森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

鎌倉殿の13人 第33回「修善寺」

2022-08-30 09:36:32 | ドラマ (大河)

「この時を待っていた。」とトウが言いました。

あっ、やっぱり、このセリフよね、と、私は思いました。

と言うよりも、トウが言う前に、そのセリフを呟いていました。

「鎌倉殿の13人」が面白くて素晴らしいのは、役者さんたちが、皆それぞれの役の人生をそれぞれに生きているように感じられるからだと思うのです。

そしてそこには描かれていない物語が存在するー。

特にこの善児とトウは、本編とは別に、視聴者たちにそれぞれの物語を思わせていたのではないでしょうか。

 

親を目の前で殺された少女。如何に幼かったと言っても、幼女ではありませんでした。その少女が命を助けられたからと言って、素直に弟子になるわけはありません。描かれない物語があったはずです。

 

例えば、こんな物語・・・・

《 善児と言う男に家に連れてこられた日、粗末な食事が出されたけれど、とても怖くて何も口にする事が出来なかった少女トウ。

震えながら部屋の隅に寝て、そしてただずっと震えていた・・・・。

そんな事が数日続いた後、あまりの空腹にやっと食事に手を出したけれど、その時、箸を短刀を持つように握り締めてみた。

だけど何にも殺気だってもいないし、ぼんやりしているようにしか見えない男なのに、トウは善児が怖くて仕方がなかったのだ。

今はダメだ。だけどいつか必ず強くなって、この男を私が殺し、親の仇を取るのだと、トウは泣きながらその粗末な飯を食べた。

だから善児から教えられた辛い修行も耐えられた。

いつか、いつの日か、と思っていたから。

そして泣かなくなった。あまり深く考えないようにした。考えれば、涙をこぼし、善児に心の内を悟られてしまうから。

そして考えれば、このぼんやりしているような顔の男が、ふと可哀想だなんて思ってしまうから。

ある日、トウは小さな男の子の母を殺した。

そんな外道に落ちた哀しみなどはまったくなかった。ただ仕事をやり遂げた達成感があった。

トウは思った。私はこの善児の娘になってしまったのだと。

 

ある時、義時が頼家を殺せと言ってきたので修善寺に行った。

頼家の家に向かう途中、トウの心はキシキシと軋んだ。私はこの土地で父や母に慈しまれながら育てられたのだとトウは思い出す。

いつか、いつの日か、と思っていたのに。

だけど目の前で善児が頼家に殺されそうになると、自ら切りかかり善児を助けるトウ。

それは受けた仕事を失敗したくなかったと言うのもあったけれど、自分以外の者に、彼、善児を殺させたくなかったからと、トウは自分に言う。

しかし仕事が終わった時、善児は頼家に刺されて、胸の血を見て「しくった」などと言っている。

このままでは、この男は死んだ頼家に殺されてしまう。血に染まった善児はまったく怖くない。今だ。今しかない。

トウは言う。

「この時を待っていた。」

「父の仇 !」と。

何故か泣きながら。』

 

「鎌倉殿の13人」の登場人物の多くは、はじまりの時と終わりの時が同じになっていて、まるで円として結んでいるようです。

善児の始まりと終わりは、このトウと言う少女を拾い、そしてその少女に殺されることだったのだと思いました。この修善寺で。

それに『「修善寺」に行きました !』のラストに書きましたが、「終善児」などと言うダジャレのような事を書きましたが、あながち遠い事ではないと思いました。いつもタイトルに込められた二つの意味。善児の終わりか、または善児修めか。ああ、だけど「修め」だと字が違うな・・・^^

それにしたって、三谷氏、なぜこのアサシンに「善い児」という皮肉な名前を付けたのかと思っていましたが、このタイトルの為だったのではと思ってしまいました。それも三谷氏だと、あながち違うとは言い切れないと思いませんか。

と言うわけで、また次回・・・・・

じゃ、頼家に叱られそうですね(^_^;)

 

金子大地さんの頼家、とっても良かったですね。

この頼家の事を思うと、本当に哀しくなって胸がいっぱいになってしまうのです。あんなにみんなに祝福されて誕生してきたと言うのに・・・・・。

いまだに政子の怖い顔が忘れられません^^

このみんなに待たれ祝福されて生まれてきた頼家は、生まれながらの「鎌倉殿」。

そして決して暗愚な人ではなかったのです。

しかもハンサム。いやこれは、金子さんだからと言うわけではなくて・・・・

 これは修善寺の「ギャラリーしゅぜんじ回廊」に展示してあった頼家の肖像画なんです。

光ってしまって見辛いとは思いますが、綺麗な顔をしていると言う雰囲気は伝わって頂けるのではないでしょうか。昔の大河の「草燃える」でも頼家は郷ひろみさんでしたし、綺麗な方がやる事になっているのではないでしょうか。

富士の巻狩りの時、弓を引く力も足りなくて情けなかった頼家。だけどその時、泰時に決意を語ったでしょう。その決意通りに彼は鍛錬し、武芸達者な剛の人になったのです。

それにより伝えられている頼家暗殺のシーンは、もっと悲惨なものですよね。入浴時に首絞められて、急所を切り取られて血まみれになって・・・って放送できないレベル・・・・。

 

我が家は相変わらず、数秒前から数分前に思った事を語り、ネタバレし合いながら見ています。

「今日、善児、死ぬんじゃない。」

「どこかに書いてあった ?」

「ううん。回想のシーンが一幡の手習いシーンだったでしょ。頼家の所にも位牌か何か一幡の名前が書いてあるものがあったじゃない。暗殺に行って、ふとそれに目が行ってしまった善児が一瞬怯むの。で、返り討ちにあって、そして死ぬ・・・・かな。」

でもそれだと頼家はどうやって死ぬのかしら・・・?

ちょっとトウの存在を忘れていた私でした。

頼家の死も善児の死も、トウが絡み、更にドラマに深みがあって恐ろしく悲しいシーンでしたが見ごたえのある良いシーンになったと思いました。

 

 

あの巻狩りの日は曾我兄弟のクーデターの日。その時、頼家はしっかりとリーダーシップを取り「こ奴、なかなかやるやつなんだな。」と言う印象を感じた方も多かったと思います。政治に理想もあったし、女好きであっても家族を想う気持ちもあり、まだまだこれからだったのに、いったい何がいけなくてなんでそうなってしまったのか・・・・・。

いや、理由は単純簡単で、ただ北条の権力争いに巻き込まれたのだと思います。頼朝は早く死に過ぎたと思います。また本当に心配してくれた人々を見抜けずに排除してしまったのも痛かったですね。何よりも肝心な時に病で倒れてしまった・・・・。

つまりこれが彼の運命だったのでしょう。悲しく悲惨な満21歳の生涯・・・・。

泰時が、北条の泰時が号泣して、頼家の死を悼んだことが救いでしたね。北条の者であっても、頼家は泰時には心を開いていたんだと思います。

 

では、また~・・・・・って言ったら、主役の義時はどうなるのってなったので、あとちょっとだけすみません。

義時は、善児が兄を殺した者だと分かっても、彼を許しました。今、彼を使うようになった義時には、ただ彼が何の意味もなく殺害を請け負うものだと分かっていたからなのでしょうか。彼に兄の復讐をするよりも、彼に仕事を与える事を選ぶ義時。

いろいろ重いものを抱えた義時は、何も考えなくて良い相手の和田殿を訪問します。そこで義時は運慶と再会します。

何年ぶりだと問われれば、迷うことなくその年数を言える義時。なぜなら前に運慶と会った時、それは妻が死んだ日だったから。

「悪い顔になった。」と運慶に言われる義時。

「だけどいい顔だ。いつかお前の為に仏像を彫ってあげよう。」と言う運慶。

 

これっていつか何かのエピソードに繋がっていくのでしょうか。そう思うと、ちょっとだけワクワクした私です。

そして、「運慶か・・・!」と好奇心メータが上昇中・・・・(^_^;)

 

※ トップ画像は「修禅寺」の門。地名は「修善寺」、お寺は「修禅寺」、混乱しそうです^^

 

 

 


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「修善寺」に行きました !

2022-08-29 00:36:28 | お出掛け日記

実は昨日の27日(土)に「修善寺」に行って参りました。

今日(28日)の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、タイトルが「修善寺」で、でもこれは「修善寺」と言う場所を表しているのではなく、その場所で何が起きたのかですね。

それでも私は思い満足しました。

「なんてタイムリーなのかしら♪」と。

 

緑が美しい境内でしたが、前日の26日と違ってかなりの夏日。修善寺も暑かったです。

それでも私は、来たかった場所に来ることが出来たので、「暑いね。」ぐらいは連発していたかも知れませんが、本当はさして気になっていなかったのです。「好き」ってそう言うものですよね。

 

ところで今この街は、と言うよりこの地域は「鎌倉殿の13人」で盛り上がっていました。

そうですよね。今盛り上がらなければ、いつ盛り上がるのだと言う所ですよね。

各名所に、このような物が立っていました。いわゆるスマホでやるスタンプラリーのようなものかと・・・・。

 

景時殿がいらしたのは「日枝神社」でした。

今回は入口の大木のみの撮影で留めました。

何しろ「伊豆の小京都」と言われている修善寺には、初めて来たので行こうと思っていた場所を優先させたのでした。

 

「鎌倉殿の13人」の聖地巡礼をしようと思ったら、それは墓参り行脚になってしまうなと、私が友に言うと、

時代劇なんか過去の人の話なので、そうなって当然じゃないと言われてしまいました。

確かに。

そう感心したものの、「でもな~、あのドラマは特に、そういう気持ちになっちゃうな~。」と、やっぱり思ったのでした。

と言うわけで、「源頼家」のお墓参り・・・・・。

手前に見える大きな黒い石は供養塔です。

お墓はその供養塔の隙間からチラリと見えています。

横に階段があるので、そこを上っていき少し裏手から見れば、もっとはっきり見えたと思います。でも気持ちは「お墓参り」でしたので、手を合わせて帰ってきました。どう考えても、この人は無念の塊のような気がしてしまうのです。供養塔が真っ黒なのは、そのせいのようにも思え、ついつい深く祈ってしまいました。

頼家のお墓にある「お伺い石」。

最初に持ち上げようとした時、持ち上がらなくて焦りました。やっぱり邪心が多いから ?

いえいえ、この石は重いのです。

 

そして政子殿は、やはりここに居ました。

「指月殿」です。

 

実はご一緒したお友達。まったく歴史に興味がなくて、だから大河ドラマも興味がない・・・・。

本当は頼家のお墓も、来たくもなかったのを来てもらったようなもの。

でも今、修善寺に来てですよ、大河ドラマクラスタでこのお墓に来ないなんてあり得ない事でしょ。

だから私は、「ここで待っていて。」と手前の所で待っていてもらってお墓参りをしたのです。でもその先の道を見つけ、彼女が行きたい所にそこを通る事が分かって、結局彼女もここは見学したのです。

だけどだから次の所を言いだすのはちょっと勇気がいました。

「今回は、止めておこうかな・・・・」とまで思いましたが、次回がいつになるかなんて分からない事ですので、やはり私はここでは友と別れて一人で行きました。

 

「源範頼」のお墓です。

失礼ながら、私は思いました。修善寺を訪れた人は、この地で何があったのかを知っている人も多いので、頼家のお墓には行ってみようかとなると思うのです。でも今までは、ほんの少しだけ離れた丘の上にある範頼殿のお墓は「まっ、今回はいいか~。」となって来たのではないかと。

だけど今回のドラマの影響で、ここを訪れる方も多くなったのではないでしょうか。

私が思っただけで、真実は分からない事です。

丘の上から見た風景

お友達と待ち合わせをしたのが、「独鈷の湯」です。ここは観光施設で、足湯もダメです。

足湯はすぐ近くにありますが、長くなったので、またこの「修善寺☆旅日記」に続きます。

ただ続けて書くかどうかは分かりません。

またいろいろと他の事を書きたいと思っていますので。大河の感想もその一つ。

次はその感想になると思いますが、今回は「終善児」または「修善児」の回でもありましたね。


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8月の「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」と松任谷正隆の「ちょっと変・・・」

2022-08-24 01:50:31 | テレビ・ラジオ

思わず指を折って数えてみました。8月のあれやこれやも入れてあと5か月。

私は別れに対してすこぶる鈍感で、卒業式なんかでも泣いたことがないのです。明日この教室で、もう会えないのだ思っても、別になかなか悲しくはならない。だって友達とは、また別のところで会えるでしょう。いつの間にか会えなくなっても、思えば会えると信じているからです。

だけど流石に拓郎さんが、あれやこれやとひとつずつ終わらせている感が強まって来ると、ちょっと響いてきました。

こんなにゆっくりと手を振られては、「ああ、別れがやって来るんだな。」とイヤでも感じないわけにはいかないからです。

それでも鈍感な私は、まだまだボーっとしています。

拓郎氏が引退をして、ライブなどの計画もなく、新曲の情報もなく、テレビなんかもちろんだけどラジオからも声が聞こえなくなっても、きっとご自身のマンションで新しい季節の花の植え替えをしているんだななどと思えて、かなり平穏な気持ちだと思います。

だけどこの番組の最終回の日の事を思浮かべてしまうと、私はやっぱり泣くような気がするのです。思っただけで涙が出てきそうです。

言っていることに矛盾があるような気がするかもしれませんが、拓郎さんには心置きなく引退して頂きたいと思っていても、彼の歌には想い出と想いがてんこ盛りであるのです。いわば、私の人生のパーツのひとつ。

そのパーツが、「もう新しいものは入荷しなくなりました。今までのを後生大事にお使いください。」と言われてしまうようなものじゃないですか。

また「あの時からここまで」と言う人生のフォルダーに、入れるものが一つ出来てしまうという事じゃないですか。

大事にしようっと。残りの5か月も含めての「あの時からここまでを」。

 

と言うわけで、今月の「吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD」は、8月12日の金曜日にありました。

LP版のサイプレスのお話がありましたね。

ご自身の勉強部屋に飾っておきたかったと言う拓郎さん。

私たちも、いや私も同じですよ。記念碑のようなものです。

これ、限定品だったので、早くも高額転売されているそうです。私も3倍で売っているのを見つけてしまいました。それでサイプレスされるそうです。でも大量にと言うのは、難しいみたいですね。

まだAmazonでも買えますね。

 

 

ゲストはあいみょん。

なんかずっとキャッキャキャッキャとしていたように思えました。

楽しそうでしたね、拓郎さんが^^

紹介された「初恋が泣いている」は良い曲だと思います。

だけど私にもやっぱり

「電柱にぶら下がったままの初恋は」

「電柱にぶら下がったママの初恋は」に聞こえます。

このラジオで、言ったのでそう聞こえるようになったのでした(笑)

これ、二番に「小さい頃からのママの言いつけは」と言う歌詞もあるんで、ますますそう感じてしまうような気がしました。

でも良い曲ですよね~。

 

あいみょん – 初恋が泣いている【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

ラストにかかった曲は、

夏休み 吉田拓郎

胸がキューンとなりますね、やっぱり。

 

それからもう一つのラジオ番組を紹介しておきますね。「松任谷正隆の・・・ちょっと変な事をきいてもいいですか ?」です。

私もツイッターで、みなさんが呟いていることで知りました。

それで姉などにも教えてあげたのですが、ツイッターなどをやられていない方は聞き逃してしまったかも知れませんね。

先週の19日(金)、Tokyofmにて17:30-17:55.

この番組、とっても面白かったですよ。radikoで聴き逃しを聞けます。3週続けてのゲストで、この先も楽しみですね。

 

マンタと拓郎と呼び合う二人。その出会いと一緒に作った音楽の話。加藤さんの想い出。

話された解説(内容)は無しですが、掛かった曲を載せておきますね。

 

 

どうしてこんなに悲しいんだろう

 

吉田拓郎 人生を語らず (歌詞)

下 ↓ お話付。これも面白いお話ですね。

つま恋'75 Trailer 56 戻ってきた恋人


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鎌倉殿の13人 第32回「災いの種」

2022-08-22 10:15:51 | ドラマ (大河)

徐々にこのドラマを見るのに気合と根性が必要になってきました。

先週、ふとあれやこれやの登場人物たちが、その後どうなって行くのかを思わず検索していて、真夜中になってしまったと書きましたが、

鎌倉殿の13人 第31回「諦めの悪い男」

実はそれで仁田殿が、今回どうなってしまうのか薄々知っていました。

和田殿の事でそのページのwikiを読んでいたら

『9月5日、危篤から回復した頼家は我が子・一幡と舅の比企氏一族の滅亡を知って激怒し、義盛と仁田忠常に宛てて北条氏討伐を命じる御教書を書き、堀親家に遣いさせ届けさせた。義盛は思慮の上で、この御教書を北条時政に届けた。堀親家は捕えられて殺され、仁田忠常は北条氏によって滅ぼされた。 』とあったからです。

「ええっ !?  明るく元気で、又いろいろな所で便利に使われているあの人は、あの笑顔で最後まで生き残っていくのかと思ってた。」と思い込んでいたものですから、なにげにショックでした。

だから、今回のドラマが始まった時に

「パパさん、この人も今日、退場かも・・・・。」と言うと、

「自害しちゃうんだよな。」と言うので、「えええっ ? この人、自害なの !?」と、物語が進行中だと言うのに、お互いにネタバレし合いながら、我が家の大河ドラマは進行していくのでした。

ただ実際は仁田殿は一幡の乳母父でもあり(このドラマでは出てこない話です。)、やはり実際は北条に嵌められたのだと思っています。

 

また、「諦めの悪い男」の感想の最後に

「あっ、そう言えばさ・・・・・って、やっぱり話はつきそうもないので、また次回に~!!」と書いたのですが、自分でもこの事を匂わせたかったのかなと今になって思ってしまったのですが、冷静に考え直してみると、そうではなくて「憤死」についてだなと思い出しました。

 

この「鎌倉殿の・・」の理解に、大昔に見た大河ドラマ「草燃える」の時の微かに覚えているシーンを参考にしていた時がありました。

今、そのドラマのwiki を読んでみると、ほとんど今やっていることをやっていたのだったと驚きました。流石に比企の滅亡の回は覚えていましたが、諸々の乱、ほとんど覚えていないのです。それでも印象的は「血まみれ!!」だったかもしれません。

ただある時、歯医者の待合室で読んだ(どこで読もうが関係はない事ですが(笑))、NHKが出している雑誌の大河特集で、(これからやって来る)実朝の妻音羽は、存在するだけで周りを不幸にする女性だったと、作者の永井路子さんの感想が載っていて、それがすこぶる印象的。その先の人生で、私もとある女性と出会って、あれはこういう人のことを言うんだなと思った事があるのです。

ドラマと言っても、いろいろと学びはあるのですよね。

そうそれで、「憤死」です。その雑誌のどこかに頼家は憤死だったと言う言葉があったように記憶しているのですが、あまりにも遠い昔なので定かではありません。「憤死のようなものだった。」とあったのかも知れません。なんたって、歯医者でドキドキしながらの流し読みですから。

もちろん頼家は憤死などではありません。もっと凄まじい・・・・・

いやいや、今の時代は「信長は本能寺で死ぬんだ。」と桶狭間辺りで書き込むと「ネタバレされた」と叱られるそうなので(笑)、この先は書きませんが、この時は(その大昔)、「へぇ人は怒りのあまり、『うっ!!』とか言って心臓が止まる事もあるんだ。」などと思ったものです。

今回の頼家を見ていると、確かに彼の死因は憤死などではありませんが、そうであっても不思議がないような気がしてしまいました。

可哀想すぎる !!!

 

「北条を決して許さない !!」と言った後に、うわっ、この女も北条の女だと、気持ち悪いものに触られたかのように母を見る頼家。

 

政子も可哀想だ。

 

鎌倉殿って、一応御家人のトップで、つまりこの時代の権力のてっぺん。

でもこんな物語を見せつけられちゃあ、「良いですよ。もう下々の者で。」って言いたくなりますよね。

頼家が最後に子供のように泣くじゃないですか。思わずもらい泣きしちゃいました(ノД`)・゜・。

 

そして今回の義時が「災いの種」として、けっして見逃してくれなかった一幡。

なんて三谷さんは残酷なシナリオを書くのでしょう。あの時、お母さん(せつ)の傍で一緒に殺しててくれたほうが、逆に視聴者としては気持ち的には助かりました。

二回も,二回もよ!!

切なく悲しい気持ちになりました。

だけど泰時はずっと善人として描かれなければならないという事なのかと思うと、寧ろホッとします。

そして今回、一幡が生きていると知り、預かっている善児の元に、その災いの種を消しに行く義時。

だけど義時に「できねぇ。」と言う善児。

一幡の為にブランコまで作ってあげていました。

仕方がないなと、自らの刀に手を掛ける義時を見て、トウが「水遊びに行きましょう。」と誘う・・・・・

それを見て、覚悟を決めたようにブランコの綱を切る善児は泣いていました。

千鶴丸を水遊びに行きましょうと誘いだし、殺害した時は無表情だったのに・・・・。

ふと気がついたら、私、このシーンで涙ぐんでました。

善児の気持ちにも揺れましたが、一幡、可愛らしかったのに。

結局二人であの子を逃がしてくれないかなぁなんちゃって思ってみたり・・・。

 

だけどこのシーン、殺人マシーンの善児が壊れてしまったという事ですよね。壊れてしまったマシーンって、結局どうなるのってまた気持ちがザワザワとしますね。

 

だけど義時、詰めが甘い・・・・のか?

三浦が預かっているからか、善哉はスルー・・・・。

庭で遊ぶ善哉の元に比企尼がやって来て、北条への憎しみを植え付けていきます。

母のつつじが善哉を呼びに来た時は、誰もいません。

比企の家が滅亡する時、彼女は「北条め!!」と言っていましたが、本当に深い深い憎しみを感じていたのでしょう。

彼女のボロボロのいで立ちを見て、現世の人かと思いましたが、もしかしたら憎しみの塊の怨霊だったのかも知れません。

そっと寂し気に我が子を抱きしめるつつじ。

ここに静かに災いの種がまかれてしまったのでしょう。

 

凄いね、三谷さん。やっぱり絶好調ですよね。

あー、やだやだ。と言いながら、次回も楽しみにしているような気がします。

そう言えば私、この前「修善寺物語」ってどういうお話って、・・・・・いやいや、また長くなるので、また次回ね。

 

あっ、そうそう。これだけは・・。

うっかり友だちに「ばか !」って言っちゃって

「馬鹿?」と問い返されて、気まずくなりそうな時は、「場数を踏んでいるので、経験値高いよね。」と言ってごまかせばいいんだなと、三浦氏から学びました。(笑)(笑)(笑)

 

 

 

 

 

 


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岸辺の唄

2022-08-20 23:38:03 | 漫画・マンガ・まんが

だいたい今頃の季節になると、「今年の『百鬼夜行抄』はいつ頃でるのだろう。」などと思うのです。

調べてみたら、昨年とその前の年は10月に出ているので、ちょっと期待したいと思いますが、来年の3月以降ではないかと予想をしているサイトもあったので、分からない事です。

いつもはイイコにして待っているわけですが(笑)、ふとコミックも置いてある図書館に今市子さんの作品はあるのだろうかと思ったのです。なんと「百鬼夜行抄」は置いてなかったのです。

ちょっと驚き。

じゃあ、何があったのかと言うと、それがタイトルの「岸辺の唄」です。

 

 

何とはなしに期待せずに読んでみました。

ところがこの作品は、その「期待せず」の期待を裏切って、かなり面白かったです。

『「あとふた月もすれば、人は全て息絶えるでしょう」水のない町に下された哀しい予言。皆を救うには水乞いの儀式を行わなければならない…。こうしてエンとスリジャの旅がはじまった。今、はるかな翠湖を目指して――。』←アマゾンのサイトから

短編で綴られていますが、それぞれに繋がっていて、大きな叙事詩を紡いでいるのは「百鬼夜行抄」と一緒ですね。

人と鬼人が共存する世界で、人は時に鬼人に騙され襲われ喰われたりもします。

エンは鬼人の子。優しい人と触れ合って育ったエンは、強い力を持ったカッコいい男なのです。

オリエンタルファンタジー・・・・・。

ほらねっ。如何にも私好みって感じでしょう。

 

水乞いの儀式がどのように行われて、そしてどのように人々に水をもたらすのかと言うのも見ものかも知れません。

 

これは上にリンクした1冊のみを読んだのですが、それでもお話として完結していると感じました。

ところが後で調べてみたら、単行本だと6冊あるのですね。

面白かったので、今市子さんの「百鬼夜行抄」以外の作品を読んでみようかなと思っている所です。

 

 

文庫版だと4冊。こちらだと新品でも買えます。

 

 

・・・


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「平家物語 犬王の巻」

2022-08-20 13:39:29 | ユーモレスクを聴きながら(book)

8月10日読了。

アニメ映画「犬王」を見て、原作も読もうと思いました。

能楽師犬王と、盲目の琵琶法師友魚の物語を、作者が軽妙な語りで綴ります。

父の芸に対する野望より、魔物たちによって体がメチャクチャな配置で醜さの塊で生まれた犬王。舞う事で体にまとわりついた怨霊たちを鎮め、美しき肉体を取り戻していくのです。また三種の神器の剣を海底から引き揚げることによって、その呪いで失明してしまった琵琶法師の生き様と友情の物語。(このあらすじの部分、追記しました。)

原作も、思った通りの面白さでした。

 

ただこれを、私は映画を見る前に読んでみたかったなと、時は戻せるわけもないので意味のない事なのに思ってしまったのでした。

ただ文が綴る世界のみで一度は味わいたかったなと思ったからです。

私は私の世界でどんな「犬王」を作り上げたのでしょうか。

たぶんもっと地味。(笑)

ただラストの犬王の素顔だけは、少女漫画で培ってきた美しさだけで飯が食えると言うほどの「美」の顔を脳内に作り上げる事が出来たかもしれません。「醜」が取り去られると、そこには究極の「美」が残ると言うような。

だけどもしも文だけで、この世界を脳内に作り上げたとするとと思ってみると、更にアニメの「犬王」の世界が素晴らしい発想で出来上がっていたのかを再確認する事が出来たのです。やはりその世界を先に味わったので、読むスピードも速かったのだと思いました。

しかしあれは物語の更に上を行く物語。

ほんのちょっとだけアニメの「犬王」の感想の続きです。

もちろんこれはファンタジー。リアル世界の物語ではないのですが、リアルな部分の表現が、「まあ、これはアニメだから好きにやってもいいんじゃないの。」的な見方で観ていた部分はあったのです。犬王の能の舞台では、みんなに「歌え!」と誘ったりする斬新さなどは、素敵な演出だと思いました。とんでもない発想で舞台を作り上げていて、時代を超越していて、これを見ていたその時代の人々の度肝を抜いたのではないかと楽しく感じたのでした。原作の方でも、犬王の舞台の解説は丁寧に書かれていました。

「まあ、これは自由にやっていいのでは・・・」的に見ていたのは、その時代は「友一」だった琵琶法師の、ロック歌手的な演奏時の演出。

とっても素敵なんです。どなたかも言っていましたが、ふと、クィーンなんかを連想してしまったり・・・・・。

だけどよく

「彼が出てくるのは100年早かった。」のような言葉ってあるじゃないですか。

芸術の世界でも、人々がその「美」を認めていくのには、順番って言うものがあるような気がするんですね。

胸が肌蹴、太もも丸だし、欄干の上でそれをやっても、その時代の現実の世界では、女性たちは逃げてしまったと思います。

映画には見せる楽しさがありました。

ただ原作には、奇妙なダークファンタジーであっても、もう少し静かな世界が広がっていたような気もしたのです。

いずれも素敵です。

私はこういう世界観が好きなのです。

アニメの「平家物語」の原作も、この作者で、あの壇ノ浦で優勢だった平家の情勢を変えていってしまったのはイルカの群れで摩訶不思議な光景でした。そして、この「犬王」でも実はイルカを指す「鯨」と「腕塚」はとっても印象深かったです。

 

そしてまた、これは常々思っていたのですが、「平家物語」ってその冒頭自体が素晴らしすぎるくらい素晴らしいじゃないですか。これ、琵琶法師の伝承って、どうやって統一化してたのかって。その答えがこの物語にありましたね。

「ああ、そうか、こんな方法で」と思えただけでも、この本を読みアニメを見た意味が私にはありました。

でもいつの時代でも、権力の芸術干渉は悲劇を伴うものですね。

 

(下の二行はネタバレしています。)

 

犬王は、もう二度と自分の平家物語を演じず、取り戻した人生を手放しはしませんでした。

だけど(この時代は)友有は自分の芸を手放さず命を失いました。しかしその時、本当の自分の名前「友魚」を名乗り、人生を取り戻したのでした。

映画の感想は→「犬王」を観てきました。

アニメの「平家物語」の記事は→お勧め☆アニメ「平家物語」

 

 

オリジナルサントラを買う予定でしたが、吉田拓郎氏のCDやLPを買ったり、「日経エンタテイメント」を買ったり、ゲームの課金したり、鰻を食べに行ったりで、お仕事もしていないので、お小遣いがまずい状態に・・・・でもいつか欲しいサントラです。

 

 


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「ジュラシック・ワールド  新たなる支配者」

2022-08-19 14:29:53 | 映画

8月10日、妹の名都さんとIMAXレーザー3Dで観て参りました。

この作品の前に「アバター」の予告編が入ったのですが、水が3Dだと腕を伸ばしたところにあるように見えて、やっぱりすごいなと思ったのですが、「ジュラシック・ワールド」は、字幕の文字が浮かんで見えましたが、あまり3Dを意識することなく見ていました。

映画とは関係のない事ですが、途中でトイレに行きたくなって、そっと立ち上がったものの

「えっ、階段が真っ暗で見えなーい・・・・・・あっ、眼鏡外してなかった !!」となったわけです(^_^;)

それだけなんか自然に見えていたようです。

(名都さんは、私が立ち上がって歩き始めた時、お姉ちゃんは何時眼鏡をはずすんだろうと思っていたみたいです。)

というようなどうでも良い事はさておいて、映画の感想ですが、凄く楽しい作品に出来上がっていました。

いわゆるオールキャストなのも良かったですね。

オールキャストと行ったら、恐竜の方もかな。Tレックスもあの最後の見せ方も、やはりずっとこのシリーズの恐怖部分を支えてきた彼(彼女?)の見せ場を作ったように感じました。

ネタバレなしで書いているので、少々意味不明かも知れませんが、とにかく彼の見せ場も良かったです。

 

何を書いてもネタバレにはなってしまうと思うのですが、少々はお許しください。

恐竜たちが世に放たれて、ある種の共存状態になってしまっている現在・・・・。

襲って来る恐竜たちから逃れて走り回るのが、街中。

まるでスパイもののカーアクションみたいな展開になりました。

このシリーズで、そんなシーンを見る日が来ようとは、まったく思ってもみませんでした。

 

あらゆる可能性と言うものが、想像の世界にはあるってもんですね。

 

可愛らしい恐竜たちは本当に可愛らしい・・・・

この「可愛らしい」と思わせるのに、猫や子犬の走る後ろ姿などを参考にして作ったのではないかと思ってしまいました。

プリプリプリと、小さく左右に揺れて走っていくブルーの子どもの子恐竜。

走る様が本当に可愛らしい。

だけど面白い、可愛らしいと言って、小さなお子さんを連れて見に行くような映画かどうかは、ちょっとどうかしら。ちょっと残酷なシーンがあります。ダイレクトには見せないから、映倫の何かはついては居ませんが、感性の鋭い、よく気がつくお子様にはかなりインパクトは強いと思います。

ともあれ、私的には満足でかなり楽しい時間を持つことが出来ました。ずっと見せ場がいっぱいでハラハラし通しだったし、飽きるという事がなかったからです。

ブルーはなんだかんだと言っても、結局オーウェンの近くに住み、時々はじっっと見守っていたりなどして泣けちゃうなと思いました。

遠回りした愛も実ったようだし、ちゃんと成るようになってお話が終わっていったのも良かったです。

ただ私、同じ事を言っていらっしゃる方がツイッターにいらっしゃって、「ああ、やっぱり」と思ったのですが、恐竜さんたちの動きにまるで怪獣映画につけるような効果音が不自然に感じたんです。そんなに喉は鳴らないんじゃないのとか。

でもこのシリーズは終わりなので、どうでもいいやと言う所ですね。

あまり静かで鳴かない恐竜さんたちだと、IMAXに来た意味がなくなるから、それもやはりありなんでしょうね、きっと(笑)

 

どんなに強く恐ろしい生き物であっても、住み分けが出来れば人間との恐竜の共存は可能だなと思いました。

そうですね、住み分けは大事。双方にとって。

それが出来たならば、やっぱり過去に滅んでしまった恐竜にはロマンがありますよね。

 

私はこの住み分けで、街中に迷い込んでパニックになって走り回っているクマさんを見ると、凄く悲しい気持ちになってしまう事を思い出しました。熊と遭遇してしまった人は、凄く怖いと思いますが、熊だってそうとう怖いだろうな、なんとかならないのかなと願ってしまいます。

 


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日経エンタテイメント演劇スペシャル「ハリーポッターと呪いの子」

2022-08-19 00:00:22 | 観劇・コンサート日記

8月7日に予約しておいた、下の本が今日届きました。読み応え十分。少しずつワクワクしながら読んでいきたいと思っています。

 

実は8月7日のこのお芝居のチケットを持っていました。出来れば、2度3度観たいお芝居です。

だけれど演劇関係者の人が(曖昧な言い方ですが、詳しく書きたくないのです。)コロナに罹ってしまい、休止になってしまいました。

それを嘆くと、そんなつもりはなくても、誰かを責める事になってしまうような気がしたので沈黙しました。

だけどその方への病気の心配と、お芝居に行けなくなってしまった事を嘆くことは、実は同時に行える人間の多面性と言うものなのですよね。

こっそりと、家では「あー、なんか~・・・・モヤモヤ」と嘆いていました。

すると夫殿が言いました。

「良いじゃないの。また観る機会もあるよ。生きてさえいれば。」

 

ああ、本当だなぁと思いました。

今はそんな時代。

with コロナの時代は、心を柔らかくして生きなくてはならないと思うのです。

何があるかは分からない事です。でも夫殿の言う通りです。生きてさえいれば次のチャンスを狙う楽しみもあるってものですよね。

 

私は藤原竜也ハリー一択。

だけど昨日今日で、石丸幹二・向井理ハリーもデビューしました。他のダブルキャストの人も続々と出てきました。

すると現金なもので、みんなのハリーも観たくなってしまいました。

 

藤原ハリーは9月いっぱいなので、そこまではやはり彼のハリーに注目していきたいと思っています。そして来年になったらまた別の方のハリーを観に行きたいかなと思ったりもしているのですが、今ちょっとお仕事を「辞める」に近いくらいセーブしているので、行けるかは分からない事です。(突然現実的な事を言うワタクシ)

一回でも行けたのだから良いじゃないとも言われます。そのネタバレなしの感想は→「ハリーポッターと呪いの子」を観てきました

 

          ※        ※

ルート君の会社で、彼のお向かいに座ってる人が高熱が出て早退しました。

本当は26,27日で旅行に行こうと思っていました。

だけどそれを聞いて、万が一のことを考えて、26日のお出掛けのキャンセルをしてもらいました。

「with コロナ」は結構大変な大変な時代です !!!

 

 


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「SHERLOCK/シャーロック」ロス

2022-08-18 01:51:27 | 海外ドラマ

多くのファンの人たちから見たら、今更かもしれませんが、今頃になってベネディクト・カンバーバッチの「SHERLOCK/シャーロック」にはまり、アマプラでシーズン4まで、8月4日までにほとんど一気見してしまい、今何となくロス状態です。

これ、最初は映画館でやった「SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁」を見てみたんです。

映画もあったんだぁと言う軽いノリで。

そうしたらですね・・・・

まったく面白く感じないんですよ。

これにみなさん、お金を払って、よく文句が出なかったなと言うような気持ちになってしまいました。でもこの映画は、本国ではテレビのスペシャル版で放送されたもので、日本の映画館ではメイキングなども公開されて、いわゆるファン祭りみたいなものだったのですよね。

それで気がついたのです。これはシーズンをちゃんと見なくてはダメなんじゃないかなと。

それで見始めたのですが、あっという間にベネディクト・カンバーバッチのシャーロックはもちろん、マーティン・フリーマンのワトソンにも嵌り、二人に夢中になりました^^

ああ、ごめんなさい。ドラマの感想は無しです。

 

そして終っちゃって・・・・ロス。

と言っても、アマプラなので二度三度見れば良いわけですが、二度三度見ると、私は寝ちゃうような気もするし・・・(^_^;)

 

それでふと気がつけば、大好きな「ホビット」って、なんとマーティン・フリーマンが主役だったんですよね。

あの映画を見ていた時、私にとっては知らない役者さんでした。

それでまた見始めたのですが、なんだか見る目が変わって、感情移入度も高いです。

そしてその次は、ベネディクト・カンバーバッチの映画を・・・。

 

ちょっと思ったのですが、先にこのドラマを見ていたら、「ドクター・ストレンジ」に対しても見る目が違ったような気がしました。

あっ、そうだ !

ベネディクト・カンバーバッチは「ホビット」にも出ているとあったので、「えっ、出てたっけ ?」となったわけですが、なんと竜のスマウグでした !

 

そして、シーズン4までみんな見てから、もう一度「忌まわしき花嫁」を見たのです。やっぱり思っていた通りでした。凄く面白かったです。この映画公開時に、私が今の気持ちの人だったら、きっと映画館に行って見たことでしょう(^_^;)

とにかくも、何か好きな人が増えると、また世界が少しだけ広がるという事なんだと思いました。

 

まったくドラマの事に触れていませんが、登場人物がみな魅力的でした。

やっぱり映画にしてもドラマにしても、チームって大事ですよね。

兄のマイクロフトもいい感じ。でもこれを演じているマーク・ゲイティスはなんでメイキングの時に、キャスティングの事を語ってるのかなと思っていました。実はこの人は、「本ドラマのエグゼクティブ・プロデューサー、共同制作者、脚本家である。」だったのですね。

それからホームズ兄弟の両親を演じているのは、ベネディクト・カンバーバッチの俳優をやっている本当の両親なんですってね。

いろいろと面白いです。

だったら二回目を見ても良いような気持ちになってきました。

見ようかな ?

 

メモ

ウキィペディアの「SHERLOCK/シャーロック」

AXN ミステリーの「SHERLOCK/シャーロック」

 

AXN ミステリーでも放送中でした。シーズン3の第3話は、今日8月18日20時からです。

毎週木曜日に放送中です。

 

 


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流山散歩☆近藤勇陣屋跡

2022-08-17 14:08:12 | お出掛け日記

・「鰻を食べに流山」の続きです。

「あっ、そこに行ってみたいわ。」と思ってから、10年も掛かるなんて。

でも私の場合、そんな事はザラです。

江戸川の土手から降りると、最初に向かっていたバス停は何処に行ったと言う感じ。

フラフラと歩いて行って辿り着いた、ずっと行ってみたかった「近藤勇陣屋跡」。

 

ブログを書く楽しさは、その時には思わなかった事や気がつかなかった事などを、後からいろいろと思える事なんじゃないかと思います。この下の写真は、星子さんが撮影したもので、彼女は結構ちゃんと狙って撮るんで、いつも感心し、教えられるような気がしているんです。基本、ブログには人の写真は使いませんが、「なるほど~!!」と思っているので、載せておく事にしたのです。

全体を映すことは、脳内記憶として大事な事だと思います。だけど写真の美しさを思うと、そうでもないなと思います。

なんだか凄く素敵な所に見える星子さんの写真ですよね。

トップ画像のそれが、実際のこの場所です。

 

 

 

下の写真も彼女が撮ったものですが、これは私のスマホが起動が遅いものですから、たまたま彼女のみの撮影になりました。雲はすぐに形を変えてしまいますから。

彼女は竜に見えるねと言い、確かにそれも見えるのですが、私には、その上に向きを変えてちゃっかし座り込んでいるメスライオンが気になったりするのです。

似たような感覚がたくさんあっても、やはりこの感覚の違いは大事にしたい所なのかも知れませんね。

土手からフラフラ降りてきた私たちが、最初に行きあたったところは、万華鏡ギャラリー見世蔵です。

でもお休み・・・・中で大勢の人が、バタバタしてる・・・・・・

検索したら、リニューアルオープンの為に8月末まで休業らしいです。HPは→こちら

下の画像は何かと行ったら、「流山キッコーマン」の壁です。塀の上の部分が可愛いと言うので撮りました。流山のキッコーマンは白みりんを作っているのだそうです。

 

そして、トップに先に載せた「近藤勇陣屋跡」に辿り着いたのでした。

ハッキリ言って、「陣屋跡」なので、何もないのです。

しかもメチャクチャ暑くて(だけど元気は元気)、「ああ、ここで近藤勇は最後を迎えたんだな。」というしみじみ感は皆無。

ただ「ずっと来たいと思っていた場所に、なんだか分からないまま来たぞー !!」という嬉しさがしみじみとありました。

後で、拡大してゆっくり読もうと一応撮ってきた諸々。

お隣にお土産屋さんがあり、そこでサイダーなどが買えます。

このミニ休憩は助かりました。

そこのお姉さんとしばしのお喋り。

以前「出没!アド街ック天国」という番組で、流山の人たちは珈琲にみりんを入れるなどと紹介されていたのですがと聞いたところ、この地域の人は本当に入れるのだそうですね。確かに私も珈琲にはちみつを入れて飲むのが好きなので、それもありかなと思いました。

でもあの番組は、「この地域の人は」と言わないで「流山市の人たちは」のような言い方だったので、多くの流山市民の反感を買った事は間違いのない事です。

流山市は、そんなにチッチャナ町ではないと思いますからね^^

でも今度、ちょっとやってみようかな・・・・。

だけどちゃんとした味醂は、ちょっとアルコール分あるはずだから、いつでもってわけにはいかないかも知れませんね。

その地域限定の、国産のお米だけで作られている味醂をお土産に買ってきました。

 

そしてバス停をまた目指していきました。

流鉄流山線。

今回は乗りません。

流山駅からの側面の壁が、素敵な感じになっていました。

ここは元々が、赤錆のトタン壁だったのですって。

このプロジェクトについては→ここを参考に。

 

 

(星子さん撮影)

 

そして、私たちはバス停に辿り着き、帰路につきました。

 

蔵や古い家並みなどがまとまってあるこの、流山本町は「流山本町江戸回廊」と言います。

今回も制覇したとは言えませんが、満足度が高いです。左半分はまだ行ったことがないので、次はそっちかな。

 

ところでこの日、流山駅前にテレビの車が止まっていたのです。こんな暑い日に街歩きのロケかなと思っていたら、翌朝のニュースで、暑さの為に流山線の線路が曲がってしまって、一時、間引き運転をしていたのだそうです。たぶんその取材だったのだと思いました。

線路が曲がるような日にウロウロって、私たち・・・・(^_^;)

それでも元気だったのは、鰻のお蔭だって星子さんが言いました。

確かにそうだったかも。

だけど喫茶店で写した写真と、流山駅の壁の前で写した自分の写真とでは、10歳くらい差を感じた私です。

なんか汗と暑さと疲労で、顔なんか腫れ上がっていたような気がしました。

 

翌日、3日の日に何をやっていたのかお仕事以外に記憶がないので、たぶんホヘ~ってなっていたのだと思いました。


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