森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

「春はもうすぐ」と花が言う☆

2021-01-30 10:15:00 | お散歩&写真日記

春がどこまでやってきているのかを知りたくて、お散歩に行ってきました。

でもこのお散歩の画像は、1月16日に撮影したものです。

最初の春は、「蝋梅」が教えてくれるかなと思い、

蝋梅を訪ねて行ってきました。

といっても、

下の花は、蝋梅ではありません。

「キンカチャ」と言う花。

だけど、黄色の花は元気が出ますね。

「蝋梅」の花は、確かこの辺に・・・・・

と、思ったら、紅梅がありました。

そして、「蝋梅」の花が。

蝋梅の花は、透き通った感じが素敵ですね。

 

この公園には、夫殿と来たけれど、駐車場を出た所で、

待ち合わせ時間を決めて、後は自由行動です。

夫と私は身長差が30センチあり、つまり足の長さも違うのですよね。

合わせて歩くのがお互いに苦痛なので、

最初から自由行動です。

それでひとりで

「花より団子タイム」です。

和菓子は、この季節ならではの練り切りが出てくるので

そんな所が素敵だなと思っています。

茶室から見た風景。

冬の風景も素敵ですね。

紅梅もチラホラ

白梅もチラホラ

 

その後は夫と合流したわけですが、写真撮ったり、お茶を飲んだりで、彼の半分くらいしか歩いていませんでした

(〃⌒ー⌒〃)ゞ

今、病院の待合室で、最後の数行を書き込んでいますが、私はスマホの達人にはなれそうもないなと、マスクの下で苦笑しています。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪月花

2021-01-28 23:37:59 | 梢は歌う(日記)

雪に慣れていない関東は、ちょっとの雪が積もっても、かなり困ります。はっきり言って喜ぶのは子供と犬と、ちょっと好奇心の強い猫ぐらいなんじゃないかなと思うのです。

ところが少々の雪などは、特に今日突然に振り出した牡丹雪などは、たぶん積もらないだろうなと予測され、家の中にいてさしあたっての予定の無い私などは、まるで子供のように嬉しくなるってものです。本当に子供たちは、積もらない雪はがっかりだと思いますが。

「降ってる~、綺麗だわ~」

空を見上げて

その絶え間ない動きと、空を覆い尽くしている雪を、じっと見つめてしまうのでした。

思わず、これに紛れて、何か違うものが空から落ちてきてはいないのだろうかと、思ってみたり・・・・・・

 

しかし、昨日は同じベランダから、月を見たばかりだったのに。

本当は、今日が満月だったのですね。そして1月の満月は「ウルフムーン」と言うのですってね。

だけど昨日のまだ明るさが残っていた夕方の5時頃、友人と歩いていた私は、大きな薄い色の月を見つけて言いました。

「きっと陽が落ちて暗くなったら、今日の月はとっても綺麗よね。」

「同じ時間に一緒に見ようか。」

「じゃあ、8時に一緒に見ましょう。」

一緒にと言っても、別々の場所で。

同じ時間に空を見上げる二人。

なんだか恋人同士の約束のようですね。

だけどやっぱり、そこは恋人同士ではないので、

「あっ、もう8時20分じゃん。」と私は言って、ベランダでパチリと撮ったのが、上の月なのです。

「遅れてごめん。」と言って、友人からも、さらに15分後に綺麗な月の画像が送られてきました。

その時に彼女がウルフムーンの事を教えてくれたのでした。

月も星も綺麗だったので、私はまた姉妹にラインで画像を送り、「ウルフムーン」の事を伝えました。

すると妹からも、大きくて綺麗な月と、そして「月と猫」の画像が送られてきました。

昨日がそのウルフムーンと言う満月だったのだと、私たちは勘違いしていたのでしたが、でも昨日、その綺麗な月を見る事が出来て良かったなと思います。

 

雪と月の画像を載せたら、やっぱり花の写真を載せないわけにはいきませんね。

マンションにある鉢植えの梅のポチポチと咲いていた梅の花と

同じくマンションにある小さな木に、ほんのちょっぴり咲いていた蝋梅の花です。

昨日は午前中にも、別の友達と一緒にお散歩をし、そして短い時間でしたがお茶の時間を持ちました。

その時彼女が嘆いて言いました。

「何にも良い事も楽しい事もないね。」

確かに、こんな時代ではそう思いたくもなると言うものです。

「それでもさ。」と、だけど私は抗いたくなるのです。なぜなら、そこで「うん、そうそう、本当にため息ばかりよね。悲しくなる毎日よね。」と言ったらどうですか。

二人で「じゃあね~。」と負のオーラを背負って別れる事になるってものでしょう。

だから私は言いました。

「それでもね、何か楽しい事を一個一個と見つけて生きていったら良いのよね。思うのだけれど、『良い事』『幸せに感じる事』のハードルが高いんじゃないの?
こういう時は、そういうハードルを少し下げると、もう毎日が楽しいよ。」

これは、ブログの中でも時々言葉を変えて書いている事かも知れませんね。

彼女は、毎日かなりの距離を散歩している人なんです。私は偉いなと思っていて、見習いたいと思っているんです。

「素敵な事を継続しているよね。もうやってるかもしれないけれど、それをまた、何処かにメモして記録していくと楽しさが増すよ。」と言うと、

「考えたこともなかった。今日からやる♪」と言ってくれたのです。

 

本音を言えば、私だって、溜息をつきたい毎日です。

コロナが無くても、今の私は、あまりヤル気も出ない毎日。

 

12月の別れを引きずっているのです。

だけど昨日、朝からお友達と歩いて、お茶を飲んで、図書館に行って本を読んだり借りたりし、一人ランチで餃子を食べて、雑貨屋さんに寄ってお気に入りのものを購入し、また友だちを誘ってお茶を飲みお喋りをした後、夜には月を見て、なんだかようやくやる気が出てきました。

ももちゃん。

雪はそうそう見る事は出来ないけれど、月を見て花を見て、私はあなたを想うー。

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒19 第14話「忘れもの」

2021-01-27 23:31:22 | ドラマ(相棒)

小出鞠、可愛らしかったですね。

正直な事を言うと、今まで、あまり小出鞠の事が好きではなかったのです。なんか、したたか、というような、そんな感じがして苦手だったというか。

だけど今回のように、彼女の過去のエピソードがほんの少しでも描かれたりすると、彼女への感情移入度も高くなり、今回のような内容だと好感度も高くなると言うものですね。

彼女は「したたか」なのではなく、気風の良い女性だったのですね。

お礼の1品も忘れないし、2日も休むわけもいかないと仕事もマジメ。いきなり彼女が好きになりました。

そんな彼女の、昔々の小さな恋の物語。

「忘れもの」は中迫のハンカチではなく、あの時出来なかった「手をつなぐ」だったのかな。

また人を好きになる理由と言うのは、理屈ではないんですよね。

だけど中迫は小出鞠の気持ちを知っていたのかしら。

 

気になった事は、電気を消しても鍵を掛けてないお店。なんかドキドキしました。別に違うお話に発展するわけがないので、大丈夫に決まりなのですが、なんか想像すると「いいのかな」と思えてしまったのですね。

あと、今のフロント企業は「なんとか興業」とかは古くて、お洒落な横文字を使う・・・・・フムフム。

 

しかし、早々と感想を書いたのに、あまり感想がありません。

あっ、そうそう。

敢えて言うならば、中迫が選んだお菓子のお店が、完全予約制で名前が判明するのは、出来過ぎてると思いましたが、なんたって1時間番組なので、そこは突っ込んではいけない所だと思います。

また何気に青木、良い仕事をしてるんですよね。

だけど右京たちをつけて来たかのような青木の行動ってどうなの ?

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

相棒19 第13話「死神はまだか」

2021-01-27 09:14:24 | ドラマ(相棒)

先週、事件解決一歩前で寝落ちしてしまい、なかなか録画を見る事が出来ず、感想を書けなかった13話の感想を、やっと見る事が出来たので書いておこうと思います。

録画を見て、思い出してしまいました。

笹野さん、スケベおやじの演技が上手過ぎ。

これを「体を触られただけだから。」と言う女性、おかしすぎる、頭が。

師匠絶対。

そういう世界。

覚悟している。

ああ、一種の洗脳だな。

気持ち悪いなぁと思っていたら、つまらなくなって、寝ちゃったのだと思います。

 

細かい所は面白かったのですが。

特に、林家正蔵さん、一言しか落語を見せていないのに、続きを聞きたくなりました。

また路里多が、セクハラの本当の事を言えてないのではないかと、話を聞きに訪れた出雲はいい仕事をしていたと思いました。

キャラ変した内村刑事部長は、捜一に右京を手伝うように言い、そして右京にも

「DO  PROCESS が大事だ。」とまとも過ぎる指示を与えるのでした。しかもですよ「釈迦に説法かも知れぬが」という配慮の言葉まで添えて。

「何か間違えているか」

「いいえ、正し過ぎて面食らっております。」

と、中園参事官との会話。ちょっと可愛らしくて笑ってしまいました。

お話は「講釈師、見てきたように嘘をつき」、もちろん嘘ではありませんが、その段階で終わってしまうのですが、捜一のトリオに火が付き、事件としてしっかり暴かれることは明白です。

右京は最後に言いました。

師匠の名誉の為に死神の代わりをしてしまった、師匠を敬愛してやまない弟子たち。

「あなたたちは間違えている。」

間違えているのは、そこじゃないと思いました。

愛、敬愛の想い、それはやみくもに従順になる事ではないー。

本当に従順になり頭を垂れ耳を澄まし守っていくものは、芸の道にのみだったはず。

それに既に師匠は背いていたのに、誰もそれさえも気がつかない。

そういうものだ。

そういう世界だ。

他の者には分からない事だ。

そう言って、自分の世界にシールドを掛けてしまう。

DVの理屈の世界だと思いました。

師匠自体も、その狭い世界の理屈で殺されてしまったわけですから、哀れと言えるかもしれませんよね。

 

トリックもお話自体も「さほど」と言う感じでしたが、(少数かも知れませんが)視聴者の中にこんな風に「嫌だな。」と違和感を感じさせたと言う所が、やはり輿水さんのシナリオだったのかもしれませんね。

 

以下は油断をしていたら、猫に歩かれた跡です。なんか、こういうの消したくなくて、意味もない数字が並んでいるわけですが、いつも思うのは、なぜ「3333絵」となったのか。なぜ「PPPPPPPPっぽ」になったのか。半角から全角になったのか。

猫の足跡の数字の方が、私には謎です !!!

「333333333333333333333絵444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444444777777CXXXXXXX」」」」」」」」DSX」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」-----------------------------------------------------/8989999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999999PPPPPPPPっぽ00000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#四字熟語のお勉強 その4

2021-01-26 01:27:09 | 梢は歌う(日記)

#四字熟語のお勉強 その3」の続きです。

18日

「一心同体 一心不乱 一世一代 一石二鳥 一知半解  一朝一夕  一長一短

  一得一失  威風堂々  一刀両断  意馬心猿  葦編三絶」12

 

19日

「意味深長  因果応報  因循姑息  隠忍自重  有為転変  紆余曲折

  右往左往  右顧左眄  有象無象  海千山千  雲散霧消」11

 

《読み方》

18日

「いっしんどうたい  いっしんふらん  いっせいちだい  いっせきにちょう  

いっちはんかい  いっちょういっせき  いっちょういったん  

いっとくいっしつ  いふうどうどう  いっとうりょうだん  いばしんえん

いへんさんぜつ 」

 

19日

「いみしんちょう  いんがおうほう  いんじゅんこそく  いんにんじちょう
  

ういてんぺん  うよきょくせつ  うおうさおう  うこさべん  
  

うぞうむぞう  うみせんやません  うんさんむしょう」

 

この中の「意馬心猿」と言うのは「馬や猿が騒ぐのを抑えがたいように、欲情で心が迷うのを抑えがたい事。」と、テキストに書いてありました。

「欲情」と言うもの限定なのか。

それだと、中学生に「『意馬心猿』ってなんですか ?」と聞かれたら、チト答え辛いものがあるなと、私は感じました。それで「欲望」に置き換えてしまいそうです。

だけど、人と言うものは覚えたてのものは、「一知半解」な知識であっても使ってみたいものです。大きな声で「意馬心猿~!!」とか叫びながら、ペコペコになったお腹を満たすために、コンビニに立ち寄り肉まんなどを買い求め外で立ち食いし、その時レジの後ろに立っていた知識人が、眉をしかめると言う事にでもなったらと思うと、迂闊な事は言えないなと思いました。

と言っても、99.9%は、そのような事は起きないのですが。

だから他のサイトでも調べ直してみました。そこには「煩悩ぼんのうや情欲・妄念のために」と書いてありました。それだったら、「欲望」に置き換えてもセーフですね。

だけど、そこに書いてある「妄念」とは、「迷いの心。誤った思いから生じる執念」と言うもので、「誤った思いから生じる執念」で考えると、四字熟語の『意馬心猿』は迷路に迷い込んでしまいそうな言葉だなと思いました。(でもきっと本質は単純 !)

因みに「一知半解」はなまかじり。または良く知らない事を言います。

 

今回のお気に入りになった言葉は「葦編三絶」です。

それは「書物を綴じた紐が三度切れるほど、熱心に読書する事。熟読する事。」

熱心に何かをすることが伝わってくる言葉は素敵ですね。

そんな経験はないのですが、我が家には「葦編三絶」をされた本ならありますよ。

でもこの本を読んで、読書とは言わないかな。

その本って言うのは「ウォーリーをさがせ」です。

あまりにもみんなが熱心に読むので今は解体新書になってます。←ちがーう !!!

 

「因循姑息」は古い考えやならわしに拘り、一時逃れの方法を探すさま。

「隠忍自重」はじっと我慢して、軽はずみな行動をしない事。

「右顧左眄」は右を見たり左を見たりしてためらう事。

 

ちょっと意味を知らない言葉が多くありました。特に「因循姑息」はどうやって使うのかなと、用例を調べてみました。

『しかるに幕府の攘夷論じょういろんはとかく因循姑息に流れて埒らちが明かぬ、<福沢諭吉・福翁自伝>』

要するに「その場しのぎ」。

そうすると、「この国のコロナ対策は、どう見ても因循姑息なやり方だったと思わざるを得ない。」とかに使うのだなと、・・・・・・一応、分かりました。

 

ともかくも、今は「隠忍自重」の時代ですね。

明日も引き籠ると言いたいのですが、歯医者にはいかねばならず・・・・・

ああ、むしろ引き籠っていたいなと思いつつ・・・・

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

麒麟がくる 第四十二回「離れゆく心」

2021-01-25 00:58:56 | ドラマ (大河)

光秀が、一歩、また一歩と本能寺に近づいていく・・・・・

そんな回だったと思います。

帝からの密かなミッションを受けた所までは、前回までのお話。

荒木村重が信長を裏切って、城に籠城します。

彼の話を聞いて、光秀は義昭を訪ねます。信長が如何に権力を持ち、あちらこちらを抑えても、なかなか皆の剣が収まらないのは、やはり将軍義昭に理由があるからだと思う光秀だったからです。前回にも国衆との会話からそう思うシーンがありましたね。

そのような流れだった故に、そうかも知れない→やはりそうに違いない、という、光秀の行動に説得力が出たように感じました。

訪れた先では、義昭は呑気に鯛などを釣っていました。良く釣れる場所と聞いたのに、毎日釣れるのは一匹だけだと。

それを光秀が釣ってしまい、後で義昭は駒に

「悔しかったが嬉しかった。」と手紙を書くのでした。

しかも「大事な事だから二回言います。」のように、「嬉しかった。」と二回書いてあったのだそうです。

義昭は、京へ戻りましょうと言う光秀に、「光秀ひとりの京だったらなぁ」などと言い、駒は駒で、手紙には「光秀とだったら麒麟を呼べるかもしれぬ。」と書いてありましたと、真顔で伝えるのでした。

 

なんたって明智光秀・・・・・・まじめすぎる男ですから !

「あっ、どーも。」で交わせる人じゃないのですよね。

だから自分の中で自分に使命を与える者を、作っていってしまったのかも知れませんね。

 

家康は、船でわざわざ遠回りをして、摂津で光秀に会いに来ます。

そして三河の窮状を光秀に訴えるのでした。なんたって家康は、長男と妻の命がかかっているのですから。

(悲しく許しがたい事ですが)妻はともかく、家の嫡男を外部干渉で腹を切らされたら、やはり家康はもとより家臣の心中には恨みが残らないはずはないのです。

それを光秀が訴えても、もう信長の耳には届きません。

「わしは家康を試しているのだ。」などと言うのです。

この後、信長はまたも光秀の行動を責めたてます。それはいつも動向を見張っているとばらしているようなものですね。

帝と何を話したのかと詰め寄る信長。

 

なんたって明智光秀・・・・・・まじめすぎる男ですから ! ←二回目。

テキトーな事を言っちゃえばいいのに。しかも自分の都合の良いような嘘を言っちゃえばいいのに。信長の信頼を利用してだな、上手く褒めて褒めまくり、信長すらも操る・・・・・なーんてことは一切起きない !!

「自分の事、なんか言ってた ?」

「秘密でござる。」

「えっ、良いじゃん。俺とお前の仲じゃん。早く言えよ。すげー気になる。頼んでるんだから、ネッ、言えよ。言えっていっただろ !!」

「絶対にダメでござる。」

ムキー、ペチペチ

「じゃ、もう良いよ。帝変えるから。」

「えっ !?」

と言うような展開でしたね。

個人的には、ほんのちょっとだけ、そう、ちょっとだけですが、信長に同情してしまいました。

だって、「なんて言ってたのかなぁ。あー気になる。」ってなりますよね、やっぱり。

 

 

私は、やっぱりこの信長は好きです。他の信長は、なんとなく強さ聡明さが強調されて、なにげに神格化されてしまったような気がしていたのです。ゆえにファンも多いのかとは思いますが。

だけどこの信長は、かなり普通の人だと感じるのです。それはもちろん凡人と言う意味ではありません。また普通の感覚の持ち主でも無かったかもしれません。何が普通かと言えば、普通の人間だなと感じるのです。愚かで寂しい普通の人間です。

「何でこうなった。」と呟くシーンが、多数出てくるように思います。

その言葉を聞くたびに、ちょっと胸が痛くなるのでした。

本能寺でこのセリフを言われたら、ちょっと涙腺が緩むかもしれません。(言いそう・・・)

 

だけど村重の「有岡城の戦い」は「軍師官兵衛」で意外と詳しく描かれていましたよね。妻のだしの処刑とか、涙を誘いましたね。

あの家臣・家族の処刑の事を思うと、どんなにこのドラマの染谷信長がキュートで可愛らしいと思っていても、もう庇いきれるものではありません。

 

あと2回。

うそ~!!

と、言う気持ちになりますが、予告編で帰蝶さまの口から恐ろしい言葉が。

みんなで光秀の心に杭を打ち込んでいるような気がします。

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「また、あなたとブッククラブで」を見てきました。

2021-01-24 01:28:17 | 映画

1月22日、お友達とご一緒に見てまいりました。

これが、2021年に一番最初に映画館で観た作品になりました。

キャストが、ダイアン・キートン、ジェーン・フォンダ、キャンデス・バーゲン、

メアリー・スティーンバージェン。

1946,1937,1946,1953。

これは何の数字かと言えば、まあ、彼女たちの生誕の西暦でありまして、思わず「やすらぎの郷」かと、心の中でツッコミを入れてしまいました。

そう言いましても、彼女たちは、私が青い春と言う時代を過ごしていた頃、映画界で旗を振っていた人たちで、憧れの人たちでもあったのです。

その人たちの映画とあっては、何気に心ときめかせ、この作品をチョイスしました。

だけどこの日、いつものように深夜族。寝る時に、時計を見ながら今日は映画に行くのに大丈夫かしらとは思いました。でも映画が面白かったら大丈夫よと、いつものお気楽な私が言いました。

こんな事を書くと、次に言う事が簡単に予想が付くかと思います。

早くも「一戦一敗」になってしまうのかと思ってしまいました。

「敗」と言うのは、いわゆる寝落ちです。

お友達はすべてがツボにはまり、楽しくて面白くて素敵な映画だったと言いました。

何の反論もありません。私もそう思います。

ただこの人たち(ヒロインたち)、「ブッククラブ」、つまり長年続けてきた「読書会」と言う、なんて言ういうか、知的な香りのする集会で、話していることは、思春期の少年が3分に一度考えると言うアレの事ばかりです。

なんだか眠くなってきてしまって、筋を追いながら、時々うつらうつらとしてしまいました。ただ一敗目にはしたくないが一念で頑張っていたのですが、突然目が覚めました。

ヒロインのダイアン(ダイアン・キートン)が、知り合いになったパイロットの家に行って、自家用機に乗って空のデートをする辺りから。

 

これはある種の大人のおとぎ話だと気が付いたら、なかなか面白くなってきました。

夫を喪った普通の専業主婦が、娘に会いに行く飛行機の中で、隣に座ったのがパイロットの休暇中で、ナンパされて、家に行ってみたら、何かの特許料で広大な土地とゴージャスな家の持ち主で、飛行機デートをしたり、別に普通のおばさんにしか見えないヒロインを会った途端に「君は特別な人だから。」と言わしめる。

無いから。

そんな事は、普通。(笑)

キャンデス・バーゲンのシャロンのシーンなど、完全にコメディで、「ブッククラブ」と言うタイトルで、勝手に勘違いしていたジャンルを切り替えたら、俄然面白くなってきました。

「最後から二番目の恋」でセフレと言う言葉を知りましたが、そんな相手は居ても今まで独身で頑張って来て、ホテルオーナーまでなったビビアン(ジェーン・フォンダ)、夫とは離婚して、その彼には若い恋人が出来たことを苦々しく思っているシャロンは連邦判事。35年を経た結婚生活の危機に直面しているキャロル(メアリー・スティーンバージェン)はオーナーシェフ。

まるっきり見えてきませんでしたが、みんな今まで、メチャクチャ頑張ってきた過去があったのだと思います。

まるっきり感じる事が出来ませんでしたが、様々な本を読んで、皆で深く語り合って来たのに違いありません。

だから、第二の人生にも男性のパートナーがちゃんと現れて、また恋が出来る事が最高と言うような恋愛至上主義のような物語に、ちょっと、本音を言えば物足りなかったような気がします。

でもこれはおとぎ話。

だから「王子様が現れて、二人は幸せになりました。」×4

で、メデタシメデタシで良かったのかも知れませんね。

 

ただ、さりげなくぶち込まれたテーマはちゃんとあって、詳しくは書きませんが、長い夫婦の関係での、普通にぶつかるキャロルの問題。

また、本当に親想いで良い娘たちが出てくるのですが、母親を愛するあまり、必要以上に年寄り扱いにしてしまう問題。

本当に人生には、いろいろな問題があるよね。

 

と、まとめた後で、書くのもなんですが、とりあえず、彼女たちが活発な恋愛活動をするようになったのかと言うと、読んでいた本の影響みたいなんですね。

その本は「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」と言うもので、2014年に主婦が趣味でインターネットにアップした官能小説が評判を呼び、全世界でベストセラーになったものらしいです。と言っても、またも私はまったく知らず。

これ、映画化になったものがAmazonprimeで、見る事が出来るみたいですね。

 

 

後、ダイアン・キートンは、やっぱり素敵な人だなと思う記事もリンクしておきますね。→「Happy Birthday ダイアン・キートン! 前向きに年齢を重ねるヒントが詰まった10の言葉。」

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

#四字熟語のお勉強 その3

2021-01-23 01:44:16 | 梢は歌う(日記)

「四字熟語のお勉強 その2」の続きです。

1月16日

「一期一会 一言半句 一日千秋 一汁一菜 一念発起 一部始終 一望千里

一網打尽 一目瞭然 一陽来復 一蓮托生 一攫千金」12

1月17日

「一家団欒 一喜一憂 一気呵成 一騎当千 一挙一動 一挙両得 一刻千金

一視同仁 一瀉千里 一宿一飯 一触即発 一所懸命 一進一退」13

 

《読み方》

1月16日

「いちごいちえ いちごんはんく いちにちせんしゅう いちじゅういっさい

いちねんほっき いちぶしじゅう いちぼうせんり いちもうだじん 

いちもくりょうぜん  いちようらいふく いちれんたくしょう

いっかくせんきん」

1月17日

「いっかだんらん いっきいちゆう いっきかせい いっきとうせん

いっきょいちどう いっこくせんきん いっしどうじん いっしゃせんり

いっしゅくいっぱん いっしょくそくはつ いっしょけんめい いっしんいったい」

 

今回は、読み方は簡単なものが多かったと思います。

だけどいくつか、言葉は知っていたけれど、上手く説明が出来ないかも知れないと言うのは何点かありました。

そのうちのひとつは、「一陽来復」

よくお店なんかの鴨居の上か何かに、この書画が掛かっているような気がします。

また、年賀状なんかにも書かれていることもあるかもしれませんね。

これの意味は、「冬が終わり春が来ること。新年が来ること。また、悪いことが続いた後で幸運に向かうこと。陰の気がきわまって陽の気にかえる意から。▽もと易えきの語。陰暦十月は坤こんの卦にあたり、十一月は復の卦にあたり、陰ばかりの中に陽が戻って来たことになる。「復」は陰暦十一月、また、冬至のこと。  」

(goo辞書より)

何気に、今この「一陽来復」と言う言葉が待たれているのかもしれませんね。

 

それから「一気呵成」。意味は二つあって、

  • 文章を一気に書き上げること」
  • 「物事を大急ぎで成し遂げること」

なのですが、なぜここに「書き上げる」と言う意味が出てくるかと言うと、語源に「「凍った筆に息をかけて温めて、その間に一気に文章を書きあげる」と言う中国の書物からの背景があるからなんですね。これは「ここ」を参考にさせて頂きました。

また「一瀉千里」と言う言葉も気になりました。意味は「流れのきわめて速い形容。転じて、文章や弁舌などが巧みでよどみのないことのたとえ。」

あらッ、「一気呵成」に似ているなと思ったら、ちゃんと「類語」とに入ってました。

完全に知らなかったのは「一視同仁」。意味は「人によって差別することなく、すべての人を同じように慈しみ、また待遇すること。 」

大事な事ですね。これが出来る人は人間として、そうとうレベルが高い人だと思います。

 

というわけで、またね。

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「蒼ざめた馬」とミス・マープル「復讐の女神」

2021-01-22 00:28:59 | 海外ドラマ

年末と新年に録画しておいたものを、順番に見ていました。

ミス・マープルの「復讐の女神」ですが、

これは韓国ドラマの「復讐の女神」の放送時に、関連ドラマとして放送されました。なるほどトリックが一緒。

※ 韓国ドラマ版「復讐の女神」の感想は→「韓国ドラマ「復讐の女神」」

 

ミス・マープルは、依頼された古き友人から「復讐の女神」と呼ばれます。彼女自身が誰かに復讐するのではなく、真実を暴く者として、そう呼ばれたのですね。

人は愛しすぎても人を殺す。でもやはりそれは究極の自分勝手。一番愛しているのは自分自身に他ならないなと思いました。

ミス・マープルのシリーズはあまり見ないのですが、上品で容赦のなさと優しさが混在しているようなそんな感じがして、これからはたまには見てみたいなと思いました。

 

AXNミステリーで、この「蒼ざめた馬」の予告編を見た時に絶対に見たいと思いました。私はオカルトも好きですから。

予告編では、怪しげな祭りのシーンや三人の魔女のシーンなど、オカルト色がいっぱい見え隠れ・・・・。

でもアガサでオカルトって可笑しいですよね。それっぽく見えるサスペンスかと思って見ました。

だけど、確かに妻の死の真相も犯人もトリックも分かるのですが、やっぱりこれは、しっかりオカルトもしくはホラーになっているんじゃないかと、最後に思いました。

そのラストはちょっと分かり辛かったのですが、見るものが好きに受け取って良いように、少し幅を持って描かれていたのかも知れません。

人は呪いで殺せるのかー。

雰囲気バッチリ、面白かったです。

またこれは原作と、雰囲気が違うみたいですね。そこにもまた興味が湧きました。

 

《近頃、記憶喪失症気味なので、以下は自分のためのネタバレのメモ的感想です。》

あの三人の女性たちは、普段は占いなどを生業としてるけれど、本当に魔女だったのかと思わせるラストでしたね。

死の床から生還した妻の前に、魔女たちは現れていましたよね。妻は普通に「夫はどうしたの。」みたいな事を言ったので、やはり彼女たちとは面識があったのかも。

だけど看護師が部屋にやってくると、三人は居ないなんて?!

それに訳が分からないのは、家に戻ってきた主人公である夫が、ドアの所で拾った新聞に自分の死の記事が載っていた事。そしてその先のバスには死んだ妻が・・・・・

悪夢に取り込まれた男?

やはりここは好きに受け取って良い所なのかも知れませんね。

犯人は、怪しかったあの人だったけれど、「あっ、そういう事か。」って思わせてくれるトリックで、なかなか面白く感じました。

そして嫉妬して疑うのは、ちゃんと裏を取ってからにしないと、墓穴を掘るよねと言う教訓でもあるなと思いました。

 

※ とりあえず、ドラマの録画消化は終わりだと思います。日本の作品も海外の作品も良作が多くて、良い時間が持てました。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

若冲あれこれ ☆

2021-01-21 01:34:37 | テレビ・ラジオ

「ライジング若冲~天才かく覚醒せり~」を見ました。」

のある意味、続きです。

前のその記事の終わりに、もう一回書きたいけれど、続けては書けないと言うようなことを書いてしまったのですが、「相棒」のラスト10分で、まさかの寝落ち。感想が書けないので、こちらを先に書きました。

☆☆

「ライジング若冲」を見て、かなり魅せられた私は、またもあれやこれやと気になる事を調べてみました。

無知なるがゆえに、新しく知る事がたくさんあって、それゆえに毎日が楽しい私です。

若冲の絵は、姉の影響もあって、大好きです。

ウィキペディアの「若冲」のページの「展覧会」の項目を読むと

《2016年(平成28年):東京都美術館で「生誕300年記念 若冲展」開催。「釈迦三尊図」と「動植綵絵」全30幅の同時公開は東京初となり、320分の入館待ち時間を記録。》とあります。

あの時は本当に大変だったなあとは思いますが、今思い返すと、あの狂宴に参加で来て幸せだったなあとも思うのですよ。

その時の私の記事は→「生誕300年記念若冲展」 

         →「若冲地獄」

でもその絵画展に行った時には、若冲の人となりや、その人生の事など考えもしませんでした。そこに想いが行ったのは、ドラマの影響に他なりません。

お蔭でいろいろな事を知りました。

☆その一つには、売茶翁と言う人がいた事。ドラマでもかなり魅力的に描かれていましたね。彼は煎茶を広めた人。

大学生の頃に、「お茶を習ってる。」と友だちに言いましたら、その人が「煎茶を習っていた。」と言ったのです。煎茶と言うのは急須に入れて、茶碗に注ぎ、そしてごくごく飲めばいいのだと思っていた私は驚きました。

なんでも「その道」と言うものが生まれるものなんですね。

いろいろなサイトでも参考になると思うのですが、私的メモでもあるので、やはりウィキ様で貼っておきますね。→売茶翁についてはここ

 

☆ 大典と言う人がいた事。

ドラマはフィクションですが、ちょっとそれに準じてこの人を見てみると、この人は若冲よりも3歳年下なんですね。だけど、亡くなったのは、1801年3月22日。

若冲はその前年の1800年の10月27日に亡くなっているので、大典は若冲が亡くなってからほぼ半年待たずに亡くなっていて、何かドラマの中の「死が二人を分かつまで」の言葉が思い出され、しみじみとしてしまいます。

と言っても、85歳と83歳なのですけれどね。ついでに言うと、ドラマの余韻に浸りたい場合は、あまりウィキでの肖像画をじっと見ない方が良いかもしれませんね。二人の絵は、ちょっとおじいさんですから。

大典についてはここ

 

☆ 丸山応挙 、池大雅 、玉欄

についても、興味が湧きました。これからは美術館で彼らの絵を見た時には、きっと中川・大東・門脇さんの顔が思い浮かぶに違いありません。

ただ玉欄については、この時代の女性絵師など珍しい事なので、すこぶる興味を感じたのですが、ドラマ内ではほとんど描かれず、少々物足りなさを感じました。

 

☆若冲と言う名前の由来について。

ドラマ内でも説明がありましたが、老子の言葉の「大盈若沖、其用不窮。」から来ているのだそうですね。「大盈(たいえい)は沖(むな)しきが若く、その用は窮(きわ)まらず。」と読み、意味は「本当に満ちている物は空っぽに見えて、その働きは枯れる事が無い。」

なんだかカッコいいですね。

 

☆「天明の大火」と言うものが京都であった。

これはドラマが終わっても、人生はつづくというもので、ドラマには関係のない事です。

だけど若冲も大典も焼け出されました。それゆえに、若冲もきっと自分が思い描いていた晩年とは異なる生活を強いられたと思いました。

 

☆ 若冲縛りの旅に行く夢を見る。

もしも次に京都に行く機会があったならば、若冲縛りで行ってみたいと思いました。

彼の生家はもうありませんが、錦小路に行くと、その生家跡に看板があるみたいです。まずはその看板をパチリと写真を撮るでしょう。

次に行ってみたい所は「相国寺」です。そしてそこにある「承天閣美術館」にも行きたいと思いますが、そこで見る事が出来る若冲の作品は「葡萄小禽図床貼付」、「月夜芭蕉図床貼付」の2点らしいですね。

石峰寺」は、天明の大火によって家や財を失った若冲が晩年に身を寄せていた場所です。そこで若冲は石仏を作っていました。その五百羅漢を見てみたいし、お墓も相国寺と共に、その石峰寺にもあるのですよ。

それから昔丹波と呼ばれていた所にも行ってみたいと思いました。

 

今はちょっと無理な事ですが、夢を見るのは自由な事ですから、今のうちにやりたい事の夢を膨らますのも楽しい事だと思います。

 

 

 

 


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする