森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

WOWOWドラマ「太陽は動かない―THE ECLIPSE―」Final Episode

2020-06-30 09:25:43 | テレビ・ラジオ

またもWOWOWさんのHPからあらすじをお借りしてきました。

【桜井が仕掛ける最後の工作は、都市博建設代替地となった湾岸地区の施設を再び爆破し土壌汚染させることだった。これにより中尊寺や周にはカジノ利権の誘導地がなくなる。果たしてその現場で対峙する鷹野と桜井、追いついた田岡。そしてチーヨウとの死闘の末についに桜井の復帰理由が明かされる。諜報戦の真の勝者は誰だったのか?巨大利権はどの勢力の手に落ちるのか?永島、桐野、そして落合にも訪れる衝撃の結末とは!?】

 

ドラマが終わって、映画公開の情報がやっと出てきました。

夏ぐらいなのかしらと思っていたら、来春、つまり2021年春の公開なんですって。

「そうか、考えてみたらそれがベストよね。」と思いつつ、「あー、だいぶ先ねぇ。」とがっかりしてみたり・・・。

昨日、友人たちとランチしました。私の友人たちはどなたさまも、このドラマや映画、また藤原竜也殿にはまったく興味もないわけですが、それでも思わず私は嘆いてしまったのでした。それでも

「本当にいろいろな所の予定が、メチャクチャになってしまったよね。」と言う至極まともな感想などを頂けて、私も他の人にとってはどうでも良い嘆きの言葉を聞いてもらったので、満足したのでした。

 

と、言う事はさておいて、このドラマは映画の雰囲気も醸し出し、ストーリーも面白く、また映像も綺麗で見応えがありましたね。

2021年がどういう年になっているのか、今はまったく想い描く事も出来ない事なのですが、今まで普通に出来ていたことがまた再び出来るような世界に戻っていますようにと祈りつつ、来春の公開を楽しみに待つことにします♡♡♡

 

《以下はネタバレしています。最終回なので、いつもより心を込めて書いてます。》

もしも永島の役を酒向芳さんが演じていたら、私は普通に「ああ、そうか。」みたいな反応だったかもしれません。

酒向芳さんは何気に売れていますよね。憎たらしい時は徹底的に憎たらしいので、あの末路でも「ああ、そうか。」になる・・・・(^_^;)

だけどなんたって吉田鋼太郎さんだったので、ちょっと感情移入もしていて、心の底から哀れに感じてしまいました。皆それぞれの終わりがあったのに、この人の最後だけが一番悲惨に感じたからです。

海の底にゆっくりと沈んでいくドラム缶。恐ろしいシーンでしたね。結局誰かが「おとしまえ」と言うのか、責任を取らなくてはならなかったのでしょうか。ずっと磨いてきた牙を抜かれた状態だった永島の、もう一度野心を持ち牙を向けた報いだったと言うのでしょうか。

それもアゴ一つの動きの先に用意されていたドラム缶。それを見て高笑いするしかなかった永島。

私には無敵のチーヨウとの戦いよりも恐ろしいシーンでした。

 

無敵のチーヨウ、なんか笑えるー。

いや、本当に笑っていたら、私変な人だと思われてしまいそう。本当に笑ってはいませんが、ちょっとニマニマしました。こういうキャラって、このようなアクションドラマには不可欠ですよね。

この方、松本実さんと言うのですね。どんな方なのかしらと検索したら、素顔はかなり優しい面立ちだなあと思いました。ドラマ歴とか見ていたら、驚きました。「相棒」の「怪しい隣人」「悪友」の山崎だったのですよ。つまり穴掘り三人組のひとり。この方はツイッターをやっていらして、そこのところもプロフィールに書き込んでいました。役者さんは、当たり前と言ってはそうかもしれませんが、化けますよねぇ。

と言う事は、このドラマには穴掘り三人組の二人が出ていた事になるのですね。(第二秘書の重森『金井勇太さん』)

 

落合香(多部未華子)の結末には、なんとなく予想がついていました。

AN通信は恐ろしい世界だと思うのですが、ずっと居場所が無いと思いながら生きて来た子供たちにとっては、自分の生きる場所にさえ感じてしまう場所なのかも知れません。

「良く生きて来たね。」と言う言葉に、今なら「今までの人生は憎しみのためにあったわけじゃないと今なら言えます。」と新しい人生をここで始めようと思った落合。でも結構厳しい選択ではあったと思いますが。しかし髪を切った落合、美人でしたね~♪

 

桜井の最後には、ちょっとしみじみとしたものがありました。爆発を阻止されたと気が付きながら、

「まじめか。本当につまらないやつだな。」と、自分のルーツであるコインロッカーの前で、その命の灯を消してゆくのでした。

非常の世界ではあっても、なぜだか彼らから伝わってくるのは優しさだったと言うのは、あながち間違えているとは言えない感じ方なのではないかと思いました。

 

田岡は意外と大活躍で、鷹野と桜井の危ない所で登場でかっこ良かったです。今まで人間の弱さを前面に出していたキャラだったので、竹内さんのファンの方々も気分が良かったのではないかしら。

鷹野と田岡の相棒っぷりを見ていたら、ますます映画が楽しみになってきましたね。

 

桐野って研次郎と言う名前なんですね。桐野研次郎。元総理の息子で、エリート二世議員。 さわやかな笑顔で人気がある・・・・。なーんかね、私はふとあの人の事を連想してしまったのですが、、まあ、彼はエリートじゃぜんぜんないし、言わない方が良いですね。

ただ柿澤さんを舞台「シャーロック・ホームズ」の時から好きになったので、このドラマの中で悲劇が訪れなくて、本当に良かったと思いました。

 

ついついなんだかひとりひとりの方の感想っぽくなってしまいました。それだと風間をスルーするわけにはいかないのかなと思ってしまいました。えっ、じゃあ中尊寺も ?  って事になるのだと思いますが、まあ彼は消したい今回の情報は「復讐したい時に好きに使え。」と落合の手にも委ねられ、見えない場所に爆弾を仕掛けられていると言うようなものですね。

そしてAN通信の司令塔である風間の佐藤浩市さん、最近「ファブル」と言う映画をテレビで見たのですが、なんだか子供をエージェントや殺し屋に育てる役が多くないかしらって思ってしまいました。非情の世界のエージェントの物語に優しさを感じるのは、この司令塔から優しさを感じてしまうからなのかも知れませんね。

しかし風間の森の中の家は、凄く素敵でしたね。うっとりしちゃいました。

あっ、そう言えば、昨日は「鍵のかかった部屋」の特別版の最終回でした。全然違うちょっと情けない佐藤さんが居て、やっぱり役者さんは化けるなぁ…って、またも同じ事を言ってしまう私なのでした。

 

さてさて、やっぱり私は一番好きなものは最後に食べる人なのですね、たぶん。

 

と言っても長々と書くつもりはありません。

「この情報は高額になります。」なんていうセリフに「うふふ」と思うのもどうかと思いますが、もちろん一番心に残ったのはそこではありません。

桜井との思い出の時計を、今まさに撤去前と言う桜井のルーツであるコインロッカーの中にそっと置く鷹野ー。

「ロマンチックじゃないですか。」と言いながら、微かに微笑んでそのロッカーは閉められるのでした。

 

鷹野の作られていないその微笑みを、桜井はきっとどこかで見ていたとしたら、「まじめか。」って言ったかもしれませんね。

 

この連続ドラマは8月9日に一挙放送があります。

1か月は無料です。WOWOWは良いお芝居もたくさん見られますし、新作映画の放送も早いです。ぜひいかがですか。

とさながらWOWOWの回し者になって終りです。

 

 


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#麒麟がくるまでお待ちください 「利家とまつ」

2020-06-28 23:34:18 | ドラマ (大河)

「麒麟がくる」のお休み中の特番「麒麟がくるまでお待ちください」で、ついでながら私も過去の大河の思い出を語ってしまおうと言う記事です。

このドラマも好きでした。主演が唐沢寿明と松嶋菜々子。他のキャストに、反町隆史や竹野内豊、女性陣も天海祐希や酒井法子と、確かその頃「トレンディ大河」とか言われていましたね。

この作品は2002年のもので、もちろんこのブログを開始する前の作品ですが、このブログを開始した頃、時々好きな言葉として書いていたのは、このドラマの佐々家家臣役の丹波哲郎が言う所の「一寸先は光でござる」でしたね。

言葉として覚えているのは、まつが言う

「勝ったようなものでございます。」かしら。ああ、しまったしまった。これは「毛利元就」の奥さんの言葉だったかしら。

まつは

「私にお任せください。」でしたね。

 

好きと言いつつ、18年前の記憶では、やはりそんなには覚えていないのですね。

印象的なシーンは、佐脇良之(竹野内豊)が比叡山焼き討ちの悲惨な戦いで、赤ん坊を拾うところなど。なんだか救われましたね。その時の女の子が、気持ちの強い子に育って、秀吉の人質に行ってくれるのですが、その後したたかに側室になるのも印象的でした。

人質が恐ろしいとこのドラマでは実感させられたのは、佐々の娘を人質に差し出すのも、妻であるはる(天海祐希)が夫を説得して家を守るためにようやく差し出すのに、その子は佐々と秀吉の対立で磔になってしまうのですよね。

こうして書きだすと、記憶の扉が開いて来て、あれやこれやと思い出してしまいます。

信長の「で、あるか」もそうですが、親父様と慕った柴田勝家の最後とか延々と長くなりそうなので控えようと思います。

 

でもこのドラマの一番のぶっ飛びのシーンは、ラストが女子会トークで終わる所でしたよね。

気の弱い息子の愚痴を言ったり、

「あの時はすみませんでした。」「いいえ、それも戦国の世ゆえ。」みたいな信じられない会話で終わったように思います。

あの頃は、ネットの世界をほとんど知らず、世間様ではこの展開をどのように感じたのでしょうか。

私は、このラストは、実はあまり好きではないのです。

ただ、一年間、この大河ドラマは本当に私には楽しくて毎週日曜日を楽しみにしていました。

特に私は酒井法子のおねがお気に入りで、夫の為に知恵を絞り行動に移していくその姿に、女の天下取りの姿を感じたからです。

利家を支えたまつと、それぞれの夫と家を支えた女たち。若い人たちの「女太閤記」みたいに感じたのかも知れません。

 

だからね、私は彼女のあの騒動には心の底からがっかりしたのです。

だけどこの「麒麟がくる」のお休み中に、この作品が取り上げられて、本当に良かったと思いました。

 

ちょっとここまでは、今日の番組が始まる前に書きました。

何処を取り上げられるかなあと期待して。

さて番組も終わりました。

確かにヒロインの武勇伝は取り上げられましたが、やっぱり、おねを普通に出してくるわけにはいかなかったのでしょう。彼女を出さないなら佐々の妻のはるもと言う事になったのでしょうか。

時間も短い名場面集なので仕方もない事だと思いましたが、私的には上記に書いたようなこのドラマの良さがまったく伝わってこなくて、あまり面白くなかったです。

ただ反町さんの信長の本能寺のシーンは、良かったですね。すっかり忘れていたので堪能しました。萩原健一さんの明智も懐かしく魅入ってしまいました。

面白くなかったと私は感じてしまいましたが、それでも利家の最後のシーンを見て、唐沢さんが涙したのを見て、しみじみとしました。ドラマの内容だけでなく、きっとこのドラマを作っていた時の様々な想いが蘇えったのかも知れないなんて思ってしまいました。

その涙で私は満足いたしました。

 

次回は「秀吉」。

やっぱり楽しみです♪

 

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家の中の紫陽花づくし

2020-06-28 09:14:52 | ちょっと楽しいつまし...

季節がビュンビュン過ぎて行く事に、時々ついていけていません。サークルで紫陽花のお手入れをすると言われて、

「えっ、もう !?」と驚いた私ですが、確かに良く見ると花たちは皆疲れていました。

路地に咲いている紫陽花が、枯れてカサカサしたドライフラワー状態になっている様を見るのも、実は意外と好きな私です。だけどここでそんな事をしていたら、凄く汚らしい事になってしまうし、来年の事を考えたらベストな行動なんですね。

 

大きな池があってこれらを浮かべたら、相当インスタ映えとかすると思います。でも池もないし、インスタもやっていないし・・・^^

 

咲いている花をかってに切ってはいけませんが、落ちている花からいくつか拾ってきました。

下の花は、ひとつの花を分けたもの。元は大輪でしたね。

押し花を作ったり・・・・、

 

玄関に飾ったりしました。

 

「あっ、ちょっと違うな。」と、また活け変えてみたりと楽しい時間でした。

 

活けきれなかった分を、家で水に浮かべてみました。今は使っていない睡蓮鉢を洗おうかと思いましたが、そこまでの気力と体力が無くて、色気のないインスタントミニ池。この中で横のつぼみの紫陽花は咲くかしら。やっぱり無理かな。

 

しかも色が足りないな・・・・ってことで、またも拾って来た紫陽花です。

桜のお花見と同じように、こんな事も期間限定の楽しさですね。

 

玄関の飾りを毎月変えたりするのも楽しい楽しみですが、近頃ネタ切れだったのか、

前回の『4月の飾りは、「冬過ぎて春を想う飾り」で』

の後、5月はずっとそのままでした。6月の初めに変えて、自分では結構良いなと自己満足していたのですが、その時の写真を今しみじみと見ていたら、なんだかあまり良くなかったのです。写真は第三者の目なのかも知れません。時には厳しく映っても、それを受け入れるのは、時には悲しく感じることもあると思いますが(自分の顔なども)、やはり受け入れる勇気を頑張って持たなければならない時もありますね。

トップ画像は、その反省を生かして飾りを変えました。あー、でも写真の角度がイマイチ ?

いやいや、欲をかきだしたらキリがありませんので、妥協すると言うのも大事な手段かも知れません。

 

咲いていた時の花の画像は→美しき6月を目指す(主婦の日常日記・水無月)

今年は咲いている時の紫陽花たちの写真をあまり撮っていなくて、自分の中でちょっと反省中です。

来年は一番綺麗な時の花の写真を撮る事が出来るように、余裕のある生活を目指して頑張ろうと思います。

 

ついでですが・・・。

《お片づけメモです。》

そして6月のお仕事縮小ちゅうに、やたら本が積んであった廊下の本箱の上のコーナーも片づけました。


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「ドクター・ドリトル」を見てきました。

2020-06-27 02:25:29 | 映画

ひとつ前の映画の感想の記事の中で、→「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を観ました。

『子供のころ、私には数冊の心の友と感じるような作品をいくつか持っていました。』と書き込みました。

子供のころと言うのは小学生の頃の話です。今もですが、その頃から様々なものを擬人化する癖を持っていたのかもしれません。

そしてこの「ドクター・ドリトル」もその中の一冊です。

小学校の図書室は本当に猫の額のような狭い部屋でしたが、そこで私は何冊もの友人に出会いました。ある時には「ナルニア物語」だったり、ある時は「ルパンシリーズ」の「奇岩城」だったり・・・。

 

最近またもコロナ感染者の数が増えつつあって不安になってきましたが、一応緊急事体宣言が解除されたので映画館にも行き始めました。この「ドクター・ドリトル」は、先にネットで評価を読んでいた夫が、あまりポイントが高くないと教えてくれました。また「子供向き」であるとも。ここに来て評価は3.5ぐらいに上がって来たようですが、たとえ世間の評価が低くても、ここは行くべきじゃないかしら。なんたって原作が「心の友」なんですから。

「ドクター・ドリトル」の映画は以前にも、エディ・マーフィ主演でありましたが、あれはあれでほのぼのとし面白くて好きでした。でも原作とは遠いお話に感じていました。

比較する必要はない事ですが、それでもちょっとだけ思うには、ファンタジー度は増していたように思います。ただ私が思った事には、エディ・マーフィ主演作品よりも、こちらの方が賑やかに感じたと言うのはどういうわけでしょう。

 

私には少々やかましい感じがしたわけですが、自分の弱さと立ち向かう勇気や友情や自分の夢を見つけるなどのエピソードも満載で、子供から大人まで楽しめる作品でした。

ロバート・ダウニー・Jrはなんだかこういう役にぴったりな感じで、トミー・スタビンズのハリー・コレットが若き日のタッキーみたいで美しかったのも良かったです。こういう作品には、ドリトル先生にじゃなくてもこのような少年は必要でしょう。だけどこの美しい彼に、見に来た少年たちが感情移入できるかは別だなとも思ってしまいました。

と言うより、この映画を今時の少年たちは見に行くのかしら。ファミリー向きではあるのだけれども。

 

今回は夫と私はこの映画を見に行った日が別々で、先に見に行った彼が

「虫ともしゃべれるんだ。」と言いました。それを聞いて思わず

「それは何かヤだなー。」とまるで、さもそのような事が起きるかのように答えてしまいました。

本作品の中では、ごく普通尚且つ重要に感じたそれが、思わずリアルでそのような事はあって欲しくないと思ってしまったのです。だって嫌じゃないですか。草むらを歩こうとしたら、足元から悲鳴が聞こえてきそうだし・・・・・。

 

しかし、虫にも動物にも人間の話していることが分かるらしいのに、人間は学ばなければ分からない・・・・なぜ ?

と、言うようなことはさておいて、続編があればまた行くかと言われたら(特にそんな予定はないみたいですが)、私はやっぱり行くと思います。ドクター・ドリトルもロバート・ダウニー・Jrも好きだからです♪

 

今回は最初から吹き替え版で見に行こうと決めていました。ゴリラのチーチーの声がラミ・マレックだったので、少々気にはなっていたのですが、やはり藤原啓治さんの遺作でもあったので。

 

また、今ちょっと原作も読んでみたい気持ちになっています。

 

 

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ふらり、森の中

2020-06-25 00:07:05 | お散歩&写真日記

火曜日、23日の日記です。

朝はアレをやりたいコレもやりたいと欲張って一日の計画などを立てたりするのですが、そのうちアレもコレも何も今日やる事でもないじゃないと思えてくるのでした。

それで朝には歯医者の帰りに真っすぐに映画館に行って、銀行回りも行って、そしてまた少しお買い物なんかもしようかなと考えていた計画は全部パスしたのでした。映画は7月は7月で見たいものが出てきそうなので、溜まったポイントを使ってタダで見て来ようと思っていたのでしたが、朝にいつもの姉との業務連絡(?)の電話で、私が少し前から彼女に勧められている「トッケビ」と言うドラマを、なかなか見始めないので再度勧められて、それでは今日は映画を止めて、そのドラマを見始めようかと計画を変更したのです。

私がなかなかそのドラマを見始めなかったのは韓流だからではありません。録画してあるものがやたらと溜まっているし、読みかけの漫画もあるし、嵌り弾みがつきつつあるお片付けに時間を取られているからでした。それに私がラブロマンスに嵌るのはごく稀。だけどごく稀には嵌るんですよ。

で、歯医者の予約の時間が近づいて来た時には、すっかり一日はノープランになっていて、歯医者と「トッケビ」をとにかく1話見て姉に報告なものになっていました。

その歯医者と言うひとつめのミッションが終わると、なんだかせっかく外に出たのだから遠回りして帰ろうかなと自転車を走らせました。

その時、ふとあれはいったいどうしただろうと思いました。

「あれ」と言うのは、5月に行った街の中の森にあった棘だらけの植物の事です。あれだけの棘を持っているのでしたら、何かをよっぽど守りたいと思っているのではないかと感じていたのです。その記事は→散歩ばかりしている

例えば薔薇のように、例えばアザミのように。

「行ってみようっと。」

そんな軽いノリでちょっと涼しい風を切って自転車を走らせました。

でもまたふと気が付きました。

私はその日も素足にサンダルだったのです。あの森の中をこのような足元で大丈夫かしら。

前日は雨だったし。

結論から言うと、次回からは素足にサンダルは絶対に止めようと思いました。街の中にあるからって絶対に侮ってはいけないと思います。この地域は馬頭観音・野馬土手などもある場所で、こう言うところは土が清らかとは言えないのですよね。

 

ふと思いついての素足で森の中はよろしくはなかったのでしたが、やっぱりこの森は行って良かったです。

 

ちょっと来なかった間に、すっかり緑が濃くなっていました。

 

 

 

やっぱりこの場所は、本当に美しいです。

 

気になったトゲトゲの植物は、なんとトゲトゲの緑のままでした。周りに緑が増えたので分かりにくいかもしれませんね。

この植物を思わず「棘男爵」と呼んでしまいました。きっとこのエリアの侵入者を身の棘をもってこの男爵は撃退するに違いありません。

少し行くと

こんな大きなカメムシってみた事ないなあ・・・。

また少し行くと

また少し行くと、このような看板がありました。

なんと労せず2つGETしました。GETって、ポケモンじゃないですけれどね。

そして季節限定の道が開いていました。

その道に入ってみると、

 

 

 

 

ここにも看板が立っていました。その看板を見ると「クララ」を見逃したようです。

その日にこの森で見かけた他の野の花の皆さんは

 

 

下の花は可愛らしいけれど、ワルナスビだと思います。葉っぱの裏にとげとげが。

今群生しているのは、やはりこれが多いかと。

 

さあ、もう帰ろうと家に帰りつき、足を洗って遅いランチを食べ始めたら、激しい通り雨の音が聞こえてきました。

なんてラッキーだったのでしょう。

その後、私は韓流ドラマの「トッケビ」を見始め、その後夕飯を作り、バイトに出掛けました。また帰って来てからそのドラマの続きを見始めて、寝たのは午前2時になってしまいましたが、思いがけず楽しい一日になりました。

 

 

さて、以下はちょっと閲覧注意だと思いましたので最後に書く事にしました。

「黄色  ミミズ  細い」の検索で出てくるものが苦手そうだと思われる方はご遠慮ください。

 

前日が雨だったこともあって沼地からの湿地帯は結構ぬかるんでいたのです。その道で、

「何かしら。この黄色い毛糸みたいなものは・・・・・って動いてるし・・・・・ゲ~・・・・」となりました。

それが水辺にはところどころ落ちているかのようにいて、「ぎゃっ」とか「キャー」とか心の中で叫びつつ歩いていました。

ちょっとたくさんいる所も居て、なんたって素足なものですから、ちょっと「ギャッ」が声に出てしまったかもしれません。

「クララ」を探しに、また近いうちにこの「こんぶくろ池」には行きたいなと思っているのですが、これが居そうなので、しばらくは湧き水横の湿地帯は歩かないようにしたいと思いました。

苦手です !!!

でも家に帰ってから、それが何かを調べてみました。

これって「コウガイビル」と言うのですってね。こんなに細いのに肉食でナメクジなんかを捕食するのですって。

 

私は避けながら歩いていましたが、「エイ」なんて言いながら踏もうとして、素足の足の指に巻き付かれたら、やっぱりちょっと痛い目にあったかもしれませんね。

やっぱり街の中の森と言えども舐めてはいけないと、こんな所でも痛感したのでした。

 

この場所は、私のブログでは以前から度々登場していました。場所名も以前から書いたり書かなかったりでしたが、緊急非常宣言中はあえて書きませんでした。解除されたので書きました。

森の緑がメチャクチャ美しいです。

但しコウガイビルもいます。

 

 


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WOWOWドラマ「太陽は動かない―THE ECLIPSE―」Episode3~最終回一歩前

2020-06-24 16:09:45 | テレビ・ラジオ

『都市博建設跡地を利用したカジノ構想こそが、隠された巨大利権であることを風間から知らされた鷹野。同時に爆破実行犯は桜井であると確信を持ち、追い始める。過酷な諜報活動に冷静さを失った田岡は、別任務に。中尊寺の過去の所業を恨む一方、風間とも因縁があるという落合と接触、行動をともにする。永島は寝返りがバレて飼い殺しに遭っていたが、そこへカジノ絡みでは父の代から独自の情報網を持つ桐野が接近し……。』

と、エピソード3のあらすじを、WOWOWのHPから写して記事の準備をしていたと言うのに、感想を書けないままとうとう次週は最終回になってしまいますね。

最終回の予告で、凄く気になったのは落合。

知り過ぎた落合をAN通信はどう処するのか。死体がどうこうのと言っていたけれど、そんな単純なものではないはず・・・・。

 

これはWOWOWのドラマですので、是非今からでもどうぞとお勧めするべきなのでしょう。

なので、是非に。

だけどそこまではと言う方にも、いつかきっと見る機会はあると思います。

私が前に、やはりWOWOWのオリジナルドラマをツイッターで勧めていたら、それを見て姉がAmazonプライムで見たと言っていましたから。

だから今はネタバレなしでの簡単な「見ているよ」的な感想です。(でもちょっとだけシーンのネタバレはありますが。物語の核心には何も迫っていません。)

 

鷹野と桜井の過去の生活が描かれたり、落合と田岡の過去も語られたり、ドラマならではの丁寧さがあって、登場人物に感情移入しやすいです。

「育ちが悪いもので。」と食べ方も下品。確かに変な食べ方をしていると、周りの人の記憶に残ってしまいますよね。カップ麺にお湯を入れた途端にガリリと齧る人とか・・・(笑)鷹野と桜井の共同生活は、かなり過激な毎日ではあったものの、桜井は本当に鷹野を大切に育てている感じがしましたね。

田岡は自分の過去を語りながら涙を流し、ダメなエージェントなんだと言いますが、実は涙や自分の弱ささえ武器に出来る人なのかも知れません。

 

「鷹野、たまには笑えよ。」で桜井と鷹野の本当の別れがあったならば、それは綺麗な想い出になったかも。

だけどそうはいかないのがドラマ。鷹野にすべての証拠抹殺命令が出てしまいました。と言う事は、桜井も。どう鷹野は動くのか。また合流した田岡はどのように動き、都市博代替え地、またカジノ利権はどうなっていくのか・・・・・。

 

本当にドラマの新作がなかなか始まらない今、この映画の雰囲気さえ醸し出していたこのドラマがあって嬉しかったです。

 

本当に「見ているよ」みたいな記事になってしまいましたが、やはり最終回一歩前、何も触れないなんて心情的に出来ないのです。

なんたって藤原の竜也殿は、ワタクシのイチオシの俳優様ですからね。

 

やはり4と5のあらすじだけは、HPからお借りしておこうと思います。

あっ、その前に、あらすじをお借りするにあたっては、やはり恩はお返ししなくてはね。

ちょっとだけ、WOWOWさんの回し者になります。

これ、28日一挙放送がありますよ。だから今から入ってもまだ間に合います !!

 

4『周側を裏切って命を狙われる桜井。それを救った鷹野に去来する過去の訓練の日々。諜報員の心得はすべて、兄と慕った桜井から教わった。だが、死を欺いてまで組織から逃げたのに何故また姿を現わしたのか、桜井は答えない。一方、落合から過去の傷と風間との関わりを聞かされた田岡は、自身の幼少期を重ね、生きる苦しみを吐露する。鷹野の計らいで再び逃げる桜井、しかし今度は中国とも違う第三の勢力から魔の手が及び……。』

5『桜井を拉致した第三の勢力は米国だった。どの勢力にとっても密告者になり得る桜井を確保して中尊寺や周を牽制した上で、在日米軍補給基地の返還跡地にカジノを誘致する計画で、裏で手を組んだ桐野と永島が先導していた。鷹野は桜井を追う先に、米国が身の安全と引き換えに桜井に課した最後の工作の全貌を見る。そこに怒れる中国から送り込まれた最凶の殺し屋チーヨウ(松本実)までもが襲い掛かり、舞台は最終決戦へ!』


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「旧吉田家住宅歴史公園」に行きました。

2020-06-23 17:24:00 | お出掛け日記

旧吉田家住宅公園は柏市花野井と言うところにあるのですが、ずっと今までその傍らを車で通る機会は度々ありました。ある時、何かそこに名所のようなものがあるなと気が付いた私は、夫にも友達にも

「ああっ、あれは何 ?」と尋ねてきた事も度々。その都度、「ああ、あれね。昔の大きな家よ。」で終了。

同じような話を実はワタクシ、このブログでもした事があって、それは「関宿城」と言うお城に関しての事でした。その記事は→秋の関宿城

「関宿城」に関して言えば、「あんな所」と言われていたのに、行ってみれば私にとっては「あんな所」ではなかったのでした。

そしてこの「ああ、あれね。」と言われ続けていたこの場所も、きっと私にとっては、きっと興味のある場所だと思いました。

 

以前「手賀沼」に行った時に、手賀沼1周を敢行したらどのくらい時間がかかるのだろうかと、ネットで調べてみたのです。その時出て来たウォーキングマップにこの場所の事が出て来て、頑張れば歩いても行けるのだと思いました。ただ季節柄、「今じゃないでしょ。」と言う感じ。しかもここに至る道は普通の国道沿いを歩いたりで、水辺や草の道とは無縁。疲れそうです。

 

そして今は、ルート君がコロナ禍のせいでやたら家に居るのです。だけどその生活もそろそろ終わりです。いや、終わりになって欲しいです。

私たちにとっては心の平安のためにも生活の安定のためにも、「日常」が良いに決まってます。(コロナよ、去れ !!)

 

じゃあ、ここに来るのはもうこの生活も終わりのルート君にまたもお願いするしかないでしょう。

と言うわけで、6月17日に二人でお買い物ついでに行ってまいりました。

 

門まで来て、ふとルート君に「あれ、君、マスクは ?」と聞くと、

「あっ、俺、公園かと思ってさ。」とまたも駐車場まで行きつ戻りつ走る青年・…いや、既にオッサンか。

 

 家の前の芝生も広く、ここも含めて公園になっているのです。

門の中から有料ですが、入り口にあるカフェは無料みたいで、見学をしなくても利用できるみたいです。

そして入口のところでは簡単なアンケートと連絡先を記入。そして検温です。

「あっ、今俺ダッシュで走ったから、体温あがってるかも。」とルート君は言いましたが、二人とも36度台の前半でセーフでした。

 

朝、そこに行くのに、素足はまずいかもと思いながらうっかりと、そのまま来てしまいました。

私は夏は素足でいる事が多いのです。昔は冬場も靴下嫌いだったのですよ。なんだかあの人みたい・・・・。

でもちゃんと入口に、そう言う人のために足カバーが置いてあって助かりました。

こういう丁寧さが、古い家を守る事に繋がるのですよね。

 

そしてこのおうちは広いです。代々農業を営みながら名主の役をつとめ、穀物商を営むなどして在郷商人として成長後、醤油醸造業を営んでいた吉田家の邸宅。茅葺き屋根が特徴の主屋は嘉永7年(1854年)建築。 そして国指定重要文化財になっています。

ちょっと画像がつらつらと続きます。

  

 

 

 

 庭散策もしました。だけどこの時芝生のスプリンクラーが稼働中で、知らずに入って濡れてしまいました。まあ、この季節なので気にはならなかったのですが、「ちょっとね。」って感じがしました。

よく見ると、余すことなく水がって言うのが見えるのです。

帰りは端を通って戻ったわけですが、敷石以外を通って良いのかとなりました。

 

 

そして入口にある長屋門カフェで早いランチを頂いて帰りました。

 

 

 

お土産。

 

 

後からパンフレットを見ると、中庭などでは服が濡れた事が気になって、いろいろと見逃したみたいです。

だけど私的には、ずっと来たかったここに来ることが出来たので満足です。

写真を何枚か姉妹に送ったら、「そこ、凄く良いね。」と言われました。

ほらね。やっぱり。さすが私の姉妹たち。

と私は思ったのでした。

 

追記:(7月12日)

「柏げんきプロジェクト」でこの場所の動画をアップしていると、コメントで教えていただきました。

「コロナに負けるな !!」

載せておきますね^^

柏市が誇る、国指定重要文化財 旧𠮷田家住宅!演奏と共に…

 

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#麒麟がくるまでお待ちください。「国盗り物語」

2020-06-22 01:32:27 | ドラマ (大河)

「麒麟がくる」の休止中に放送されている「麒麟がくるまでお待ちください」の二回目は「国盗り物語」でした。

ゲストに、その時信長だった高橋英樹さんと明智光秀だった近藤正臣さんもゲストでしたね。

この時、高橋英樹さんは大人気を博し、スターダムにのし上がったそうですね。

実は私、この作品で近藤正臣さんのファンになったのです。

それ以前の足の指でピアノを弾くとか言う、そのようなドラマでは一向に燃えなかったのですが、この作品からはずっと彼は好きな俳優さんのひとりです。

そんな近藤氏、今日のゲストでは、可愛らしく拍手をしたり、「再開したら大爆発しちゃってください。」などと言う鋭い激励などをしていましたが、やはりかなりお歳を召したなと感じていました。ところがですね、私、そんな近藤氏の顔を見ていたら、我が夫がよく似ているなと言う事に気が付いたのでした。もちろん我が夫殿は、近藤氏と比べたらひと回り以上年下です。でも痩せていて髪も染める事を止めてしまったので、ちょっと老けて見えるのです。若い時には、いつも実年齢よりも若く見えていたので、いつの間にかの逆転現象に気が付いていないのかもしれません。

近頃コロナ殿のせいで彼も家に居る機会が多くて、ちょっとウザいなと思っていましたが、ずっと好きだった俳優さんに似てると気が付いたとなると、明日から少々態度が変わるかもしれず・・・・・・なーんてことは皆さまにはご興味もないことかもしれませんね。

 

ところで、私はこの「国盗り物語」は最初から見ていなかったのです。これの前の「新・平家物語」も途中で挫折し、最終回だけは見たと言う記憶があり、次も時代は戦国だから良いやとなったと思います。

ところが夏休みに姉と飛騨高山に旅行に行った時に、高山の街で夜の散歩に出かけ、どこかのお店でかき氷などを頂いたと思います。その時そのお店で、この「国盗り物語」が掛かっていたのでした。

なんとなく見ていたわけですが、

「珍しいね。明智光秀が主人公なの ?」と私が姉に言うと、

「うん、信長と明智の話らしいよ。これ結構評判良いらしいよ。」と姉。←この説明は、大まかに言えば正解でも、細かい事を言えば間違っていると思います。

「そうだったんだ。これ、来週からも見ようかな。」と言い、夏から見始めたと言うドラマでした。ゆえにもうひとりの主人公であった道三部分はざっくりと私の中では欠落していたのでした。

「麒麟がくる」での道三と信長の対面のシーンで、道三がどこかの小屋からウツケにしか見えない信長を盗み見ているシーンが、記憶の中で蘇ったのは、総集編を見たからだと思います。

その総集編で印象深かったのは、光秀が重い病にかかり死の淵を彷徨った後に目覚めると、傍らには妻の熙子が。その妻に光秀は

「天下を、天下をお前のために取ってやる。」と言うのです。

その時の感想。なんで男は天下天下と言うのだろう。それあげると言われて、妻は嬉しいものかしらと言うものでした。

 

なんて言うか、今となってはまったく覚えていないのですが、初回に高山で見た時の内容に影響されて、私はこの先もずっと光秀目線でこのドラマを見続けて、本能寺は「ふーん」ってな感じでも、最後に光秀が名もなき兵に討たれてしまう所では、滂沱の涙だったのでした。

そしてこの光秀最後のシーンは特に印象に残りました。悲鳴をあげていたのが、討った名もなき兵だったからです。たまたま父と一緒に見ていた私は「なぜ。」と言いました。討たれた方が悲鳴をあげるならわかりますが、なぜ討った方が悲鳴をあげるのか分からなかったのです。すると父は「分不相応の大物を釣り上げてしまった恐ろしさからだ。」とか言ったと思います。

そしてまた、自らの手で天下を取り戦国の世を終わらせたかったと言う光秀の叶えられなかった野望が語られ、光秀は無残に息絶えて行くのでした。

その時の私は、まだ十代の半ば。彼の死は、夢破れた惨めな死にしか感じられず、涙涙で、その最終回を観終えたのでした。

翌日、クラスメイトに「昨日の『国盗り物語』の最終回良かったよね~。私、最後、メチャクチャ泣いちゃった。」と言うと、「私も~。」と言う少女が居て、思わず手に手を取り合って共鳴しかけたわけですが、10代の感想らしく

「光秀はあんな死に方で可哀想だった。」と言うと

「何を言ってるの。私の信長さまを裏切って殺したのだから、あんな奴、報いよ。」と叱られてしまいました。

思わず「えっ?」となった私ですが、彼女は高橋信長の大ファンだったのですね。

その時は普通にドラマの感想も言い合えないのかと、なんだか凄くガッカリしてしまった想い出ですが、今だとこういうのを

「押しが尊い」とか言うのでしょうか。←微妙に違うか^^

 

その他にも、今回も取り上げられていましたが、火野正平さんの信長の死を知った時の嘆き方も印象深かったです。

またたぶんこれは総集編で見たのですが、「金柑頭、触ってみたい。」と言うシーン。これに近藤さんが「こればっかしや。金柑頭ってどんな頭や。」とツッコミを入れて面白かったです。

 

ところで昨日は「父の日」でしたね。私にはすでに父も舅も亡く・・・・・

そして我が夫殿にも「これと言って何もないよ~。」「別にいいよ~」と言う会話があって終了しました。

だけどこの記事を書いていて、ふと父との会話、共に過ごした時間を思い出す事が出来たのでした。

何も無くても良いのですよね。ただ今はいない彼らの事を思い出すだけでも。

 

次回は「利家とまつ」。これも楽しみですね~♪

コメント (2)
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「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」を観ました。

2020-06-21 02:32:54 | 映画

6月20日に映画館にて鑑賞。

映画館で映画を見たのは、1月12日に「カイジ ファイナルゲーム」を見たのが最後だったので本当に久しぶり。

だけど今思い出したことですが、「ああ、嬉しい」と何にでも感激しやすい私は、もっとジーンとなるかと思っていたのに、いざ映画館の座席に座ってみたら、何にも感じず、凄く当たり前と言う感覚で、「久しぶりだわ。」と思う事さえ忘れてスクリーンを見ていました。

たいして多い数ではありませんが、映画館で映画を見る事は私にとっては日常の出来事。

確かに、座席はソーシャルディスタンスのひと席空けでロビーのベンチなどは撤去、または座れなくなっていました。上映回数も少なく営業時間も短縮されていました。今を「フツウ」と呼ぶのは間違えていると思います。

それでもそっと私の日常は戻りつつあるのだなと、とりたてて「久しぶり」に感動しなかった事に、それを感じたのでした。

 

と言うわけで映画の感想ですが、子供のころ、私には数冊の心の友と感じるような作品をいくつか持っていました。「若草物語」はその一つです。「心の友」が原作ならば、行かないと言う選択はありません。

私は四人姉妹の次女。ああ、だからなのねと思われるかもしれませんが、実はそればかりではありません。

子供のころ、私や姉は母のスカーフを筒形に髪に巻いて、ロングヘア―を気取っていました。そのようなロングヘア―になった気になって何をするのかと言うと「若草物語ごっこ」をしていたのです。妹たちとは歳が離れていましたので、参加するのは姉の友達や私の友達です。私は次女なのでジョーかと言うとそうではありません。

私はその頃、ベスが大のお気に入りだったのです。とにかく「病弱」と言うところがポイントです。昔の少女は、本人の苦しさなどは考えずに、朝礼で貧血を起こして保健室に運ばれる人とか、ベスのように優しくて皆の幸せばかり考えているような人なのにヨロヨロしてると言う人に憧れたものなんですよ。そのごっこ遊びにベスを選ぶと、ベッドにとにかく寝ていると言うミッションが与えられて、そのうち本当に眠くなり・・・・で、たいがいは途中で何をしていいのか分からなくなって終了してた遊びだったと思います。

だけど私は、途中まで「若草物語」のヒロインは、このベスだと思っていたような気がするのです。優しくて、そして責任感も強くて、姉妹が後回しにしてやらなくなってしまった近所の貧しい家の訪問も、ひとりでやりとおしていたのはベスだったのですから。そしてそれによっての猩紅熱の感染をしてしまい生死の淵を彷徨う羽目になってしまうのです。

 

もちろんその後は、私にも誰がヒロインなのか分かっていました。この作品の中でもヒロインであるジョーは光り輝いていて、冒頭の原稿が売れて街中を風を切って走る姿には惚れ惚れとしました。

見終わった後のお茶タイムの時に、ご一緒した星子さんが「何々が何々で驚いた。」と、ある展開について言ったのです。

そう言えば、小学生ぐらいで読む「若草物語」は、猩紅熱で死にかかったベスが助かって、そして父帰ると言うハッピーエンドな場面で終わっていたと、微かな記憶ではそう思います。その続編では、その後が描かれるわけですから、知らない人も多いかも知れないと思いました。でもまあ、映画サイトではそこまであらすじなど踏み込んで書いていますし、監督のインタビューや解説のサイトでも、私が一番吃驚した内容についても触れていますので、語っても良いのかなと迷いつつ、一応ネタバレ感想は画像の下から。

この作品は、単なる四人姉妹の物語ではなく、この時代を女性としていかに生きるかをそれぞれ選択した4人の女性の物語になっている事が素晴らしいと思いました。

 

 

小説の続編ではすっかりひ弱になってしまったベスは、命を落としてしまいます。

だけどそれが挫折していたジョーの心に火を灯し「若草物語」を書き上げる原動力になるのですね。

ジョーは自立した人生を目指し、ローリーのプロポーズも断ってしまうのですが、その後自暴自棄になった彼を救い、やがて結ばれて行くのは四女のエイミーでした。

その時ジョーはベスを失った寂しさもあって、ローリーの大切さに気付き、彼の愛を受け入れようと思っていたのでしたが、時はすでに遅かったのでした。

だけどその後、ジョーはNY時代に知り合ったべア教授とロマンチックな結婚をするのでした。

 

ところが、編集長との語りの中で、ジョーはとんでもない事を口にするのです。

「ヒロインは最後に結婚させないと読者は納得しない。または死なすかだ。」と言う編集長と印税や著作権の事で言い争うと

「本が売れなければ、被害をこうむるのはうちだ。」と編集長。するとジョーは

「だから私は小説の中で結婚した。」と言ったのです。

あのロマンチックな駅での出来事は、物語の中での出来事なんですね。

 

私は映画が終わって、すぐに「オルコット」を調べてみました。「若草物語」は自伝的小説と言われていますが、実際の彼女は結婚していないのですね。

なんだか結構ショック。あの編集長の言った事は、ある意味正しかったのかもしれません。ジョーは歳の離れたベア教授と結婚して共に学校経営を頑張った・・・・・素敵な物語ではないですか。でもそれは物語だったのかと思ったら、モデルになった彼女の姉妹たちの本当の人生はどんなだったのだろうかと思ってしまいました。が、それは知るすべもない事で、私はなんだかしみじみとした気持ちになってしまったのでした。

 

ウィキペディアの「原作との相違」の欄に興味深い事が書いてあったので引用させていただきます。

『本作には、ジョーが理不尽な要求を突き付けてきた編集者に反論するシーンがあるが、このシーンは原作小説には存在しない。これはガーウィグ監督がルイーザ・メイ・オルコットの進取の精神を表現するために付け加えたシーンである。このシーンについて監督は「オルコットはジョーが作家になる夢を諦めて、夫や子供たちを支えることに専念するという結末を描きたくなかったはずです。しかし、オルコットは商業的な成功を望んでいたため、世間受けする結末を書かなければならなかった。もし、この映画でオルコットが本当に描きたかった結末を描き出せたなら、私たちは何かを成し遂げたと言えるのではないでしょうか。」という趣旨のことを述べている。』

 

 

 

 


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森と水辺に救われた5月

2020-06-19 09:46:23 | 梢は歌う(日記)

 このタイトルを打ったら、私、あの歌を思い出しました。

「森と泉に~囲まれた~♪」と言うアレ。

でも主に「森トンカツ泉ニンニク囲まれテンプラ、静かニンニク眠る・・・・」、「る」って何かしら ?

まあ、とにかくそのように歌っていたと思います。だけどこの歌、大好きでした。メロディも歌いやすいこともあるけれど、歌詞が素晴らしいですよね。

暗くて寂しいブルーシャトーで待っている女性は、赤いバラの香りが苦しくて涙を流すような人。夜霧のガウンで包まれたブルーシャトーは森と泉に囲まれているのです。

で、この「泉」って、皆さんはどのようなイメージなのかしら。私はもう最初から、これは小さな湖。普通の泉のイメージの人っているのかしら。たぶん多くの方がこの泉は湖のイメージではないかと思うのです。だけどそれを「泉」にしたのは、素晴らしいなと感動します。1939年生まれの橋本淳さんに、今更ながらファンになりそうです。

きっと老後は今みたいな自粛生活に近い生活を送るのではないかと思うのですが、今はコロナのせいで狭い世界に閉じ込められてしまっていると思うのです。でもだからなのか、今までは気が付かなかったものに気が付いてみたり、身近にあったけれど手にしなかったものに目が行ったりしたのかもしれません。

狭い世界と言ったって、見えない壁に囲まれたこの空間の中には、既にぎっしりと把握できないほどの情報が詰め込まれているし、人生が終わるまでに手にすることが出来ないほどのおもちゃで溢れかえっているのですね。

暇だと言って退屈している場合ではないです。

 

と言うわけで、おまとめ日記です。

 

どんどん遅くなる1か月のまとめ記事。

何とはなしに書く事がないからじゃないかと思われます。時間はみな平等にあって、きっとその時間の中で何かしていたはずだけれど、近頃記憶喪失気味なので、何とはなしに後回しになっているのです。後は日々の生活に追われているので、書くタイミングを逃しているのです。記憶を絞りだして、5月は何をしていたのかなと思い出しながら書いてみたいと思います。もちろん、読んで下さる方にとっては、「それがどうした」と言うものだと思います^^

 

 映画

いつもここが長いので、別記事に書きました。

「5月に見た映画のまとめ」

今、この時点で28本。年間100本みたいと思っていますが、ちょっと無理かもしれません。

 お散歩

自粛生活中でしたので、どこにも行っていません。奥様ランチも無しでした。ただ足の筋力の衰えを感じて、意識してお散歩には歩いていました。でも毎日と言うわけではなかったので、今も結構まずい感じです。ちょっと考えなくちゃな。

お散歩の記事は→「金蘭、銀蘭、蝮草」

「散歩ばかりしている」

「野の花と閉じられていた薔薇園の花」

「手賀沼のほとりを歩く」

→「シミュレーション !?」

→「手賀沼のほとりを歩く その2」

→「手賀沼のほとりを歩く その3」

こうしてあげてみると、私を助けてくれたのは、森の緑や水辺の風景ばかりでなく、金さん銀さんと最後は呼んでいた、キンランとギンランや野の花達だったことが分かりました。

自粛生活中だったわけですから、この言葉は大きな声では言い辛いものがありますが、記事を読み直して私が感じたものは「ああ、楽しかったな。」と言うものだったのです。

 

記事にはしませんでしたが、銀行に行った帰りにもサークルでの作業が終わった後にも、お散歩には行きました。

美しい花たちの姿には、本当に癒されました。

 

 歯医者に通い出しました。

どうしても行かなければならない状態になって通い出しましたが、歯医者さんもガラガラで、歯医者さんには申し訳ない事ですが、むしろ快適でガンガン行っています。

 定期検診をキャンセルしました。

5月30日に、本当は持病の定期検診に行く日でした。この日を予約する時に

「きっとこの頃は空いてますよね。」と、うっかり心の声を声に出してしまい、お医者様が「えっ、いや、・・・えっ ?」と言われて、「あー、しまった!」と、ちょっと焦りました。お医者さんたちもそのくらい思っているかと思っていたのですね、きっと。でもそれは私が予想した通りになっていて、この日に行けば、きっといつもよりもずっと空いていてで速やかに診察を受ける事が出来たと思います。(前回の時は5時間強。げんなりですよね~。)

でもキャンセルしました。私のような人がいるからそうなったと思うのですが、前回の診察の時に診療の内容で不愉快な事があって、2か月経っても、その不愉快さが消えていなかったからです。コロナが怖いからではありません。

だけどなんでもない時にそのキャンセルを実行する事は出来ない事だと思います。それが電話一本で対応でき、受付の人が慣れた対応で薬を頂ける流れが出来ていたのも、こんな時代だからだと思います。

そしてこのキャンセルによって、次の検診日までに私の病気が悪化したら、それは私の運命だと思います。

 読んだ漫画

「信長協奏曲」1巻~6巻を読みました。

「うさぎドロップ」を読みました。

これも5月末の段階で30冊。漫画はサクサク読めるので200冊読もうと思っているのですが、どうなの、これ。

 

だけど皆どうだっていい事ばかりじゃないかしら。ただ目標ってあった方が楽しいし励みにもなるし、自分の時間の使い方も可視化できるし良い事ばかりなんです。ただ心が疲れた時は「もうみんなどうでも良い事だ。」と放り投げて、何事にも縛られない事も大事かなと思います。

 

 ベランダでのお茶の時間が戻ってきました。

お掃除とお花のお世話を楽しんでいます。ただそれで思い出したのですが、私って緑の指の持ち主ではなくて、花枯らしの名人、

花たちにとっては、黒の魔女だったのです。(ノД`)・゜・。

 

 

と言うわけで、最後に素敵な音楽をお楽しみください。

 

 

ブルー・シャトー ジャッキー吉川とブルーコメッツ 昭和ポップスGS


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