森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

まっ、いいか 2016年

2016-12-31 23:35:54 | 梢は歌う(日記)

皆さま、今は紅白歌合戦などを見ている頃でしょうか。

後、50分ほどで、2016年申年も終わりですね。

 

と言いましても、このブログを書きはじめたのがその時間なので、

アップした時にはきっと今年のギリギリになってしまうと思います。

 

時間切れになりそうなので、今年のおまとめ日記は書けそうにありません。

ですが、先日ツイッターに書き込んだことを、ちょっと再掲させてくださいね。

 

「昨年の…いや、今年のか・・年賀状を整理していたらその一枚におみくじが貼ってあったことに今頃になって気がついたのです。めくってみたら「超大吉」。→

→ 今年の冒頭から100日ぐらいは夫の病気に苦しんで、そしてその後は定年=無職と言う生活の変化に苦しんで、でも今は平穏な気持ちで12月を迎えています。→

→でもそれらの危機を乗り越えることが出来たわけで、そう思うと、今、そのオミクジは捲るべきだったように思えるし、やっぱり「超大吉」は当たっていたのかもしれないと思う次第でございます。」



いろいろありましたが、何とか乗り越えて平穏な12月31日を迎えることが出来た事に、本当に感謝いたします。

私の運命に、そして「おかげ様」と言う皆様の心と想いにありがとう。

 

 

 

何でもありのブログなので、書き足りなかった事がたくさんあります。

最近は映画の感想もここで書いているので、その一年間のおまとめもしていないし、ドラマの感想なども書けていないし、いろいろ書けていないのです。

毎日を楽しくピーヒャラと生きていて、本当は、今何かを真剣に考えなくてはいけないような気もします。

でもみんな来年への宿題です。

なんだかんだとやり残しがあったとしても、「まっ、いいか」で良いじゃない。

 

生きて行く道は、いける所まで行けて、そしてはい終わりって、いつかなるんだよ。

その時にあれもこれもと思っても、終わってしまうものは仕方がないって時もある。

「まっ、いいか。」って思うのは、決していい加減な事じゃないんだよ。

大事な大事な練習なんだよ…って、私は思っているんです。


はいはい、
そんなわけで、今年も終わりです。

もう一度言わせてね。

今年、仲良くしてくれてありがとう。

ここに来てくれてありがとう。

 

そして、また数分後に始まる2017年もよろしくお願いいたします。


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『SMAP×SMAP』、泣けたよね~(/_;)

2016-12-29 02:31:31 | テレビ・ラジオ

※ 夜の突然の大きな地震、怖かったですねぇ。テレビからの緊急地震速報に緊張しました。でも私と夫のスマホは無反応。震源が近いと間に合わなくてならない事も多いそうですが、そう思うと逆に怖かったです。

 

※         ※        ※

 

実は『SMAP×SMAP』を見る習慣が我が家にはずっとなかったのでした。

それでも最終回は見たいと私は思っていたのですが、仕事を終えて家に帰って来ると、思った通り夫は違う番組を見ていました。

― 今日の裏番組は大変だなあ。勝てっこないもんなあ。

などと思いながら、そこから私は『SMAP×SMAP』を録画して、その録画してあったものをおととい見ました。

 

ちょうど「20年間の奇跡」とか言うコーナーからでした。

そんなに後ろからなのと思われるかもしれませんが、仕事でもちょっと嫌な事があって帰りも遅かったので、そうなってしまったのです。

それでも私には充分だったように感じました。その映像で、私、思わず泣いてしまいました。

 

本当に、みんな若いと言うよりも子供で、そんな昔から頑張って今のSMAPを作り上げてきたのだと思いました。

ああ、みんなでいっぱい笑ったんだなあと私は思いました。

 

この映像を見て、

「やっぱ、止めるのを止めた。」って思わないかな~。言ってくれないかな~ってバカな事を思ってしまったのは…・・・・きっと私だけではないと思います !!

 

最後の歌、「世界に一つだけの花」を力いっぱいに歌う5人。

それぞれにはそれぞれの表情があって、きっと様々な想いを抱きながらスマップとして5人揃っての歌をしみじみと歌いあげたのだと思いました。

歌い終わって、さっと後ろに退き涙を見せまいとする中井君。自分で決めた道なんだと、なんとなく晴れ晴れとしていたような気がした香取君。その対照的にすら感じた木村君ー。

昨日、ちょっとネット周りをしていたら、この『SMAP×SMAP』の最終回を「まるで生前葬のようだった。」と言う記事を読みました。

悲しい表現ではありますが、ある意味においては当てはまっていたのかもしれません。

一つの時代の終わりであり、そしてその「時代」のお葬式。

 

彼らの解散劇はいろいろ言われているけれど、不確かな事はブログには書けない事なので触れることは出来ませんが、私の勝手な思い込みだけの感覚で一言だけ言わせていただけるのなら、香取君も木村君もそれぞれの大切な人を守りたかったんだと思うのです。

 

本当はいろいろと思う事もありますが、思ってみた所で仕方がない事なのですよね。

今まで本当にありがとうと、彼らには言いたい。

そして、やっぱりこれからもひとりひとりを応援したいと思います。

 

ー 木村君の去って行く姿は印象的でしたね。

 

今年もあと三日・・・・

そう思っただけでドキドキします。

 

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家族の頂点

2016-12-27 01:20:45 | 思いつくまま

あれはいつの事だったのでしょう。

姉が嫁ぐ一年ぐらい前だったかもしれません。ある時、私の家族は同じ部屋に集まってお茶など頂きながら寛いでいました。その日はたまたま父も家にいて、その寛いだ女たちのすぐ傍にいたのでした。

「ああ、今日は全員揃っているね。」と誰かが言いました。

その時ふと、私は不思議な感覚に襲われました。

「なんだか不思議だわ。だってたった6人しかいないのよ。」

と私は言いました。

6人家族は決して少ない家族の人数ではないかもしれません。だけれど女ばかりの賑やかなのが当たり前の我が家で、集まって一同が静かにお茶など頂いていると、たくさんいるのかと思っていた家族はこれだけしかいなかったのかと言うような気持ちになったのでしょう。

「うちにはもっと他に誰かいない?
たった6人よ。なんだか凄く寂しいね。」

そう続けた私に

「私もそう感じてた。」「私も。」と姉も妹も言ったのでした。

 

「奥の部屋に隠れていないか誰か見て来てよ。」

調子に乗って、更に私がそう言うと、

「きっといるよね。」「座敷童かな。」「怖いかも。」などと話は盛り上がったのでした。

 

その時に父が言ったのか、それともまた別の同じような日に言ったのかは定かではありませんが、父は姉妹と母との会話を聞きながら

「今うちは家族の頂点にいるんだな。」

と、そう言いました。

父と母が居て、その彼らの子供たち、つまり私たちが生まれて皆大きく成長しました。

その時、家族6人のその頂点に私たちはいたのです。

 

あと少ししたら、年頃の姉は嫁いでいき、私も続けて嫁いでいくのだろうと予測はつきました。

崩れて行く一つの形・・・・・。

その言葉を聞いて、私たちは線香花火が落ちる前に一番煌めく、そんな輝きを思い浮かべながら、みんなでちょっと寂し気に笑いあったのでした。

 

いきなり昨日の事ですが、昨日のメニューの一つはかぼちゃサラダでした。

そのサラダを一口食べて、「ああ、美味しいなあ。」と自分で作ったモノなのに自画自賛です。

また一口食べて、また思います。

「美味しいなあ、これ。」そう思いながら、なぜだか心の中に寂しさの欠片を感じてしまったのでした。

 

ー ああ、離れて暮らすあの子はさあ、今頃何を食べているのだろう。

 

ラッタさんが一人暮らしを始めて、あっという間に過ぎてしまった、今の私の家の「家族の頂点」。

それをどんなに寂しいと感じても逆回転時計などないわけで、先に進んだ未来は、また先に進むしかないのです。

 

だけど

「奥の部屋に隠れていないか誰か見て来てよ。」と言った、あの「奥の部屋」は、きっと未来という名の部屋だったのだと、私は時々思うのです。

特にお正月に実家に集合した時などは、姉妹にそれぞれの夫、それぞれの子供、近頃ではその子供の連れ合いとその子供。同じ部屋にぎゅうぎゅうと集合です。

たった6人しかいなかったのにー。

 

未来と言う奥の部屋には、これから出会う誰かさんがそっと隠れているのかもしれません・・・。

 

 

 

  クリスマスのリースを二日だけ飾りました。

街では

 ショッピングモールなどに飾られていたツリーなども片づけられたに違いありません。

 

さてさて、

次の季節がやって来ますね。

 

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東京クリスマスマーケット2016

2016-12-25 10:48:55 | お出掛け日記

「87純花のブログ」のsumika様の昨年の記事「東京 日比谷公園 クリスマスマーケット」を読んだ時から、ずっと行きたかった日比谷の「クリスマスマーケット」に行ってまいりました。

 

真夜中に更新した「弥生美術館にて「山岸凉子展・光」」もよろしくお願いいたします。

この美術館のある根津を後にして、同じ千代田線沿線の日比谷で下車しました。降りて目の前にある日比谷公園にて開催中でした。こちらも25日で終了しました。

 

 

 

日比谷公園にはちょっと薄暗くなりつつある夕刻前に着きました。

木々の間に揺れる灯も気になる所ですが、公園自体を楽しむ余裕もなく会場に向かいました。

 

 

最終日前だからと言うのもあるけれど、考えてみればと言うか、

考えてみなければまったく意識もしていなかったわけですが、

昨日は「クリスマス・イヴ」だったのですよね。

さすがの賑わいでした。

 

だけどおひとり様で、こんな日に来たのは大きな間違いだったなと

私は思いました。

脳内で、おやつにウィンナーと黒ビールを頑張って買うと言う事をシミュレーションしてみるでしょ・・・

でもちょっと素敵なブースの中は座れないから、公園の片隅に行って・・・

ひとりで食べる、もくもくと ?

ううっ、悲しい~。

 

いや、いいんですよ。

いつもならまったく平気です。

でも周りはみんなカップルやグループで、

やっぱ、日にちが悪かったのですよ。

思わず心の中に寂しさが募ります。

 

それで私、思い出したのです。

昨年もなんで行かなかったのかって。

クリスマスの頃って年末じゃないですか。

なかなか一緒に行ってくれる人を見つけるのが難しいなと思ったからなんですよね。

 

でも「誰か」を期待してると、けっきょくは行けないことが多くなってしまうので、

「おひとり様」行動が出来る事は、生活をちょっと楽しく出来るポイントだと思います。

来年は幸いな事に一緒に行ってくださる方をキープしたのですが、

それでももっと早い頃の早い時間に行きたいと思いました。

 

22日の昼間に行こうと思っていたのが正解だったのですね。

でも今回は仕方がなかったと思います。

 

人がワイワイいたので、画像はこんな感じです。 ↓

 

 

 

でも私は、トップ画像にも載せましたが、あのマーケットのシンボルのような飾りの写真が撮ると言うのが、

一番やりたかった事だから、それが出来て嬉しかったです。

 

それにお店やその飾りも凄く可愛らしくて、ここは楽しいなあと思いました。

 

ドイツの方が歌う歌も聞こえて来て、会場内も盛り上がりました。

今思うと、歩くのも困難な人ごみって近頃まったく縁が無くなっていたワタクシ。

それはそれで楽しかったような気がします。

人がたくさんいるからお祭り・・・って

そう言う気分ってありますよね。

 

すっかり薄暗くなりました。

 

と言っても、時間は5時をちょっと回った頃で、夜はこれからと言う所。

それでもおばさんはすっかり寂しくなって家路に向かったのでした。

 

 

 

 


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弥生美術館にて「山岸凉子展・光」

2016-12-25 01:41:38 | お出掛け日記

 

22日に張り切って行こうと思いつつも、その日の一個のアクシデントで挫折してしまった場所に終了日一日前の24日に行ってまいりました。

行った所は千代田線根津駅から徒歩7分、私の場合はやっぱり迷ってほぼ15分の(アホか・涙)弥生美術館で開催中の「山岸凉子展」です。

 

 

山岸凉子氏の代表作はたくさんありますが、35年以上前と言ったらかなり昔になってしまいますが、その頃、私は「日出処の天子」の厩戸皇子に恋をしていたようにさえ思います。

日出処の天子 (第4巻) (白泉社文庫)
山岸 凉子
白泉社

 

今でも時を感じさせない美しさがありますよね。

原画展なので知っている絵も多数ありますが、それでも本物に触れる嬉しさと圧倒されるような絵から伝わってくる力強さを感じる事が出来たと思います。

しかもほんとうにヒーロー・ヒロインが着ている衣装が素敵なんですよね。

漫画家さんって、昔はどてらを羽織って髪もボサボサで締め切りに追われているイメージがありましたが、本当はどれだけハイセンスなのって思ってしまいました。

やっぱり行ってよかったです。

 

弥生美術館は同じチケットで「竹久夢二美術館」にも入れます。

 

 買ってきたファイル。

 夢二と山岸凉子の一筆箋。

 そして常設展の高畠華宵の作品と・・・

小さな美術館でも見ごたえ十分ありました。

 

途中にある記念写真コーナー

 今回は「おひとり様」でしたので、コーナーの画像のみです。

 

おひとり様でも、コーヒーは頂きます。夢二カフェにて。

夢二の詩のカード付きです。

 

 

 


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すっかり日曜日気分

2016-12-23 23:49:48 | 梢は歌う(日記)

 

今日は天皇誕生日で祭日だったわけですが、なんだか朝から私の脳内では「日曜日」と言うライトが点滅してしまって、金曜日であると言う事を忘れてしまいがちでした。

で、今日のゴミの日を忘れて、そのまま夫殿と映画に行ってしまいました。

でもあまりゴミはたまってなかったので、それはたいした問題ではなかったのですが、なんか嫌ですよね、そういうのって。

 

だけど映画に行った後、再び「脳内は日曜日」病にかかってしまい、しゃぶしゃぶの材料などを買い求めてしまいました。そのようなものは家族が揃っていないと無理なメニューですよね。

映画が凄く良くても、その後に買い物などをすると、ちょっと疲れてしまう私です。

午後からはのんびりと転寝したり、ネットで遊んでいたりしました。

 

もう4時か。ちょっとのんびりしすぎたな。そろそろアレをやってコレをやって・・・・と思ったその時

あーーーーーーー!!!!

大変な事を思い出したのです。

 

そうです。

「脳内は日曜日」でも実際は金曜日。

 

お仕事でした。

しかもいつもより1時間早く行かなくてはならないのです。

 

もうこの人は大丈夫って思われちゃいますよね。

 

だけど、ちゃんと時間になったら、脳内目覚ましが鳴ったように思い出すことが出来て良かったです。

 

それに夕方からの部は、いろいろとみんなの都合の調節で別の日に振り替える事になりました。

だからしゃぶしゃぶは中止かと思っていたのですが、それも予定通りで行く事が出来ました。

 

ささやかな事ですがちゃんといろいろ上手くいったので、なんとなくホッとして、帰り道にあるケーキ屋さんでケーキを買ってしまいました。

ケーキ屋さんは書き入れ時ですね。隣の空き地が臨時駐車場になっていました。

 

今年は、私の中ではクリスマスの「ク」の字もないような感じです。クリスマスの飾りつけをしようかなと、ほんのちょっとは思ったものの結局はやりませんでした。

でも暮しにメリハリは大事な事だと思います。

じゃないといつの間にか「脳内は日曜日」病の重症化、しそうです。

 


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ただ散歩しただけ

2016-12-23 01:06:15 | 梢は歌う(日記)

日記dasu。

昨日はルート君の平日休み。

本当は違う計画をしていたのだけれど、せっかくの息子くんのお休みなので一緒にランチに行きました。

休日出勤も続き、疲れた顔をしていたルート君。

彼の毎日にもいろいろあって、ちょっと辛い時もあるのです。親戚経由で、本当はちょっとだけ裏のお話を知っています。

世の中、本当に「悪意」と言う存在があるのです。

 

車の中で私は言いました。

「あのね、ルート君。

もしもこれが中学の時だったり、ぎりぎり高校の時だったら、私は袖を一回二回三回と折ってだね、個人面談の時に、机をパンと叩いて『ちょっと先生、よろしいかしら。』って言ってやりたいような話なんだけれどね、だけどもう君は大人じゃない。だからそうなっちゃうと親は後ろで見守る事しか出来ないんだよね。

考えてみると、お母さんが昔会社に入った時、君ぐらいの年齢の人はいつだって(横暴な社長に)怒鳴られていたなあ。時には涙ぐんでいた人も居たの。でも、彼らはやっぱり大人だったからみんな我慢してたし、そう言う嫌な事も乗り越えて、本当の大人になっていったような気がしたな。

私は何も出来ないけれど、いつだって味方だからね。」

 

愛しているなんて言葉は使わないけれど、時にはちゃんと想いを伝えたい。そう言う事って大事な事だと私は思います。

 

「あっ、そうそう。君の敵になるやつは、お母さんがみんな呪っておいてあげましょう。」と言ったら、

「ああ、それはお断りします。」とルート君。

助かったわ。人を呪わば穴二つって言うしね。

 

 

 

で、今日の事なんだけれど(日付が変わって、昨日になってしまったけれど)

私はあまりお仕事の事では「no」とは言わない人で、頼まれると「はいはい。」と引き受けてしまう方なんです。だけど木曜日の追加のお仕事は、心の負担が大きくてお断りしてしまったのです。

毎日ちょっとだけのお仕事と言っても、それが毎日になってくると、今の私には辛いのです。

それでその日は予定通りのオフ日になりました。

 

もうお出掛けしないと確かブログにも書きましたが、急に行きそびれているところがある事を思い出し、銀行周りのついでに出掛けようと思いました。それで朝からちょっと張り切って少々の雑用をこなし、まずは方向の違う郵便局に行く事にしました。

ちょっとだけお金の預け入れをしようと思ったので、その時に貰える粗品など(捕らぬ狸の皮算用)を家に置いてから、また出掛けようと言う計画です。バスの時間を調べたり、路線なども調べたりしてから郵便局に出掛けました。

ところがその郵便局で意外と時間がかかるなと思っていたら、最後はその通帳は本人確認がされてないので入金できない事が分かりました。

夫が家にいる間にそれが分かっていたら良かったのにと、残念に思いました。

でもやってみなければ分からない事ってたくさんあると思うのです。

これもその一つでした。

だけどけっきょく郵便局に行って帰って来たと言うお散歩に終わってしまったのです。

それでなんだかすっかり元気がなくなってしまって、お出かけは取りやめです。

 

じゃあ、一日何をしたのかって言うと、脱衣所のお片付け&お掃除です。

まあ、それが年末の正しい時間の使い方と言えるのでしょう。

 

私が張り切ると猫も張り切ると言うのが、我が家のルールらしく、ずっと私の後をついて来ていたあんずと、片付いた頃に偵察に来るもも吉。

猫にとって変化は楽しくて、だけど疲れるみたいで今はぐっすり寝ています。

 


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国立西洋美術館にて「クラーナハ展」を観る

2016-12-22 01:55:46 | お出掛け日記

先日友達に、上野に行くなら西洋美術館でやっている「クラーナハ展」に行こうと誘われた時、ちょっとだけ私の心の中に「はぁ、それなんですか。」みたいな雰囲気が漂ってしまいました。

だけどなんでだか、その翌日の私のアクセス解析では、50番目に読まれた記事は「ゆっくり行こう、「国立西洋美術館」

だったのです。そういう偶然と言うか不思議な事って、結構ありますよ。

で、その中に

>

と、あったのです。

ちゃんとチェックしていた絵画展だったのですね。

 

と言うのも、2009年の記事「THEハプスブルグ」の中で、「斬首対決」と言うテーマでその当時のHPに載っていた(今は存在しないみたいです。)ルーカス・クラナッハの「サロメ」と「ユディット」の絵に興味があったからなんです。お時間があったら、その昔の記事にもお目を通していただけると、分かりやすいと思うのですが、この「ユディット」は多くの画家が題材に選んでいる人気のテーマなんですよね。(「THEハプスブルグ」には、そのテーマの絵を並べて載せてあります。)

やっぱり本物を観たいと思いました。恐ろしい絵ではありますが、「THEハプスブルグ」の記事内に並べた絵の中の「アルテミジア・ジェンティスキ【ユディトとホロフェルネス】」を  「 ナポリ・宮廷と美「カポディモンテ美術館展」」で見つけた時には嬉しくもあり感激もしたものですから。

あっ、そうそう。

名前が違うじゃないと思うかもしれませんが、表記の違いです。私も以前に「クラナッハ」で覚えてしまったので、「クラーナハ」と言われると、「誰、それ?」みたいな気持ちにちょっとだけなってしまうのです。この事はブログ周りをしていた時に同じように感じる方もいて、親しみを感じました。

 

そして観たかった「ホロフェルネスの首を持つユディット」の絵です。

 かなりの美女だと思います。いっけん無表情にも感じますが、何かに想いを馳せているようにも見え逆に豊かな表情を見い出すことが出来るような気がしました。

「私、やったわ。街を守ったわ。」

なーんて、思っているのかもしれませんね。

ホロフェルネスの首の断面が恐ろしいほどリアルです。それでもこの絵に美しさを感じるのは、ユディットが美しい事もあるけれど、剣は汚れてはいるものの、それに血の滴りがないからだと思いました。

 

今回、三枚の絵ハガキを買ってきました。一枚は上のユディットの絵ですが、二枚目は

 これです。

これは「聖アントニウスの誘惑」と言う版画で1506年の作品です。

夢の中に現れた魔物たちとの空中戦。

1600年よりもほぼ100年前、クラーナハのおじさんは、こんな線を書いていたのですね。

なんとなく私には「ジョジョ」の世界観のようなものを感じてしまいました。

 

因みにイギリスが東インド会社を作り、アジアに進出(侵略だと思うけれど)を始めた頃、日本はちょうど関ヶ原。この1600年と言うのは歴史のイメージをつかむのに分かりやすいので、結構基準にしています。

 

そしてもう一枚は

 「正義の寓意(ユスティティア)」

彼女は裸婦のように見えますが、薄いベールに包まれていて裸婦ではないのです。

 hpの説明を借りてしまいますが・・・・。

「その身体は、遠くからでは見えない極薄のヴェールをまとっているからである。“veil”という語が「隠す/覆う」という意味の動詞でもあるとすれば、あまりに透き通って素肌を隠さないクラーナハのヴェールは、ほとんど語義矛盾ともいうべき「ヴェール」なのだ。その覆われつつも露わな女性たちの身体は、近現代のアーティストを含む、多数の人々の欲望を刺激してきたのである。」


なるほど~と、私は思いました。そして加えて言うならば、いにしえの作品であるにも係わらず近未来的な印象を感じてしまったのでした。

そして、この絵は展示してある部屋が凄いのです。

そこに入っていくと、思わず心の中で「わあ~」と言いたくなるか「なんじゃ、これは。」と言いたくなること間違いなしです。

 

 HPからお借りしました。95人の作品が大きな壁面に一堂に並べられているのです。

なんとなくユーモラスで、だけど不思議な感覚に襲われます。

これは「レイラ・パズーキの《ルカス・クラーナハ(父)〈正義の寓意〉1537年による絵画コンペティション》」で、中国・深圳(しんせん)の大芬油画村で100人の芸術家を集め、7時間以内で模写をさせたもの。

と、書くと、なんだか凄いと言うような気になりますが、その説明に「世界の複製画の半分を生み出す」と付け加えたらどうでしょうか。

クラーナハは絵を書く事を経済的手段としてとらえていた人で、工房を構え多作しました。つまり滅茶苦茶に売れまくっている時の漫画家さんのやり方と同じ事をしていたみたいです。下絵を描いて、指示して色を塗らせると言うような・・・
まあ、いろいろ・・・。

レイラ・パズーキの企画は、そんな彼の多作をシニカルに見つめたものなのかも知れません。

それでも、何もない所から顔を生み、線を生み、色を生み、またテーマに沿った構図のアイデアを生む。その感性の写し取は、とても7時間程度では出来るものではないのですね。本物の力を感じざるを得ませんでした。

 

彼の作品はピカソなどにも影響を与え、この展覧会自体なかなか見ごたえのあるものでした。

2017年1月15日までです。

 

 

 

 

 

 


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真田丸「最終回」

2016-12-19 23:48:57 | ドラマ (大河)

終わってしまいましたね・・・・・。

 

ああ、寂し・・・・。

 

寂しかったので、昨晩は自分の書いた過去の「真田丸」の感想などを読んでいました。と言っても、今年はと言うか今年もあまり書かなかったのですが、読み返すとそれなりに懐かしかったです。

EDで過去の映像が走馬灯のように流れましたが、本当にこの一年、真田の父と兄弟、その縁した人たちが駆け抜けてきた一つの時代が胸に迫って来て、すこぶる感慨深かったです。

第11回「祝言」の感想の中で

>信繁は梅に身分の問題で側室にはなってしまうけれど、他には妻は取らない。だから唯一の妻としてちゃんと祝言をあげると言った。すかさずこの時に、信繁には正妻を含めて四人の妻がとナレが入る。

と、書いてありました。

その時は漠然と、いつかその4人の中にきりちゃんは入るのだろうと考えていました。

だけどそんな単純なものではなかったですね。

 

茶々に二人の関係を聞かれて、

「とても一言では語れませんね。」というきり。

本当よね、と私も心の中で思いました。それを語るには50回の「真田丸」全話、見なくちゃねと。

「強いてあげるなら『腐れ縁』でしょうね。」と言って笑い合い、いくさ前の緊迫した空気を和ませます。

 

きりは侍女のスキルを活かし、あっちこっちの歴史的重要な場面に遭遇したり関わりを持ったりして、主人公の信繁と共にこの時代の案内人を務めました。そして最後の信繁からの命を果たすべく、千姫を徳川方に送り届けるその途中で、草原を風のように走り抜けていく信繁を見つけるのでした。

時代の目撃者きりがひとつの時代の終焉の最後に見たものは、生涯慕い共に生きてきた自分の片割れの姿だったのでしょう。

「源次郎さま・・・・。」その姿を目に焼き付けるかのような瞳のきり。

 

その先の信繁の姿をきりが見る事はなかったのですが、その彼が向かっていたのは家康の所でした。

馬上筒による家康との一騎打ち。

信繁に向かう兵を、
「手を出すな。」と武士らしい事を言いました。

馬上筒からのそのシーンは、要するに真昼の決闘ですよね。

でも二発目のその時、撃たれたのは信繁でした。

「父上~、助けに参りました。」と秀忠の軍勢にやられたのです。

家康はすごく嬉しそうな顔を一瞬だけして、そして

「遅いわぃ !!」と言います。

一騎打ちのシーンはモヤモヤと崩れてしまいました。

 

家康との対峙のシーンで
「わしを殺しても何も変わらない。」と家康は言いました。

既に徳川の時代は礎を築き、豊臣の時代は終わりです。

だけど信繁は

「分かっている !!

それでもあなたを討たねばならない。愛する者の為。先に逝ってしまった者たちの為に。」

グッときました。

 

佐助の助けを借りて・・・・あれっ、サスケのタスケ・・・いや、なんでもないです。なんか語呂がイイナって思っただけ。

で、サスケノタスケを借りて秀忠軍に囲まれた窮地から脱出し、信繁最後の地になってしまう安井神社に向かいました。

 

定説では松前松平家鉄砲組頭の西尾宗次に討たれたと言う事になっていますが、このドラマでは違いましたね。光の中に消えて行く信繁。

介錯したのは既に55歳になった佐助。体のあちらこちらが痛いそうです。佐助は信繁の亡骸をどうしたのだろうか。

いやー。

死ななかったのかも・・・ !?

ああ、それはないか。

だけど私のように考える人は、その遠き昔にもいたわけで、だからいろいろな伝説が生まれたのですよね。

 

それはまだ年若き秀頼にも言えた事で、その伝説は信繁が秀頼を守って城を脱出し鹿児島に逃れ天寿を全うしたと言うもの。

既に過ぎてしまった過去でありながら、歴史には多くの可能性があり、それらのすべてを「馬鹿な。」とは言い切れないものがあると思うのです。

大阪城でもドラマの定説である爆死シーンはナシ。

炎上する天守を見つめながらも、希望を捨てていない茶々と秀頼は静かな時間を迎えていました。

だけどそれは本当は信繁が最後に見た夢なのかも知れません。

本当は修羅場だったかも。。。

 

だけど最終回に悲劇チックな描写はナシで、それでもいろいろな場面で泣けました。

旅の途中で本多正信の領地を訪れる信之。その風景はまるでかつての上田の里のようだと私は思いました。

自慢げに自分の領地を紹介しながら歩く本多の元に、火急の知らせが入ります

その時、兄の茶巾の中のコインが音を立てるのです。

チャリンー。

そこから六文銭を取り出す信之。

そしてそれをじっと見る兄。その時彼は何を思ったのでしょう。

すべてを悟りそして受け入れたように、彼は張りのある声で

「さっ、参るぞ。」と歩み始めるのでした・・・・。

 

本当に泣けました。この兄弟に。

 

泣けたと言う事で、最初にううっと来たシーンの事を言いますと、それは戦場で信繁と会いまみえてしまった三十郎のシーンです。

この人は本当はずっとずっと信繁について行きたかったのです。だけれど信繁の命で、今そこに居る事になってしまった人。

過ぎてしまった時代が、一族の絆を理解できない者を生み出しても仕方がない事かもしれませんが、信之の息子の信正は、このドラマでは大蔵卿の次に痛い人に感じてしまいます。

考えもなく信繁に向かっていってしまった信正を守るために苦渋の選択をしなければならなかった三十郎。

だけど信繁はちゃんと分かっていました。三十郎の槍を軽くかわし

「小者を相手にするな。先を急げ。」と他の兵に声をかけ、彼らを守るのでした。

大地に倒れている三十郎に素早く駆け寄って助け起こそうとしたのは信繁に従っている堀田作兵衛でした。(ここ、間違えていたらごめんなさい。後で確認しておきます。)

去って行く信繁の後ろ姿に向かって

「源次郎さま~ !!!」と呼びかける三十郎。

この一族の絆は半端ないのです。

 

歴史の教科書などの関ヶ原の事を求めるならば、状況説明のほかにこんな言葉が書き加えられているかもしれません。

「親子兄弟が分かれて戦った。」とか。

だけれどその向こう側のドラマは、教科書では学べないのですね。

 

堀田作兵衛の最後ー。

まるで弁慶の最後のような感じでした。でも彼は結構シブトクて、大阪城に戻って来て、荒らされた城の中の作物の上で死ぬのです。これは作兵衛にとって畳の上で死ぬのと一緒だったなと思いました。

高梨内記の最後ー。

きり、父は老体に鞭打って頑張ったよ・・・・。

 

って、もう最終回でもやっぱりお話はぎゅうぎゅうと詰まっていて書ききれません。

 

家康と秀忠の「逃げるは恥だが役に立つ」実践編とかね。

 

だけど最後にやっぱり書いておきたかった事は、あの厨房のおじさんの事です。

スパイはあの人、はい終わりだと思っていたエピソード。更に奥があったのでした。

彼が間者になった理由は、家康側に着いたからではなかったのでした。かつて娘は秀吉に犯されて母と共に自害をしていたのです。彼が大阪城に残っていたのは、その目で豊臣が滅亡するのを見届ける為だったのです。

たったひとりの私怨とは言い難いものがありました。

だけど大きかった豊臣の家を想うと、やはりそれはちっぽけなひとりの想い。しかしその大きな豊臣はそのちっぽけなひとりの恨みの想いで風穴があいていったのでした。

たった1匹のネズミでも船底に小さな穴をあける事が出来るならば、その船は沈むのです。

 

豊臣が圧倒的に勝っていたと言うのに、その流れを変えてしまったのは瓢箪の旗印を移動させてしまったから。

小さなミスが取り返しのつかない結果を招いてしまったのでした。

 

この二つのエピソードに、何かを感じた人はきっと多かったのではないでしょうか。

 

あと過度に守ろうとすることが、けっきょくは滅ぼす結果になるとかもー。

 

まあ、大蔵卿を演じた峯村リエさんは大蔵卿のお墓に謝りに行きたいと言っていたので、それが良いのではないかと私も思いますよ。

と最後がそんな一言で終わるのも嫌なので、堺さんのインタビュー記事を貼っておきます。

「「九度山篇でも上杉での人質生活篇でもいいので、今すぐスピンオフをやりたいぐらいです」堺雅人(真田幸村)4 【真田丸インタビュー】

ー スピンオフと言うのなら、私はちょっとだけきりちゃんのその後の物語が見たいです。

 

 

楽しい一年でした。

三谷さん、お疲れ様です。

そして素晴らしい時間をくれたスタッフの皆様と俳優様たちに感謝します。

 

コメント (8)
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街が煌めく頃

2016-12-18 17:36:16 | 梢は歌う(日記)

 

街が煌めく頃になると、そりゃ、主婦という名の人は、やる量やヤル気には差があるかもしれないが、だいたいは「ソージ」ってやつが気になってくる頃じゃあないでしょうか。

いやあ、沖田総司ではないですよ…って、思わずつまらない事を言ってしまいました💦

「えっ、なあんだ。タイトルからもっと何か素敵な事を言うのかと思った。」などと思われた方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

だけど毎日は「月と6ペンス」。夢と現実と両方とも捨ててはいけないものですよね。

 

ああ、そう言えば「月と6ペンス」と書いたので、ちょっと横道それますが、上野の東京都美術館の「ゴッホとゴーギャン展」は今日までだったのですよ。

こちらの方が先に終わると知っていたけれど、そして機会があったら観に行こうと思っていたのにもかかわらず、来年までやっている「クラナーハ展」の方を選んでしまったのですよね。(その絵画展の感想は、また別に書かせてくださいね。)

それにはそれなりの理由があって、私にとってゴッホは…って、・・・・その話聞きたい ?

長くなるから止めときますね。(笑)

まあ、とにかく感情移入がしやすいタイプなので、12月に彼らには急に会いたくなくなってしまったのでした。

なんだか凄く引きずりそうな気もしたのですよね。関連の本もたくさん出ているので、また読みたくなってしまったりとか・・・・

 

とにかく12月後半は、2016年をちゃんと終わらせると言うマイイベントを頑張ろうと思います。

毎日の生活の中での「月」に当たるお出掛けは、その上野に言った事で年内は終了です。

・・・・、って一応。

細かい事を言うようだけれど、一応と言うのは、それなりのお買い物には出掛けなくてはいけないからなんです。

 

と言うわけで、ちょこちょこやっていた大掃除などを前面に出して頑張ろうと思います。

昨日と今日は、本当のゴミと闘っていました。本当のゴミって言うのは、まだ使えるものを処分しようとか言う難しいレベルのものではなくて、何の役にも絶対に役に立たないのになぜか捨てないで取っておいた紙ごみさんたちですよ。

基本領収書の類は3年ほかんとか5年保管とか言うのですよね。(以前調べた。)

でも何か本当にとんでもないトラブルでもない限り、いらないよね。要らないわ~。でも今年の分は取っておく・・・。

 

で、こんなテンポでやっていました。

この資料、もういらないじゃん。

このレシピ、また作るからこのノートに貼っておくとか・・・・・。

 

こんなテンポじゃ終わらないかもしれませんね。

でも彼らとの戦いは逃げるわけにはいかないのじゃ。

 

12月の兼業シュフ・専業シュフと言う戦士の皆さま。

お体を大切に、楽しく毎日を戦いましょうね。

この戦には血は無用。終わればすっきりと本当の心の平安が訪れるのですから。

 

※ 「真田丸」、最終回だねぇ。ドキドキ・・・・。

 

柏の葉キャンパス駅の前。↑

柏駅のデッキ上から。  ↑


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