森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

さよなら5月 <with 道端の花たち>

2016-05-31 09:19:39 | お散歩&写真日記
 
時は奪うのみにあらず
 キシキシと心が軋む音がするもし父が私の傍に立っていたら、お前はあんなに優しいと思っていたのに、なんで今はそんなに薄情なんだと言うだろうか。父の一周忌。だ...
 

細かい事を言うようですが、タイトルはあくまでも「2016年の5月」と言う意味です。この歳になると…いや年齢は関係ないかもしれませんが、微妙な言葉の響きで「縁起の良いものじゃないな。」と感じる時があるからです。

予定では2017年の5月が来たら、「ハローハロー5月」と迎えいれる事になっているのです。

 

私は新緑の5月が1年の中で一番好きです。だから腐れ縁などと言っている夫との結婚式も5月に行ったという次第。

だけど父はその新緑の美しい季節を選んで逝ってしまいました。

上の囲みはgooさんが昨年の5月26日に投稿した記事を送ってくれたもので、そこに進むとさらにその前の年の記事に行くというツリーになっています。

一周忌と三回忌の時の記事。

今年の命日だった26日は母と姉は墓参りに行き、私は2か月に一度の検診の為に病院に行きました。来月初めに他の用で実家に帰り姉妹全員集合となるのです。続けて行けば母は喜ぶかもしれませんが、それだけ気を遣ってそして疲れてしまうに違いないのです。それと私的には命日よりも父の誕生日の方が意味があるような気がしてしまうのですよね。そう思って予定を決めたわけなのですが、なんだかちょっと罪の意識が無いわけではないのです。

来年はどうしようかー。

また来年決めれば良いよねー。

 

何回忌とか言うイベントの時は、どうもそれを無事に終わらせることに気を取られ、その時には父を思う気持ちは逆に希薄になっているなと、前の記事を読んでいてもそう思います。

ただ時が経っていくと、不思議な事に父は心の中に住み着いて、私は時々父と会話します。

だけど彼は決して新しい言葉は発しません。

いつも想い出の中にある父との会話のその言葉だけ。

 

もし父が新しい言葉を発したら、それは妄想とホラーの狭間に落ちたということじゃないかと思います。

死者は過去の言葉のみを語り、そして生者の傍らに寄り添って、そっと支えてくれているのです。

 

 

 

 

 

5月28日のお散歩で。

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ポーの一族【春の夢】vol1  《月刊flowers7月号》

2016-05-30 13:26:35 | 漫画・マンガ・まんが

萩尾望都氏が「ポーの一族」の新作を40年ぶりに描くと言うので、 「月刊flowers7月号」を本屋で予約をしました。予約を入れて本を買うなどと、最近ではめったにというかほとんどない事でしたので、その気合の入れようが分かっていただけると思います。

普段は少女コミック雑誌に、すでに見向きもしなくなった世代の方々が、この「ポーの一族」のみで、この雑誌を手に入れようとするのは予想できることなので、私も絶対に逃したくないと思いました。

発売日の28日に書店に受け取りに行くと、予約棚にはまだ同じように予約されたこの雑誌が数冊置いてありました。

私は心の中で思ってしまいました。

― 見知らぬあなた ! あなた様は「ポー」のお仲間ですね。

って。

 

月刊flowers(フラワーズ) 2016年 07 月号 [雑誌]
小学館
小学館

 

この表紙になっているエドガーが予告でも見た彼だと思うのですが、私はそれを見た時にちょっと不安にもなり、ある種の覚悟をもってこの雑誌のページをめくりました。

40年の歳月が作者の絵のタッチを変える事は当然の事ですし、それゆえに名作を世に送り出し続ける事が出来たとも言えるでしょう。

ところが読み手である私たちの中にある「ポーの一族」の世界では、あのエドガーとアランが彼らなのですよね。

絶対にギャップを感じるに違いないと思いました。

正直な事を言ってしまうと、一回目に読んだ時にはやはりそのギャップが埋まらず、物語がすんなりと頭に入ってきませんでした(理解能力の低下かも知れませんが。)。

特にアランが、私的にはショックレベル。彼は私をこの世界に引きずり込んだ大事な人なのです。かつては彼の孤独に満ちた見開かれた目を借りて、エドガーたちを見ていたように思うのです。少女時代には、何度も同じようなアランの目が描きたくて練習したことなどを思い出しました。

 

だけど間を空けて読み直しました。

するとすでに私の脳が、彼らをエドガーとアランだと認識したのか、今度はすんなりと物語を受け入れたのでした。

1944年のエドガーとアラン。

戦時下のイギリスでドイツから来た少女とどのような物語を紡ぐのかー。

明言された言葉がないものの、このドイツから来た少女の父親はユダヤ人なのだろうか、それとも・・・・。

ドイツから来た少女、ブランカとエドガーが心を通わせたところで今回は終わり。

次回は冬だそうです。

期待出来ます。

エドガーとアランに再会できて、本当に嬉しい !!!

 

「わたし、待っていたんだから。」

ああ、なんかリデルになったようなセリフですね。

 

ところで「月刊flowers7月号」には、『萩尾望都と山岸亮子のプレミアム対談』も載っています。

こちらも読みごたえ十分でした。

今、「重版出来」と言うドラマに嵌っているので、萩尾氏がネームを編集者に見せた事がないと言う一言は印象深かかったし、今回の連載の反応も気にしている事も萩尾氏らしいなと思いました。

 

この雑誌の残りの90%は、私にとっては本当は無用なページとも言えるのだけれど、そんなゲスイ事は言わないで、少しずつですがちゃんと前頁を読みたいと思います。

 

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#wowow で「天保十二年のシェイクスピア」

2016-05-29 01:19:25 | 観劇・コンサート日記

劇中でシェイクスピアの37作品を織り込んで紹介しているこの作品は、蜷川さんの追悼番組として本当にふさわしいものだと思いました。

「もしもシェイクスピアがいなかったら~♪」と頭の中で、その歌が鳴り響き、見終わった後もその余韻に浸りました。

 

2008年7月、私はこんな記事を書いたのです。

続けて藤原竜也<好きなものがある幸せ3>

その記事内に、藤原竜也さんの「うわきもの」のシーンを貼らせていただきました。

かなり強烈なインパクトで、しかも4時間ものお芝居、いったいどんな内容なんだろうと、いつか観てみたいものだと思っていましたが、そのささやかな夢が叶いました。


お話が面白くて面白くて、4時間と言う時間はあっという間に過ぎていきました。

それでもやっぱり、見終わってみると長い間見続けたと言う疲れを感じました。演じている役者さんたちも凄いけれど、客席でそれを見続けた観客も凄いと思うのです。またはテレビ前でお茶などを飲みながらでもずっと見続けた視聴者も凄い。

最後に狂言回しだった隊長が挨拶で

「皆様が芝居として成り立たせてくれました。」と言うような事を言ったと思うのですが、まさに舞台と観客でこのお芝居を完成させたと、私は思いました。


だからなのか、さながら客席も舞台であるかのようなオープニングとエンディングには引き付けられました。


このお芝居は、内容的には、いくら私が泣き虫でも泣くようなシーンはほとんどなかったのです。このほとんどと言うのは、ジュリエットの死にあたる元花魁の死の部分だけ、ちょっと泣いてしまったからです。たぶんこれは「ロミオとジュリエット」のそのシーンでは泣くという条件反射のようなものです。

シェイクスピアのお話では死はお友達のようにすぐ傍に寄り添っているのです。でも物語はどんどんドライに進んでいくので涙は皆無に等しい。

それでも私はそのエンディングの

「もしもシェイクスピアがいなかったら~♪」の歌で泣きました。

ボロボロと泣きました。

「シェイクスピアはメシのたね」と言う部分でまた泣きました。


シェイクスピアは大昔のライターさん。

自分の劇団を守るために必死でシナリオを書いていたと思います。

それが時を隔てて、一人の男のライフワークを作った・・・・・・・。

なんだか素晴らしいなと感じました。


そしてエンディングで皆頭に三角の死者の印(あれは、何ていうのでしたっけ。)をつけて、すこぶる陽気に出てきます。

舞台の上でそれぞれの物語を紡ぎながら、そしてなんとも空しく散っていった人々。

一堂に会した陽気な人々からは「生きた、そして死んだ。」と言うような、そんな想いを勝手に感じたのです。これはまさに思い込みで、舞台上の役者さんたちはやり終えた感にどっぷりとつかっていたのかも知れません。

ただ私はやっぱり、あの時にはちゃんとまだみんな役を演じ続けているに違いないと思っていました。

なぜならそこで踊っていたのは、まさしくきじるしの王次に他ならず、いつものカーテンコールの竜也さんではまだないと思ったからなのです。

きじるしの王次はいろいろと本当に面白かったですね。

退場が早かったのでちょっと寂しく思いました。


佐渡の三世次と言う人物は、言葉を巧みに操る恐ろしい男だと思いました。その言葉で人を陥れ殺していき権力を手に入れていくのです。

だけれどしょせんは悪は悪として決着が着く・・・・って、これはひとつ前の「闇の守り人」の中でも書いた言葉。

やっぱりそこは物語的には重要な所なんですよね。(この言葉を巧みに操る男と言うのもユグロとも共通しているかも。)

この恐ろしい男を唐沢さんが見るからに恐ろしく好演していて心に残りました。


物語の感想を語りだすといろいろと出てきそうなのでもう止めますが、あと一つだけ書くとすると、何ていうか、井上センセ、こういうのも書いたんだなあと・・・・

ええと、やっぱりなんて言うか・・・・・全体的にちょっと卑猥?

王次の歌などもそうですが、お里やお文のセリフなど。別にだからと言って、それが嫌だとか言っているわけではありません。むしろだから面白い。

ただおさちさんが清らか~に清純ぽ~っく歌って、隊長のハミングも爽やかなあの歌も、歌詞は意外とな~って思い、騙されちゃいけませんよって、思わずニヤリとしてしまったと言いたかっただけなのです。

あと一つだけ書きたかったことがこれかってなものですが、幸せな4時間でした。


 

もしもシェイクスピアがいなかったら

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『闇の守り人』

2016-05-28 09:40:44 | ユーモレスクを聴きながら(book)

「精霊の守り人」に続いて、その続編である「闇の守り人」を読みました。

チャグムと別れたバルサは自分の故郷カンバルに向かいます。

 

精霊の守り人 (新潮文庫)
上橋 菜穂子
新潮社

「精霊の守り人」も相当面白いと思いましたが、「闇の守り人」を読むと、まるでそれは人物紹介と設定紹介のようなものであったかのようにも感じてしまいました。

面白い !

面白すぎる。

もちろんこの物語には、チャグムの名前は出て来ても、帝の「ミ」の字も出てきませんので、悪しからず。

 

6歳のあの時、ジグロに連れられて、闇の洞窟を抜けて故国を脱出したバルサ。今また同じ道を辿って、カンバル国に戻ろうとするのです。

そこでカッサとジナの兄妹を助ける事になるのですが・・・・・

 

ティティ・ラン(オコジョを駆る狩人)と言う小さな人々、彼らが呼ぶ「大きな兄弟」、牧童。

ファンタジー色が強く、この守り人シリーズの世界観が広がります。

こんなファンタジーが日本にあったんだねえと、今更ながら感心してしまいます。

このシリーズの1作目「精霊の守り人」は第34回(1996年) 野間児童文芸新人賞 を受賞しました。

20年前と言えば、私の子供もまだ小学生だったわけで、知る機会を見逃したと言うことなんですね。

惜しい事をしたなと思います。

やっぱり良作のアニメ化ドラマ化と言うのは、時には知らなかったものを知らしめると言うことで大きな意義があるのかも知れませんね。

 

闇に潜む恐ろしいヒョウル(闇の守り人)・貧しいカンバルを助ける美しい宝石ルイシャ(青光石)・山の王と、その世界観の中では当然のように聞こえてくるそれらの存在。

ところがそれにはすべて秘密があって、その秘密が明かされた時深い感動が訪れるのでした。

そしてバルサの巻き込まれてしまった邪な王の陰謀は、更にもっと深い裏の物語があったと言うのがまた面白くて、この本もあっという間に読み終えてしまいました。

 

ファンタジー大河では全作ドラマ化と言っているので、来年以降のいつかこの物語にも触れる部分が出てくるかもしれません。なのでネタバレ感想は下の本の紹介の下に、ほんの少々書いておきたいと思います。

闇の守り人 (偕成社ワンダーランド)
二木 真希子
偕成社

 

人間関係の絡み合いと人物表現が素晴らしいので、登場人物がみなイキイキとしているので想像の世界がまるで映像のように頭の中に飛び込んできます。

ジグロの兄弟の名前がユグロにカグロと分かりやすいです。

悪は悪として決着が着き、ジグロの出奔により苦しんできた人々の心が解放されたのは良かったと思います。

もちろん一番なのは、ジグロの汚名は晴らされて、そしてその魂も救われたことだと思いました。

これによってバルサのジグロの代わりに8人の人を助けると言う償いは終わった事になるのだろうかと言うのも気になる所ですが。

 

苦しい過去を乗り越えるには、それと向き合うしかないー。

闇舞いで突かれた胸には傷はありませんでした。でも肉体に本当に残っていた傷はあっという間に回復しても、その見えない胸の傷だけはいつまでも痛みを感じていたのは、過去と向き合った事の大きな代償だったのかも知れません。

古傷が痛むように、乗り越えた過去を思い出す時には、やはり胸はきりきりと痛むのかも知れません-。


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美しい風景のある部屋

2016-05-27 01:00:25 | 梢は歌う(日記)

5月9日の事ですが、ちょっと不思議なご縁で知り合いになられたお友達の家に招待されて遊びに行きました。

この家にお呼び頂いたのは2回目です。

この家から我が家に帰って来ると、清流からどぶ川に帰ってきたような気分になってしまいます。

その方の家は綺麗に片付いているばかりではなく、あちらこちらに創意工夫がされていて、その工夫の為にコツコツと努力をしているのだそうです。

「コツコツ」と「創意工夫」って、まるでこの前の「若冲展」の感想の中で書いたことと同じじゃないですか。

やっぱりそこ、大切なポイントなんですね。

 

姉などが申すには

「そういう人と知り合いになると、影響されていいね。」

 

ところが残念ながら、部屋の片づけはちっとも影響されないで困ったものです。

 

だけどやっぱり新しい出会いは良いものだと思います。本を読むように人との触れ合いからは学ぶ事がたくさんあります。新しい出会いは、また新しい本を手に取るような楽しさがあるのではないでしょうか。

 

お部屋の中はお見せできないのですが、素敵なお庭は写真を撮らさせていただきました。

 

ところが私は何を考えていたんだか。

 

素敵なお庭だなと思いながら、写してきたのは咲いていた花ばかり。

しかもなんかへたっぴ。

 

ああ、そうだ。

昨年の同じ5月に訪問した時のがあったんだわと思い出しました。

お花は今年。お庭が写っているのは昨年の画像です。

 

 

 

 その方が作ってくれた特注ジュース。

お庭で取れたルッコラと、ゴマときな粉と・・・ええと・・・・・?

凄く美味しかったです。

 

 

 

朝起きて、大きな窓からこのような風景が見えて、一日が始まる。

なんか素敵な事ですよね。

 

 

ふと目が行ったところが美しく感じる。

それが部屋づくりの大切なポイントなのかも知れませんね。

 

また是非お伺いしたいおうちです。


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井の頭恩賜公園は森の中

2016-05-25 16:17:53 | お出掛け日記

 5月2日に訪れた、吉祥寺駅から数分の所にある井の頭公園は、思った以上に森の公園でした。

その日は、姉妹3人で「萩尾望都SF原画展」を見に行ったわけですが、大きな公園が大好きな私としては、こちらも外すことが出来ませんでした。

「武蔵野市民美術館」を後にして、まずは街中でお食事をしました。

 

 

ステーキ丼とサラダ。このお店いい感じで美味しかったしお値段もお手頃だったのですが、私ってお店情報をブログに載せようと言う意識が薄くて、何か探さなくては情報は載せられません。その「何か」が見つかったらこっそり追記しておきますね。

ついでながら書き添えておきますと、なぜ今頃2日の記事を書いているかの件ですが、「若冲展」は昨日までですし、薔薇の季節もうっかりすると終わってしまいますが、森や公園は逃げませんから、順序が逆になってしまったと言うわけなのです。

 

私の記憶が定かならば、この公園に訪れたのは3回目。

1回目はまだ20代。最近ではトント登場してきませんが、子供の時からの友人の緑子さんと来たのです。けっこうオシャレをしてきましたよ。なんたって吉祥寺なのですから。

嘘みたいな話だけれど、まだ7号サイズが入ったんだわ、私。

ああ、過去の私に伝えたいわ。努力しないと、未来でとんでもない事が起きますよって。

 

それはともかく井の頭公園と聞くと、私は漫画家の大島弓子さんの作品を連想するのです。

彼女の初期作品の傑作「つぐみの森」には心が攪拌されました。その20代の頃にも彼女を想ってこの公園を歩いたように思います。

(私の青春時代に好きだったアイドルって皆無かも)

この公園のあちらこちらに彼女の世界観が点在しているような気が、今でもするのです。

 

以下は、森の中の井の頭公園、写真日記。

あっ、その前に、wowowドラマ「グーグーだって猫である」の続編、6月から始まりますね。

楽しみでーす♪ (いつの間にか、私はwowowの回し者。^^: )

 

 

 

 

 

 

ほとんど外れました。情けない・・・・。でもこれ、面白かったです。

 

 

 

歩き疲れたのでエネルギー注入。この善哉、あまり甘くなくて母が作ってくれたお汁粉を思い出しました。

 

秋などにまた訪れたい場所だなと思いました。

 

 

グーグーだって猫である コミック 全6巻完結セット
大島 弓子
角川書店(角川グループパブリッシング)

 

追記:この時は象のはな子さんには、ちょっと気になっていたんだけれど会わなかったんだ。

象さんを見るのは昔から好き。このはな子さんは、ちゃんと大島弓子さんの漫画にも出てくるよ。

だけどなんたって病み上がりだったり体力低下のおばちゃん三人組(あっ、こんな言い方したら妹には叱られるな)なものだから、ちょっと有料だし今回はパスしちゃったんです。

でも・・・・

26日の今日、はな子さんは亡くなったんですね。69歳で国内最高齢のアジアゾウだったんですってね。

長い間、井の頭公園の主として頑張ってくれたよね。

安らかに眠ってね、はな子さん。

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薔薇の履歴書 その5 【その品格を問う】

2016-05-24 11:46:37 | お散歩&写真日記

【薔薇の画像と雑文と】

今のシーズンは、まさに薔薇の季節と言ったところ。

皆様のブログでも、あちらこちらの庭園の薔薇、

またはお庭の美しい薔薇画像が並んでいて、その美しさにほれぼれといたします。

花から何かを学ぶと言うならば、薔薇の花からは、

常に感じさせる気高き気品の尊さでしょうか。

 

唐突ですが、私はかの「流行語大賞」があまり好きではありません。確かにその時には何かなと興味はあるのですが、時には人の失言なども選ばれたり、
または「そんなのいつ流行ったの、誰が言ったの。」と言うものが入っている時があるので、私的にはあまり意味のない季節の遊びなんです。

そんな私でも、これは今年の「流行語大賞」に上がってくるんじゃないかと思ったのが

「厳しい第三者の目」です。

 

これはたぶん一般的な意見だと思うのですが、

この発言を記者会見で繰り返していた彼が、

コメンテーターなどをしていた頃、私は彼を嫌いと思った事はなかったです。

でも、もう無理ですよね。

 

都知事と言うのは日本の首都、東京のトップで、

いわば日本の顔のパーツの一つですよ。

本当の顔のお話であるならば、ちょっと口元が歪んでるとか、

目が左右不揃いであるとかは個性の一つであって、

逆にチャーミングな場合もありますよ。

でもこれは例えのお話なのです。

日本の顔と言うのは、

見るからに聡明に見え端正に整っていなくてはならないのですよ。

そして大切な事は

どこの国の要人にも引けを取らないような気高き気品が

あると言うことなんじゃないでしょうか。

 

どう見ても在任中に

出来る限りの小銭を貯めようにしか見えないってどういうことなのでしょうか。

(かなり乱暴な一行。でもいろいろな件をまとめ、おばちゃん感覚で言うとこうなる。)

これは今の段階で真実か否かと言うのは関係ないんです。

「そう見える」と言う事が既に問題なんですよね。

 

本来ならば、絶対にばれないようなちっぽけな事らしいです。
これがなぜ表に出てきたのかには、どうも裏があるらしいのですが、
もちろん聞きかじりなので、何も書けません。
でももし裏があって、裏で操っている人の思惑通りに私が反応したとすると、
それはそれで少々悔しい気もするにはしますよ。
本当は裏の話の方が問題なんじゃないのかとか・・・

それでもやっぱり、難しい話抜きに簡単に言っちゃうと

せこくてこの人が都知事なんて恥ずかしい

に、なっちゃうんですよ。

 

「厳しい第三者の目」って言うのは、

日本の首都東京のトップには、品格のあるクリアな美しい人であって欲しいと思う国民であり、

そしてその厳しい目で選択していくのは都民なんじゃないのかしら、

って、私は思いますよ。

 

 

さてさて「薔薇の画像と雑文と」、いろいろと読んでくださいまして、

ありがとうございました。

今回にて「薔薇の履歴書」は終わりです。

そして、あと1週間で美しきみどりの5月も終わりですね。

 

 

 

 

 

 

二か所に植えられていたので、ブログにも(うっかり)二回載せてしまいました。

 

 

 

可愛い黄色の薔薇。

でもこの名前で良いのかって、ちょっと思ってしまいました。

本人は…いや…本バラは納得してるのかって^^

 

  

 

薔薇園の全体を綺麗に写すのって、結構難しいですね。

いろいろと研究すべしと言う所です(^_^;)

 

   

乙女チックな薔薇のドーム。

ここに来ると、意味もなくロマンチックな気分になります。

    

 

そして最後は、このドームの薔薇です。

ああ、私らしい。

この薔薇の名前はなんて言うのだろう。

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薔薇の履歴書 その4 【紫の薔薇の人】

2016-05-23 01:00:12 | お散歩&写真日記

【薔薇の画像と雑文と】

 

紫の薔薇を見ると、どうしても漫画の「ガラスの仮面」を思い出してしまう私です。

紫の薔薇をヒロインに送り続ける謎の人。

誰なのかは読者は分かっていて、ヒロインには分からない。

 

ヒロインのお芝居の情熱や舞台を見るような楽しさに加えて、

あなたの大切な愛はそこにあるんだよってモヤモヤとしました。

結婚した頃までぐらいは読んでいたのでしょうか。

美内すずえさんの漫画は、その作風が可愛らしい感じなのに、なにせ彼女がストーリーテラーなものだから引き付けられる人も多かったと思います。

でも1975年から始まったこの漫画がいまだに未完とは驚きですよね。

もちろんこの花の名の由来は

「しのぶれど 色に出にけり、わが恋は ものやおもふと ひとのとふまで」

ですね。


もう一つの紫の薔薇。

ちょっと蜜を取りに来た虫さんも写してしまいました。

 

 

ところで、下の画像の花は「ベルサイユのばら」と言うのですって。

 

 

 花が大きすぎて重いのか、あまり綺麗には撮れなかったのです。この花はご存知漫画の「ベルサイユのばら」とのコラボ作品と書いてありました。

「えっ、どこが!?

ええっ、なんで!?」

と、なんか納得がいきません。

この薔薇を見ていても、オスカルとかマリーアントワネットとか思いつきません。

ちょっとだけ調べてみました。

それでこの花を見てイメージがわかないのは、

もう一番美しい時を過ぎてしまっていたからなんだと分かりました。

この「ベルサイユのばら」はシリーズで、オスカルからアントワネット王妃にアンドレやフェルゼンにローズと他に5種類ありました。

 

こんな所で漫画作者の池田理代子さんの挨拶などを読むと、

この薔薇誕生のいきさつなどが分かりますよ。

こちらです。

 

 

薔薇の名前は面白いですね。

 

 どんな音楽を奏でてくれるのでしょうか。

 

 

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薔薇の履歴書 その3 【それじゃ、また。】

2016-05-22 00:22:56 | お散歩&写真日記

 【薔薇の画像と雑文と】

 

星子さんと愛子さんと近所の公園の薔薇園にお散歩に行き、

その後のランチでも楽しくおしゃべりをしてきた続きの写真日記です。

 

いろいろなお話をしますが、

今回はそのお仲間とではあまりすることの無いお話を書かせていただきますね。

どこかで書きたいなと思いつつ、

どこで書こうかなと思っていた蜷川さんの告別式の時の藤原竜也さんの弔事の事です。

 

私はとうとう告別式の様子などを映像で見る事はほとんど見る事はなかったのですが

竜也さんの弔事だけは聞く機会も読む機会もたくさんありました。

でもニュースなどで流れてくるのは全文ではないので、

ちゃんと文になっているもので読まさせていただきました。

その記事は→こちらです。

 

竜也さんが引用した蜷川さんの言葉

「もっと苦しめ、泥水に顔突っ込んで、もがいて、本当にどうしようもなくなったときに手を上げろ。その手を必ず俺が引っ張ってやるから」

この言葉、本当に泣けます。

大きな大きな存在でしたよね。

 

人と人との出会いに

どんな未来が待っているかなんか

誰にも分からない事だと思います。

 

19年前のあの時に選ばれた15歳の少年が、

彼の弔事の最後を飾るなんて、

誰が想像できたと言うのでしょうか。

そう思うと、また涙で瞼が濡れたのでした。

 

「それじゃあ、また。」と言う

敢えて軽い言葉で結んだそのお別れの言葉から

竜也さんの中で、またはみんなの心の中で生き続ける蜷川さんを感じる事が出来ました。

 

私たちの日常にも何気ない出会いがあったりもします。

何でもないような出会いのような気もするけれど、

もしかしたら未来で本当に大事な人になっていくと言う事もあるかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

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薔薇の履歴書 その2 【見えない風が吹いている】

2016-05-21 09:04:58 | お散歩&写真日記

【薔薇の画像と雑文と】

その1もよろしく♪

 

5月19日は風の強い日でした。

風が吹くと木々は揺れて、まるで人は風を見ているような気持ちにもなると言うもの。

風は本当は見えないものなんだよね。

 

その見えない風が運ぶものには何がある。

過去からの記憶の訪問者とか

それとも離れた人の思念とか

 

星子さんが一度は離れたけれど、さらに深い絆で再び結びついた友達の話をしていました。

私はちょっぴり羨ましく思い、寂しさがトントンと心の扉を叩きます。

 

仕事場が変わったり、夫の定年退職で生活のリズムが変わったり、介護の時代に突入したり,または自身が病気になったりと

環境が変わって離れて行ったお友達たちの事が頭を過ります。

もちろん今もお友達には変わりがなくても、

あの時毎日のように電話をしたよね。

頻繁にお茶を飲んだりランチをしていたよね。

毎月のように映画や美術館やバスツアーに出掛けていたよね。

 

世の変化は常ならむ。

これ、前にも書きました。

不思議なもので去る人がいれば、また新しい出会いがあって、

お蔭さまで、まだ私と遊んでくれる人はいるみたいです。

 

だけどこんな時、ふとあの時のざわめきと楽しかった映像がフラッシュバックする私。

 寂しさがトントンと心の扉を叩きます。

 

5月19日のその日、私は朝から一人の友人の事をずっと考えていました。

かつては「べったり」に苦しんで、長い年月で

今はちょうどよい距離になった友人。

 

今年3月16日にファミレスで楽しい時間を持って、ずっと元気でいるのかと思ってました。

だからスーパーでの知り合いとの立ち話で、たまたま偶然にその人の入院を知ったのです。

でも

「転んで入院」と聞いたので、どこかがポキンと行ってしまったのかと思い込んでしまったのです。

「お大事に」と言うメールを送りました。

しばらくしたらお返事が来ると思ってました。

でも

返ってきません。

 

嫌な予感がしました。

ポキンではなく、頭を強く打ったとか・・・・

でも怖くて

加えて

あまり馴染のない人である彼女の家族に連絡をすることに躊躇しました。

 

だけど星子さんのお話を聞いていて、やっぱりこのままではいけないなと思いました。

それで昨日、ご家族にではないのだけれど、

なんとか状況を知っている方と連絡を取ることが出来ました。

 

やはり昨日は家族には連絡しなくて良かった・・・。

 

なんでだか19日の朝は、彼女の事ばかりを考えていました。

その日は彼女の手術日だったのです。

 

世の中には、本当は何の意味もなく「たまたま」と言う事がたくさんあるのですが、

それに意味を付けてしまうのが

人間なのだと思うのです。

 

見えない風が運んで来るものは何か。

それは遠く離れてしまった人の思念とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

名前の通り、良い香りです。

良い香りは元気が出ますね。

今日も一日良い日でありますように。

 

 

 

 

 

 


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