森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

暑いですねー☆

2011-06-29 16:07:06 | 猫さま日記

猫は気楽な家業ときたもんだ~♪

 

毎日毎日、暑いですね。まだ6月ですよ。

今年だけは冷夏になって欲しいなんて思っている方、多いのでは。

そんなささやかな、イヤささやかでもないか、

そんな私たちの願いをあざ笑うかのように

異常に暑いですよね。

まあ、そんな時には可能ならば猫のように眠りましょう。

って、普通は出来ないのさ。人間様は。

 

 

ふにゃ。

なんか言ってるにゃ。

知ってるよ~。

最近ママチの生活は

あたしと大して変わらないと思うのにゃ。

 

シィー、ナイショだよ。

うん、分かった。

見ていないことにしてあげる。

 

 

いやいや、ももちに

「見ていないことにしてあげる。」って言われてもね。

だから働くよ。

人間って言うのは、猫と同じと言うわけにはいかないのよね、ヤッパシ。

人間であるが故に。

 


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「JIN-仁」最終話

2011-06-27 12:38:06 | テレビ・ラジオ

終わってしまいましたね。毎週本当に楽しみに見ていたので、来週からこのワクワクしていた時間をどうやって埋めたら良いんだなんて思ってしまいましたよ。

毎週泣いているのですが、今週も泣かせていただきました。

3月4月を振り返って」の中でも書きましたが、最終回の予想を勝手に妄想し勝手に涙ぐみ一人で盛り上がっていました。

昔から前夜祭でも盛り上がるタイプでもなかったと思うのに、「仁」には思わずそれをしたくなるようなものがあったのですね。

では、勝手に妄想していた内容はあっていたのかと言う事ですが、ポイントである一部があっていたのみにすぎず、だけれどそれこそが私の望んでいた事で、凄く満足な終わり方でした。

要するに咲さんの手紙は残っていなくちゃあね。

 

だけど、まさか歴史の修正力なんてものに、記憶が塗り替えられるなんてことを遣られるなんて思っても見なかった事なので、切なさが増しました。

咲さんが、「『仁友堂』を残す事が私の使命なのだと思います。』といつかの回で言った時に、妄想の扉がバーンと開いてしまいました。
こんな妄想・・・・。
南方仁はいつか未来に戻る。そこで彼が仁友堂のあった場所に行ってみると、そこには現代にはあるはずもなかった「仁友堂」が静かな佇まいで存在していたのでした。もちろんそこは今では資料館になっていました。だけど資料館として存在するほどの功績があった場所だったのは間違いのない事なのでした。
南方が吸い込まれるようにそこに入ろうとすると、そこの傍らには小さな小さな石碑が。そこには
「南方先生、お帰りなさい。」・・・・。

「仁友堂」が存在していると言う事が、既に咲さんからの大きなラブレターのような気がしてなりませんでした。でも手紙は残っていると思っていました。

そして勝手に泣いていたと言う・・・・
二倍、楽しんでいたかもね、私。

 

しかしこの「JIN-仁」は良く出来たお話でしたね。SFであり歴史的医療物語だったわけですが、どの視点からでもワクワクさせた所が人気の秘密だったと思います。

そうでした。

それから、この物語は凄く切ないラブストーリーだったのですよね。

方法は分からなくても、仁を元の世界に帰す事が仁を助ける唯一の方法だとしたら、あの時咲が緑膿菌に感染してしまったのも、単なる偶然ではなく愛が動かした運命の力と思わざるを得ません。

会えなくなってしまっても助けたい。自分の命をなげうっても助けたい。

それは咲のみではなく南方にも感じました。

 

頭の中の龍馬の声は龍馬の血を浴びた事によって・・・・・云々かんぬんは幾らなんでも、そりゃ無理だろと言う説明ですが、もうそんな事はどうでも良いのです。そうかそうかと、何でも受け入れてやるのです。ついでに言うと、出口と入り口は違うと言ってるのに、薬が出口に落ちていたのにも「?」ですのよ。でも何でも良いのです、そんな事は。

私的には龍馬の声は、仁の願望です。人間の脳は、あまり使われていないと言う事はよく知られているでしょう。最大の理解者であり親友である龍馬を失って、仁は龍馬の声を借りて自分の使っていなかった脳を使って、龍馬と言う形をとって自分を導いていったのだと思います。

入り口と出口は違う。

本当は、仁が本当に帰りたくてのた打ち回り嘆き悲しんでいたら、その発想はもっと早くに思い浮かんだ事なのかもしれません。でも、仁にそんな事は起きなかったのです。たとえ未来の写真の画像が消えてしまったときにも。

今いる場所に役割と使命と運命があったから。

でも仁は咲の為に、咲の命を助けたいが故にようやく閉じてあった門が開いたと思いました。そして彼は現在に帰ってきたのでした。

そして最初に戻る・・・・

なんと無限ループ・・・・。考えると恐ろしい。もしかしたら、その戻っていった(新たな)現在の仁の江戸での運命にはそれどれ若干違う出来事が待っているのかもしれないなどと、疲れる事を考えてしまいました。

原作は10年連載で、10年前の伏線回収と漫画レビューでどなたかが書かれていますが、ドラマでもたった一年でも伏線回収がちょっと大変だった部分がありました。それは、現在の同僚たちのキャラの性格。手術をしてくれた事になってしまった同僚の医者もそうだけど、野口役の山本耕史君のキャラは結構濃かったような気がしたけれど、どんな感じだったかしらなんて・・・。とにかく理論的に物事を考える事が得意な人なのよね。
再放送の時にも、いつも一回目を見逃していたから。彼が出てきたときに「そう言えば」と、なんだか嬉しい感じがしてしまいましたよ。

 

仁友堂のあった場所には行きませんでしたが、図書館で調べる仁。ペニシリンの欄に仁友堂の名とそのメンバーの懐かしい名前が載っていたのが嬉しかったですね。

でもそこには咲の名前も仁の名前もありませんでした。仁は咲の家があった場所を訪ねて行きました。そこには「橘医院」の看板が。

おお、そう来たか~!

そこでであった女性は、咲さんそっくりの・・・・、ではなく野風そっくりの女性でした。
ここにも遣られましたね。咲は野風の子供の安寿を養子にしたのです(安寿の父ちゃんはどうしたんだろうって事は深く考えない事にして・・)

そして彼女の名は未来。

その彼女が最後に渡してくれた手紙のは
「○○先生、・・・」と書かれていました。

歴史の修正力によって、名前も姿の記憶も消されていってしまう。その中で咲は、必死の思いでこの手紙を書いたのですよね。最後の「お慕いしています。」。もうぼろ泣きですよ。「私もですよ、咲さん。」

あっ、ちょっと今書いていても涙が出てきてしまいます。。。。。

 

ある日、未来が脳の腫瘍で病院に運ばれてきます。仁は自信のある力強い声で、「私にやらせてください。」と言い、手術のシーンでこの物語は終わります。
彼は未来を助けられなかった自分をずっと責めていました。そして何とかして助けたいと思っていたところからこの物語は始まったように思います。この最後の手術シーンは、明るい展開が予見でき、そしてその後未来との新しい物語が始まっていくと言う事を想像しても許される、そんな終わりだったと思います。

「完」

 

寂しいけれど完璧だったと思います。

 

でも、あのシーンの事は書かないのかなと思われた方、いらっしゃいますか。
わざと最後に取っておいたのですよ。

実はぼろ泣きしたシーン、もう一箇所。
手術中の仁と龍馬の夢のシーンです。
海に入っていく龍馬に「何処に行くんですか、龍馬さん」。

龍馬の声は仁の脳の具象化した声だと言う自分の説は棚の上に放り投げ、思わず、ああ、役目を終えて龍馬は帰っていくんだなぁと思ってしまいました。そう、ここでは龍馬なのですよ。

龍馬は本当にお別れに来たのですよ。そして本当に大切な事を言いに来たのです。

「先生はいつか俺たちの事を忘れてしまう。でもいつも傍にいる。一緒に居る。」

正確な台詞は書けませんので、感動も薄れるってもんですが、このシーン、本当に感動しましたよ。

 

こんな大それた歴史的SFでなくても、人の記憶はいつしか徐々に奪われて、あの時一緒に笑ったあの人も、抱き合って泣いたあの人も、今は傍にいません。そればかりでなく名前も姿も、あった出来事もゆっくりと忘れていってしまうでしょう。でもその時の記憶はいつしか消えても、それらの事が消えてしまったというわけではないのですよね。彼らはいるのですよ、私の中に、一緒に。

何か見えない何かに励まされているような感覚、見守られているような感覚は、こういうことなのかなと思いました。

上手く言うことが出来ませんが、この内野さんの龍馬が嵌り役だった事だけは間違いのないことでしたね。

 

追記
コメントに咲さんがお手紙を全文載せてくださいました。あわせてお読みくださいませ。

 

 

コメント (6)
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 たどり着いたらいつも雨降り

2011-06-25 09:45:00 | 梢は歌う(日記)

昨日が1999ならば、今日は2000。
ブログ開設してから2000日目です。その数字に意味があるのかないのか分かりませんが、キリ番だったりぞろ目だったりすると、人の中には何故かそこに意味を見出そうとする人種がいて、私はその端くれです。端くれと言うのは、そのこだわりが気まぐれだから。

5年と175日。月並みな言い方ですがいろいろな事がありました。

今日と言う一日は、そんなに大きな一日ではないかもしれない。
でもそんな毎日の繰り返しでも、不思議な事に振り向くと、そこには何かが残っているのですね。

ハート一杯の想い出。
こぶし大の苦しみ。
ガラスの欠片のような涙。
風が梢を鳴らすような笑い声。

時は刻む事を止めず、又明日へと続いて行くのです。

 

映画好きのドラマ好き。
藤原竜也がご贔屓。
吉田拓郎の歌が若い時から好きだった。
イライジャ・ウッドとジョニー・デップが好きなんだ。
ドラマは「相棒」
最近何にも読んでいないけれど、ヘルマン・ヘッセとヘミング・ウェイを愛していたんだよ。
萩尾望都と荒木飛呂彦が心の底から好きなんだ。

実は好きなものは一杯。書ききれないからわざと書かない。

そんなに好きなものがたくさんあって、
ただそれだけで、人生って結構良いものだなんて思えてくるよね。

 

だけど今の気分はタイトルの歌。

若い時からこの歌が好きでした。その時は青年が雨に打たれるイメージだったけれど、この歌は今の方が心に染みてくるのですよ。

やっとここに辿り着いた。
大人たちは一度は、そう思う。
だけど、そこはたどり着いた終点じゃなかったんだ。

辿り着いたら、いつも雨が降っている。
さあ、雨が止んだら、いや、この雨の中を次に向かって歩き出そうか、若いときのようにさ。

 

 

吉田拓郎 たどり着いたらいつも雨降り

 

どうぞ、これからもよろしく。

コメント (4)
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1999日目。

2011-06-24 23:44:11 | 梢は歌う(日記)

ブログ始めて2000日が迫っています。前日になったらもっと騒ぐかもと言いましたが、今日がその前日。でも後12分しかない。

騒ぐ必要もないけれど、まあ一応前夜祭。

でももう終わってしまうので一応、このままアップ。

後でコソコソ追記するかも・・・しないかも・・・。

とにかく汗で体がべとべとなのでシャワーを浴びてきますよ。

と言うわけで、今日は後10分で終わりです。

 

追記です

1999日目は6月24日金曜日。

その日に私がした事。

お支払いも滞っていたので銀行周りなどのついでにラッタ君と二人で映画に行きました。
見た映画は「スーパーエイト」。感想は→こちらです。

今日からバーゲンが始まっていて、映画の帰りも心が躍りました。夏用のバッグとサマーセーターを買って急いで家に帰りました。

一応今日はお仕事もあったものですから。

二年生の子供が大きな数を学んでいます。数字を読めると言う事は大切な事なのです。ちょっとヒントをあげただけでよく出来るお子さんなのです。そしておしゃべり。

今日もプールに入れなかった事を嘆きます。
「どうして?今日なんて水温高そうじゃない?」と言うと
「この前雨が降ったから、念のためだって。」
「そうよね。私も今年はプールなんか一日も入れたくないわ。お母さん、そんな事言っていない?」
「うん、言ってる。ない方が良いって。でも僕は入りたいな。」
「そうか・・。でも念のためって事は、調べて確認するってことでしょう。そのうちは入れるかもね。」
「うん、午後からの学年は入ったんだよ。」

どおりで楽しそうな声が学校の方から聞こえてきていました。

親の心、子供の心を、こんな会話からも感じたりするものですね。

続けてこの少年との会話。

「1000の位ってあるのかな。」
「あるよ、もちろん。万の位も億の位も。その先には兆。その先もずっと位はあるのよ。でもお金とかで使うくらいは兆ぐらいだし、だけどそんなお金見た事も想像もつかないなあ。」と、個人的貧乏発言がにじみ出て・・・・。すると少年は言いました。
「そんな位のお金を持っている人はお金持ちだね。でも僕、お金持ちって冷たい人って感じちゃうな。」
「え~、どうして。」
「だってさ、そんなにお金を持っているなら、みんなに分けて上げればいいのにさ。」

私は妙に感心してしまって
「でもね。」なんて言う、大人的フォローはナシです。だってこの先彼は自分の頭を使って、いろいろな事を考えていく事が分かっているからです。

 

夜はルート君は飲み会。三人の食卓は冷やし中華。ルート君はあまり冷やし中華って好きじゃないんです。だから彼がいないから突然思いついてそうしました。でも予定していたさばの塩焼きも焼いて出したのに残ってしまいました。まあ冷やし中華には合いませんものね。

夜はのんびりテレビです。東野圭吾「回廊亭殺人事件」。ラストのオチががっかりな感じがしたのですが、ミステリーとしてはなかなか面白かったですよ。最後まで出てこない登場人物だから何かあるとは思っていましたが、ひろみと言う名前トリックでしたね。ひっかかりました。ただ人を呪わば穴二つって本当ねと言う作品だったと思います。

 

と言う一日でした。

今の気分は↓

 

よしだたくろう 「こうき心」


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寝る前に

2011-06-23 00:50:08 | 梢は歌う(日記)

連投だけど日付も変わった事だし・・・・。

昨日の私、家事頑張りました。(ひとつ前に書いた記事の『昨日』は21日で、この記事の『昨日』は22日の事です。)

えへん。たまに真面目にやると威張ってみたりしてね。

そう、昨日の私、ちょっと思ったのですよ。朝から夜まで、家事を頑張ったらどうなるのって。

いやはや、本当に家事だけで終わりますよ、一日が。家事ほどエンドレスなお仕事はないものだから、あれをやって、これをやってと幾らでもお仕事が出て来るんですよ。じゃあ、いつもはどうしているのかと言うと「やらない」と言う選択をしているのですよね、意思を持って。

あっ、これって、家事をやらないと言う選択をしているというわけじゃないですよ。

なんかね、ちょっと『専業主婦』って言う職業は、どんなもんかなあと思考中なのです。

主婦でお仕事をしていない人が専業主婦って言うのって、なんとなく無職といわれているようで、なんかちょっとイヤじゃない?
だって、こんなに忙しいのに。お仕事に縁のない娘さんの『家事手伝い』と言うポジションとは違うわけだしね。

まあ、とにかくね、あちらこちら磨いていると、少しは家も綺麗になってくると思います(そのうちに)

                                      

で、ところでね、寝ようと思い、その前に気まぐれに藤原竜也君のHPを覗いてみたのですよ。何の期待もなく。ファンクラブの人には情報が早いのかもしれませんが、そうじゃない人には、此処よりツイッターの方が早いのですよね。でも侮っちゃいけませんね。

新情報が載っていて吃驚しました。

7月4日(月)スタートの日本テレビ系列新ドラマ「ピースボート‐Piece Vote-」への出演が決定致しました!!
(7月4日START 日本テレビ系 毎週月曜日23:58~24:29放送)』

「ピースボート‐Piece Vote-」のHPは→こちら

主演は濱田岳君。竜也くんは謎の死を遂げた彼の兄の役ですって。濱田岳君も好きな役者さんです。楽しみですが、ちょっとこの時間帯がキツイな。起きているのは平気なのですが、この時間は流石に我が家ではテレビは消えますよ。ヘッドフォンで静かに見る事になりそうです。

それからもうひとつ。

『君が踊る、夏』の地上波放送が決定。
テレビ朝日7月9日(土)12:00~13:55
ABC朝日放送(関西圏)7月10日(日)15:30~17:25』

竜也君は友情出演だったのですよね。こちらの映画は未見なのでやはり楽しみです。

 

                 

 

ツイッターをあまり覗かなかったから、本当は誰かが教えてくれていたかもしれないけれど、気が付かなかったのかも知れませんね。

私的には、たまたまNHK さんの呟きから再来年の大河情報を得て、それが私好みになりそうだなと思えた事だけで満足だったのですが。綾瀬はるかさんが主演なのが嬉しい。

『再来年2013年の大河ドラマ「八重の桜」。作(オリジナル脚本)は朝ドラ「ゲゲゲの女房」の山本むつみさん』
詳しくは→ここを。

これに竜也君が出てくれたら、かなり嬉しいんだけどな。←個人的願望です、あしからず。


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時の重さを感じさせる詩

2011-06-22 23:06:36 | 思いつくまま

昨日の朝、姉から電話あり。姉からの電話は毎日の出来事に近いほど日常の事なのですが、どんな話をしているかと言うと、それは多岐にわたり、毎日話していても話の泉は枯れないのです。

昨日、姉は家の片付けをしていたら、詩の走り書きを見つけたのですって。TOKIOの長瀬君のドラマで出てきたもの。凄く良いからって教えてくれました。もちろん別に電話口で朗読してくれたわけではなくて、一部を教えてくれて、ネットでググリなさいと言ったのです。

再びもちろん姉ですから「ぐぐれ」とも言いません。

「検索してみてね。」と普通のお言葉。電話は、それで終わりです。

で、調べてみました。

なんだか知っていた様な気もしたのですが、どこかでやっぱり聞いた事があったのでしょうか。でも全部は知らなかったので良い機会でした。これは作者不詳。つまりネットのどこかに書き込まれ、そして広まっていったものらしいのです。

私はこの詩も好きだけれど、この現代で、読み人知らずを作って言ってしまうネットの世界の凄さも感じてしまいましたよ。

こんな詩ですよ。

 

※     ※      ※     ※

「一年の大切さを知るには」

一年の大切さを知るには
落第した学生に聞くとよいでしょう

1ヶ月の大切さを知るには
未熟児を生んだ母親に 聞くとよいでしょう

1時間の大切さを知るには
待ち合わせをしている恋人に聞くとよいでしょう

1分の大切さを知るには
電車に乗り遅れた人にきくとよいでしょう

1秒の大切さを知るには
たった今、事故を避けることが出来た人に
聞くとよいでしょう

10分の1秒の大切さを知るには
オリンピックで銀メダルで終わった人に
聞くとよいでしょう

だから、あなたの一瞬一瞬を大切にしましょう
そして、あなたはその時を大切な誰かと
過しているのなら、十分に大事にしましょう

その人は、あなたの時間を使うのに
十分にふさわしい人でしょうから。

そして、時間は誰も待ってくれないと
言う事を覚えましょう。

昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだ分からないものです。
今日は、与えられるものです。

だから、英語では 今を 「present」と呼びます。


※     ※      ※

 

ラストが素敵。でも私、ちょっと気になってしまいました。「一日の大切さを知るには」誰に聞けば良いのかしら・・・なんてね。


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今日この頃は・・・

2011-06-21 01:13:22 | 思いつくまま

ある日の深夜、自分の余命について考えてみました。

この余命と言うものほど不確かなものはないのです。老いた者も若き者も明日と言う日は分からない、ある視点では平等、別の角度から見ればかなりの不平等で成り立っている寿命と余命。

でもここは運命的な指数は省いて、単純に人の寿命の平均値で考えていきたいと思います。

ある時まで自分の人生を思うとき、いつだって「まだまだだ」と私は考えていました。そしてまだ上り坂だ。やがてまだ半分は残っている。さらにまだ半分になってしまった入り口だという風に変化していったのです。

だけどそうこうしているうちに、時はどんどん過ぎて行き、そんな言葉を言うのは誤魔化しに過ぎなくなってきたように思います。現実を直視すれば、10000日生きることが出来るだろうか、12000日生きられたら凄いよなと言う時代が来てしまいました。

そうなってくると、もっと時間は大切にしなくてはいけないよなと、何もそうならなくても思って当然の事を、さらにしみじみと思ったりもするのです。

繰り返し言うようですが、ここに運命指数はナシですよ。真面目な顔をして記事を書いても、明日あたりに、ここに書き込みたくても書けなくなっている状態になっていたら洒落にもなりませんから。

 それで、そうなってくると「ブログなんか書いていても良いのかな、」とか「ツイッターとかはどうなんだろう。」と言うことも真剣に思ってみたりするのですね。ブログは自己表現の場所だし、もやもやした思考を形にする場所でもあるので止める必要もないかなと思うので続けていくつもりです。前日辺りになったらもっとご大層に言うかもしれませんが、2000日と言う日も迫っているんですよ。

このブログを始めたころは、せいぜい「とある年齢」ぐらいまで遣りたいし、「とある年齢」になったら止めても良いかと思っていました。でもその「とある年齢」と思っていた年齢は、実は来年の2月には来てしまうわけで、またもこのごろ良く言っている「時間が経つのが早すぎる」「光陰矢のごとし」と言う事になるのです。

時間が一杯あると思って行き当たりばったりで、ヘラヘラしていたのがいけなかったのでしょうか。最初に書こうかなと思っていたことが、あまり書かれていないブログになってしまいましたし、これと言って止める理由も思い当たらないので、だらだらと続けていくのではないでしょうか。「私はここにいます」と言うのが、このブログテーマならばそれも良いのかもと思うのです。逆にこの先10000日続いたら凄いですね。

いや、止まれ!

この先10000日しかないのでしたら、続けるにしても「だらだら」と言うのはナシにしなくてはと思うのです。だからと言って気負いすぎては何を書けば良いのか分からなくなってしまう事は間違いナシです。

やっぱり行き当たりばったりでも良いのかもしれませんね。

 

<しばらく家に静かに居て、掃除に勤しもうかと思っていました。ブログも花や猫の写真、書きかけ文章の続きなどをアップしようと思っていたのですが、先週は図らずも藤原竜也祭りとなってしまったというわけなのです。上に書いた文章は、書きかけていたもののひとつです。『行き当たりばったりで良い』なんて事は、今書き加えたのであって、本当はもう好きな事だけ書いて突っ走っていこうと書こうとしていたのかもしれません。>

 

時間を空けて、この文章を読むとブログやツイッターとの関わりをちょっと悩んでいた、イヤ悩んでいる自分の姿が見えてきますね。余命と言う大きなテーマを掲げながら、残りの人生に何をしたいのかと言う命題を避けている私です。本音を言えば、そんな事今書ける訳ないじゃないというところです。

だって、あなただって言えますか。

残りの人生、私はこれをするって。

なんとなく願っている事はあるかもしれません。だけど私には言い切る勇気がないのです。または言い切る勇気なんか、今更いらないのかもしれません。

 

若い人から見たら、私たちの年代は山の大きさはともかくとして、もう山を登ってしまった人たちの群れに見えるはずです。そこにたどり着いた人たち。

<ああよもや私がこんな文章を書く時代が来るなんて。

若き人よ、あっという間ですよ。と、子供に伝えたいが、彼らは聞く耳なんか持っちゃいませんよ。>

で、山に登った人たちは、残りの人生を降りてくるだけなんだと思っていると思うのです。かつての私がそうだった様に。

だけどそれは違うのですよ。

 

願えば、次の山を目指していく事だって出来るのですよ。

 

問題は「願うか願わないか」なんですよね。

 

自分の為に、何かを願うーそれは大きなエネルギーが居る事。何かを言い切る勇気なんかを出す事も、凄く疲れる。もう山の登り方、昔とは違うのだと切実に思うのです。

それに目標だって、あの山を登ろうじゃなくて、行けるところまで行こうで良いと思う・・・・

 

今は世の中の事も家族の事もいろいろな事を考えなくてはいけない時代だと思います。でも自分の事も、棚の上には上げないで少しずつでも考えていかなければいけないのだと思っているのです。

 

・・・・・と言うこの頃です。

 

 

 

 

 

 

 

 


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「JIN-仁」最終章・前編

2011-06-20 10:21:39 | テレビ・ラジオ

今期のドラマで一番楽しみにしていた「JIN-仁」も、とうとう最終章、来週は最終回になってしまいました。昨日のドラマが終わって予告編を見終わったとき、来週の日曜日が明日来れば良いのにと、思わず「時の神様」に叱られそうな事を思ってしまった私。

楽しみでもあり、だけど終わってしまうのが寂しくもありと言うところです。

 

昨日はとうとう、「JIN-仁」の見るべきポイントである、龍馬暗殺の真相と彼の運命が決まってしまう回でした。

前回の最後、恭太郎たちに追い詰められて、もう助けられないと思った東は、自らの太刀で龍馬を切りつけます。
それは、なぜ!?
他の者に、龍馬を切らせたくなかったのか。

だけど龍馬は、自分を守るために切ったのではないかと、東に言います。龍馬を守るために切るとはどう言う事だったのか。それは西郷の口から、そして咲の口から推察と言う形で語られるのですが、龍馬のやった仕事を守る為だったと言うのは、驚くべき事であっても納得の行く説明だったと思いました。

徳川の手の者に切られたら大政奉還は、実は徳川には不本意であったとなってしまうので、個人的な仇討ちと言う形で守ったと言うもの(ちょっと、此処の説明、非常に不味いかも。)

東が自分の命が助かった納屋を見に行くシーンで、龍馬とのやり取りを思い出します。
「遣り残した事はないのか。」
「ひとつだけある。」

そのひとつは、龍馬に対しての仇討ちだったわけですが、その後、龍馬の護衛と言う形でずっと付き添っていた間に、東の心に変化が訪れ、結果的にはひとつだけ遣り残した事をやり遂げてしまったわけですが、意味が違かったと言う、なかなか奥の深い内容になったと思います。

東は切腹して果てますが、救いは西郷や咲のようにわかってくれている人がいた事、そしてそれ以上に龍馬本人が分かってくれていた事だったと思いました。

 

果たして仁は龍馬を助けることが出来るのか。

手術のシーンは、やっぱり怖くて直視出来ませんでしたが、このシーンには幾つもの鬘が使われたのですってね。HPはあまり覗かないのですが、今日、気になる事があって覗いてみました。結構内容充実したHPで読み応えがありましたよ。そこの「現場レポート」はなかなか面白かったです。裏話も多数です。→こちら

 

結果的には龍馬は歴史どおりになってしまいました・・・

でも、そうでもないか。本当の命日は変わってしまったのですよね。昏睡した意識の中であっても、野風の恋文にも近いような手紙を読んでもらい、耳元で未来の話を仁がし続けたせいか、夢であっても未来を見てきた龍馬。そして最後に自分の思いを仁に語った龍馬。

史実では頭は勝ち割られ、脳が飛び出し即死であったと伝えられていたように思います。最後に何かをきっと言いたかったと思います。でも、最後に龍馬は思いを語り、無念の涙を浮かべても、その顔は安らかでした。

 

「死んでいった者達が、もう一度生まれてきたい国にしたい。」

この言葉を聞くと、条件反射のように涙が出ます。

この言葉、もう国会の合言葉にして欲しい。

 

ところで、「夢であっても未来を見てきた」と私が言ったら、夫は「行ったんだな、未来。」と言い切るのです。

うーむ。

最大の見せ場だった龍馬の回が終わってしまっては、残すのは南方仁はどうなるのかと言う点ですよね。

私が気になったのは、包帯男の正体。仁はあれは俺だと考えるのが妥当と言っていたけれど、あの包帯男は不思議です。

なぜならある時、彼は龍馬に思え、ある時彼は仁に見え、昨日の予告編で見ても違う人に見えてしまったり・・・。普通、あれだけ目が出てるんですよ。ああ、なるほどって分かりそうじゃない。龍馬の声が妨げてるのかしら。

この包帯男って、同じ人が演じていなくて、仁の思考にあわせていろいろな人が演じているのかなとか思ってしまったのですよ。でも最終回前ですし、ヒントなんか何処にも落ちている訳もないことでした。

気になりますよね。どうやって咲は仁を未来に帰そうと思っているのでしょうか。

毎回涙を友として、このドラマを見ているのですが、来週もハンカチは必需品に違いありません。

 

南方一行がいない間の仁友堂の危機とそれを助けた人々の活躍と、勝海舟の西郷との密談の様子も良かったですね。この回にみんなくっついているのが勿体無いくらいです。

野風さんの「母は昔雪になりたかった。愛しき人の肩に舞い降りたかった」と子供に語るシーンは、後で龍馬の形見が届けられた時に、凄く生きてきて、思わず泣けました。その簪は雪のデザイン。

(ごめんね、おりょうさん。)

このドラマの中では龍馬の野風に対する恋の想いは深いから・・・・

 

コメント (1)
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「星守る犬」&お出掛け日記

2011-06-19 11:18:19 | 映画

昨日は、夜から友人と「星守る犬」を見てきました。その感想は→こちらです

 

たまには映画のお出掛け日記などを。

レイトショーは久しぶり。8時50分から始まるのを6時半には迎えに来てもらって、7時前からお食事タイム。のんびりしたいなと思っていたのですが、なんとお食事が余りにゆっくり出てくるので(お料理とお料理の間が空き過ぎですよ)、あっという間に8時を回り、間に合うのかしらとドキドキ。でも8時25分になって、これはもう無理だとお店の方に言って、最後のご飯と漬物と汁物とデザートを一緒に出してもらい、それでも全部は食べきれず。

凄く美味しかったのに残念です。

しかもお腹が一杯になり、映画を見ている間フウフウ言っていたようにも思います。

映画が終わった後も、もちろん映画の感想もですが千葉のホットスポットなどの話や子供たちの話などで盛り上がり、久しぶりの午前様。

一人で行く映画も楽しいのですが、誰かと行く映画も別の楽しみがありますよね。

 

ちなみに昨日言った映画は、私は知りませんでしたが、原作を読んでいる人も結構いるのですよね。映画も良かったのですが原作はもっと良いらしいのです。ちょっと興味ありです。

星守る犬
村上 たかし
双葉社
続・星守る犬
村上 たかし
双葉社

そう言えば、一緒に行った友人に「ブルータスの心臓」を見たかと聞いたら
「途中からちょっと見たけれど、まどろしくってかったるかった。」と言われて、少々へこみました。が、めげずに「おかえり、はやぶさ」の宣伝なんかをしちゃって・・・

既に、私は自主的宣伝ウーマンと化しているような・・・

 

 


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「ブルータスの心臓」

2011-06-18 09:51:37 | テレビ・ラジオ

ネタバレ全開で書いていますので、後で録画を見ようと思っている方はお気をつけください。

 

この作品、サスペンスとしても良く出来ていると思いました。予想外の展開で物語りは進むし、怪しい人多数だし。ただね、なんたって「相棒」で鍛え上げられちゃっているから、二年前の事件が伏線になるのなら、犯人はあいつだなって、予想がついちゃったのですよね。それに最初の恐ろしいロボットによる殺人のシーンで、ラストシーンも予想はついてしまう・・・。

だけど・・・

だけどなんですよ。竜也君演じる拓也の死に顔が凄く綺麗で安らかなんですね。

なんだか見た事のある顔だなと思ったら、聖母に抱かれる人のようなんです。

あの時、拓也は酒井が操作しているなんて思いもよらないで
「なんで、ブルータス・・」と、唯一信じていたものに裏切られたような思いをしたと思います。でもその死に顔には、罪を許された、または地上で空しく戦い続ける事から解放された安らぎの顔をしていたのでした。

 

最初の方にお話を戻すと、室長が差し出した袋にジョーカーを入れて欲しくなかったです。でも、そこで違うカードを入れてしまっては、物語は「はい、終了」となってしまうわけなんですね。それに殺人の計画を立てたという秘密を知ってしまった事により、室長はどういう行動に出るのかと言う、別の物語になってしまったかもしれません。

ジョーカーを袋に入れて、妊娠した愛人を殺す事に賛成してしまった・・・・・・・・・

ラストの拓也の悔いと嘆きのシーンは、まさに竜也節で見応えがあり絶望の気持ちが伝わってきました。でもその嘆きも、殺人を犯した事への後悔の気持ちは皆無で、上手く思ったようにいかなかった事の悔しさの嘆き。

「なぜ」「なぜ」と彼はのた打ち回ります。

それは何度もあった選択のシーンで、常に愛と常識のないダークな選択をしてしまったからだなんて、きっとこの青年には分からない事なんだと思います。愛と常識のないダークな選択、つまりそれはカードのジョーカーと同じ。

室長が殺されてしまった後、同僚で共犯者の橋本に「殺すという以外の選択を選べないだろうか。」と問われた時も、康子に自分たちは似た者通しといわれた時も、何故立ち止まって、その言葉の意味を考えたり深く思い悩まなかったのだろうかと思うのです。常に安易に邪魔な者を排除するという思考ゆえに、そんな結果になってしまったのだとは、この先彼に時間があったとしても、たどり着けない結論だったかもしれません。

母を幼き日になくし、ろくでなしの父に育てられた彼には、何か欠落感のようなものを感じます。ところがこの物語は、そんな登場人物の集まりです。つまり、故にサスペンスとしては撹拌され面白みは増したわけなんですね。私としては一番酷いやつは社長じゃないかと思うわけですが・・・。

 

人には原点のような「時間」があって、それが拓也にとって母の優しい手に迎えられたあの瞬間だったのですね。
無機質のブルータスの向こうに、最後に拓也は、その母の姿を見る事が出来たのかもしれません。だからその最後は聖母に抱かれたような美しい顔だったのだと思います。 (と、思わなければ救われません。)

 

と、ここで感想を終えても良いのですが、どうしても書いておきたいのは、加藤あい演じる中森と言う女性。
最後のこの人の行動には納得がいきませんよ。
だって恋人だった酒井は、自分が本当に愛していた婚約者を殺した男なんですよ。嫉妬とエゴで、その婚約者を殺されたというのに、そしてまた保身の為に、連続で殺人を犯し続けていたのですよ。もちろん彼女はそこまでは知らなかったわけですが、そんな殺人者ならどこかで何かが滲み出るはず。愚鈍すぎる。今流行の鈍感力マックスの人ですね。だからこの先、酒井の思惑の方が上手くいっていたら、一番幸せに暮らしていけたのは彼女だったと思います。

おいおい、ドラマだよ、ただの、って言われそう。

 

そうなんですね、ただのドラマ。でもこういう人が、リアルに好きじゃないのかも。この女性の部分、かなり大事な部分だったと思いました。だって、連続殺人の犯人だったことは知らなくても、恋人を殺した殺人者であるのに、そしてその男が最後の力を振り絞って、又殺人を犯そうとしているのに、ぜんぜん周りを見ようとしないんですよ。この女性は無意識の殺人者なのよねと、私は思ってしまいました。

「君たちはお似合いだ。」と言った拓也の言葉は、いつだって祝福の言葉ではなく嫌味っぽい意味合いみたいなものを感じていました。でも、実はこんな所にも繋がっていたように感じてしまったのは、考えすぎだとは分かっていますが、そう思えてならないのです。

拓也がジェイソンみたいに追ってきていたのなら分かりますよ。殺しかけていたのを手を離し、彼女を解放したのですよ。

あれは守ると言う行為ではなく、酒井の最後の殺人だったと思います。

しかも残ったのが中森じゃ、警察は真実にはたどり着けず、拓也に不名誉なおまけが付いてしまうのじゃないかと思えてなりませんよ。

 

拓也には愛人の康子も殺して欲しくなく、社長の秘書の宗方あたりが犯人だったら良かったなと思うのですが(ファン心理)、もしそうなら、このラストは滂沱の涙になってしまったと思います。彼もまた殺人者と思うと、彼も又裁かれたのだと思われて逆に救いです(これもファン心理)

 

でも私が一番悲しく感じたのは、砕かれた機械の破片と言うかチップなんかが映し出されたところ。あれはブルータスの残骸なのでしょうか。作った者が殺人者でそのロボットも殺人を犯したのなら、想像できる末路ですが、ブルータスは何も悪くなかったのにと思いました。人はいつか必ず死ぬのですよ。でもその時に、自分の業績や作品などがこの世に残っている人は幸いな人だと思います。それさえもなかったことになってしまうなんて、本当の悲劇は、そこにあったように思えてなりません。

と、言うわけで感想は終わりです。

 

オマケ
監督の入江悠さんのブログはこちらです→「映画監督入江悠日記ードラマ『ブルータスの心臓』」

 

 


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