森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「引っ越し大名」と「蜜蜂と遠雷」

2019-12-30 10:43:25 | 映画

映画館で観た映画の感想ぐらいは書くようにしているのですが、書き損ねている映画が二本有りました。ひとつは9月22日に夫と観に行った「引っ越し大名」、もう一つは、せっせと家事を終わらせて、ひとりで10月20日に行った「蜜蜂と遠雷」です。

これらの映画も、すでに終了していますと書こうとしたら、全国で5館ぐらいだと思いますが、お正月もやっている所もあるみたいですよ。

 

9月のその頃、洋画の話題作が公開になっていました。夫がどれにすると聞いてきましたが、9月のその頃、友達の脳梗塞による緊急入院などがあったり、姉妹で会うために自由が丘に行ったりで、なんとなく心身とも、なんとなく疲れていたのでしょうか、「お気楽な方が良いなぁ。」と言い、この作品に決まったのでした。

≪「超高速!参勤交代」シリーズを手がけた土橋章宏の時代小説「引っ越し大名三千里」を、星野源主演、高橋一生、高畑充希の共演、「のぼうの城」の犬童一心監督のメガホンで映画化。≫ 映画.com の解説より(リンクしています。)

それで星野源主演で高橋一生となれば、それに題材も「お引越し」ですからね、面白くないわけがありません。

最初のテンポはユルユルで、ちょっと眠くなってしまったかもしれませんが、だんだんと弾みがついて行き、お気楽時代活劇としてかなり楽しめました。それに物語にもジーンと来るところがあって、思わず泣いてしまいました。

泣き虫kiriy なので、涙は映画の評価とは関係のない事ですが、その泣いてしまった部分が、この映画のへそだなあと感じました。

ネタバレなしで書いていますので、訳が分からないと思いますが、言うなれば「武田節」の中にある「人は石垣人は城」と言う事なんだなと思えたのです。

最初に出てくる城は、姫路城。

そこからのお引越しと言ったら、たいがいのお城では4LDEKから1Kに引っ越すようなものじゃないかしら。いや、4じゃ足らないような。

あっ、そうそう。ここに出てくる松平直矩は実在の人物で、本当に引越しを何回もさせられたのですってね。

昨日だったか、「超高速!参勤交代」を見ていた夫が、ネットで検索して、そこに登場してきた藩主も実在の人物だと教えてくれました。

土橋章宏さんの時代小説は、そう言うスタンスなんですね、きっと。

 

原作も評判がよく、読んでみたい一冊になりました。

・・・

 

実はこちらは、途中まで本を読み進めていました。映画化になると言うので、そのページを捲る手を止めました。だって映画を見るのにコンテストの結果を知りたくなかったからです。

だけど本を読んでいる時、映画化って無理じゃないのかなんて思っていました。

なぜなら、ここに登場してくる4人プラス数人の音楽を、音楽に造詣のない、だけど映画好きの人たちに、分かるように「凄い」と「違い」を分からせなくてはならないのですよ。

だから中には受け入れられない方もいらしたようですね。

だけど私はこの映画、泣きっぱなしです。

きっかけは、音大出身だが現在は楽器店で働きコンクール年齢制限ギリギリで挑戦した明石の作曲した曲を聴いた時からなんです。

優しい優しい調べでしたね。

ここで人を泣かせることが出来るのは、本の世界ではなく映像の世界だからなのかも知れません。

だけどコンクールは、やっぱり技術戦なんですね。

凄いなぁと思いました。みんなの弾くピアノにいちいち涙する私。

至福の時間でした。

 

蜜蜂の羽音も、遠雷の胸に響く音も・・・・

世界はさまざまな音に包まれている・・・・・

 

タイトルは、そう言う意味合いが込められているのでしょうか。

うんうん、と共鳴するけれど、少々長く生きてきているので、もうそんな事は知ってるよって、私は思いました。でもだけどそれを教えてくれたのは、やっぱり映画だったと思います。それはドヨーンと心が重くなるけれど、ハンカチを絞るほど泣いた「ダンサー・イン・ザ・ダーク」

それで私、MRIの大音量の音も、楽しめるような人になってしまったように思います。

なんだかんだと大事な事の多くを映画から学んでいるような気がします。

また来年も、楽しい映画ライフを送れますように。   人

 

あっ、そうだ。

マサルの森崎ウィンは「レディ・プレイヤー1」の「俺はガンダムで行く!!」のあの人ですよね^^

≪松岡が亜夜を演じるほか、松坂桃李が明石、森崎がマサルに扮し、映画初出演の新星・鈴鹿央士が塵に抜てきされた。監督・脚本は「愚行録」の石川慶。≫

 

 

 

・・・・

 

 


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思い立ったら宇都宮【27918歩】

2019-12-28 10:37:50 | お出掛け日記

・「思い立ったら宇都宮【大谷資料館】」の続きです。

 

しかしどうかしてると、自分でもちょっと思いました。雨が降った数日後の「高尾山」を止めたのは、ぬかるんだ山道は危ないと思ったわけで、それは転ぶという危険もあるけれど、下り道などで踏ん張って歩く事が膝に悪いと思ったはずなのです。

それなのに、如何に平面だと言っても27918歩は歩き過ぎでしょう。

(あっ、平面と言いましたが、大谷資料館は地下に潜っていくわけですから、行きはよいよい帰りは恐いと言う、つまり帰りは階段をゼエゼエと上らなければならなかったと思います。)

だけど宇都宮に来たのは初めてで、とても「大谷資料館」だけ見て帰ると言う気持ちにはなれなかったのです。

 

駅前の街並み

「宇都宮餃子祭り」の文字がとっても気になりました。

資料館入口にある姿川と景観公園の風景です。

下の山は「御止山」と言うのだそうです。

後から、地図を見て知りました。

下の川は、上の方にも書きましたが「姿川」です。

この下の画像の庭は、大谷寺の弁財天です。この奥に、先ほどの「御止山」に登って行く入口があったのですが、その時はまったく知らず、

「こんな所にハイキングコースの入口があるね。」などと言っていました。

もちろん知っていたとしても、この日は実は悪天候で時々小雨が降っていたので、その道を登って行く事はなかったと思います。

蛇は二匹いて、その頭を撫ぜ撫ぜすると良いと書いてありました。

撫ぜて来たかって ?

さあ

内緒ですよ。

くだらない事に「内緒」もないもんですが。(笑)

なかなかの風情がありました。

でもこのお寺の見どころは、画像が無くて申し訳ないのですが宝物殿にあるミイラとか、洞窟内にすっぽりと建てられたこの社殿の中にある、石に掘られた千手観音などだと思います。

この時、この画像からは分からない事ですが、バスツアーの皆さんと重なってしまって、中ではぎゅうぎゅうでした。

なかなかの風情と言ったら、大谷公園だったでしょうか。

 

下の画像は「平和観音」。

私は、こう言うところ、あまり好きな方ではないんです。その割には鋸山なんかにも行ってるわけですが、目当てはそこではないのですよね。

だけど、

このひっそり感が、たまらなく良かったです。

私と星子さんの二人ボッチ。

二人だからひとり占めとは言わない^^

「このひっそり感」と言いましたが、少し前まで、先ほどのツアーの皆さんがワイワイと居たのです。

私たちはバスの時間に合わせてのんびりとしていました。

紅葉前でしたが、なかなか美しい光景だと思い癒されました。

この時ちょっと雨がまた降りだしていたのです。

結構時間があったので、「大谷石体験館」と言うところで甘酒を頂いたり、お土産を買ったりなどしてその時間を楽しみました。

お店の方はとても親切で、バス停の場所や、その先に行きたい所への行き方を一緒に調べてくれたりして頂けました。

バスに乗って次に私たちが行ったのは、大谷石で出来た教会です。

そこから見たお向かいのお店も良い雰囲気。

残念ながら営業時間前でした。

そして私たちがせっせと歩いて、その後行った先は、ドン・キホーテ内にある、いろいろなお店の餃子が食べられる「来らっせ」。

やっぱり宇都宮に来たからには、餃子を食べなきゃね。

 

この記事を書くのに、地図を見ていたら、このドン・キホーテのお店から信号を四つ過ぎたら(結構ありますね。)、「宇都宮城址公園」だったのですね。

あああ、行きたかったなあ。

でも、この餃子を頂いたのは、すでに15時半。

もう一つ、星子さんのリクエストのミッションをクリアしなくては。

バスで移動しても良かったのですが、歩いて移動してしまいました。

ラストミッションは、大谷石で出来ているレストランに行く事だったのです。

本当はここでランチを頂く予定でいたのですが、時間的に間に合わず、今回はお茶のみにしたのです。

「石の蔵」です。

かなり良い雰囲気~。

ホッとした時間です。

でもこの珈琲の画像を撮ったのは、ほぼ午後5時。

餃子のお店から4時ちょっと過ぎから移動したとして、一時間弱のお散歩をしていたわけで、

それじゃあ、歩数を稼いでも仕方がないですよね。

だけどその街を知りたければ、歩く事が一番だと思うのです。

帰りはもうすっかり暗くなってしまった街を、田川の水の流れる音に送られて帰ってきました。

駅で、小腹がすいたので(たくさん歩きましたから^^)、ロッテリアでチーズバーガーを頂いたのですが、名前に相応しく凄く美味しかったです。

宇都宮のお出掛け日記のラストが、ロッテリアなのと言われそうですが、このお店、子供が小さかった頃は柏駅中にあって、時々子供と一緒に食べていたのですが、無くなってしまってからは一度もなくて、もしかしたら25年以上食べてなかったと思うのですね。

ちょっと懐かしくて、そしてささやかな幸せを感じたりもしたのですよ。

 

「石の蔵」では、次回はちゃんとお食事をしたいですし、宇都宮城址公園には行ってみたいし、八幡山公園には宇都宮タワーとかもあるのですね。(他に、お勧めの場所などあったら教えていただきたいと思います。)

宇都宮には、是非またもう一度は行ってみたいなと思いました。

思い立ってフラッと行ったのに、メッチャ楽しかったです。

まあ、はっきり言って、翌々日辺りから・・・・・

メッチャ怠かった・・・かもね^^

だけどもうそれは遠い、いえ、近い・・・、いずれにしても過ぎた過去の事です。

残った思い出が大事って事ですね♪


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思い立ったら宇都宮【大谷資料館】

2019-12-27 16:30:47 | お出掛け日記

書き損ねていたお出掛け日記を、時間を遡って書いてます。

10月29日、宇都宮のずっと行ってみたかった地下神殿のような「大谷資料館」に行きました。

 

本当はこの日は、「高尾山」に行く計画になっていました。ところが調べてみると、高尾山はまだ紅葉前でした。しかもこの日の前にはかなりの大雨が降りました。高尾山は小学生の遠足でも行けるような、けっこう気楽に行ける場所だと思うのですが、それは行く方法を選んでいるからだと思います。いくつかある道は、難易度が違うようです。私が知っている下りの道は、少々難易度は低くなかったと思います。後は知りません。かなり雨が降った後に、知らない山道を歩くのは止めた方が良いと、私の中の危機管理回避の鐘が鳴りました。

それでどこか違う所に行こうと言う事になったのですが、その時、急に思いついて、この行きたかった場所を提案してみました。誰にかって言うと、いつもの遊びの相棒、星子さんにです。彼女はここに来たことが既にあったので、ちょっとばかり遠慮がちに言いましたが、快諾してくれました。

と言うわけで、他県に行くというのに、かなりのお気楽なと言うか、フットワークが軽いというか、思い立って出かけたと言うわけなのです。

 

途中で、もうこれからは花子さん星子さんではなくて、ヤジさんキタさんと呼びあうかと言うような事がありまして、でもそれは今では意外と想定内。とにかく予定時間よりも2時間弱遅れて着きました。

しかし期待通りの神秘さでワクワクしました。

ここは昔の大谷石の採掘場だったので、外もこんな感じです。

 

中は雰囲気ばっちりです。少々画像が続く写真日記になっています。

なんか摩訶不思議な記号が・・・

いや、これは採掘の後なんですね。

様々なイベントやロケに使われているようです。

 坑内に入る前の所には、このようなポスターが貼ってありました。坑内には、下記のような写真コーナーもありました。

 

 ← 知ってる知ってる。

 ← ここでエンヤがコンサートを開いたらしいです。

あっちに見える光は ?

なんかロマンを感じますね。

 

えっ、こんな所にも大谷石が !?

って、違いました。これは上からそう言うシールみたいなものを貼ってるのですよね。

すぐに騙されるキタさんなのでした←私の事です。

 

中には川も流れていて、本当に地下神殿のようで、ワクワク感が止まりませんでした。

でも出口に近づき、ふと振り返ると、地面に滴る汗を拭く暇もなく、石を切り出す半裸の男たちの姿が瞼に浮かんで消えました。

きっとその男たちには、未来にまったく違う視点でこの場所を訪れて喜ぶ人たちの姿など、微塵も想像できなかった事でしょう。

 

次の記事に つづく

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スターウォーズ「スカイウォーカーの夜明け」

2019-12-26 02:27:41 | 映画

一言で言うと「雄大・壮大・こじんまり」。

これはスカイウォーカーの一族の物語なんだよね。

 

うううッ、とか、ハラハラと泣く事はなかったけれど、それでもジワーッと泣けました。

最終回(と言うのだろうか)に相応しく、オールスター出演と言う感じもしました。

ラストシーン、良かったです !!

綺麗に、しかも感動的にまとまったなぁと思いました。

そして「凄いなぁ。」と、その発想に驚かされました。

それは日本人には、いや少し前の日本人にはと言うべきかもしれませんが、無いものだと感じられたからです。何かと言うと、ネタバレになりますので、後程書く事にします。

しかしその物語に感動しつつ、映画館を出る頃、この新しいシーズンには、発想以外の他の無かったものが気になって、私はちょっとだけ物足りなさを感じてしまったのでした。

例えば、ルークやソロが中心だったシリーズを、ざっくりとシリーズ1、その前日譚のダースベーダ―誕生までをシリーズ2とするじゃないですか。ちゃんとしたカウントの仕方があるのだよと言われそうですが、今はもう年末感が半端なく漂ってきているので、ちゃんと調べてからと言うのは無しで行かせてくださいね。

それで、シリーズ1の時、ワイドショーの話題にさえなった、あのスピード感 !

出てくるキャラも武器もすべて斬新。

シリーズ2では、宇宙の帝国と言うものを見せられて、本当にワクワクしました。

果てしなく続く大都会の宇宙都市。パドメ女王のハッとするようなメイクや衣装。

変な宇宙人たちの異文化候交流。

ああ、もう、「スペース・オペラだよ~♪」と言う高揚感・・・・・・って、言うのが、この作品にあったかなあ・・・・・。

それに最初のルーカスの構想だった9作品という数に合わせて終わらせただけで、これはいくらでも作る事が出来るのではないかと思ってしまったのも事実。

あっ、そうそう。だってそう感じるのは正解なんですよね。スカイウォーカーの物語は終わっても、2022年から一年おきに新たなるスターウォーズが公開されるのですってね。

だけど42年ですって。

凄いですよね~。

それに付き合って、見続けた私。

もういろいろな想い出があって「スターウォーズと私」ってな作文が書けますよ~。

だからね、あまり細かい事は言わなくてもイイやって思ってるんです。

だってスペース・オペラって言っても、これはファンタジーですものね。

 

「遠い昔、はるか彼方の銀河系で…。 」の文字が、あの音楽と共にスクリーン上に流れてくると、もう半端ないワクワク感を感じます !

 

だけどファンタジーと思いながら、ふと思った事は、戦いに次ぐ戦いで、結局はあんなに栄えていた文明を滅ぼし、あちらこちらの星々を廃墟にし、または星レベルでスラム化させたんだなと言う、いたってまじめなものでした。

そして戦いの末にあったものは、あんなに光り輝いていた人たちの惨めな最後・・・・。

いや、でもこれはね。

と言うわけで、以下はネタバレ感想です。

 

 

「フォースの覚醒」の時の、ハン・ソロの死は、本当に惨めに感じて納得できないものがあったのです。でも彼をその惨めさから復活させたのは、カイロ・レンからベンに戻った、息子の行動だったと思いました。

結局は、後から生きる者の生き様が先に生きた者の名誉や、その生きざまを守るのかも知れません。

カイロ・レン、かっこ良かったです。

レンとレイ、本当は凄く相性が良かったのですよね。

最後にレイを助けた時、貰った命を返したのだと思いました。

短い人生でも、彼の最後のその時は、レイの腕の中で幸せだったに違いないと思いました。

心が繋がりあいながらの連係プレー的な戦いは、斬新でまた気持ちが良かったです。

パルパティーンの所で、レイがライトセーバーを背中に回し、離れた所にいるレンが頷いてそれを受け取るシーンは、なんかいい感じがしました。

この先もそんな二人を見ていたかったけれど、レイアは息子の死を見たと言っていたし(彼女にはすべて分かっていたのかしら)、ラストシーンの事を考えると、彼が助かっていたならば、そのシーンはあり得ないわけで・・・・・。

で、凄い発想だなと感じたのは、まさにそのラストシーンなのですが、彼女が自分の出自を悩んでいると、「血よりも大事なものがある。」とレイア(?)が慰めるじゃないですか。

でもその慰めはパルパティーンと言う名前だけでは、同じような「悪」ではないというものであって、やっぱりその名前と言うか血の血統を持つものが、スカイウォーカーを名乗って行くというラストは、凄いなって感じてしまったのですよね。

それは過去のすべては許し合い、そして前に進んでいく、そんな願いが込められているような気さもしたのでした。

 

最後に、あのソロが言うセリフは、もしかしたらレイアが言うセリフだったのではないかしら、なんて事をちょっとだけ思ってしまったのでした。

毎回、見るたびに思ってしまいます。

さよなら、私たちのレイア姫って。

 

 

 12月22日鑑賞

 

 

 

 

 

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上野の森の「ゴッホ展」

2019-12-22 17:09:16 | お出掛け日記
11月22日に雨の中、「上野の森美術館」に行ってまいりました。
この美術展は、1月13日まで東京のその美術館で開催されています。その後は兵庫県立美術館で1月25日から3月29日までです。
 
映画の「永遠の門」を見たのは、このための予習みたいなものだったのです。
 
ブログ内で、何度か、私はゴッホが苦手で、いわばラスボスのようなことを言ってました。
なぜ、彼がラスボスであるのかと言うと、これもまた同じことの繰り返しですが、私には何人かの苦手な画家さんがいたのです。
ひとりはムンク。また一人はゴーギャン。そしてまた一人はこのゴッホだったのです。
 
 
ただムンクについては「ムンク展ー共鳴する魂の叫び」をお読みくだされば幸いです。かなり熱く彼への愛を語っています(笑)
 
ゴーギャンは、まったくその絵の良さが理解できず苦手だったように思います。
だけどその彼も・・・・
「ゴーギャン展」に行きました」の記事で、また長々とその感激した感想を書いています。
 
それで最後に残ったのが、ゴッホだったのです。だからラスボスと言うわけなのですね。
 
昔、彼の絵はそんなには苦手ではなかったのです。むしろなぜか親しみ深いような気がしていました。ところが大人になってからのある日、彼のヒマワリか何かの絵をじぃいいっと見ていたら、ブルルと心が震えました。神経を逆撫ぜするような感覚。
 
たぶんたった一枚の絵から、彼を苦手に感じるようになったのではないかと思います。
だけど、私はムンクやゴーギャンでもそうでしたが、苦手なものをそのままにはしておけない人なのかも知れません。
それにいろいろな企画展にも彼の絵は出品されていることも多く、それらに触れて良い印象の作品の方が多く、それでようやく、「さあ、今年は『ゴッホ展』に行くぞ。」と言う気持ちになったのでした。
 
今回の展覧会では、正直なところ、怖いなと思うような作品は一枚もありませんでした。
初期作品から展示されていたのも、彼を知る良い機会になったのかも知れません。
 
それにしても、私はなぜ彼を今まで怖がっていたのかしらと、とっても不思議な気持ちになりました。
怖いと感じた「ひまわり」が無かったからかも知れません。
 
そしてまた不思議に感じたのは、なぜこれらが生前にまったく売れなかったのだろうかと言う事だったのです。
 
確かに斬新過ぎるものは、時を待たねばならなかったかもしれませんが、アルル以前やサン=レミ時代以前の作品など、ごく普通に売れても良かったのではないかと思えたのです。
 
寝室やリビングに飾ると言う絵画の働きを思えば、部屋の中で手紙を読んだり楽器を奏でたりする女性の絵は飾りやすくても、貧しい農民の家族が肩寄せ合って、ジャガイモを食べる姿や、美しくもない農夫の女の絵は、相応しくないと思えたからでしょうか。
 
今では普通に受け入られることに、ひとつひとつ門を開いて行かなければならない時代があったのでしょう。
 
ふーんとかへぇとか思いながら、絵画展の順に沿って進んでいくと、今回の一番の見せどころの「糸杉」がある部屋にやって来ました。
 
それはサン=レミの時代に描かれた物たち。
 
私は吃驚して、思わず、トトトと前の部屋に戻って、またその部屋に入りなおしてみました。私は二度、同じような驚きを感じて、それらの絵と対面したのです。
 
私の目から見たら、まったく違うものに見えたからなのです。
 
ゴッホの燃えるような絵たちは、彼の狂気が描かせたものではなく、彼が落ち着いてちゃんと正常な時に描かれた物らしいです。
 
彼の狂気は、ある種のテンカンとも言われ、または統合失調症とも言われていたりしますが、いずれにしても、それは彼の苦しみであったことには間違いのない事だと思います。あの耳切り事件もゴッホ本人は覚えていなかったのですから。
 
だけどその苦しみさえも、彼にとっては必要なものであったのだと、私思ってしまったのでした。
冬の寒さを知って美しい花を咲かせる春の花たちのように。
 
 
≪サン=レミの療養院の庭≫、とっても好きです。
 
ご一緒したお友達が、「ああ、あの花がたくさんの絵ね。」と言いました。
「うん。」と言いつつ、「花 ?」とか思ってしまいました。もう一度見直すと、確かに花盛りの庭。私はいったい最初に何を見たのでしょうか。
たぶんそれは、その絵から湧き上がってくる自然たちの生命力だったのではないかと思います。
 
それに続く「糸杉」の絵は圧巻です。
 
(あんなに気絶ばかりしていたと書きましたが)、ゴッホが絵具を取って、キャンバスにグワッと置くシーンが頭に浮かんだのは、映画を見たばかりゆえの妄想だったと思います。
 
 
それゆえでしょうか。絵葉書コーナーで、今までにない感情が沸き上がりました。絵葉書などを買い求めるのは、私のコレクション、つまり趣味のようなものですが、なんとなく躊躇してしまったのです。グズグズとしている真横で、二人の女性が、私の気持ちを代弁してくれていました。
 
「絵葉書になっちゃうと、全然違っちゃって迷うよね。こんなの、平面でのっぺりで、さっき見た感動が薄れちゃう。」
 
― なるほど~。私の迷いもそこか~。
 
悩みつつ、やっぱり買う私。
 
あの迫力は消えてしまっても、やはりそれを見直しながら、「よしっ、頑張ろう。」と言う気持ちになりたいものだと思ったからです。
 
と言うわけで、私の中のラスボス制覇。
 
制覇すると、むしろ「好き」に変わる私です。
 
ゆえにゴッホは、私の好きな画家のひとりになったのでした。
 
 

↑ 看板など。

買ってきた絵葉書です。上の看板の「薔薇」の絵葉書も買ってきました。母にあげようかなと思っているのですが、なかなか行動に移せていません。

それと下のガイドブックも買ってしまいました。なかなか解説が面白いのです。

 

 

上野の山は、その頃は紅葉一歩前。

 

だけど上野はゴッホとパンダだ!!

この季節のツリーがひまわりだものね♡

 

そして花より団子タイム。

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「永遠の門 ゴッホの見た未来」

2019-12-20 14:59:11 | 映画

お出掛け日記など滞っていたものを、遡って書いています。映画館で見た映画の感想も書くようにしているのですが、3つほど書いていませんでした。

感想を書いても、もう映画館での上映は終わっているので、映画館での映画選択にはお役には立たないと思いますが、レンタルなどの時などにはお役に立つと思います。

この「永遠の門」は昨日までだったら、都内3館で上映していたのですが、はっきり言って個人的には、お勧めしたとしたらそうとうの無責任な感じになってしまうので、今から書くのでちょうどイイナと思っているんです。

いや、良い映画ですよ !!

だけど私・・・・・・

寝ちゃった !!!!!

しかも何度も。

いいえ、頑張りましたよ、ワタクシ。映画を愛してますから。しかもケチなので、寝てしまっては入場料が勿体ないと思う方ですから、寝まい寝まいと頬を摩ったり手もみしたり、だけど意識が飛んじゃうのです。

で、隣を見ると、友人が寝息を立ててる・・・・・・。

だって、この映画、罠のようなもの。

美しい映像じゃん。

静かな語り口じゃん。

語られるセリフ・・・・「なぜ、絵を描く。」

と言う禅問答のような内容の繰り返し。

(モデルまでが画家に聞くかよ、まったく~って思いました。でも後から絵をよく見ると、それを聞いたのは医者のガシェなのね。)

そしてそこにだね、ピアノのBGMがボロロンと入るんだよ。

バババ♪バババ♪ じゃなくて、ボロロンだよ。

オーケストラのジャジャジャーンじゃなくて、ボロロンなんだよ。

 

これって、あれに似ているなと思いました。つまりお風呂に入って、「あー、気持ち良い~!!」って、次に寝ちゃってることがあるでしょう。あれって、気絶しているらしいですよ。

まさにこれと同じ。セリフを真剣に聞いていて、そこにボロロンとピアノの音が入ると、意識が飛んでいるんですものね。

と言うわけで、人には勧められない理由は、良く寝られる映画だったからです。

誘ってしまった友人に悪かったなと思ったら、近頃、良く寝られていなくて、ここですっきり寝る事が出来て良かったという感想。しかも好きな色の黄色が見られて良かったとか、物語的には王道だったねとか、寝息を立てていた割にはちゃんとした感想も出て来て、お主もなかなかやるなぁと思った次第です。

でも私も、何度も気絶をしていた割には、そこそこの感想がありまして、少々書かせて頂こうと思います。

(前置きが長い^^)

御存じのゴッホの物語なので、しかも王道なのでネタバレを気にせず書かせていただきます。

 

でも私は、本当は知らない事がたくさんあったのです。

まずはゴッホの一番の理解者であった弟の存在です。まったく売れなかったのに、それでも兄の才能を信じて、仕送りを続けて支え続けるのです。

またゴーギャンとの関係も、たぶん多くの人が勘違いしていたのではないかと思われるのですが、もっと底辺には真の友情とか理解とかがあったドラマチックな関係なのかと思いました。ゴーギャンは弟テオに頼まれて、生活困窮から逃れるためにアルルにやって来るのですよね。

そんなゴーギャンなのに、彼が去ってしまうと錯乱して、自分の耳を切り落としてしまうゴッホ・・・・。

 

きっと彼は心や精神が透明過ぎたのでしょう。

精神病院に入って治療しますが、彼の凄まじい絵は、その狂気が描かせたのかと言えば違うと言う解説をどこかで読みました。どこかと言っても、この映画を見た近辺にです。映画の中で語られたのか、テレビの特集で見たのか、ゴッホ展で言われていたのか・・・・。

ゴッホが絵を描いたのは、精神が安定していた時だったらしいです。

(でも私・・・・という感想はゴッホ展の記事を書く時に描きますね。)

 

私がこの映画を見て、一番に感じた事は、(私はクリスチャンではありませんが、でも便利に「神」と言う言葉を借りるとするならば)神の時間と人の時間はその長さが違うと言う事だったのです。

人の時間は短すぎて、ゴッホが生きている間にはその絵は一枚しか売れませんでした。

晩年のと言っても享年が若いのですが、展覧会では高い評価を得られるようになってきてはいたのですよね。それでもその絵が万民に受け入られるようになるまでには、まだまだ人の時間の時を待たねばなりませんでした。

だけどきっとゴッホには見えていたのかも知れません。

神の時間の長さにおいてはすぐに、今描いている絵を人々が見て、そしてゴッホの見た風景を共に見る日が必ず来ることが。

だから彼は画家になっての10年の間に、2100点もの作品を残したのかも知れません。

あっ、ハンニバルだと思ったのは、サン=レミにやってきた聖職者でした。

(マッツ・ミケルセン)

彼が言う所の「だけど君の絵は恐ろしい。」、もちろん間が空き過ぎているので、あっイエ、間が空いてなくてもでしたが、セリフは不正確ですが、深く頷いてしまいました。

私にとっては、これはとっても大事なセリフでした。

私の彼の絵に対して踏んできている感覚は、かなりの正当なる感覚だなと感じたからです。絵画鑑賞は若い時からの私の趣味なので、意外と真正面から向き合っています。

ゴッホの絵は、ある時から私にとっては凄い怖い絵でした。だけど今は違います。

 

噂通り、デフォーのゴッホは、ゴッホそのものに感じました。

アルルにはいつか行ってみたいような美しさがありました。

ゴッホの死因には自殺説と他殺説があります。この映画は・・・・。ここからは言わない方が良いでしょう。いつかネットやテレビで見るかもしれませんから。

彼の葬儀のシーンは、しみじみとした想いとモヤモヤした思いが交錯しました。

出来ない事ですが、この時代に生きていたら、彼の葬儀には参加できる人でありたかったな。タイムマシンがあったら、ここにぜひ紛れ込みたいものだとも思いました。なぜなら・・・・って、これも言わない方が良いですね。

また、家でのんびり、今度は気絶しないようにしっかりと見たいと思います。

(追:この先見ない方もいらっしゃるかもしれませんので、上の部分の書かなかった部分を画像の下に書いておきますね。)

この映画では、他殺説を取っています。彼を誤って撃ってしまった少年たちをかばうために、彼は何も言わずに死んでいくのです。

ちょっと泣けますね。

葬儀の時、棺の周りのたくさんの絵をしみじみと見ていました。最後に彼の絵をじっと見ているのかと思ったら、世話になった方々に絵を差し上げたのですね。だけど人々は貰っていく絵を悩んでいたようです。

私がタイムマシンがあったら、ここに紛れ込みたいと思ったのは、だってですね・・・・・だってですね・・…言い辛い事ですが、だって、今一枚いくらだと思ってるのって、そこにいた人々に言いたいですよね。

私でも、どれにしようかと凄く悩む。だけどどれでも嬉しくてもうお葬式だって言うのにニコニコしちゃうかも。←不謹慎発言 !!!

あっ、でも私、出来たら星月夜の絵か、糸杉がやっぱり良いなあ・・・・。

(11月13日鑑賞)

 

 

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相棒18 第10話「杉下右京の秘密」

2019-12-19 09:51:34 | ドラマ(相棒)

今年最後の「相棒」でした。と言ってもお休みするのは一回だけ。1月1日は水曜日なので、しばしのお別れと言った所でしょうか。

さてさて、「杉下右京の秘密」はあっという間に暴かれてしまいましたね。

だけど右京さんのパパっぷりは良い感じでした。

最後に

「僕も楽しんでいたのですよ。」と言う言葉が出て来て、これが本当の秘密だったりしてなんて思ったのですが、考えてみたら冠城が暴きたがっている右京の本当の秘密って、何で離婚したのかでしたね。本当は、それを指して言っていたのかしらね。

 

ところでお話の本編の部分は、根拠ない段階で、お巡りさんはかなりの怪しさでしたよね。ストーカーだったとは !

良い人が良い人のまま終わると言うのは、ある意味、そっちの方がフェイクに感じたりしませんか。

映像で見せる推理ものは、本当に難しいと思います。クローズアップ度や登場回数が多いと、疑わしい理由の一つになってしまうのですものね。

そしてあの造園業(?)の社長も、あのセリフから怪しく感じてしまいました。

「鍵は私だけが持っている。」

外の鍵は壊れていて、誰でも出入りできたとうような事も言っていたように思うのですが、でも関わりがあるのは他には彼だけ。出てきた時から怪しさがいっぱい。

そしてやっぱり怪しいと思っていた人が裏の元締めと言う犯人でした。

先に掴まってしまった殺人の実行犯の男に向かって、「クズ」とののしる社長に右京は、あなたはそのクズに群がる害虫だ。今すぐにでも駆除してやりたいと激昂するのでした。

 

だけど私、このセリフからも、このシーズンの右京さんは静かにキャラ変しているように感じてしまうのですよね。これも長いシーズンでもあり、ライターさんが変わっていくという所に、その杉下右京の(キャラ変の)秘密があるのかも知れませんね。

 

しかしですね、ここに出てきた大人は、子供の言う事を信じなさすぎですよね。

子供の目から見えたそれはいったい何だろうかと、普通は真剣に考えたりしませんか。もしも妄想をこんなに繰り返して人に語ってしまうならば、それはまた別の問題で、病院などでほんの少しだけカウンセラーなどを受けた方が良いと思いますよね。

お母さんがストーカー被害にあって、あの子自身も怖い目にあっているので、何か妄想と現実がごちゃごちゃになってしまうこともあるじゃないですか。

名前を呼んで制止し注意するなんて問題じゃないですよね。しかも妄想だったとしたら、人が殺されるそれなんですよ。こんな心配な事は無いですよ。

 

すみませんねぇ、細かいところが気になってしまうのが、私の悪い癖なんです。

 

だから右京は、ストーカーから守ると言う意味もあったけれど、細かい事が気になる人だからこそ、彼が見たものを信じて調べようとしていたってわけですね。

じゃあ、テレビ前の「相棒」クラスタの皆さんは、皆安心な大人ですね(笑)

皆さん、ある部分ではおおざっぱでも、変な所で細かい所をお持ちでしょう^^

 

だけど今回の一番の感想は、シングルマザーの里美さん、男運が悪すぎって事なのよね~。

祐太君の本当のお父さんも、暴力を振るう人だったというし、次の逮捕された男もDV男。そして新しい街で親切にしてくれたお巡りさんはストーカー。

もう、男なんか男なんか男なんかいらーん!!

ってなっちゃいますよね。

 

悪をやっつけてくれた右京さんに、裕太君は

「本当のお父さんになってくれたらなぁ。」と言います。

「裕太ったら。」みたいなことを里美さんは言うでしょう。

普通はここは、ちょっと色っぽい展開か、ちょっと色づく雰囲気にもなるのだけれど、里美さんには右京さんは眼中にもないという感じでしたよね。残念な感じもしましたが、年齢の差がねと言ったら、相当失礼かしらm(__)m

だけど、「お父さんにはなれません。だからこれからは君がお母さんを守るんですよ。」の右京の言葉に頷く子供の姿を見て、嬉しそうな顔をしたお母さんの笑顔は素敵でしたね。

 

と言うわけで、再来週の来年の「相棒」では、瀧本美織ちゃんがゲスト。

ライターさんは、私にはちょっと相性が悪い方ですが、偏見は持つまいと思っているので楽しみにしています。

またよろしくお願い致します。


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国立競技場から表参道に抜けて

2019-12-18 10:10:32 | お出掛け日記

・「神宮外苑の銀杏並木と絵画館」

の続きで12月5日のお出掛け日記のその2です。

17日の終わり頃にアップしたひとつ前の「いだてん~東京オリンピック噺~最終回」

も、よろしくお願い致します。

 

絵画館を後にして、そこからすぐ近くに国立競技場があるのですが、まだほんのちょっと残念な状態だなと思いました。↓

ぐるりと回って行き、囲ってあるものの隙間から中を覗くと・・・・、こんな感じなんだな~。↓

また回って行くと、なんか素敵な風景が現れてきました。

なんか外国っぽいと言ったら大袈裟かしら (笑)

外苑橋から見下ろして撮った風景です。

それに、ここの銀杏たち、見たかった黄色をしていたのです。ここで秋の綺麗な色を見つけたので、この日の東京散歩はかなり満足したものになったように思います。

 

そしてまたぐるりと回って行き・・・・・

「日本オリンピックミュージアム」に行きました。

でもお目当ては、ここ ↓

はしゃいで写真を撮ってきました。

反対側から撮ると、神宮野球場が一緒に入ります。人によっては、そちらの方が嬉しい方もいらっしゃるのではないかと思いました。

クーベルタンの像。治五郎の銅像は無いのかと、思わず辺りをキョロキョロしてしまいました。見える所には見当たらず、なんだかモヤッとしました。

見える所にはと言うのは、一階は無料なので、今回はそこしか入らなかったからです。

並んでいたので、パラと両方写せなくて、ちょっと片手落ちっぽいけれど、今度の聖火のトーチとメダル。

 

その日の空。

なんだか雲が素敵でした。

そしてようやくランチタイムです。

 

「Cafe Casa」カフェ香咲(カサ)で、ラザニアを注文しました。また行きたいお店。メッチャ美味しかったです。

珈琲も頂きたかったのですが、せっかくなので違うお店にしようと、またウロウロと帰る駅に向かって歩いて行きました。途中で「パンとエスプレッソと」と言うお店でパンを買い求め、そして・・・・

「ブレッツカフェ クレープリー」でお茶。

ここはクレープで有名なお店なのですって。じゃあと言う事で・・・・

キャラメルソースがちょっと甘すぎたのですが、それでもやっぱり美味しくて、またここにもまた期待と思いました。

そして表参道駅に出て帰宅。

夜のお仕事に間に合う時間に帰ってきました。

 

しかしだよ、若き日にメーテルリンクの「青い鳥」を読んでだな、チルチルとミチルは『しあわせの国』と言うところに青い鳥を探しに行くのだけれど、そこで「もう食べる必要もないのに食べる幸せ」と言うのが出てきてだね・・・・・そ奴がとっても醜かったような気がするな・・・・

はぁ←深いため息

まっ、いいや。

後の祭りの事はくよくよするなってね。


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いだてん~東京オリンピック噺~最終回

2019-12-17 23:05:09 | ドラマ (大河)

若かりし頃、みんな真夏の木漏れ日のように、キラキラと光っていました。

そして髪は白くなり見るからに老いた人になっても、彼らはみんな笑っていました。

そこに至る道を、彼らはそれぞれに駆け抜けたのでしたね。

 

このドラマが始まった時、あまりにも金栗四三を知らなかったので検索してみて思った事は、なんて面白い人生を送った人なのだろうかと言うものでした。もちろんオリンピックに一番最初に参加した人であり箱根駅伝を作った人でもありますが、特にストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待されたエピソードは素敵すぎます。

「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされた・・・・・。

その最長記録は、今後も誰にも破られることのない記録でしょう。

なんて言うドラマチック。

私はこの場面を想像し、最初の方でかってに涙ぐんでいました。いつになったらそのエピソードをやるのだろうかと期待もしていました。勘九郎が如何にもと言う感じで演じ、私たちを泣かせてくれるのかなと。

だけど終わってしまいました・・・・・、いえ、そう見えたのです。

ところが違いました。

まさかまさかのエンディング。しかも実際の映像。

54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3。

いだてん、金栗四三が走りぬいた年月。

そして、テレビ前では、このドラマを完走した私たちがそれを見届けたのでした。

 

金栗四三と田端政治を中心とした、この群像劇の主役は人じゃなくてオリンピックだったのだなと、しみじみと思いました。開会式の幕が上がっても、四三も田端のまーちゃんもあちこちと飛び回っていました。

そしてあれが良かったですよね。

治五郎先生が出て来て、田端に「ありがとう。」と言う。

それに応えようとした時、岩ちんが現れると、田端は治五郎先生のいた場所に行き、同じように岩田に「ありがとう。」と深くお礼を言うのでした。

ストップウォッチを止めるシーンを、さも感動的に見せるのかと思いきや、クドカンは、そう言う事はやらないのよね。やっても良いんだよ、クドカン。泣いてあげるから(ノД`)・゜・。

でも「あっ、止めちゃった !!」なんだよね。ニヤニャしちゃうよね。

 

すべてが表には出なくても、何かしら関わり合っていて影響し合っていました。

最終ランナーへの四三の水かけ、良かったですよね。彼が食べる事のなかった焼飯を五りんが食べる・・・・・。

火事だ火事だ火事だと五りんは師匠の下に駆けつけます。

それは彼のもう一つのオリンピック。

彼の父は夢を見たー。

もちろん自分がオリンピックに出るという夢は叶わなくても、子供がオリンピック選手になれたら嬉しいなという夢。

その夢は叶わなくても、彼、五りんの父が出した「志ん生の富久は絶品」と言う手紙が、その息子の運命を決めたと言っていいでしょう。

五りんが聖火に火が着くのを見て、志ん生の元に走り出すとき、旗を選ばずに蓮華を選んだのですよね。なんたって富久は絶品なのですからね。

 

宮藤官九郎まで出て来て、最終回はチョー豪華でした。

でも三島弥彦は ?

美川君は ?

弥彦は1954年に、美川君は1940年に亡くなっているのですね。

だからあの場所には居なかったのですね。

 

2020年のオリンピックが決まった時、とにかく生き延びなくてはと、考えようによっては変な事を思いました。でも大真面目に思いました。そして今は、ちょっと更に真剣にそう思っています。(それはちょっと、私事でもあるのですが。あっ、なんだか誤解を招きそうな発言ですね。未来は見えない事ですが、今の私には何の不安もありませんから大丈夫です。)

 

「いだてん」、本当に毎回楽しくて、そして毎回言っていましたが、ぎゅうぎゅうと内容が詰まっていて、感想を書きづらかったです。先週もコンゴの事を書き忘れてしまったし、今回も閉会式の時に独立が決まって、その日が独立記念日だった国は何処だったかしら・・・。

だけど終わっちゃった。

「いだてん」、ありがとう。私も楽しく完走いたしました♡

 

ああだけど、ロスになっちゃいそうです。

さみしい~。

 

 

 

 

コメント (2)
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神宮外苑の銀杏並木と絵画館

2019-12-15 02:15:13 | お出掛け日記

書きそびれていた「お出掛け日記」、日にちを遡りつつ書いています。

 

12月5日に神宮外苑の絵画館に行ってまいりました。

もちろん銀杏並木の色づき状態に合わせてです。

2017年にここを訪れた時は、クリスマスマーケットや迎賓館特別公開狙いだったので(「迎賓館赤坂離宮」12月特別参観に行ってまいりました♪)、完全な冬枯れ風景だったのです。

その時の画像です。↓

本当は、冬枯れ状態でも結構美しいとは思っていたのですが、やはり色づいた一番の見頃もぜひ見たいと思いますよね。

そしてワクワクしながら、ここに着いた時、

「わーっ」と言う気持ちより「えーっ」と言う気持ちの方が、ほんのちょっと勝ってしまったかもしれません。こんな黄色なのと言う気持ち・・・・・(^_^;)

今年の紅葉は全体的にイマイチのような気がします。やはり二度の大きい台風や大雨が影響したのでしょうか。それとも先週は早くて週を開けたら終わってしまったとか。

どんぴしゃりな時に来るのは難しいものですね。

 

それでも青空と、銀杏並木の形に魅せられて何枚もの写真を撮ってしまいました。

少し同じような写真が続きます。

 

 

 

 

下の看板の画像は、2017年の撮ってあったものなんです。

その時から「あっ、あれ何 ?」と気になっていたのです。

その建物の外観と・・・・

 

中の扉に手前までは写真が撮れるので、写せる範囲で撮ってきました。

展示されている絵画は、皆同じ大きさでそして大作ばかりです。見ごたえもかなりありますが、絵画鑑賞と言うよりも、明治のお勉強をしているような気持ちになってしまいました。

少し変わった美術館ですが、見ごたえたっぷりありました。

下の画像は、その絵画館から撮った風景です。

真夜中なので、今はやりませんが、後から買ってきた絵葉書を載せておく予定です。

一枚は上の説明看板の右端に載っている「江戸城開城」の絵なのですが、西郷さんが描いてあります。

なぜそれを買ったのかと言うと、上野の西郷さん、近頃モデルは親戚の人だとか言われていて、まったく違うと言われているような・・・・・?

でもですね、その絵を見る限りでは非常に似ていて、やっぱり西郷さんはあれで良いのだと思えてきたのです。

 

今日の夜は「いだてん」ですね。

お出掛け日記の続きは、「いだてん」の感想の後に。

コメント (2)
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