ。

吉田拓郎の「イメージの詩」。その歌詞は→こちらなどで

昔はしっかり自分の事を新しい海に乗り出す新しい水夫だと思っていました。だけどいつの間にか私も古い水夫になってしまったと思います。

 

この歌の歌詞を、何気に今読み返してみて、ふと、じゃあ古い水夫は何処にいるんだろうなんて思ってしまったのです。気にも留めなかった昔。でも今は自分が古い水夫なのですから、考えないわけにはいきませんよね。

私は長い年月の間に、ちょっと脳内誤作動が起きて、新しい水夫は新しい船に乗り込んで新しい海に乗り出していくんだろうと思っていたように思います。だから古い水夫は古い船に乗っていて、その古い船の乗組員と仲良く波間を漂って居れば良いと言う、まさにそう言う「イメージ」を作り上げていたかもしれません。

でも古い船に乗り込んでくるのは新しい水夫。そりゃそうですよね。古い船と言うのは、この日本であり出来上がっているこの社会だと思うのです。そうすると古い水夫は、岸辺に残って椅子を出し背中を丸めて囲碁でも打ってればという構図になってしまうのでしょうか。

それとも岸辺に建てられた終の棲家の施設と言う所の順番待ちを、静かに待っていろと言うのでしょうか。

 

いやいや、たとえ古い水夫になってしまったと言えども、陸に上がってボーっとしている、そんな事を新しい海は許してはくれないのですよね。

 

ああ、そうだと閃いて、自分のブログ内を「新しい水夫」と言う言葉でセルフ検索しました。

2006年のつま恋の記事の「聖なる場所に祝福を―つま恋」の中で、こんな自分の言葉を見つけました。

何時の間にやら、私たちは新しい水夫ではなくなってしまった。それでも、古い水夫達の古い船は、「我らの時代」の海を渡っている。私たちの船は、新しい船の先導でいよう。

そうかあ~、そうなのかあ~。10年前の私は、「新しい船の先導でいよう。」などと思えたんだ・・・・・・・・。

 

思わず頭を抱えて、うーんと唸ってしまいたい衝動に駆られました。

今の私は陸に上がって出港する船に手を振って、自分自身はボー状態。

でも「今の時代」と言う新しい海は、それを許してはくれないのです。たとえガタピシ言っている古い船であろうともそれに乗って、何かしろ、何とかこの海を渡れと命じるのです。

たとえ古い船の中で役割がなくても、スミの床を磨くような仕事をし、たとえ新しい船の機器の使い方が分からなくても衰えて行く脳に鞭をふるい、その船に無理やり乗りこめと言うのです。

 

時代という海に溺れて沈まないように老いの道を歩むのは、それなりに努力っているよねなどと思った今日この頃なのでした。

 

 

 

※        ※         ※

昨日、ラッタさんにメールを送りました。

 「スマホ、買い替えました。」←ほぼ7年使った前のスマホはマーケットを開いても空っぽでラインもポケモンも出来ないただの電話機

「やっと、文明人になれたか。」

「何を買ったんだね。」

「エクスペリア」←写真重視で

「使いこなせるのかね?」

「チョー苦戦中」

「仕方が無いよ。昨日まで石器時代の住人だったんだから。」

 

ああ、時代の海に溺れそう・・・・・・

 

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おんな城主直虎第三回「おとわ危機一髪」

2017-01-22 23:32:27 | ドラマ (大河)

佐名の娘の瀬名が出てきた時に、なんか聞いたことのある名前だなと思ったら、この子は後の築山殿なのね。

この少女が蹴鞠で勝ってご褒美をもらいたいと思っていた美少年・龍王丸は後の今川氏真。

ああ、なんだあと思ったのは、後からHPの人物相関図を見たら、ちゃんと大人になった瀬名も龍王丸もちゃんと出てくるんですね。

 

物語はゆったりと進むけれど、なかなか面白いなあと思いました。

悲劇の築山殿のその子供時代、桶狭間で敗れてしまった今川義元のその息子の子供時代、そんなの今まで見たことなかったように思います。この二人にもこの先感情移入しちゃいますよね。

 

おとわのご褒美欲しさの蹴鞠勝負。

もう一本、もう一回、と負けても負けても食い下がります。

油断した龍王丸が一回負けても

「こんなの勝負に勝ったとは言わない。」と言うような事を言ったのは、まさにその通りだと思います。負けても勝つまでやられて勝ったとしても、それは勝負に勝った事にはならないのですよね。だけどこの時、大人たちの思惑が絡んで、ご褒美の形で出家が許され人質の立場から放免されるのです。

おとわの粘る頑張りに心を打たれ感動することはなかったのですが、その頑張る姿はその場にいた人の心には残る出来事だったのではないでしょうか。またこの流れがあったので雪斎も佐名から手紙を受け取っていた寿桂尼にも口添えしやすくなったと思いました。

 

一方その頃、今週の鶴ちゃんは、井伊直平に拉致されて人質にされてしまいます。こんなやり方ではダメだと説得に来た直盛を前に、鶴は

「人質なら、弟もさらってこなければ意味がない。私一人なら見捨てて終わりだ。」と寂しい事を言うのです。

だけれどその父は鶴がさらわれた事を知った時、少なからず動揺していましたよね。

難しい親と子の関係は大人になって複雑化していくのかも知れません。

おとわが帰って来た時に、水の中まで入って最短距離で迎えに行くと言う単純な愛の方が伝わりやすいー。

だけど分かりやすいものにばかり目を向けていく事は、現実の世界では、時には見方も薄く誤解を生みやすい関係を作ってしまう場合もあると思うのですが、それはドラマとは関係のないお話です。

 

今回の見どころは南渓和尚の頑張りかも知れません。南渓和尚は佐名のお兄様。でもウィキ様に寄れば、この和尚は養子かもって。なんだかこの二人にはもっと違う感情の流れがあったように感じたのですが、どうだったのでしょうか。

頑張ったけれどその時はダメで、だけどやっぱり駄目ではなかったと言う事、そんな同じような事経験ありませんか。

私もそんな経験があったなと、そんな事を思い出しながら見ていました。

 

思い出しながら見ていたと言えば、おとわの粘ったがゆえに相手の負けを誘引したシーンでも、私はある事を思い出していました。

ここからはドラマと関係がない話なので、お時間がある方だけお読みください。かなりアホな話です。

※         ※       

子供が小学校か中学生に入ったばかりの頃、一緒にゲームなどをしてあげようかと言うと、すごく喜んでいたと言う可愛い時代があったのです。ふと気まぐれに、「一緒にやろうか。」と言ってやったゲームが「ぷよぷよ」。

でもこれ、始めて数秒でドカドカとぷよが落ちて来て、秒の単位で私の負けです。

「もう一回 !!」って、これ私のセリフ。

「もう一回~ !!」って、10回目、子供が疲れたすきを狙って…・やっと一回勝ちました。

9回、負けた事は棚の上。

「やったー、勝った~♪」って鬼の首でも取ったような気持ちになったのは・・・・それは私です💦

 

だから思います。

おとわ姫よ。気持ちは分かるけれどね、それは勝った事にはならないと思うよ~ってね。

 

 

コメント (4)
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