森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「ポーの一族」秘密の花園 Vol.1

2019-05-29 00:40:15 | 漫画・マンガ・まんが

19世紀の終わり、エドガーとアランは二人だけで旅をしています。

《ネタバレしています。》

前回までの「ユニコーン」はバリーの本当の名前が分かったところまで。今回から新章突入で、なんと二人はアーサー卿の所に訪れるのです。

馬車での事故で川に落ち、その後の突然の睡魔に襲われたアランを助けるためにその家の扉を、エドガーは叩いたのでした。

アーサー・トマス・クエントン卿は、この先も二人にとって大事な役割を成す人。その出会いが描かれそうです。

 

その時、おりしも飼っていた犬のダ・カーポが亡くなってしまったばかりで、嘆き悲しむマルコを慰めていた卿でしたが、彼の言葉は、少々と言うかいちいち芝居じみている所が、ツボにはまりますね。

それはエドガーたちが訪れた時も

「ここは鬼の家だぞ」と言うー。

「鬼の顔を見せてやろう どうだ!」「驚け!」とランプを顔の所に持って行くと、雨の中に立つエドガーの顔が照らされて・・・。

「・・・・・・ランプトン・・・・・」

「・・・・来たのか・・・・・」

そして激しい雨のシーン。

 

もう激しい雨の音さえも聞こえてきそうです。

もう、本当に本当に素晴らしいですよね、この世界観。

 

どうしてここに扉絵を入れなかったのかと思ってしまいました。本編に入ってから長すぎるからかしら。でもドラマでも15分もお話が進んでからOPが入って「えっ、今から!?」って言うのもあるじゃないですか。

まあ、はっきり言って余計な事を言っているわけですが、

ーここにバーンってあったら良いのにな

などと、妄想するって言うのもある種の楽しみなのかも知れませんよね。

 

ところで今回、アーサー卿との出会いなのかと思うのと同時に、あの絵の誕生の秘密にも触れられるわけかとトキメキました。

「ランプトンは語る」は、下に貼っておきましたが「ポーの一族」の四巻目に収められています。

 

しかし若い時は、「チコちゃんに叱られる」ではありませんが、かなりボーっと生きていたなと思ってしまいました。いやいや、それは今もかなりと言うか、ますますかも知れませんがね。

だけどなんでそんな事を言うかと言うと、

「ランプトンは語る」の中でも

「トーマス・ロレンスは18世紀の肖像画家でした。」と言うセリフがあるのですよね。

彼が描いた「ランプトン少年像」の顔だけ違う模写が、「ランプトンは語る」の中心をなしているにもかかわらず、

その画家や作品を実在のものとも意識せず、ボーっと生きていた遠い昔・・・・・・・ハァ(タメイキ)

 

私は漫画から、かなり多くの事を学ばせていただいたと思っているのですが、1975年(「ランプトンは語る」)にせっかく望都様が教えてくださったと言うのに、スルーしていたのです。でも今になって、そこに拘る事が出来たのも、ある意味パソコン様のお蔭かもしれませんね。ササッと検索。便利な世の中です。

アーサー卿の家にあるのも、模写の模写らしいのですが、その実物は

 

しかし、この一枚の絵から、あんな風に、また今回も物語が紡ぎ出された、また紡ぎ出されるのかと思うと、ワクワクしますね。

やはり望都様は、天才です ♪ 

って、いまさら言うこともないか^^

 

今回のお話で、ちょっと衝撃を受けた所は、「犬はキリスト教徒ではないから天国には行けない。」と言うくだり。いろいろと深い。

そしてアーサー卿と彼が言う所のランプトンとは誰で、そこには何があったのか、また来月が楽しみですね。

来月ではありませんでした !!!
続きは、2020年の春ごろだそうです(涙)

 

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「Sky presents 藤原竜也のラジオ」第19回

2019-05-28 12:50:06 | テレビ・ラジオ

まあ、個人的に思う事は、修学旅行の思い出で、あのトイレ脱出の女性にもボールペンは上げて欲しかったなとは思います。それはかなり大変な事で、ささやかながら、本人的には大冒険だったと思いますよ~。

あくまでも私個人の感想ですが、この方のメールが記憶に残ると言う視点で言えば、ナンバーワンでした♪

 

記憶に残ったお話と言えば、藤原さんの中学の時の先生との、思わぬところでの再会に悔いの残るような態度を取ってしまった事と言うもの。

若い時代って、本当に我ながら「何で?」と思う事ってありますよね。なんであのような態度を取ってしまったのだろうかと。

きっとその先生はちょっとは寂しかったと思います。だけど大人を舐めちゃいけないー。きっと子供の照れてる気持ち分かっていましたよ。子供って、藤原さんの事ですが(笑)

 

今回もオープニングから面白かったです。

名無しの愉快なお仲間さんの韓国旅行のお話から、竜也さんのプライベートな生活も垣間見えたりもしましたが、ウーバーって何だろうと、新しい知識も得る事が出来ました。(思わず検索^^)

 

私的に、少々ショックだったのは「修学旅行の時に聴いていた曲」と言う部分。

聴かなかったな、音楽なんて。いや、聴けなかったよね。

寧ろみんなで歌ってた・・・・・・。

エーン、思わず泣いた真夜中(もちろん、嘘です ♪)

今週の曲は、下に貼っておきますが、その前にラジオ内で言っていた撮って来たポスター写真と言うのはこれですね。

 

「渦が森団地の眠れない子たち」の情報は→こちらで

 

 

SPEED 「STEADY」 MV

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いだてん第20回「恋の片道切符」

2019-05-27 09:07:27 | ドラマ (大河)

治五郎の手紙によって、オリンピックにマラソンが復活したのは、なにげに感動的なエピソードだったと思いました。

だいたい「マラソン」と言う名前の由来からして、感動的な話じゃないですか。だけどそれを思うと、やっぱりマラソン自体は危険な競技と言えるのかも知れません。

因みに、その由来は

ギリシャの地名「マラトン(Marathon)」を英語読みしたもの。 紀元前490年、ギリシャ軍の兵士が戦場のマラトンからアテネまでの約40kmを走り、勝利を報告した後、絶命したという故事に由来する。ですね。

その過酷な距離を、走りぬき尚且つ速さを競うには、計算された「何か」が存在しなくてはならないのだと思います。その「何か」を競うがのが競技と言えるのかも知れません。

 

ちっぽけで小さな島国でしかなかった日本。世界を夢見てはいても、世界を見る事はしなかったのでしょうか。

 

と、ここまで真夜中に書いて、昼間の暑さがたたり寝てしまいました。

朝、パチリと目が覚めてふと思い出した言葉がありました。月並みな言葉です。クドカンなら、嫌ってあえて使わなかった言葉だと思います。いいえ、思いつきもしなかったと思います。でも私は思い出してしまったので、恥ずかしながら、書かせてもらいます(^_^;)

「井の中の蛙、大海を知らず」

井戸の中で、自分が王様と思い込んでいた蛙も居た事でしょう。

だけど井戸の中から飛び出して世界を見た蛙たちは、多くの事を学びました。

 

負けから学ぶことは、勝つことによって学ぶことからよりも、実はたくさんあるのではないでしょうか。

スポーツの世界では、駆け出し日本なのですから、学んでも学びきれないほどのものを、選手たちは経験し得たと思うのです。

 

ところが井戸の中の蛙たちは、そんな自分たちの現状も分からずに、いい成績でなかったことを、ただ攻めるのでした。中には「非国民」だなんて。

あー、モー、情けないったらありゃしない。

いやいや、これはドラマの中の単なるセリフですよって言われそうですが、なんかそう思えない。

 

思わず過激な事を、私は思ってしまいました。このような国民性ゆえに戦争にも負けたんだって。

いや、あの戦争は負けて良かったと思っているのです。じゃなかったら、日本はまた愚かにも今でもずっと戦争をしていたかもしれませんが、そんな話は別の事です。

ただ小学校の時、学校の先生が

「日本は適性語だと言い、外来語を無理やり日本語に置き換えるなどと言う事をしていたが、アメリカは日本を徹底的に研究したんだよ。」と「菊と刀」の本を教えてくれたのでした。

なぜそのような事を思い出していたのかと言うと、夫がこのドラマを見ていて

「海外視察とか行ってないのかよ。事前研究とかまったくしてないのかよ。」と言ったからなんです。

 

新しいスポーツを海外から持ってきて紹介し、または国民の体力向上を目指している段階です。そう言う発想がなかったのではないかしら。そう言う事も含めての今後の「何か」だと思いました。

日本国内を走りに走りまくってしまっていた四三。

せっかく5位まで追い上げていたのに、失速します。今では普通に聞く「調整」と言う言葉。なかったわけです、その時代は。

いろいろな失敗を重ねて、日本のスポーツは「今」を迎えたのですね。

 

今回のドラマの話をあまりしていませんでした。

船上で結婚していたことがバレタのは良かったですね。じゃなかったら、最後にスヤさんの

「夫は金メダルったい !!」が全然生きないですものね。

「誰ーーーーー!?」になっちゃって、収拾がつかないですよ。

 

他にも、三島弥彦再登場は嬉しかったとか、手紙の中のお母さんへの言葉は一行だとか、田端さんは東大ねとかいろいろ思ったのですが、またも相談なく仕事を止めていた所で、スヤさん以上に我が夫が怒った事が印象深かったのです。

我が君は、この四三のキャラが嫌いなんです。妻をほったらかして好き勝手な事ばっかりやっているからでしょうか。(別に、我が君、私の事を大事にしているとは思えないけれどな。コソッ)

幕末辺りには、そんな男はごっちゃりいて、

「妻よ、家を守りたまえ。じゃ、オレッチはやりたいことあるからさ、行くね。」っていうやつばっかりじゃん。

それが明治以降は許されないらしい・・・・・・。

 

だけどスヤさんは、四三を大事に想い慕っているのです。

なぜかー。

あっ、閃きました。日本には光り輝く名言があるのですよ。我が君の辞書には、その言葉が削除されているのでしょうか。その名言とは、

「亭主、達者で留守がいい!」

ですね^^

 

 

  画像は記事には関係がないです。鳩山会館で見た「白秋」。珍しいものだそうです。

 

 

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父の七回忌

2019-05-26 01:17:09 | 梢は歌う(日記)

2013年5月26日に父が亡くなってから6年が経ち、25日に「七回忌」を無事に迎え、そして終える事が出来ました。

このような法要を「無事に迎えた」と言うのは、ちょっと何か違うのかも知れませんが、それを執り行った母にとっては、その言葉はぴったりと当て嵌まるような気がしました。

 

父が亡くなってから葬儀まで1週間の間がありました。その時、友人が

「お母さん、気を付けてね。私の母は父の葬式が引き金になってボケが始まってしまったのよ。」と言いました。

1週間後、葬儀のために実家に行くと、その友人の言葉がまるで予言のように、同じ言葉を何度も繰り返したり、頓珍漢な事を言う母がいて、私は葬儀と別にちょっと暗い気持ちにもなっていました。連れ合いの死のストレスは本当に大きいものなのだと思います。

母と姉はダブルキッチンの二世帯住宅に住んでいます。だけど帰る時に不安に思い、しばらくは一緒に食事をしてあげてと姉にお願いしたのです。姉もそう思っていて申し出ると、母はそれを断りました。今までと同じように、今日は何を作って何を食べようかぐらいは考えて行かないと、ひとり暮らしではボケてしまうと思っていたそうです。

この食事作りはとっても大切な事だったようで、49日に再び横浜に訪れた時は、母は元の母に戻っていたのです。

 

父の葬儀のその年、母は80歳になりました。

今は94歳でまだまだ元気なスーパーばあちゃんの姑さえも、80歳になった時に、今までの生活とは線を引き独居老人卒業を宣言しかけたくらい。80歳とはそんな年齢だと思います。

(姑はその後、その考えを捨て去ったようですが。)

その母は言いました。

「私、七回忌までは頑張るから。頑張って自分がやるから。」

その「頑張る」と言うのは、

― 私は生きる !

― 私は病気にならない !

― 私はボケない !

と言う宣言に他なりません。

「うん、お願いね、お母さん。」と私たちも言っていました。

 

今回もお寺での法要が終わり、車で移動してお墓。そしてまた移動してお食事と言う流れです。

母は墓参りの後、同じ車で移動したのですが、その時うっすらと涙を浮かべ、

「手を合わせながら『お父さん、みんな来てくれたね。良かったね。』って言ったんだ。」と言いました。

 

母の弟が最初の挨拶をしました。

「お墓で私は思い出してしまいました。今から70年も前の事ですが、ひとりの若者がトランクひとつを持って山梨から横浜にやって来たのです。その時我が家は下宿屋をしていて、そこで下宿人になった若者と、私の姉が結ばれて、今、こうしてこのような一族になったのです。」

 

なんたって、娘四人にそれぞれの連れ合いに子供たちですからね。

「みんな」と言う言葉がふさわしい一族なんだと思います。

 

次に父の弟が献杯の挨拶をしました。短い挨拶でした。ただ一言

「これからもお姉さんをよろしくお願い致します。」と言うもの。

 

私は母の涙にも叔父の挨拶にも心がジンワリしましたが、この父方の叔父の一言にもジーンとしました。もちろん私たちの連れ合いたちは、母とは血の繋がりはないわけですが、それでも後はみな血縁のものばかりです。父の弟とその妻と息子と言ったら、やはり母とは血の繋がりのみで言ったら他人です。だけどその人が、娘とその連れ合いたちに向かって、母をよろしくと言ってくださるなんて、優しさを感じずにはいられませんでした。

 

母が言いました。

「お父さんが亡くなってから、一度も夢に出てきたことが無いわ。なんでかしら。」

だから私は答えたのです。

「それはね、お母さんがやるべきことを全部やっているからよ。」

母は月命日の墓参りを今まで欠かした事がありません。

「きっと墓参りを二・三回サボれば、『どうして来ない~?』って、夢に出てくるよ。」ってね。

 

お食事。

 

そしてお土産。

 

この一年で、母の老いを凄く感じている私たちです。

この七回忌が終わって、母はたぶんホッとしていると思うのですが、力が抜けないように、また新たな目標を見つけ、みんなで楽しんでいきたいと思っています。

 

・「キシキシと心が軋む音がする」   一周忌の時の記事です。

・「時は奪うのみにあらず」      三回忌の時の記事です。

 

※ お父さんへ

お食事の時、誰も、お父さんの思い出話とかしなかったけれど、だけどそれはお父さんの事を忘れたからじゃないから安心してね。
お母さんがお父さんの写真をお墓に飾って、みんなで手を合わせた後、お母さんが
「お父さんが笑っているね。」と写真を見て言った時、
「本当ね。」と答えたみんなの言葉に嘘はなかったんだよね。

お父さんは、きっとみんなの事を見ていたのかもね。

 

 

 

 

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「Sky presents 藤原竜也のラジオ」第18回

2019-05-25 00:13:14 | テレビ・ラジオ

トップ画像は記事とは関係がありません。鳩山会館の離れに咲いていた薔薇で「ジュリアス・ローズ」と言う名前だったと思います。

 

すぐに次の土曜日が来てしまうわけですが、今日の昼にやっと前回の放送を聴けたので、またも簡単な感想を書いておこうと思います。

オープニングから、なんか楽しく笑えましたね。
誕生日すぐ後の放送だったので、
「無事、37才になりました。」とご報告。すると、藤原竜也のラジオケーキのプレゼントが。

そう言えばこれは、ツイッターに画像がアップされていました。公式さんからのアップだったのでお借りしました。ここで「RT」と言う事で(^_^;)

tatsuradio
@tatsuradio1008

 

ここでの挨拶が熱かったです。14歳で東京に出てきて23年・・・・・。

自叙伝オープニングと名付けられたけれど、本当に自叙伝を今年中に書こうかなと盛り上がり、書いてみたら意外と薄かったりして、付録でいいやと言う事になる・・・と言う、そこまで行くかと言う妄想トーク。

それでもタイトルとキャッチコピーまで決まった感じで、もう笑えました。

タイトルは「僕の人生」でコピーは

「はいあがれ
   はいあがれ
     はいあがれ」

「努力しかない!!」

とか。

蜷川さんの言葉みたいだねと言われていましたが、なんだか胸がちょっと熱くなりました。

 

また番組キャラクターを作ろうと言う流れになっていて、「たつらじーさん」のキャラ決めも面白かったですね。

またいろいろと皆さんのお手紙も面白かったですが、先週の曲は、海外でずっと聴いていたと言う曲になりました。

それでその曲が凄く良かったのです。

歌詞も素晴らしくて、この曲を教えてくれて、「たっちゃん、ありがとう」って、私、思ってしまいました。

その歌詞は→ここで

 

あっ、そうそう。『人間失格 太宰治と3人の女たち』 の坂口安吾役、楽しみですね。

「人間失格」はあまり見たいとは思ってなかったのですが、藤原さんの坂口安吾をはじめ、とにかくイケメンパラダイスの文豪の方々登場とあっては、迷う所ですね^^

 

 

Avril Lavigne 『Head Above Water (Official Video)』


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空がとっても綺麗でした♪

2019-05-23 01:30:10 | お散歩&写真日記

いつだって、嫌な事がちょっとあって

いつだって、心が晴れ晴れとすることが無い。

 

いつだって、こう考えれば良いんだ

ああ考えれば良いのだと

自分の中で戦っている。

 

疲れる毎日だ。

 

朝、目が覚めたら頭が痛かった。

きっと、あいつのせいに違いない。

いや、単なる風邪なのか。

 

そんな風に思っても、こんなに晴れては働くでしょう。

だって主婦なのですから。

 

洗濯機回して

布団を干して

だけど体操にも行くんだな。

 

そしてお散歩にも行くんだな。

 

好きな人たちとお喋りして

クスクスと笑い合う。

 

楽しい一日だったなと思う。

だけど、また夜が来て、心に重くのしかかる事を思い出し、

憂鬱になる。

 

なんて愚かなんだろう、私。

 

だけど、綺麗だね、空。

 

 

 

 

 

 

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いだてん第19回「箱根駅伝」

2019-05-22 01:28:36 | ドラマ (大河)

19回は、みんな大好き「箱根駅伝」の誕生について。

体育会協会の岸会長が、駅伝のラストランナーを涙ながらに迎い入れて

「こんな素晴らしい競技が無いなんてダメだ。直訴しよう。」みたいなことを言うじゃないですか。

なんか「ツンデレのあなた」と言う感じ。

寧ろ、だから感動が伝わって来て良かったのですよね。

なんか分かるなぁと見ていました。

 

私は、普段はほとんどスポーツ競技を見ません。本当に興味が持てなくて。だけどごく稀に真剣に見ます。オリンピックの時などは、特に見る事が多いのですが、何気なく見始めて、その後もずっとずっと見てしまうのが、マラソンだったりするのですね。

あれって不思議。ただ選手が走っているだけなのに、時間があるとずっと見てしまい、そしてゴール間近になって来ると、見ている側も思わず立ち上がったり座ったり、また立ち上がったりと落ち着かなくなり、最後は手に汗握るなんて事も。

いやきっとマラソンに限らず、様々な競技がそうなんだと思います。ただマラソンの場合、見ている側にもあれやこれやと思う時間があるので、立ったり座ったりと忙しくなるのかも知れません^^

長々と何を言っているかと言うと、こんな私なので岸さんの気持ちがよく分かったと言いたかったのです(^_^;)

 

今回の見どころの一番は、落語による「箱根駅伝」だったかもしれません。創作落語の「箱根駅伝」は格別面白いと言うようなものではなかったのでしたが、なんたって森山未來の一人三役。志ん生の長男の金原亭馬生と古今亭朝太。面白かったです!!

 

大河とツイッターは、私的には切れない縁でして、いろいろとまとめて頂いたり教えて頂いたりしています。

https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1130079417097687040

NHKのツイッターなので、コピペはちょっとね^^;

それなどを見ると、分かりやすくなっていますよ。

また、

『酒上小琴【サケノウエノコゴト】
@raizou5th
すでに指摘はありますが「箱根駅伝落語」は昭和33年の志ん生、馬生、朝太(志ん朝)の親子三人による『富久』のリレー落語をモデルとしています。当時、志ん朝さんは入門2年目の前座で20歳。馬生さんは真打10年目の30歳、志ん生さんが68歳。これを録音していたのは長女の美津子さんでした。 #いだてん』

この方のツイートのスレッドをお読みくださると、さらに奥の深い事が書いてありました。

 

後、箱根駅伝の翌日の雪は、本物なんですってね。たまたま降ったのですって。

 

オリンピックが再び開かれることになっても、マラソンはその競技種目に入っていませんでした。

いったいどうなるのか。

治五郎の直訴は功を成すのか。

以下次回のお愉しみ……と言う感じではないですよね。

だって予告編を見たら・・・・ってね。

だけどむしろこんな風に小さなことで引っ張らないところが良いですよね。

 

当たり前のように有った事が、ちっとも当たり前ではなかったのだと思うと、何事にも人知れずの誰かの努力を、ちゃんと分かる人でありたいと思うのでした。https://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1130079417097687040?s=20ttps://twitter.com/nhk_td_idaten/status/1130079417097687040?s=20

金原亭馬生と古今亭志ん朝が登場し、視聴者に衝撃を与
金原亭馬生と古今亭志ん朝が登場し、視聴者に衝撃を与
金原亭馬生と古今亭志ん朝が登場し、視聴者に衝撃を与

 

下の画像は記事には無関係です。(言葉通り)花を添えています。


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トルコの至宝展と5月の東京散歩

2019-05-20 01:15:48 | お出掛け日記

 

「トルコの至宝展」は、今日20日が最終日です。

16日、『鳩山会館』で薔薇を見た後(鳩山会館の薔薇)、私たちは国際文化会館で昼食を取り、その後「トルコの至宝展」に向かったのでした。既に時間は4時近くて、それが良かったのでしょうか。なんだかゆるりとのんびりと見る事が出来ました。

もちろん帰宅時間が気になる時間帯にはなっていたのでしたが。

 

「トルコの至宝展」は展示品の解説の張り出しが本当に少ないので、ヘッドホンの音声解説を借りる事をお勧めします。テレビなどの特集もまったく見ていなかったので、まったく知識がなく、解説を聞かなかったら、私的には面白さが半減してしまったと思いました。

とにかくトルコはチューリップです!!!

スルタンにハレム。

いろいろなロマンを感じるし、立身出世は自分の才覚によってと言う所にも魅力は感じるのですが、まずは奴隷からと言うのも疲れる世界だななんて思ってみたり・・・・。

最近の美術展などは、これでもかと言うくらい展示数が多いので、解説を聞きながら回っても1時間ちょっとのこの展示数は、最近疲れ気味の私にはちょうど良かったし、なかなか面白かったです。

 

5月の東京散歩は、『鳩山会館の薔薇』→「国際文化会館でお庭を観ながらランチ」→「トルコの至宝展」と言う流れ。

でも最初に立ち寄ったのは

 和菓子屋さん。豆大福が有名だって言うものですから、買い求めてきました。

そしてパン好き星子さんの情報から

 明日のパンもゲットしました。あっ、そうそうと思って、信号を渡ってから写真を撮ったので、お店の名前が入りませんでした。えっと、えっと・・・レシートを見れば分かりますので、後で入れておきますね。

試しに買ったポテトのサンドイッチが絶品だなと思いました。

 

そして坂道を見ると写真を撮りたくなる私。

 

そして「国際文化会館」に着いたのですが、ここのお庭は

 元岩崎邸庭園だったのですね。

お庭です。

ランチです。

 

そしてまた坂。

ちょっと、おばちゃんはもう疲れて来たよ~。

と、そこに飛び込んできたのは、ブルーボトルカフェ。ここ、美味しいのよねと言う事で・・・。

 

これ、本当に美味しくて生き返りました。

ここで寄り道をしていたから、美術館に4時近くに着く事になってしまったわけですが、必要な時間だったと思います。

この日は19000歩、歩きました。

 

 

 


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鳩山会館の薔薇

2019-05-19 15:16:08 | お出掛け日記
 「今年の薔薇は『鳩山会館』で見ましょう。」と星子さんが言ったので、16日の日に出掛けてまいりました。
最初、天気予報では雨も時々混じるような曇りで、そんなにはお出掛け日和ではなかったのでした。
 
だけど薔薇を見る日は曇りの日の方が良いと言うので、それでも良いかなと思っていましたが、出掛ける前日には天気予報が変わり青天のお出掛け日和。しかも庭に出て薔薇を見る間は真上に雲がかかると言う恵まれた日になりました。
 
思わず、星子さんは天気を操る魔女じゃないのかと問う私。
 
下の画像のちょっとだけ見えている青の帽子の人は私です。この坂を登って行くと、『鳩山会館』です。
 
 
 
お庭の薔薇の花が見頃です。
 
 
 
黄色の薔薇のアーチ。薔薇の花は2種類だそうですよ。
 
 
あちらこちらで絵になる鳩山会館だと思いました。
 
 
 
会館のお部屋の中は撮影禁止ですが、大丈夫なところもあります。
階段などのステンドグラスは、和のデザインで、昔は訪れた海外の人などを喜ばせたのではないでしょうか。
 
 
 
 
二階の窓からお庭を写したものです。
 
 
実は広さと数的に行ったらこんな程度。
 
 
だけどここの薔薇たちは、薔薇のみで見るのではなく、その建物とのマッチングなどを楽しむものかと思います。
 
 
また、期間限定でハナレの方の薔薇園も見る事が出来、花の鑑賞の満足度も高かったです。
 
 
 
確かに平日訪問ではありましたが、この薔薇の季節の事を思うと、かなりここは穴場ではないでしょうか。
 
薔薇の写真を、もう少しだけ撮ってきましたので、この先の関係のないものにも(無理やり)載せて行こうかと思っています。言うなれば、挿絵の様なもので、薔薇の季節は良くやっていましたね、私。
 
薔薇一輪の写真をここ数年の薔薇画像でシャッフルしたら、絶対にいつのどこの薔薇かは分からないと思います。
 
でもやっぱり、そこに薔薇があると、パチリとやってしまうでしょう。
 
なんたって、今の季節の花の女王なのですから。
 

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薔薇の季節☆2019

2019-05-18 15:06:06 | お散歩&写真日記

再び薔薇の季節が巡ってきました。

昨年は、この近所の公園の薔薇園にいつ行ったのかとブログ検索してみたら、

・「薔薇の季節 2018」・「埋もれた砂の中・咲き乱れた花の中

の記事の中に書いてありました。昨年は5月13日に行ったのです。

 

この季節の花の女王は、やはり薔薇の花の様な気がします。

 

「ああ、毎年毎年、同じなのにさ、また綺麗だな・美しいなあと写真撮っちゃうよね。いつの薔薇がいつのかなんて、さっぱり分からずみんな同じなのにね。」と、今年の私はそんな事をそこで言っていました。

 

そんな事を言わざるを得なかったのは、いきなりの気温上昇で、またもスマホ内部の温度があがり、シャットダウンさせたり起動させたりして、あまり写真を撮ることを出来なかったからだったのです。

だけど昨年の記事などを見ていると、同じように見えても撮った写真の数だけ違う薔薇の花が存在しているような、そんな気がしました。それは単なる錯覚だと思いますが、美しいものはやはりいつ見ても美しいのですよね。

 

昨年の記事内でも同じような事を言っています。

>薔薇の花たちを、美しい美しいとはしゃぎながら、何枚も撮ってしまいますが、毎年同じような事をしていると思います。もしかしたら昨年撮った花をここに貼っても、まったく分からないのではないかと思います。

 

そしてやはり思った事も同じです。

>ただ見ている側の私が違うかもしれません。ある時は一人で、ある時はあの友達と、ある時はまた別のお友達と、もっと遠い記憶をたどれば、今はいない犬のココちゃんとここを訪れたと思います。
またある時は花の盛りが過ぎてしまっていたり、ある時には写真が失敗してしまったり・・・・・。
それでも毎年ここを訪れて、花の美しさを褒め称えるのです。

 

そして今年は、知り合いが多すぎてショッピングモール内を真っすぐ歩けないお友達とご一緒しました。

何を言ってるかと思われる方は、→「令和に会おう☆その2」をお読みください。

 

その彼女から、朝、「今日は気分が良いからお茶でも飲む時間はないかしら。」とお電話が来ました。

近頃、ボーっと生きている私なので、もちろんokです。

「どうせなら薔薇でも見に行かない。」とお誘いすると、

「じゃあ、その公園でおにぎりとかでお昼を食べよう。」と言うので、ほぼ1時間後に待ち合わせをしました。

その間にもうひとりの(実は3人でつるんでいます。)方に連絡を取ったり、花壇の草むしりをしてから、集合しました。集合してから、

「おにぎりは何処で買おうか?」と言うと、

「作って来たよ、私。」とおっしゃるではないですか。←思わず敬語。

 

薔薇の花を見て、

 

美味しいお弁当を頂いて、

 

たけのこご飯のおにぎり最高 ♪

カニカマとねぎの卵焼きは、売れるレベルじゃないかしら。

この卵焼きを、彼女は今までに1000個以上作って来て、楽しみにしている会社の人たちに食べさせてきたのですって。卵焼きの達人にも、そりゃなると思うけれど、だけどなんで彼女にそんなにも知り合いが多いのかも分かるような気がしました。

いくつになっても人から学ぶことって多いですね。

 

お弁当を頂いている時に、私たちにへばりついていた鳩さん。

 

そんなこんなで楽しい一日でした ♪

 

 


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