真面子の社会観察日記

社会で起きている様々なできごとを真面目に言いたい放題!

不覚にも玄関で落ちました

2014年10月31日 | Weblog
昨日の6時頃、元教え子と紀尾井町で会う約束をしていたので、出かけようとして、玄関の電気を消して、門灯を点けようとして、玄関で踏み外して三和土に腰から落ちて転んだ。玄関ドアにぶつかり右の臀部を強く打った。

落ちた瞬間、今年に2月の大雪の時にも会談からおちたな~と瞬間的に思い出し、人って変ですね。腰から落ちたのだから身体のことを思うのが普通なのにです。すぐには立ち上がれなかったけれど、何とか立ち上がり、少しお尻が痛いな~というくらいだった。

玄関は引き戸になっているので3つ鍵がある。玄関に勢い良くぶつかったので、左手ドアの鍵があかなくなり、更に外から鍵がかけられなくなった。幸い右手ドアの鍵は開いたのだが、中央の鍵がかけれらないと物騒なので出かけることが出来ない。

身体の痛みは殆ど無かったので、内側からす右手のドアの鍵をかけて庭から出かけようと思い、窓の鍵はかけずに雨戸を閉めて出かけた。元教え子と10時まで勉強会をして、家に戻ったのが10時半頃だった。その時は足の痛みは余り感じなかった。

でも、家に帰ったら右足首辺りがとても痛み、足をつけない状態だった。まずは鍵の修理屋さんに電話してと思って、ネットで鍵の救急車を探し、鍵猿を見つけて今日の10時にアポが取れた。

昨日はお風呂に入るのは止めて、右足首にロキソニンを塗ってからロキソニンで湿布した。吐き気は無かったのだがお腹を壊した。痛みが取れなかったら、今日病院に行くつもりだったが、痛みが大分柔いだし、足は腫れていないので、家にじっとしている方が良いと思って暫く様子を観ることにした。

実は今日は『夫が多過ぎて」の舞台見物のチケットを持っていたのだが、友人に電話して代わりに行ってもらうことにした。夜はコーラスの自主練ででるつもりだったが、こちらも取りやめて、家でじっとしていようと思う。

毎年11月に怪我とかするのだけど、今年は2度も転んだ。気をつけなくちゃです。
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日中韓のブランドの好み

2014年10月30日 | Weblog
日本の若者は、ブランドに余り興味が無いと言われているけど、韓国のロッテ免税店での売り上げ高分析によると、バッグは、韓国人はグッチ、中国人はMCM、日本人はヴィトン好きだそうで、ブランド品の好みに韓中日(これは韓国の記事だから国順がこうなっているけど、日本なら日中韓になる)で差があるとのことだ。

関税庁が22日までに国会企画財政委員会所属の議員に提出したロッテ免税店の1-7月のブランド別売上高集計によると、韓国人はグッチを2万2046点、中国人はMCMを12万2722点、日本人はルイ・ヴィトンを9667点、それぞれ購入した。

時計では、韓国人と中国人はカルティエ、日本人はロレックスを最も多く購入した。中国人はカルティエの購入が1万6650点で圧倒的に多く、日本人はロレックス(1114点)を最も多く購入した。韓国人はカルティエ(2864点)、タグ・ホイヤー(2429点)の順で多かった。

タグ・ホイヤーは中国人(922点)や日本人(193点)の間ではあまり人気がなかった。オメガは中国人(5394点)には人気だそうだ。また、酒類では韓国人と日本人がウイスキーのバランタインを最も好み、これに対し、中国人はコニャックのヘネシー(7万6231本)を最も多く購入した。

一方、消費の冷え込みを反映し、ロッテ免税店での韓国人の購入額がここ4年にわたり減少を続けていることが分かった。韓国人客1人当たりの平均売上高は、2011年の747ドル(現在のレートで約8万円、以下同じ)から12年が706ドル(約7万6000円)、昨年が548ドル(約5万9000円)、今年1-7月は441ドル(約4万7000円)と急減している。

今まで、韓国に行く日本人の大半は、強い円で安い買い物をする買い物ツアーが殆んどだったけど、今は円安なので日本人が韓国に買い物に行くメリットは余り無い。今年の7月にソウルをに泊まって、少し街を歩いてみたが、日本人観光客は殆どいなくて、店も中国人使用になっていて「5折」「7折』という表示が店頭にかけられていた。

以前化粧品屋さんだった所が、総て偽物カバン屋になっていた。これじゃ、日本人には買う物が無いわ。
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今年も逃げるハロウインパーティー

2014年10月29日 | Weblog
先日、ハワイから来日した友人が、「なんで街中がこんなにハロウイーンなの?」と驚いていた。彼女は20年前くらいに英語教師として日本に10年以上滞在していたし、日本人と国際結婚したから割合日本の動きを知っている人だ。ハロウイーンはヨーロッパの収穫祭が起源とされ、アメリカで定着した10月31日に開かれる。

Happy Halloween! は、本学でも10月31日には何か仮装して授業を行わなければならないので、授業が無いことを良いことに私は参加していない。なぜか私の授業日でない日がハロウイーンの日なのだ。事務方さん達も、全員朝から仮装をして仕事をしているらしい。必ず全員で写真をとって校内に掲示されるので誰がどのような仮装をしたかは後で分かる。

日本記念日協会によると、市場規模約1100億円で4年前の約3倍というから凄い。今年は大雪に見舞われたバレンタインデーを超える売り上げらしい。『楽天市場」では昨年よりも20万点多い50万点の関連商品が並ぶそうだ。

元はと言えば、日本では1997年に東京ディズニーランドの関連イベントをきっかけに広まったそうなのだが、色とりどりの仮装は、写真や動画を取り合うのにもってこいなのだそうだ。先週の土曜日、合唱の練習に行く前、六本木ヒルズ辺りを走っていたら仮装の大行列に出くわした。大人も子どものとても嬉しそうだった。

仮装の楽しさは『やって見なはれ』精神でやってみないとわからないのかも知れないが、人間は変身願望があるというし、特にハロウイーンは今の若者が求めている要素が総て詰まっているから、とも言われているのだ。また、家族の全員参加が出来るイベントでもある。

10月にはこれといったイベントも無いし、ビジネス的にはクリスマス商戦、お歳暮に入る前の大イベントとして定着するのかなとも思う。今年も幸いに出校日ではないので、参加しなくていい。ラッキー!

ところが、31日が学園祭の準備日なので、今年は30日に仮装をするってメールが入った。ちょっと待って、明日30日は朝9時から授業なんです。でも今年も逃げる。
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国連世界孤児の日フォーラムに参加して

2014年10月28日 | Weblog
昨日、月曜日は「国連世界孤児の日ハイレベルフォーラム High Level Forum to Establish UN World Orphans Day」が日本財団会議室で行われたので出席した。韓国孤児の母・田内千鶴子生誕100周年を記念して、『World Orphans Day」を制定すべく国連に働きかけているのだ。

今、ホームステイしているスヒョンのひいお婆さんにあたる田内千鶴子さんに関わることだったし、私の3人の韓国の子どもも田内千鶴子さんが作った韓国木浦の共生園にいるので出席した。2時から5時半迄、休み無しの長丁場で、ゲストスピーカーは、イギリス、スリランカ、韓国、マラウイ、アメリカ、日本から、それぞれの研究者がその国の孤児に関する問題点を講演してくれた。

原稿が冊子となって予め手渡されていたし、英語を母国語としない研究者達の講演だったので、通訳なしで講演を聴いた。私たち日本人もそうだが、英語を母国語としない人たちの英語は聞きやすい。もちろん同時通訳もあった。

孤児という単語は、ギリシャ語の”orfanos"からきており、両親が死亡したか、永久的に捨てられた子どもと翻訳される。アメリカにおける法的は定義では「両親を死亡、または行方不明になりなくしたり、棄てられてり、起き去りにされたり、引き離されたり、見失しなってしまうこと」により孤児になると定義されている。

ユニセフの定義によれば「孤児とは片方または両方の親を失くした子ども」を指す。父親をなくして苦しんでいる子どもである父親孤児、母親を亡くして苦しんでいる子どもを母親孤児、二重孤児とは両親を亡くした子どもを指す。

私の長女は廃られたのを駅校内で発見されたので二重孤児だ。次女と三女は母親が韓国国内の何処かに存命していると言う噂なので父親孤児になる。来年2月、高校卒業式の日に、この子どもたちの母親が「私が母親」と、泣きながら花束を持って現れる可能性が無いわけではないのだ。

そして、韓国から孤児が諸外国に養子に出される子どもの数に驚愕した。昨日1日の講演で色々考えた。



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43年振りにお会いした先輩は今も素敵でした

2014年10月27日 | Weblog
昨日は大学4年間、とても熱心に取り組んだ勉強ではなくてギタークラブの創立50周年記念パーティーに参加した。なぜかこの1週間、中学の同級生にあったり、大学のギター同窓会があったりだった。

参加するつもりは無かったのだが、同期の女性が1人で行くのは・・・と言ったので、今でも母校と関係している私が一緒に行くことになった。

母校で行われたパーティーには、200名以上の参加者がいて、当然ながら1年生の時の3代先輩と4年生の時の3代後輩と、お互いに懐かしく言葉を交わした。サンフランシスコやラスベガスからいらした先輩達、女子アナウンサーになっていた後輩が司会進行をした。

母校の経営学部を例にとると、今は女性と男性が半々位だそうで、そのためか女性部員が増えていると思った。また、アメリカオレゴン州からの交換留学生も部員としていたので時代を感じた。

また、今は短大は無くなったが当時短大も一緒に部活を行っていた。それほど、女性が少なかったということだと思う。短大を出て有名になった女性の代表は、同窓同期の残間・中山さんだろうと思うけど、大学時代にクラブは何処に入っていたのか伺っていないので一度聞いてみようと思う。

一番嬉しかったのは、私が新入生で入部した時、4年生の女性が一人いて、その方と卒業以来43年ぶりにお会いしたことだ。4年間クラブを続けられた女性は、各代に大体女性は2人位だったけど、先輩の世代は女性1人だった。

練習後、私たち後輩女性を喫茶店に連れて行って下さって、本当にいろいろな話しを伺った。当時の3歳の開きはとてつもなく大きく、大人で独立心に溢れ、憧れの女性だった。

彼女の話し、夢は私の未知の世界のことだったので、私もこういう風に生きたいと思ったものだ。今思えば、既成概念に捕われ無い自由人だったと思う。クラブの先輩はとても恐くて、近寄り難い先輩達だったけど、それだけ威厳があり、大人だったってことだと思う。

70代にさしかかろうとしていた先輩女性達は、どなたも若々しく溌剌としていた。背筋が伸びて、凛とした佇まいにあらためて尊敬の念を持った。

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