森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ポーの一族展」に行きました。

2019-07-31 02:42:13 | お出掛け日記

 

 

7月30日、朝から張り切って出掛けてまいりました。姉と二人で行ったのですが、お互いに移動の段階でトラブルありで、結局展示場内に入れたのは11時をかなり回ってからになりました。

自分たちの頑張り以外の鉄道トラブルで遅くなってしまうと言うのは、前にも「若冲」の時にあって、

「あーやだやだ、東京ってヤダ~。」と嘆いているうちにようやく姉到着で、さあと張り切って入場したわけですが、中はかなりもう混んでいました。

重いけれど入場前にグッズを買ってしまったのは、ちょっと作戦的に良かったように思いました。会場から出てきた時には、グッズ売り場もかなり混んでいましたから。

 

今、姉はお孫ちゃんの面倒も見ているので、時間が無制限と言うわけにはいかなかったからなんです。

これ、初日に来ようと言っていたのですが、そうするとそのお孫ちゃん、私にとっての又姪ちゃんの一人を連れてこなければなりませんでした。私的にはそれも楽しいなと思っていたのですが、日にちをずらして、その子を連れてこなくて良かったと思いました。もしも連れて来たならば、お隣の「カナヘイ展」に連れて行ってあげたと思います。(そちらもなにげに楽しそうでしたから。)

 

私、今回は図録を買うと、最初から決めていました。

それでちょっと今までで感じた事のないような、感想を感じたのです。

確かにね、

「ああ、すべてはここから始まっているのよね~。」と原画を見て感じたのですよ。

そしてね、漫画の素晴らしい所は

「ああ、せつない」と言うシーンがあるとするじゃないですか。そうすると書き手のセンスと技量によって、言葉が無く、例えばまるまる1ページを使って花が飛び風が舞って表現されるんですよね。それがじかに伝わってくる原画展は、やっぱり凄いと感じるのです。

だけど家に帰って図録に目を落すと、さっき会場で見た原画の数々の印刷されたそれらの絵を見て、めちゃくちゃホッとして見ている自分を発見したのです。

漫画って本当に日本の素晴らしい文化なんだとしみじみと思います。

まるで浮世絵の様なものなんだなと感じたのです。摺られてその作品が生きてくる。漫画も印刷されて、それをみんなが手に取った時、大輪の花がバーンと咲き誇るような、そんな感じがしたのです。

でもそれは当たり前の感覚かもしれませんよね。なぜなら、そう言う事も含めて計算されて原画は描かれているような気がするからです。

 

あと、面白かったのが、予告編のカットの展示。皆「返却希望」とメモが入っていたのも、何でか親しみを感じ良かったです。

それで白状してしまうと、予告カットって別にあんな風に存在するものだと思ってなかったのです。描かれた作品の良い所を編集者が適当に選んでカットして(もちろん本当にチョキチョキするわけではない。)載せるんだくらいにしか思っていませんでした。

私、本当に無知だなと思う。だけど無知ゆえに知ると言う楽しみがあるなとも思います。

 

そして語る順番を間違えたなと思うのですが、入場するとすぐに、エドガーがアランに「ひとりでは寂しすぎる」と窓を開けてやって来る場面が、立体で再現されていて鳥肌が立ちました。

 

萩尾望都先生の原画展は、今回で3回目です。だけど今は「ポーの一族」も再開されて、宝塚でも上演されて、大英博物館にも遠征されて、そしてなんと云っても50周年ですので、今までで一番大規模だったような気がします。展示数も多く、何よりもグッズ数が充実していて、お買い物もなんだか張り切ってしまいました。

 

先程の図録にはクッロキー帳が付いています。取りだした時にドキリとしました。と言うのは、買ったばかりなのに汚れていると思ってしまったからです。でも違いました。「芸術新潮」にも書いてあったけれど、絵のアイデアをクロッキー帳に描いていると。それは先生のクロッキー帳だったのですね。中も

 ほらっ、経年のシミがあったりして・・・・・♪

私、ちょっとアレを思ってしまいました。吉田拓郎氏の「FromT」。オマケで付けてくれたデモテープのCD。

そして図録を買うと一枚絵葉書が付いてきます。

どんなのか知りたくない人もいるかと思いますので、それは一番下に載せておきますね。

 

他に手に入れたグッズは

 

二種類のファイルと

 一筆箋と

 

 ノート。

そして絵葉書。

 友達にあげようと思って。

だけどこの絵葉書・・・・・・。

自分の過去記事を見ていたら、前も同じ絵葉書を買っていました。他にもたくさんあったのに・・・・・

よほどこの絵が好きなの!?

 

宝塚コーナーの衣装たち。

 

  

 

コラボカフェでは

 

姉と二人で同じものを頼んでしまったのですが、器が違いました。

混んでいて、裏は大変だったのでしょう。私もケーキの位置を直してから写真を撮れば良かったです。

これね、ネーミングが面白いと言うより、ちょっと恥ずかしくて「これを二つ」としか言えないよ。なぜって

「ぼくのタルト、ぼくのティー」と言う名前なんですもの。

言う人いるのかしら。

「『ぼくが溶けてしまっても きみは泣きもしないんだろフロート』を二つください。」とか。

いや、今思うとね、遊びなんだから、あえて言えば良かったですね。

 

因みに、関連過去記事はこちらです。

2009年に行った→萩尾 望都原画展

2016年に行った→萩尾望都SF原画展

 

ついでながら姉がくれた新聞。

  

 

そう言えばセブンイレブンの味気ないチケットで言ったら、ちゃんと味のある半券を頂けました。

 またお土産用にと別袋とリボンも付けてくれて

 

東京っていいねって、ちょっと思いました。

そして図録についていたおまけの絵葉書です。

8月の6日まで。会期が短いのでお早めに。


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いだてん28回「走れ大地を」

2019-07-30 01:00:31 | ドラマ (大河)

ずっと漠然と不思議に思っていた謎が解けた。

不思議に思っていたのに、それを解明しようともしないまま今までヌケヌケとここまで来てしまった事もどうかと思うのだが。

何が不思議と思っていたかと言うと、

犬養首相が

「話せば分かる。」と言い、「問答無用」と一体だれがどのようにその流れを伝えたと言うのだろうかと言うもの。

 

私の中の誤りは、(それだけちゃんと興味をもってなかったことがばれると言うものだが。)犬養首相は銃で打たれて死んだのだから即死。そしてクーデターを起こした奴らはみな捕まる前に自死したのだと、何でか思っていた。そのぐらいの覚悟はあったでしょうにと思い込んでいたのだと思う。

だから誰が犬養毅の臨終の言葉を伝えたと言うのかと疑い、そしてこれは彼の日頃の会話からのある意味創作なのではないかとさえ無意識に思っていたのかも知れない。

恥ずかしながら自分の愚かさをさらしたのは、このような愚か者はたぶん私だけではないからだと思うからだ。

 

きちんと描かれた「五・一五事件」。

凄く勉強になった。

即死ではなかった犬養毅。

「今の若い者をもう一度呼んで来い、よく話して聞かせる」

息のあった犬養首相はそう言った。

もしも「五・一五事件」が無かったら、その後の日本はどうなったのだろう・・・・・・。

 

あっ、因みにドバっと横道に逸れるけれど、ブログを13年間ぐらいやっていて、始めた時から気になっていたのだけれど

「歴史にもしもはないけれど」とネット世界ではみんな枕詞のように使うけれど、出典は何処、もしくは誰がどのような背景で言った言葉なんだろうか ?

歴史を学ぶときに「もしも」と考える事は意味が無い事なんかじゃない・・・・・と私はずっと思ってる。

あの時もしも・・・。

もしもあれが・・・・。

そう考える所に、未来への知恵が湧くと言うものではないのだろうか・・・。

 

まあ、それはともかく、話を元に戻すと、「紀行」で犬養毅の別荘だった白林荘の事が出ていたじゃないですか。

なんだか行ってみたいなと検索始めてしまったら、ああもうすぐ日付が変わってしまう・・・・・・。

その場所は、普段は非公開なんですって。

だけど興味のある方は、こちらなどをチェックすると見学するルートが分かりますよ。→富士見町観光情報

そこの「富士見町を歩く」と言う所をクリック!!

で、面白いなと思ったのは、そこに行きつくまで、グーグルのトップページの数名の方の「白林荘」に訪れたと言うお出掛け日記のブログ記事を読まさせていただいたのです。中にはgooのブログの方もいらしたのですが(文体が変わってしまった(^_^;))、けっこうな過去記事なのに昨日の人気記事のトップになっていたのです。

「いだてん」、人気なくないじゃんって思いました。そして皆考える事は同じなのかなって^^

 

「白林荘」。いつか行ってみたい所になりました。

 

さてさて、肝心のドラマのお話ですが、河野一郎氏が記者の限界を感じ政界に。

まあちゃんの「あれがあれであれして」を見事に記事に立ち上げる坂井菊枝女史。

田畑の頭をお土産で、とんとんと叩く高橋是清(ショーケン)。

次回は、きな臭い世界を背景にロサンゼルスオリンピックに参加で、見逃せませんね。

 

 

 

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「おもうわよ」と心の中で呟いた・・・。

2019-07-28 17:44:19 | トルコ旅行記

《少々長いです。コーヒーブレイクの時などにお読みくだされば幸いです。》

 

カッパドキアはトルコ旅行の中で、本当に思い出深い場所になりました。

それと言うのも、訪れた場所の素晴らしさはもちろんでしたが、忘れたくない出会いがあったからなんです。

 

ところで日本の青ヶ島と言う所は、独特の方言を持っていて、「さようなら」を「おもうわよ」と言うのですって。以前、朝の番組でそれを知って、素敵な言葉だと思っていました。別れて行く人を別れた後でも想う。それがその言葉の語源だと思います。

 

  

トルコでは、たくさんの猫と出会いました。猫はどの街にも当たり前のようにいましたから。

6月10日、カッパドキアの宿泊先のケープリゾートに着いた私たちは、ホテルの人に案内されて坂を下って行きました。その時1匹の猫とすれ違ったのです。

「まあ、なんて薄汚れた不細工な猫なんでしょう。」と私は思いました。今まで見た猫たちの中で、その猫は一番可愛らしくなかったのです。

そして部屋に入り荷物などを受け取ると、その日は夕日鑑賞のために早く夕食を食べる事になっていたので、また坂を上ってレストランに私たちは向かったのでした。

坂と狭い階段を上って行くと、ちょっとした休憩スポットみたいな屋根付きの空間がありました。だけどそこは誰も使わないのか、まったく掃除などがされておらず、その空間に降りる為の短い階段のすぐ下には水が溜まっているし、床などは汚れていました。だけどそこには悠然と1匹の猫が休んでいたのです。そしてその猫に向かって威嚇して短い階段の上から鳴き続けるまた別の猫がいました。その威嚇して鳴いていた猫が、さっきの薄汚れた猫だったのです。

悠然と微動だにもしない休憩猫。

諦めたのかパッと走り去っていく薄汚れた猫。

そして思わず我が家のももとあんずの事を思い出す私。

「だいたいギャーギャー言ってる方が弱い事になっている。」と思わず呟くと、星子さんが

「あの猫の方が弱いのね。あの猫、顔に傷があったものね。」と言いました。

顔の傷に私は気が付いていませんでした。

「だからなのかな。不細工な猫に見えたよね。」と私は言いました。

喧嘩に負けたのかと思うと、ちょっと胸がキリリと痛みました。

  

 

夕日鑑賞の「ローズバレー」から戻ってきた私たちは、「洞窟ホテルの夜と朝 その1」で書きましたが、坂の上にあるバーで夜景を見ながらビールなどを頂いたのでした。夜風も気持ちが良くて、外のテラスに居たのですが、その時あの不細工猫が人懐こくやってきました。

「不細工猫」だなんてずいぶんなネーミングですが、私にはこの名前はちょっと思い入れのある名前なんですよ。

 

2007年の10月にイギリスに行った時にブログをやはりたくさん休みました。その時の留守番記事の為に小説を書きました。

ハロウィーンモンスターの独り言」「ハロウィーンモンスターの独り言(続き)」なのですが、その物語はその後も書き続け、完結しています。そしてその中に出てくる雌猫が「不細工ブチ猫」。

ハロウィーンモンスターが思わず「不細工猫よ。」と言うと

『「アリガトウ。みんな、そう言うのよ。何てまあ、不細工で、なんとまあ愛おしい猫だって。」
ヒェー、おいらは驚いたね。不細工だから愛されているのか。』

すると毛並みも艶々のハンサム黒猫が

『「そう言うことを、別の言葉で『個性』と言うのさ。」』と言うのです。

モンスターとその猫はその後の物語では、お互いに想い合い、「不細工ブチ猫」は「本当は可愛い不細工ブチ猫」という長い名前になって行くのですよ。

 

なんだか昔に書いたそれらを読み返していたら、こんなことをしてちゃいけないような気持ちになってきましたが、とりあえず今はその洞窟ホテル近くのバーの所に話を戻します。

 

その猫はとっても人懐こくて星子さんの椅子に上り真横をすり抜けようとしました。

星子さんがその頭を撫ぜても逃げようとはしませんでした。

すり寄って来たのは何か欲しかったからなのかと思っても、私たちはビールを飲んでいるだけで、つまみに付いてきたのはタコスチップスで、この猫にあげるものなどなかったのでした。

そうこうしているうちに、お店のイケメン店員が棒か箒か何かを持ってきて、猫を追い出そうとしました。

「にゃーん」と言いながら追い出された猫さん。だけどまた諦めずに戻ってくるのです。

 

追い出さなくても良いのになと思っても、お店の方針と言うものがあることなので、そこは口出しなど出来ないところですね。

その時、写真を撮ろうとしたけれど失敗した画像です。

結局追い出されてしまった猫なのですが、私たちがお店から出ると、外の坂道で待っていたのです。そしてずっとずっとついて来たのです。付いて来られても、部屋にも何もないのです。困ったなと思っていたら、部屋の前の低い塀の上で寛ぐ猫。なんだ、ねぐらの方向が同じだったのねと安心して部屋に入ると、そうではなかったのです。その猫は私たちの前を歩き、そして塀の上で待機して、私たちがどの部屋に入って行くのかを見ていたのですね。

頭が良いのですね。そして私たちが部屋の中に入ってしまうとやって来て、ドアの外で開けて開けてとガリガリと爪を立て鳴いていたのでした。

もちろん開けてあげるわけにはいかず、切ないなあと私たちは耳を塞ぎました。

その猫は、何か食べるものを欲しがっていたわけではなくて、寄り添う温もりが欲しかったのかも知れません。

 

ところで私たちの泊まった部屋を側面から見ると、こんな感じです。11日の夕方のお散歩の帰りに撮ったものです(「洞窟ホテルの夜と朝 その2」)

この写真を今しみじみと見てみると、本当に洞窟だったのは1階の部屋だけだったんじゃないかしら。そう思うと、なんてラッキーだったのかしらと思えてきました。ただ、その部屋は本当に窓の一個もないのですよ。前日の夜に洗って部屋干ししておいたものが、丸一日たった夜に触ってみると、干した時と同じくらい濡れていたのには驚いて、風とお天道様は本当にありがたい事だなと思ったのでした。

 

それで朝には珈琲などを、猫が寛いでいた(そぶり)を見せた塀の上に腰かけて飲んだりもしたのです。

塀の下にはこんな風景が広がっていました。

11日の夜、夕食から戻ってくる途中ではあの猫には出会わなかったのですが、二人とも気になってはいたのです。星子さんが朝食の時のパンを持っていることが分かって、それをあげようと言う話になりました。猫の中にはパンを食べたり好きな者もいるのです。きっとあの猫は好き嫌いなんか言わずに食べるよと、私は思い込む事にしました。

それで上の画像の所から猫を呼びました。

星子さんは星子さんの呼び方で、私は私の呼び方でその猫を呼びました。

久しぶりに猫語発動です。何を言っているのかと言う為にその記事を探さなくてはと思ったら、何でか昨日、その記事を読んで下さった方がいらしてアクセス解析で見つける事が出来ました。お読み下さった方、ありがとうございます。「「僕のお母さんは猫語が分かる。」

だけど私はあれからかなり歳を取り、だんだんと分別くさくもなって、昔はほぼ99%に理解できた猫語も、今ではさっぱり分からなくなってきています。たぶん無意識で拒否しているのです。2匹も居て、彼らの言っていることが分かったら、相当面倒くさい事になりそうなので・・・。

我が家のももとあんずには「お母さんは猫語が分からないので、何かして欲しかったら一つ二つと日本語を覚えてそれを言いなさい。」と・・・・・それをまじめに猫相手に言っている私のどこが分別くさいのか ?

と言う、私のタワケ話は置いておいて、お話を元に戻すと、それでも我が家の猫たちから学んだ鳴き方でその猫を呼びました。

ちょっと高い声で「ニャーーーーン !!!」と。

それを繰り返しても、猫は姿を見せません。

「ダメか。」と言って、狭い道を渡り自分たちの部屋に戻ろうとした時、いきなりその猫が塀の上に現れたのです。

 

私たちの部屋の前は狭いのに、けっこう車が通る道で、折しもその時車が上ってきたところだったのです。

 

「キャー、ダメよ、止まって止まって。」

「ストップ、ストップ」

と、私たちは悲鳴をあげて猫がこちらに渡って来るのを止めました。

車も驚いて止まってくれましたが、猫もこっちに来る勢いがあったのに、止まってくれたのです。

「そっちに行くから、そこに居てね。」と言いましたが、このトルコ猫に日本語や英語が通じたわけではないと思います。

だけど手首をしっかり曲げて手のひらを見せて、「ダメ」のポーズは世界各国共通のポーズだったのかも知れません。

またはちゃんと心が通じたと言うのでしょうか。

車もソロソロ走ってくれたけれど、この頭の良い猫はちゃんと塀の上で待っていたのです。

 

呼んでから現れた時間までの事を考えると、この猫は上の画像の坂の下の方のどこかに居たのではないかと思います。呼ばれたと分かって、きっとその草地の坂を駆け上って来たに違いありません。

 

そしてパンをあげたら、この猫さんは喜んで食べてくれました。

その時、ふと私はこの猫の写真を撮ってない事を思い出したのです。

恐る恐る近くからカメラを向けました。

するとカメラを通して見ると、野芥子が猫のおやつを食べるのをかなり邪魔してることが分かりました。

 

 

 

 

私はそっとそっと手を伸ばしました。人懐こい猫であっても、人の予測不能の行動にはかなりの用心深い行動をするのが猫と言うものです。だけどその草を抜いて脇に捨てる事に成功しました。

「ねっ、これでok.」と言うと、猫はクイッと顔をあげて私をじっと見たのです。そこで私は我が家のももに教えてもらった、親愛の気持ちを込めて挨拶をすると言う意味の、「ゆっくりと瞬きをする」をしました。

猫はホッとした顔をして、ゆっくりとパンを食べ始めました。

その時ふと私は、まるで自分がハロウィーンモンスターのような気持ちになって、

「本当は可愛い不細工ブチ猫、君はこんな所に居たのだね。」と心の中で言っていたのでした。

 

その翌日は、朝食の為に坂を上ってレストランに行くために出発したら、もう部屋には戻らない事にしました。

 

部屋を出て少し歩いて、

さよなら、カッパドキア―

そう思って振り向くと、

「えっ !?」

私は自分の気持ちに戸惑いました。

胸がキューンとなって、思わず涙がこぼれそうになったからです。

「うっそー。」と独り言を言いながら、自分の泣き虫っぷりに呆れてしまいました。

 

でもその時、私はあの青ヶ島の「おもうわよ」と言う、さようならの言葉を思い出していたのです。

 

 

※        ※

 

その時、まだ旅は半分も終わってなかったのでした。だから私は涙を押しとどめ、その後も楽しく旅を続けました。

家に帰って来てから、ふと私はあの「本当は可愛い不細工ブチ猫」の事を思い出しました。

ちょっと薄汚れていて、喧嘩にも弱いらしくて、朝のレストラン裏の厨房で何か貰おうと集まっている猫たちの群れの中にも入っていなくて、あの猫は大丈夫だろうかと思ってしまいました。

だけどどんなに心配になっても、自転車を飛ばして見に行く事も、電車に乗って会いに行く事も叶わない、トルコのカッパドキアは遠い遠い遥か彼方にあるのです。

私は写真を大きくして、この猫をじっと見つめました。

ー 大丈夫だ。この猫は決して痩せこけていたわけではないんだな。―

と、私は思いました。

― この猫は賢い。

 この猫は人懐こい。―

そんなものを武器にして、きっと力強く生きていくのでしょう。

いいえ、きっと、すでにこの猫は誰かに可愛らしい名前で呼ばれていて、その頭を毎日撫でてもらっているに違いありません。

 

そんな事を私は信じ思いながら、それでもこの猫に会いたくて、誰の遠慮もいらない深夜の一人の部屋で、なぜかポロポロと泣いてしまうのでした。

旅の出会いは一期一会。

「くさい」などと文句を言っていたけれど、あの部屋だったから可能だった素敵な出会いだったと思います。

 

 

 

 


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洞窟ホテルの夜と朝 その2

2019-07-25 02:40:02 | トルコ旅行記

2連泊したら2連泊しただけの想い出も出来ると言うものです。

もしもこの記事の副タイトルをつけるとしたら

「旅に『後で』はない !」と言う所かしら。

※           ※

この日のお昼だったか、ツアーのお仲間のどなたかが言ったのですが、その人たちの部屋は坂の上の方にあって、部屋の中も雰囲気満天で素晴らしく、思わず

「まあ、こんな所に二日も泊まれるなんて ♡♡」と言ったのだそうです。

私たちのかび臭くて

「まあ、こんな所に二日も泊まるだなんて 」とえらい違いだと思いました。

ところがある一人旅の男性が言うには、あなたはこちらですと有無を言わさず案内されたのは、眺望最高のベランダ付き・・・・は良かったのですが、普通のお部屋だったのですって。壁などレンガなどで出来て居たかもですが、いわば洞窟を模して雰囲気だけを作った普通の四角い部屋だったのですね。その時の私は、むしろそっちの方が良いナぐらいの事を思っていたのですが、今になって思うと、あのかび臭さも込みで洞窟ホテルなんだナぐらいに思えて来て、むしろその男性の方が気の毒に感じるくらいです。

 

ここでは洞窟ホテルに泊まったこと自体が、ひとつの観光だったと思うのです。

またそのホテル周辺の散歩自体も本当に楽しかったです。11日、その日の観光を終えてホテルの送迎の小型バスで降ろされた場所は、ホテルのフロントよりもかなり離れた所でした。なんと1日目と2日目の間に、その地域の何か決まりが変わったとかでバスが入れる場所も変わったのです。

なんとなく微妙な可笑しさを、私は感じました。

バスから降りた時に見えた風景が、一日目と二日目で違うって意外と新鮮な感じでした。

そして私と星子さんは一番遠い部屋までテクテクと坂を下って行くのですが、真っすぐには帰らないのが私たちなのですよね。

二股に分かれた坂道をテクテクと上って行きました。

 

 

猫さんとじゃれる子猫に惹かれて、お店なんかも覗いたりして。

お店の中にも子猫が一匹いたのですよ。

 

   

 

 そして私がちょっぴり後悔しているのは、さらに上に行かなかった事なんです。

11日は結局は16500歩歩いたのですが、この時既に13000歩以上は歩いた後だったと思います。

坂に階段・・・・・。

ちょっと一旦休憩したいような気持ちになっていました。

休憩したら再チャレンジをしようとか、または日没も遅いので、夕食を食べたらまた後で来ようと私は思っていたのかも知れません。

それともまた明日の朝、早くに行ってみようとか思っていたのでしょうか。

とにかく、私は「後で」と思ってしまったのでした。

だけど夕食までの時間があまりなくなってしまったり、天気がまた悪くなってしまったり、翌朝はいろいろやることがあってまったく余裕などなかったりで、「後で」はなかったのでした。

 

結局、そこから見た風景は星子さんだけのものになってしまいました。(お互いに手を振りあう私たち)

 

  H

それに私もついて一緒に上っていれば、きっと二人でもっと上まで行ったのではないかなと思うのです。

ガイドさんが「日本語の『せっかくだから』と言う言葉好き。」と言っていたのですが、何気なく使っているその言葉、本当に良い言葉だなと思いました。

旅を倍楽しむポイントは『せっかくだから』を忘れない事なのかも知れませんね。

 

部屋に戻っていろいろやっていたら夕食までの時間が無くなってしまって、いそいそとレストランに向かって坂を上って行く私たち。でもせっかくなので、違った道を探索しながら行きました。

ポチポチと雨が。。。。。

 

下の画像は、その前日、絵葉書を買ったお店です。このお店でレースと石を合わせた可愛いネックレスが売られていました。

2000円だったか、もう少し高かったかそのぐらいだったかな。

それでも私は悩んでしまったのです。凄く悩んだわけではないのですが、なんだか決断が付かないと言うか・・・・。

「また後で来ます。」と私は言いました。

もう一回来たら、私は買ったと思います。だけどホテルのフロント、レストラン横のこのお店に二回訪れる事はなかったのでした。

時間が無かったり、閉まっていたり・・・・・。

H

 

カナダに行った時のスーパーでも、インドの時の雑貨屋でも同じような事がありました。後で同じようなお店があったなら、その時には買おうと思っても、同じようなお店にはなかなか行けないものなのですよね。

だから「旅に『後で』は無い !」と心に刻み付けたいと思いました。

(そう思っても、すぐに忘れてしまう・・・・(^_^;)

上の画像・・・・要らない部分を切って編集したのですが、自分をちょっとだけ残しました。不自然に見える手が私^^

 

夕食。

  

 

そして朝。

 

H

 

お散歩をしながら、またレストランに向かいます。

そしてもうお部屋には戻ることはありません。

ホテル前で。

H

朝食。

ホテルのレストランから映した画像です。遠くに見えるのはエルジェス火山で、富士山に似ていますね。

 

そうして私たちは、カッパドキアを後にしたのですが、カッパドキアでの記事はあと一つだけ書かせてくださいね。

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赤い川のほとりで

2019-07-24 12:43:42 | トルコ旅行記

普通は「その1」とあったら「その2」に続きそうなものですが、「洞窟ホテルの夜と朝 その2」の記事に今から書く事をねじ込もうとしたら無理でしたので、別に先に書く事にしました。

 

6月11日のメイン以外の立ち寄り場所の記事です。

やはりトルコと言ったら、伸びるアイスじゃないですか ?

ガイドさんは「安心」に拘る人で、こういうアイスも「安心」な所じゃなくては紹介できないと連れて来てくれたのが

「クズルウルマク川」ほとりの「MADO」と言うお店。

 

コーンでも食べられるのですが、私なんか絶対に最後に悲劇的な事が起きそうな気がして(ポタポタ垂れるとか、ポロッと落とすとか)カップにして貰いました。

だけどカップの方が、伸びるのが実感できて良かったように思いました。

びよよーんと伸ばしている画像は、私と星子さんが、あまりに嬉しそうにニコニコと真ん中に映っているので、ちょっとお見せ出来ません(笑)

お店の中でも頂く事が出来たのですが、私たちは吹く風も気持ちよさそうな川辺のベンチで頂きました。

 

「クズルウルマク川」と言うのは、赤土の川で、「クズル」は赤を意味し「ウルマク」は「川」を意味するのだそうです。つまり「赤い川」・・・・・・・・・ありゃ、じゃあ、「クズルウルマク川」では「赤い川川」になってしまいますね。 (^_^;)

 

ガイドさんがあれは「赤い川です。」と言った時に、私、ちょっとピーンと来た物があって、家に帰ってから検索したのは実は漫画タイトルでした。

「天は赤い川のほとり」。カッコいいタイトルでしょう。私はあまり結婚してからはいろいろな方の漫画は読んでいなくて、最近では本当に漫画からも遠ざかっていて「ポーの一族」しか読んでいないのです。でもこの漫画のタイトルは知っていたのですよ。何か賞を取ったのですよね。

何かでは申し訳ないので、今調べたら小学館漫画賞少女部門ででした。因みに「ポーの一族」も取られている賞なんですね。

それにしても、そんなにインパクトがあったのかと思ったら、謎が判明しました。この漫画は宝塚でも舞台になっていたのでした。未見ですがタイトルに惹かれて見たいと思ったのではないでしょうか。

もしかしてあの漫画は・・・・と思って検索したら、やはりヒッタイトが舞台になっているものでした。

なんかまだ読んでも居ないのに、凄いなぁと思いました。その着眼が。

もちろんタイトルの「赤い河」は「クズルウルマク」の事です。

 

天は赤い河のほとり 全28巻完結(少コミフラワーコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]
篠原 千絵
小学館

 

今とっても気になっている漫画なのですが、・…うーん、大人買いするとお値段が……買えない値段でもないが・・・・・うーん・・・・

と言う私の悩みなどはさておいて、

その赤土の川の真横を走り抜け、洞窟レストランで昼食を取ることになりました。他の方のトルコの旅行記などを読んでいると、多くのツアーがここで食事を取られているみたいだと思いました。

 

 

 

 

お食事。

 

 

そしてここでは、初めてトルコ珈琲を頂きました。

 好みは分かれると思うのですが、やっぱりせっかくトルコに来たのだから、これを飲まないと言う理由はないですよね。

たぶん私は、これは嫌いじゃないです。なかなか美味しいと感じました。だけど日本のカフェにあっても、たぶん飲まないと思うな^^

 

ここは雰囲気も良くて、お食事も美味しかったです。

だけど帰り間近で、ちょっと面白い事があったのです。このお店の入口には、ちょっとした雑貨や衣服のお土産屋さんになっていたのですが、なんとワゴンに入っていたTシャツが5トルコリラ。つまり100円です。

「どんなのがあるの ?」と群がる女性陣。

まあ、やっぱりそれなりの感じ。

だけど私、コレ、朝の家事タイムに100円ならいいんじゃねって思ったのです。

するとその時に、誰かが「みんな明日は御揃いで着ましょう。」と声がかかりました。

なんたって私たち、意外と結束力みたいなのが付いていて・・・・・急に、みんなでワイノワイノと買ったのです。

 

だけどね、これ・・・・・

東京に着て行けるかって言ったら、行けないよ~。どうするの、明日本当にみんなでこの服着てゾロゾロするのかなあと首を傾げていたら、「安心」に拘るガイドさんが、

「こういうのは良くないもので染色されているから、一回は洗ってから着てね。」と釘を刺したのです。

その釘が効いたのか、翌日、そのシャツを着てくる人はただ一人を除いて居なかったのです。

それは誰かと言うと、添乗員さん。

「皆さんに裏切られました。」と少し怒ったように言ってましたが、申し訳ないのですが、今思い出しても、ちょっとクスリと笑ってしまいます。

だけどそれ、やっぱり制服のように御揃いでは目を引きすぎて、全員そろってじゃなくて良かったと思いますよ~。お揃いで着ていたら、なんか変だったと思います、絶対に。

ところがこのシャツ、みんな御揃いでは着なかったけれど、ちゃんと旅行中にそれぞれ着ていました。

私も星子さんも、ある場所で利用して、買って良かったなと思ったのです。

誰かが着ていた時、ガイドさんがちょっと皮肉っぽく

「あー、100円の匂いがする。」と言っていましたが( ̄ー ̄)ニヤリ

 

どんなシャツかと言うとね・・・・写真を撮ったら、ちょっと洗濯しようと丸めておいたので思った以上にクシャクシャでした。

載せてはみたけれど、やっぱり恥ずかしいレベルのクシャクシャで消しました。

そのうちこっそりと追加しときます。お見せしないと、御揃いでは着られない意味が分からないと思うのです。

今よく見たら、ちゃんと刺繍がしてありました。デザイン的にはどうかなと思うけれど100円ならすべて許せますよね。ちゃんと着てるしね。

で、中途半端感がぬぐえませんが、今日の所は申し訳ありません。m(__)m

 

※ 今日はもっと晴れるのかと思ったら、そうでもなくただ蒸し暑いだけですね。

午後からは気合を入れて、お仕事タイムです^^

 

 

 

 

 

 


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洞窟ホテルの夜と朝 その1

2019-07-22 16:54:37 | トルコ旅行記

カッパドキアでは、「ケープリゾート&スパ」と言う所に泊まりました。

6月10日。「カイマルク地下都市」とか「ギョレメ谷で一般家庭訪問」などをした後、ホテルに荷物を置いて、食事の後に「ローズバレー」にて(見る事の叶わなかった)夕日鑑賞に出る予定になっていました。

「洞窟ホテル」!!

素敵 !! って思うでしょう。

旅行のパンフレットを見て、私も思いましたもの。

「あー、ワクワクしちゃうな。そんなテレビの旅番組でしか見る事が出来なかった所に泊まれるなんて。」ってね。

だけど・・・・の続きはちょっと後から書く事にして、

その日の夕食です。

バイキングではないので、量は適量なのですが、このホテルでの夕食は・・・・・・・本音を言えばイマイチでした。

もちろん、私には合わなかっただけと言う事なんです。とってもヘルシーです。鶏肉は全部胸肉で、たんぱくすぎて、こんな量でも多過ぎに感じました。

 

 

 

ローズバレーから帰って来て、ホテルの小型バスを待っている間に(この先は小型でなければ上れないのです。)撮ったホテルと周辺の画像です。↓ 

 「美しい~ !!」と素直に思いました。

私にとってはのトルコ旅行記の80%はカッパドキアと言うイメージに、今これを書いているからもあって、そんな気持ちになっています。あっ、でもきっと場所を移動した後の記事を書きだしたら、また違うことを言いそうですね^^

そしてあまり美しくは撮れていない、下の写真は上の画像の中の一角にあるバーのテラスで、下の世界を見下ろして撮った夜景です。

私たちがこの旅行で頂いたアルコールは、唯一そこのバーで飲んだビールだけ。

久しぶりに飲んだビールは美味しかったし、接客のお兄さんは本当にイケメンだったし、なぜだか分かりませんが遠くで花火もあがっていたし、凄く気分の良い夜になりました。

 

そして帰って来た、私たちの洞窟ホテルでのお部屋です。

マア、ステキ・・・・!

フンイキアルワ。

「まあ、素敵 !

雰囲気あるわ~!!」ってならない・・・・・。

 

最初にここに案内された時、とにかく端っこでレストランから一番遠かったのです。一応ブーブー言います。

「え~、この坂上ったり下りたりするのぉ~。疲れちゃうぅ~。」

でもそんな事は本当はどうでも良い事だったのです。

だってこんなに素敵な道なんですから。

楽しいですよね、こういう道を歩くって。確かに坂道ではあるのですが。

じゃあ、何が不満なのかって言うと・・・・

 

くっさーい!!!!!

メッチャかび臭いかったんです。

誰か助けてくださいと言うレベル。

 

しかもですよ・・・・。

夕食の為に坂道をフーフー言いながら上っていたら、添乗員さんがお部屋交換のために走り回っていたんです。ツアーのお仲間が気管が弱いだとかで交換を願い出たのですって。

「あっ、じゃあ、私たちの・・・・」と言ったら

「満室で交換はこれが最後です !!!」と釘を刺されてしまいました。

満室じゃ仕方がないなと良い子で引き下がってしまったのですが、これ、後からいろいろ聞いたらそうじゃなかったのですよ。

満室ではなかったし、部屋の状態も見ないで「これが最後」とおかしなことですよね。

 

だけど私たち、「失敗した~」と言う事が失敗ではなかったり、「ダメだわ~」と言う事が、結局は良かったと言う事に結びついていくポジティブ人間の典型なので、この場所でも、なんだかこの部屋で良かったなと思えることが起きたのですよ。

そのお話は、別にもったいぶるわけではないのですが、カッパドキアの最後の記事に書きますね。

 

それに私が「くっさーい!!!」なんて書きこまず、「凄く素敵でした。」と言ってしまえば、もうここは本当に素敵にしか見えないと思います。

早朝散歩で写した風景です。

 

 

そして11日朝の星子さんと私の朝食です。

 

 

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カッパドキアの風景と言ったら、これでしょう。

2019-07-21 16:53:06 | トルコ旅行記

多様性がこのブログの良い所(自分で言ってどうする?)だと思うのですが、また書き手の辛い所でもあるのです。

「トルコ旅行記」は今年いっぱい書いていればいいやと思っていましたが、期間限定のイベントへのお出掛け日記以外は、しばらくこのシリーズに専念することにしました。

と言っても、今日は「いだてん」はお休みでした。←さっき知りました。(^_^;)

あっ、みなさん !

選挙には行きましたか。まだの方は是非行ってくださいね。

            ※        ※       ※

 

星子さんが「ギョレメ野外博物館」を歩いていた時に言いました。

「私が歩きたいと思っている所には行かないのかしら。」

事前リサーチがほとんど間に合わなかった私はお気楽に

「行くでしょう。それがウリなんだから。」と答えたけれど、ツアーと言うモノの恐ろしさは、行って当然と言う所に行かない事もあると言う事なんですね。

例えば「エフェソス」では、世界遺産でもあるアルテミス神殿跡という、柱しか残っていないらしいのですが、かなり有名なそれを見てないですものね。

これは「旅の栞」が分かり辛いと言うこともあって、そう言う不安も出てきてしまったのです。

ロンドンだったら「大英博物館」「ロンドン塔」「ビッグベン」」「ピカデリー」とか書いてあったら、自分がどこに行くのか分かると言うモノですよね。だけど「カッパドキア観光」の後に「デブレント」「パシャバー」「ゼルベ」と書いてあってもさっぱり分かりません。

そしてこのガイドさん、以前にも言いましたが、「ここは何々」という説明がほとんどありません。家に帰ってから検索しましたよ、私。

この星子さんが歩きたいと言っていた一帯は「パシャバー」と言う場所で、そしてその奇岩たちは「妖精の煙突」と呼ばれているのですってね。

 

その風景がバスの車窓から見えて、近づいてきた時に、私はワクワクしました。

そして実際に歩いてその風景に近づいていく時に、私はここに来ることが出来て本当に嬉しいと思いました。また心の奥底では、来させてくれた家族に本当に感謝するような気持ちになったのでした。

こんな風景を見る事が出来るなんて !!

 

 

観光地なので人はたくさんいるのです。

出来るだけ人のいないところと、人はいたけれど編集でチョキチョキとしたもの(バランスが悪くなったけれど)を続けてアップして行きますね。

 

 

 

 

 

この場所では時間が足りませんでした。時間があれば展望台の様な岩の上にもあがって行けたみたいなのですが・・・・

(絨毯屋と陶器屋で時間使ってるんじゃないよ・怒)←まあ、その話は置いといて・・・^^;

そしてそこを後にして少し移動して、ガイドブックでも有名な「ラクダ岩」の所に来ました。

 

そしてここは「デブレント」と言う渓谷らしい・・・・・

「へえ」と思っている今(^_^;)

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「ギョレメ野外博物館」での達成感

2019-07-20 03:23:01 | トルコ旅行記

今だにカッパドキア地方から旅行記は抜け出せません。この地方は2日間観光しましたが、なかなか中身の濃い充実した時間を過ごせたのです。

6月11日。

「ギョレメ野外博物館」に行きました。ガイドさんが最初に、いっぺんにあれやこれやと説明しました。その後はフリータイムで、ここでの滞在時間は50分ぐらいだったと思います。

結構広いし周り切れるのかなと疑ってしまいました。たぶんこのフリー時間にガイドさんは休憩時間を取るのだと思います。

もっと長く休憩しても良いよと思いましたが、そうすると一日の予定が狂ってしまうのでしょうね、きっと。

 

ここでの見どころは、リンゴの教会、バルバラ教会、ヘビの教会、暗闇の教会などなどで、そこに描かれたフレスコ画が素晴らしいらしいのです。

 

でも私・・・・・。またも頭の中で映画音楽が鳴り響いてしまいました。

今度は「インディ・ジョーンズ」ではないです。

だって、ここ、ほらね。

H

「スター・ウォーズ」のルークの家みたいじゃないですか。

星子さんは、そう言う映画はまったく見ないので、私はちょっぴり孤独な気持ちで、だけど「ふふふ」と楽しんでいました。

 

ここは教会の数は多いけれど、中が皆狭いのでガンガン行けます。

中の壁に描かれたフレスコ画は、風化も激しかったのですが、なにしろ4世紀頃からここに存在していたわけですから、その歴史の重みの様なものは半端なく感じる事が出来ました。

更なる劣化を防ぐために(?)写真撮影は禁止です。

H

上の写真は、何でこんな半端な撮り方をしているのかと言うと、つまりこの手前には私自身が映っているからなんですね。

しかしお見せはしませんが、昔は嫌っていたVサイン。ほとんどすべての写真でやっている自分を見ると、「馬鹿か、あなたは。」って、今思ってウンザリしている所です。(もう二度とやらないぞ。)

フレスコ画の写真は撮れなくても、この景観だけでも収める事が出来て満足です。

H

けっこう階段を上がって下りてで大変でした。

H

食堂と言われていた所。

見どころで写真もOKとなれば、頑張らなくちゃと思うのですが、少々足がパンパンになってきましたよ~。

ー食堂ー

H

 

この野外博物館には別料金になっているコーナーもあって、そこのフレスコ画は保存状態が良いのだそうです。

私はそこまで行けるのかなと思っていたのですが、時間的には思っていたよりも余裕があったので、有料と言われても、遠路はるばる来たのですから、拒む理由にはならず、しっかりと見てきました。

H

色が鮮やかで、入った甲斐もあるなと感じました。

H

 

H

ー暗闇教会ーです。

写真撮影は出来ませんでしたが、このような掲示板もあって良かったです。

 

ここでは最初にガイドさんが言った場所は、すべて制覇しました。

そして最後にどうしても見たかった「最後の晩餐」のフレスコ画が描かれている所に向かうと、何やら絶景撮影ポイントがあるとかで、皆が写真を撮っていました。

確かにー。

 

フレスコ画の写真は撮れませんでしたが、なかなか気に入った写真は撮れました。

 

ここでの自分の画像が少なくて、星子さん撮影の物を結構お借りしました。Hが入っているものがそうです。もちろん了解済みです。

ところで、最初に頭の中で「スター・ウォーズ」の音楽が流れたと書きましたが、この場所は「エクソシスト」にだって使えそうです。または「ダヴィンチコード」のロバート・ラングドン教授が出てきてもおかしくはない雰囲気があるのですよ。なぜならフレスコ画の聖人たちの目がほとんどくり抜かれているからなんです。不気味と言う風に見るとそうも見えてしまいます。

これは昔、聖人たちの目の所を削って煎じて飲めば病が治ると言う風に言われていたからなんですって。

「無知ゆえに」とガイドさんは言っていたけれど、医学の発達していなかった時代には、大いにそう言う事はあったと思うのです。

「アリガタヤ」と言う感覚ですよね。藁にも縋ると言うか。

カメラの写し方ひとつで、ホラーチックにも見えるし、美術的サスペンスにも見える。

でも私には、こんな風に感じました。

 

苦しむ子供がいて、妻はオロオロとし泣くばかり・・・・。

大丈夫だ。お父さんに任せて置け。

そう言って父は真っ暗な道を星を頼りにやって来て、修道僧たちの目を盗んで・・・・、いやその頃はキリスト教の修道僧は、イスラムの弾圧に負けてこの地を捨てていたのでしょうか。とにかく、父はそっと暗闇にたいまつの明かりのみで忍び込み、そっと聖人の壁画の目をガリガリと削ったのだと思います。

そして家に戻った父は、高い熱でぐったりとした子供を抱き起こし、その削った壁画を湯で融かしそっと飲ませたのでした。

もう大丈夫だ、きっと大丈夫だ、と夫婦で祈りながら。

 

なーんて事を想像しながら目のない聖人たちのフレスコ画を見ていたら、なんかジーンと感動などしてしまいました。

と言うわけで、「ギョレメ野外博物館」はなかなか充実した思い出深い場所になったのでした。

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怒りと悲しみと

2019-07-19 12:05:23 | 梢は歌う(日記)

《京アニ火災33人の死亡確認平成以降最悪第1スタジオ、18日朝はセキュリティー解除》

昨日、何気なく見たツイッターで京アニの火災の件が流れてきた時に、
ビルのどこからか出火しちゃったのかなあと、単純に思ってしまいました。
(単なる建物火災。被害者0のイメージ・・・)
その後、それが放火だと分かりました。

「えええっ !!! 放火ってさあ !」

夜遅くの放火だったりしたら、外の壁辺りのゴミか何かに火をつけてと言うイメージにもなるけれど、昼間の放火だったら、玄関から入ってって事かしらと、胸がザワザワしました。

思った通りで、最初は一人の死亡と流れてきたものが(それだって胸が痛い。)どんどんと数字が増えて来て、そして33名もの方が亡くなった事が分かりました。

犯人も火傷を負って意識不明で入院中だとか。

ちょっと過激な言い方ですみませんが、気持ち的にはその胸ぐらをつかんで揺り起こし、
「何でこんな事をしたんだよ !!」
「分かってんのかよ、何したのか、テメーわよ?」と怒鳴りつけたい心情になってます。(お下品ですみません。脳内ボキャ、けっこう多様です。)

なんか「小説が」とか、「パクった」とか叫んでいたらしいですね。

だけどこの犯人は、別にガソリンを被って自分も死のうとしたわけでもないようで、こんなガソリンをまいて、チャッカマン・・・・おっとと、これ商品名だからアウトらしいですね、えっと、あっ、そうそう、多目的ライターで火をつけたら、自分がどうなるかなんて事を、事前に検索して知ろうとしたり想像したりすることが出来なかったような人じゃないですか。

何が小説 ?   何がパクリ ?

さっぱり分かりません。

火をつけた時に「死ね」と言ったとか。誰に対して、その言葉を吐いたのでしょうか。
このような人だから、「死ね」と行った先には何も見えていなかったのかも知れません。

だけど想像して欲しかったです。
そこに火を点けたならばどういう事が起きるのか。

そして被害に遭った人たちの、夢を抱き努力しそこに至るまでの人生を。またこれからも続いて行くはずだった人生を。


昨日の夜、深い悲しみを感じ悲しみを感じ、犯人に対して強い怒りを感じ、そうこうしているうちに気持ちが悪くなってしまいました。

悲しい一日の終わりだったと思います。


亡くなられた方のご冥福を、心からお祈りいたします。
また被害に遭われた方々の、一刻も早いご回復をお祈りしています。





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オープンキャンパス「萩尾望都 特別講演」その2

2019-07-18 02:29:21 | 漫画・マンガ・まんが

・「オープンキャンパス2019「萩尾望都特別講演」」の続きです。

トップ画像は、受付で頂いた「ポーの一族展」のチラシです。ちょうど私の前で、チラシ以外にもう一枚配布していた割引券か何かが無くなってしまってがっかりしました。その割引券は、普通のチケットサイズ。栞になりますよね。

今日、セブンイレブンで、「ポーの一族展」の前売りチケットをゲットしてきました。でもセブンからのチケットは味気ないですものね。欲しかったな、あれ・・・・・。

(って、「あなたお幾つ?」って、今自分で思いました (^_^;))

あっ、そうそう。「ポーの一族展」は前売りだと700円で、当日券よりは300円もお安いの。

会場ではちょっとお買い物をしたいと思っているので、この300円安は嬉しいです。

 

と言うわけで、昨日のお話の続きを始めますね。

まず先に、ひとつ前の記事に書いた「眠れない一族」の事ですが、これはSFとかの話ではありませんでした。

 

眠れない一族―食人の痕跡と殺人タンパクの謎
柴田 裕之
紀伊國屋書店

 

「眠れない一族」の事を検索すると、なんと上記の本の事ばかりでなく「ポーの一族」のwikipediaも出て来て、オットマーの説明に「眠れない病気」の事が出て来ていて、そこから「致死性家族性不眠症」のページに飛ぶのです。

単なる物語の設定のように見えていても、多くの本を読んで得た知識から、それが構築されているかと思うと、またまた凄いなぁと思ってしまうのですよね。

 

なんかいろいろな事に共鳴させて頂いたり、また新しく学ぶことが出来たり・・・・・

 

学ぶと言えばですが、

大英博物館のZONE2「過去から学ぶ」には浮世絵が展示されているのだとか。萩尾先生自身も、浮世絵からは大いに影響されたと言っていました。

北斎の「神奈川沖浪裏」

「尾州不二見原」

この構図とか躍動感とか、高校の時から嵌って何度も見たと言っていたような気がします。←なんだか曖昧な感じですが、そう遠く離れたような発言ではないと思います(^_^;)

私も北斎は好きですが、高校の頃にその良さなんか、何にも分からなかったです^^;

それでも嬉しかったのは、ここで暁斎の絵が取り上げられたことなんです。暁斎、大好き !

「新富座妖怪引幕」

この絵の事は、持ち主の美術館のサイトの記事があるのでお読みくださればと思います。

・《【お知らせ】河鍋暁斎画 新富座妖怪引幕 大英博物館展覧会『マンガ展』へ出品協力》

これの持ち主って、「早稲田大学演劇博物館」なんですね。何かいろいろな所があるんだなと、横道逸れて、今しみじみとサイト内をウロウロとしてしまいました。

 

学ぶと言えばもうひとつ、

「春の夢」の舞台にもなった「アングルシー島」。

私は場所なんかちっとも確認しなかったです。でもこの場所、凄く良く考えられているのですよね。

イギリスで5番目に大きい島なんですって。そんな島であの物語は展開したのですね。

意識しなければ知らない事はたくさんあるのだと知るのですね。

 

知らなかったと言えば、話題として取り上げられた作品で「進化論のガラパゴス」と言う旅行記は何処に載っているのかと調べたら、下に載せた本の巻末に載っているのだとか。

 

今朝子の晩ごはん (ポプラ文庫)
松井 今朝子
ポプラ社

 

流石に「ガラパゴスに行かれたことのある方 ?」と言う質問には誰の手もあがりませんでした。

行ってみたいなあと心の中で思ったら、きっとそう思った方もたくさんいて、そんな空気が伝わったのか、

「いきなりガラパゴスツアーが人気になるかも。」とみんなでニコニコと笑い合いました。

 

さてさて、またも深夜の限界時間が来てしまいました。

張り切ってメモをたくさんしてきたし、本当に中身の濃い1時間だったので、まだまだ書こうと思ったらたくさんあるのですが、だけどここからは本当にどこかで記事になるのを待つことにします。

または「ポーの一族展」のレポを書く時に、ちゃっかし織り込んだりしてね^^

流れにも沿ってないし、講演内容がさっぱり分からないと感じる方もいらっしゃると思いますが、この記事はちょっと枠外の補足を書いていたように思います。

 

と言うわけで、夜が明けたら、また楽しい一日が待っていますように。

 

 

 


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