森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「はだしのゲン」について思う

2013-08-27 12:49:43 | 思いつくまま

少し前、ツイッターに頻繁に流れてきた「はだしのゲン」についての感想は、松江市のある公立小学校でその本が閉架措置を取られたことを受けてのものでした。過激な表現が多いなどの理由で子供が勝手に手に取ることが出来ない処置なのだそうです。

そのニュースは→「はだしのゲン、なぜ消えた 松江市教委の閲覧制限、われる賛否」などを読むと良くわかります。

そして昨日、その要請に対しての松江市教育委員会の結果がでました。それに対しての記事は→「はだしのゲン 閲覧制限要請を撤回

 

実は私も、子供だけが勝手に読むのはどうかと思う漫画はあるんです。

でもそれは子供が勝手に手に取ることが出来ないというのとは若干違うニュアンスだと思います。

例えばですが、我が家の息子たちが小学生の頃、うちでは「少年ジャンプ」と言う雑誌を毎週楽しみに買って読んでいました。でもその雑誌は、必ず私も読むようにしていました。もちろん私自身が子供の頃からのまんが好きということもあって、何も教育的見地のみではないのですが、それでも少年漫画は小学生が読むには「勝手に」という訳にはいかない部分もある場合もあるかと思ったのでした。

 

だけどそれは、取り上げるというのとは違います。一緒に読んで過激だなと思ったシーンは、敢えて話題に取り上げてフォローしていたように思います。

例えば・・・(ちょっと、厳しい内容です。過激なシーンに弱い方はお気をつけ下さい。)

その当時、人気の高かった「封神演義」という漫画の中では、息子の肉をミンチにしハンバーグにして父親に食わせるシーンが有るのですが、、悪の女王達による
「妲妃となんとのお料理講座~♡」 と明るく描かれていて、思わず眉間にしわがより、口を抑えてしまいました。

でも、他を知らず、私の取り上げたここだけでこの漫画を判断するのは大きな間違いです。

子供たちにも人気の高かったこの漫画は、その後アニメにもなりました。アニメになったら全て許されるわけではありませんが、その恐ろしいシーンはその後の話の展開にかなりの重要な説得力を持ってくるのです。(ちなみに余談ですがその恐ろしいエピソードはシェークスピアの戯曲の中にも描かれていて、それの映画化されたものがアンソニー・ホプキンスの「タイタス」。なにげにネタバレかな・・。)

我が家の子供達はお話の底辺にあるテーマ、元々は「三国志」「水滸伝」などと同様の古典であるという知識、そして残酷という事は何かを漫画というツールから学んだかもしれません。

但し、ここで大切なのは、上に書いたように会話をしてフォローすることだと思うのです。

 

「はだしのゲン」も結論が出た後も、それでも市の校長の半数が再検討を望んでいるのは、単に取り上げるという意味ではないからだと思うのです。

その関連記事は→「ゲン閲覧制限、地元小中校長の半数が『再検討を』

その記事の中でも「教員と一緒に見るなど配慮をお願いした」とありました。

どうも「この本は子供には過激だ。」→「だから見せない」というニュアンスでこの報道は伝わってしまったような感じもするのです。

 

ただ私が思うには、学校という場所柄、 一度閉架処置を取られたら、子供はその本のことを思い出し自由に
「先生、『はだしのゲン』を読みたいから、一緒に読んで。」などと軽く言えるとは到底思えません。

読んだ子供たちの精神的フォローを思うならば、「はだしのゲン」は高学年の学級文庫にしたらいいと思います。 

読ませる時期を考えてあげることもできるし、教師の目の届く範囲でその本は手に取られるはずだからです。

実はうちの息子が子供だった時、小学4年生の学級文庫にそれはあったのです。

子供にとって心の器がいっぱいになるような衝撃があったのかもしれません。だからその本を毎日休み時間に読んでいると、私に話したのだと思います。

でも子供の口から出てくる言葉は、
「ゲンって半端無く逞しいんだよ~。」と言う感想でした。

子供の理解能力と受け入れる力をもっと信じても良いのではないかと思うのです。

 

と、ここまで書いて、ふとあなたの論点はずれていると誰かに言われてしまうかなと思ってしまいました。

なぜなら、市教委が問題にしてる過激なシーンというのは、原爆投下のその時さっきまで話していた少女が塵のように吹き飛ばされるシーンでもなければ、家の下敷きになって火が迫る中、夫と子供の一人を残して妊娠中の母親が立ち去らねばならぬシーンでもなく、ましてその後の悲惨な街の様子を言っているわけではないのですね。

問題は「旧日本軍による斬首シーンと女性への性的暴行の描写だ。「子どもたちが心に傷を負ったり、興味本位にとらえたりするリスクがある」と強調する。」と、ここらしいです。

 

戦争というのは、狂気の剣を振り回し行う蛮行にすぎないと思うのです。

だから原爆を落とした人たちは、今でもあの爆弾は必要だったなどという人もいるし、たった1発の爆弾が街を地獄と化してしまうことを、世界中の人が知っているのかというと、実は覆い隠されて知らない人もたくさんいるのだと思います。

だけれど、日本人であるならばその事実を知り子供たちに伝えていかなければならないと思うのです。「はだしのゲン」はそういった意味で子供たちには一度は読んでもらいたい本であると思っています。

旧日本軍の蛮行シーンを読んで、すべての日本軍がそうだったなどと思う子どなんかいるわけがない・・・・・いや、いるかもしれないけれど、その場合問題は違うところにあると思います。本を読む理解能力とか・・・。

そして、そのシーンを読んで、そんなことは微塵もなかったはずだと思う大人だって一人だっていないんじゃないですか。

いつも死にさらされている現場で、すべての人が紳士でいられたか否かー。

あっ、首切りシーン・・ですか。

過激→首切り>原爆直後の広島・・・なわけないじゃないないですか。

女性への暴行シーンについては、どの程度のものなのか記憶に無いのでなんとも言えませんが、それこそ教師と一緒に見ていて、深く質問されたらなんて答えるのか不思議に思う所です。子供というのは、映画好きだった私もそうでしたが、良くわからない事は記憶の中にインプットしておいて、時期が来て知識を得た時にそれらのものを消化していくという能力を持っているように思います。「暴力」と単に捉えるのではないかと、あくまでも推理ですがそのように思います。

 

この問題の底辺には天皇に対しての不敬の発言による、政治的見解からの排除というものがあるような気もしました。

もしそれでというのなら、何をか言わんやというところです。

 

既に結論が出たこの話題ですが、その火はくすぶっていて、またいつか再燃するように感じました。

時代はどんどん過ぎていき記憶は記録として映像と文字の中に残るのみという日もやがてくると思います。だからこそ距離を置かせて管理するのではなく子供たちの身近において、フォローすべしと、私は思うのです。

 

 

はだしのゲン 1
中沢啓治
中央公論新社

 

 ついでに↓

封神演義 完全版 1 (ジャンプ・コミックス)
藤崎 竜
集英社

 

 

 

 

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終戦記念日の日に思ったこと

2013-08-19 12:56:55 | 思いつくまま

夏ー想い出は人それぞれ。

だけれど夏には共通の忘れない日があると思う。それは忘れてはいけない日でもある。

例えば、「終戦記念日」。

 

その「終戦記念日」という文字を見て、しみじみ思った事。

戦いを終えた日の記念日なのだということ。

第一次世界大戦にも日露、日清戦争にも、その終えた日の記念日はない。太平洋戦争の前には、何かしらの記念日はあったかもしれないが、今となっては意味が無いとも言える。

 

人類の歴史は戦いの歴史だ。

その戦いにも進化と進歩が存在するというのは、私だけが思うことではないと思う。

人が棍棒や石を拾い、食べ物を争って直ぐ近くに存在する群れに戦いを挑んだ太古から、人はその武器を変え、その戦いの環を拡大していった。そしてある時は天下統一、またある時は新しい時代を拓くためという大義名分の旗を振り、必要悪を正義という名前に変えて内戦を続けていった。

そんな人間たちが世界を知れば、その闘争本能を世界に向けるのは当然の歴史の流れだったとも思う。

戦争が起きれば、愛する人や自分の命も失いかねない。しかも大概がかなり無意味な死を迎えているのに「お国のためにりっぱに」という称号を与えられて、どのように死んだのかが有耶無耶にされてしまったという歴史もある。

そうしてみると、人間っていうのは相当愚かな生き物だと思う。

荒唐無稽なようだけど、宇宙に知的生命体を確認する日が来たならば、今のままでは、その先には彼らとの戦いが待っているかもしれない。十分にありえることで、だからSF小説にはそのジャンルが存在するのだ。

しかし、その宇宙戦争の大義名分は、侵略されそうになるから人類の総力をかけて戦うという構図になっている。

宇宙開発の末たどり着いた宇宙の果てに発見した知的生命体は、完璧なまでの平和主義者で無駄な繁栄を望まず、ゆえに武器の開発も対して無くいっけん劣った生命集合体に見えた。そこを侵略していくのは実は人類だったというお話はあまりみない・・・・とここまで書いたら思い出した。最近あったじゃないの。3D映画の傑作「アバター」。あの予告編では気持ちの悪い色をしたトカゲ一族にしか見えなかったナヴィ族に、物語が進みだすうちになんとも言えない魅力を感じるのは、その生き方に引き込まれたからだったと思う。

人類の歴史を思うと、侵略されそうになったから戦うというより、よっぽど行った先が未開だったから侵略するという方が説得力があるのかもしれない。

―悲しい歴史だ。

 

そんな人類に戦いの進歩ではなく、「進化」というものがあるとすれば、それは「戦わない」を選択することしかないのではないのか。

 

 

あの最後の戦争の時、大都市に累々と死体の山を積み重ね、未だに骨すら帰らない死者を南方の国々残したままという悲劇が次の歴史の必然を生み出したのではないのだろうか。虚しく死んだ方々が、未来の私達のためにその歴史を魂をかけて残してくれたんだとは思ってはいけないのだろうか。

68年、この国は戦争をしなかった。その奇跡を誇って守っていこう。
そう思うことの何処かに間違いなどないと思うのだが、違うのだろうか。 

 

本当の神風はあの時に吹いたに違いない―

 

 

 

 

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お久しぶりです♪☆お盆ですね。

2013-08-14 19:12:23 | 梢は歌う(日記)

みなさま、こんにちは。

ふと気がついたら、あまりにも間が空きすぎていて、何か挨拶でもしなければ「復活」出来ないような雰囲気です。

と言っても、もちろん私の心の問題なのですが。

 

みなさまは、この夏を楽しまれていますか?

 

私はブログを、時々「ももちゃんも。」という所では書いていたんですよ。でもそこは猫ブログとピグブログ。猫ブログなら、みなさんにも「来てね~」というところなのですが、今はもっぱらピグゲームの記録帳です。だけど最近はこちらはご無沙汰でしたので、ちょっとだけ日記なるものも織り込んで入るのですが、やっぱりピグをやっていないと、読んでも何が面白いのかと思われるのではとか思ってしまいます。

 

そこにも書いたのですが、今年の夏は、私は膝の痛みと戦う毎日です。

実は膝はずううっとと痛かったのです。

4月の甥の結婚式の辺りから、その後父へのお見舞いに横浜参りをしていた時もお葬式の時も49日の時も、ずっとずっと。

それなりに大変だったけれど、時が過ぎたら大変だった時のことなんか忘れちゃいました。

痛かった記憶なんか、そんなには残らないということです。だけど進行形のものは結構辛いのです。

 

この記事の前の前、選挙の日にブログをアップしたけれど、この日、私、あまりの痛みに全く歩けなくなってしまったのでした。

 

もちろん整骨院とかは通っていましたが、もうそのレベルではない程、悪化していたのですね。

 

それまでは、膝が痛くてもできるだけ普通の生活を心がけていましたが、今はちょっと違います。

〈と言っても、結構懲りない方・・・)

 

という訳で、静かな夏の暮らしです。

だけどもうそろそろ止めようかなと思っているお仕事は、花火が最後に光るように、ちょっと多め。

ちょっとクサクサするので、ゲーム三昧という構図です。

 

ちょっといい見方をするならば、どんな時でも楽しい事を見つけてしまう私なのでした。

 

だけど、夏の後半は遊んでばかりいてはいけないなと思っています。

ああ、それって、夏の終わりに宿題に追われるようなものかもしれませんね。

 

ところで、昨日13日は夫とラッタ、ルートと4人で父のお墓に墓参りに行きました。

父のお墓は新しい公園墓地にあります。

なんとなくその辺をウロウロしてきたラッタくんがニヤニヤしながら戻って来ました。

「向こうに『6日後の朝、起こしてくれ。まっ、冗談だよ。』っていうのがあるよ。」と教えてくれました。

 

行ってみると、その言葉が英語で刻まれたお墓がありました。

この時期、花は一日で枯れるのだと思います。そのお墓にはそんなちょっと枯れたお花が添えてありました。

明るい言葉が余計に悲しみを誘うこともあります。この言葉を決めた人の「想い」というものが伝わってくるような気がしたのです。

縁もゆかりもない方のお墓でしたが、思わず手を合わせてしまいました。

 

「いい所に眠ってるじゃん。」とラった君。

「そうだろ―」となんとなく父が言ってるような気がしました。

 

そして今日は舅の墓参り。

こちらのお墓は草もボーボーでお掃除も絶対に大変だとわかっていたのですが、夫がルート君だけ連れて行くからいいよといってくれました。

案の定思っていた以上に大変だったみたいです。

 

お墓参りが趣味のような私が来なかったので、義母はちょっと驚いたみたいです。

ちょっとは、私とのおしゃべりも楽しみにしていたのかなと思ったら、やっぱり役に立たなくても行けば良かったなと思ってしまいました。

スーパーばあちゃんである義母の体にも少々の変化が起きているようです。

 

いつだって「今」を大切に生きていかなくては。

そんなことを改めて思っている今年の夏・・・・・

 

 

 

 

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