森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

鳥のみちから守谷城址へ

2021-05-31 00:22:05 | お出掛け日記

・「「守谷☆野鳥のみち自然園」に行きました♪」

・「確かに尾瀬のような道が・・・♡」

の続きです。

「鳥のみち」エリアから城址公園に向かう私たち。

そしてまたそこに着くと、私は三度目の「ウワァ~」を言いました。

なぜって、入り口から空掘の深い谷が広がっているんですよ。

 

そこの谷間を歩いていると、丘の上から矢が降ってくるような妄想に駆られます。という事は、私はこの守谷城を攻める方の人ですね。

この城址は、地形のみで建物は何一つ残っていませんし、再建の何がしもありません。それでも、古の城を思い描くことが出来る素敵な場所だと思いました。

親切な説明の看板がたくさんありました。

下の画像は「御馬家台」と呼ばれる曲輪(くるわ)

 

曲輪って何かと言ったら

「曲輪は地面を削って平らにしたお城の一区画のことです。」

つまり二の丸も本丸も、その曲輪の一つになるわけですね。

詳しい事をお知りになりたい方はこちらなどが分かりやすいと思います。→【お城用語をわかりやすく解説 曲輪(くるわ)編】

 

もしも城を攻めるとなると、あらかじめ間者を放ち、地形図などを手に入れて綿密に策を練ると思うのですが、そこで間者などに裏切られてしまうと、大変な事が起きると思います。リサーチ無しで「さっぱりここ、分からないわ。」状態になった私たちのように。

 

けっこうお城好きなんです。

だけど今までは、建物に存在する工夫に感心することが多かったのです。だけどこの守谷城址は、繰り返してしまいますが、その城が既に無くても、城の工夫が伝わってくるような場所で、「良いなあ」と思えました。

二の丸跡から見下ろした風景。

そして本丸に向かう橋です。

そして、やっと本丸。

この時、既に午後1時半。

看板の後ろにある階段を上って行き本丸跡です。

ああ、やっと・・・・と思っても、写真などは撮りませんでした。

なぜって、ただの原っぱなので。

つい足元の花なんかをパシャリと。

ニガナ

 

森が大好きで、時々鉄ちゃん、野の花マニアで去年から蝶も好き。

お城好き、足が悪いのにウロウロ散歩している私。

満足がいっぱいの、初めての守谷散策でした。

 

でもね、私、いつもなんかあるんだな、これが。

後一回、つづきます。

 

 

 

 


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確かに尾瀬のような道が・・・♡

2021-05-30 14:23:00 | お出掛け日記

 

 

この記事は、「野鳥のみち自然園☆鳥のみち」、

「守谷☆野鳥のみち自然園」に行きました♪の続きです。

地元の人に教えてもらった通りに歩いて行くと「鳥のみち」エリアに来ました。

そこは新しく木道も整備されて、確かに尾瀬、または日光のような風景が広がっていたのです。

(『尾瀬』『日光』を愛するクラスタの皆様には、反論があるかもしれませんがお飲みこみくださいませ。m(__)m)

私はまたも、「うあぁ~♪♪」と声をあげてしまいました。

 

もうどこかに来たような気持ちになりました。

いや、確かに、既にどこかに来ているのです。

その「どこか」が、こんなに近い場所にあるなんて、思ってもみなかったのです。

バスや電車の待ち時間をまったく考えないとしたら、40分ぐらい・・・

だから1時間前後で行ける新たな大好きになりそうな場所を発見しました。

 

この木道を歩いている間、ずっと鳥の声が聞こえていました。歩いているだけで楽しい道でした。

友だちは・・・って、星子さんの事だけれど、彼女は「尾瀬に行きたいな。」と言うのだけれど、尾瀬って(今はどうなのかしら。)、山道登らなくちゃならないし、シーズン中はレミングスみたいに並んで、それを傍から見ると、それはそれで「ウワァ~」ってなりますよね。

「体力に自信がないわ。」と言うと、

「泊りで行くのよ。」と星子さん。

尾瀬の山小屋に泊まる・・・・・ああ、なんかそれも良いなあ・・・・

尾瀬に行ったのは、夜行日帰りと言うバスツアーで一回だけ。あの頃は体力もあって山道なんかホイホイと・・・。

ええと、えーっ、20年以上前よ、20年 !!

なんか嫌よねぇ。光陰矢の如しってさ。

あっ、でもこれ、記憶が昨日の事のように覚えているから、こういう感情になるって事よね。じゃ、まっ、良いか。

いや、別にこんな事を考えながら歩いていたわけではありません。尾瀬に泊まりで行きたいねと言う所までは本当ですが。

ただひたすらに、「わーい」「わーい」と歩いていたのです。

 

↑ オオカワヂシャとイボタノキ

↑アキグミ

「あれさぁ、食べられるんだよ。子供の時、食べたことがあるよ。」

ほんとに、ちょっぴりつまみ食いしたかったです。味を知っているからでしょうか。口の中に甘酸っぱい感覚が広がりました。たわわに実ってるのに、ここを管理する人も収穫するわけでもなさそうだし、鳥も食べきれないほど実っていたからです。

でも、それは思っただけ。

新しい木道からはちょっと離れているし、こういう場所は持ち込まない持ち帰らないが大原則だからです。(しかも何でも洗わないとダメな人だし、私^^)

「旧木道は取れたね、それ。」と星子さんが言いました。

旧木道はまさにそれを持ち上げて歩くようなので、たぶん昔はもう少し寛大だったのではないかなと思いました。

 

 

↑ タガラシ(なんと有毒性の植物ですって !?)

 

↑ エゾスズシロかスカシタゴボウ ? 隣ののっぽさんはセイヨウオオバコ

↓ 下のは、ハルジオンとアオスジアゲハ

ここは蝶の楽園でもありました。

ところどころに休憩所があります。

城址口まで来て、振り返って撮りました。

そこに腰かけて、蝶の群れが風に乗って戯れる風景や、鳥たちのさえずりに耳を澄まし、そのエリアに別れを告げたのでした。

下の短い動画から鳥のさえずりが聞こえ、たくさんの蝶が舞っている所を見る事が出来ると思います。

つづきます。

 

 

コメント (2)
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「守谷☆野鳥のみち自然園」に行きました♪

2021-05-29 12:43:22 | お出掛け日記

昨年の一番最初の緊急事態宣言の時、ルート君の仕事は一日おきに人を休ませていました。リモートで出来る仕事ではないので、人を減らしていたのですね。だけど休みと言っても、やたらと電話がかかって来て、休みとは言い難いものでしたが。(これを称してリモートと言うのかしら。)

それでもその時、江戸川や運河の岸辺を散歩したり、手賀沼の周りを散策しに行ったり、ずっと行きたかった吉田邸などに連れて行ってもらったりしたのです。(主に車があると便利な所)。そんな事をしていると、自然に次に行く所はないかしらとアンテナを張るようになってくると言うものでしょう。その時に、この「野鳥のみち自然園」が守谷にある事を知ったのです。

だけどそのうちに緊急事態宣言は解除。行きそびれましたが、それはそちらの方が何倍も良い事なので、何もマイナスな感想はないです。

ただいつか行ってみようかなと、漠然な気持ちが残っていたのです。

 

そして今年の緊急事態宣言ー。

いいえ、そのような宣言が出ていたから、そこに行ったのではありません。

でもちょっと思い出したのは確かです。

そして行きました。行ってみて、又思いました。

「私たちって、人のいない所を見つける得意じゃない?」って。

 

これって、昨年も「室の八嶋」に行きたくて、11月13日に行った時にも思いました。→「室の八嶋」に行ってきました。

今回も5人くらいのご婦人のグループ、ひとりで歩く年配のオジサン三人、道を教えてくれた地元の方、自転車に乗ってゆっくり走るおばあさんと、それを抜けずに自転車の後からのろのろとついて行く自動車とはすれ違いました。(笑)だけどそれだけです。ほとんど私と星子さんだけ。

ひとりでもいつか来たいと思っていたけれど、ひとりはちょっと止めた方が良いかと、私でも思いました。来るまで、全くイメージがつかめなかったのですが、来てみたら、思っていた以上に深い森と広い湿原が広がっていたからです。

あっそう言えば、城址の方にひとりで歩いていた女の人がいました。すれ違った人にひとり追加です^^

 

実はこの自然園、広すぎて一回来たぐらいでは、何が何だかと言う感じです。

是非また来たいと思ったのですが、今回はわけも分からずですが、通ったルート通りの写真日記にしたいと思います。詳しいルート解説は無しです。

 

つくばTXの守谷駅から初めて関鉄に乗りました。(ヒャッホ~~♡)

鉄っちゃんじゃないので、写真の腕がイマイチですが

 

 

 

南守谷駅で撮りました。

アーア、行っちゃったと見送ったら、向こうから反対側が入ってきました。

 

 

そして南守谷駅から10分歩かない所に入口がありました。もしかしたら、別の入口もあったのかも知れません。

 

 

ちょっと、ウワァ~となりました。朝、家を出る時には、ここまで鬱蒼とした森に来ることを想定していなかったのですから。ただ里山散策だと思ってはいたので、靴はトレッキングシューズを履いてきました。良かったです。雨の翌日でしたので、いろいろな意味で正解だと思いました。

まあまあな勾配のある山道を歩いて行くとホタル橋と言う所に出ました。

ちょっと趣を損なうシートで覆われていましたが、そのうち補修されて行くのではと思いました。

木が朽ちていて、ずぼっと嵌るよりは良いですものね。

ここを立ち去る時に、ご婦人たちのグループとすれ違ったのですが、背後で

「ここだと思うのだけど、名前がないから分からないわね。」と言う言葉が聞こえてきました。

お節介な私は、引き返して

「見辛いだけですよ。ほらここに。」と、名前が薄い文字で書かれた場所を教えてあげたい衝動に駆られましたが、チラッと私を見た星子さんの瞳が光ったような気がして、止めておきました。5人もいるんだから一人ぐらい気が付く人がいたかもしれないし、名前の確認が出来なくても、あっていたわけですから問題は無しってところですものね。それよりも私たちは、この花がドクダミか否かで話し合っていて、忙しかったのです(笑)

どう見てもドクダミですが、葉が知っているものと違うような気がしていたからです。でも結果ドクダミという事で落ち着きました。山歩きで、花に拘り過ぎると先には進めませんね。

でもそこで、モンシロチョウがやってきました。でも蝶は飛んでいる時は忙しくて、止まると羽を閉じてしまうので、またまた写真を撮るのは難しいです。

ちょっと進むと、あっという間に森を抜けてしまいました。次はどちらへなどと語り合いながら普通の生活道路のような所を歩いていたら、通りすがりの女性が、次にどうしたらいいのか道を教えてくれました。

「そしてそこの先を少し行って右に入ると、尾瀬のような道が続くから。」とその人が言いました。

「尾瀬のような道・・・」と言われて期待値が高まりました。

それよりもなお、その人が自慢げに言ったので、地元愛を感じてなんとなく私はほっこりとしたのです。

そして地元の人が自慢したくなる場所ですから、楽しみだなと思いました。

次に続きます。

 

下に閲覧注意の蛇の画像を貼りたいと思います。ニョロニョロ苦手な方はお気をつけて。あまり綺麗な画像ではないのですが、二匹で仲良く日向ぼっこをしていたのです。二匹で・・・。

可愛いなと、私は思いました^^

 

 

 


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「贋作・桜の森の満開の下」NODA・MAP

2021-05-28 00:45:52 | 観劇・コンサート日記

「あー、困った、困った」、読みたい本がいっぱいになってしまった!!

※       ※       ※

録画フォルダーの中に、やたらとお芝居が溜まって行ってしまうのですが、家に居て3時間に近い時間をテレビ前で費やすことに、兼業主婦業の者は、なにげに罪の意識を感じて、なかなかその録画消化が出来ないでいました。

だけど「終わりよければすべてよし」の感激に、その時間を作ろうと思い立ち、そして見たのがこの作品でした。

NODA・MAPのお芝居は、ストーリー的には決して分かり辛いという事はないのですが、実はその解釈は奥が深くしかも難解です。

思わず

「だんな~、これは自分勝手に解釈したっていいもんですかい ?」などと芝居がかって言ってみたくなるってもんでしょう。

 

WOWOWで放送されたものの録画でしたが、野田さんと出演者のインタビューもありました。

印象深かったのは、妻夫木さんの

「お客さんはすべては分からなかいかも知れませんが・・・・・」

と言う正直なコメントがあって、分からないかも知れないと言うのは前提なんだなと思いました。

だけどまた、

「最後になんでか分からないのに涙が出てとおっしゃる方も多く・・・・・」と言う言葉もあって、ああ、それは私の事だなと思いました。

なんでかよく分からないのに、涙が零れました。

見た作品は2018年に公演されたものです。

深津絵里演じた夜長姫は、無邪気な少女でありながら、実は鬼女。残酷です。だけどその言葉には何か大事な真実が語られているような気がするのです。鬼女ゆえの遠慮のない真実が。

雨に降られ、雨宿りで軒下に逃げ込んだ人が

「あー、困った困った」と言うけれど、その顔はちっとも困っていなくて、その状況を楽しんでいるような所があると彼女は言います。なるほど、そうかも知れないと単純に思ってしまうと、その先があるのです。

「人間は戦争も何々も何々の時も・・・」と続けていき、何か人がそっと蓋をして決してばらさない人類の暗部を、彼女はさりげなく語っていくのでした。

またオオアマ(天海祐希)と言う人物が出てきます。暗に大海人皇子を指しているのかもしれません。自分の国を得るために、鬼たちを我が軍門に付け、そして国の堺を定めるために殺戮を繰り返します。はっきり言って極悪人にしか見えません。でも彼には彼の正義があるのですよね。たとえヒダの王(野田秀樹)の気持ちをそぐために娘をかどわかした後に殺してしまったとしても・・・・。

考えてみたら国境と言うのは、人々の血で引かれているものかも知れませんね。

盗賊マナコに古田新太、早寝姫に門脇麦。皆魅力的です。

 

ところで、このお芝居の中で

「木の下には死体が埋まっている?」

「それは詩人の言葉だよ。」と言うくだりがありました。(セリフは不正確です。)

 

私は子供の頃から、この「桜の木の下には死体が埋まっている」と言う言葉が好きで、このブログ内でも最初の頃はたびたび出てきました。私はそれを漫画の引用のセリフで知ったのです。だから出典も知らず。だけど自分でパソコンを持つようになると検索するのが楽しくて、それが何に書かれていたのかを知りました。

ところが、この作品のタイトルを見て、またもすっかりと勘違いをしてしまいました。

この「桜の森の満開の下」と言うのは、坂口安吾の短編です。

そして「桜の木の下に死体が埋まっている。」と言うのは、梶井基次郎「桜の樹の下には」の冒頭だったのです。

でもある資料によれば、

「また『日本現代文学大事典 作品編』で「さくら」を引くと、「桜の森の満開の下」の項に、梶井基次郎の「桜の樹の下には」に触発されて書いたとあり。」

とあるのです。

そしてそれは短編でありながら、散文詩とも言われているのですって。

だからあの「それは詩人の言葉」に繋がるのですね。

 

昔、漫画家さんたちがたくさん本を読んだり勉強して、作品を生み出し、それを読んで私も多くの知識を得ました。

お芝居を見たり映画を見たりすることは、それに通じていることだなとしみじみと思いました。

 

因みに「桜の樹の下には」は青空文庫で読めます。→「桜の樹の下には」

 

 

 

 

・・・・・


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「扉はひらく いくたびも」-時代の証言者ー

2021-05-27 15:29:28 | ユーモレスクを聴きながら(book)

 

 

竹宮惠子氏の自伝です。

サラリと読めますが、内容が軽いからと言うわけではなく、インタビューによって書かれているからだと思いました。

なんとなく竹宮惠子氏は、こんな風に明るくちょっと早口で、さらっと話す方なのではないかと想像しました。

竹宮氏は2020年に退職するまで京都精華大学マンガ学部学部長であって、時には講義などもたくさんしてきたと思うので、彼女の話をじかに聞いてきた方も多数いらっしゃると思います。本当の所はどうなのでしょうか。

考えてみたら、あまり彼女をテレビなどのメディアで、今は見かけないかも知れませんね。

大学でのお仕事が忙しかったからだと思うのですが、これから先は分からない事だと思いました。

 

例えば「100分de名著」とかに。

でもそうすると、やっぱり竹宮惠子氏の場合は「風と木の詩」は欠かせない作品として語られるわけで、昔だったらちょっと難しいなと思われることでも、今なら自由に語り合えるかもしれませんね。

彼女が自負する新しい「扉を開けて来た」と言う部分は、彼女が自負していい部分だと確かに思うわけで、確かに同性愛のリアルな部分まで描き出していたのは、他の方でもいらっしゃったと思うのですが、ことのほか短編で、ここまで少女たちの支持を受けて長期で連載し、BLと言う新たなジャンルを作り上げたのは、彼女の功績が大きかったと思うのです。(文が長い !!(^_^;))

「ミッドナイトスワン」の感想の中でも書いたと思うのですが、私たち以下の年齢の女性には、あまりジェンダーの人たちに偏見がない人が多いのも(たぶん)、この時代の作品のブームが、その気質を産んだからだと思います。

竹宮惠子氏の好きな作品は多数あります。

ただ今は、それは語るのは止めておこうと思っています。

(中途半端になっている「私の漫画史」が復活したら書く予定。)

 

そう言えば、下に載せた本も買いました。この本を買ったから、ようやく録画したまま入りっぱなしになっている録画を消す事が出来ます。

でも私、「買って安心B型」なもんで、少々積読かも知れません。「一度きりの大泉の話」もまだ未読。

前書きの段階で、ちょっと気になる部分があって、一度読んだ「少年の名はジルベール」を先に読み直したい衝動にかられたのでした。その時、この新作であるこの本の事を知ったのです。レビューで同じような内容と思われた方もいらっしゃったようですが、ちょっと違うような気がしました。

続きは本の紹介の下です。

 

 

 

やはり「扉はひらく いくたびも」の方は、インタビューによって引き出されたものだからでしょうか。「少年の名はジルベール」の方が、赤裸々な感情が書き連ねてあったように思いました。「風と木の詩」が誕生してくるまでの、心の吐露ですから。

「扉は・・・」の方が、大泉サロン時代の事も、萩尾望都氏との蜜月時代から破局までサラリと淡々と語られています。それは人生のある時代として捉えられているからかも知れません。

その人生のある時代、嫉妬で苦しみ出口のないスランプで苦しんだ地獄のような時代だったのかもしれません。

でもだからこそ、その嫉妬の火を燃やし、傑作が生まれてきたのかも知れないと思うのです。

それは過ぎ去った過去の話ー。

確かにここまで歩んできた長い時代の一部の時間にすぎないのだと思います。

イヤ、でも、「秘密は封印された壺の中」の方が良かったのになと、心のどこかでそう思います。伝記を書くにあたっては、そこを隠して通過できない時代だったのだと思います。だけど、言葉にして残したら、二人の過去にそういう時代、そういう出来事、そういう気持ちがあった事が人々の記憶の中に永遠に続くからです。

 

だけど、話したからこそ次に進める事もあるのでしょう。

この伝記は、その一部の時代の事を多く語っているのではないからです。生い立ちから家族の事、そして大学での学部長時代の事など興味深いものになっています。

私は氏の多くの作品が未読です。

「紅にほふ」と「吾妻鏡」はぜひ読んでみたいと思います。

そして

また、この先、竹宮惠子氏には辛口の新作を書いていただきたいものだと思います。

 


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「終わりよければすべてよし」を見にいけました♪

2021-05-25 16:17:45 | 観劇・コンサート日記

「見にいけた。」とは微妙な書き方ですが、まさにその通りで、チケットを人任せにしてのんびりしていたら、完売との事で諦めていたお芝居でした。

だけどある日、ツイッターで「当日券は劇場で当日には買えません。」と言うような文字を読んで、記憶の底に沈んでいた「当日券」と言う言葉が浮上してきたのです。当日券は当日劇場で買えなくてもネットで数日前に購入すればいいのでした。だけどそのためにネットの会員になるのなら・・・・もしかしてB席とか残っているのではないかと思いました。

思った通りでした。

お芝居仲間が出来るという事は、時には感動共有と言う良い事があっても、時にはこのような席で悪いかななどと変な事に迷うのです。だけど、今回は迷わずに即、最近お芝居仲間になった方に連絡して、そのB席を買い求め22日に見に行ったのでした。

彩の国シェイクスピア・シリーズ37弾のこの作品で、1998年からスタートしたこのシリーズも終わりです。

問題作として、あまり上演されてこなかったこの作品をラストに持ってきたのは、やはりタイトルからだったのでしょうか。

23年の最後だなんて言われたら、見逃したくない想いも高まっていました。

だから私、本当に、見に行く事が出来て、本当に、あっ、二回も「本当に」と言ってしまいましたが、良かった~と思いました。

 

藤原竜也と石原さとみ、美しかったです。

ご一緒したお友達は「最後はハッピーエンドだと思っていたけれど、思っていた以上に綺麗なシーンに、癒され幸せな気持ちになった。」と言いました。

彼岸花の中のふたり、美しかったです。

確かに「終わりよければすべてよし」でした。

だけどその時、私などはじいいいいと魅入ってしまい、劇場内もシーンとしていました。

その後の鋼太郎さんの挨拶で皆さんの拍手が爆発しました。そして彼の挨拶と、このシリーズのラストを見届けたであろう蜷川さんのお写真に、思わず涙が出そうになりました。

 

物語は

『舞台はフランス。ルシヨンの若き伯爵バートラムと家臣のパローレスらは、病の床にあるフランス国王に伺候するためパリに向かう。バートラムの母ルシヨン伯爵夫人の庇護を受ける美しい孤児ヘレンはバートラムに想いを寄せているが、身分違いで打ち明けられない。

ヘレンは優れた医師の父から受け継いだ秘伝の処方箋で瀕死の国王を治療し、見返りに夫を選ぶ権利を与えられる。ヘレンはバートラムを指名するが、バートラムは貧乏医師の娘とは結婚しないと断固拒否、しかし国王に𠮟責されしぶしぶ承諾する。やむを得ず結婚したもののヘレンと初夜を共にする気のないバートラムは「自分の身に着けている指輪を手に入れ、自分の子を宿さなくては夫婦にならない」と手紙で宣言し、伊フィレンツェの戦役へ赴く。

ヘレンは巡礼の旅という口実のもと、彼を追ってフィレンツェへ。そこでキャピレット未亡人の家に身を寄せ、当地でバートラムが大きな戦功を上げたこと、そしてバートラムが未亡人の娘ダイアナに求愛していることを知る。ヘレンは真の妻となるためにダイアナとキャピレット未亡人に協力してもらい、ある計画を実行に移す…。』

 

 

私はあまり素直ではないのか、本音を言えば、物語の展開にはちょっとだけ心がざわめくものを感じたのでした。お芝居だから深く考えてはいけないなと思うのですが、リアルでこれは、この先上手くいくかなんて余計な事を思ってみたり・・・・本当に余計かも(笑)
これはもっと時代の背景とか知りたいなと思いました。
 
知恵ある美しき娘ヘレンにバートラムが選ばれた時、彼は狼狽し逃げ出してしまいます。
その時私の脳内に、「ポーの一族」のエドガーの「「ピアノ教師と準男爵は結婚できるのでしょうか?」と言うセリフを思い出してしまいました。
現代の感覚を、そこに持ち込んではダメなのですよね。
 
他の男たちは、国王の後ろ盾のある美しき娘に寛大でした。じゃあ、なぜバートラムはNOだったのでしょうか。
同じ屋敷内で暮らしていた、彼にとっては侍女以外の者ではなかったからでしょうか。
屋敷での別れの時も、そっけなかったし興味のない人だったのですよね。それに彼女を娶れば、持参金もなしで新たなる後ろ盾も生まれないのです。しかもまだまだ若くいろいろな夢を持っていたと言うのに、いきなり自分は景品にされてしまったようなものですからね・・・・・単純にダメ男とは言い難いものがありますよね。
だけど戦場近くで凱旋して戻ってくると、ちょっとかばいきれないダイアナとのあれやこれや・・・・。
 
この時代の男対女の駆け引き。女性の立場、そんな事が背景に描かれていたのかもしれません。
 
心に残ったのは、横田さん演じるパローレスの言葉です。
殺されても仕方がないようなシーンで許されると
 
「ああ良かった。」と彼は呟きます。すべてを失ってちっともいい事なんかないのです。
だけど「飲んで食べて、眠る事は出来そうだ。」
なんかジーンとしました。
「生きていれば生きていける。」だったかしら。既に不正確。
 
今と言う時代を生きる、私たちへのメッセージだったように私は感じました。
 
幸せな一日でした。
 
 
原作の本を買いました。
 

 

6月に入ってから届くので、読んだらまた感想を書くと思います。

 
 

  

 


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「池袋ウエストゲートパーク」

2021-05-24 13:30:17 | テレビ・ラジオ

ずっと見たかったドラマの「池袋ウエストゲートパーク」、長瀬智也「俺の家の話」繋がりで、惰性で入り続けているParaviで全作見られたので、5月はそれに嵌って見ていました。(この記事は敬称略で書かせていただきます。)

このドラマは2000年4月期の作品であって、登場人物がみな若くて、それだけでもうなんとなく楽しいです。(2000年当時、このドラマは未見でした。)

と、言いましても、21年も経っていると言うのに、さすがの俳優さんと女優さん、メチャクチャ老けたと言う方は居ないと言うのも凄いなと思いました。

クドカンのシナリオで、チーフ演出は堤幸彦、そして長瀬智也主演。

私的には毎回面白いに決まってて、これといって感想はないです。

 

このドラマの原作の感想は→『池袋ウエストゲートパーク』を読みました。

上の記事の中で、私は既にこのドラマへの熱いラブコールを送っていました。

>読み終わってから、ドラマの事を調べたのですが、クドカンシナリオの、またキャストが今からの視点で見ればチョーが付くほどのリッチさ(主演長瀬智也・窪塚洋介・山下智久・坂口憲二・佐藤隆太・阿部サダヲ・妻夫木聡・高橋一生など)でファンも多かったと思います。ああ、今からでも見たいです。

この本を読んでからも、既に3年が過ぎてしまっていたのですね。

この本を読み終わった時の誠は、私の中では長瀬智也ではなかった。だけど、今はやっぱりこのインパクトのあるドラマのせいで、本の続編を読んだ時、きっと私は、このドラマの配役の人のイメージに縛られてしまうのではないかと思います。

Paraviは時々、凄く役にたっています♡

 

 

 

 

・・・・


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ずっと好きだった「おちょやん」

2021-05-23 18:11:54 | テレビ・ラジオ

朝ドラは最低でも最終回一回は感想を書き続けてきたので、なんか書かないと宿題をやっていないような気持ちになってきています。

 

既に「おかえりモネ」という新作がスタートしていて、スローテンポでありながら、実はその中身がぎゅうぎゅうに積み込まれている、その作品に毎朝癒されています。

「おちょやん」は、確かに癒されたりその日を頑張ろうとすぐに励まされたりするドラマであったかと言われたら、私的には違ったような気がします。

だけど毎朝面白かったのです。時には何気ないシーンで涙しながら、または笑いながら見続けてきました。

そんな「おちょやん」の総集編は、

6月19日(土) 総合で前編は午後3時05分から4時35分まで。後編は4時35分から6時までです。

BS4Kは7月3日(土)。←微妙に不親切

 

「おちょやん」は初回から最終回まで、本当に好きでした。道頓堀の芝居茶屋「岡安」の女中時代、京都の「シネマ・カフェ」の女給時代、撮影所の大部屋時代に、再び道頓堀に戻って来てからの鶴亀家庭劇時代。どの時代も面白くて、舞台の中心が移って行くことが寂しくも感じました。あっ、忘れてはいけませんね。山村千鳥一座時代も面白かったですよね~♪

どの時代も懐かしいです。

たった半年のドラマの中でも、その人の半生を描けば、多くの人と知り合って触れ合って、そして別れていく・・・・

しみじみとしみじみと致します。

 

半年にわたってのドラマの感想を一回で書くと言うのは、無理と言うものだと思います。

だから一番印象に残った事を言うと、やはり撮影所時代からずっと届き始めていた花かごのエピソードだったかもしれません。心の中では「紫の薔薇の人」と言っていました(笑)

女優になれば、生き別れになった弟のヨシヲが訪ねて来てくれるかもしれないと千代は思っていました。だけどその花かごの人は彼ではありませんでした。千代と別れた後のヨシヲの人生は千代よりもさらに過酷なものでしたね。千代はとりあえずは、「岡安」と言うちゃんとした場所を与えられました。でもヨシヲは家庭とは言えない最低な場所から、子供であったのに逃げ出し、あまり良い人とは思われない人に拾われて育ったのでした。

千代はずっとヨシヲを思っていたのに、女優になった千代を知って、ヨシヲは自分を捨てた者として恨んでいたのでした。切ないお話でしたが、再会し別れた後に、ヨシヲはヨシヲで千代を想って生きていたのだと知り嬉しかったけれど、再びの再会は不可能な事になった事も同時に知り、それは悲しかったですね。

そしてまた花かごの事ですが、その花かごは、私は最初、千代が全く念頭にも置いてなかった、腹違いの姉妹か兄弟なのではないかと思っていました。

それが、まさかまさかの栗子さん。

私はこの人を、千代を家から追い出すきっかけになった、完全なるダークな脇キャラなのだと思い込んでいて、記憶の中から消え去っていました。

この人も、朝ドラ史上一番のぶっ飛び父親のテルヲの犠牲者だったのですね。

彼女も借金ばかり作っていくテルヲから逃げ出し、生まれた子供のために何でもやって生きてきた人だったのです。自分の子供が生まれて、そして彼女は母の心を知ったのでした。彼女の口からなつこうとしていてくれたヨシヲの名前が出なかった事は寂しかったのですが、それでも彼女はずっと千代を応援してくれていたのです。

母を早くに亡くし、父は父と言う名前の「試練」でした。ヨシヲとも別れ、千代の家族は一家離散。

だけどそれでも、この物語は家族の物語でしたね。

「岡安」から「岡福」へ。その家族はみな千代にとっても家族でした。家庭劇の劇団たちも家族のようなもの。ラジオの「お父さんはお人よし」の物語の家族も千代の家族のようなもの。千代はいつの間にか大家族のおかあちゃんになっていたのです。

 

千代の鶴亀新喜劇でのラスト舞台。

それが最終回だったわけですが、本当に心に残りましたね。

千代のセリフ。

「生きるっていうのは、本当にしんどうて、おもろいなぁ。」

「あの時・・・・ならば」

と言うのは、本当に考えても仕方がない事。

「今ある人生、それがすべてですなあ。」

 

本当に !!!

 

最終回のOPで、トータス松本の名前が出ました。あれっ、(写真)じゃないの?

と思いました。あの舞台の上から、千代が見たお母さん、お父さん、テルヲの姿に本当に泣けました。

あれは、ちょっといきな計らいだったと思いました。

 

それから

「あの時あなたと別れたから、新しい出会いがあった。」と言うセリフ。

何も夫や恋人ばかりではなく、友だちとか・・・・・私には凄く胸に迫ってくる言葉だったように思います。

 

実はこの記事、一回完全に消えてしまって、復旧しませんでした。私の時間を返してよと、凄く不愉快になりましたが、内容をまったく変えて書き直しました。「書くな」という事だったのかなと、勝手に解釈しました。

だけど消えてしまった内容の主旨だけ言うと、私は以前は杉咲花さんが苦手でした。だけど彼女がたくさんのドラマや映画に出てくることが多くなってきた時、私には分からない彼女の良さが、使い手の方々にははっきりわかるのだなと、食わず嫌いは止めようと思い始めていたのです。

やっぱり半年見続ける朝ドラの影響は大きいです。

彼女の一つのセリフの中に現れる、太い細い消え入るようなスゥと言う声の使い分けに、私は徐々に魅せられていき、このドラマを見始めた時から三倍彼女が好きになりました。

だけど夫が最初の頃、彼女の声が煩いと言われていると教えてくれました。聞き取り辛いと言うご意見も拝読しました。

 

「万人」に愛されると言うのは、至難の業という事なのだとしみじみと思いました。

 

だけど私は大好きで、「ロス」になるのではと心配しましたが、とりあえずは「おかえりモネ」に助けられています。

追: トータス松本さんは、あんな憎たらしいお父さんを演じられて大したものだと感心しましたし、成田凌さんは、全く女にだらしがない情けがないなと思う一平役だったけれど、今まであまり注目してなかった人だったので、寧ろ気になる人になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 


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若気の至り40周年

2021-05-21 02:20:48 | 家族スナップ

星野源さん、新垣結衣さん、ご婚約おめでとうございます。

(結婚が決まったと言うので、「婚約」で良いのかしら。)

嬉しいお知らせに、心も明るくなりますね♪

 

ところで、これは我が家のお話です。つい先日、私は夫殿に言いました。

「16日は結婚記念日だ。なんと40年だ。」

私は女の家で育ったものだから、意外とプチイベントみたいなのは好きなんです。だけど、彼は気持ちが悪いほどそういうのがダメな人。気持ちが悪いと言う所に、ちょっと私の深層の感情が滲み出たかしら (笑)

いろいろと合わない。

なぜこのような人と結婚なんかしちゃったんだろうかと、時々思い出したようにグチグチ思いながらも40年が過ぎたのだと思います。案の定、この時も

「何か遠い昔にそんな事もあったなぁ。」と彼。

「うん、そうね。その前に4年も付き合ってるんだから、44年の腐れ縁よね。」と私。

だいたい結婚なんか、たいがいほとんど、若気の至りってなもんじゃないの ?

 

17日の食卓で。

最近、私はチジミを作るのが好きで、一つ目のメニューはそれに決まっていたのだけれど、もう一品は八宝菜にしたんです。とにかく我が家は時短が大切で、いつもは八宝菜はためらわずに「Cook Do」を使います。だけどその日は違うものを使ったのです。いわゆる白菜があれば出来ますよってなやつです。でもそういうのは好きじゃなくて、そこにいろいろと足したのですが、量が多くなってしまったので、味が薄くなるかと中華ダシをほんのちょっと足したんです。

するとですね、夫殿。私が巷で少し前まで話題になっていた「うっせいわ」と言う歌を歌いたくなるくらい煩かったんです。

「いつもの味じゃない。」とか「うちはCook Doで問題ないんだ。変える必要はないだろ。」とか「なんか変だ。」とか。

「じゃあ、食べなきゃいいじゃん。」と言うと、

「いや、まずいとは言ってない。美味しくないと言ってるんだ。ナッ、ルート?」

と、そこにルート君まで巻き込んで・・・しかも彼も

「うん、いつもの味じゃないな。なんかね、あとにクスリ臭さが残るんだよ。なんだっけなこの味・・・。」

ああ、ちょっとだけ足した中華ダシの味じゃないかなと、私は思いました。だけど

「ほらっ、俺だけ言ってるんじゃないんだから、本当に美味しくはないんだ。」と夫。

なんか💢ーっとくるじゃん!!

「君たち煩いよ!! もう卵かけごはんか何か食べて、チャッチャと食事を終わらせて食卓を離れなさいよ。」

と切れると、

「いや、俺は食う。」とルート君。

「だからまずいとは言ってないだろ。美味しくないと言ってるだけだから、食べるよ。」と夫。

やっぱりこやつは、しつこい !!

「あっ、そうだ、ルート君。こんなこと言ってるけれど、私たち40年も夫婦をやってます。(一応)仲が悪いって言うわけじゃないのよ。」

と、急に私は言いました。ルート君も、もうおっさんの入口の人。だから教育的にと言うのは当てはまらないかも知れませんが、やっぱり一応子供の前で、このような会話もないものだと思ってフォローすると、

「知ってるよ。オレだって30年も見続けてきたわけだから。本当に仲が悪かったら口もきかないだろう。」と彼は言いました。

「へー。ふーん。」と私。この「へー。」「ふーん。」の間に頭の中で言葉が二つほどすっ飛び、いきなり私は夫殿に言いました。

「じゃあ、もうこれからはあまり口を利かない事にしよう。」

流石に、言葉がスッとんで微妙に話題が変わる事には、慣れているらしいー。

普通に会話が続きます。

「お前にそんな事が出来るわけがないだろう。」などと言うので

「それはあなたじゃないの?」言い返す。

「いや、お前だ。人が風呂掃除に行こうとすると、きっとこの先ドラマはこうなるああなるとか、犯人は誰かとか語りだすじゃないか。」

別に聞かなきゃ良いじゃんねぇ。

「いや、あなたこそ、人がトイレに行ってドアノブに手をかけてると言うのに、ずっと話の続きが背中の方から聞こえてくるってどういう事 ?」

 

と、その時ルート君。

「この煩さの中、食事が終了しました。」

 

実は我が家、別にルート君が言うような理由じゃないけれど、食事中にはあまりお喋りはしない食卓なんです。

なんだかみんなパクパクほとんど無言で食べてます。

それに、上に書いたことでは、ちょっと夫殿に申し訳ないので、ひとつだけ彼の良い所を言うと、食事が美味しかった時、ほとんど必ず「旨かった~!」と言って席を立つんです。

これ、私はとっても大事な事だと思っているんです。逆に「ごちそうさま」だけ言ってサッサと席を立つとき、まずくはないが美味しくはなかったという事なんだなと、私は思います。

ちゃんとそう思っているのに、言葉に出されると、グーで殴りたくなりますよね^^

 

この記事、食事係が女性であるような前提になっているかのようですが、別にそうではありません。私は6人家族の女が5人と言う家に育ち、高校も女子高でした。ゆえに男女平等意識がとっても高いんです。

今私は1週間に数時間しか働いてないので、家事全般は私の仕事だと思っているだけです。

だから

「あなたが完全定年になって家に居るようになったら、お食事係は当番制にしましょうね。」などと、私は言います。

どうもそれが嫌なようで

「俺は死ぬまで働く。いや働けたらだけどさ。」と夫は言います。

「うん。働いてくださいね、私の為に。」と何気に憎たらしい事を言う私。

仕方がないですね。このような私と結婚してしまったのは、彼の若気の至りってなものですから。

 

と言うわけで、「若気の至り40周年」は無事に通過しました♪

 

 

 

 

 

 

 

コメント (6)
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さらばでござります

2021-05-19 10:21:51 | 同じ時代の船に乗る

 

【田村正和さん、芸に生き、芸に死す“ダンディー”貫いた77年】
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20210519-0066

 

※      ※      ※

昨夜の午後9時過ぎ、バイトが終わって外に出た所で友達から受け取るものがありました。だけど外は雨で彼女の姿もまだ見えなかったので、何か連絡が入っているかとスマホを開けると、田村正和さんの訃報のニュースがそこに表示されていました。驚く間もなく、そこに友だちがやってきました。だけど彼女の開口一番は「今9時のニュースで・・・・!」でした。

ほんのわずかな時間でしたが、二人で一緒に歩きながら、そのショックな気持ちを語り合いました。

「好きだったな。」「かっこ良かったものね。」「スパッと引退しちゃったのも、彼らしかったよね。」

だけど、昨日の夜、彼関連の記事などを読んでいたら、(そしていつも最後は)ウキペディアに依れば、それは正確な事ではなかったのだと、今頃知りました。

2018年の雑誌のインタビューで

《これが俳優業からの引退を示唆するかの様なコメントだったことから、一部のマスコミで引退宣言などと報道された。一方田村とは旧知の仲である八木靖夫が、伴一彦らとの対談で田村について「確かにやり切ったとは感じている様だが、報道の内容は正確なものではなく、田村自身は一言も引退とは言っていない、また今後絶対に何かに出演しないと言っている訳でも無い。今の田村と何か新しい作品をやりたい。」と話していた・・》

しかしながら、そのインタビューの前に放送された「眠狂四郎 The Final」が出演最後になり、あながちその報道を信じて引退していたと思っていた、私のような人が多数いても不思議はない事だったなと思いました。

 

私は彼がブラウン管に登場したころから、姉と二人でかなり彼を好きだったんです。その頃は、もちろん私も姉も子供です。そして彼も主役ではありません。ちょっと申し訳ない事を言うようですが、彼の一種独特な語り方は、最初は時々何を言っているのか分からないほど聞き取り辛かったのです(私的には)。だけどそれが「個性」と言うものなのだと言う説得力がありました。それにもまして、彼は美しかったのです。

元々俳優さんを追いかけるタイプではなかったので、コアなファンではありませんでしたが、意外と次回作などを楽しみに見ていたと思います。

若い頃の私は、必殺シリーズなどの分かりやすい痛快娯楽作品が好きだったので、けっして私好みではなかったと思うのですが、「眠狂四郎」「乾いて候」なんかも、ちょっと無理して見ていたような気もします。(今ならまったく無理ではありません♪)

きっと彼がニヒルで美しくカッコいい役だけの人だったら、たぶん私は飽きてしまったと思うのですが、やっぱり彼の役者魂が「若さま侍捕物帳」の若様のような役をやり、更に「うちの子にかぎって」のような三枚目の役もこなせる人なのだと分かってから、本当に彼の事が好きになりました。

田村さん自身が好きだったと言う作品、「ニューヨーク恋物語」は、1988年の作品で、わたしは子育て真っ最中で、まったく知りません。

追悼でCSのどこかで放送して頂きたいものです。「若さま捕物帳」も。

だけど追悼で一挙放送するとしたら、それはやっぱり「古畑任三郎」になってしまうのだと思います。

 

子供も大好きで、家族一緒にテレビを見たと言う、幸せな時間を作ってくれた「古畑任三郎」。

芸能関係にまったく興味のないラッタさんも、田村正和さんの訃報に、ツイッターで「マジか」と反応していました。

彼自身の中でもいろいろな思い入れがあったと思います。

 

幅広いファン層を持っていた、田村さんのご冥福をお祈りいたします。

 

 

※ 言ってもせんもない事ですが、引退してなかったのなら。田村さんにはチョーカッコいいシニアを演じてもらいたかったです。老いると言うのは、ただ年齢が重なるだけ。こんなにかっこよく生きられるんだよみたいな、そんな人を演じてもらいたかったです。

 

 

コメント (2)
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