真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

羨ましい研究環境

2016年10月07日 | Weblog
ノーベル医学生理学賞を受賞し、テレビインタビュー受けている大隈教授を見ると、必ず「オートファジーは何の役に立つのか」と質問されていた。大隈教授自身は直接病気の治療に役立つと考えて研究を始めたわけじゃないそうだ。

研究者としての好奇心から「誰もしないことをやろう」とした結果が、今の成果につながったとおっしゃっていた。でも「基礎研究」ってそういうもので、最初から直接生活に役立つものができると考えて行うわけでは無いのが基礎研究なのだ。

基礎研究に没頭出来る環境を昔の日本は、各研究者に提供出来ていたわけで、日本も体力が有ったんだなと思う。今、日本で3年連続ノーベル賞を受賞しているけど、ノーベル賞を受賞していている研究者の方々は少なくとも20 年以上前の研究を重ねてきた結果だ。

自然科学系の研究は、人文科学や社会科学系とは異なり、365日ほぼ休み無く、実験研究を続けての結果だ。研究活動する環境が整っていてこそのノーベル賞受賞なんだと思うと、これから20 年後に日本からノーベル賞を受賞する研究者が出るのかなと考える。

今の文部科学省みたいに、社会に出てすぐに役立つ教育、社会を生き抜く力の育成なんて言わず、好きな研究が出来た環境が本当に羨ましいと思う。今の時代、自然科学者は別として、研究時間を捻出するのは本当に大変だ。特に私の研究領域は、経済変動と大きく関わっているので、時には数年前の研究論文さえ既に過去のものとして扱う変化が激しい領域だ。

今から30 年前の日本は豊かだったし、研究時間も沢山取れた。今、文科省が大学に求めるものは、小池都知事流に言えば、研究ファーストでは無く、教育ファーストなのだ。

もう余り縁が無いかも知れないが、小学校の教育改革を見ると驚く。時代に対応出来る能力の育成と言うことかなと思うけど、全体の勉強時間は決まっているので、国語、算数と言った基礎科目の時間が削られるはずだ。

昨今、大学ではゆとり世代の学生に手を焼いているのだが、でも、自分で選んでこの教育を受けた訳では無いから、ゆとりは〜〜と一言で片付けられのは可哀想でもある。






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