森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

黄昏時の春の日

2018-03-28 22:21:53 | NO.50の記事

なんだかやっぱりね、おかしいよ。

あ、いや、証人喚問の話とかじゃなくてね、もっと個人的なささやかな話で申し訳ないんだけどね、

きっと何か見えない者が自分を守ってくれているんだよって、思える時ってないかい?

見えない何かは、言葉を持っていないものだから、誰かの言葉を借りたり、または私自身の言葉を借りてエールを送ってくれていたりするんだよね。

それが私の場合は、この「昨日読まれた50番目の記事」の記事のような気がしてしまうの。

だって昨日の50番目の記事は

「覚悟が足りないんだな。」

なんだよ。

あまりにもやりたくない事をやらねばならない状況に、すべてのやる気を失いつつあった私。

そんな時に、花の植え替えをしただけで気持ちが動きだしたんだよね。

そんな事がったのは、ちょっと前の昨年の8月の事だったんだよ。

 

この一年は、本当にいろいろな事が勉強になったんだ。

私は文句は一杯言うし、愚痴も言う。

だけど、ほらっ、すぐに楽しい事を見つけちゃう人なものだから、実はブーブー言いながら楽しんでいたんだと思う。

それでもね、あっちとこっちとで一気に来ると、「はぁ」ってなるよ。

「はぁ」ってね。

 

すると朝、「覚悟が足りないんだよ !」って、見えない誰かに叱咤激励されちゃうんだものね。

やっぱり、凄いよ。

何かがさ。

 

 

 

昨日は、それでもゆるゆるとお仕事の雑務も一つ片づけて、パンを買いに夕方からちょっとだけ出掛けました。

そうでした。

春が来たならば、必ず見たい花が近所にあったのでした。

源平ももの花。

そんな薄曇りの日の夕方ではなく、もっと青空の早い時間にお散歩に来たかったです。

  

 

赤もピンクも白も、皆1本の木。

このはなももは、本当に好きな花です。

 

  夕方散歩の他のお花。

 ナズナの中の大根の花。

トップ画像もその花。

 

 ナズナとハナニラ

 

 ああ、シマッタなぁ。

こんな近くに梅林があったのか。

今年はちゃんと梅の花は見なかったなあ。

こんな近くにあったと言うのに。

 

そしてサクラ。

あっと言う間に一気に満開になりましたね。

 

  

夕方の桜はやはり美しくは映りません。

でも人の目は立派ですね。

ちゃんと美しく見えるのですから。

 

桜の花は、今日、たくさん見てきましたよ。

またそのお話を、近いうちにさせてくださいね。

 

  ♡       ♡

 

それではまたね。

 


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「何もしない日」に憧れる

2018-03-27 11:10:34 | NO.50の記事

3月26日に50番目に読まれた記事は、2006年1月8日に書いた

「何もしなかった日」 でした。

映画タイトルか何かの検索で訪れて頂けたのでしょうか。

その日は朝から、ネットサーフィンでおなじみのブログを読みまわり、午後からはツタヤに出かけ2本のビデオを見て、更にあと1本録画してあった映画を見たのでした。そして夜には、短い、と言ってもブログを始めたばかりの頃だったので、その短い文を打ちこむのも今の三倍は時間がかかったのですが、それを書いて一日が終わりました。

そして夜、「今日は何もしなかったな。」と呟いたら、夫殿が「そうね。」と言い、こう言う日を主婦は「何もしなかった日」と言うのだと言う内容の記事だったのです。

 

年度末の今の私の状況は、あれやこれやの遣らなくてはならぬ御用時(ちょっと立て込んでいます。)と、少々のお仕事とその雑務、友達とのお出掛けの約束とで楽しい毎日。

だけど、「今日は引きこもって何もやらないぞ !」って言う日に、なんだかちょっと憧れます。

 

その何もやらない日に何をやるのかって?

 

やっぱり録画してあるお芝居を見まくることじゃないかしら。またはずっとずっと本を読むとか。

ベランダのお花の世話をずっとするとか。

しかしこれって「何もしない」になるのかって、変な感じですよね。

 

逆に言えば、「今日はシンクをピカピカにしたわ。」と言うだけで、主婦的には何かした日になるのかもしれませんね。

またはゴミ捨てをいつもより少々多めにしたとか。

それで何かした事になるのかと思えば、それこそ楽勝の発想かも知れませんね。

 

いずれにしても、何かをするしないではなく、何もない日はないものですから、さあ、今日はどんな一日になるのでしょうか。

 

立て込んでいる御用時を一つ一つ終わらせて、

「さあ、今日は家に引きこもって何もしないぞー!!」と言う日を4月には作る事が出来ますように。

 

 

 

 

 

 

 

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『僕らは陽気な・・・だから』

2018-03-24 01:06:05 | NO.50の記事

やっぱり、この50番目に読まれた記事と言うのは、見えない誰かからの私へのメッセージのような気がしてしまいます。

いったい何の言葉の繋がりでいらしてくださったと言うのでしょうか。この記事をお読みくださってありがとうございます。

※     ※      ※

3月22日に読まれた、このブログの50番目の記事は、2008年9月20日に書いた

「僕らは陽気なジプシーだから」

でした。

私、たぶんこの夢の中に出てきた青年に、ほんのちょっぴり恋心を抱いていたのだと思います。

だけどその青年は、本当は自分自身でもあったと思うのです。

夢と言うものは不思議です。

自分の経験をもとに自分が作り上げた世界で、私は私が作り上げた人たちと旅をするー。

結局はたった一人だけの世界。

つまりそれは一番の自分と向き合っている世界と言えるでしょう。

 

迷路のような人生を行き当たりばったりで過ごすしかない毎日で、夢はその生きるヒントや行き詰った先の出口を教えてくれるものなのかも知れません。

 

昨日、さりげなく地域のあるボランティアに誘われました。

「お手伝いには行くけれど、正式にはちょっとね。だってそれも引き受けたら、あの人はボランティアばかりやっている変な人とか思われてしまいそうだから。」と即答でノーと言う私。

いくつかボランティアを引き受けたら、そればっかりやっている変な人って思われると言うのも変な話ですが、あながち間違っているとは言えないと思います。

「変な人」と言われなくても「好きなのね。」と言われておしまいです。

アレですよアレ。

『たたかう君を戦わないやつらが笑う』ってやつ。

ノーと言ったそれは、やっぱり引き受けないと思いますが、もう一つ新しい事を始めようと思っている私です。

それがあるから、誘われたやつはノーと言ったのだと思います。

(なんでそれをやらなくちゃと思ってしまったのか、いまだに分からないのですが。)

 

だけど・・・・・。

 

今はここにいる私。だけどその先は分からないー。

 

だって

「僕らは陽気なジプシーだからさ。」

 

 

※ ここまで書いて、ふと思い出しました。(ここまで書いてから思いだすなよ。)←心の声

もしかしたら今は「ジプシー」って差別用語扱いなんじゃなかったっけ?

で、検索したら確かにね、らしいね。

今は「ロマ」と言うらしいです。

だけど朗読して放送するわけではないし、夢の中の大事なセリフなのでこのままでいかせていただく事にします。

カズオ・イシグロの「日の名残り」にもしっかりと「ジプシー」で出てくることでもありますし。

 


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3月21日の50番目の記事は「ムサシ」の感想でした。

2018-03-23 00:53:10 | NO.50の記事

久しぶりの、昨日の「アクセス解析による50番目に読まれた記事」の記事です。

読まれた人の数は少ないけれど、過去に書かれた記事を掘り起こしてくださるのも嬉しいし、その記事が読まれるには何か理由があっての事で、なぜかいつも私への見えない誰かからのメッセージのような気がしてしまうのです。

そして昨日のその記事は

「蜷川幸雄三回忌追悼公演「ムサシ」」でした。

 

比較的最近書いた舞台「ムサシ」の感想です。

そして49番目に読まれた記事は、「ふたたび「ムサシ」 !!」でした。

舞台の告知記事です。

 

たぶん「ムサシ」で検索していらしてくださったのだと思います。

それと言うのも、2018年は国内での「ムサシ」の公演は大阪で千穐楽を迎えたからです。大阪で206回を迎えたムサシ」

遺影を掲げつつのカーテンコールと挨拶。

 

そして上海へ。

 

※      ※       ※

真夜中に※上の文を書いて、あまりの眠さに何を書こうとしていたのか忘れ、きっとこのままでいいのだとアップしました。

でも朝になってみると、こういう事が言いたかったんだなと思いだしたので、追記させていただきます。

(追記の割には書いてみたら長かったです。気が向いたら、お読みください。)

 

ひとつ目は、「その経験はその人だけのもの。」と言う事かな。

舞台は映像に撮らなければ一期一会の出会いのようなものです。映像に撮っても、記録出来るのはある時の一部。もちろんその映像を見て作品に触れるのも、その人の一期一会だと思うのです。私もそう言う出会いもいっぱいあります。お芝居のお値段はお高いので、これからはますますそうなっていくかもしれません。

だけど同じ作品であっても、毎回同じではない。それが舞台だと思うのです。206回の同じであって違うものを生み出していくって素晴らしいと思うし、その中のいくつかに出会えたことを嬉しく思います。

そしてまた「その経験はその人だけのもの。」と言うのは、本当は舞台に限った事ではないと思うのですが、いまは話を広げない事にします。

 

ふたつ目はやはり「虎は死んでも皮を残す。」

いや、これは正確には「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」なんですよね。

ずっと昔に友人から、若くして亡くなった彼女のお母さんのレース糸が余っているからと頂いた事があります。その彼女のお母さんの作品を見て、思わず言った言葉。

「人は死んでもその作品は残る。」

 

ほとんどの人は家族や愛してくださった人以外からは、その名なんてすぐに忘れられてしまう存在だと思います。

もちろんその人が何かの作品を残しても、それらを大事にしてくれるのも名前を愛おしく覚えていてくれる人たちが居なくなるまでかと思います。と、また話が膨らんであらぬ方向に行きかけましたので、そこはぐっと我慢する事にします(笑)

 

「ムサシ」の舞台は、井上ひさしさんの遺影に守られ、そして今はまた蜷川さんの遺影に守られ上演回数を重ね、人々に感動を与え続けてきました。

それを思うと、やはり「名を残す」よりも「人は死んでも作品を残す」と言う言葉の方が私にはしっくり来て、そしてしみじみとしっかりと生きる事を伝えるこの舞台の事を思うのでした。

 

 

 


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ささやかな不思議

2017-08-06 23:16:20 | NO.50の記事
 
「ある惑星の悲劇」☆私の漫画史

人との出会いは「縁」と言うもので結びついた摩訶不思議なものであると感じる時がある。それは本との出会いにも同じことが言えるのではないだろうか。そしてそれは漫画においても同じである......
 

 上の囲みは、昨年の8月6日に投稿したものなんです。今日は広島に原爆が落とされてから72年目の8月6日。

昨年はその日にその漫画の事を紹介したのですね。

この漫画はちょっと探さないと(図書館とか)、なかなか読めないかもしれません。

 

このささやかな不思議と言うのは、ちょっと本当にささやかなものなんです。

と言うのは、上の囲みの昨年の記事は、gooメールで夕方送られてくるんです。

でも今日はやはりこの漫画の事を再び取り上げたいような気がして、朝から自分のブログ内検索をしようとしました。あまり整理されていないので、自分の記事でもブログ内検索は便利なんです。この時、昨年の今日、この記事を書いていたことなんか忘れていたのです。だけどふと、日付を考えて、もしかしたら昨日誰かが読んでいてくれたかもしれないと、アクセス解析の「ページごとの閲覧数」を見てみました。そこにあれば、自分の記事にたどり着くのも簡単だからなんですが。

ー もしかしたら「50番目の記事」がこれだったりしてね・・・。

なんて、ちょっとうっすら笑いながら見てみたら、どんぴしゃり、まさにそうだったのです。

だいたい3pvの数字があるのですが、その数字は本当はもっと上から並んでいるのです。それでも私が意識してみるのは「50番目の記事」。

 

なんだかやはり「50番目の記事」は私にとってはちょっと不思議な縁が隠れているような気がしてしまうのです。

 

「ある惑星の悲劇」☆私の漫画史

は、広島の悲劇をありのまま伝えた素晴らしい作品だと思います。今読んだら、作風的に同じように思えるかは分かりませんが、私にヒロシマの悲劇を最初に教えてくれた漫画であったことは間違いのない事です。

 

 

 

 


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「メモ魔になる」←ある意味、決意

2017-08-05 16:23:39 | NO.50の記事

『記録する夏』

アクセス解析によれば、上にリンクした記事は昨日の「NO49の記事」なんです。50番目はここの所ずっと読まれ続けた「ポーの一族」の感想だったので、ちょっとこちらをチョイスしました。

その記事は、2011年の7月23日に投稿したもので、又も今の私に向けたお手紙のようなものだと感じました。

見えないあなた様は、いったいどのような方なのでしょうか。感謝しかありません。

 

アナログの日記にもそれなりの良さがあると、それを読んでまた確認しました。

家族の本当に些細な事、または愚痴、近所の人への不満、そんなものを吐き出す場所であったりもしますよね。

時には吐き出しすぎて、うんざりし閉じてしまったというくだりにもニヤリとしてしまいます。

思うには、ブログ・ツイッター・そしてアナログの日記など、皆それぞれの特徴があって、皆それぞれに使いようによって良いものですね。

 

公開しているブログは、日記のようではあるけれど、やはり書かない事も多いと思います。でもブログを書いているならば、日記にはその日のイベントの詳しい状況も気持ちのポイントなども省いて良いと思います。だけど、あえてブログには書かないと言うか、書けないような起床時間、体重(?)、それはダイエットブログなどには必要かと思いますが、あと健康を意識したブログだったら血圧なども書き込むかもしれません。でもそうでなかったらやはり書きませんよね。電話の記録や会った友人が誰だったのか、そして仕事のメモなど。またその仕事が上手くいったのかなど。

 

私はブログは11年も続いている趣味ですが、日記はひと夏限定だったり三か月まとめてつけたりと、「三日坊主」のお仲間です。

この先は分からない事ですが、毎日の暮らしの記憶力は悪くない方で、それに日記などを付けていない時も手帳などにトピックスなどを書きこんでいたり、カレンダーに人との約束を書きこんだりで困ったことなども、あまりありませんでした。

 

ところがつい先日、バイトのシフトと勤務記録の数が合わない事がありました。シフト通りに出かけて行っているので、単にそそっかしい私がノートに勤務時間を書きこまなかったのだと思います。だけど「確認してください。」と言われました。家に帰ってあらゆる記録のあるものを確認しても、まったく分かりません。その日に限って何も書き込んでいないのです。

ブログにも「炎天下に歩いたので、夜はやたらグーグーと寝ていました。」と書いてあったり、近頃ツイッター民復活なのですが、たまたまその日が忙しくて、ほとんど無言。仕事の件はブログ記事の文脈に関係がないので省いたのだと思います。

それにスマホはいつも忘れたことがないのですが、最近一日だけ忘れた日があったのです。もちろんその日がいつだったかは必要もない事なので覚えていません。でも歩数計の記録を見てみると、仕事時間は歩いていない事になっていました。この日がそうだったんじゃないかと思いました。だけど・・・・・、ここまでくると気持ちがぐらつきました。

もうその日はバイトに行ってなかったんじゃないかとも思えてきました。

頼りの記憶はと言うと、その日の事はよく覚えているんですよ。でも、このお話、先月の10日の事を聞かれたんです。朝から晩まで覚えているなんてことは出来ませんよね。

よく覚えているのは、教育懇談会に行って、その時に見た風景と感想。帰りにガストに行ってかき氷を食べた事。それから花たちの写真を撮って、何気ない風景でもこんなに楽しめる私は幸せな人だななんて思った事。マンションに帰っていく風景・・・・・

 

ああ。思い出しました。家に帰ってから、私は珍しくお昼寝をしました。眠いまま急いで夕食を作りバスに乗って仕事場に。眠いと言って集中力のなくなっている子に、「お気持ちは分かりますが、今日みたいな日は皆同じ、頑張りましょう。」と言ったのでした。

だけどこの記憶は、今、こうしてゆっくりと書いているから蘇って来たのです。でもいらない記憶ですよね。逆に言えば消去するべき記憶なのです。

 

この件は良い風に解決しました。

 

しかしもともとは、私がうっかりしてしまったからいけないのです。

その日の仕事の感想などを誰かに話していたかなどして、何かを違和感があるなと思いながら帰ってしまったんじゃないかと思います。どうせそんなろくでもないところです。

もちろん、これからはその点を一番に注意しなくてはならない事だと思います。

 

だけどこの先だって、

「その日はどうしていたのか ?」と問われることがあるかもしれません。

アリバイとか・・・・いやいや、それはない方が良いですが^^

 

少々危なくなった記憶力頼みは無理と言うものです。

この先の未来の事も考えて、メモ魔になって行こうと、そんなわけで決意している私です。

ただし、日記帳か手帳かちゃんと書くべきものは決めておかなければなりませんよね。

 

でなければ、きっと、「あのメモはどこに行った事件」が起きる事、間違いなしですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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そこに意味があるのか、推理するしかない。

2017-08-04 01:52:24 | NO.50の記事

久しぶりの「NO.50の記事」。

7月最後の日に読まれた、私のブログの50番目の記事です。3pvとなっているけれどたぶん一人の方が読まれたのだと思います。いったいどんな経路でいらっしゃったのかと思うと、不思議な気持ちになりますが、時々その稀なる訪問者様は偶然と必然が重なり合って、私の為に来てくださっているのかと思えてしまう事があるのです。

 

『真っ白な回廊』

 

上の記事は、2014年10月5日に投稿したものです。

夢の話ですが、すごく不思議な夢でした。

この夢自体には続きはありませんが、この話には続きがあって、いつかそのお話をしたいと思っていました。

 

私はこの夢を見た時に、凄く不思議な気持ちにもなりましたが、ちょっと嫌な気持ちにもなったのです。

それは・・・・

(良かったら、そのリンクしてある「真っ白な回廊」も是非お読みくださいませ。)

その夢は絵にしても映像にしてもいいくらい、本当に美しかったのです。私が絵を描く人、もしくは映像を作る人だったら、決して無駄にはしたくない経験です。

だけどその回廊を渡り切ったら、私はどうなっていたのかと思うと、すごく怖い気持ちにもなったのでした。その道案内をしたのは、なんと父だったのですから、私が嫌な気持ちになったのも理解していただけるのではないでしょうか。

 

ところでちょうどその頃、私の妹の一人は乳がんを患っていました。小さな癌もばらまかれたように存在しているとのことで、最初に抗がん剤でたたき、それから手術の日にちが決まる手はずになっていました。ところが免疫力が弱った彼女は或る日、菌に侵され40度の熱が何日も続き入院してしまったのです。大人が40度の熱を数日出していれば、もちろんまともな意識もなく、数日は昏睡のようになっていました。もっと別の言い方をすると生死の境を彷徨っていたのです。

 

だけど彼女は生還し、無事に手術を受ける事が出来たのです。

 

いつだったか皆で集まった時に、妹はその時の事を語りました。

その体験談の中の一つが、また夢の話です。

そしてその夢は、また不思議な夢でした。

 

意識もなく眠っている妹・・・・・。

だけど夢の中で目覚めます。

真っ白なやけに明るい病室。

白いカーテンが彼女のベッドを囲んで引かれていました。だけどそのカーテンの向こうには誰がいるのか、寝ているはずの妹にははっきりと見えたのでした。

そこには品の良いお婆さんが、病室の真ん中に机を出して、カシャカシャとタイプライターを打ち続けていたのでした。

 

「なるほど。」と私は言いました。

「そのお婆さんは、三途の川の奪衣婆よ、きっと。」

 

奪衣婆と言うのは死者が三途の川にやって来た時に、生前持っていた衣服財産肩書などを奪い取る者の事を言うのです。要するに死んだ後にはそのようなものはすべて無用なものだからです。

私は彼女の話を聞いて、まるでその老婆が妹の人生をタイプライターで書記しているのではないかと言うイメージに感じたのです。

 

「きっと書いてみたら、あまり面白くなかったのよ。だからこのようなものじゃ、まだまだ早いって帰されたんじゃないかしら。」

「そうか、そうなんだ。もっと面白くしてから来いって事かしら。だから私、その後、起き上がることが出来なかったのかも。」と妹は言いました。

 

あのね、と妹は話を続けました。

白いカーテンが風でふわりと揺れると、黙々と打ち続けていた老婆の手が止まりました。すると廊下が急にガヤガヤと賑やかになったと言うのです。

 

ハッと、私は息を飲み、そして言ってしまいました。

「ねえねえ、その時シンバルの音のようなものとか聞こえてさ、みんなが笑いあっていて凄くにぎやかでお祭りのようなんでしょ。」

 

妹はちょっと嫌な顔をしました。

これから夢の話も佳境に入ると言うのに、さながらその先を知っているわと言う私の口ぶりに彼女の心に小さなさざ波が立ったに違いありません。

でも妹は

「なんで知っているの?」と聞き返してきました。

「行きたかったのに、行けなかったんだよね。」と私。

「うん。お祭り好きな私なものだから、もう行きたかったよ~。だってとっても楽しそうだったんだもの。でも起き上がれなかったの。起き上がって廊下に出ていったら、私、戻って来れなかったかもしれないよね。」

 

思わず私、「それ何日に見た夢なの !?」と聞いてしまいました。

 

それは同じ日に・・・・

って、そこまで話はうまく出来ていませんでした。

10日ほどずれて居たのです。

 

だけど私は真っ白でやけに明るい病室、白い揺れるカーテン、賑やかなお祭りのような声と音楽に私が見た夢と、何か共通しているものがあるような気がして仕方がなかったのでした。そしてそれはタダの不思議な夢から、妹の話を聞いて、何か意味のあるものに変わったように思います。

 

姉妹仲良くと言うのが、父の最後までの願いでした。

もしかしたら、父は今、目の前にある危機を伝えたかったのだろうかと思いました。

 

それとも本当は、何の意味などないのかもしれません。

 

だけど人間とは、何もないかもしれないところを見つめ、そこに意味や意義を見出そうとする生き物なのです。

 

『真っ白な回廊』の中で、私は夢の中で目覚め、まだ夢の中にいる事も気が付かず子供たちを起こしに行きます。子供たちと言ってもラッタ君は独立して既に家にはいないのです。そしてルート君はとっくに仕事に出かけていて、私は暗い部屋の中でポツンと大きな虚無の気持ちを抱えて立っているところで、本当に目が覚めたのでした。

 

先日、実家にてラッタ君に会いました。

私はいつもこの子と会って別れた後、寂しさの川に落ちかかるのです。いつまでたっても子離れが出来ていないのですね。

だけど同じ7月31日の朝ドラ「ひよっこ」の中に

「「生きて会えたと言う事。元気だったと言う事。そしてまた会えると言う事。」と言うセリフが出てきます。

 

朝、「NO50の記事」として、この記事を自分で読み返してみて、そしてさらに「ひよっこ」の言葉に救われる・・・・。

何かに守られているような感覚、またはオカゲサマと言う感覚があるじゃないですか。それは何も右に行こうとして何かが偶然にあって左に行って、ああ良かったと言う事ばかりじゃないと思うのです。

世の中にあふれている言葉の中に、必ず自分に向けてのサインが隠されていると、私は思うのです。

そしてそのサインに気が付くことが出来るのは、自分の中の感性と考える力なのかも知れません。

 


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「京都の秋」を思い出す。

2016-12-02 11:31:53 | NO.50の記事

京都の秋

久しぶりに昨日の「NO.50の記事」を書きます。この記事は、2006年の11月25日に書きました。そこに載っている想い出の京都は、ブログを始める前の2005年の秋の旅のものです。

私に素敵な旅の想い出を思い出させてくださった見えないあなた様、ありがとうございます。

 

一枚画像を持ってきました。天竜寺の庭です。高雄の紅葉三昧の他の画像はいかにと思われた方は、上のリンクしてある所をクリックしてくださいね。

 

11月の末、義母は義兄たちと京都に旅行に行きました。まだ帰って来てから会っていないので、お土産話もまだですが、私はちょっとその事を忘れていて、買い物に行く途中、車窓から見た風景があまりに綺麗だったので、夫に

「秋の風景は、本当は何処にも行かなくて家の近所でも十分なんじゃないかと思うわ。」と言ったのです。すると夫は

「でも京都は別格じゃないかな。」

それで私は義母の旅行を思い出したのですが、このようにどうでも良い事はだいたいいつも反論する事はありません。下手に反論して義母の旅行を羨ましがっていると思われても嫌ですし・・・(ちっちゃい^^;)

「そうね。『赤』が違うのよね。」

「盆地だからなのかな。」と夫。

じゃあ、盆地と言われているところは皆あのような「赤」なのだろうか・・・?

 

やっぱり「京都」と言う場所がものを言っているような気がするのですが、どうなのでしょうか。

もう一枚貼っておきます。南禅寺の天授庵です。こちらは2013年の11月の秋の旅。

 

 

他の真っ赤な京都秋の画像はいかにと思われた方は→西の都に行ってみよう~♪〈南禅寺その1・天授庵〉

過去の画像ではありますが、なんだかそのようなものを見ていると、旅心がうずきます。

まあ、今は我慢、我慢。

 

※ 今日は朝から夫殿が居ません。

ブログ三昧、ネット三昧の生活を送りたいところですが、12月はそうもいきませんよね。

ルート君の部屋のカーテンを洗いました。これから窓ふきタイムです。

 


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2007年12月4日の記事は「僕のお母さんは猫語が分かる。」

2016-09-08 01:11:02 | NO.50の記事

ふと公開している記事はいくつぐらいあるのかと思ったら、ツイッターのおまとめ記事も入れてgooブログだけでも2429もあるらしいです。

 

その中でも、自分の好きな記事と言うのがあって、

9月6日にこのブログ内アクセス50番目の記事だった

「僕のお母さんは猫語が分かる。」

は、自分でも大好きな記事なのです。

 

この記事は、実は「イギリス旅行記」の番外編です。

この時の猫との触れ合いを通して覚えた「ニャニャニャーン」で、私はイギリスの猫とも会話してきたのですから。

 

ずっと昔に飼っていた猫。もういないピピちゃん。

時が経つと想い出すらぼんやりと記憶の沼の底に沈んで行ってしまうと思います。

だけれどあの時の私とピピの想い出は、文字と言うカプセルの中にそっと包まれて、いつまでも沈まない想い出になっているのです。

 

そしてその記事よりももっと好きなのは、その一つあとの記事

「僕のお母さんは猫語が分かる」の続き

なのですよ。

それはもう大人になってしまったラッタ君の子供の頃の想い出です。

 

母親と言うものは、本当にささやかでちっぽけな想い出でも、それが時にはとっても愛おしくていつまでもずっと覚えている、そんな生き物なのかも知れません。

 

大好きなこの記事に、どのような経緯で訪れてくださったかは分かりませんがありがとうございます。

 

画像は、いくつかのバケツに水を入れている途中・・・・

ふと次のバケツを見ると・・・・

はい、これは猫のお約束~ ♪

 

お掃除前の床が汚い事も…我が家のお約束…だな。

 

 

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2016年1月21日の記事は「人生の休暇」。<ありがとうございます。>

2016-09-06 11:58:09 | NO.50の記事

※ このカテゴリーの趣旨は、「昨日の50番目の記事&夏の飾りを楽しむ」をお読みください。

 

9月5日の50番目の記事は。今年の1月21日に投稿した

「人生の休暇」

でした。

どのような経緯でこの記事にたどり着いたのかは分かりませんが、お読みくださってありがとうございます。

もしかしたら、開いて「ちっ !」とか言いながら即閉じられたと言う可能性も無きしもあらずですが、それでも開いてくださったことに感謝いたします。

 

>この「人生の休暇だと思って」と言う言葉ですが、病気になってしまった人、入院してしまった人に、誰にでも迂闊に言える言葉ではないと私は強く思います。

励ましにならない場合もあるからです。

だけれど夫殿はようやくその言葉が言えるところまで来ました。

 

今年の最初からほぼ40日夫は入院し、一時は、私は未亡人になってしまうのかと悲しい日々を送っていました。

それは「肺炎」と言う病気だったのですが、その病気が治って退院してくると、今度は入院中に飲んでいた薬で押さえられていたリュウマチの痛みが激しく出始め、地獄のような一か月が続きました。

リュウマチと言う病気は以前からと言うものではなくて、もしかしたらそうかもしれないので、今度検査しましょうねと言われていた矢先に肺炎になってしまったのです。

そして退院して来たら、それが一気にその痛みが出たと言うわけなのです。

 

この時にもちろん会社はお休みです。それで査定が悪くて、人生最後のボーナスと言うものは、今までにないほど悲しい金額でした。でも仕方がない事です。

夫が私に言いました。

「ごめんね。」

「いいよいいよ。仕方がない事じゃないのよ。」

 

だけど私は真夜中に泣きました。

彼が可愛そうでこっそりと泣きました。

だって「ごめんね。」なんて言うんだもん。

「最後の」と言う言葉が私の胸を締め付けるのです。

 

ついてないな、あの人。

思わず、「男の厄年」なんてものを検索しちゃったりする私。

本当の事を言うと、いつもはそう言う事には全く興味なしなんです。

はっきり言って左右されたくないの。

だけど、思わず調べた !

どんぴしゃりだったなあ、彼の厄年。

 

なになに。

私は来年 !?

 

ジョーダンじゃ無いよ、もう。

今年一緒で良いよ。

 

だってさ、夫婦は本当に運命共同体じゃんか。

彼が大変なら、私も大変。

彼が可哀想なら、私だって十分に可哀想よ。

 

今年の彼の「大変」はまだまだ続いたのですが、それはまたの機会に。

そしてその大変は私にとっても、すこぶるまたまた「大変」な事なんですよ。

 

だからね、

「厄年」どうのこうのは、もう終わり。

私の厄年は、今年に前倒しで終了~って事にしましょう。

 

いろんな意味で頑張るよ、私。

 

と言うわけで、(どんなわけだか)、夫殿は9月で退職することになりました。いや、別にクビじゃないですよ。普通に定年です。

そして今日が、最後の出社になりました。

 

「寂しい?」と私が聞くと、

「いやまったく~。」と彼は言います。

明日来る未来を見つめているのだと思います。

 

そして数か月の間ではありますが、彼にとって再び「人生の休暇」がやってくるのです。

 

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