森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

秋の気配―パンパスグラス

2007-09-29 11:01:13 | お散歩&写真日記

 

 秋と言ったら、ススキですよね。でも、撮ってきた写真は、みんな使ってしまいました。また、撮ってこなくてはいけないかしら。今度はもっと群生している所がいいナァとか思っているんですが、近所にはもうススキ野原はないかもしれません。昔あったところには、政府のとか大企業とかの研修所が、やたら建ってしまいました。殆ど、ひっそりしている研修所。いつだって、「アキ」の状態ですよ。企業のはともかく、政府のはなんか有効利用ってないのかな。

 

 ところで、池のほとりを歩いていたら、向こうの岸辺に気になるものが。

 

  

 

 これも、ススキの種類かしら。もう、朝から検索してお勉強してしまいましたよ。でも、これ、生け花なんかやっている人にはお馴染みのものだったんですよね。知らないものだから、結構時間かかってしまいました。「ススキの種類」とかから入ってしまって。

今考えると、どこかの植物園とか公園のHPを開けば良かったのですよね。ちょっと、自己嫌悪。でも、良いか、私は「24」のクロエじゃないんだから。

 

 ススキの種類もたくさんあるんですよね。こんな所で見ることが出来ますよ。→ココ

 

   

 

   

 

これらはどうみても普通のススキですよね。でも、いろいろ種類があるのかと思うと、探し回っても見たくなりますね。

 

 ところで、話を元に戻して、これはパンパスグラスって言うんですね。    

   

 

ススキと同じくイネ科ではあるのですが、分類で言うと属は「コルタデリア」。ススキの仲間と言うわけではないですね。とは言いながら、別名「お化けススキ」。誰もがススキの仲間と思うということではないでしょうか。

でも、和名は「シロガネヨシ」。

 

植物の世界も嵌れば、ずっと嵌っていってしまう楽しさがありますね。
花は、見て楽しめればいいと思いますか?
でも、私は知りたいナァ。あなたはだあれ。
もちろん、出来る範囲ですけれど。

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秋の気配ー曼珠沙華

2007-09-29 01:27:58 | お散歩&写真日記

 曼珠沙華は意外と奥が深い。

曼珠沙華―天上に咲く花。白くて柔らかく、見る者に悪を離れさせるはたらきがあるという。

 良い意味の花なんだ。

  

 

 

だけれど、誰もが知っている別名「彼岸花」。お彼岸の頃咲き、その頃墓地などに多く見られるので、そういう名前が付いているのかと思っていた。概ね、その解釈で間違えてはいないのだけれど、「ウィキペディア(Wikipedia)」には、さらに踏み込んだ解釈が載っていて、興味深い。

 

この花は有毒である。球根の部分にアルカロイドを含む。吐き気や下痢、ひどい時には中枢神経を麻痺して死に至る。田畑のあぜなどに植えられるのは、ネズミやモグラなどが近づくのを防ぐためであり、土葬の多かった墓地にも同じ理由で、人の意思を持って植えられた。

だが、その毒は長時間水に晒す事で、抜くことが出来る。澱粉を多く含んでいるので救飢植物として食用とされた事あるらしい。だが、毒抜きが不十分だったり、長期に渡って摂取してしまったがために、その毒性が蓄積をしてしまって、中毒を起こす場合がある。

 

そういうことを背景に、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、という名の由来であり、なかなか説得力がある。

 

曼珠沙華と彼岸花。

同じ花ながら、相反する意味を持っているのが面白い。

又、別名。

死人花しびとばな)、地獄花じごくばな)、幽霊花ゆうれいばな)、剃刀花かみそりばな)、狐花きつねばな

ホラーには使いやすい花ではある。現に「百鬼夜行抄」の中にも使われている。だけど、上記のことから、ミステリーにも使えるかななどと思った。だからといって、「曼珠沙華殺人事件」なんてタイトルはつけない。

この花は、葉があるときは花がなく、花があるときは葉がない。韓国では「相思華」と呼ばれている。「葉は花を想い、花は葉を想う。」と言う意味らしい。タイトルにするならばズバリこれを使う。

俗信には、この花を家に持ち込むと、火事になるといわれている。

なんかミステリーにはますます使えそうだ。そんな事言って、さも、ミステリーを書きそうなことを書いているが、コレは言っているだけ。そんな事思いながら、調べていると、面白さが増す。

だけど、その俗信。本当は戒めなんだと思う。「汝、その花を手折る事なかれ。」
毒も持っているが、その花粉は人によってはアレルギーを引き起こす。友人は完治するのに一ヶ月かかった。

 

    

 

公園の斜面に咲いていた。公園だけれど、鬱蒼とした木の下に群生していると、私はやっぱり血まみれの野武士か何かを連想してしまう。

 

    

 

 この花は、秋の季語であり花言葉は「悲しい思い出」「想う葉あなた一人」「又会う日を楽しみに」

日陰の曼珠沙華は、何かを語りかけているような気がしてしまう。

 

   

 

 

 日向の曼珠沙華は、沈黙しているように感じる。

 

やっぱりこの花は奥が深い。

 

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秋の気配―コスモス

2007-09-28 00:00:18 | お散歩&写真日記

コスモス― 秩序ある世界。無限定な混沌と対極的な、万物を秩序立って統一している世界。宇宙。

そのkosmosと花の Cosmos。カタカナにしてしまえば同じコスモス。

そこに意味などないのかもしれない。だけど、秩序と統一、この花にはそんなものがないかしら。

 

  

              

 

 

 それから宇宙

 

  

 

  

 

 だって、スターダストみたい。

 

  

 

ただ、綺麗に写っていないだけじゃないなんて思いましたか。

いいじゃないですか。

夜空に漂う天の川の星屑が、こんな色だったら、何て素敵なんだろう。

そんなことを考えてみると、ちょっと楽しいですよ。


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秋の気配

2007-09-27 01:46:50 | お散歩&写真日記

 まだ昼間は暑いのですが、もう季節は秋ですね。秋の気配を探して、いつも行く、近くの公園をお散歩してきました。少しずつ分けて、そんな写真を載せて見たいと思います。 

  

 

知らない間に、こんなコスモスのコーナーが出来ていました。

 

 

  


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「風林火山38回」村上討伐

2007-09-24 02:29:02 | ドラマ (大河)
 ああ、とうとう「川中島の戦い」、長い戦いが始まってしまいますね。でも、ここまでも、本当に長かったなあと感じてしまいました。

 村上もあんなに強かったのに、沈んだ太陽は再び同じ日の光は放つことは出来ませんでしたね。沈んでいる間に、武田が諜略などの闇の暗躍をしていたと言うことでしょう。

 前回の感想のとき、あるお方の感想の中に「主役が悪役に見える」と言うのがあったのですが、今回、実は私はそれをとっても感じてしまいました。
勘助と晴信が、村上を越後に逃すと言う作戦をヒソヒソと語り合っているとき、私の中では彼らの背景は、黒の禍々しき渦巻きになってしまいました。

 また、景虎が
「武田の悪行」と言いますと、本当にそう感じてしまうのですよ。


なぜなんだろう?

 大義なければ動かない、又は動けない景虎は、戦国武将としてはかなりの変わり者かも知れません。又、ひとたびいくさ場に出れば、その行いは同じなわけで、綺麗事にも感じる方も多いかもしれません。でも、私は、もし「センゴク武将占い」みたいなのがあれば、この人の名前が出てきてしまうかもしれません。もしくは明智光秀とか。

 齢を重ねて、かなりいい加減になってきて、本当に「良い」「加減」になってきましたが、若いときは、「こうあるべきだ。」「そうでなければならない。」と言う想いに、押しつぶされそうに生きていました。

光秀はともかく、景虎はかなり美しく描かれていますが、それなりに重い生き方をしていたと思います。だから、常に眉間に皺があるのかは別かもしれませんが。
とにかく、景虎に肩入れしてしまう自分がいるのです。


又、「義」を重んじる景虎に対比させるためなのか、今までの戦国ドラマには欠かすことの出来ない底辺にある「義」の部分が、武田には感じさせないのは、作家様の「わざと」でしょうか。
その底辺にある「義」・・・天下統一の道は天下泰平の道である。ゆえに、その野望は正義である。そんなまやかしのような「義」に、自ら望んで信じ込み戦国ドラマを楽しむ、私たちがいるのではないでしょうか。

―でも、武田にはそれがない。ゆえに、武田側から映しているときは、野望は夢でありなんら拒む物でもないが、ひとたび違った側面から映し出されると、そこには「欲深き武田」と言うものが存在してしまう。―

今回は、「川中島前夜」と言う所であっても、私にはなんとなく面白くなかったのですよ。それで、かくの如き事などをつらつら思いながら見ていました。


でも、簡単に箇条書き程度に感想を記録しておきますと・・・
村上の奥方の悲劇は、予定通りという感じで(ヒサが助かることも)、あまり心動きませんでした。悲劇に慣れてきてしまっているのでしょうか。そう考えると恐ろしいことですが、村上の嫡男が一緒に行って巻き込まれないで良かったと言うのが本音です。もう、先週の竜若丸のような悲劇を観るのはゴメンです。

ああ、それなのに上杉のバカ殿様は既に遊興三昧。何なの、このバカおやじは!!と、ムカムカしました。

春日源五郎、異例の出世をしました。セカチューのスケちゃんですよね。

太郎に嫁が来ました。今川の姫は噂どおりの美人。

飯富虎昌が廊下で勘助を呼びとめ、家督は太郎のものと念を押すと、もとよりと応えた勘助ですが、別れた後の勘助の目つきが怪しくて、「勘助、怖い」と思ってしまいました。

太郎の祝言の席を抜け出して酒なども飲まなかったのは、悪鬼の一分の良心と言った所でしょうか。

勘助家来三人組が心を和ませます。

さらに、リツ。Goodですよ。

勘助が「リツ」と言った時「ミツ」と聞き間違えた三人。「物の怪か?」には笑えましたが、なんとなく、リツの存在は、ミツの願いのような気がしてしまった私です。

勘助殿、リツがいいよ、リツが。その後の人生が変わるよ。と言っても、仕方のないことでございます。



追記です。
よく考えてみれば、ないもののないパラレルワールド、ネットの世界「センゴク武将占い」みたいなものがないわけはないのですね。
やってみました。私は「竹中半兵衛」でした。「武力」があまりよろしくないのはけんすいの数によるかナァ。それでは、景虎は出るわけはないですね。明智でもいいのにナァと思いましたが、コレで明智光秀が出る人っているんでしょうか。普通に考えたら、「あなたは明智光秀に似ています。」と言われたら、大概は凹みますよね。おみくじの中の大凶みたいなものでしょうか。


<よく見たら、Goo のトレンドランキングに載っていたんですね『あなたは戦国武将でいうと誰?』>

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/kazu1110/busyou.html←コピペでGO

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ワーズワースの詩2「水仙」

2007-09-23 15:50:12 | 思いつくまま

 

 

ワーズワースの代表作と言うと、知っている方は「水仙」を思い出すらしい。

 

 

  The Daffodils
 

  I wander'd lonely as a cloud
  That floats on high o'er vales and hills,
  When all at once I saw a crowd,
  A host of golden daffodils,
  Beside the lake, beneath the trees
  Fluttering and dancing in the breeze.

  Continuous as the stars that shine
  And twinkle on the milky way,
  They stretch'd in never-ending line
  Along the margin of a bay;
  Ten thousand saw I at a glance
  Tossing their heads in sprightly dance.

  The waves beside them danced, but they
  Out-did the sparkling waves in glee:-
  A Poet could not but be gay
  In such a jocund company!
  I gazed - and gazed - but little thought
  What wealth the show to me had brought;

  For oft, when on my couch I lie
  In vacant or in pensive mood,
  They flash upon that inward eye
  Which is the bliss of solitude;
  And then my heart with pleasure fills,
  And dances with the daffodils.




    


「黄水仙」   

 

谷また丘のうえ高く漂う雲のように

ひとり彷徨いいけば

ふと目の前に広がる一群の

黄金色に輝く水仙の花たち

湖のほとり、木立の下に

微風に翻りつつ、はた、踊りつつ。

 

天の川に輝きまたたく

星のごとくに打ちつづき

彼らは入江の岸に沿って

果てしなき一列となりて延びていく

目に映る百千もの花は、楽しげに踊り頭をふる。

 

ほとりなる波は踊れど

嬉しさは花こそ優れ。

かくもこころよき仲間の間には

詩人の心も自ら浮き立つ。

われ飽かず見入りぬ、、されど。

それは我に富を見たらせしことには気付かざりし。

 

心うつろに、われはもの思いに沈みて、

われ長椅子に横たわる時

孤独の喜びなる胸の内に、

水仙の花、ちぢ閃く

わが心は喜びに満ちて、

水仙とともに踊る。

 

     「 ワーズワースの詩」で、ネットで検索すると、「虹」か「水仙」ばかりが出てくる。

―この詩が大好き。―
―水仙を見ると、ワーズワースの詩を思い出す。―という言葉にたくさん巡りあった。そんなにポピュラーな詩だったのだろうか。また、
―高校の教科書で習った―という言葉にも同様だった。これは、私も可能性があるが、記憶がない。英語は嫌いで苦手だったからナァ。 

 

 でも、これからは思い出すかもしれない。画像は「ひたち海浜公園」で撮ったものの切り取りだ。この公園には二度ばかり行ったが、最初に訪れた時は、まさにこの水仙の季節。水仙の咲き乱れる様に感激したことがある。木々の間に佇む様に咲いている水仙だが、しっかりと春の訪れの賛歌を歌っていた。「ひたち海浜公園HP」で、その画像を見ることが出来る。

 私はこの詩に触れた時、なかなかその詩のイメージが心に響かず、難解な詩に感じた。だが、ふと記憶の中の感動に触れなおした時、力強い自然のパワーに対峙した時の、振動してくるような思いが伝わってきた。

 ちなみに既に古い情報ではあるが、その「水仙」をラップにして歌っている映像がある。観たけれど・・・・・微妙・・・・・・→ここ

  

     

 

 

  

   

ワーズワース詩集
ウイリアム・ワーズワス,田部 重治
岩波書店

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ワーズワースの詩

2007-09-22 00:27:18 | 思いつくまま

<映画の『ミス・ポター』でも映し出されていた、素敵な湖水地方。そこは、ピーターラビットのものだけではない。湖水地方で居を構え精力的に創作活動をしていた詩人、ワーズワースの詩について、少し記しておきたいと思う。>

 

A Rainbow

 

My heart leaps up when I behold   

A rainbow in the sky:

So was it when my life began,

So is it now I am a man,

So be it when I shall grow old,   

Or let me die!

The child is father of the Man:

And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

 

 

     

 

空の虹を見ると
心が弾む
僕の人生が始まったときもそうだった
僕が大人になった今もそうだ
僕が年老いたときもきっと心弾むだろう
さもなければ僕に死をあたえよ
子供は大人の父なのだ
僕がこれから迎える日々が
けいけん自然への敬慶な気持ちで満たされますよう
(和訳:安井京子)

 

>The child is father of the Man:

この言葉には、共鳴する方も多いのでは・・・

またはこちらかしら。

>So be it when I shall grow old,   

・・・・

ささやかなものにも、心動く生き方をしていきたいものですよね。意外と難しいことなんだと思いますよ。

私は若い頃、ゼリーを食べる時、その最初の形からも、食べている時の断面からも、例えようもない美しさを感じて、常に感動しながら食べていました。感動は人に伝染します。その時私と一緒にゼリーを食べていた人は幸運だと思います。   ・・・?
「見て、完璧だと思わない。」
「ホントだ、素敵!!」
ある意味催眠誘導かも知れないです。

でも、私の中で、ゼリーに感動していた私は死んでしまいました。何も感じません。ゼリーはゼリーであって、美味しいかそうでないかでしか判断されないものになってしまいました。

かくのごとく、感性の泡ははじけて消えていってしまうものかも知れません。

「近頃、何に対しても心動かないのよ。」などと言う友人に対して哀れんでいないで、自分の感性の泡を増殖させなければとか、思う日々だったりもします。

自然への敬慶な気持ちとゼリーの譬えは、少し遠い譬えかもしれませんが・・・・

 

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I need  you .

2007-09-21 01:06:45 | 詩、小説
言葉は いつだってまやかしだ
恋の想いと愛と好き
一体どんな風に違うんだ
想いに ランクが有るわけがない

突き刺さってくる感情は みな同じ
だけど器用に振り分けて
想いを認識し整理し区分する

整理された感情が、私に伝える
―もう、私はあなたに恋をしていない。
 好きでもない  
 だけど、愛している
 ゆっくりだけど
 愛している―


恋の想いと愛と好き
一体どんな風に違うんだ
想いに ランクが有るわけがない

突き刺さってくる感情は みな同じ
長い年月が いつの間にか それを打ち砕き
心が欠片を丁寧に拾っている

―愛しているよ
 静かだけど―


だから そっと呟いてみる
I need you.





doudemoiikotodakedo,9gatu18nitiha,dannnanotannzyoubidesita.
kittouresikunaidaroukeredo ,mataitinenniihidatoiine .

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今日はアリの日(お知らせ)

2007-09-18 07:22:28 | ’08/12/7までの未整理日記
こちらでのコメントのお返事。TBのお返しが遅れてしまっています。申し訳ありません。


以下、いい訳です。


なんだか三日間の連休中、ずっと自分の好きなことばかりしていました。

「まずいよ、キリギリスのような生活をしてしまったよ。」と昨日の夜、慌てて私が言いますと、
「じゃあ、明日からアリに戻れば。」と、夫が言いました。

そうですね。なので、今日はアリのように働きます。

それもそうなのですが、ちょっと、目の調子が悪い・・・。疲れ目もそうなんですが、アレルギーみたいなんです。みなさん、目は痒くないですか?目のふちは腫れていませんか?

と言うわけで、今日はごめんなさい。


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「風林火山ー母の遺言」

2007-09-16 21:13:10 | ドラマ (大河)
 ドラマの展開としては三国同盟前夜辺りと言う所なのだが、私は上杉竜若丸の悲劇で、頭が一杯になってしまった。

 関東管領の上杉憲政は、北条に追い詰められ越後に景虎を頼って逃れるが、妻鹿田新助の進言に従って、嫡男である竜若丸を残す。それは、共に北条に捉えられたら、上杉は絶えてしまうからと言う、もっともらしい進言だった。だがそれは偽りで、妻鹿田新助の裏切りによって、竜若丸は北条に差し出されてしまう。

北条氏康は、竜若丸の縄をとき、剣を持たせて刀を交える。それは、家臣に裏切られて首を刎ねられるのではなく、討ち死にと言う最後を迎えさせた、せめてもの武士の情けだったのだろうか。

そして、
「二心ある者の首を刎ねよ。」と裏切りの家臣たちは成敗されてしまう。

その時の妻鹿田新助の恐怖の叫び。同情などはしないが、その恐怖の思いは伝わってくる。人生の流れは一方通行。決して逆流しない。そして知るのだ。どんなに地団太踏んで悔いても、決してやり直す事の出来ない滅びの選択だったことを。


そして、悔いる選択に嘆かなくてはならなかったのは、愚かな父である上杉憲政も同じ事だった。


いつだって正義の味方の景虎、涙目で
―なぜ御嫡男を逃し、御自信が残らなかったのか―
たぶん、問われて初めて気がついたのだと思う。常に「主」として生きてきたものの視野の狭さ、想像力の欠如・・・
わずかばかりかばうとしたら、竜若丸の乳母は妻鹿田新助の妻だった。それだけ家臣を信じていたのかも知れない。


 だけど、今日のメインはその話ではない。
大井夫人の最後に見た悪夢・・・・


三条夫人と語らっていた時には、
「私は幸せなんです。」と、穏やかな晩年の雰囲気を醸し出していたのに・・・


その悪夢のシーンは、見応えあり、本当に恐ろしかった。晴信は父と同じ道を歩み、子は晴信と同じ道を行く。


違う選択は、武田にはなかったのだろうかと、深い溜息と共に思ってしまったのだった。


   ※    ※    ※    ※   ※    ※




「北条はこの景虎が成敗いたしまする。」
―そうは、やすやす行かないのさ。―  と、我が殿。

―でもさ、いつか滅びちゃうんだよ。今川もさ、北条も、そして武田もさ・・・―と、私。


―でも、武田が滅んだから織田が残り、織田がいたから豊臣が生まれ、豊臣が天下を取っている間に徳川が力をつけて行った。そして、江戸がと言うように、みんなそれらは歴史の必然なんだよ。その滅亡もこの地点から見ると必然・・・―


―ふーん、なるほどそうだよねえ・・・おやッ、じゃあ、あのブログ名はこの辺にお名前の由来があるのかな・・・―とか、余計なことを考えている私。

― そうは言ってもなぁ・・・ 『儚きや  走る大望  一夜の夢』、アレッ、ちょっとこれ傑作じゃない?―って、聞いていないや。いつもの事だけど。
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