森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

申し訳ありません金曜日

2020-07-29 08:09:44 | 梢は歌う(日記)

 

ずっと昔の小学生の頃、家族で父の実家である山梨に行き車から降りた途端に、外に出ていた祖母の家の隣の人が父を見つけて、

祖母の家に行き「東京が来たよ~!!」と伝えました。すると嬉しそうに家の奥から祖母が飛び出してきて、私たちを迎えてくれたのでした。

それはとっても嬉しい瞬間だったのですが、私は心のどこかで戸惑っていました。

父は自分の家族に、住んでいる所を偽っているのだろうかと不安に思い、後から父に尋ねました。すると父は、

「あれはね、東京の方から来たよと言う意味なんだ。」とニヤニヤして答えましたが、その時のニュアンスで、私は地方の人から見たら、横浜も東京みたいなものなんだなと感じたのでした。

 

☆      ☆      ☆

 

毎週金曜日決めた時間に、姉妹でlineを利用して集会をしています。時々、皆の都合で時間が変更になるので、前日に翌日の確認のメールを書き込んでおきました。

するとスノウさん(すぐ下の妹)から、

「申し訳ありません金曜日」と返事が来ました。

何を謝っているのかしら。何か都合が悪くなってキャンセルかしら、と思ったら

「『もう金曜日か。』と打ったつもりだったのに、『もう』と打ったら『申し訳ありません』になっちゃったの。」と追加の返信が来ました。

あるある、そう言うの、と私も思いました。

「でもなんだかドラマのタイトルみたいじゃない。ドラマを感じるわ~。」と私が返信すると、

「私もそのドラマ、見たい~」と、名都さん(一番下の妹)参戦。

図に乗ってスノウさん、

「あたしって、無意識でも天才なのね。」

はいはい。(^_^;)

だけど「もう」と打って、「申し訳ありません」と出てしまうって、君はどんだけって・・・・・・・私はスマホ前でニヤニヤしちゃいました。

私だったら、「もう」と打って「妄想金曜日」になっちゃうかもね。

 

※          ※        ※

その時の金曜日の内容はごうとうキャンペーンのお話でした。

難しいお話は他の方にお任せします。

と言いつつそうとうムカムカしていました。

コロナの感染者数が増えだして、2波が予想外に早く来たと懸念してる最中に「お出かけ下さい」と言うのも変だし、かなりの行き当たりばったりを感じさせるもので、このキャンペーンを使って、安く行こうとした人が直前になって、自分の計画したことがそのキャンペーンには当て嵌まらずがっかりしたと言う話も聞きましたが、もっと酷いのは、旅館側の人の中にも、自分のところがそれに当てはまるのか分からず、問い合わせに答えられないような状況さえあったということです。

さらにこの「行き当たりばったり」キャンペーンは、凄かったですよね。

もちろん急な「東京外し」もそうですが、そのキャンセル料を払わないと平然と述べたり、やっぱり払うと言い、だけど実害分だけのために旅行会社の方に事務的な余計な仕事を増やしたり・・・・・。

だいたいそのキャンセル料って、どこから出ると言うのでしょう ?

必要もない出費を生み出して、行けもしない人たちのお財布からそれを支払う羽目になっているのだと思いますよ。税金ですからね。

本当に、あれ、ごうとうキャンペーンにしか聞こえなくなってきてしまいました。

だけどなんでも反対って言うのもなんだしねとも思うのですよ。だからコロナ終息後には、また一族での旅行にそれを利用出来たら良いなとも思っていましたよ。

でもそれが「今かよ~ !!」ってな感じですよね。

「今じゃないだろ。」って思いましたよね。

 

いずれにしても、私が良いなと思っていた計画など今は実行できるわけもない事でした。なんたって一族と言う団体でしょ。

それに東京在住が5人。病人と年寄り含む。もうダメじゃん(^_^;)

 

 

だけどその前の金曜日の集会は、そうとう「妄想金曜日」でもあり「申し訳ありません金曜日」だったかもしれません。

と言いましても、それについて話していたのは私がメインで以下「」が続きますが、全部私の会話です。

私。「怖いってのもあるけれど、それに加えて今ちょっと金欠でどこにも行けないってのもあるな。それでももし行こうってなったらさぁ、私は迷わず××手に行くわよ。」←嘘です。

「それでさ、そこに行ったら、バーンってマスクを外してそのマスクを天に掲げて『自由よ~!!!』って泣きながら走るの。」←嘘ですから。

「そんな事を夢見て、そしてそこにやっとの想いでたどり着いたら」←既にゾンビ映画の状況に・・・・

「そこには『××手』と言う高いゲートがあってだな、××手県の皆さんがその前で竹やり持って『東京は帰れ !!』って言うのよ。『俺たちは息子すら帰省させないで我慢してるんだぞ。』」

「えっ ?!、東京ではありません、千葉から来たんです。」

「『何言ってるんだ。千葉は東京だろ。知ってんだぞ。自分たちで名乗ってるだろう。東京ディズニーランド、東京大学、東京理科大学、新東京国際空港・・・』」

「あっ、今成田は違いますから。それに東京ドイツ村も入れてください。なんか仲間外れ嫌なものですから・・・・はっ、何を墓穴を掘るようなことを言ってるんだ私・・・・」

「『ほら見た事か。白状したな、千葉は東京だって。東京は帰れ~』」

「そして私は、あああ ってなる。」

 

↑ ×××県の皆様、申し訳ありません。m(__)m 

その県の皆様が、4日間の連休を乗り越えて、0と言う数字の継続更新が出来るように、心から願っています。

 

ってなわけで、4連休は静かに家に居ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「コンフィデンスマンJP プリンセス編」を観てきました♪

2020-07-24 12:50:35 | 映画

7月23日にひとりで観てまいりました。

楽しかった~ !!!

この作品は、それが一番ですよね。

前作の方が、ある意味ドキドキするシーンが多かったのかも知れませんが、何でだか話の流れがまるわかりでした。すごっく良く出来ているのですよ。(面白かったしね。)それなのに・・・・。本当にあれはずっと昔の「スティング」で、「ええええーーーーー !!」と言うくらいの衝撃を受けてから、このようなジャンルに対して、「そう言う目」と言う目を持って見てしまうからだと思います。それにドラマの方で、この作品の「傾向と対策」みたいなものが脳内で鍛えられていたからだと思うのですよね。

ある意味、作り手と視聴者との勝負じゃありませんか。

そして騙されたら負けかと言うと、そうじゃなくて、騙されると「ヤッター♪」となる、どっちに転んでも勝と言う勝負^^

今回は「ヤッター♪」の方でした。

詐欺師たちのお話なので、ネタバレなしで一応書いてます。

 

でもココでではありませんよ。 ↓

 

いや、ここで騙されなかったと威張る方はいませんね。

でも私、ここでも「あー、なるほど。そうだったのか。」と思う事がありました。そう思うと、2回目に見る時の楽しみになりますよね。

東出君のボクちゃんのキャラ、本当に好きです。

こちらがホロリと来る時、必ずボクちゃんは泣いているんですよね。本当にホッと出来る人だなと思います。笑わせてくれるしね。

私が一番、「ああ、なるほど~」と思ったのは、そのボクちゃんの心配は実は私もずっと気になっていたのです。でもそれが最後に・・・・・

なんだか優しいお話でした。

エンドロールに入るそれぞれの映像や、その後のおまけのシーンにも、その優しさを感じました。

いろいろある今の世の中ですが、ラストのダー子のセリフは、この作品の作り手みんなからのメッセージだと思いました。

 

とにかく楽しい~。

続編希望です !!!

 

 

だけど、

声を出して笑って、さあ終わった、帰ろうと席を立った時に、不意に悲しみのような感情に襲われました。

落せない女はいないと豪語するジェシーのシーン、最高でしたよ。その日の朝に振り付けを学んで、その日のうちに撮影と言うそのダンスシーンは楽しめたし、そこでの内容にも凄く笑えました。歌って踊れる春馬君の良い所を引き出しているシーンでした。(歌ってはいませんが。)後から意味が分かる、唐突に入るジェシーのお色気シーンも、可愛かった。(こちら、おばさんなので(^_^;)

 

そしてまた私は、ずっと同じところをグルグルと周っている考えから抜け出せないで、再び同じ事を考えてしまったのです。

なぜ、この映画の公開を待たずに死ねたのかと。だけどなぜと問うても、意味のない事です。

その日の朝、番宣で長澤まさみさんがテレビに出ていて、たまたま見たのですが、そこで

「コンフィデンスマンの映画に映ってる春馬くんはとてもキラキラと輝いていますので、その姿をみんなの目に焼き付けてほしいなという気持ちです。」と言っていました。

 

そしてまた数日前に福山雅治さんが

「彼が生きてきた証である映像作品や歌、これから公開される作品をどうぞ変わらずに、むしろ今まで以上に見てやってください。そして応援してください。彼の表現した作品を愛してください」と言っていたでしょう。

 

私は、ドラマや映画を観る側の人。だから私は彼らの言っていることに凄く共鳴し、そして思いました。

これからは「なぜ」と問う代わりに、君の作品を見続けるよと。

 

だけどダー子のセリフのメッセージが、君には届かなかったんだなと思うと、やはりしばらくはこの悲しさからは抜け出せそうにありません。

ネタバレなしなので書きませんが、そのセリフが何かが気になって、不眠になりそうな方は予告編の最後がそれです。

リンクを貼っておきますね。

https://eiga.com/movie/92106/

 

 

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OSANPO in Mizumoto Park

2020-07-21 14:34:00 | お散歩&写真日記

Take a walk in Mizumoto Park」

ふざけたタイトルをつけていて、誰かに叱られるといけないので、一応書いておきました。

水元公園の蓮と睡蓮以外の画像とで「水元公園」のご案内記事です。

※ 蓮と睡蓮の画像は「蓮と睡蓮と―妄想は楽し」です。

 

行く前日の夜(15日)、ふとメタセコイヤの森はどうなっているのかなと思いました。今頃は深い緑色かしら。

だけどそこでは星子さんと写真を一緒に撮ったら、いつの間にか3人で写っていたりするかもしれないななんて事も思ってしまったりしました。

美しい紅葉したメタセコイヤの森に行ったのは、2017年の12月だから、早くも2年と半年が過ぎてしまったのわけですが、あっという間に過ぎたと言う気持ちの反面、まだそんなものかと言う気持ちもあるのです。

だけどその時一緒だった愛子さんはもう居ない・・・・・。

 

この緑の森の前を過ぎる時、その写真の話をしたら、星子さんは言いました。

「愛子さんだったら、別に写っていてもイイナ。」

「そうだね。『やっぱりいたんだね。』ってなるよね。」

 

だけど結局は、そこでの写真は下の一枚しか撮りませんでした。

 

やはり美しい立ち姿だと思いました。

因みに2017年の赤く染まったメタセコイヤの森の画像は→秋の水元公園(その2)です。

 

「水元公園」はいろいろ季節によって見どころがありまして、6月の初夏には紫陽花や花菖蒲かと思います。

もう過ぎてしまった季節ですが、もしかしたらのんびりさんがいるかしらと思っていました。

 

 居たと言えば、本当に少々残っていましたね。今度は紫陽花と水芭蕉の頃に、一度は来ても良いかも知れないと思いました。

また、川のほとりにはこんな碑がありました。↓

 

この場所に樹齢200年の松の大木があったけれど、病気になり回復不可能と言う事で2010年に伐採されたのだそうです。

だけどその横に、後継の松が育っていました。

すくすくと伸び、この松が大木になった200年後、今この公園を歩いている人は誰一人居ないのですね。

大きくなれよ~。そして人の世の変遷を見届けてね。

休憩所横の百日紅です。 ↓

 

 

「水元公園」って本当に広くて、全部見たら夕方になってしまいそうです。いろいろなコーナーがあるのですよ。2017年に行ったところはほとんど省いて回りました。

↓ 「金魚コーナー」です。

 

また違ったコーナーで、あれに見えるは・・・。

「オニバス」ですが、残念ながら花は咲いていませんでした。

どのような花が咲くのかと言うのが気になったのですが、この公園のHPに昨年の画像が載っていました。

次の画像は、そこからお借りしました。

 

このオニバスのある池は、7月初めから9月にかけての期間限定での公開みたいなんです。そうすると、来年は見てみたいと思っても、紫陽花の頃に来るのでは叶わない夢になってしまいそうです。

このコーナーは知らずに訪れたので、葉だけ見ても結構満足しました。

その周辺の花たちも可愛らしかったしね。

 

↑ ヒメコウホネ

↑ ヌマトラノオ

バードウォッチングのコーナーの方から飛んできたのでしょうか。1羽の鳥が凛と佇んでいました。

↑ アオサギでしょうか。

☆  ☆  ☆

ここに来ようと決める前の会話。

「近所をウロウロするのも少々飽きたな。」と私。

「『水元公園』とか良いかも。」と星子さん。

とっさに睡蓮とか蓮の風景が頭に浮かんだ私は

「良いねえ。そこが良いわ。」とお返事。でも

「別にそこじゃなくても、もっと良いところが浮かんだらそっちでも良いし。お任せします。でも東京以外でね。」と余計な一言。

姉妹たちとの19日の自由が丘集会を延期した後、私はやっぱり怖がりな人になっていたのです。

増えていく感染者数もそうですが、無症状の方々の普通の生活が。無症状ゆえに感染の自覚なく普通にコンビニに行ったり、普通に電車に乗ったり、普通にお店でランチを食べているのではないかしら。

 

「じゃあ、駅で待ち合わせをしてそこでどこにするか相談をしましょう。」と星子さんは言いました。

なんだかオチが見えて来たような気もします。

16日の朝、これと言って相談もせずに電車に乗り込み、当たり前のように水元公園に向かう私たち。

なぜ相談 ?

私はレイによって、やっぱり何にも分かっていなかったのでした。

綺麗な花だなと写真を撮って、その横のポールに目がいってやっと気が付きました。

 

「あああっ、『水元公園』ッテ東京にあるの ?」

「そうだよ。葛飾区に。」

「東葛かと思ってた・・・・(^_^;)」

これ、「GO TO キャンペーン」のジョークみたいになってしまいました。

葛飾区は千葉だよねってやつ。

しかし無知ゆえにと言うか、最近の私、だんだん「天然」な人になって言っているような気がします。

 

「じゃあ、私の『東京以外』って困惑案件じゃない ?」

「うん、そう言うからさ、だから帰りは三郷公園にまわって、埼玉から帰ろうと思うんだ。」

 

と言うわけで、ぐるりと川を渡って埼玉側から帰ってまいりました。

その日は16,400歩。

 

ぜんぜん痩せません。

これのせいかな^^

 

 

 

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蓮と睡蓮と―妄想は楽し

2020-07-20 02:21:55 | お散歩&写真日記

水元公園に行ったのは睡蓮などが咲いているのではないかと思ったからです。

予想通りの睡蓮の花たち。

蓮と睡蓮の画像と文を綴ります。

 

その睡蓮たちを見ながら、私はご一緒した星子さんに言いました。

「フランスに行ったら、やっぱり『モネの庭』は外せないわよね。」

「えっ、そうかしら。」と星子さん。

そうでした。彼女は海外旅行は年に一度か二度は行っている人でした。

「もう行ったことがあるの ?」

「あまり興味がなかったから、行きたいとも思わずに行ってないわ。それより私はゴッホの見た風景が見たいわ。」

「それも良いね。ゴッホの見たアルルの風景も見たいよね。じゃあ、両方行きましょう。」

「でもそれだと方向が北と南で逆よ。」

「無理してでも行きましょ。」

「そうか。フランスだけ行って、自分たちで回ればなんとかなるか。」と星子さん。

かなり具体的な思考の星子さん。それに比べてこのワタクシは、

― やっぱりパリに行ったら、エッフェル塔の前で

『パリ~!!!』と昔の映画や少女漫画のように両手をあげて写真を撮る・・・。

ー セーヌ川のほとりでは、何も憂う事が無くても悲しげに佇んでみる。

― ルーブル美術館に行ったら、あのピラミッドのオブジェ(?)の前で、ああ、ここの奥底にグラナダのマリアは眠っているのねと、フィクション(たぶん)の世界に浸ってワクワクしたい・・・・。

― でもルーブルよりオルセーの方に行きたいよね、やっぱ。

 

と、脳内妄想コンピューターがカタカタと忙しく動き出した時に、

「でも意外とつまらなかったよ、定番コースは。」と星子さんが私の心の中の声を聞いたかのように言いました。それで

「それは一緒に行った人がつまらなかったのよ。私と行くと楽しいよ、きっと。」と何も考えずに即答してしまいました。

だけど「よく言うよ」ってその瞬間思いましたよ。それなのに面倒なので訂正もせず、ゴーマンウーマンになったところで、妄想コンピューターは停止したのでした。

 

で、フランスに行く計画が近々あるのか、またはコロナが無ければあったのかと言うと、それはまったくなかったのです。

確かに「ゴッホ」の映画を見た時は、美しいアルルの風景に

「いつか行こうね。」と言いました。

具体的ではない「いつか」は、妄想日記の未来でしかないかも知れません。

 

でもなんでか、その妄想の計画を語るのは、なんて楽しいのでしょうか。

星子さんは言いました。

「モンサンミッシェルには行きたいでしょう。」

「さほど。」と応える私。

「えっ? そうなの。」

 

この話は星子さんには、少々具体的な話であっても、私には知識のない妄想なので言いたい放題思い放題なのです。

そこに行くなら、私は映画の「冒険者たち」に出てくる島に行きたいと思ったのでした。

 

と、ここまでが水元公園での睡蓮の前で話した事ですが、家に帰ってこの記事を書いていたら、ふと地図を広げて見ようと思いました。

「なるほど~」と、その地図をパソコンで出してしみじみ見たら、やっと星子さんの言っていることが分かりました。

そしてパリとプロバンスはちゃんと見てゆっくり滞在したいと思ったら、無理かもしれないなと急に現実的な気分になりました。

 

だけど「冒険者たち」の島は「フォール・ボワヤール」と言うのですね。

それをグーグルアースで見ていたら・・・・・

高まる~~~ !!!

あっ、じゃあ、アルルも見てみようかな・・・。

ああ、切なーい !!!

 

ああ、こんな風にいつか人はグーグルアースでしか旅が出来ない日が来てしまうとか・・・。

見えない侵略者に勝てない限りは。

いいえ、それは「人は」ではなく、私だけかもしれませんね。

見えない侵略者のせいではなくて、「老い」による肉体の崩壊によって。

 

だったら、それはそれで良いじゃない。グーグルアースの世界旅行、楽しいかも知れません。

― ふーん。アルルは結構古い町並みだな。さすがにBarが多いなぁ・・・。

 

また新しい楽しみを見つけちゃったかも。

 

以下は水元公園の蓮と睡蓮の画像をつらつらと。

見頃です♡

 

 

 


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蓮と睡蓮とー今の気持ち

2020-07-19 00:13:35 | 梢は歌う(日記)

水元公園に行ってきました。

画像と文を綴ります。今日はどうしても彼の事を外して書く事は出来ません。

 

なんだか今日の午後からは、ことあるごとに涙ぐみ・・・・。

好きだった人の、そして若い人の死は辛い・・・・・。

ちょっと笑っちゃってくれていいのだけれど、私の親バカぶりは半端なく、ある時までうちのルート君が三浦春馬さんにしか見えない時があって、それもあって、もう本当に今は辛い気持ちです。(注:息子君、今は面影もなく・・・(/_;)

だけど春馬君、まだ30歳だったんだ。そして吃驚した。誕生日が4月5日だったんだね。

ルート君よりも年下だったんだ。それに誕生日が一日違いだったんだね。しかも土浦出身でもしかしたら、ルート君は通学の時、何処かですれ違っていたかもね。(彼が実家に帰って来てた時とか。)

だからなのか、やっぱり親目線の哀しさを感じてしまうです。

多くの人が未だに信じられないような気持ちだと思うのですが、だけどだけど彼のお母さま、本当に辛いと思います。

美しく育って仕事にも恵まれていたと言うのに。

 

こんな事を言ったら叱られちゃうかもしれませんが、本当に自殺なのかしら。

遺書らしきものがあったと言うけれど、「らしきもの」の場合、違う場合もあるじゃないですか。すみません。頭がサスペンス脳で。

でも彼は仕事にちゃんと貪欲でしっかり向き合っている人にしか見えなかったのですよね。そんな人が、今日ある仕事を無視するかしら。

コロナのせいで延期になっていた映画がやっと公開するのに、それを直前に、その公開を見届けようとしないものかしら。素敵なレギュラー番組も持っていたし、9月からのドラマも決まっていたし、音楽番組に出る事も決まっていた。全部投げ打ってしまうものかしら。

なんだかしっくりこないのです。

それともみんな投げ打っての行動 ?

本当に自殺なら、かなりの衝動的行動のような気がしてしまうのです。

 

だからそれだけの、すべてを投げ捨てるような事があったのでしょうか。

そう思うと、凄く悲しいし切ない。

しばらくは気持ちを引きずりそうです。

 

 

 

 

 

 

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#麒麟がくるまでお待ちください 「秀吉」

2020-07-17 01:55:35 | ドラマ (大河)

※ 横浜の散歩記事を書いていたので、遅くなりました。

「麒麟がくる」のお休み中の特番「麒麟がくるまでお待ちください」で、ついでながら私も過去の大河の思い出を語ってしまおうと言う記事です。思い出が中心なので、テレビの内容には、あまり触れていない場合もあります。

 

今回は1996年(平成8年)の作品「秀吉」でした。

ワタクシ、この作品を考えると、どうしてもある事はスルー出来ないような気がしてしまいます。

つまり、えーと、その・・・・・アレですね。

だからアレです。劇中で彼の何かが昔の下着の間からチラリと見えてしまったと言うアレ。

何もそれを一番にあげなくてもと思うかもしれませんが、いや、サッサと語って次に行こうと思ってるからなのです(本当かしら)

何を語るのかと言うと、つまり「何々だから、それはあり得ない」と言う考えはダメと言う事ですよ~。

私、そのシーンはもちろん一瞬だったのですが、「あれっ?」と驚き思いつつ、天下のNHKがそんなミスをするわけがないから、見間違えだったんだと思ったのです。また自分は穢れているなとも思いました。だけどその週に美容院に行ったら、その事が女性週刊誌に載っていたのですよ。「竹中直人の何とか」と言う見出しで。もちろん「何とか」と言うところには別の言葉が入るわけですが、私、ちょっと学びましたね。もっと自分が見たものを信じようっと。また「天下のNHKだからあり得ない。」と言う思い込みはダメなんだと言う事も。

しかし自分が見たものを信じようと言うのは良いけれど、この場合、あまり映像的には思い出したくない事ですが(^_^;)

 

サッサと語ったので次ですが、私は主役の竹中直人さんの秀吉も好きでしたが、ライバル役の村上さんの光秀も大好きでした。「麒麟がくるまでお待ちください」を見ていましたら、村上さんが出て来て「今までの逆賊のイメージを払しょくさせたいんだ。」とプロデューサーに言われたとか。

私は「国盗り物語」の近藤さんの光秀も好きでしたが、この村上さんの光秀が今までの中では一番心に残っているんです。

このドラマで、すっかり忘れていたのですが「心配御無用」と言う言葉が流行ったのですね。

ところが我が家では、しばらく

「母上、お腹が空きました。」「我慢なさい。」と言う言葉が流行っていたのでした。この時一緒に居たのは「たま」だったのでしょうか。とにかくセリフが「お腹が空きました。」しかなかったようにさえ感じました。

だけど子供に「お腹が空きました。」と訴えられても、父も母も「我慢しなさい。」しか言えないなんて、なんて切ない言葉でしょう。光秀の家族の窮した状況をよく表していたと思いました。

 

この「秀吉」では渡哲也さんが信長で、凄い人気を博していました。それゆえに出場回数を最初の予定より2話増やしたそうですね。

私は渋谷のNHKスタジオパークに遊びに行った時、たまたま撮影をしていてしばらく見学出来た事があったのです。

それが信長と家来のひとりが、何でだか忘れましたが秀吉の小さな家を訪ねていくシーンでした。セットで作られた狭い道を何回も歩いて家の中に入って行きます。ただそれの繰り返し。

放送された時、そのシーンは一瞬だけで、

撮影って本当に大変なのねとしみじみと思ったのでした。

因みにNHKスタジオパークは、2020年の今年の5月に閉館されてしまいました。寂しい事ですね。

 

書きだすと、いろいろなシーンが思い出されてきます。

おねの流産のシーンとか。そしてその秘密を知っているのは秀吉の弟の秀長のみだったことも。

また石田三成が真田広之さんでしたが、本能寺の前に光秀が徐々に追い詰められていく姿に、何気なく「謀反あり」と読んでいた所が凄いと思いました。いざと言う時に京へ飛んで帰る準備を怠りませんでしたよね。

それから…と本当にキリがないのでした。

 

の割には、「秀吉」の信長は本当に良かったのでしたが、何でか「本能寺」の回をまったく覚えてなかったり、光秀の母が人質になったのに、信長によって見捨てられたりして、光秀の裏切りは仕方がないと思いながらも、その母の処刑シーンはまったく思えていなかったのでした。

ゆえに今回の特集で選ばれたシーンなどは、まるで初めて見たかのように感じさせるものが多くあって楽しかったです。

さて次週からは、また違う番組になっていましたね。

 

麒麟はもうしばらくの間待たねばならないようです。

 

「母上、お腹が空きました。」

「我慢なさい。もう真夜中ゆえ。」

 

本当だ。もうこんな時間でしたね。

 

 

 

 

 

 

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横浜で朝散歩・街散歩

2020-07-15 12:07:42 | 家族スナップ

私は「過去」の囚われ人。

「過去」に囚われた者は、記憶の中の街を頼りに現在の街を彷徨うと言う症状に侵される。「過去」の街並みは、たいがいは頼りにしている自身の記憶の中にしかなく、しょうもない気持ちを引きずりながらおろおろと彷徨うのだ。だが彷徨っているうちに、様変わりした街並みの中に時代に取り残された建物が紛れていることがある。

「ああ」と言いながら、彷徨う症状が改善されるかと思えば、ただ胸がキリキリと痛むか、さもなくば切り裂かれるような切なさを感じ、その症状はさらに悪化するのだった。

今と言う瞬間が、未来にずっとは続かない儚い刹那である事に気が付かず、何も大事にしてこなかった時間が悔やまれる。

あの時の友達、あの時見た風景、一緒に笑った想い出も、すべて過ぎて行った時間が魅せる幻か。

あの時の友達、あの時見た風景、一緒に笑った想い出も、すべて人生と言う旅の中のすれ違う人々、過ぎて行った風景、すれ違った人と交わした挨拶に過ぎなかったのかもしれない。

もう言葉を交わす友も居ない街。

もう私には、故郷は意味が無い。

もう故郷と言えるのは、母の家ばかり。

 

※        ※        ※

ほとんど家族の話をしていませんが、前の記事の続きなので「カテゴリー」の「家族スナップ」に入れました。←自分用のメモ。

・「横浜で夜のお散歩」の続きです。

コロナ禍の今、図らずも自分の住んでいる街再発見をしてきましたが、横浜の実家の生活していた周辺の探訪をしたいと言うのは前から思っていた事で、これも細々と実践していました。でも前回意識して歩いたのは2017年でした。

故郷の道を歩く

久しぶりの横浜だったので、またも故郷の道を歩いてみました。今回は一人ではなく姉と一緒でした。そして今回のルートは、私が子供の時は、そこまでは行ってはいけないちょっと遠い場所でした。

小学生の頃は、門限はもちろんあったし行って良い場所の枠と言うのも何気にありましたよね。

そしてそれが徐々に広がっていき、いつの間にかどうでも良くなっていくってものじゃなかったですか。

行動範囲が広がって来た中学高校の頃は、もうこちらの方には何の興味もなく、「故郷」と言ってもまったく新しい場所でした。

 

散歩と言えども、チョーミニミニ旅みたいなものでした。

橋の上から見た風景。橋の下は川ではありません。

緩い坂道を歩いて行くと、その脇道はみんなこんな感じです。

海と丘の横浜。狭い世界の(ある意味の)地平線が見られる横浜。

そしてたどり着いたのが、トップ画像にある「常盤公園」なのでした。

大木の緑に癒されました。整備され綺麗に清掃された道ゆえに、わが町の里山のような公園にはならないのですね。

ここはここで、素敵な散歩道でした。

 

この公園の緑の中で、私と姉は大好きな叔父さんに電話をしました。今叔母さんは病気で入院中。でもコロナのせいでお見舞いにも行けません。電話をすると、とっても喜んでくれて、そして叔母さんは明日退院することが分かりました。

何でも食べられるそうなので、それを聞いて午後からの行動のミッションを思いつきました。

 

公園に飾ってあった七夕飾り。昨晩の大雨にも負けていませんでした。

喉が渇いたので、自販機で飲み物を買いました。何でコーラを選んだのかと言えば、ワタクシ、ミーハーですから、こう言う絵柄を拒否できませんの、ホホホ。

そして今は蝶の季節。

本当は青と緑・・・・。黒と青と緑 ?

とにかく、とっても綺麗な蝶を何度も見たのですが、そやつ、落ち着きがなくて、もう無理~、と写真を撮るのは諦めたのでした。

 

上の蝶の名前すら、自信はありませんが、一応「ヒョウモンチョウ」ではないかと思われます。写真を撮る事が出来なかった青と緑の蝶は何かとも検索してみたら・・・・・・・、チョウの標本ってお高いのですねえ。珍しい蝶だと破格値だし、そうでもないような蝶でも4000円から・・・・・って、思わず欲得の塊になりそうになりましたが、冷静に考えてみたら1000歩ぐらい譲って、蝶捕獲に燃える事が出来ても、その後標本なんて怖くて作れるわけがなかったのでした。

写真、ガンバロー !!

帰り道は、また違う道。

さっき通った、「峰之橋」が見えますね。

帰り道ではかつては友の家だったところ、通った道などを懐かしく切なく思いながら帰途に着きました。

そして午後からは姉と一緒に横浜駅に「横浜タワー」が完成したと言うので、帰りがてら行ってみました。とうとう横浜はこれにて完成かしら。長々と工事中が続き、「サグラダファミリア」みたいだと言われていたのに。

まだどこか工事しているのかしら ?

あまり上手く撮れませんでしたが、間近で鉄っちゃんが出来ますよ。

屋上庭園で撮った花。変わった花が多いなと思いました。

 

 

アイス屋さんで買ったのはソーダでしたが、美味しかったです。

「グレビレア」だと思います。

 

そして楽しかった2日間の横浜滞在を終えて帰りました。

 

横浜から叔母さんにお見舞いを送りました。上の画像の水ようかん。自分でも買って食べてみました。

やっぱり夏は、ゼリーとか水ようかんが美味しいですね。

因みに11日は15999歩。

12日は16029歩。

つまり二日でアバウト32000歩を歩いたわけで、月曜日はクタクタでした。

なのに、なぜ体重が増えている ?

謎です !!

 

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横浜で夜のお散歩

2020-07-14 00:14:34 | 家族スナップ

・「横浜でお散歩」の続きです。

母とのお散歩を終えて部屋でのんびりとしていた所に、姉が早々と夜家事を終わらせて二階から降りてきました。

「じゃあ、行こうか。」と言われて、少々の迷いが生じました。昼間も横浜駅周辺をけっこう歩きましたし、夕方も母と歩いて来て、既に8千から9千歩は歩いていたからです。すると姉が、

「行こうと思っている所はちょっと歩くから、何なら新しく出来たセブンイレブンまでの往復コースでも良いよ。」と言ったのです。

私は思わず、「どんだけそのコースが好きなのよ~ !!」と笑ってしまいました。

そして

「私、平気だから、その行きたかった所に行こう。」と出掛ける事にしました。

※        ※

少し時間は遡ります。

ラッタさんと別れた後、実家の最寄り駅に着いた私は姉に電話を入れました。迎えに行くとラインに入っていたからです。

「大丈夫だよ~」と言ったとたんに雨がザーッと降って来たので、来てもらう事にしました。そしてまた電話を切った途端に、風も強く吹いて傘が差せなくなり、帽子も後ろに10メートル飛んでしまい道行く人に拾ってもらうと言う羽目に陥ったのです。そんなわけで迎えに来てもらえるなんてラッキーと思いました。

だけど木の下で雨をしのいで立っていたら、風も雨も止んでしまいなんとなくバツの悪い感じになってしまいました。

車の中でなんで迎えに来ることになったかの経緯を姉と義兄が語っていましたが、迎えに行くより歩いてきちゃった方が早いと義兄が言った時に、母が「あの子は太ってちゃんと歩けないに違いないわ。迎えに行ってあげて。」と言ったそうなのです。

それを聞いて思わず「なんじゃ、それは。」と言ってしまいました。

確かに、父が亡くなった8年も前に、私は一時半端ないような膝の痛みに歩けない時期があった事はありました。またコロナ自粛中の最初の頃、快適引き籠り生活をしていたら(おうち大好き人間なので)、なんだかまともに歩けないようなヨチヨチ歩きになりつつあったのも確か。だから今こそ気を付けて体は動かした方が良いと思っています。

しかし母に一言だってそんな事を訴えた事はなかったのに、何で「ちゃんと歩けない。」なんて言ったのでしょう。でもこれは容易に推理が出来ます。口から出まかせを言ったのですよ。だってその方が、私が楽だからです。母はありがたいね。言い方はともかく(^_^;)

 

だけど私は義兄に言いました。

「私は体型の割には、意外と歩けるわよ。」と。

「じゃあ、渡辺直美と一緒だね。」

「あの人凄いものね。」「跳ねちゃうものね。」と言う会話がありまして・・・・・・。

 

※       ※      ※

さて、着いたところは横浜ビジネスパーク内にある、水のホールが中心なベリーニの丘です。

トップ画像がそれです。ここに来たのは2回目ですが、夜に来たのは初めてでした。この場所はいろいろなドラマや映画のロケに使われています。

 

向こう側に見えるのは、ある時は観客席、ある時は舞台になる所だと思います。私と姉は、しばしの間そこに腰かけてお喋りをして時を過ごしました。

夜風がとっても気持ち良かったです。

 

 

帰る道でスタバを発見。

なんで新しいセブンイレブンに浮かれるのか分かりません。歩きの範疇にスタバがあると言うのに。

 

このようなものを飲みながら、楽しくおしゃべりをしながら帰りました。たくさん歩いたので足を心配してくれた姉に、

「私やっぱり、このぐらいは全然平気だな。」と言いましたが、ふと・・・・・

「だからと言って、渡辺直美と同じって、それはやっぱり違うんじゃないの。なぜ彼は彼女の名前を出したってわけ。やっぱり、それはないよね !!!」と、沸々と怒りのような感情が・・・・・(^_^;)

もちろん渡辺さんは化粧も上手だしダンスもキレキレ。お芝居も出来るしいろいろと素晴らしいのですよ。分かっています。

でもやっぱしね・・・・!

と言うより、聞いた言葉が脳に到達し怒りに変わるまで、いったい何時間を要したと言うのだと首を傾げた所で、次回に続きます。

 

翌朝もお散歩に行きました。

因みにその日に買ったお紅茶。

 

そしてその日の夜の神奈川は、雨と雷の音に包まれてしまいました。

 

 

 

 

 

 


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横浜でお散歩

2020-07-13 01:46:58 | 家族スナップ

横浜の実家に帰ったのは2月が最後。

7月11日12日に行ってまいりました。かれこれ4か月ぶりの実家帰りでした。

父と母が老いて来たころから、1か月に一度は帰ろうと、意外と長々と実行してきたことでしたが、このコロナの世界侵略で頓挫せざるを得ませんでした。

最近は母に会う事ばかりでなく、横浜で暮らしているラッタさんと会う事も目的の一つになっていました。

大人になった彼には会わなくてもさほど寂しいとは思いませんが、近頃のワタクシは「過去」と言う亡霊に囚われつつあり、可愛らしかった子供たちに会いたくてたまりません。もちろん今が憎たらしいと言うわけでは全くありませんが、幼き子供たちとの再会など出来るわけもない事で、それでも今の彼らに会っていると、私の会いたかった子供たちと会っているような気持ちにもなれるのです。

こんな風に書くと、「ああ、この人子離れが出来ていないんだな。」などと思う人もいるかもしれませんが、それはまったく違います。たぶん多くの方には「分かる、それ。」と共鳴していただける事だと思いますが、分からない方にはそのままスルーして頂きたい心のひだの部分なのです。

 

会うのにランチにするか夕食にするかと考えていましたが、考えているうちにコロナの感染者数の数値が怪しくなってしまいました。夕食と言うと、どうしても横浜駅周辺の繁華街になる事が多いので、それは嫌だなと思いました。それで家を早く出て、一緒にランチを取る事にしたのです。

 

スカイビルから見下ろした風景です。

 

 

この場所は、晴れていれば富士山だって見る事が出来るのです。

スカイビル29階にある「北海道」には二回目。前に来た時の記事に富士山がばっちり映っている画像があります。

「横浜は富士山の近所。」

そしてお食事です。

この後は一緒に紅茶を買いに行ったり、珈琲タイムを持ったりしました。

 

久しぶりだったので、お土産を横浜のダイヤモンド地下街で調達しました。そこでラッタさんとは解散し、私は母と姉の家へと向かったのでした。

今回買い求めたのは「元町喜久屋」のババロアです。いつもならラムボールにするところですが、子供もいるので、今回はこちらにしたのです。

 

夕食後、後で散歩に行こうと思っていると私が母に言うと、「ふーん」とつまらなそうに返事をしました。

この夕食後の散歩には、姉と行く予定でしたが、私が「後で散歩に行かない ?」と姉に言うと、心無いような声で「うーん。」と言ったのです。夜は夜で忙しいに違いありません。それで、あまり乗り気ではないように私には感じたのです。

母のつまらなそうな「ふーん」と言う声を聞いて、「お母さん、今お散歩に行こうか。」と誘うと、

「行っちゃおうか。」とニコニコとしました。

それで母と公園1周でもして来ようかと、お散歩に出たのです。

すると母が

「新しいお店が出来たのよ。まだあまり買い物はしていないのだけれど、時々利用するようになったの。」と言いました。

「行ってみよう。」と言うので、どんなお店が出来たのかと行ってみました。

なんとそこは・・・・・・・・!?

「セブンイレブン」だったのですよ。

信号を渡ってそのお店に行こうとするので、

「いやいやいや、もう何のお店か分かったから良いや。」と引き留めてしまいました。

歩きながら、私は複雑な気持ちがしてしまいました。

車がビュンビュンと走る国道16号線を見て育ち、それなりに都会だと思って暮らしていた横浜。それなのにコンビニが新しく出来たら、そこに連れて行こうとするなんて、どんだけ生活弱者なんだろうかと思ってしまったのです。確かに一番近くて便利だったスーパーは改装に入り数年お休みになってしまったのです。後は老人が歩いて行くには、ちょっと距離がある所ばかりで、仕方がないからか、近頃母は生協に入ったのです。

だけど数分歩いて、私はやっと自分の失敗に気が付きました。母は、私とそこに行き、私が「お母さん、ジュースを買って。お母さん、アイスを買って。」と言ったら買ってくれようとしていたのだなと。まるで私が小さな子供のように。

 

その後私たちは公園の花などを見て帰りました。

「短い時間でも、けっこう汗が噴き出て来たわ。」と母が言うので

「帰ったらお風呂に入ってすぐ寝たらいいね。今日はぐっすりね。」と言いました。すると、母は

「悪いけど、毎日ぐっすりよ。」と。

「それは良い事ね。」と言い、母は帰って、いつも通り早い時間に床に就いたのでした。

 

部屋でのんびりとしていたら、姉が二階から降りて来て、「じゃあ、行こうか。」と言いました。

「えっ?行くの?」となったところで次回につづきます。

 


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戸定が丘歴史公園その2

2020-07-10 01:17:49 | お出掛け日記

・「戸定が丘歴史公園その1」の続きです。

戸定邸を出ると広い庭園があります。今回は、その写真日記です。

芝生が植えられた洋風庭園としては、日本最古なんですって。

 

東屋があって

その背後です。分かり辛いのですが竹林の他に大きな紫陽花の木もありました。

 

与謝野晶子の歌があちらこちらにあります。

 

広々として気持ちが良い庭園です。

きっとどこかの子供が作ったのかも知れませんね。↓

あっ、今気が付きました。これはお顔かな ?

 

またも分かり辛いと思うのですが、やはり大きな紫陽花の木がありました。変わり種と言うのはなかったのでしたが、とにかく巨木と言うのが印象的でした。

お庭から見渡せる松戸の風景です。↑

そして庭園から見られる「戸定邸」↓

トップ画像も同じです。

 

 

その後、私たちは地元に帰り、またも遅い昼食を頂いたのでした(既に14時22分でした。)

 

これにて近場の行ってみたかった所は、一応制覇したかなと思い返したら、あと一か所ありました。この日の帰り道で、そこの傍らも通りましたが、まさかお腹がペコペコになっている運転手に、ちょっと寄ってとも言えず・・・・・と言うか「あそこにさぁ」と実は白状すると言ってみたのです。だけどその時はすでに遅くて通り過ぎてしまったのですね。気が付くのが遅かったものですから。でも場所は確認しました。

あまり暑くない時にウイルスに気を付けながら、電車に乗ってお母さんは一人で行ってみるよ。近藤勇の最後の地である流山の陣屋跡に。

 

コメント (2)
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