森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

チャムルジャの丘と可愛い猫さん

2019-10-28 17:14:59 | トルコ旅行記

バザールでございます。その2」はグランドバザールに行って、ガラタ橋にあるレストランでランチのお話。

お話の流れで、次は「ガドキョイ」と言う街の散策日記を書こうかと思っていましたが、やはりここは時間の流れで書く事にしました。

6月に行ったトルコの旅行記を長々と書いているので、「忘れる」と言う事があっても然るべきことだと思います。しかしこの程度の時間で忘れてしまう事などは、むしろまったく要らない記憶と言えると思うのですね。

ところが時間が経ってくると、一緒くたにあるイメージの中に放り込まれると言う事があるのだなと、最近新たなる認識をしました。

この15日の観光は、トルコ観光の最終日であったが故なのでしょうか。

今思い起こすと、なぜか皆夕方のイメージがします。

イスティックラル通りで8時半、ガラタ塔で9時、グランドバザールで11時半、海辺のレストランが13時。

それなのにです。

早朝からの行動、ガラタ塔での充実、室内でのグランドバザール、ちょっと薄暗い写真ばかりが撮れたレストラン画像、そんな事も夕方イメージに影響していたかも知れません。

でも私は、やはり長い旅行の最終日だったと言うのが一番の理由の様な気がするのです。

そして私は、自覚なくかなり疲れていたのでした。

 

お食事後、私たちは「チャムルジャの丘」に向かいました。

その場所は、イスタンブールで一番標高が高く、そこからはイスタンブールの街が360度見回す事が出来るのです。

叶わない事ですが、ここには夜来るのがベストなのだそうですね。

なんとなく分かりますね。夜景がとっても綺麗だと思います。

 

 

 

整備された公園で花たちもイキイキと咲き、多くの人がこの場所を訪れて風景などに癒されていました。

ガラタ塔の展望バルコニーでもイスタンブールの街をグルリと見渡す事が出来ました。

ただこの場所との違いは「遠近」だと思いました。ガラタ塔から見た風景は近く、そしてチャムルジャの丘から見た風景は遠い・・・・

画像はイマイチなのですが、その美しい風景に何枚もまた写真を撮ってしまいました。

と、そこに猫さん登場。

猫さんが現れたら、私は写真を撮ります。お約束っ ♪ (14:44)

トボトボ

うん?

何か、用 ?

「そんなに直視されたら、キュンってなってしまうじゃないの ♡」

でも猫さんはそのまま行ってしまいました。

 

チャムルジャの丘では、いくつかの絶景撮影ポイントがあるようです。場所を変えつつ写真を撮りながら、その風景を堪能しました。

 

そしてカラスさん、発見 !

いやいや、「発見」などと大袈裟な。この丘にはたくさんいました。また、カラスさんは日本の真っ黒クロスケとは違いますね。

そう言えばインドでも違う色のカラスを見ました。

オレンジ色に染まる朝霧の中で/早朝のタージ・マハル

世界には130種類のカラスがいるのだそうですね。

 

再び猫さん発見。なんと先程の猫さんではないですか。(15:10)

そんな半端な所で何をしているのかしら。

―あれっ?

さっきの人だ !?―

―だから何かしらって言ってるでしょう !―

「ううう。ゴメンね。何かをあげたくても何にもないの。」

ー 別に何かをねだってなんかないじゃん。ー

そんな風に言われたような気がしました。

 

顔の表情が豊かな可愛い猫ちゃんでした。

 

トルコでは本当に行く先々で猫さんと出会い癒されました。

だけど私は変な所で神経質で、きっと触らせてくれたであろう猫さんたちにも、ノータッチを貫きました。

あの忘れられないカッパドキアの猫ちゃんにもです。

心配過剰だと言われたらそうかなと思いますが、猫の病気にはまったく詳しくないので、もし万が一にも外国の猫の病気を人間の私が介して我が家に運び入れたら嫌だと思っていたからです。

 

たくさんの猫さんを見てきたにもかかわらず、その頃の私はちょっとモフモフ禁断症が出ていたかも知れません。

まったく違うのに、我が家のももちゃんに見えてきてしまいました。↓

トルコの猫はこれで見納めでした。

ありがとうね、トルコ猫たち♡♡

「チャムルジャの丘」は、私の中では横浜の「港の見える丘公園」のような感じで、滞在している時は、風景が美しいな~と感動しながらも、別に来なくても良かったように思っていました。

だけどこのように、想い出を整理し見返してみると、ちょっと痩せっぽちの可愛い猫さんとの出会いや、

イマイチの画像であっても、その風景の美しさを思い出し、なかなかいい場所だったのねぇとしみじみと思い直したのでした。

バイバイ。イスタンブールの遠き街並み。

 

そして次は最後の観光場所である「ガドキョイ」へ。

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バザールでございます。その2

2019-10-27 02:43:11 | トルコ旅行記

※ 『「バザール」と言うと、「バザールでござーる」って言いたくなりませんか。でもそれは、ダメだろって事で、タイトルはささやかな抵抗でござーる。』

ってなことを、「バザールでございます。その1」

で言っていましたが、これは「その2」、

《海辺のレストランとグランドバザール》です。

 

時系列で言うと、ガラタ塔の後にグランドバザールに行き、そこからこのレストランに行きました。先にレストランの事を書こうとしているのかと言うと、トップ画像に載せる写真が縦なのか横なのかの問題でそうなったのですね。

ガラタ橋の下にある、ちょっとお洒落なレストラン。

 

 

トルコの朝のビュッフェ以外では、ここでのお料理が一番美味しかったように思いました。

カッパドキアでのお魚の料理も美味しかったし、なにげにトルコはお魚料理が口にあったのかも知れませんね。

考えてみれば、食材で嫌いなものはあまりない私ですが、お肉の中では一番豚さんがなじみが深いと言うか、食べやすいと言うか、つまり好きなんですね。それがこの10日間、まったくなかったものですから、お肉に関してはちょっと辛いものがあったかも知れません。

 

星子さんが、このお店が美味しかった以外に気に入った理由。

このツアーではお食事は全部コミコミなのですが、飲み物だけは毎回別に頼んで、その時にお支払いをするのです。

そのお金の集金を、いつも食事の最中に来るのです。

自分の手が空いた時に来るんだなと私は思っていたのですが、星子さんはスープを飲んでいようがメインディッシュなどを食べていようが来るその集金を嫌っていました。でもここでは、ほぼ食事が終わったであろう頃を見計らってきたのです。日本では当たり前の事を求めてはいけないのかも知れませんが、やはり感じのいいタイミングと言うのはありますよね。

 

 

ここのサバ、さっぱりしていながらふっくらとしていて本当に美味しかったです。飲み物もトルコ珈琲以外は水を頼む事が多かったのですが、ここで初めて炭酸水を頼んでみました。

その時、炭酸水をずっと苦手だと思っていたのは大きな間違いであったことが分かりました。

この夏、私は炭酸水をたくさん飲みました。このトルコで「飲んでみよう」と言うチャレンジをしたお蔭だと思っています。

 

この時星子さんが言いました。

「ここで美味しいサバを食べられたから、もう満足だわ。」

私は黙ってにっこりと笑いました。

だけど心の中では

「そりゃ、違うでしょ。」とにやりと笑っていたのです。

このお話の続きは、次の記事でね ♪

 

ガラタ橋の上には釣り人が何人もいます。テレビなどでこの場所を紹介したものを、後から見たのですが、もっとたくさんの釣り人がいました。時間にも寄るのかも知れませんが、この日は少ない方だったかもしれません。

 

そして私たちは次の場所に向かったのでした。

と、ここで時間を遡って、お食事の前にグランドバザールに行ったお話です。

グランドバザールはとっても大きくて、私なんかだとひとりで行ったら絶対に迷ってしまうと思います。

で、お約束のように時間が短いのです。

この門の前で説明をし、そして集合場所までガイドさんは案内してくれましたが、歩いて5分と言う感じではなかったですよ。速足で戻ったから5分で戻れたかもしれませんが、ガイドさんが案内してくれたカラスミのお店やその二階の綺麗な店舗で買い物をする人も多かったみたいです。

バスの集合場所の案内は絶対に必要な事でしたが、このカラスミのお店の前と言うのは、ガイドさんが仕掛けた罠ではないかと、私はひそかに疑ってしまいました。

 

だけどこの日は、お買い物時間が短いのは仕方がない事でした。空港に行くまでに目いっぱいの観光スケジュールを、このガイドさんは組んでくれたのですよね。有り難い事だと思いました。

が、やはりそう思っても、やっぱりバザールではもっと時間が欲しかったと思っています。

ただそれだけで、またイスタンブールには来たいと思ってしまったのでした。

思えば、それこそがこのガイドさんの仕掛けた罠だったのかも知れませんね。

 

買いたかったお土産の数は、前日までに相当揃えておいたのですが、あと少しだけ足りないと思っていました。

買うものも決めてあったので、ここでは雰囲気だけでも楽しめればいいかなと思いました。

それなのにまたも自分の家用にタイルを買ってしまいました。

ランプとかももっとゆっくり見たかったのですが、まあ、そこはきっぱりと諦める事が大事。

短い時間ですが、グランドバザールは楽しかったです。

 

 

 

 

h 

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相棒18 第3話「少女」

2019-10-25 00:38:39 | ドラマ(相棒)

水曜日はちょっとバタバタしていてゆっくり見る事が出来ず、あまり感情移入してみる事が出来なかったので、翌日、見逃し配信で見直してみました。

1回目よりもやはり落ち着いて見た2回目の方が、良いお話に感じました。

今時の子役は、本当に素晴らしいですね。この物語は、犯人と一緒に逃げた少女の寂し気な表情と、そして再び彼女の中の止まっていた時間が動き出した時に見せた笑顔の愛らしさに、すべてがかかっていたと言っても過言ではなかったと思いました。

「そう、嘘だったのですよ。」と右京が語った、妹の嘘の話。

それは本当に悲しい嘘でしたね。

命がこんな風に、唐突に終わるとは誰も思っていなかった・・・・・・・。

その幼き妹自身も。だから凄く重い嘘だけれど、その嘘をついてしまったのですね。

右京は相手が少女ゆえに簡単に言いました。

「かまって欲しくて。」と。

 

本当は妹の心のうちには、幼きゆえに言葉での思考はないものの、もっと複雑なものがあったように思いました。優しくて大好きなお姉ちゃん。だけど明るい顔をして、自分を置いて行くお姉ちゃん。母もそんな姉にする世話は、出掛ける為の手伝いで、自分には決してない事。そんな姉に近づきたくて、せめてベッドから起き上がろうとしても上手くいかず、母から厳しく叱責されてしまう。

だからちょっとついてしまった嘘。

 

だけど命は続いて行くと思っていたから、

「あれ、本当は嘘だったの。」

「なんでそんな嘘をついたの。」

「だって私、寂しかったんだもん。」

いつか種明かしをする日は普通に来ると思っていたはずだと思うのです。

 

最近、ツイッターではドラマの感想を読まないのですが、遅れついでに読んでみたら、かなり高評価で泣いたと言う人も多数。

なるほどなあと思いました。ある視点に蓋をして、タイトル通りに「少女」に標準を合わせて物語を見れば、なかなかの良いお話ですよね。

犯人の人も最終的には殺人犯にはならず、セーフと言う所で、悲しみと苦しさから立ち直って明るい未来を感じさせたのも良かったですね。

 

だけどある視点と言うのは、お母さんの事です。

娘を病気で亡くしても、それだけで彼女の時計だって止まってしまっているかもしれない悲しみのはずなのに、娘が付いた嘘の内容、お姉ちゃんが攻め立てた、「いつも疲れたとばかり言っていた。妹を放っておいて仕事にばかり行っていた。」

それ、結構厳しすぎますよ~。

母なるもの、娘であると言うだけですべてを許すものなりと言う母性神話でもあるのでしょうかね。

 

まあいいか、難しく考えなくても。

ドラマなんだからね。

 

とりあえず鑑識の益子さんの猫の名前はメイ。可愛い猫ちゃんでしたね。

少女に渡すはずだったかりんとうは特命係の物になりましたとさ。

 

ああ、そう言えばついでなのですが「科捜研の女」。

爆薬の液体が体にかかっても爆発するとか、一話目でそんな話が出て来たじゃないですか。

そしてラストで、蒲原にかかってしまうじゃないですか。その後爆発シーンで終わって次週に続くになりました・・・・。

「えっー!? この人レギュラー降板だったの~?」と変な反応ながら吃驚しました。

「科捜研の女」って、いつもはあまり真剣には見ない私でしたが、今回の放送は「どうなったの ?」と最初から興味津々で見ましたが、

「大丈夫。あの液体は何々で大丈夫だ !」であっという間にそれに関しては無事解決。

言うなれば「つり」と言うやつですね。

しっかりつられてしまいました(^_^;)

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ガラタ塔ふた回り

2019-10-22 01:17:42 | トルコ旅行記

「イスティクラル通り」を後にして、「ガラタ塔」に移動しました。

この日が早朝からの行動だったのは、ここに来て良く分かりました。ガラタ塔に着いたのは、午前9時だったのですが、すでにここは人がいっぱいいたのです。レストランに居た人たちは、モーニングを食べていたのでしょう。

とっても賑やかでそしてお洒落な感じがしました。

でも写真が無いなあと思って考えてみたら、外国の人だからと言って無遠慮にカメラを向けるわけもなく、人は避けてこのような写真を撮っていたのでした。

 なんだかさっぱり分かりませんね(^_^;)

本当のことを言うと、たぶん肉体的にはそうとう限界が来ていた私。

おまけに昨晩にちょっといろいろあって・・・・・・

いや、それはくだらない話なのですが、とにかく睡眠不足と、それに加え朝飲む薬さえもトランクに入れてバスに積み込んでしまったのです。普段はあまり薬のありがたさを実感してなかった私ですが、今回は嫌と言うほど実感せざるを得ない状況になってしまった最終日だったのでした。

そんな事も関係があったのでしょうか。

今思うと、ブログ的に必要な写真枚数が少なかったのでした。

入口です。少々並びました。

エレベーターで上に上がって行くと、展望台になっているバルコニーに出る出入口がレストランの中にあります。

気持ち的にはレストランでお茶をと言う気分ではありましたが、それだとこれ以下に載せた風景を堪能は出来なかったと思います。

イスタンブールの街が一望できるのです。

ぐるりと回る展望バルコニーはぎゅうぎゅうの混み様でした。

狭いうえに、絶景ポイントをゲットした人たちが動かないからです。

そこをすみませんすみませんと、回って行くのですが、ぎゅうぎゅうの所を廻って行く割には、なんだか人とのわずかな触れ合い譲り合いもイイ感じがしたような気がしています。

なぜならブログには載せられませんが、星子さんと二人で並んで撮ってもらった写真は、皆余裕でこの場所を楽しんでいたように写っていたからです。添乗員さんにも撮ってもらいましたが、この場所の警備の人にも撮ってもらいました。そう言えば仲の良い韓国のカップルの写真も撮ってあげたかも・・・・・? ←ちょっと記憶が薄い。

 

 

ぐるりと回った風景です。

「あっ、ここよね、入り口だったところ。」と言うと、もっと先よと、私の後ろに居た人たちが言いました。

「あらッ、そうだった ?」と先を行くと、やっぱりそこだったみたいで、だけど逆回りは出来ないのでまた1周してきました。

さっき写真を撮ってくれた人、すれ違って微笑みをかわした人などとも、よもやの再会 !!

ちょっとばっかし照れ臭かったけれど、もう一度この風景を堪能出来て、それはそれで良かったかなと思いました。←ポジティブ思考なんで^^

 

下る時、エレベータ前で並ぼうとした私に、階段で降りようと星子さんが誘ってくれました。

「なんだ~!? 階段で降りられたんだ。」と、それを知って、断る理由なんかある?

 

だけど最初の一段下の階。普通の壁に普通の事務所。

凄くガッカリしました。ずっとこれなの?

 

ところがその下に行くと

これが外から見える小さな窓ですよね ♪

そして徐々にいい雰囲気になりました。

 

降りてきた時に、エレベーターで降りてきたツアーの人と出会いました。

「なんで階段で降りようと思ったの。」などと聞かれたので

「物好きだからじゃないの。」なんて、わけの分からない返事をしてしまいましたが、もちろんそれは星子さんがと言う意味ではなく、二人ともと言う意味。

照れ臭いので、そんな言葉を使ってしまったのですが、本当は思っていました。

私たち二人とも、確かにその器は草臥れつつあるのだけれど、心はやっぱり冒険少女なのよねって。

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チュネル乗車体験とイスティクラル通り散策

2019-10-20 01:27:11 | トルコ旅行記

6月15日、トルコ旅行最終日の事を書いていきます。

とうとう最終日。と、言っても旅行記はまだちょっと続きます。

年内は実家以外に泊まり込みでの旅行など予定にないし、旅行記の方は「何も急ぐ旅じゃないんだ。」と言う所かしら。

 

ところで「チュネル」と言うのは、トルコ語でトンネルと言う意味で、イスタンブール新市街から地下を走るケーブルカーで、ガイドさん曰く「世界一短い地下鉄」だそうです。

コインを買う所。

 私たちはツアーなので買いません。

中に入ると、ちょうど出て行く所でした。

トルコは何処でもチューリップとタイル。

待っている間は模型などを眺めます。帽子をかぶった魔女のようなシルエットは私。映り込みで参加するのがマイブームです(笑)

そして私たちの乗る車両が来ました。

乗り込んで出発です。下の画像は星子さん撮影です。運転手さんもサービス満点ですね。

 

 

そして「イスティクラル通り」散策です。

向こうの端まで行って戻って来るだけの、朝のお散歩です。

 

まだお店も閉まっていて、静かな通りでしたが、こんな風にただ街を歩くと言うのも楽しいものですね。

路面電車とか

ポリスとか

ちょっと重々しい車なども見たりして・・・・・。

珍しいキリスト教の教会。

これを書いていて、ふと、トルコにおける仏教と言うものが思い浮かび、今ちょっとリサーチしてみましたが、そんなには簡単には調べられないみたいです。

そしてそこから歩いて、私たちはガラタ塔に向かいました。

 

この街に居た猫さんたち。

猫が出てくるのは、もうお約束の様なものですね。

では、たまにはノラワンコなども。

トルコのワンコ、結構大きいじゃないですか。野犬と言うと怖い感じで、気を付けなければならないのは事実。

だけどインドでもそうでしたが、いじめられた記憶が無いみたいで、テリトリーに侵入しなければ、こんな呑気な感じでいる事が多いかったです。

穏やかな顔をしているでしょう。

だけどこのワンコたちが、後から起き上がって凄く咆えている場面に遭遇しました。

それは服を着た飼い犬が、飼い主と共にこのワンコたちの反対側の道を歩いて居たときです。

服を着てリードに繋がれた、日本では当たり前の犬を見たのは、この国では初めてでした。

このノラワンコたちが激しく咆えると、飼い犬ワンコが応えるように咆えました。

 

普通なら、

「ここは俺たちのテリトリーだ。入って来るんじゃない !!」と言っていると解釈すると思うのですが、あまり攻撃的に吠えてるとは思えず、

私には、

「お前大丈夫か ~~!?

どうしたんだよ~、

そんな鎖につながれて。

なんなら助けに行ってあげようか。」

「大丈夫だ ~!!

俺はこれで幸せだ。

心配無用だ、この人に手を出さないで欲しい。」と、言い合っているようにしか感じなかったのです。

自由ワンコから言わせたら、飼い主の元で何も不自由なく暮らしているワンコの方が助けが必要なワンコに見えるのかもしれないのですから。

 

お店の写真はお願いねと星子さんに丸投げしていたら、街歩きの楽しげなものが一枚もありませんでした。

なんたって私の画像は猫やらノラワンコやらパトカーですものね。

それで、街歩き画像を星子さん撮影から頂いてきました。

 

旅行に行くと、ご一緒した人の持ち物や写真の撮り方まで、いろんなことが勉強になりますよね~♪

 

と言うわけで、星子さん画像を数枚どうぞです♡

 

 

 

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痛み ≪秋薔薇と十月桜≫

2019-10-19 02:40:36 | お散歩&写真日記

台風19号の爪痕は深く、今もなおその苦しみと向き合っている方も多いと思います。

起きてしまった多くの悲劇の心の傷跡は、そうそうは癒える事はないと思います。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、残された方々の心の平安、また一刻も早くの街の復旧をお祈り申し上げます。

 

※        ※        ※

昨日の朝、私は異常に早く起きてしまいました。それと言うのもその前日は深夜族である私が23時半には就寝してしまったからなのです。

目が覚めて、「痛くない !!」と感じた私は気分も爽やかに起き上がりました。

この十日ほど、毎日毎日歯の痛みと闘っていました。

その前日に早く寝てしまったのは、その戦いに心身共に疲れてしまったからに他なりません。

この歯の治療は継続中でもあり、この体験談を語ると攻撃文章になることは予想できる事なので、今の段階では書かない予定です。

ただ私は思いました。

「痛みのない世界、バンザーイ。」と。

そして放置してあった、台風のせいでザラザラになってしまっていた玄関とポーチのお掃除、洗面所の片づけと掃除にと勤しみました。

痛みに耐える事だけで疲れ果てていた私は、この数日、何かをやる気力も失せていたのです。

 

たった1本の歯の痛みにも、日常は奪われてしまいます。

これが死に至る病の痛みなら、もう何が出来るのか分かりません。ただひたすらに痛みに耐えるか、もしくは意識を失っても強い痛み止めを処方してもらうか、その選択を迫られる日は、約束のようにいつか来てしまうのでしょう。

死ぬまで生きていたいと願っている私ですが、それはそんなに簡単な事ではないのかも知れません。

動けるうちになんでもやろう。欲を出して生きよう。

 

そんな事を思いながら、あれやこれやと家事に精を出しました。

 

遡って9日水曜日。

歯が痛くて、決められた予約日以外に、また予約を取り歯医者に行きました。そこに行くまでは帰りにパン屋に寄ると言うのも嫌だと思いました。ところが治療が終わって、一時的に痛みの引いた私は、急にやる気が出て来て自転車で近くの公園に行ってみようと思いました。

公園に着くと、ふと薔薇園はどうなっているのだろうかと思い立ちました。

昨年以前のブログ記事を見てみると、いつもは11月過ぎにここに訪れているみたいなので、

いつもよりも早い薔薇園訪問でした。

 

 

秋薔薇はなんだか美しくて気高くて、そしてなぜか寂しい・・・・。

9日のこの日は、まだ私は友人の死を知りませんでした。

それでも私は、その人の事をぼんやり考えていました。私は、まだ彼女が頑張って闘病している最中なのだと信じていたのです。

その前の週に会った別の友人が、彼女の近況を伝えてくれました。

「旦那さんが病室に行くと、彼女が『痛い、痛い』と苦しんでいたので、いたたまれずに早々に帰ってきたって言ってたよ。」

私はその話に胸が苦しくなるような感覚を覚えました。

居たたまれずに帰れる人は良いけれど、残された人はその痛みから逃れられるわけでもないんだよなー。

痛みはその人だけの苦しみ。近くで「分かるよ。」「苦しいよね。」「辛いよね。」と言っても、それ、どうなのだろうか。やはりむしろひとりで闘っていた方が楽なのだろうか。それとも少しは気が晴れるのだろうか。

歯痛程度の痛みだと、夫に「分かるよ。」「酷いね。」と言われると、ほんの微かに気持ちが救われたような気がしました。それは痛みの度合いによるものなのかしら・・・・・?

 

 

 

12日の嵐の夜は、私は既に友達の死を知っていました。

外で吹き荒れる風の音を聞きながら、たった一人で家に居るだろう、彼女のお連れ合いの事をふと思ってしまいました。

我が家ではその日の朝、夜に備えてベランダにあるもののほとんどを家の中に入れていました。

たった一人でやったわけではありません。

夫と私の二人三脚で、嵐を迎い入れる準備に間に合いました。

そして深夜のうなる風の音を聞きながら、仲が良くてどこに行くのにも二人だったあの片割れの人は、ひとり何をしているのだろうかと、親しい人でもないのに思ってしまったのでした。

 

薔薇園を見て、さあ帰ろうと思った時、今度はふと

「そう言えば、十月桜はどうなのかしら。」と急に思いだし、ぐるりと回って行ってみる事にしました。

十月桜は毎年みる事になっているのに、なんだかすっかり忘れていました。

 

 

 15日。友達4人で集まってお食事をしました。

その時、彼女のお連れ合いから連絡を貰った友達が語りました。

「旦那さんが言ったの。『私はこれからどうやって生きて行けば良いのでしょう。』って。」

私はちょっと驚いて耳を澄ませました。

誰かに言いたかったんだわ、そんな言葉をと、私は思いました。残された人の寂しさを深く感じました。

「それであなたは何て言ったの ?」

「私、泣いちゃって・・・・・。『きっとそばで見守り続けてくれますよ。』って言うのが精いっぱいだったの。」

それを聞いて

「そのお役目、本当にあなたで良かったわ。」と、私は頷きながら心を込めて言いました。

 

もしも私だったら、泣き虫の癖にこういう場面ではまったく泣けない私だし、いつでも正直すぎるので、きっと言ってしまったでしょう。

「私には分かりません。」って。

「だけどそれでも生きて行かなくちゃいけないんですよ。」って。

 

自分の痛みには耐えるのみ。

だけど人の痛みに寄り添う事は、本当に難しい事だなとしみじみと思ったのでした。

 

子福桜


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相棒18 第2話「アレスの進撃~最終決戦」

2019-10-17 09:22:45 | ドラマ(相棒)

※ まず最初に第1話の感想を、この1週間の間に1324pvとたくさんの方々に読んでいただけて、嬉しく思っています。

ありがとうございました ♡

 

さて1話の解決編ですが、なんたって「最終決戦」だなんて、私的にはちょっと気恥ずかしくなるような副タイトルが着いてましたね(^_^;) 

まあ、それは好みの問題ですね。

推理部分の予想は、あの子供たちの竜宮城談義が大ヒントでほぼ予測通りでした。

そう思われていた方も、テレビ前で多かったと思います。

律儀に玉手箱まで出てきてしまっては、ちょっとニヤニヤしました。

 

だけどラストは思いもよらなかったのです。

岩田がミナを連れて行った時、赤いカナリアの親子のように逃げたのだと思ってしまいました。娘は嫌がっていましたが、彼女を助ける為に強引に連れ去ったのだと。

だけど違いました。

岩田は自らの手で、娘の首を折り・・・・・・・・・

「娘だぞ !!!」と亘は叫びました。

「娘だからだ。」と岩田は応えました。

右京がこの時、横たわるミナに向かって

「私たちがお父さんの気持ちを汲み取ることが出来ず、このような事が起きて申し訳ありませんでした。

罪を償う機会を失わせて、もしくは生きてその罪を上がらう事も出来たかもしれません。」などと、岩田に聞かせるように言いました。

(セリフはかなり不正確なので、正確なセリフは期間限定の見逃し配信でお確かめください。)

確かにそれは正論。

 

岩田は最初からミナを助けようと、連れ戻そうとしていたのです。それは何処からか救い出す、仲間から引き離すと言う助けではなく、罪を防ぐと言う助け。

だけどその行動を見て、亘だって「娘さん、もう大きいのだから・・・・云々」などと正論を言ってましたよね。

傍から見れば、子を守ろうとする親の行動には理不尽に見える事があるのかも知れません。

 

確かにミナを殺した岩田はの行動は、親の傲慢と言えるでしょう。彼女の人生を最後まで彼女自身に生きさせなかったから。右京の言う通り、彼女自身が裁かれるべきでした。亘が言うように、彼女はもう立派な大人なのですから。

だけどそうなれば、彼女は晒されて憎まれて、そして処刑されるのです。右京の「生きてその罪を・・」なんて、あり得ない事です。その「生きて」の部分は、せいぜい喧騒の裁判の間と、そしていつ来るか分からない13階段への扉が開くまでの間の事でしょうか。

 

岩田は後を追って死のうとはしませんでした。ミナが犯した罪さえも、彼の心の中で背負って生きていく覚悟があったからなのかも知れません。

私はちょっと、ほんのちょっと目頭が熱くなりました。

 

そんな悲しい親の姿と対比するように、雛子の笑顔が輝いていました。まあ、あの方はそうじゃなくては面白くないのですが。

雛子のあの武器がどうのこうのと言う話・・・・・何言ってんだかって私は思う方。

だけど「フムフム、なるほど~」と思った方も多かっと思います。

ちょうどこの前日、友達とランチした時に、増税したのに福祉のお金を削り、またアメリカから武器を買うのってどうなのと言う話題になった時に、「武器だって必要で、無いと敵国が来て責められちゃうわ。」と友達が言った事を思い出してしまいました。いろいろと面倒くさいので、(まあ、皆さんも聞きたくないでしょ。)、この話は終わりなのですが、とりあえず思い出したと言う話です。終わりと言いながら、思い出したのでついでに行ってしまうとですね、「いざ」と言う事を考えるのなら、食料自給率をあげなくちゃね。

「じゃ無かったら、私たち、またミミズを食べる事になっちゃうわ。」と言ったら、一番の共鳴を受けたのだけれど、まっ、ミミズを私たち自身が本当に食べた事はないのですがね^^

 

お話を「相棒」に戻して、あの右京&亘のコントは何だったのかしら。

「へそで茶を沸かす」「やってみなさいよ」「じゃ、ヤカンを持ってきて~」

『あんたたちは小学生か !?』ってやつ。

あれには何か意味があったのかしら。単なるサービス ?

 

そして今回は御咎めなしどころか、こっそりと表彰されるらしい・・・・。

暇か課長の「方針変えたか ?   褒め殺し ?」には笑えました。

 

なんだかんだと捜一コンビに青木もやって来て、なにげに北海道ロケは結構楽しかったのではないかしら。

視聴者も美しい風景を堪能できたし、良かったですよね。

 

そして最後の二人の「ただいま !」にシリーズの始まりを感じて、それもとっても良かったです。

相棒ファンの皆さま、もちろん私もですが、思わず(心の中で)言ってしまったのではないでしょうか。

「おかえり~」って。^^


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モンロー・ウォーク

2019-10-16 01:13:44 | 梢は歌う(日記)

もう1週間も前の7日の日、昨年10月2日に亡くなった愛子さんの家に星子さんと行きました。

その時、愛子さんの息子君が応対してくれて、いろいろなお喋りをしてきました。

想う事はたくさんありと言う所です。

本当に子供たちが幼かった頃、その息子君はラッタさんと友達で、私の家にもよく遊びに来ていたけれど、あまりにも遠い昔になってしまって、私の事もラッタさんの事も覚えてはいないと言います。

それでも私は、既におっさんズになってしまった我が息子たちを愛おしく感じるのと同様に、その背丈が190cmはあるような青年を、まるで小さな子供を見るように愛おしく感じたのでした。

 

ささやかな思い出話を語りましょう。

 

その彼に、私たちは思い出したように

「『モンロー・ウォーク』、知ってる? ]

と聞くと、彼は不思議そうな顔をして首を振りました。

「ほらっ。彼もこちら側の人だわ。」と星子さん。

 

もう帰ってきましたが、星子さんはその日の二日後カナダに行く事になっていたのです。

「お母さんが生きていたら、一緒にナイアガラを見に行く予定でいたのよ。」

「それが今頃、天の上では、『なんでトルコになった?』って言っているかもね。」と笑いながら、

「あっ、そうそう・・・」と上に書いた「モンロー・ウォーク」の話になったのでした。

 

2017年の「「ボストン美術館の至宝展」」に行った記事の中で

>『この美術展の「至宝展」と言う部分を忘れていた私は、最近いつも遊んでいただいている星子さんにお誘いするときに、乱暴にも

「『ボストン美術館』のあれに行かない?」

「うん、いいよ良いよ。行きたいところをリストアップしてね。」と星子さん。

「いや、とりあえずね、上野に行って『ボストン美術館』だけ先取りしましょ。」と私は言いました。

と言うのは、ええと、バンクーバーっていつ行ったんだっけなあ。

ブログを見ればわかるけれど、まあ、とりあえずその時のどこかの海辺から(テキトーで済まぬ)アメリカがぼんやりと見えた時に、唐突に、それまで何の興味もなかったアメリカ合衆国に行ってみたい衝動に駆られたのでした。その事を星子さんに伝えると、旅行が趣味の彼女は、アメリカで行っていないのはボストンくらいでそこなら行ってみたいと言ったのです。

じゃあ、そこで良いわと言うよりも、「ボストン」と聞いて、むしろそこに行きたいと思いました。

観光地的にはどうかと思うのだけれど、だってカッコいいじゃないですか。「ボ・ス・ト・ン」と言う響きが。』

そこからアメリカ側のナイアガラにも行けると星子さんが言ったので、私は思わず

「じゃあ、そこで3人でモンロー・ウォークをして写真を撮ろうね。」とテンション高くふざけたことを言うと、

愛子さんも星子さんも「しらーーーーーーーーーーーー」っとなったと言うお話です。

因みにバンクーバに行ったのは2015年。

 

ああ、そうそう。

マリリンのファンの皆さま、先に謝っておきますね。言っただけでございますから。決して冒涜などするつもりもない事で、出来るわけもない事は十分に分かっていますからね。

だけど「ナイアガラ」と言う映画を映画館で見る事などは叶わない年代ですが、小さなテレビの向こう側でモンローが歩いていた所を実際に見たら、そんな気分にもなると言うのが映画好きというものじゃありませんか。

モンローウォークは、この映画で世間に知らしめることになり、ただ歩いている後姿のシーンでは最長だそうですね。

私の年代で、この映画まで見ている人は、やはり結構な映画好きと言えるのでしたね。

「ナイアガラ」=「モンロー・ウォーク」にならなくても、彼女の歩き方は、世間では普通に知られている事だと、私はそれまで思い込んでいたのです。

何もかも、みんな遠い過去になって行くのでしょう。

誰も思い出さなければ・・・・・・・。

 

愛子さんが亡くなって、私の中のボストン熱は急速に冷めてしまいました。

 

でも星子さんが送ってくれたこの画像で、またも気持ちはほんの少し揺れたかも。

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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「渦が森団地の眠れない子たち」を観てまいりました。

2019-10-15 03:21:30 | 観劇・コンサート日記

歯痛の苦痛で顔が歪み、心まで歪んでしまいそうな体育の日、皆様はいかがお過ごしでしたか。

この歯痛は、13日の夜、劇場から帰って来る途中から始まり、今の拷問レベルになっているわけですが、考えてみれば13日の観劇はいろいろとぎりぎりセーフだったと言えるのですね。

この作品、本当に素晴らしかったです。私が今、観るべきだった作品で、私の中の何かを変えたと言うのは大袈裟かもしれませんが、運命がまた私にエールを送ってくれていたのだなと感じさせてくれたものだったのです。

 

次の画像の下からは、そんな感想が続きます。

なんだ硬いな~と思われる方のために先に簡単な事を言っておきますと、

藤原竜也と鈴木亮平が出ていて駄作になるわけがありません。

二人は本当に小学生に見えました。特に竜也さんのあるシーンでは、その小さな後ろ姿をぎゅうと抱きしめたくなりました。今思い出してもまずいです。見ているだけで悲しくなる子供の姿に助けたいような気持ちになり涙が溢れます。

お話の内容も、「そうだったのか !!!」と心に残るものであり、ラストのラスト、そのシーンに明るい暗示があったように感じたのは、ちゃんと作者様の意思をくみ取ることが出来たと言えるのでしょうか。

あっ、そうそう。

ここに出てくる子供たち、良い子はそうそうはいません。いわゆる、クソガキですよね(笑)

 

というわけで、少々硬い感想・・・・

&、唐突にネタバレして行きます。

秋葉原から岩本町駅に移動する時に撮った神田川。意外と水位が低かったのには驚きました。途中で見た江戸川は本当にギリギリだったのに。やはり噂の防災地下神殿のお蔭かしら ?

いつも以上に特別感を持ちつつ、劇場に向かったと思いました。新国立劇場へは二回目。私はいつも秋葉原から都営新宿線の岩本町駅の移動の時に少々迷います。だけど今回はその劇場には初めてという方とご一緒だったので、ちょっと緊張しました。

結局、この日は京王線の乗り入れまでしておらず、新宿線の新宿駅で京王新線がどこにあるのか迷って右往左往としたことは、私的にはお約束と言う所でしょうか。

かなり早く出て来たけれどランチ時間は短くなって、でもそこで話したことはあれやこれやの仕事のモヤモヤです。

土の中の孤独な妖精たちは」の中で

>大人はやっぱり、時々見栄をはってでも、子供たちの前では大人でいようねって事だよね。

と書きました。言うはたやすいが、その実践編が難しいのです。

私が話していたのは、愚痴ではなく現状報告。

私は既に古い水夫。既に今の時代についていけなくなっていることに自分では気が付いていないだけかもしれません。だから力不足であると感じたら対処してくださいと言っていたのです。

一緒に行ったのは御仕事の雇い主様だったのです。

 

そして見始めたお芝居。

敢えて何のリサーチも入れずに行きました。

それが吃驚する程グサグサと来る内容だったのです。さっきのランチの時のアンサーがそこにはあったように感じました。

何気に三人の大人たちから、今の世相を感じられて見られた方も多いと思います。もしくは自分の中の何かと重なったりもしませんでしたか。

阿部さんが切れて、鉄志に手をあげてしまう所、なんだかもう仕方がないよぐらいに感じませんでしたか。あんな破壊獣みたいな子供なんだからって、ちょっとぐらいは思いませんでしたか。私はちょっと思ってしまいましたよ。でもこのシナリオはきついです。叱られた途端に、さっきの破壊獣はちっぽけな惨めな小さな子供に戻って、「ごめんなさい。」と泣くのですよ。

あれが子供の本当の姿なんですよね。

小学6年生の鉄志。だけど中学生の1・2・3だって大差ないのですよね。

子供たちの前では、いつだって大人は大人でいよう。私は心の中で、そう再び誓ったのでした。

 

さあ、もう硬いお話は抜きです。

好きなシーン、たくさんありました。

3人で街に買い物に・・・・。圭一郎とキッコが街に行くのを勝手について行くシーンは、その後に起きた事はさておいても、美しいシーンに感じました。

鉄志のお別れ会。笑いつつ泣きました。

そして最後の、本当の血縁の誓い・・・・・。

まさかまさかの展開でした。なんでも推理してしま方だと思うのですが、まったく考えもせずにラストまで行ってしまいました。

「そうだったのか~ !!!」感が大きくて、感動しつつ、この物語がとっても面白く感じた所で警官姿の鉄志が。

あれは彼のその後が気になっている私たちに、その姿を垣間見せてくれたのだと私は思い、幸せな気持ちになりました。

 

少年たちのイメージが「アキラ」に出てくる彼らと被ったり「スタンドバイミー」みたいだなと感じたりしました。

 

帰る時に、感動していたのでその勢いでついつい買ってしまったTシャツです。

 

明日のランチに着て行こうかな。

(いやいや、ランチじゃなくて歯医者だろう。)

 

 パンフもこのイラストでしたね。

そう言えば鉄志の「10」と書いてあった青と白のTシャツの舞台衣装は良かったですね。舞台写真を買えば、その衣装の写真も残せたかもしれませんね。

また、国立新劇場の飾りは気になるものが多いです。

インパクトがありました。

 「アイーダ」の大道具らしいです。

(体育の日も夜は御仕事でしたが、ちょっとは上手くいったなと自己満足中です。)


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1週間 !

2019-10-14 02:18:05 | 梢は歌う(日記)

月曜日からスタートと言う発想の1週間で考えて、先週もなんだかんだとありました。

星子さんと一緒に愛子さんの家に行ったことや、ひとりで散歩に行ったもの想う秋の事。友達との別れを知った寂しい一日。ほんのわずかなピアノのお稽古とその後の楽しい語らい。歯痛との戦い。これは、結構私的には大きい出来事で、予定外で予約を入れたので、映画に行こうと思っていた予定を変更せざるを得ませんでした。

それから仕事上のモヤモヤ。

そしてやっぱり台風準備とその始末 !

日頃の(お片付けの)行いが悪いので、私の家は「エレエコッタ」ってな感じでしたが頑張りました。

それと同時に、私の懸念は

「私は『渦が森団地の眠れない子たち』に果たして行けるのだろうか・・・・?」だったのです。

12日の公演は中止になってしまいました(英断だと思います。)

じゃあ、13日は・・・・?。

普通の13時半公演では行く事は叶わなかったと思いますが、15時と時間変更になり昨日の13日に行く事が出来ました♡

感想は、次の記事で書きますね。

やんちゃ小学生の探偵団か何かの話だと思っていたら(←その発想は何処から来たのか疑問)、とんでもないデープなお話で、しこたま泣いてきました。

 

この物語、私の仕事のモヤモヤと、かなりリンクして胸が痛くなりました。

あっ、そうそう。感想は次の記事でしたね(^_^;)

 

今日は世の中祭日であっても、私は普通にお仕事です。

おばちゃん(私の事)は毎日結構ゴロゴロしていますが、それでも1週間が過ぎるといろいろな過去が積み重ねられるわけで、それも結構な量で、だから毎日を欲張らずとも、それでもコツコツと投げ出さずに今週も頑張りたいと思います。(文が長いね。)

 ゴロゴロ

トップ画像は、9日に行ったお散歩の時の物です。

 

 

 


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